本名=深尾須磨子(ふかお・すまこ)
明治21年11月18日—昭和49年3月31日
享年85歳(水妖院吟遊佳苑大姉)
兵庫県明石市人丸町1–29 月照寺(曹洞宗)
詩人。兵庫県生。京都菊花高等女学校卒。与謝野晶子に師事。大正14年詩集『斑猫』を上梓し渡仏、コレットの知遇を得て、昭和5年詩集『牝鶏の視野』をまとめる。再渡仏して生物学を学び、戦後は平和運動に活躍した。『洋灯と花』『深尾須磨子詩集』『列島おんなのうた』などがある。

斑猫です
南の国の夏のさかりに
甘え ふざけ こびる斑猫です
色の主題はとりあつめた焦点の黄色で
とり合わされるのが濃青と臙脂と
そして紫です
斑猫です
誘っては逃げ 誘っては逃げ
たくみに身をかわし 身をそらし
捕えようとする手の尺ばかりを
つねに先がけ
つねにあとしざり
斑猫です
花よりもきれいな
宝石よりも美しい
そのくせ捕え手に死を与える恐しい
しかしただ一匹の昆虫です
うまくつかまえて襟飾りにでもしてください
(斑猫)
大正元年、須磨子は深尾贇之丞と結婚するのだが、大正九年、夫の死によってわずか八年間の結婚生活に終止符を打つこととなる。文才もあった彼のために遺稿詩集『天の鍵』を出版し、追憶の詩を載せた。
〈自分のきらひなお役所に 朝から晩まで働いて、作りたい詩も作る時をもたず、(中略)三十五で死んだ彼 あゝ、かはいさうな彼。 けれども、後にのこって、 こんなことまで思はねばならぬ私は、 彼以上にかはいさうだ。 あゝ、かはいさうな彼、 かはいさうな私〉——。
華々しく直情的な須磨子の原型をみるような詩だ。以後の彼女は自らの思うまま、とにもかくにも行動的にそれぞれの時代に突入していった。深尾須磨子、女流詩史上の特筆すべき詩人、昭和49年3月31日死去。
日本の標準子午線に位置する明石市立天文科学館裏の高台にある月照寺。門前に佇むと雄大な明石海峡大橋が高く霞んでどこまでも延びている。その行き着く先には淡路島が薄ぼんやりと浮かんでいる。イザナキノミコト・イザナミノミコトの国生みの神話によって先ず最初に生まれた淡路島。神話の島の対岸にあるこの寺の本堂裏、すっぽりと落ち込んだ墓地がある。「深尾家之墓」、碑の側面には遠い年月を経て漸くに贇之丞と須磨子の名が並んで刻まれている。段々状に積み並べられた碑石の傍らから直線的な朝日が零れてくると、わずかな風のそよぎを巻き上げて、本堂の大屋根越しに見える天文科学館プラネタリウムの丸い先端が、淡青な宙空に銀色の光を放射し始めていた。
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