古山高麗雄 ふるやま・こまお(1920—2002)


 

本名=古山高麗雄(ふるやま・こまお)
大正9年8月6日—平成14年3月11日 
享年81歳(峰雲流麗信士)  
東京都新宿区四谷4丁目34 東長寺・羅漢堂(曹洞宗)



 
小説家。朝鮮(現・朝鮮民主主義人民共和国)生。旧制第三高等学校中退。昭和17年召集、ラオスで終戦。戦犯容疑で捕らわれ、22年帰国。編集者となり、45年戦争体験をもとにした『プレオー8(ユイツト)の夜明け』で芥川賞、48年『小さな市街図』で芸術選奨新人賞受賞。ほかに『セミの追憶』『フーコン戦記』などがある。






  

 私は、低い石垣で二重に囲った墓の、石垣と石垣の間で寝ることにした。
 佐々木長助は、同じ墓の、私と反対側の石垣の聞に沈んだ。仰向けになると、寝棺の中で寝ているような気がした。石垣は、ちょうど寝棺ほどの高さだったし、幅も似ていた。ひとつには、ここが墓地だから、棺を連想したのかもしれなかった。だがフタのない棺だ。顔の上には夜空が広がっている。一面に星が瞬いている。安南人の眼から逃れるつもりなら、ここは安全な場所だとはいえなかった。角度によってはまる見えなのだ。だから私は、今夜、長助が泥棒に出かけたら、ここを出て、姿をくらましてしまうつもりだった。そして夜が明けたら、ひとりで安南人の家を訪ねる。ここから遠く離れた場所で。
 私は、賭けなければならないと思っている。生きるためには、人命を賭けなければならないことがあるが、いまがその時ではないかと思っている。安南家を訪ねることが私の賭けだが、長助という相棒がいるので、私は逡巡してしまうのだ。相棒が長助だから、というのではなく、相棒がいるということで気持が萎えてしまうのだ。
  私はひとりになりたかった。ひとりなら、私は安南人の前に姿を現わす。はもうヴェトミンの敵になってしまったのかどうか、それがわかるのはそのときだし、そのときもし私が〝敵〟 だったら、殺されるかもしれないのだった。だが、おそかれ早かれ、私はそれを確かめなければならないのだ。

                                
(墓地で)



 

 妻は一人で逝った。その直前には良き理解者であった江藤淳が連れ合いのあとを追って自裁した。古山は夢を見るのだった。妻がたった一人で死んでいった東林間の部屋で、妻が死んだ蒲団のうえに寝ながら。〈追い詰められ、焦っている。瀬戸際の夢〉ばかりだった。仕事部屋として買った南青山のマンションに住んで、自宅に帰るのは年末年始の他は月に一、二度ぐらい。妻はそんな夫婦生活を「東林間のブタ小屋」と疎んでいた陋屋で、〈耐え、甘んじた〉。妻が手入れをしていた庭には藤棚や薔薇、金柑、富貴菊などがあって、いまは白木蓮がつぼみ始めている。もうすぐだろう。人に知られずひっそりと逝こう。〈あるのは死だけで、それでよい〉。平成14年3月11日、妻の蒲団の上で心筋梗塞のため古山は一人で死んだ。



 

 混沌とした戦争の暗い世相を背景に、学業を放棄し、ドロップアウトして生きようとした若者の生活を描いた安岡章太郎の『悪い仲間』のリーダー格・藤井高麗彦のモデルとされた古山高麗雄。いやいや行った戦争で捕虜となり、帰国後は編集に携わりながら戦争を書いた。戦争三部作を書き終えたあとは戦争を思い出さなくなった。江藤淳が死に、妻明子も死んだ。妻は四谷の東長寺に眠っている。週に一度は前後不覚に酔って寺の扉を叩き、位牌の安置された部屋に入らせてもらい声を上げて泣いた。地下廟の一室、正面の厨子に十六羅漢図、巾4cm、高さ15cmほどの位牌がひな壇状に無数に並んでいる。妻のそれに並んで「峰雲流麗信士」と書かれた金色の位牌。古山高麗雄もひとつの「死」となった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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