Travel    VOL.10

ドーム Gallery TOPへ ひ ろ し ま【bQ】       
         HIROSHIMA 【bQ】           

簡単にシャワーを浴びて 窓から外を見る
高い位置から見る平和通りは 広く美しい カメラを持って外に出た 
夕暮れの並木道をゆっくりと歩く 平和記念公園に着いた 夕日に照らされた原爆ドームの むき出しの鉄骨は紅く染まっていた

“原爆の子”(*注)“祈りの像”“平和の塔” たくさんの像が建っている
その周りには夥しい数の折り鶴がうずたかく置かれていた
一つ一つに込められた祈りが伝わってきて 
薄暗くなった夕景に 鮮やかな色彩のそれは強烈な印象だ 
明るさを増した平和の灯 その向こうに 市民球場がある ナイター(プロ野球)の照明灯が眩い  連れだって散歩する人達 
リュックを背負った外国の人達も目立つ 昼間とはまた違って 僅かに明るさの残る空をバックに静かに建つ 数々の彫像や
ドームの印象が胸に迫る 暫しベンチでこの光景に浸る 

何故か頭の中で半世紀前を追っていた
1945年3月10日未明 東京浅草は炎の海だった 
実際のそれは知る由もないが 父や兄から幾度も話は聞いている
燃えさかる炎に追われ 家を捨て隅田川畔の公園を目指して逃げた  そこには恐らく数千の人達が居た 
そこへ火の粉を伴った強風が襲う 持ち物に火が移り バタバタと命を絶たれる 追われて逃げた人達は
隅田川に飛び込む 寒さと衰弱でやがてそこでも命を絶たれる “地獄絵” 
父と長兄は累々とした屍を越えて 九死に一生を得た

ふっと目を空に向けると もうすっかり暗くなっていた  平和通りを急ぎ足でホテルへ
ベッドに臥せて 戦争 平和を考える 
頭の中は堂々巡り 疲れた体はなかなか寝付けない

2日目は6時30分に目覚めた 窓の外はすごい雨だった
今晩のルームリザーブをフロントに電話したら 空室がないと言われる  ホテルガイドを繰って何軒か電話して他のホテルを
確保した  明日は神戸に行って震災後の街を見ようと決めていたので 序でに明日の神戸のホテルも電話でリザーブした

バイキングの朝食を階下のレストランで詰め込み 広島駅に向かう
JRの緑の窓口で明日の広島11:18発 新神戸13:00着のチケットを買う  荷物を駅に置いて路面電車に乗った 
市内を低廉な料金で縦横に走るこの電車  都心の移動手段として最近各地で見直されているようだ
電車を降りてドームに向かう  土砂降りの雨で行き交う人はまばらだ

降り注ぐ雨の如く今も人間社会には紛争の種は後を絶たない
そしてそこに 核所有の 軍事力保有の論理が声高に語られる
寂しげにドームが雨の中でたった一人 必死に「平和」を叫んでるように見えた

再び平和記念資料館に入った  館内を歩いて胸が苦しくなってくる  これが戦争 これが戦争の現実
人は簡単に“地獄のような”と形容をするけれど ……

         コレガ人間ナノデス    
         原子爆弾ニ依ル変化ヲゴランクダサイ
         肉体ガ恐ロシク膨張シ   ドーム
         男モ女モスベテ1ッノ型ニカエル
         オオソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
         爛レタ顔ノムクンダ口カラ洩レテ来ルノハ
         「助ケテ下サイ」
         コレガ  コレガ人間ナノデス
         人間ノ顔ナノデス

      「夏の花」 原 民喜(1905〜51)著

1945年8月6日 戦況は限りなく終息に近づいていた  その中で広島 長崎が……
これだけは言える 絶対に言える 
『戦争ではなにも解決しない』 取り返し得ない惨状と憎悪と だけが残って……

通路にTVモニターが置かれている ボタンを押すと画面で被爆者の方が 被爆体験を話される 
外国人が熱心に画面を見つめてる(英文のテロップが出る)  その横のテーブルにノートが2冊置かれてあった 
署名用と感想文用と
もっとたくさんノートを置いてたくさんの人に書いて貰えばいいのにな〜
その一冊に「それでも やはり日本が悪い」と たどたどしい文字で書かれてあった

“国境も 武器も 宗教もみんな人が作った  
そして それが争いになった  
戦争が 戦争がみんな悪い  
でも  
救いはある  
人には 英知がある 愛がある”
と私はノートに記した

“広島”“長崎”はもう半世紀を過ぎた 若人には歴史の1ページになってきた
被爆体験者に聞く会でヤジを飛ばす高校生もいるとの報道もある  人類はこの半世紀いかほどの前進をなし得たか
地球上の至る所で紛争は絶えることがない  核は相当量現存する  決して広島 長崎は終わっていない 
古い過去ではない
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  LennonImagineの一節
     ☆☆Imagine☆☆  by John Lennon
       
       Imagine there`s no countries
       It isn`t hard to do
       Nothing to kill or die for
       And no religion too
                          Imagine all the people
                          Living life in peace yuhuh
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雨の中 気を取り直して1時間ほど路面電車に乗って 宮島に出た 宮島口から船で渡る 
雨に濡れて紅の伽藍は美しかった 海中の鳥居は干潮時で根本まで露わにしている
1168年清盛が造営し 1500年半ば自身達の戦で荒らしたこの社を 元就が再建した 
1996年12月世界遺産に指定されたこの一帯の建造物  能楽堂が一際風情があって印象的だった

ホテルに戻り疲れた体と頭をバスタブに浸かりながら癒す 明日は神戸だ TVニュースを見ながら深い眠りに就いた

3日目の朝も早く起きた 朝食を済ませ そうそうに街に出る この街のタクシーのスピードは東京よりすごいなと今日も感じる
広島を後にして乗った新幹線は兎に角トンネルが多い
昼過ぎ定刻に列車は新神戸に着いた 
地下鉄で三宮に この街の喧噪は想像以上だ  大震災の痕は一見何処にも見あたらない
きつい北野坂を上る 異人館街を急ぎ足でまわる 眼下に神戸の街が見渡せた
ポートライナー(新交通)を降りたところは埋め立てで出来た街 仮設住宅が並ぶ一角があった 
未だ余儀なくここに居住されている方々…… やはりあの大災害は終わっていなかった
夜のとばりに追われるように 不案内な神戸の繁華街をホテルに向かう

4日間の旅は終わった 思い立つままカメラを持っただけの例に漏れず不勉強な旅
ただヒロシマ 阪神淡路大震災と言う重いものを念頭に置いた今回の旅 思うことはいろいろあった

核のない 戦争のない 争いのない 災害のない世界は夢なのだろうか……
                                                          h.o
(*注)12才で散った少女サダコ “原爆の子”の像は彼女がモデル 彼女が折った鶴が
     資料館に飾られている

     『990まで折った折り鶴 1,000まで後10を残して散った少女』今 世界中で
     「サダコストーリー」として
学校の教材にもなっている
     8月6日21:30〜からNHKで[サダコ](佐々木禎子)を描いた番組が放映されるようだ 
                      
                             ヒロシマ bPへ                                     
         Gallery VOL.14 ヒロシマをご参照下さい                                                                   
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