和名倉山( 和名倉山:2,036m ) 2001.11.17 登山


  西仙波より焼小屋ノ頭と和名倉山 (奥・中央) ( 2001.11.17 )

【和名倉山登山記録】

【和名倉山登山データ】

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再登山


和名倉山登山記録

和名倉山に登ってきた。
あるガイドブックには、奥秩父の山々を登り尽くした後、最後に辿り着く山と紹介されていたが、日本二百名山にも名が挙げられるようになっている現状を考えれば、 それは少し当てはまりづらくなっているに違いない。
ただそうは言っても、和名倉山自体が埼玉県に位置しているにもかかわらず、その登山道は山梨側からしかなく (実際は、 埼玉側にも川又、秩父湖の2ヶ所からの登山道はあるのだが、もう廃道に近くなりつつあって、一般向きではないらしい)、 しかも唯一のその登山道も整備があまりなされていないということを聞けば、やはり登りにくい山ということになろう。

私がこの山に登ろうと思ったのは、先日、雁坂嶺、西破風山に登るために購入した地図 (ゼンリン 「奥秩父」) に和名倉山までの登山道が記されていないことを発見 ? したからである。
私の記憶では、確か和名倉山までの道はヤブが厳しいとは言えちゃんとあったはずで、事実 1998年版の昭文社 「奥秩父1」 には 登山道が記されているのである。
これは、既に廃道になってしまったのかと思い、本屋で最新のガイドブックを立ち読みしてみると、道の整備が進んでおらず迷い易い箇所があると書いてあるものの、 登山ルートはちゃんと紹介されている。
また、インターネットで調べてみても、つい最近登ったという報告も多々見られたのであった。
結局、ゼンリン側があまり適切ではないとの判断で省いたものと理解したのだが、こうなると俄然行ってみたくなるのが人情であろう。
という訳で、この17日、和名倉山への登山を試みた次第である。

登山口は、以前、唐松尾山・笠取山に登った時と同じ一ノ瀬高原で、 今回も前回と同じく一ノ瀬キャンプ場入口にある民宿の駐車場に車を止めさせてもらったのであった。
ただ、今回、一ノ瀬高原に行くために前回通った落合−新犬切峠−中島川橋経由の道は新犬切峠以降が通行止めであり、 また一ノ瀬から一ノ瀬川に沿って 411号線へ抜ける一ノ瀬林道も通行止めと、一ノ瀬高原へ行くには落合から新犬切峠まで行き、 そこから犬切峠の方に下る道 1本しかなく、少々焦ってしまったのだった。
実は、落合を通り越して一ノ瀬林道から行こうと思っていたのだが、落合のところでつい反射的に道を曲がってしまった次第で、これが大正解だった訳である。

駐車場を出発したのが 7時23分
少し道を登り、民家の脇から林道へと入る。ここから山ノ神土までは、唐松尾山・笠取山に登った時と同じルートである。
林道は山間にあるため日が当たらず暗くて寒い。もう冬が近いことを感じる。
2つほど沢を横切り、林道をジグザグに登って日が当たる場所までやってくると、ようやくお馴染みの牛王院平 (ごおういんだいら) へ直登する 七ツ石尾根登山道入口が見えてきた。
この登山道は途中まで登りが一直線になっており、前回もそうだったのだが、どうもこういう道は苦手である。

やがてササの中の道となり、振り返れば葉を落とした木々の間から 富士山が見える。
その手前のピラミッド状の山は 大菩薩嶺だが、何と山腹に白い箇所が見えるではないか。
実はこれは雪なのだが、その時は奥秩父の山に雪が降ったというニュースは聞いたことがなかったので (いちいち私のところに報告がある訳ないのだが・・・)、 まさかと思い、白くザレた場所に違いないと勝手に解釈したのであった。
ところがである、道を進むにつれてこの登山道周辺にも残雪が目立ち始め、さらに上の方では、杉の枝にまで雪が積もっているところがあったのである。 そう、山はもう冬なのであった。

8時43分、牛王院平の分岐に着く。
せっかくなので牛王院平の方に足を踏み入れてみる。
ここは草がキレイに刈り払われていて、まるでゴルフ場のようである。このことが前から不思議だったのであるが、後で調べたところ、 ここから将監峠までは防火帯としているためだということが分かったのであった。勉強になった。
牛王院平の高みの手前は日陰になっているため、雪が融けずに一面雪の原になっており、今冬 初めての雪を踏みしめることができたのであった。
牛王院平の高みに登ると、正面には 富士山が見えた。しかし、その頂は既に雪で白くなっており、 やや曇り気味の天候の中、周囲の空に溶け込んでしまって何かぼやけて見え、残念であった。
むしろ 富士山とは正反対の北側に見えるササに覆われた尾根の方が、 周囲の茶色や黒い山肌の中にあって一際目立つ黄緑色をしており、印象的であった。

牛王院平の分岐から少し進むと山ノ神土で (8時53分)、 ここで道は 3つに分かれる。
左手の道は笠取山直下へ通じる道で (但し、現在は崩壊して通れない)、まっすぐ進む道が和名倉山への道、 そしてこの 2つの道の間にある道が前回通った唐松尾山への道である。
さて、いよいよ和名倉山へと向かう。事前情報であまり整備されていないと聞いていたことから恐る恐る足を進めたのだが、 どうしてどうして、しっかり道は踏まれており、ここまでの道に比べてやや細いものの全く問題ない。

沢を越え、また登り返すと木々の隙間から先ほど見たササの斜面を持った高みが見えてくる。
途中ササが煩くなっった箇所があったものの、これも大したことはない。恐らく登山者の増加で踏み跡がしっかりしてきているからであろう。
樹林帯を抜けると展望が開け、先ほどの峰が目の前に見える、ササの尾根道となった。
右手を見れば 富士山が見える。斜面のササ原には踏み跡らしきものが縦横無尽につけられており、 獣の通り道と想像できる。

道は目の前の高みの左側を巻いてまた再び低木帯の中を進むこととなる。
この道は日が当たりにくいため完全な雪道であったが、ほとんどアップダウンもなく、細いながらも快適である。
やがて樹林の間からは先ほどと同じようなササ原の高みが見えてきた。一旦樹林の中シャクナゲのトンネルを抜けて少し登ると岩場があり、 そこからはこれから進む縦走路や 富士山、そして 雲取山飛竜山などの奥秩父の主稜線が見える。

すぐに先ほど見えた高みへの登りとなったが、どうやらここが西仙波らしい。しかし、標識はない。
この西仙波からは、北へ延びる尾根道とその尾根のはるか向こうに、目指す和名倉山らし大きな山が見えた。道はまだまだ遠い。
一旦岩場を下って、ササの斜面を登り返したところが東仙波で、そこには東仙波と書かれた標識が木にぶら下がっていた (10時01分)
ここで初めて自分の位置を確認することができた次第である。
この東仙波は既に 2,003mの高さがあり (何と 越後駒ヶ岳と同じ。 信じられない !)、北面を除いては開けているため展望は抜群であった。
目の前には、先程述べたように雲取山から始まる奥秩父の主稜線が谷を隔てて壁のように広がっており、 一旦将監峠付近で終わったかと思うと再び唐松尾山の高みへと続いている。
そして、竜喰山 (りゅうばみやま) であろう頂 (いただき)の右上には 富士山大菩薩嶺が姿を見せている。

この頃になると太陽も雲から顔を出す時間が長くなり、ポカポカ暖かい日差しの中、 このままずっと眺めていたい気持ちであった。
しかし、道はまだまだ長い。10分ほど休んだ後、北側の樹林帯の中を下る。
ここからは樹林帯の中、雪の斜面の下りとなった。まるで、冬場、丹沢山蛭ヶ岳の頂上から北の斜面を下った時のような感じである。
下り着けばすでに雪はなく、山火事で木々が燃えてしまい、ハゲ山のようになっている尾根への登りが始まる。
ほとんど樹木もなく、足下に芝のような草が生え、小さな岩がゴロゴロしているだけである。
ここが恐らく焼小屋ノ頭であろう。名前の通り山火事でもあった場所であろうか。

焼小屋ノ頭に登り着いてからは、ほとんどアップダウンのない尾根歩きとなり快適である。
再び樹林に入った後抜け出すと、足下には赤茶色の岩が点在しているのが目立つ。
登山道はこの辺になるとシラベの枝の刈り払いがなされており、手入れがされていないと聞いていただけに少し驚きであった。
左手を見れば、奥秩父の山々が大きく、その一番奥の方に 国師ヶ岳が見える。
ローソクのような形をした白い岩を左に見る頃になると、錆びたワイヤーロープが目に付き始めた。昔、伐採していた時の名残らしい。
下るとやがて八百平であるが、ここはクマザサの密生帯であり最も迷いやすい場所とガイドブックに書かれていたものの、 全く意識することなく通り過ぎてしまい、今思い出しても記憶にない。
それほど、しっかり道が整備されていたということだろうか。

八百平を過ぎるとすぐに和名倉山の鞍部で、ここからは樹林の中の登りが続く。
道は落ち葉に覆われて見えにくいが、それとなく踏み跡が見分けられるし、また短い間隔で付けられているテープがうまく導いてくれる。
枯れ木、倒木などがあり、木の墓場のような感じがする斜面を登っていくと、やがて川又への分岐を左に見る (11時1分)
そして、それからすぐに二瀬 (秩父湖) への分岐が現れる (11時13分)
分岐と言っても、木々に標識が付けられているから分かるだけで、両方の道が明確になっている訳ではない (無論 踏み跡はある)

ここでは右折するのが正しいのだが、周囲の木々に付けられているいくつかの標識には そのことがハッキリ書かれておらず、ガイドブックや地図を読まないと分かりにくい所である。
唯一、標識の一つに、マジックで小さく右が和名倉山と書き添えられた文字を見つけて一安心であった。
右折して暫く進むと樹林が切れ、草つきの斜面が現れたがここが千代蔵ノ休場であろうか。ガイドブックではカヤトの原で気持ちよさそうなことが書かれていたが、 カヤトはなく、野焼きを終えた草地のような感じで、さらに所々に残る白骨化した ? 木の切り株、倒木が木の墓場を連想させる。
天候の具合も曇りがちで暗く、あまり気持ちが良いとは言えない。
ただ、ここからは 富士山が良く見え、逆光でなければ写真を撮りたい所である。

この草地の斜面を横断し、再び現れた雪の上を緩やかに登っていくと、道しるべの赤テープが樹林の中へと導く。
頂上はまだまだかなと思いつつ、地面に雪が残り、日もあまり差さずに暗い樹林帯の中を、倒木を避けながら進んで行くと、 突然、樹林に囲まれた狭い広場が現れた。
そして、そこには和名倉山と書かれた錆びた手書きの標識と、三角点があったのである。和名倉山頂上である (11時25分)
全く予期せぬ中に突然行き止まりとなり、そこが頂上だったという感じで、些か拍子抜けである。

3m四方ほどの狭い空き地は雪で覆われ、日もほとんど差ささなかったため暗く、 あまり居心地の良いものではない。
ただ、昔の奥秩父の山々は皆こんな感じだったに違いなく、展望は利かないながらも、これはこれで良いという気がしたのであった。
記念写真を撮った後、10分ほどで頂上を後にする (11時35分発)
休むならやはり先ほどの千代蔵ノ休場ということで、富士山を見ながら食事をし、 その後往路を戻ったのであった。
牛王院平 (13時55分)からは、将監峠の方に進むことにした。 将監峠の明るさに驚き (14時2分)、その後将監小屋を下にみながら今朝ほどの林道の延長部に合流し、 一ノ瀬高原へと戻ったのであった (14時59分)

厳しい登りもなく、身体的には楽であったが、和名倉山へはかなりの距離を歩くことになる。
今までの奥秩父の山々とは少し違った雰囲気があり、なかなか面白い山行であった。


和名倉山登山データ

上記登山のデータ登山日:2001.11.17 天候:曇り時々晴単独行日帰り
登山路:一ノ瀬キャンプ場入口−牛王院下−牛王院平−山ノ神土−仙波のタル−西仙波−東仙波− 焼小屋ノ頭−八百平−川又分岐−二瀬分岐−千代蔵ノ休場−和名倉山−(以下 牛王院平まで往路を戻る)−牛王院平−将監峠−七ツ石尾根登山口−一ノ瀬キャンプ場入口
交通往路:瀬谷−八王子IC−(中央高速道路)−勝沼IC−塩山−落合−新犬切峠−一ノ瀬キャンプ場入口 (車にて)
交通復路一ノ瀬キャンプ場入口−新犬切峠−落合−塩山−(国道20号線)−相模湖駅前−半原−厚木−瀬谷 (車にて)
その他の
和名倉山登山
一ノ瀬 民宿みはらし駐車場−牛王院下−牛王院平−山ノ神土−仙波ノタル−西仙波− 東仙波−焼小屋ノ頭−八百平−川又分岐−二瀬分岐−千代蔵ノ休場−和名倉山−(往路を戻る)
 (2016年05月06日 : 曇り後雨)    こ こをクリック


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