
【インドのニュース】
インドの現地最新ニュースを日本語で配信するという有料サービスがある。経済面だけで注目している方々のためのものだが、金儲けとは関係ない無料の部分は私もRSSで愛用させてもらっている。つまり、文化ネタなどはロハなのである。まっこと、ありがたや。
ただし、本当にインドのことをわかっている人間が関わっているのかいなと疑問に感じる部分がある。要するに間違い。それも企業名などの極基本的な部分の間違いだから、実用目的の方にとっては大問題だと思うのだ。
カトマンドゥやヒンドゥーを未だにカトマンズ、ヒンズーと言っている大手マスコミには「しょうがねぇなぁ」と思っている。ヒンドゥスタンがインドなのだから、何でインゾと言わないのと皮肉を噛ましたいところだが……。
たとえば
アショク・レイランド(Ashok Leyland)バスやトラックの製造で有名な自動車会社)
バーラト石油(Bharat Petroleum)インドの業界2位の石油会社
アルファベット表記は現地でも同じだし、このサービスに限らず投資関係の情報でも同じ間違いを見つけられる。そんじゃ質問?
1)紀元前200年頃、インドを統一したマウリア朝の王の名は?
2)『ラーマーヤナ』と並ぶインド2大叙事詩の名は?
とりあえずWikipediaから引っ張ってきた解説をば。
「デーヴァナーガリー文字は子音字が随伴母音を伴った音節として読まれるアブギダである」
と言われてもピンと来ないが、問題はその随伴母音が通常「a」の音であるということ。デーヴァナーガリーの代わりにアルファベットを使ってインド語を記す時も、この影響を受けるということ。
平たく結論を述べると、Ashokは日本語で言えばローマ字表記。英語ではないのだ。日本の場合ならtuneは英語読みでチューンだけど、ローマ字読みならツネになる。
デーヴァナーガリーもアルファベットも表音文字だから置き換えるのは簡単。機械的にできる。そしてデーヴァナーガリー文字の法則として、単語が子音で終わっていたら読む時に母音のaを補う。しかし、英語(に限らないけど)ではそうならない。
だからASHOKはアショクではなくアショカと読むのが正しいのだ。
1)アショーカ王だよ。アショク王じゃないよ。
2)『マハーバーラタ』だよ。『マハーバーラト』じゃないよ。
[081222]

【圧力鍋】
大きな鍋がひとつしかないので、カレーなどを作るとパスタを茹でられなくなるので適当なものを探していました。小さめの鍋なら十代の頃に徒歩旅行用に買った入れ子式のコッフェルを日常的に使っています。まるでインド農村の調理風景ですが、軽量のアルミ製なのでデコボコのベコベコ状態。インド式を踏襲して厚手で大きめのコッフェル、できればチタン製がいいかなと思っていたのですが……。
以前から気になっていた圧力鍋を買ってしまいました。
きっかけは当然ながら価格です。
仕事で行った新川崎で、島忠が開店記念セールをやっていまして、何と3000円を切る大特価。休憩時間に即ゲットです。
で、圧力鍋を買ったよーなんてことはわざわざ報告することじゃないんですが。
付属の『レシピDVD』が我がお宝グッズ入り!
メーカーはパール金属。知らない会社だなぁと思っていたら、アウトドアグッズでは有名な「キャプテン・スタッグ」のメーカーでした。ま、どうでもいいことですけど。以前は付属レシピがおざなりで評判が悪かったようで、刷新を機会にDVDまでつけちゃったようです。よほど自信があるのか、箱の4面に「はじめて使う人にもよくわかる・使いこなし術・これでバッチリ・プロが教える・DVD付属・何たらかんたら」と書かれたシール風印刷が目立っています。よほど力を入れたんでしょうなぁ。
内容は普通の料理番組風。
だけど、見ていると(なぜか勝手に)緊張しちゃうんです。
何なんだ、この空気は……。
先生は本物の先生で、新潟調理師専門学校の校長先生です。肩書きはいかついですが、一見すると普通のおばちゃん。「ビデオで撮影するから昨日は美容院へ行ってセットしてきたの」見え見えの髪型が爽やかですね。
助手のお姉さんもセット見え見えの髪型は同じなんですが、実態は校長先生のお宅の嫁。ちゃらちゃらしていませんが、いかにも今風の田舎の娘みたいな……。いや、何だかしゃべり方がやたら「軽い」ぞ。
多分、先生は息子を溺愛しているんだろうなぁ。多分、同居しているんだろうなぁ。姑としては出来た嫁でも不満があるんだろうなぁ。なんてことが、文章で言えば行間から伝わってくるのですよ。そうなると細かい動作のひとつひとつに目が釘付け。邪推のかたまり。
姑(もとい先生)がこぼしちゃったキャベツを嫁(もとい助手)がさりげなく拾ったり。でも、しっかり写っていたり。助手が差し出した調味料の小皿を無視して、先生は別の小皿を自分で取ったり。何だか、スゴい。
圧巻は『ぶり大根』です。
先生「チャレンジしましょう」
助手「ハーイ」
助手「お母さん、いつもうちでやる時って、ブリのアラじゃ……」
先生「アラでやりますけどね、今ね、これシモフリってやり方でやるんですよ」
(以下、アラに関する言及なしで、説明続行。つーか、これ、普通の嫁姑の会話じゃん)
助手「お母さん、いつもブリのアラでやる時、この後、水で洗いますよね」
先生「今日は血合いなんかないでしょ。……以下説明続く……」
助手「じゃあ、今日はしなくていいんですね」
(すごいなぁ。吉田家の食卓について、まだ言及するか!)
このやり取りの後に大根の面取り。先生はプロの技量で素早く剥いて、助手の手つきを見ながら待っています。速さだけじゃない、剥いた皮の厚い薄いにドラマがあるぞ。と思ったら、
助手「ちょっと待ってくださいね。お母さん、この大根、大きいですね」
うわぁ、さり気なく不満を言っちゃったよ!
鍋の中に大根を入れ、調味料とダシを入れ……。
助手「ブリはいれなくていいんですか」
先生「ブリは……今回は切り身だから後からやります」
助手「はい、わかり……」
先生「えー」(おお、会話がかぶっている。動揺しているぞ)
助手「アラの……」
先生「アラの場合は、この時、入れてください」
(ブリのアラ、3度目の登場です)
大根が煮えました。
先生「ここに先ほどシモフリしたブリを入れます」
助手「はーい」
おいおい、トーンが違うぞ。いかにも「いつもと違うじゃない」の不満がありそうな返事ではないか。そこで先生が先を読んで……。
「圧力かけないんですよ。アラの場合は最初から圧力かけるんですけど」
これが本当のセンセー攻撃なんちゃって。
いやはや、6分30秒のサスペンスドラマでした。こんな感じのレシピが10以上続くんだからたまりません。いけね、作り方を覚えてない!
[081101]

【アルバム完成!】
ようやく新アルバムの全デザインを終えました。音楽に関してはCDに焼く段階で音をいじるのがいやだったので、全体を通したレベル調整に腐心しました。おかげで2種類のソフトを使えるようになったので、音質の比較が残っています。はたしてWaveBurnerとToastで差が出るのか否か。
それにしても、ずいぶんたくさんのサンプルを作ったものです。CDに焼いてからiTunesに取り込んで、それをiPodで聴くテストもしました。ダメなら編集をやり直して、またCDに焼いて……。結果、最後の最後でほぼ全曲のミックスダウンをやり直しました。
ジャケットのデザインは早めに決まっていたのですが、第2候補を遊び半分でデザインし直したら甲乙つけがたくなってしまいました。最終決着は本日。明るい感じの第1候補を採用しましたが、裏表ひっくり返して使えるようもなっています。
やっぱり時間を食ったのがテキストで、書いた原稿のほとんどをボツにしました。当初は読み物としての内容を意識していましたが、ボリュームは膨らむ一方。全曲分の写真も使った中綴じ複数ページの構成では完成がまた先に延びそうです。それは「ここ」でやればいいやと割り切ったものの、削って削って削って……。まあ、今度の曲はすべて雄弁で、300回以上繰り返して聴ける内容ですからテキストは最少でも。
ところが、あまりにも集中して作業していたため、印刷用紙やCDケースなどを買いに行けませんでした。それどころか食料の買い出しから帰ったら、財布の残金があまりにも……。
銀行も行ってない。(;_;)
[080713]

【スズメ】

スズメ先輩です。\(^O^)/
先週末は珍しく近所の水道工事で、昼休みは部屋に戻って食事していました。
で、金曜日のこと。いきなり目の前に、電柱から子スズメがポトリ。
どないすんねん。まだ飛べないし、ここは犬猫の散歩コースだし。おいらはお仕事中だし。そうこうしているうちに子スズメは排水溝に落ちそうになるし。お持ち帰りになるのかぁ〜。
結局、下校途中に通りかかった近所の中学生が助けることになり、おいらは餌のやり方などを教えて、一応一件落着しました。ひな鳥の場合、割り箸の先を親のくちばしみたいに削って、3〜4分の1に小さくした米粒を押し込むように与えないと食べないんですよね。鞄の中には常にナイフが入っているから工作はお手の物。中学生よりも同僚が呆れていましたが……。
今日のことです。雨の中を出かけたら、アパートの近くの路上で子スズメがずぶ濡れになっているではありませんか。
何で続くの? 今年はスズメの当たり年? 新しい杉並の名産品? 何で誰も気づかないの?
仕方がないので持ち帰ることにしました。だけど、うちにはネコがいるのよ!
かわいそうなのはチャパティ。椅子ごとキッチンへ引っ越しさせられたうえ、泣けば怒鳴られるし、突然襲ってきた悲劇にすねまくり。だけど、そんなの関係ない!
弱っていた子スズメには掌で包むという単純至極の対処法がいちばんです。ハードディスクの上に乗せた方が暖かいと一瞬考えましたけど……。
羽根が乾くまでそれなりに時間はかかりましたが、その間は音楽の作業を中断せざるをえません。ああ、せっかくの休日がこれでつぶれちまう。しかし、奇跡が起こりました。
新曲を流した途端に、スズメが鳴き出したのです。おお、こやつ、音楽がわかるのか!
米粒も指の先から食べるようになりました。が、やっぱりまだ飛べません。
とりあえずチャパティを部屋に戻し、スズメは風呂場で療養させることにしました。
んがっ、おいらを呼ぶんです。そして顔を見せると鳴き止むんですわ。かわいいけどネ。
多分、飛べるようになるまで数日の辛抱でしょう。それまでは猫と同居で緊張の日々。
さっさと青空にオサラバしてくれい!
[080629]

【写真展『インドの子供たち』開催中!】
ご近所のインド料理屋でインドの子供たちをテーマにした写真を展示しています。
(Indology > 友人たち > 子供たち/参照)
インドの写真は数が多いので、最初に人物以外をフィルターにかけ、次いで大人をフィルターにかけ、子供の写真の中からセレクトした総数は40枚ぐらい。
やってみるかと思いついた翌日の夕方に店長に掛け合い、夜中に印刷を始め、インクが3色同時になくなり、それじゃということで翌々日に新しいプリンタを買ってきて、次の日には展示。
我ながら実に無駄のない業務進行だ。\(^O^)/
それができたのも、直前にパソコンのカラーマネジメント調整に苦労したおかげで……。
[以下、かなりの寄り道話になるけど]
要するにモニターに表示された画像と印刷された画像の色合わせで、CRTモニターを使っていた時はがっちり管理していたのが、液晶にしてからはアバウト。薄々ながら一致していないことには気づいていた。
普通にデジカメの写真を印刷するだけなら問題はないのだが、作品として微妙な追い込みをすると印刷結果に反映されない。影の中にうっすらと人物を描きたいのに、べったりと黒くつぶれたり、露骨に見えてしまったり。ま、そういった違いを解消して、色や明度などを一致させるために七転八倒の試行錯誤を重ね、何とか思い通りの結果を得られるようになったのだ。
ざっと説明すると、モニターのガンマ値を1.8、色温度を5000度に変更固定。ナナオのブライトレギュレータを有効に設定。色管理の中心をシステムからPhotoshopに移し、作業はadobeRGB。作業は常に32ビットモード。
問題の印刷ではプリンタ側のドライバによる調整を切り、すべてをPhotoshopで管理。
この設定にたどり着けたおかげで、試し刷りが不要になったのである。
[興味のない人には意味不明な寄り道終了]
考えてみりゃ、写真展は十代の頃にやったきり。最初は路上、次に「集団のどちんこ」を名乗って学園祭で一部屋を分捕り、最後は確か国際交流の何とかを撮影したものを喫茶店で。それから数えるとすごいブランクだけど、常に行き当たりばったりなのは変わっていない。
[080503]

【近所にインド料理屋が!】
唐突、突然、いきなり、前触れなしで、近所にインド料理屋が開店。\(^O^)/
徒歩2分程度の近さだから、ぅぅぅ、ロケーション的には恵まれていないと思うけど……。
従業員は全員ネパール人で、小さな店に8名は多すぎると思うけど……。
『Village Duseni-8』(ドゥシェニ村8番地)と杉並区内にネパールの住所を強引につけてしまうのが素晴らしい。注文したのは野菜の薬膳カレー。不思議な食感と思ったのはキノコで、思わず「ネパール・カナ(料理)?」とたずねて、店長と親しくなる。美味だし、インド料理より日本人向けかもしれない!
(お客で来ていたパシュトゥン人とも親しくなり、ここでの生活が一気に楽しく変わりそうだ)
ランチのシステムがちょっとおもしろい。
例えば699〜899円で単品のカレー(種類多し)を頼むと、ライスまたはナン、サラダ、飲み物がついてくる。でもって、ライスまたはナンは食べ放題。
採算大丈夫?と思ってしまうほどのネパール的ドンブリ勘定!
ただ、いくつか気になったことがある。
店内がずいぶん殺風景でねえの?
私も若干ためらったけれど、店外にランチがあることも、値段も告知されていない。入りづらいんでねえの?
店長曰く。「飾りも、チラシも、届くまでまだ1週間ぐらい掛かるんだ」
「そか。よっしゃ、まかしとけ!」
というわけで、現在『Village Duseni-8』店内には私のインドコレクションが飾られている。
ランチのお知らせも私の手作りだ。
これからも、いろいろアドバイスしていく予定。
インドやネパールの写真やインドをテーマにしたCGも並べちゃおうかな。
えーっと、こういうのは「ボクねぇ、お店をプロデュースしたんだよ」と言えるのかなぁ。
ウソウソ。\(^O^)/
Village Duseni-8 ドゥシェニ村ー8 (10:30〜23:00)無休(らしい)
杉並区梅里2-29-15 ジェイハウス1F 03-5929-3677
[080420]

[クロックアップ]
たまたまネット上で改造法を見つけたので、深く考えずに愛用のMacMiniを1.42GHzから1.68GHzにクロックアップした。さらに起動ディスクを外付けHDに変更して、内蔵HDと中身を総取っ替え。全体的に高速化を図り、今のところ問題なく動作している。
これが思い出すだけで頭が痛くなる作業だった。
ポリタンク型のG3は内部へのアクセスが簡単だったから、いろいろ改造していた。手にして3日も経たずにクロックアップし、外付けMOドライブを内蔵させ、銅板を打ち出してベゼルまで作ってしまった。しかし、MacMiniはアクセスからして大違い。ビスが1本も使われていないから、カバーを外す段階から苦労することになる。メモリを1GBにした時もパレットナイフを使ってグリグリとこじ開けた。
しかし、メモリ増設なんて開ければ半分終わったようなもの。残り半分は再びカバーを閉じる苦労なんだけど……。クロックアップは悪夢のような作業だった。G3の時はジャンパーピンの変更に過ぎなかったのが、今回は抵抗の配列を変えなくてはならない。その抵抗がほぼ1ミリ四方というミクロのチップ。
まずピンセットと半田ごての先端をヤスリ掛けして針の用に鋭くする。それで針の穴程度のハンダを溶かして、えいやっと外す。実はピンセットでもダメで、最後は裁縫用の針を使った。
最初は1.75GHzまで上げたのだが、挙動が極度に不安定になり断念。
悪夢はそれからが本番だ。一度外したチップを違った配列になるようにハンダ付けしなければならない。1ミリ四方程度のチップがブリッジで接続するように、両端に針の穴程度のハンダ付けを行なうのだ。うまくできたと思ってルーペで確認すると曲がっている。やり直し。裸眼ではほとんど判別できないのである。何回やってもうまくいかない。目はしょぼしょぼしてくるわ、肩こりはひどくなるわで、ほんと、投げ出したくなりましたわ。
奇跡的な偶然によるハンダの増し盛りに成功して、何とか成功したのは数時間後。
もう一度やれと言われても、こればかりは遠慮する。2度成功する自信は全然ない。
外付けHDは何度か書いたように呆れるほど不安定で、貴重なデータを何回か消失している。それを起動ディスクにしたのは「問題は断続的なアクセスにあるようで、それならほぼ常時アクセスし続ける起動ディスクにしちゃえばいい」という逆転の発想。それと低速の内蔵2.5インチよりも7200回転の外付け3.5インチのほうがアクセスも速くなるはず。
思惑はほぼ成功。代償はやっぱり発熱で、HDとCPUのダブル発熱だから今までのように重ねて使えない。いずれスタンドを自作するつもりだが、今はそれぞれに下駄をはかせている。
一番効果を期待したキャプチャリング時のノイズ除去は、じっくり検証したわけではないが、うまくいっているようだ。ただ、たまに発生する波形の歪みは小さくなっても耳では判別できるわけで、それを編集ソフトで見つけ出すのが難しくなった。これじゃ作業時間は変わらないかもしれない。


基板の大きさは一辺が約14cm。左の赤枠を拡大したのが右の写真。中央に4つ並んでいるのが問題の抵抗。
[071027]

【タミル語を覚えるぞ!】
せっかくのチャンスに恵まれたので、タミル語を覚えることにした。
外国語は大好きだ。一応iPodの中には英語やフランス語の教材が入っている。だけど、根が怠け者とは言わぬまでも、必要を感じなければ手を抜く性分である。必要が満たされれば、それ以上は望まぬ「地球にやさしいエコ生活」実践者でもある。これらは今ひとつ積極的にやろうという気が起きない。
やっぱり、おニューの言語でなくちゃ。
敢えて言えば、物覚えが悪くなったことも理由のひとつかもしれない。記憶力は確実に減退していると思う。それなら、ちょいといじめてやろうじゃないか。肉体だって酷使したら、それなりに頑丈になったのである。
しかし、タミル語というのは予想以上に難物なのである。
思えば、「言葉も現地主義」と決めて海外に出た時に、かたことで覚えた北インドの言葉と基本単語から違うことに絶句し、インドの英語を覚えようと宗旨変えさせたのもタミル語であった。
北のアーリア系言語に対して南はドラヴィダ系と言われるが、とりわけタミル語は純ドラヴィダ系と呼びたくなるほど全然違う。詳しく調べたわけではないが、他のインド言語にはナマスカーラムと聞けばナマステが浮かんでくるように、ヒンディー語を知っていれば何となく類推できる言い回しとか単語が見つかる。それがほとんどない。(現在の語彙では「全く」と言うべきかも)
逆の見方をすると、タミールの人間にとって(一般にインド語と誤解されている)ヒンディー語はドイツ語や日本語とおなじぐらいチンプンカンプンな言語であるという。
というわけで、手がかりは何もないに等しい。まるごと全部新規で覚えなくちゃならないのだ。
例えば、数字の123ならタイ語でヌン、ソン、サン。日本語あるいは中国語との関連で覚えればいい。ヒンディー語ならエク、ドー、ティーンだから(半ば強引に)フランス語のアン、ドゥー、トヮだ。タミル語ではウンドゥル、イランドゥ、ムォーンドゥル……どうにもならない。
こんなに特殊なインドの地方言語を覚えてどうする……。
わずかな光明は、スリランカ北部だけでなく、マレーシア、シンガポールでもタミル語が通じる(らしい)と知ったこと。シンガポールのインド人街がドラヴィダ系文化とは気づいていたが、言葉もドラヴィダ系だったのか。しかも、マレーシアまで。それなら使う機会もありそうだ。
とりあえず簡単なCD-ROMの教材を入手。質がどうこう言う以前に、それしか手に入らないのだから仕様がない。ある程度わかってくれば、タイ語を覚えた時のように自分なりの法則を見つけたりして効率を上げられるはずだが、まずは丸暗記……の前に聴き込んで、音に馴染まなければ。正にゼロからの学習スタートである。
記憶力の減退は痛いほど再確認させられるし、先はめっちゃくちゃ長くなりそうだし、
おまけに今週から別現場に移され、生きたタミル語を聞けなくなったし、
先行き不安になってきたなぁ。
[071003]

【いきなりインドの日々】
肉体労働者のオイラの新しい現場は大久保。大久保と言えばコリアンタウン。通りを歩けば聞こえてくるのはほとんど非日本語。職安通りと大久保通りに挟まれたエリアには非日本人相手にアジアの雑貨を扱っている店も多々あり……。
しかし、それは山手線の内側の話。残念ながら道路拡幅工事が行なわれているのはちょっと離れた山手線の外側。青梅街道、小滝橋通り、税務署通り(山手線をこえると職安通り)に三方を囲まれた西新宿7丁目は目ぼしいランドマークも特徴ある店もありません。大久保方面から自転車で青梅街道に出るには北新宿の裏通りが便利ということで、素通りすらしないエリアでした。
そんな西新宿7丁目に通うようになり、いつものように休み時間にカメラ片手に散策をしてみると……。これが何と一般にはまだ知られていないワンダーゾーンだったのです。
裏通りに入って、いきなりインド料理店。680円のランチ(今の東京では780〜880円が相場)に惹かれて入ってみると、思わず呼吸が止まるほどの驚きが待っていました。このお店『ムット』の特長は値段ではありません。親父のムットさんが南インド、タミールの出身ということに尽きます。
詳しくは週明けにでもお店の紹介で詳しく書きますが、日本で南インド料理を味わえるなんて夢にも思っていませんでした。(ネット検索をしてみたら、既に数軒のお店があるとわかりましたが、雑誌やガイドブックなどを通じて知ったのではなく、自分で見つけたのがメチャ嬉しい。)
ただねぇ……いつもは弁当持参、昼食は平均して200円ぐらいで済ましてきた人間にとって連日の外食は厳しいものがあります。でも、料理が美味なのは言うまでもなく、ムットさんと手伝いの娘さんの人柄もあって通っています。挨拶はもちろんワナッカム!
残念ながらいつもお客でいっぱいというわけではないのが幸いして、タミール語について教えてもらったり、おかずをサービスしてもらったり(笑)、至福の1時間を毎日過ごしています。
現場で交通誘導をしていたある日、通りの向こうから「ハーイ」という声。
うわぁ、弥生町のインド料理店『インディアン・オーブン』のマネージャーじゃありませんか。
これまた以前通っていた時にあれこれサービスしてもらっていたお気に入りの店です。何やら近所に支店を出したそうで……。そちらもまた顔を出さなきゃなりません。正に嬉しい悲鳴。
はっきり言っちゃいますが、同郷の人間に出会った(ような)嬉しさがあります。インド人と話をするだけで元気が出ちゃいます。単純ですが、感情に理屈はありません。ましてや悪いこと続きでへこみそうになっていた時期だけに、正に「驚喜」の出来事です。
西新宿7丁目にインド人の知り合いが二人も! リトルインディアと呼んじゃうぞ!
このエリアの驚きはまだまだ続きます。ちょっと高そうな台湾家庭料理の店も見つけたのですが、看板に「素食」とありました。ついに東京で3軒目の素食の店を発見!
中国の精進料理「素食」についてはいろいろ書きたいことがありますが、あらゆる料理の中で最高に美味で、最高にヘルシー。故に1軒目の某有名店はペケでした。2軒目は近くの中野ブロードウェイにあり、たまに定食を食べに行っています。はたして3軒目の味は……?
給料が入ったらお店についてリポートしましょう。
工事はしばらく続きそうなので、会社には配置換えをしないように頼んでいます。(笑)
[070922]

『記録』

インド・パキスタン国境にあるタール砂漠は2度訪れたことがある。どちらも真夏。ラクダに乗って砂漠を旅するキャメル・サファリは泣く泣くあきらめた。何しろ最高気温が47.5度。身の危険を感じたのである。
トホホ話を装っているが、ちょっとした自慢であった。
ところが、昨年はデリーで50度を超えた。わざわざ砂漠まで行かなくても、短期ツアーやトランジットの旅行者でもオイラの記録を軽く超えられたのである。今年はグワリオールで最低気温38度というのがあった。キツさでいったら、こちらのほうが上だろう。
さらに今年の東京。日向の温度ではあるが、50度を超えた。(おひおひ、こんな形で自己記録更新かよ)
実際のところ、腕時計は太陽と対峙させていた。ベゼルは金属メッキのプラスチック、センサーのカバーは金属部品だから、蓄えられた熱ではある。角度を変えても、少し陰っても、風が吹いても数度下がってしまう。体感温度もタール砂漠のほうがはるかに上だ。
それでも、センサ−が50度を超えるほど体の方も直射日光にさらされていたのだな。
前回の南インドの旅では(インド人も驚く)暑さにばててしまった。
とにかく酷暑に耐えられる体になること。
それも現在の仕事を選んだ理由のひとつだから、日陰に避難などしないのだ!


自己記録を更新した時の空。2日前はギリギリで50度に届かなかった。
[070826]

【ネパールコンサート】
なぜか徒歩15分の杉並区産業商工会館で日本・ネパール友好50周年記念のネパールフェスティバルが催されることになり、ネパールコンサートへ行ってきた。いちおうクルタ、ピジャマ、肩からはインド製ズタ袋の(自分なりの)正装でお出かけである。
開場時間すぐにガラガラの会場へ入ると、本日のトリであるスンダリ・ミカさんが最前列に。人違いされたのがきっかけで、隣に座って話す。初対面どころか、このコンサートで名前を知ったのに、いきなり友人・知人モードである。話の内容もタミールの御詠歌とかパンジャブの宗教歌について語るという遠慮なし。だって、ネパール音楽については無知同然だもん。
観客の半数はネパール人だったと思う。インド系は別として、ネパーリとかネワーリとかシェルパとかは日本人そっくりだから、民俗衣装を着ていなければわからない。かく言うオイラもお偉いさんの婦人に「あなたはネパール人ですか、日本人ですか」とたずねられてしまった。(笑)
前座の人たちは割愛。
本日の目玉のひとつであるスルスダーにはよい意味で期待を裏切られた。いきなり『ラーガ・ビンプラシ』から始まったのである。バンスリー(竹笛)、タブラ(太鼓)、シタールの編成でネパール民謡でも演奏するのかなと思っていたのが、まさかバリバリのインド古典音楽を聴けるとは。しかもビンプラシはお気に入りのラーガである。いきなり本日のハイライトが始まっちゃったのだ。
古典音楽として、この3人編成はかなり変則である。しかし、即興部分をバンスリーとシタールで持ち回りして、交代するたびに主題を演奏するスタイルは実にわかりやすい。それでいて、全体の流れはしっかり古典音楽に則っている。演奏技術も正統派で素晴らしい。
シタール、インド古典音楽というと一般になじみの深いのはラヴィ・シャンカールだろう。つーか、2番目の名前が出てくるだけで、その人は通みたいな絶対的な存在である。だけど、ラヴィ・シャンカールの演奏は古典音楽というより、どんなラーガを演奏してもラヴィ・シャンカールの音楽になってしまう個性の強いものだ。比較する演奏者がいればいいのだけど、2番目が実質いない状況ではちと困る。インド古典音楽は激しいばかりではないのだ。その意味で、スルスダーのシタールとバンスリーは正統派なのである。
演奏を聴いているうちに興奮してきた。なぜなら(これまでの話の流れから絶対に誤解されると思うけど)スルスダーのシタールは即興の展開が「オレそっくり」なのである。もちろん「技術的には雲泥の差」と即座にエクスキューズしておこう。
しかし、即興というのは正に自分のセンスであるから「おお、ここで低い音に移動するか」といった展開の仕方が似ていることはわかるのだ。おそらく昔録音した自分の即興演奏の中によく似たエッセンスがあるはず。ま、がっかりするのもイヤだから、しばらくは聴かないようにしようと思っているけどネ。(笑)
シタールはバラナシのガラナ(音楽一家)に2ヶ月ぐらい住み込みで修行‥‥もとい居候していたのを除けば、ほとんど自己流だ。音楽というより瞑想の道具として(ラーガに則っていたけど)即興演奏ばかりしていた。だから、自分の演奏について声高に語ったことはない。「そんなおこがましいこと言えるかい」の自覚だけはあったのだ。それが「あの即興でも間違っていなかった」という驚きつーか確信を得たことは大きい。何だかよくわからない自信がわいてきて、俄然、古典音楽を再びやりたくなってきた。
シタールに限らず、3人とも実に良かった。特にバンスリー。うまいわ。ラーガという制約がないんじゃないかと思うほど展開が実に広く自由。タブラは左手のバヤー(だっけ?)は居候先のケシャブ君のほうが巧みだと思うけど、右手のタブラ(だっけ?)は金属的な響きがするほど鋭い。
個人的にすごい収穫を得た感じで、スルスダーだけで(もっと絞ればビンプラシ1曲だけで)大満足だ。
そしてスンダリ・ミカさんの登場だけど、ミキサーがへっぽこで伴奏にまわったスルスダーが気の毒だわ。ボーカルとタブラの音が大きすぎ。つーか、基本的にインド音楽にPAなんて使わないし、小屋も小さいのだから、電気は要らんよ。カトマンドゥなら停電を期待できるのに。(嘘)
赤面の告白をすると最後の曲で、最初に踊りを披露したおねーちゃんたちが前に出たのはいいけれど、すぐにオレも引っ張り出されてしまったのである。女性のお誘いを断るヤボは嫌いだ。こういう時にシャイになる日本人も嫌いだ。だども、踊りは悶絶するほど苦手なのである。嗚呼。
相手が両手を握ったうえに実にシンプルなステップにしてくれたから助かったといいたいが、それでもラジオ体操以下の「麦踏み」だぁ。「次は回って」と言われたって、文字どおり回ることしかでけへんど。リズムに合わせるのは明日以降の話だ。必死だったから半分は記憶にない。早く残りの半分を忘れたい。
終ってからスルスダーの皆さんと少し話をした。これができるのが小さな小屋のいいところ。
バンスリーのおじさんに「日本では煙草が300円だけど、ビディーは350円」と言ったら、目をまん丸にしていた。あちらでは煙草の3分の1以下の値段だからね。彼の使った楽器がインド仕様ではなく、西洋音楽にも合わせられる(インド音楽は基本の音程がまるで違う)特殊なものとわかったのも収穫。気がつかなかったけど、ラーガと民謡では持ち替えていたはず。
シタールのおじさん、楽器はバラナシで作ったそうな。しかもオイラのシタールを作ってくれたニタイさんのことも知っていた。奇遇ですな。こういったことから親近感が一気に増す。
塗装のことなどマニアックなシタールの話をしているうちに、関係者の記念写真を撮ることに。当然ながら無関係者のオイラが撮影を引き受けた。お偉いさんもいるというのに「英語ではチーズですが、ネパールだからパーニー(水のこと)でいきましょう」と好き放題。
(だけど、最後の1枚に入ってしまったのだな。後から「これ、誰だ?」になっても知らんぞ。)
[060812]
今回のコンサートを紹介するサイト『ミトラタ パチコ コーズ』でスルスダー(Sur Sudha)の演奏がバックに流れています。
[060813]

【何という日】
阿佐ヶ谷は今日から七夕祭り。
昨日までは良かった。パールセンターを通るたびにあちこちの飾り物が少しずつ形になっていく。枠組みや彩色前のハリボテからは各商店の家族が楽しそうに作っている様子が伝わってくる。一家総出で紙を切ったり貼ったり、ご近所が激励に来たりといった光景も目にした。
阿佐ヶ谷は中央沿線の下町なのだ。だから、飾り物はちゃちなほどいい。インド映画の着ぐるみ怪獣みたいにブサイクな飾り物を見つけると嬉しくなる。個人的には普段店頭にぶら下げている「あの肉」(これが商品名。故園山俊二さんの漫画に出てくるような骨付き肉)のハリボテをただでかくしただけの吉沢商店に「七夕だからって関係ないもんね」の脱力賞を与えたい。
だけど、おいらは人ごみが大の苦手なのだ。それなのに出かけちゃったのは、夕方からブラジル音楽のコンサートがあったから。会場は地元還元の文化活動を積極的におこなっている細田工務店のリボン館。これまでも気になる講演会などがあったけど、時間の都合で訪れるのは初めてだ。
やっぱり人ごみで思うように進めず、やっと会場に着いた時には行列ができていた。当たり前だけど、近所のおじちゃんおばちゃんばかりで、コンサートの雰囲気とはちょっと違うような‥‥。ちなみに料金はわずか500円でドリンク付き。
150名収容だからライブハウスぐらいの空間に、ボーカル、ヴィオロン(ブラジルのギター)、ドラムのシンプルな構成でコンサートはなかなか良かったと言いたいのだが‥‥おいらの斜め後ろにバカがいて、終始イライラさせられることになった。
20代後半ぐらいの男だが、最初は知り合いかなと思ったほど一人だけ勝手に盛り上がって、掛け声を上げたり、手拍子を打ったり‥‥いや、それが悪いなんて偏狭なことは言いませんよ‥‥ただ「オレよりリズム感が悪いのにクラッピングするんじゃねぇよ」と怒鳴りたい衝動を抑えていたのである。何しろ、このバカの一人手拍子は合ってないんじゃなくてズレていくのだ。これは気になる、気に障る、むかつく。
そのうちボーカルのマイクが断線。さすがブラジル人で、ヴィオロンとドラムのサンバ大会を始めて間を持たせていたけれど、原因はアンプ側にあるようでマイクを交換しても声は途切れ途切れ。"A quarela do Brasil"なんかかなり盛り上がっただけに、何じゃこりゃ感がひとしお。
で、ヴィオロンが気を利かせて「禁じられた遊び」やらビートルズやらツェッペリンの「天国への階段」やらをお遊びで演奏すると、後ろのバカは「アンコール」なんぞと叫んでボサノバやサンバ以上に盛り上がったのである。それって失礼じゃないの。つーか、お前、ブラジル音楽のこと何も知らんのだろ。
そして最後は"Wave"も"One Note Samba"もなしで、コンサートは中途打ち切りの料金払い戻し。何じゃこりゃ。アンプが故障するまでは(後ろのバカを抜きにすれば)編曲のヒントをたくさん貰ったし、実にいい感じのコンサートだったのに。
またまた人ごみをかき分けてアパートに戻れば‥‥大音量の東京音頭。目と鼻の先の公園で納涼盆踊り大会って、そんな気分じゃないぞ。明日は部屋にこもって音楽を作ろう。
[060805]

【ヴェジタリアン】
一時期、ピュアヴェジタリアンの生活を続けていた。肉、魚はもちろん卵、アクの強い野菜(ネギ、ニラなど)も一切口にしなかった。動物愛護、健康目的、主義主張、趣味などが理由ではない。瞑想の妨げになる「呼吸を乱す食べ物を摂らない」のがピュアヴェジタリアンであると私は解釈している。もちろん副産物としていたって健康であったし、感覚も鋭敏になっていた。
おもしろかったのは周囲の反応だ。はっきり言って、トンチンカンなものがほとんど。
「お肉、食べられないの? かわいそうねぇ」と同情する人。(オレは病人じゃないんだってばよ)
健康を心配してくれる人。(栄養学に無知な母親を持った子供の健康のほうが心配じゃ)
「健康にいいのよね」と共感する人もいたが、必ず「私にはできない」と申し訳なさそうに言い訳がくっついてきた。
菜食をサラダしか食べないと思い込んでいる人はかなりいた。(和食を作ったことないんですかぁ?)
「今日だけならいいじゃない」と強引に誘う人。(ズルする時にも一人ではできないタイプだな)
「偉いわねぇ」と勝手に偉い人にしてしまう人。(あくまでも「他人事」って意味だわな)
要するに、ほとんどが他人事。まだ続けると、
これ見よがしに肉をむさぼり喰う奴。(どうやらヤセ我慢をしていると思っているらしい。人の目の前に突き出してザマーミロのつもり?)
腫れ物に触るようにするというか、見て見ぬ振りをするというか、そういう奴。(嗚呼)
肉食がいかに健康にいいか説教を始める奴。(オレは[笑いをこらえて]聞き流すだけ)
どいつもこいつも「いやになるほど性格丸出し」になってしまう。
もちろんその人たちを嫌ったわけじゃない。フツーの生活を送る分には十分イイ人たちがほとんどだ。でも、自分が理解できない対象に出会ったら、勝手に解釈するよりも先に情報を集めることが異文化理解の基本なのだ。
だから、理由をたずねてきた人がほとんどいなかったのは、ちょっぴり悲しかった。周囲に自分の同類を見つけられないのは今も変わらないようだが‥‥。
[060720]

【町の気質】
それが辞めたくても辞められない大きな理由なのだが、仕事の関係で東京のあちこちへ出かけている。
派遣されなければ、訪れることは一生なかっただろう町で意外な発見があったりする。気が向けば昼休みに散歩したり、帰りに寄り道をしたりする楽しみもある。それが平日であることもミソだろう。休日にはない町の素顔に触れられる。
とりわけ町歩きと異なるのは、工事現場の歩行者誘導や(退屈な)通行止めの迂回指示だ。ありきたりな「気をつけてお通りください」だけでは言っているほうもつまらないから、時にウィットやユーモアを交えたり、時候の話題をふったりする。おばちゃんや御老人と瞬間的な会話を楽しむのである。こればかりは只の散歩者にはできない。下手すれば怪しい人と思われてしまう。
このミニマムに近いコミュニケーションが町の素顔を知るのに絶好であるとわかってきた。町によって反応がかなり違うのだ。
商業地区とか住宅地区といった区分や、東京の山の手と下町といった違いなら容易に想像つくだろう。いかにも高級なスーツを来た若造が闊歩するような町はおおむねつまらない。無視・無反応か別カーストを見るような視線が返ってくることがほとんど。悲しいのは「おはようございます」の挨拶に親子ともども無反応な母親。勝手にバリヤーを張って、勝手に生きづらい環境を作って、そこに自分の子供まで巻き込んでいる。反対に、幼い子供に「おはようございますは?」と挨拶をうながす母親は表情も生き生きしている。きっと素直な子供が育つのだろうな。
印象深かったのは、住民の反応がとても良かった何の変哲もない住宅街。そういった町にもくわえ煙草で自転車を走らせる(ちょっといかれた感じの)兄ちゃんはいるのだけど、挨拶に対してあわてた会釈が返ってきた。失礼だけど、期待しなかった反応にこちらも驚き、そして嬉しくなった。
住民の心に作用する土地の「気」みたいなものがあるんじゃないかと感じている。工業地帯だからとか、新興住宅地だからといった町の器によって決まるのではない、土地そのものが持っていて、多層的な心の深い部分に微妙に作用するような何かが。表情の乏しい住宅街ほど、だからわかることがあるのかもしれない。
気になるのは孤独そうな御老人の多いこと。時には昼休みの公園や、通行止めの立ち話で重い人生話を聞かされることもある。相手にとって少しでもプラスになるような会話ができたと思えた時は、自分の胸の奥の温度が少し上がったような気がする。
もうひとつ気になるのはバカタレじゃ。横柄で、自分一人の都合で周囲の人間に迷惑かけて(おいらだけなら仕事だからと割り切るけどさ)、文句をつけるしか能のない奴がたまにいる。
お前一人の理不尽な我がままのおかげで、町の印象が変わってしまうのだぞ。
[060709]

【デジタルの音】
手持ちのアナログディスクとCDは比較する必要がないほど数に差がある。一方はレコードラックからあふれ、音楽CDはせいぜい20枚ぐらい。理由は言うまでもなく音質の差にあるのだが、根拠がCD登場当時とは違ってきている。
秋葉原でオーディオ販売をしていた時にCDプレーヤの1号機が登場した。私は最初にがっかりした一人かもしれない。いや、そこまで期待していなかったし、性格も歪んでいなかったから「最初に疑った一人」と言うべきだろう。
デモディスクに収められた音は明らかにそれまでのレコードとは違っていた。だけど、それはCDだからという音じゃなかった。いわゆる硬い音。無音の中からパーカッションが破裂するように飛び出す類いの音が意図的に多用されていた。ほとんどの人がそれをデジタルの音と勘違いしていたというわけだ。
アナログディスクだってきちんと再生してやれば、それ以上の音は出る。
問題はこの「きちんと」再生する敷居が高かったことで、こればかりは否めない。ただし、この少し敷居の高い同じ条件で鳴らせばCDのほうが音質的に劣っているとわかるはずだ。
いちばんの違いは高い音で、CDは22KHz以上の音をはじめから記録できない仕様だから比較にすらならない。その違いのわからぬオーディオや音楽の評論家はアホか嘘つきと思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。
悲しいかな、人間の聴覚は齢とともに衰える。ジジイの評論家は本当に違いがわからなかったのだと最近は思っている。
CDの音でもいいかなと思えるようになった頃、たまたま調べてみたら昔は聞こえていた16KHzの音が聞こえなくなっていた。20KHzは当時も聞こえなかったから、CDを嫌う理由にはならないはずだが‥‥。その「音としては聞こえない」超高域の音でも、何となく感じることはできたのである。測定器の音では違いがわからなくても、音楽なら明白な差になっていたのである。
その証拠と言っては何だが、アナログディスクの中にもCDみたいに「きれいな音だけど感動が得られない」というものがあった。調べてみたら、当時のデジタル録音。レコード盤に刻む前の元の音がCD品質だから、22KHz以上の音が入っていなかったのだ。
自分の聴覚を頼りにCDの音を嫌っていたわけだから、寛容になったのは決していいことじゃない。まあ、違いがほとんどわからなくなったのだから素直に楽しめばいいのだ、と締めくくろうか。
ところが、今は素人でもスペクトロ・アナライザーを持てる時代。でかくて高価な機械の話ではなくて、いわゆるパソコン用録音ソフトの周波数別の音量表示機能のことである。これがいやになるほどアナログディスクとCDの差を見せつける。一目瞭然ってやつだ。これを見ると「CDを毛嫌いするのはもうヤメよう」という健全で前向きな気持ちも萎えてしまう。
アナログディスクの音楽をパソコンに取り込む時、(苦々しく思っているけれど)設定はCDと同品質にしている。そしてオリジナルと聞き比べると、やっぱり何となく違いを感じてしまう。世間ではmp3がもてはやされているけれど、そんなのは問題外。ほとんどCDと同じ音質というのはウソだし、そもそもCDの音質でもまだ「足りない」のである。しかし、オリジナルに近づけようとするとデータ量は膨大になってしまう。そのあたりの常識的な折り合いが、とりあえずCDと同品質での録音、当然ながら無圧縮という設定になる。おかげで私のiPodにはメーカーが何千曲も入るぞと訴える10分の1以下しか曲が入らない。
ところで、カセットテープすら消えていくデジタルの時代に、やはりCDやデジタルの音を毛嫌いしている御仁と出会うことがある。残念ながら、半数以上の確率で意気投合も共感することもない。タンノイあたりの高級スピーカで音楽を聴いている本格的なマニアなんて、めったに出会うことはないのだ。
鼻白む思いをさせられる残り、問答無用の断定口調でデジタルを切り捨てたがる御仁ほど、ヘッポコピーの機械を無頓着に使っているんだわな。どう考えたって違いは出ないぞ。
[060708]