【勅宣】後醍醐天皇
【成立】元亨三年(1323)七月、奉勅。正中二年(1325)十二月十八日、四季部奏覧。嘉暦元年(1326)六月九日、完成返納。前代の続千載集からわずか六年後の撰進であった。
【撰者】二条為藤・二条為定 (初め為藤に命が下ったが、為藤は正中元年七月、撰の半ばで急逝し、同年十一月、撰者の任を養子の為定に引き継ぐ旨の勅定が下った。)
【書名】後拾遺集を意識したもの。初めは「新拾遺」とすべきとの意見があったが、披露の際「続後拾遺」と変更されたとの伝がある。
【主な歌人】藤原為氏(23首)・藤原為家(22首)・二条為世(20首)・藤原定家(20首)・後宇多院(19首)・後醍醐天皇(17首)・小倉公雄(15首)・伏見院(13首)・西園寺実兼(13首)・二条為藤(13首)・鷹司冬平(13首)・覚助法親王(13首)
【構成】全二〇巻一三五三首(1春上・2春下・3夏・4秋上・5秋下・6冬・7物名・8離別・9羇旅・10賀・11恋一・12恋二・13恋三・14恋四・15雑上・16雑中・17雑下・18哀傷・19釈教・20神祇)
【特徴】(一)構成 千三百五十三首という歌数は、十三代集中最少。恋歌を四巻に縮小したのは、後拾遺集に倣ったものか。物名・離別・哀傷などの部立を復活しているのは、古今集を範に仰ぐ姿勢を示したものであろう。
(二)取材 上代から当代まで、満遍ない。主な選歌資料は、文保百首・嘉元百首・正中百首・宝治百首などの応製百首である。また、万代集・秋風集との共通歌が多く、これらの私撰集を参考資料として用いたと推測される。
(三)歌人 為氏・為世・為家・定家が上位を占め、御子左家・二条家嫡流を重んじる歌道家意識が濃厚。為兼・為子(為教女)の歌は皆無で、京極派は冷遇されている。但し、伏見院・花園院の歌が巻頭・巻軸に置かれるなど、持明院統への配慮が窺われる。
(四)歌風 四季部には平明ながら艶な風情を湛えた佳詠が並ぶ。全般的に見ると、類型的な趣向・心情を詠んだ歌が多いことは否めず、ことに恋歌にその傾向が甚だしいが、歌数が少ないおかげでさほど退屈せずにすむ。
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『続後拾遺和歌集(正保四年版本)』嘉元々年後宇多院に百首歌奉ける時、春雪 民部卿為藤
吹きまよふ礒山あらし春さえて沖つ潮あひに淡雪ぞふる(16)
野春雨をよめる 藤原隆祐朝臣
滝のうへの浅野の原の浅みどり空にかすみて春雨ぞふる(61)
花満山河といふ事を 光明峰寺入道前摂政左大臣
よしの河岩もと桜さきにけり峰よりつづく花のしら波(72)
花時心不静といへることを 和泉式部
長閑なる折こそなけれ花を思ふ心のうちに風はふかねど(93)
羇中花を 後西園寺入道前太政大臣
風かをる雲にやどとふゆふは山花こそ春のとまりなりけれ(98)
花の歌の中に 西行法師
よし野山梢の花を見し日より心は身にもそはずなりにき(101)
みこの宮と申しける時、花の歌とてよませ給ひける
伏見院御製
木の本にながめなれても年ふりぬ春のみ山の花のしら雪(125)
題しらず 後京極摂政前太政大臣
又もこん花にくらせるふる郷の木のまの月に風かをるなり(129)
正治二年百首歌たてまつりける時 前中納言定家
花の香のかすめる月にあくがれて夢もさだかに見えぬ比かな(130)
春の歌の中に 能宣朝臣
花ちらばおきつつもみん常よりもさやけく照らせ春の夜の月(132)
三月尽鶯といふことをよめる 藤原信実朝臣
けふのみとおもふか春の古郷に花の跡とふうぐひすのこゑ(154)
題しらず 読人しらず
信濃なるすがのあら野の時鳥鳴く声きけは時過ぎにけり(230)
六月祓をよませ給うける 新院御製
みそぎ河ながれてはやく過ぐる日のけふみなづきは夜も更けにけり(239)
薄をよませ給うける 後二条院御製
しら露のをかべの薄はつ尾花ほのかになびく時はきにけり(270)
題しらず 中納言家持
雲の上に雁ぞ鳴くなる我がやどの浅茅もいまだ紅葉あへなくに(307)
月出山といふことを 伏見院御製
雲はらふ嵐の空は嶺はれて松の陰なる山のはの月(319)
秋の歌の中に 亀山院御製
おしなべて月やひとへにやどるらん花の千種の秋の白露(346)
建仁元年五十首歌奉りける時 後京極摂政前太政大臣
さむしろにひとり寝待の夜はの月しき忍ぶべき秋の空かは(353)
題しらず 人麿
木の間よりうつろふ月の影をしみ立ちやすらふにさ夜更にけり(357)
暮秋の心を 前大納言為家
とまらじな雲のはたてにしたふとも天つ空なる秋のわかれは(406)
題しらず 参議雅経
雲かかる深山にふかき槙の戸の明けぬ暮れぬと時雨をぞきく(416)
題しらず 二条院讃岐
なにはがた汀の葦は霜がれてなだの捨舟あらはれにけり(444)
霜寒き難波のあしの冬枯に風もたまらぬこやの八重ぶき(445)
題しらず 人麿
湊辺氷と云ふことを 法橋顕昭
船出する
亭子院の歌合に、子日松 紀友則
片恋をするがのふじの山よりも我がむねの火のまづももゆるか(507)
洞院摂政家百首歌に、忍恋 前中納言定家
うへしげる垣ねがくれの
題しらず 坂上郎女
夏の野のしげみにさける姫ゆりのしられぬ恋は苦しき物を(633)
正治百首歌奉りける時 仁和寺二品法親王守覚
恋ひ死なば又も此の世にめぐりきて二たび君をよそにだにみん(727)
題しらず 順徳院御製
明日も又おなじ夕べの空やみんうきにたへたる心ながさは(805)
百首歌の中に 式子内親王
待ちいでていかにながめむ忘るなといひしばかりのあり明の月(898)
嘉元百首歌たてまつりける時、忘恋 二品法親王覚助
しひて猶したふににたる涙かな我も忘れんとおもふ夕を(928)
千五百番歌合に 皇太后宮大夫俊成女
夏衣うすくや人のなりぬらん空蝉のねにぬるる袖かな(952)
題しらず 二条院讃岐
咲きそめてわが世にちらぬ花ならばあかぬ心の程はみてまし(999)
題しらず 土御門院御製
しづかなる心のうちも久堅の空にくまなき月やしるらん(1056)
ながめつつ思ひし事の数々にむなしき空の秋の夜の月(1057)
うき世をもなぐさめながらいかなれば物悲しかる秋の夜の月(1058)
文永八年白河殿にて、人々題をさぐりて歌つかうまつりけるついでに
後嵯峨院御製
中々に人より物をなげくかな世を思ふ身の心づくしは(1142)
懐旧の心を 前大納言為家
さても猶ふるの社のみしめ縄あはれむかしをかけて恋ひつつ(1146)
北山の家にて十首歌よみ侍けるに、月前述懐
後西園寺入道前太政大臣
思へただかかる山路の月みてもうき世の
やまふにわづらひけるが、すこしをこたりて侍りければ、そのよし人につけたる文を後に見いでて、つねならぬ世のさだめなさも今更に思ひしられてよめる
仁和寺二品法親王守覚
まよふべき闇をばしらではかなくも霧の絶えまと思ひけるかな(1213)
往事似夢といふ事を 為道朝臣
はかなくも今をうつつとたのむかな過ぎにしかたの夢にならはで(1227)
題しらず 源重之
水の面にうきたるあわを吹く風のともに我が身も消えやしなまし(1230)
西行法師すすめてよませ侍りける百首歌中に 前中納言定家
世の中はただ影やどすます鏡見るをありともたのむべきかは(1273)
題しらず 源空上人
我がこころ池水にこそ似たりけれにごりすむことさだめなくして(1315)
太神宮によみて奉りける百首歌の中に 皇太后宮大夫俊成
かけまくもかしこき豊の宮柱なほき心はそらにしるらん(1316)