Column of 倉橋島のお宝

国重要文化財  桂濱神社本殿
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森林内に鎮座する桂浜神社本殿は、文明12(1480)年の建物として国の重要文化財に指定されています。 県内では類例の少ない前室付き三間社流れ造りの本殿は中世瀬戸内の社建築の、 特色がよく残されています。歴史民族資料館に、この神社の宝物である大般若経が展示されています。
祭神に関する事項
本社の祭神は、古代・中世に海の守り神として、宗像神社の祭神 宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)を勧請し海人の尊崇を。武の神として、宇佐八幡宮の祭神 応神天皇、比売大神(ひめのおおかみ)、神功皇后 の三柱を勧請した。

御神徳

日本文化の興隆をはかる・生活の守護神
商売繁盛の神
縁結びの神
子授ヶ安産・子育ての神
海上・交通安全の神

由緒

● 本社の創建の年代は不詳であるが、天平年間(729-748)の遣新羅使の一行の大石蓑麻呂の詠歌(万葉集)に拠ればその当時既に社は鎮座していたと思われる。
● (一説には)昔、ご神体が海岸に漂着していたのを、棒持して帰り、神殿を設けて奉祀した神で、人々は、是を 流神と称していた。
● 芸州藩主浅野氏歴代崇敬参拝し、文久三年(1863)には、藩主浅野茂長公、上陸後徒列をなして参拝された。
● 明治十八年には、明治天皇中国三県御巡幸の途中御召艦を、近く倉橋湾内に碇泊し、侍従を当社に参向された。桂浜松原には当時奉迎の灯籠の跡に、記念碑が建てられている。

末社(境内末社)
当八幡社(本殿東側に在り)
祭神

須佐之男命・上筒之男命・建御雷之男命・品陀和気命・経津主神・竹内宿祢
当八幡社は本島最古の氏神にして、本社の(一説)の流神説は、この当八幡社の当初の祭神の(一説)を基としている。

桂浜伝説

この浦を桂の浜と申すこと、石上ふるき世は万葉かつらの這あへれば、蔓の浜と申ししを海漫々として山遥かに、月の眺めの面白ければとて、桂の浜と申すなり。

春日神社
祭神
建御雷之男神・斉主神・天児屋根命・比売大神・径津主神
由緒

春日社略誌によると1075年倉橋の湾、南の海上に八大竜王が現れること連日連夜に及び、村人はその所以が判らず、或いは恐れ、或いは敬い、不安の日夜をすごす。その折、或る夜諸人春日明神の霊夢を感得し、この里の四維を選び神殿を造立すべしと告げられ、それに由り表田山に神殿が創建され、春日大社御神霊勧請の儀が行はれた。

八大竜王

雨を降らせ、水産業、飲食業、水商売、芸能、サービス業の守護神, 井戸、水道の守護神

祭日
毎年春秋の二季に祭典をおこなう
春は4月29日
秋は11月3日
境内末社
金比羅社
貴布祢社
稲荷社
水戸の神社

塩釜社

所在地 呉市倉橋町本浦字松原に在り

祭神
由緒

奥洲白川の住人、塩釜佐衛門勝信なる者、天喜四年(1056)四月十二日家臣・柴田雲平義兼をはじめ十五人を従え、西国へ下る途中当村松原浦に兵船を寄せ上陸す、村人は乱世時節で海賊・夜盗の横行に悩まされ、是を平定してほしいと勝信に懇願す、勝信は尾崎村(現・松原)に居を構え是を平定す。勝信の武勇に村人の生活は安穏に、窯も豊になった。

創建

勝信は奥州塩釜大明神を勧請し当所の松原の松の下に宮居を創建した天喜五年(1057)九月十一日

祭日

毎年春秋二季に祭典を行う。

春は四月二十九日秋は十一月三日

大 神社

名称 大 神社・古くは、中大将軍社

祭神
猿田彦・榊山幸野社中大将神(産土神)
由緒

● 伊勢の国鈴鹿の川上に奉祀せられる(椿 神社)の神霊の勧請なり。
● 倉橋島は古代から造船の盛んな所としてしられ、我が国に未だ大型の船がな かったころ、伊勢の人が来て大船を造らせた、之れを伊勢の親船と称した。その後、近世に入り造船業は益々盛んとなり、その船に祀る神船魂はこの神社の神霊である、という。
● 本社鎮座の地を才の木というのは、古くは道祖木と書いていた。これは祭神猿田彦が天孫降臨の導きの神であるところから、名づけられたという。

末社
天神社
穀神社
恵美須社

磐居社

所在地 倉橋町石原字綿郷に在り。

祭神
伊邪那岐命・伊邪那美命
(相殿)墨江三前神・大山津見神
祭日

春秋二季に祭典を行う。
春は四月二十九日
秋は十一月三日

由緒

(旧記によると)保延年間(1135~1141)石原に疫病流行し、多くの死者あり。是に因り紀州熊野本宮に詣で神霊を勧請して還り、社殿を設へて奉祀した。霊験顕著にして悪疫は収まった。

淡島神社

淡島様(淡島明神)は、女性特有の病気に霊験があらたかであるとして、民間でく信仰されています。

ご利益
縁結び、安産、婦人病、子供の夜尿症など
呉市倉橋町本浦 白華寺