山の雑記帳 12

 久々の登山  1999.02.22 記

 勝手に 神奈川二十五名山  1999.03.06 記

 西丹沢の山  1999.03.15 記

 ゲーム感覚の登山  1999.03.17 記


久々の登山  1999.02.22 記

ようやく重い腰に鞭を入れ、山に行って来た。
しかし、 やはり通勤環境が変わったことで身体の方が疲れているのか、 4時起きのつもりが蒲団からなかなか出られず 4時40分起床となって車で家を出たのが遅くなってしまい、 おまけに運転していても集中力を欠いていたらしく、 情けない失敗をやらかして 目的地到着がかなり遅くなってしまった。

というのは、中央高速道で河口湖方面に向かうつもりでおり、談合坂SA付近に出ていた標識を見て 「トンネルの先ですぐに大月ICとなり、 その先約 1q のところで左に分かれる分岐がある」 ことを確認していたにもかかわらず、 何か考え事をしていたのだろうか、 あるいはラジオに聞き入っていたのだろうか、 ウッカリ分岐点を通り過ぎてしまい、 目のスミに左へと分かれていく道を捉えた時には もう遅かったのであった。

この道は何回も通っている訳であるから、分岐を通り過ぎてしまうなどということは普通考えられないのであるが、 今から思うと中央高速に乗ったらすぐに銀世界に入ってしまい、 やや狼狽してしまったことに原因があると思われる。

前日降った雨はこの八王子から山梨付近においては雪に変わっていたらしく、前日の寒さから考えれば十分にあり得ることなのであるが、 自分の所 (横浜) が雨だったものだから 雪ということにまで全く考えが及ばずに そのギャップに驚いたという次第で、 本当に考えが甘いというか情けない。

辺り一面の銀世界を見て、山の上の雪はもっとすごいのだろうなあ などと考えながら運転していたものだから ウッカリ分岐を見過ごしてしまったものと分析できるが、 しかし、帰りに同じ道を通った時は、 雪はすっかり消えてしまっており、 まるで狐につままれたような気分であった。

さて、高速道路は一旦通り過ぎてしまったら取り返しがつかない訳で、次の勝沼ICまで自分自身を罵りながら進み、 これからどうするかを考えた。
本日の目的地を変更して、 勝沼ICから近い大菩薩嶺にでも行こうかなとも考えたのだが、 登山口の裂石までかなりの勾配の道を登って行かねばならず、 周囲が完全に銀世界になっている中、 私の車で大丈夫かという心配があったことと、 急に目的地を変更して失敗した表妙義の例もあることから、 やはり一応平坦な道で登山口まで行ける本来の目的地まで行こうと、 河口湖ICへと戻ることにしたのであった。

ということで、ちょっとしたウッカリで、時間とお金をかなりロスしてしまったことになったのであり、本当に情けない。

河口湖ICに向かう道路も、前面には真っ白な富士山、そして周囲の畑や家並みも真っ白な雪に覆われており、周囲の山々も 木々が樹氷状態となっていて、 今日は苦労するかなと思ったのであるが、 どういうわけか河口湖ICが近づくにつれ、 周囲に雪は見られなくなってきたのであった。 どうやら河口湖付近では前日は雪ではなく、 雨だったらしい。

かくして、 最初から失敗して 登山開始時間が小1時間ほど遅くなってしまった今回の登山であったが、 山中ではほとんど何事もなく、 無事登ってくることができた。

そうそう、登った山を言っていなかったが、登ったのは西湖のそばの 王岳 で、昨年登った十二ヶ岳、節刀ヶ岳、鬼ヶ岳の延長上の山である。

実は昨年、十二ヶ岳、節刀ヶ岳、鬼ヶ岳へと登って鍵掛峠へと下った際、そこからついでに王岳も目指そうと思ったのだけれど、 体力的 ・ 時間的理由からに断念した経緯があり、 今回それではと鍵掛峠から先の部分をつなげたのである。

また、この王岳は例の山梨百名山にも挙げられていることも、今回登ろうと思った理由の一つであるが、しかし、それよりも何よりも その名前が良いではないか。
この名の由来については、 インターネット上でも知ることができなかったので 今後の宿題としたいが、 『王』 という一文字だけが冠されているのはなかなか面白い。

ただ、実際の王岳は鍵掛峠からいくつかのピークを越えて行くものの、それほど登り応えがある山でもなく、また 頂上は南面が大きく開けていて明るく、 富士山、西湖の好展望が得られる素晴らしい山ではあるが、 『王』 という字から受け取れる 「威厳」 を感じさせるものは何もない。

頂上には山梨百名山の標柱の他に、「南無妙法蓮華経」 と彫られた石碑があったことから、宗教と関係しているのかもしれないが、 もし 「オウ」 という発音の方から名前が付けられていたのだとしたら 少々興ざめである。
ロマンを感じさせる由来があると嬉しいのだが・・・。

ところで、 今回登山路は結構踏み固められた雪が凍結しており、 アイゼンが必要であった。
しかし、登山靴の方を先日買ったばかりの Raichle社マウンテントレッカー にしたものだから、 私の持っている6本爪アイゼン カジタックスKA−6 では登山靴のかかと部分の高さが足りないため フィットさせることができず、 仕方なく昔 白馬岳 の大雪渓を登る際に白馬尻荘 (だったと思う) にて900円で購入した4本爪アイゼンを持参したのであった。

これは足の土踏まず部分に装着するしくみとなっているごっつい鉄のアイゼンで、靴へは備えつけのひもでグルグル巻き付けるしかないという かなり荒っぽいつくりであるものの、 それでも結構頑張って役に立ってくれた。

しかし、雪渓の柔らかい雪に合わせてあるのか、爪の先があまり鋭角になっておらず、同じ構造で市販されている モチヅキ の ミニ5 や カジタックスのミニアイゼン などに比べるとその効果はかなり劣ると思われ、 また、一番力が入る足の前部分には爪がないことになるので、 やや歩行のテンポを遅くせざるを得なかったのである。
やはり、 6本爪の方が足の前部分に爪があって踏ん張りがきくので、 効率が上がるというわけである。

前にも書いたと思うが、同じカジタックスから FB−6 という6本爪アイゼンが出ており、そちらにすれば マウンテントレッカー にも装着可能なのであることは分かっているのだが、 それには 8,000円近い金を出さねばならず、 そこまでして購入する気にはなれない。

雪が多いと想定される場合は、ソールのかかと部分が高い登山靴 ZAMBERLAN イサルコ と KA−6 との組み合わせにするしかないことになるが、 しかしどうも軽い登山靴に慣れてしまうと、 イサルコ位のものでも重く感じてしまうのだから困ったものである。

しかし、 アイゼンをきかせながら登るのは大変面白く、 イサルコとの組み合わせでも良いから、 この冬のうちにいずれかの山でまた使ってみたいものである。


勝手に 神奈川二十五名山  1999.03.06 記

この頃、かなり山梨百名山に絡みつかれているが (実際は私が絡みついている)、こうなると私が住む神奈川県にも 百名山はあるのだろうか という疑問が湧いてくる。

それではと、早速インターネットで 「神奈川 + 山」 をキーワードとして検索してみたところ、やはり該当するものはないようであった (Infoseek Japan でしか検索していないが・・・)

そう言えば、神奈川県の最高峰は 丹沢山塊 の 蛭ヶ岳 で、それも標高は 1,673m なのだから、神奈川県の山岳状況は推して知るべしであった。

ということで、 神奈川百名山というものはないということになると、 百までとは言わずとも、 神奈川県の 名山を選んでみたくなる。

しかし、神奈川県という地域に限定した場合、私の登山実績はほとんどないに等しい訳であるから選ぶにも材料がないし、 また私のような若輩者が選んだ山では 誰も納得しないであろうということで、 それなりの人たちが選んだ山の中から さらに高さという基準を付け加えて 選び直してみることにした。

まずは、 深田久弥氏の 「日本百名山」 からは、 丹沢山 だけが上がってくるのだが、 これは氏も述べているように 山中にある丹沢山 1山を指すのではなく、 丹沢山塊として、 この地域全般を対象と考えるべきであろうから、 一応丹沢山塊にある山は皆候補に上げられる と解釈できることとなる。

次に、深田久弥クラブが選定した 「日本二百名山」 というものがあるが、これは先の 百名山 にさらにクラブのメンバーが 百の山を追加したもので、 残念ながら丹沢山以外に神奈川の山は選ばれていない。

しかし、世の中にはさらに 「日本三百名山」 というものまであって、これは 日本山岳会発行の「山日記」 編集委員会メンバー によって 選定されたものなのだそうであるが、 これは先の 二百名山 にさらに 百の山を付け加えたものである。
ここでは神奈川の山も選出されており、 先の 丹沢山 に加えて 大山 (おおやま)、金時山、箱根山 を見つけることができる。

次に目をつけたのが 「一等三角点百名山」 で、これは 一等三角点研究会 が山と渓谷社の依頼を受けて選定したものなのだそうであるが、 残念ながら神奈川県の山は丹沢山しか入っていない。

それではと関東というジャンルで考えてみると、山と渓谷社より 「関東百名山」 という本が出されており、 やはり日本から一気に関東へと範囲を狭めただけあって 神奈川県の山も多く含まれており、 陣馬山、生藤山 (しょうとうさん)、石老山 (せきろうざん)、 大野山、大山 (おおやま)、塔ノ岳、 蛭ヶ岳、檜洞丸、大室山、矢倉岳、金時山、 明神ヶ岳、神山 (箱根山)、幕山、天園、大楠山 が入っている。 ここでは、 丹沢山塊の山も具体的に名前が出てきていてありがたいが、 逆に丹沢山そのものがはずれているのが面白い。

この他、岡本さんの有名なホームページ 「新潟からの山旅」 を覗いてみたところ、実業之日本社より 「関東百山」 というものが出されていることが分かり、 その中では、 金時山、矢倉岳、明神ヶ岳、神山 (箱根山)、 大山 (おおやま)、仏果山、塔ノ岳、 丹沢山、蛭ヶ岳、檜洞丸、 大室山、菰釣山、畦ヶ丸、不老山、陣馬(場)山、 石老山 が挙げられていた。

それから、国土地理院のホームページ に、「地図と国土の情報」 というページがあって、 その中にある 「日本の主な山岳標高」 の項に 『日本の山岳標高一覧 −1003山−』 が掲載されており、 この中からもいくつかの神奈川県の山を見つけることができる。

これは、2万5千分1地形図に名称が表示されている山のうちから、「日本の主な山」 として選んだものらしいのであるが、 詳細な選定基準は実際に (財)日本地図センターから出されている 「日本の山岳標高一覧 −1003山−」 を入手しなくては分からない。

ともかく、この 『日本の山岳標高一覧 −1003山−』 には、陣馬山 (陣場山)、大楠山、大山 (おおやま)、 蛭ケ岳、丹沢山、塔ヶ岳、大室山、 菰釣山、箱根山 (神山)、金時山 といった神奈川県の山が掲載されている。

最後に、大枠をはめる意味で、 これまた 山と渓谷社 より出されている 『分県登山ガイド13 神奈川県の山』 に掲載されている山を調べてみると、 矢倉岳、金時山、明神ヶ岳、明星ヶ岳、 神山 (箱根山)、駒ヶ岳、三国山、城山、 南郷山、幕山、鷹ノ巣山、間山、 屏風山、高松山、大野山、シダンゴ山、檜岳、 伊勢沢ノ頭、不老山、弘法山、菰釣山、 御正体山・中川、畦ヶ丸、屏風岩山、大室山、 加入道山、檜洞丸、蛭ヶ岳、袖平山、焼山、 丹沢山、塔ノ岳、鍋割山、三ノ塔、大山、 日向山、三峰山、鐘ヶ岳、白山、 仏果山、経ヶ岳、鳶尾山、八菅山、石砂山、 石老山、相模嵐山、津久井城山、峰ノ薬師、 影信山、陣馬山、生藤山、六国見山、源氏山、 天台山、天園、衣張山、曽我山、高麗山、 武山、三浦富士、大楠山、仙元山、二子山、 鷹取山、円海山、大丸山、桝形山 という山が挙げられている。

このようにインターネット等を通じて集めた 神奈川県の主立った (と言って良いと思う) 山の中から、 登ったゾ という実感が味わえる山を選ぼうとすると、 標高で足切りをせざるを得ない (実際に登っていないだけに基準はそれしかない)

深田氏は、山の高さとして 1,500m を基準にあげておられたようだが、最高峰が 1,700m にも満たない神奈川県では これは苦しく、 かといってどんなに素晴らしい景色の山でも、 登り甲斐のない山ではどうも・・・、 ということで足切りラインを勝手ながら 1,000m に決めることにした (全く根拠無し)

鷹取山のように標高 139mしかないものの、クライミングゲレンデとしての長い歴史を持ち、登山史における位置づけが高い山もあり、 その他にも素晴らしい山が沢山あるのだろうが、 何せ 「登ったことがない」 ということから、 私情を夾まずにカットしてしまったわけである。

ただ、上記に述べたそれぞれの選定の中に複数選ばれている山については、基準の標高に満たなくとも、ある程度の高さが確保されていれば選ぶことにした。
また、 生藤山 (しょうとうさん) については、 基準に 10m 足りないだけであり、 さらに 関東百名山 にも入っていることから選ぶことにしたのであるが、 一方、横須賀の 大楠山は、 複数の選定で選ばれているものの、 如何せん 242m では身長 ? が足りず、 はずすことにした次第である。

ということでまとめてみたのが下記の 25山である。
ここまで書いた通り、 その山の良さを自分で確かめた訳ではなく、 これはあくまで机上での選出であるが、 それなりに先達が選んだものであるから恐らく間違いはあるまい。

しかし、ヌケがあることは十分に考えられるので今後も情報を集めたいと思うし、また、選んだからにはこれらの山に登ることも私の義務であろう。
新たな登山目標ができたと喜ぶべきであろうが、 登ってみたら観光客で一杯だったというのは勘弁頂きたい気がする。 さて、どうなることやら・・・。

山 名読み高さ三百名山関東
百名山
関東
百山
1003 山神奈川
の山
金時山きんときやま1,213m
明神ヶ岳みょうじんがたけ1,169m
神山(箱根山)かみやま1,438m
駒ヶ岳こまがたけ1,350m
三国山みくにやま1,102m
檜 岳ひのきだけ1,167m
伊勢沢ノ頭いせざわのかしら1,177m
菰釣山こもつるしやま1,379m
畦ヶ丸あぜがまる1,293m
屏風岩山びょうぶいわさん1,052m
大室山おおむろさん1,588m
加入道山かにゅうどうさん1,418m
檜洞丸ひのきぼらまる1,601m(○)
蛭ヶ岳ひるがたけ1,673m(○)
袖平山そでひらやま1,432m
焼 山やけやま1,060m(○)
丹沢山たんざわさん1,567m
塔ノ岳とうのたけ1,491m(○)
鍋割山なべわりやま1,273m(○)
三ノ塔さんのとう1,205m(○)
大 山おおやま1,252m(○)
矢倉岳やぐらだけ870m
石老山せきろうざん700m
陣馬(場)山じんばさん857m
生藤山しょうとうさん990m

西丹沢の山  1999.03.15 記

先々週の土曜日 (3月6日)、山へ行くつもりで一旦は午前3時半に目を覚ましたものの、もう少し寝てても良いかな と考えて再び目を閉じてしまったところ、 次に目を覚ましたのは何と 午前6時を少し回った時間であった。

この日は車が使えなかったことから、電車で行くには最早遅いと判断してこの時点で山行をあきらめてしまったのであるが、 この日は1日中快晴、 シマッタと思ってももう遅く、 加えて翌日の日曜日は雨、 そして週の半ばも天気がぐずついて、 週末 (3月13、14日) も天気予報では芳しくない状況であったことから、 絶好のチャンスを逃した とホゾを噛んでいたのであった。

しかし、3月12日の金曜日に天気予報を見たところ、午前11時の時点では、翌日の土曜日は山梨県、神奈川県とも快晴となっており、 これはチャンスということで急遽山へ行くことにした。

先々週に登ろうと思っていたのは、これまた富士山周辺の山で、以前御坂黒岳に登った時のように河口湖の北にある 大石の別荘地から登り (大石まで河口湖駅からタクシーで行くつもりであった) 新道峠に出てからは御坂黒岳とは反対方向に進んで、 節三郎岳、大石峠、金堀山、節刀ヶ岳、十二ヶ岳、毛無山を経て、 文化洞トンネルへと下るつもりであった。

今回もこのコースを試みようかと思ったのであるが、この度、折角 『勝手に 神奈川二十五名山』 「勝手に」 という言葉は必ず付ける) を決めさせて頂いたので、 やはり、選んだからには自分の目で確かめなくてならない という思いが結構強く湧いてきて、 この 『勝手に 神奈川二十五名山』 の中から登ることにしたのである。

それではどの山に登るかであるが、今回は車を使えるということで行動範囲が拡がるから 選べる山は沢山あることになるものの、 かと言ってピストン登山を強いられるのは勘弁願いたい ということで検討した結果、 今から 10年ほど前に登ったことがある山ではあるが、 西丹沢の大室山 (大群山) に再び登ることに決めた。

この大室山に前回登ったのは 1988年10月のことで、山の印象はあまり残っておらず、覚えているのは 展望のきかない 大室山頂上のベンチでゴロ寝したこと、 加入道山・白石峠経由で下山したものの、 帰りのバスまでの時間がかなりあったことから 中川温泉まで歩いてしまったこと、 そして中川温泉の飲食店で出されたビールのつまみに驚かされたこと (ここをクリック) など、 山以外のことばかりである。

このようにそれ程印象の強くない山ではあるが、今回 『勝手に 神奈川二十五名山』 に選んだ手前、もう一度登って この山の魅力を確かめなくてはと思った訳であり、 また、当時はただ山に登ることだけが楽しみだったことから カメラも持参せずに登っていたため、 大室山登山の記録は何もないということもあって、 今回再登山を行うことにしたのである。

前回は上に述べたように、用木沢 (陽木沢) 出合から犬越路 (いぬこえじ)、そして大室山に登って加入道山へと進み、 白石峠経由にて再び用木沢出合に戻ってきたのであるが、 このコースは体力的にもやや物足りなさを感じたことを覚えていたので、 今回このコースにさらに畦ヶ丸を加えることにした。

これで1回の山行で、『勝手に 神奈川二十五名山』 のうちの3山を登ることができるわけで、体力的にはややキツイかもしれないが、 なかなか魅力的に映るコースでもある。

さて、前日は快晴を謳っていたにもかかわらず、当日聞いた天気予報では 「曇り時々晴れ」 に変わっており、その通りに 午前5時前に横浜の自宅を出た時には、 空一面雲に覆われていた。

西丹沢に行くには東名高速道の大井松田ICで降りるのが一番効率的で、東名横浜ICの側に家がある私にとっては 大変アプローチがたやすいことになるのだが、 このことは頭では分かってはいたものの、 イザ、実際に横浜ICから東名高速道に乗って西丹沢まで行ってみて、 その近さそして便利さにビックリさせられた次第である。
今までは、 西丹沢というとどういう訳か 『暗い』 というイメージしかなく、 何となく敬遠していたのだけれど、 これなら時間的にも料金的にも (横浜IC−大井松田IC間は 1,200円) お手頃で、 わざわざ時間と金をかけて中央自動車道近辺の山を選ぶ必要はなく、 もっと西丹沢の山を登ろうと強く思ったのであった。

そうそう西丹沢が 『暗い』 と思う一番の原因は、大室山や檜洞丸など多くの西丹沢の山の頂上が樹林に囲まれて展望が利かないこと、 谷が結構深く、 また流れの向きも東や西に向かっていることが多いため 日が射し込みにくいことなどが挙げられるのであろうが、 考えたら私の場合、 明るい頃に東丹沢を出発し、 西丹沢の箒沢へ下山するのがいつも暗くなっていたことも原因なのかもしれない。 日没にははまだ少し早い時刻であっても、 西丹沢に降りると、 多くの山々に囲まれて日差しは差し込まなくなっており、 侘びしさを覚えることが多かったことが心に残っているということなのである。

しかし、『勝手に 神奈川二十五名山』 にはまだ菰釣山 (こもつるしやま)、屏風岩山といった西丹沢の未踏の山があり、 また私の癖として1地域に集中して登ることが多いことから、 ここ暫くは西丹沢集中登山が続くことになるかもしれない。 さて、どうなることやら・・・。

話がやや逸れたが、登山の方は一日中曇りで、また山頂付近はガスに囲まれて展望は全くといって良いほど得られず、 考えようによっては ただ登っただけ、歩いただけ とも捉えられる登山であったが、 山頂付近は雪が多く、 木々に付いた雪が風に舞ってそれはそれでなかなかの風情があったことから、 良しとしたい。

そして何よりも、冬から春への変わり目で 身体が汗をかいてスッキリすることを欲していたことから、寒い中でも汗ビッショリとなれたことが 一番良かった気がするし、 コース中 出会ったのは14人と、 静かな山旅であったことも良かったと思う。

そういう訳で、肝心の 大室山、加入道山、畦ヶ丸 の評価であるが、 この3つの山とも展望は ゼロであるものの、 奥深い静かな山旅を楽しみたい方にはもってこいの山ということで、 3つとも 『勝手に 神奈川二十五名山』 に入れておくことに問題はないという判定としたい。

私は、地上では想像できない、ハッとさせられる景色に山中で出会うことが山の一番の楽しみと思っているのであるが、 このように意外性の少ない、想像した通りの山であっても、 自然を楽しむ、自然に触れられる、黙々と歩く などといったことが叶えられれば、 それはそれで登山が楽しめるのである。

そうそう、今回私は3月の冬枯れ・残雪の山を登ったが、 これらの山の魅力はブナの原生林であろうから、 5月の新緑の頃がベストシーズン であろうことを付け加えておきたい。


ゲーム感覚の登山  1999.03.17 記

先日、大室山 − 加入道山 − 畦ヶ丸 を登っていて、チョット面白いと思ったことがある。
犬越路までは曇り空とは言え時々日が射す状況であったものの、 大室山へと進むに連れて周囲にガスが立ちこめ出し、 終いには全くガスに囲まれてしまって辺りは暗くなり、 しかも時として吹く風に木の上に積もった雪が吹き上がり、 あたかも降雪の中を歩いているような状況になったのであった (特に大室山の肩、 および頂上付近がそのピークであった)

これだけなら何のことはないのだが、雪降るような中を進んでいたかと思うと、大室山から加入道山への縦走の途中では ガスが晴れて右下に道志川方面を眺めることができ、 雪もなく、車などが走っている普通の光景が見え、 今、降雪の中にいるような自分の状況と、 何事もなく普通に生活が営まれている麓の状況との差を 同時に捉えることになって、 何か現実離れした夢のような感覚を覚えたのであった。

今回、この不思議な感覚を得たことで思い出したのが、今から9年前に登った大菩薩嶺のことである。


日付は1990年2月10日。冬の大菩薩嶺に登ってみたくなって、朝、塩山駅からタクシーにて大菩薩嶺に向かったのであった。 天候は曇りであったが、 雨が降りそうな気配はない。

しかし、登山口の裂石に向かうに連れて、タクシーの窓から見える山々が、雲というかガスに覆われているのが見え始めたので、 少々ガッカリしてしまった。
裂石でタクシーを降りて、 登山口へと向かうと、 確かに山の上の方はガスに囲まれていて見えない状況となっていたものの、 こういう状況は山では良くあることなので、 まあ展望が得られないのは仕方ないと思いながら 千石茶屋のところから山に取り付き、 上日川峠へと向かった。

初めはほとんどなかった雪も徐々に量を増し、第二展望台辺りからは完全に雪道になったのだが、 アイゼンを必要とするほどでもなく、 上日川峠まではロングスパッツなしでも十分な程度の積雪量であった。

上日川峠からは、車道を通って福ちゃん荘前まで行き、そこから富士見山荘経由にて大菩薩峠への道をとると、 この辺からは完全に雪の世界で、 その先の勝縁荘からは道も所々凍っている状況であった。
しかし、 それでもどうにか大菩薩峠までは順調に登ることができたのであったが、 それからが結構大変であった。

大菩薩峠にある介山荘の手前には、休憩小屋 ? があり、その中で何人かの人が食事をしていたので、私も中に入り、 コンロで湯を沸かしてカップラーメンを食べ、 いざ出発しようとすると、 何と外は完全な吹雪になっていたのである。

ここまでの天候は曇りというだけで、ガスに囲まれることもなく、何の問題もなかったのであるが、どういう訳か急に山は吹雪き出し、 視界がほとんど利かない状態になっていて、 一瞬進むことを躊躇してしまう程であった。

幸い2人組が前を歩いていたので、その後ろをついて行くことにしたのであるが、途中からは完全に2人からは離れてしまい、 一人で尾根を進むこととなったのである。
叩きつける雪と視界がほとんど利かない中、 かすかに見える足跡を頼りに進んだのであるが、 実際は登山道ではない所を歩いていたらしく、 何回も足がズボッと潜り込んでしまうことになって かなり苦労させられた。

しかし、大菩薩峠を出発した時は少々ビビッたものの、どういう訳か途中から吹雪の中を進むのが結構面白くなり、 恐怖心もなくなってきたのであった。 が、しかし、これは本当は誉められたことではない。

これまでに2回ほどこのルートを通ったことがあるから安心していたのだと思うし、大した距離ではない、道を良く知っているし イザとなれば戻れば良い とややナメたところがあったと思う。

しかし、それは後で冷静になってから思ったことであり、その時は顔に吹きつける雪に、冬山を登っているんだ という実感を持ち、 結構楽しんだ覚えがある。

そうはいっても吹きつけて来る雪に次第に耐えられなくなり、賽の河原の休憩小屋が目の前に現れた時には本当にホッとしたのであった。
しかし、 小屋に飛び込んで一息つくとまた不思議と心がはしゃぎ出し、 この吹雪の状況を何とかカメラに収めたいと思って、 小屋の周辺で写真を撮りまくったのであった。

ちなみに、その時の写真が数枚残っているのだが、使ったフィルムが当時発売されたばかりの富士フイルム・リアラであったためなのか、 私のフィルムスキャナーではうまく取り込むことができないでいる。

暫く小屋で休みながら、そこにいた人と天候の急変の驚きを話し合っていると、やがて吹雪も少し収まりかけてきたので、 再び大菩薩嶺に向けて出発することにした。
面白いことに、 雷岩を過ぎ樹林帯に入ると、 今までの吹雪が嘘のような静かな状態になって、 これまた驚かされたのであった。
樹林に囲まれた頂上もやはり静かで、 白い標柱が1本あるだけの寂しい状況であった。

本来は大菩薩嶺から丸川峠へと進むつもりであったのだが、この先どうなるか分からなかったので、頂上で記念写真を撮った後、 再び雷岩に戻り、 カラマツ尾根を下ることにした。

カラマツ尾根を下り出すとすぐに吹雪状態から抜けだすことになったので、頂上付近の一部だけが吹雪の状態であることが分かったのであるが、 面白い体験をしたと思う。

後は滑り降りるように斜面を下り、福ちゃん荘から上日川峠、千石茶屋と 今朝ほどの道を裂石まで戻ると、そこは普通の曇り空のままで 吹雪など吹いた気配もなく、 上でのあの状況が全く信じられない、狐につままれたような気持ちになってしまった。


よく遊園地などで、その部屋に入ると現実離れした世界を体験できるといったようなモノがあるが、この日の登山も同じような感じで、 まるで頂上で小1時間程吹雪のアドベンチャーゲームをやってきた といった感覚であった。

今回の大室山はややそれに近い経験ではあったとはいえ、当時の大菩薩嶺ほどの驚き、ゲーム感覚というものは感じることができなかった。
あのゲーム感覚の登山というものをもう一度経験したいものである。
小1時間程地上とは全く違う状況に遭遇でき、 しかもある程度安全で、 必死になりながらもどこか心に余裕があるという、 ゲームというか、 遊園地感覚の登山はできないであろうか。
虫が良すぎると言えばその通りだが、 あの体験は強烈で今でも忘れられないのである。

ところで余談であるが、 この時の大菩薩嶺はなかなか貴重な体験をさせてもらって面白かったものの、 やはり大菩薩嶺と言ったら富士山 ということで、 美しい富士の姿を拝むべく 翌週の土曜日にまた同じコースから大菩薩嶺に登ってしまった (この時は大菩薩嶺から丸川峠経由にて裂石へと戻った)

この時は快晴で、1週間前の吹雪状態が信じられない、静かで美しい大菩薩嶺・そして富士山に出逢うことができ、 女房に2週続けて同じ山に行くことを揶揄されはしたが、 来た甲斐を感じさせてくれるものがあったのである。
こういう好天の登山も忘れがたいのではあるが ・・・。


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