この人の作品の魅力はと問われても、実はよく分からないのです。当然作品集などで、彼の一連の作品を見ることが出来るけれど、彼の場合統一したバックボーンがあるようでもない。装飾が目立つカールスプラッツ駅から、アールヌーボー風インテリアのマジョリカハウス、近代的合理主義の郵便貯金局、現代のポストモダンにも通じるホーフパビリオン、そしてすべてを悟って突き抜けてしまったような感のする、シュタインベルガー教会(やはり4泊では行けなかった)、それぞれはとても魅力的な建物なのだけれど、何か共通点が感じられないのです。あちこちの本によれば、彼が流行を作りだしていったとされています。確かにその通りだし、考えてみればそれが近代なのかもしれません。
丹下も磯崎も、彼らの初期の作品と20年前、そして現在進行形の物を比べてみれば同じ人間の作品だって思えないように、こうした様式の変化こそが近代の始まりなのかもしれません。香川県庁と新旧東京都庁、大分県医師会館,MOCA、そしてディズニー本社・・そんなのに比べれば、ワグナーの変化なんて可愛いものでしょう。
でもやはり彼は正に近代を開いた建築家ということが言えます。過去の様式にとらわれず、自分の心するものを形にしていく。クライアントに対応しながら、場、地を読み、主張するものを世の中に配していく。それが100年経っても人々に愛されている・・・というところが現代とは違うところかもしれません。現代の建物が、100年後に存在する確率は、旧都庁がさっさと無くなったように、いくら丹下であっても大きく下がってしまうのですから。
駆け足の旅でも、ワグナーの建物は比較的容易に行くことが出来ます。
カールスプラッツ駅 48 12 00.59N,16 22 12.41E
この駅の象徴性は何なのでしょうか。実に小さな地下鉄駅・・四阿をちょっと大きくした位しかないのに、この存在感はどこから来るのでしょうか。実に軽快、実に優美、ふわっと浮かんでしまいそうな優雅さがあるのに、存在感がある。バロックのカール教会(やっぱり螺旋だ!)を向こうに回し、何でこんなに優雅にしたのでしょうか。
今では地下鉄U4はかなり地下を走っていますが、当初のプラン(当初は当然U4ではなく市営鉄道ヴィーンタール線と言っていました)を見ると、ワグナーの駅舎は道路を挟んでの2つの地下鉄入り口として設けられ、ホームは現シュタットパーク駅のような半地下に設けられていました。規模は全く違うけれど、駅舎は甲州街道を挟んでの新宿南口と新南口、ホームは茗荷谷といったとイメージでしょうか。その後多分U1を整備するときに、U4の線路自体を地下深くに整備し直し、空いた地下すぐのスペースは乗り換え用通路や地下街を設けるといった大工事をしている模様です。その時点から、この駅舎は本来の目的は失われ、裏側にわざわざ地下への入り口を作り替え、正面側はカフェとワグナーパビリオンに転用されています。その際に全部移転してまた戻したのか、なんてことがどうしても気になってしまう。結局田園調布駅は解体、再建設という道をたっどったのですから。
彼のイメージとしては、広場の中ぽつんとあるロケーションからして、敢えて軽く、小さく、公園内四阿風、その上で象徴的にしたかったのではないかと思っています。そのために鉄、ガラスを多用する。それが周辺の重厚な建物に対峙するために必要な素材でした。また敢えて上り用、下り用を分けて対に配置したのは、この建物が広場の中心ではなく、広場の中心を支えるための配置・・・いわば狛犬的配置を狙ったといったからではないでしょうか。今は一帯は駅のターミナル化、地下街の導入により、両駅舎間の通りは姿を消し、代わりに一段高い小さな広場になっています。ここに立ち、子供たちが飛び跳ねているのを見ながら、100年前のワグナーの意図を改めて思い巡らしてみる。それは旅をすることにより、実際この地にって初めて味わうことの出来るものなのです。