tera of 倉橋島のお宝

宝州山 西蓮寺

宝州山 西蓮寺は呉市本浦にあり、浄土真宗西本願寺派に属している。古くは禅宗で、照明寺と号していた。開基は鎌倉時代と伝えられているが、室町時代には領主多賀谷氏の菩提寺とな、天文三(1534)年、多賀谷興頼によって再興された。興頼が毛利氏によって滅ぼされると娘の恵慶尼によつて浄土真宗に改宗された。さらに寛永六(1629)年に西蓮寺にの号を賜つたと伝えられている。
本堂裏には多賀谷氏の墓がある。
本尊 三尊阿弥陀仏立像・長二尺 行基菩薩の作 1606阿弥陀仏立像

(行基作伝説)

創建・開基 禅宗(照明寺)1321~1323真宗(西蓮寺)

城光山・浄福寺

所在地 呉市倉橋町上河内(尾埼)
宗派 浄土真宗・大谷派
名称 城光山・浄福寺
本尊 阿弥陀仏立像・長一尺二寸 春日作
創立 990~994年 真言宗 真宗改 1533年 改称 1640年

由緒

浄福寺は正歴年間(990~994)の創立古老の口碑に拠れば、地頭宮崎助之進豊正の本願に起こるとある。又正徳五年(1715)倉橋島寺宮控によれば、倉橋島真宗浄福寺は賀茂郡川尻浦光明寺末寺に御座候、了順と申出家・天文二年(1533)開基之由

真宗東派 恵周山 得蔵寺

所在地 呉市倉橋町上河内(城ノ岸)
宗派 浄土真宗・大谷派
本尊 阿弥陀仏立像

由緒

天正九年(1581)恵周と申す、僧開基し元禅宗にして、真福寺と号し水越山に在り、由って(山)を恵周と号す、とある。のち伊予の国・松山の産・高橋休意が此の寺に住いし、其の子高橋隼人助豊久、父の後をつぎ正西・真宗に帰依し、寛永二十年(1643)東派(大谷派)本願寺宣如法主に随い改宗して得蔵寺と改号す。

浄徳寺(廃寺)

所在地  呉市倉橋町石原字寺垣地
宗派   真言宗

由緒


浄土宗 浄土院

浄土宗 浄土院

浄土宗 浄土院
所在地 呉市倉橋町本浦(尾埼)
宗派  浄土宗(本寺・知恩院)
名称  九品山・浄土寺
本尊  阿弥陀仏立像

由緒

元和五年(1619)旧藩主浅野候(長晟)当国に移封の際、紀州より従い来る檀徒数十名、地を長門島に賜り居を構へ、浄土宗を信じ、寛永六年(1629)広陵(今の広島)の名刹妙慶院より僧を派遣し(浄土庵)と名付け、宗判取扱居候。

浄土宗 長安寺(廃寺)

長安寺 (廃寺)

元・所在地  呉市倉橋町松原 荒神の辺に在り
宗旨は浄土宗鎮西にして平城智恩院の末流なり。

上薬師

上薬師

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楽音寺跡
本尊 薬師如来

朱雀皇帝天慶年中に備前の国藤原の純友のゆかりの寺(伝説)
本尊  医王仏

下薬師

下薬師

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下薬師

創立1624-1643年にして、徳蔵寺元禅宗にして真福寺と名付けし時の本尊薬師如来なり

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十王経(仏説地蔵菩薩発心因縁十王経)の地獄のことが詳しく描かれた絵馬

才野木村地蔵(延命地蔵尊)

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本尊は地蔵大士

空海大師が第十六次遣唐使船で寄港した時の作(長門ノ津に寄港と記録あり)
霊感不思議にして世人の祈る所誠有るときは、今に至りて必ず其の益を得る者多し
【延命地蔵尊略縁起】
この地蔵尊は延命子育ての地蔵と呼んで霊感あらたかなことで世に知られております。 今より千百余年の昔、弘法大師がこの地の住民が地震・台風・飢えで、さながら地獄の様相であったのに心を痛め、この地に一体の地蔵菩薩を刻んで、地獄の責苦にあえぐ人々の救済を祈願したのが始めと伝えられております。

呉市倉橋町本浦

首なし地蔵

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首なし地蔵
薬師如来

「薬師真言」・・おん ころころ せんだり まとうぎ そわか ・・ を唱え、またこれと併せ、自分の患部と地蔵の同じ部位を交互に撫る。必ず其の益を得る者多し
地元の古老の話



いぼ落とし地蔵

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呉市倉橋町本浦  白華寺

コロリ地蔵

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ピンコロさん、拝むと亡くなる直前まで元気で生きてコロリと楽に成仏できる。
呉市倉橋町本浦  白華寺

上清水遺跡の石仏                       

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上清水遺跡の石仏 室町時代の作
 往昔清水山に十王堂(じゅうおうどう)在り、地元の人たちは「じょうおうどう」と親しみをもって呼び、今は石仏を大切にお守りしている。
仏教では、人が死ぬと地獄や極楽などの世界に行くと信じられているが、その行き先を決定するのは閻魔(えんま)大王を筆頭とする十人の王たちが勤める裁判官である。この十王をおまつりして自分たちも極楽へ行きたいと願うのが十王思想である。 この思想は、十王経(仏説地蔵菩薩発心因縁十王経)が出典のようで、地獄のことが詳しく描かれている。この十王経はどうやら中国で作られた経典(偽経)といわれており、日本へは仏教伝来時に伝えられ鎌倉時代には大流行したという。
呉市倉橋町本浦

松原の地蔵  延命地蔵尊

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明治天皇の御前水の記念碑

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新しい御世を宣伝するため全国巡幸の一環で、1885年、広島を巡幸し、建設中の宇品港から呉(広島の陸軍より先に呉の海軍鎮守府設置が決定されていたー1884年用地買収開始、工事開始は翌年、1889年開庁)、倉橋島を視察したのを記念して、1934年建てられたものです。

1867年が明治維新。庶民はまだ「天皇」って何者かさえ知らず、幕藩体制の「お殿さま」の方が偉いと思い込んでいました。維新の元勲たちは、これでは「富国強兵」もおぼつかない、と苛立ち、何も知らないまだ若い明治天皇を全国津々浦々を回らせたもので、その一環のものです。

 「天皇制国家」が一挙に庶民の間に浸透するには、もう9年先日清戦争勝利まで待たねばなりませんでした

                      呉市倉橋町本浦

東豊浜古墳

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歴史の証人 椋の木

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幹周 4.9m
樹高 25m
樹齢推定800年
神道須佐牛頭天王が祀られています。古くから当地で、病気や災いを除く神
として信仰されています。
祭り 12月20日から25日の間
呉市倉橋町松原

長寿の松(樹齢400年)

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日本で10番目(くろまつ科)の長寿の松
長寿の松として全国から訪れる人が多数あり
場所  桂ヶ浜