Travel    VOL.8                          

  浅草 三社祭

ウエイトレス

教室の中は 朝からざわざわしてる
笛や太鼓の音が 教室内にも軽やかに聞こえてくる
今日は昼で授業が打ち切り そう夏祭り(三社祭)
(今は三社祭りは土・日曜 でも当時はそうではなかった)
走って家に帰り ランドセルを放り出しハッピに着替えて 小さな 
でも重い御輿を懸命に担いだ

もうあれから何年になるだろう 
  今日久しぶりに浅草に出た うわ〜凄い人!!
東京の3大祭りとは言え 凄い!

今日(5/16)だけで100万人の人出とか……


    
朝6時に3輿(一之宮 二之宮 三之宮)の御輿が 浅草神社から出陣(宮出し)

各町を三つのルートで巡行(御輿渡御)し 夜8時頃神社に戻る(宮入り) 各町の担ぎ手が順番に 
リレーして渡御を行う



浅草寺(観音さま)と浅草神社の由来を………


西暦628年 漁師の檜前浜成(ひのくまのはまなり) 檜前竹成(ひのくまのたけなり)の兄弟が
隅田川(当時は宮戸川と呼んだ)で 漁をしていた その日は不漁で 魚は一匹も網にかからなかったが 
金色の像の様なものがか かった 何度水中に投げ捨てても 網にかかってくる 仕方なくその像を持ち帰り
当時の識者 土師眞中知(はじのまつちのなかとも)に見せた
中知は「これは聖観世音菩薩の尊像であり ありがたい仏様の像である」と 言った
そこで浜成と竹成兄弟は 不漁では暮らしに困るので 「どうか魚が採れますように」とその像に祈った
すると翌日は大漁になり 喜んだ中成は自宅内に堂を設けてその観音像を 祀った
これが浅草寺の起こりと言われている
浅草神社
後に中知と浜成・竹成兄弟の子孫がこの三人を神様として祀ったのが 
「三社 権現社」 つまり今の浅草神社 

浅草神社は「三社様」と親しまれ 浅草神社の例大祭が
「三社祭」と呼ばれている

本社御輿が一之宮 二之宮 三之宮とある所以である 

毎年五月の半ばの土・日曜に行われる大祭は年々人出が多くなっている
各町内の100を越える御輿は土曜日の朝浅草神社に勢揃いし 各町に繰り出 す
日曜日は本社の3輿と町内御輿が 一斉に繰り出し浅草の町は熱気にくるまれ る
御輿を中心に それを取り巻く大勢の人達の渦が不思議な一体感を醸し出して いた
そしてその渦が浅草の町のあちこちで同時発生している
この日ばかりは浅草の町全体が大きな一体感にくるまられていた
チビちゃん

今日もチビちゃんが小さな御輿を 引きずるように担いていた
汗を流すその幼い顔を見ながら 
過ぎ去った日を懐かしく想い出していた

老若男女 誰もが理屈なしに煌びやかな御輿の舞に酔い

日頃の… 人生の…憂さを忘れ 数万の観衆を巻き込んで
浅草は夜の更けるまで弾けんばかりの熱気に溢れていた            
h.o

      

  



                Gallery VOL.10をご参照下さい          

                                            
                                                                            

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