福原麟太郎 ふくはら・りんたろう(1894—1981)


 

本名=福原麟太郎(ふくはら・りんたろう)
明治27年10月23日—昭和56年1月18日 
享年86歳 
東京都豊島区南池袋4丁目25–1 雑司ヶ谷霊園1種20号12側


 
英文学者・随筆家。広島県生。東京高等師範学校(現・筑波大学)卒。昭和5年イギリスに留学。翌年帰国し、東京文理大学(現・筑波大学)などの教授を務める。30年定年退職。『トマス=グレイ研究抄』、『チャールズ=ラム伝』で二度読売文学賞を受賞。『幸福について』『福原麟太郎著作集』などがある。







  

 「私は他人の精神の中に我を忘れることが好きである。私は、歩いていないときは、本を読んでいる。私はじっと坐って考えていることは出来ない。書物が私のために考えてくれる。」ラムはそういう。「書籍読書に関する断想」のはじめの方である。「書物が私のために考えてくれる」という一行が有名である。そして重ねて「私は、いやしくも書物というものならば、何でも読むことができる」という本好きなのであるが、書物という名に値しない書物があることをも主張している。それは「書物でない書物」(ビブリア・アビブリア)というものである。紳士録・科学論文・暦・法令一般、そんなものをいう。なるほど、それらは非書籍的書籍に入れても良いが、ラムは、そのほかに、哲学者ヒウム、史家ギボンまで数えているにはおどろく。「その他一般にいわゆる「紳士の書斎に欠くことのできない』書物はことごとく」という。しかしそう言われてみると、なるほど「紳士の書斎」なるものに不信感が湧いてくるから不思議である。
 「書物の着物を着たこれらのものが、似而非聖者のように聖堂内に闖入して、御本尊を押除け、正当の神殿を横取して書棚の上にのっかっているのを見ると、実のところ、むらむらと癇癪が起る」という。次第にラムのいう書物なるものが解ってくるようだ。アダム・スミスも嫌いであるらしい。
                                                      
(チャールズ・ラム伝)



 

 福原麟太郎は一生を英文学教師として過ごし、昭和56年1月18日、心筋梗塞により永眠した。友人であった英文学者中野好夫は、〈日本では、文学といえば小説ということになっているらしいが、福原さんの随筆は立派な文学である。福原さんを英文学者だなんて簡単に言わぬがよい〉と『福原麟太郎著作集』の書評に記している。
 〈随筆には諸行無常という考え方が、その基底に流れていなければならない〉と考えた福原麟太郎。読書家であった彼の文学観はいわゆる世間一般の小説偏重の文学観とは違うようである。成熟した感性と人生の叡知を感じさせる書物、何よりも豊かな人間性を漂わせた書物を求めて読んだ。「一冊の本」という書に『饗庭篁村集』を彼は選んだ。



 

 昭和38年に授与された日本芸術院賞は「英文学を基盤とする随筆一般」に対して贈られたように、福原麟太郎は英文学の神髄である随筆に〈知識を書き残すことでなく、意見を吐露することでなく、叡智を人情の乳に溶かしてしたたらせることである。争うためでなく、仲よくするためである〉と人間愛を注いできたのであった。
 ——雑司ヶ谷のこの墓地は大小の樹木に覆われて都会の喧噪をなんとか防いではいるのだが、岩野泡鳴の碑と背中合わせの筋にある「福原家之墓」は、高速道路に真っ向から面対していてそれから逃れることは叶わない。日和ぼっこをしながらの読書を何よりも好んだ彼に、今日の日光は読み耽るに十分な明るさであろうが、この騒音はいかにも気の毒である。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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