廃線紀行(3)

地平時代の札幌駅
 高架化前の札幌駅のカットです。憧れの地北海道に初めて足を踏み入れたのは大学1年の冬でした。当然の事ながらお金がなく、宿に泊まる資金も間々ならず、3泊すべてが夜行列車とういう、今の自分では考えられない旅行でした。この年の春には各駅停車の夜行列車ばかりを乗り継いで5連泊という事もやっていましたので、当時は至極当たり前に感じていました。道南ワイド周遊券の冬期割引と学割の併用で、確か食費も入れて2万円位の費用の旅行だったと思います。行きは常磐線経由の急行「十和田」で青森へ、青函連絡船八甲田丸で函館へ、普通列車の夜行で札幌へ、昼間には雪祭りを見物してその日の夜の特急「北海」で函館へ、連絡船の夜行確か2便で青森へ、青森から上野までは確かな記憶がありませんが「はつかり」だったように思います。 その後、冬の北海道の強烈なイメージに魅せられ社会人5~6年目までは狂ったように北海道に渡っていました。
 以下のカットは最初に渡道した際に撮影したものです。雪にレールが埋もれ見えなくなっていても大丈夫なんだと関心したことを覚えています。 もちろん札幌駅は廃止になっておりませんので、廃線紀行には適切ではないかもしれませんが、高架化により当時の姿は見られませんので、このページに加える事とします。



非電化区間の近代化と高速化に大きな貢献を果たしたキハ82系特急気動車です。
北海道から九州まで全国各地で見ることが出来た。ちょうどこの頃から新系列のキハ183系が投入され、
徐々に活躍の場を狭めていた。夜行列車で札幌駅に到着直後で朝のホームには灯りが灯されている。
隣は普通列車の主力だったキハ48系。

1982年2月5日 札幌駅



道内どこに行っても見ることが出来たキハ22系気動車。私は北海道を代表する車輌といえばこの車だと思います。古き良き北海道を思い起こす事の出来る、何ともいえないいい雰囲気を持ち合わせている車輌と思います。
左は781系特急車。後年この車輌を使用して130km/h運転が開始された。

1982年2月5日 札幌駅



発車を待つ、特急「北海号」キハ183系気動車。私はこの列車に乗車して函館を経由し帰路についた。
現在は外部塗装が変ったものの現在も変らず活躍しています。
札幌駅はホームが低くホーム上の雪を線路に落とすと埋まりそうになっていた。

1982年2月5日 札幌駅

下津井電鉄
 下津井電鉄は、学生服の町児島とかつての四国連絡港の町下津井を結ぶ鉄道として、平成2年12月まで存続していました。既存の鉄道と接続していないわずか6.5Kmの短い路線で、地元の人からも忘れ去られたかのような静かな鉄道だった。762mm軌間の軽便鉄道で小型の電車が瀬戸内海を見下ろす曲がりくねった線路をゆっくりと走る、まるで鉄道模型のジオラマのようであった。乗客は少なかったが、うら寂しい雰囲気はなく、時の経つのがものすごくゆっくりと感じられる不思議な感じがしたことを記憶しています。廃止時もさほど大きな話題にもならず、この鉄道らしく静かに幕を引いた様である。



詳しいメモが残っておらず詳細は判りません。手元の古い書籍を見ますと、同社には3編成の車輌が在籍しており時間帯によって使い分けている旨の記述がありますので、上下の写真で在籍車全てという事になります。
1985年3月 下津井駅構内。



名鉄八百津線

2001年9月末に廃止となった名鉄八百津線です。大手私鉄の名鉄で廃止?と思われるかもしれませんが、同社は多くの地方過疎路線を抱え、近年多くの合理化策を講じて路線の維持を図っておりました。下の写真は運行コストを削減するため昭和59年より投入されたLEカー(Light and Economy Car)キハ10形です。電化された路線にレールバスを投入し、当時はここまでやるかと話題になったものです。写真はLEカー投入直後のものです。この車輌は平成7年には後継のキハ30形に代替され、その後宮城県のくりはら田園鉄道に売却されました。

筑波鉄道
 昭和62年(1987年)3月31日に廃止となった筑波鉄道です。同線は大正7年に筑波鉄道として土浦-筑波間を開業。昭和20年(1945)に常総鉄道(今の関東鉄道常総線)と合併して常総筑波鉄道となり、更に昭和40年(1965)6月1日には鹿島参宮鉄道(今の鹿島鉄道及び関東鉄道竜ヶ崎線)と合併して関東鉄道筑波線となりました。その後の昭和54(1979)には経営効率改善のため再び関東鉄道より経営分離され筑波鉄道となりました。しかしながら乗客の減少に歯止めはかからず健闘むなしく廃止となってしまいました。国鉄からの直通列車の乗り入れもあり、様々な気動車を保有し、趣味的には非常に興味深い路線であっただけに非常に残念でありました。以下は廃止直前に出掛けて行って撮影した写真です。車庫以外での撮影の記憶もありますが写真が見当たりませんので真鍋機関区のカットのみ紹介させていただきます。



同社は各地で廃止になった鉄道の気動車の譲渡を受け大量に使用しており旧型気動車の宝庫の様にいわれていた。写真は左からキハ461で昭和8年製元国鉄キハ04です。この車両は国鉄二俣線乗り入れ用に遠州鉄道で使用されていたもので乗り入れ中止に伴ない北陸鉄道に譲渡され、同社でも使用用途が無くなり再度譲渡されたものです。国鉄時代から3回も所有者が変わった事になります。中央はキハ762で昭和45年に廃止となった北海道の雄別炭鉱鉄道から譲渡されたものです。国鉄キハ22をモデルにして作られた気動車で同型車3両と共に譲渡されたものです。右はキハ821で元国鉄キハ1047で、昭和31年今は帝国車両製です。



右側がキハ301です。元国鉄キハ3016で同線の廃止後は関東鉄道常総線に転属となり現在も活躍中です。
筑波鉄道では行先方向幕は使用せず埋め込みとした事で、現在関東鉄道での異端車両として判別可能となっています。
左側は見難いですがキハ511で元江若鉄道キハ5129と思います。



この電車のようなスタイルはキクハ11です。昭和32年日本車両東京支店製です。エンジンを架装し気動車に
なったりで経緯が非常に複雑な車両です。この時点ですでにあまり動いた形跡もなく旧車状態でした。



最初のカット中央のキハ762と同型のキハ762です。昭和32年新潟鉄工所製でほぼ国鉄のキハ20(22)と同形の車両です。
入線時に二重窓などの耐寒設備を撤去し、46年に座席ロングシート部を増設した以外は大きな変化はなく使用されていた。