ブラックショールズ式

最近の社会現象につき、グリーンウッド氏かっての職場仲間をメンバーとする非公開のラウンドテーブル21(一種の掲示板)に投稿した雑感と対話録項羽と劉邦のつづきです。


ブラックショールズ式

グリーンウッドさん、

ミシェル・アルベールを引用したのは、最近学会でリアルオプションの研究発表をしたのですが、どうもリアルオプションの基本的な前提が、株主が企業を商品のように売買すると言うことだと思うようになりました。すなわち、株の時価が企業の業績に直接リンクしているということです。

したがって、企業を商品のように売買しないわが国では、リアルオプションを機械的に適用できないのではないかと思い始めました。これが研究テーマにならないかと考えています。ブラックショールズ式を数学的にいじくり回して、これが研究だとばかりにひけらかす連中の鼻をあかしてやりたいと思っていますが、どうなりますかね。

ミシェル・アルベールのいう「従業員云々は」、わが国では従業員がいわゆる重役になるのは当然と思っているのを、「おかしい」と思わなければならないと思って、共感を覚えました。また「銀行云々」は経済性評価指数として、未だに回収期間を使っているのは、銀行的発想だと思って、これも共感を覚えたわけです。

パイントリー

 



Re:ブラックショールズ式

パイントリーさん、

ブラックショールズ式を使う株式投資のリスク分散のためのポートフォリオ・セレクション理論は株価のブラウン運動・・・すなわちウィナー過程・・・ウィナー過程を一般化した伊藤過程の動きの部分を消去したブラック・ショールズ偏微分方程式をフーリエ積分展開で解いて派生証券(=コールオプション)の価格評価公式を求めるもので、簡単に言えば分散投資でリスク分散するというだけのこと。ブラウン運動以上の巨大な波がくる時には何の役にもたたないと理解してます。リアル・オプションも「不確実性下で不可逆な意思決定を行う経済主体がその決定を先延ばしにできる自由度の価値」といっているので同じようなものと理解してます。経済の安定期にはロイズの保険と同じで不可知のリスクには対応できるので、そのうな意味では有効な手法なんでしょう。保険だって、地震特約しなければ免責になるのと同じです。

ブラックショールズ式を考案してノーベル賞をもたった人を重役にした投資会社ロングターム・キャピタルとかいいましたか?はロシアの金融クライシスのとき、集中的に入れ込みすぎて倒産して市場からきえましたよね。わたしはロングターム・キャピタルのような不祥事は傍流で、アングロサクソン型の本流だとは思っていません。日本ではアングロサクソン型資本主義悪者論の論拠としてよく引き合いにだされますが、ご本家ではとっくにローカルな問題であったと決着がついているのではないでしょうか。

わが国では従業員がいわゆる重役になるのは当然と思っているのを、「おかしい」と思わなければならないというのは同感です。私は先の雑感にそのような見解をを書きつづったつもりです。

パイントリーさんがおっしゃるように銀行がある企業の将来性を評価する場合、特にそれが今まで世に存在しなかったようなイノベーションに関わる先行投資の場合、現在価値法などの評価式では出来ないでしょう。将来を洞察するといことはもっとも難しい問題で、私はある業界で成功した人がその業界の将来についての見識と眼力を最も持っているおもうとともに、その成功体験がかえって判断を間違わせるともおもいます。しかしやはり成功した人が自分の成功体験を学習棄却した先にある可能性に、自分では消費しきれない余剰金を投資するいわゆるベンチャーキャピタリストになるのがもっとも成功の確率の高い、無駄のない方法ではないでしょうか。日本では中小企業のオヤジは成功すれば金を手にすることができて問題ありませんし、大成功して小企業を大企業にそだてた方も沢山おりますが、大企業で成功した人は薄給と源泉徴収で大金持ちになりませんので、素人の銀行が投資を代行して失敗するのは当然だとおもいます。この点では成功した米企業のリーダーが大金持ちとなって次世代の企業に投資している米国式資本主義には日本のニセ資本主義では勝てないなと思うものです。これに関してはわたしはイノベーションの生じる環境で詳しく考察しましたのでこれくらいにしておきます。

グリーンウッド



シュレ−ディンガー方程式による経済モデル

パイントリーさん、

今日、森永晴彦氏が拙宅に尋ねてこられました。太陽の熱は核融合によるとしてノーベル賞をもらったハンス・べーテ(95才)の秘書と本郷で久しぶりにあうためにでかけたついでで途中下車されたのです。この森永氏から量子力学会の仲間の昔話をうかがっているいるうちにフト思ったのですが、ブラックショールズ式などの遍微分方程式は熱伝導方程式型であり、線系モデルではないかと。もしそうなら、量子論に基くシュレーディンガーの波動方程式を経済現象に適用すれば、ロシアやアジアの大きな金融危機も記述できるのではということです。

ヒントは先日見たBBC番組です。

それによると原因不明の海難事故が発生するたびに船乗りが25-30mにも達する気まぐれ波が存在すると報告しても、誇大な話だとされてきた。線系モデルによる波浪の予測によれば30mにも達する波は1万年に1回位しか発生しないはずでだからである。

トリノ大学のアリ・オズボーン教授は量子力学のシュレ−ディンガーの波動方程式を使えば、気まぐれ波(Freak Wave)がもっと頻繁に発生すると考えたが、これを実証する生データがなかった。ところが北海の石油生産プラットホームに設置したレーザー波高測定器が25mの波高を観測した。この波の波形はシュレ−ディンガー方程式の計算値と完全に一致した。気まぐれ波は前後の波からエネルギーを吸収するため、前後の波の波高は低くなるの特徴があったのである。人口衛星による波形撮影データを解析してこのような気まぐれ波はもっと頻度高く発生していることも確認できた。現在の船は線系モデルが予測する波高から予測される15ton/m2の衝撃に耐えるように設計されているだけである。30mの気まぐれ波の衝撃は100ton/m2に達し、このような衝撃に耐える船を経済的に建造することは至難のワザである。というものでした。

グリーンウッド

 

 

Re:シュレ−ディンガー方程式による経済モデル

グリーンウッドさん、

「量子論のシュレーディンガーの波動方程式を経済現象に適用すればロシアやアジアの大きな金融危機も記述できるのでは」ということに関しては難しくて、反論できませんが。あてずっぽで可能性があると思います。

最近、青木正直教授が、統計力学を応用して、ミクロ経済学とマクロ経済学とを繋ぐことに成功したと新聞に解説されていましたしね。でも、依然として、ブラック・ショールズ公式などの実際的でない厳密な前提を考えると、本当に適用する意味があるのかと疑いたくなります。
 
パイントリー

 

日本の農業改革

皆様、

きょうは投票日で結果はどうでるか大変興味のあるところですが、日頃、日本の農業改革について考えていることを述べて皆様のご批判を仰ぎたいとおもいます。

WTOの話し合いが頓挫し、いま世界は相互にFTA(自由貿易協定)等をむすんで貿易促進をはかって生き残ろうとしていますが、日本の農業保護政策のために、合意はならず、製造業を苦境に追い込んでます。農業は食料確保のため重要ですが、そのために競争力の高い製造業を犠牲にすれば、国が立ち行かなくなるのはあたりまえ。我々の世代の戦後の大きな人口移動の結果、農業従事者は減り、都市住民が主力になってます。しかし自民党はマッカーサーの農地解放令で自作農になった農村を基盤をしているため、農業を切り捨てることもできません。サラリーマンに支持される民主党の天下になれば、世の中変わるとおもうのですか、国民の選択はどうなるでしょうか。

明治政府が武士階級を切り捨て、地主階級が明治政府と大正と昭和初期の政府を支えたのですが、戦後は結局サラリーマンが国を支えたといってよいでしょう。でもなぜかサラリーマンを代表する政府は出来ておりません。

私は少なくとも戦国時代に檀家だった勝善寺が武田と上杉の戦火で焼け落ち、江戸時代に年貢を軽くしてくれと直訴して斬首刑になった義民助弥の生家の三軒隣という信州は高田の庄にずっと住み着いたことがわかっている自作農の出身です。しかしご先祖の残してくれた1町五反の農地では食えないと、親父の代で地元のサラリーマンになり、長子の私は大都会に出てサラリーマンになったわけです。女房の祖父は200町歩を所有する大地主でした。しかし乳母に育てられた義父は次男坊のため、東京の自宅を買う資金を出してもらっただけとか。広大な土地を相続した長子も結局マッカーサーの農地解放令で全てを失い、わずかのの保証金も戦後のインフレで紙切れになったようです。その息子は法学部教授として生計をたてていました。

デビッド・S・ランデス著の「強国論」を読んだ時、ヨーロッパの発展は所有権概念の確立がベースとなったとの説を読み、日本の土地所有権の歴史はどうであったかと興味を持って鎌倉図書館より財団法人土地総合研究所が編纂した「日本の土地」を借りてきて調べてみました。それによると:


「弥生時代に農耕生活がはじまった時点では土地は村落共同体の総有であった。7世紀中期の大化の改新で班田収受制が導入される。豪族・貴族の開墾した土地は一朝にして公収された。9世紀以降は荘園制に移行しはじめ、鎌倉幕府以後の中世、12-13世紀に荘園制が確立した。土地所有の階層序列が身分の上下の徴表とされ、権力闘争は土地を媒介として展開された。

秀吉検地により兵農分離が図られ、近世国家では将軍により領有権(徴税、行政、裁判の公法的諸権)を保証された大名などの領主のもとに百姓が土地を耕作し、年貢を納めるという一地一作制(本百姓制)が確立した。ここに土地私有制が確立したといっていい。しかし寛文期(1661-1672)ころよりの目覚しい貨幣経済の発達により、武家の窮乏、農民層の分解と農村の荒廃が生じた。

明治元年、太政官布告で耕作地主の土地は百姓所有たるべしと宣し、明治8年には幕藩領主的土地所有は完全に解体し、自由かつ私的近代的土地所有制度が法的には確立した。しかし明治15年の松方デフレで地主・小作間の封建的身分隷属関係に拍車がかかった。(Memo Serial No.759)第二次大戦後マッカーサーによる土地開放でようやく近代的土地私有制度が確立したといえる 」

ということのようです。マッカーサーの農地解放令は近代化革命のための必要不可欠な改革でした。しかし零細自作農が多量に発生したことと、工業化に伴い、より収入の良い機会を求め、若者は農業をすて都会に出ましたので、農業は生産性の低いままとどまっています。効率向上のためには、後継者の居ない土地所有者が土地を直接投資する株式会社を作り、専門の経営者と労働者に任せる仕組みにすれば、効果が出るとおもうのですが、政府はそのような仕組みを受け入れる法体系を作ることには拒絶反応をしめしているそうです。そしてこりもせず、海外競合製品から零細で生産性の低い自国農業製品の保護をはかるために、各種障害をもうけようと躍起になるばかりです。農水省の役人はStupid/Lazyだとしかおもえません。国土交通省の役人も道路工事などで、食えない農民の職場を作ってやろうとして無駄な道路ばかり作ってます。Stupid(愚か)/Industriousなだけですね。


そろそろ大きな政策転換をはからければならないと思うのですが、どの政党のマニフェストを読んでもこのようなことは書いてありません。国内の討議が少なすぎるためとおもいますがいかがなものでしょうか 。

グリーンウッド

 

 

Re:日本の農業改革

グリーンウッドさん、

昔は郷里が失業者のバッファーになっていたと思います。老人パワーが都会を離れて、晴耕雨読ができるような、農林業・農村を作れないでしょうかね。農業といえどもグローバルに競争可能でなければならないのはもちろんですが、農業問題は平地と高地に分けて考えるべきだと思います。生産性を考えると、農業も株式会社体制にすべきだと思いますが、ただ高地は税金を使ってでも環境保持のための林業・農業を考えるべきだと思います。

最後の最も重要な問題は「土地問題」です。土地買収にばかばかしいお金が使われ、一部の人達だけが金儲けをするというのは、時間をかけて徐々に変えていかなければいけないと思います。この問題を解決しない限り、真の先進国にもなれないし、観光立国もできないと思います。

パイントリー

 

 

老人が都会を離れて、晴耕雨読する環境

パイントリーさん、

サラリーマンを引退して、都会の高価な自宅を売り払い、その金で田舎に広大な土地を買い、自分好みの家を建てて優雅な生活を送っている人がよくテレビで紹介されてますので、 パイントリーさんでもわけなく今即、実施可能です。親戚のある人は東京の家を売った金で中軽井沢に350坪の土地付きの中古の別荘を格安で買いました。東京の自宅を処分すれば、これを3っ位買える金額です。不景気でそれくらい別荘の価格は下がっております。これから景気が上向けば下げ止まるのではとも思いますが。

ヨット雑誌を見ていると東京近辺はヨットハーバーが高いので三重県の五ヶ所湾や尾鷲湾などの水辺に家を建てクルーザー横付けの余生を送っている元サラリーマンも沢山おります。今お付き合いしている78歳のMさんは大学教授を引退後、伊豆に引退して釣り三昧です。千葉の自宅を売り払って資金を作ったとおっしゃってました。ドイツにもアチラで生活していたときのアパートを持っていて毎年、25年間培った友人と付き合うために毎年1ヶ月は向こうにゆき、友人宅を渡り歩くような生活をしてます。

インターネットのおかげで友人とは連絡できるので多少環境は良くなっているかもしれませんが、都会を離れて田舎に引き込む唯一の欠点は友人との交際の継続ができなくなることと、都会の文化的なインフラを利用できなくなることです。それがいやでなければ老人が都会を離れて、晴耕雨読するチャンスは今が一番と思います。

私も日本を脱出してどこかの水辺で船三昧の生活を夢見たこともありますが、連れ合いが友人を捨てられず、私も大都市の魅力を捨て去るほど吹っ切れておりません。親戚の人も広大な家の中でネズミに引かれそうでさみしがっているので時々慰めにいって晴耕雨読の生活を楽しむとか、色々と変化に富む方がよいかと。

農業問題と景観上の環境問題については私はかなり明確な考えをもっていて、森林考続森林考にまとめたように以前、西野さんとだいぶディスカッションしました。水田の美しさは否定するものではありませんが、これを景観のために税金をつかって維持するのはとても出来ないことだと思っています。食の多様化のために日本人が米を食べるのはかっての半分になったそうです。これを景観の維持のために昔のレベルまで回復維持するというのは、国家財政を破綻させるくらいのコストがかかります。日本の水田は莫大な国家予算を使って一枚当たりの水田の規模を大きくしましたが、起伏の激しい地形のため依然、機械化には向かない規模です。私は稲作農家に生まれで子ども時代に実際に水田維持の重労働を手伝った経験からいっていることです。アジア移民を受け入れない限り、そのような労働力はすでに日本に存在していないないとおもいます。バイカーだけが知っている話ですが、群馬県の利根川沿いの水田は減反政策で稲作を禁止されて、原野に返すのも心もとないと地元の農家は自腹をきって一面のコスモス畑にしていてとてもきれいです。しかしいつまで継続できるのかとおもいました。

水田の美しさと皆様がおっしゃいますが、私が北海道をバイク旅行した時、旭川から美瑛町の緩やかに波打つ畑の景観を見ながら通過し、深山峠を越えて皆様が絶賛する富良野盆地に入りました。しかしその景観をみてがっかりしたことを思い出しまします。富良野盆地は寒冷な北海道に熱帯の植物を押し付けるために無理して開拓した水田地帯なのです。その無理が私には見えてしまいました。私は美幌の自然の地形を残した畑作地帯のドライな風景の方がよほど自然で美しくみえました。

というわけで、私は水田が放棄されて原野に帰って行く過程は醜いが、安定期にはいれば、自然はその美しさを自ずから回復すると確信してます。これも毎月Wakwak山歩会の仲間と深山・幽谷に分け入り得た実感です。といっても都市近郊の公園はむしろ徹底的に人為的に作りこむことはすべきという意見です。

グリーンウッド

 

 

ロンドンの街並みと長野松本市の街並み

皆さん、

ヨーロッパの都市「はりんごの都市」、日本の都市は「ぶどうの都市」というキャッチフレーズに引かれて、上田篤、「都市と日本人」、岩波新書を買いました。この本に、ロンドンは、高い建築物は多くはないけれど、それでもあちこちにビルやマンションが建っている。「よくも高い建築物に隠されずにセント・ポール大聖堂が見えるものだ」と感心した。しかしそれは早計だった。じつは、このプリムスローズ・ヒルからセント・ポール大聖堂がよく見えるように、ロンドン市が、その間の建物の高さ制限を行っていた結果だったのである。それを「セント・ポール・ハイト」などという。

やはり、「英国は素晴らしい」と、後進国日本という劣等感に襲われていたところ、次の記述に出会いました。

長野県松本市では、城の廻りの建物の高さを15−20メートル以下に規制する高度地区を設定して、北アルプスの山々の眺望を保存している。水と、緑と、グレイの屋根瓦や石垣と、白い漆喰壁や渋い板垣の向こうに、雪をいただいた青く霞む北アルプスを望む景観は、日本的都市の原風景といっていいものである。

へエー日本も捨てたものでない、いやこれは長野特有の先進性かな、と感心しました。でも「高度地区」というのは如何にもお役所的で、せめて「北アルプス地区」とでもいってくれたらよかったのに、珠に傷というとこですかね。

感激の余り、皆さんに紹介しました。

パイントリー

 

Re:ロンドンの街並みと長野松本市の街並み

パイントリーさん、

いい話ありがとうございます。セント・ポール・ハイトは知りませんでした。そういえばたしかにセント・ポールはどこからもよくみえますね。

松本市は白い漆喰壁を市のイメージにしようという戦略があるのか姉妹都市の藤沢市が最近江ノ島に開園したサミュエル・コックス園に白い漆喰がはえる海鼠壁の土蔵を寄贈してます。なぜと思ったのですが見えてきました。皆がxxxで知ってる松本市ですか。なかなか知恵者のやることですね。

「りんご」と「ぶどう」の差はどういうものだか説明がありませんのでいろいろ想像してます。

グリーンウッド

 

 

「リンゴ」と「ブトウ」

グリーンウッドさん、

伝統的なヨーロッパの都市は、廻りに城壁があって中心に広場と教会がある。いわば、「リンゴの都市」である。つまり芯があって、種があって、果肉があって、そして皮がある同心的な都市だからだ。それは、ヨーロッパに限らず、中東でも、中国でも都市の一般的な姿である。

ところが、武士の都である半面、商工業都市でもあった江戸を称して「八百八町」というように、それは「小都市」の集合体、いわば「ブドウの都市」なのだ。それぞれのブドウの粒に鎮守の森という種があり、それぞれのブドウの種の「靭帯」に祭りがあった。江戸は、日本を代表する「ブドウの都市」だったのである。

西アジアから北アフリカにかけての中東の地域は、大平原に諸民族が交差する、という軍事的な意味合いから、同心円的な都市が発達した。今日、この地域はイスラム教が支配的だが、そのイスラム都市では、いまも都市の中心にきらびやかなモスクが宮殿と並び立っている。ヨーロッパの都市の宗教は、いうまでもなくキリスト教である。その空間的特色は、いずれも町の中心に広場があり、その広場に面して教会が厳然と建っていることだ

京の町では、応仁の乱後、京の商工業者、とりわけ土倉といわれた金融業を営む商人たちを中心に「惣町(そうまち)」つまり土地家屋所有者である地域住民が全員参加する自治的共同体がつくられた。彼らは多く現利益を説く法華宗徒であったり、八坂神社などの氏子、つまり祭祀集団であったりした。しかし、信長が二条城を焼き払うために上京の町組に火をかけたため、上京五組は一物も残さず焼け野原と化してしまった。それ以降、町民は武士に服し、自治的共同体としての性格を次第に失っていった。それでも、江戸時代には、なお町は防犯、防災、協働生活管理、町内紛争を行い半自治的共同体としていきつづけた。

英国のニュータウンは、日本の住宅都市整備公団とよく似た半官半民の公社が経営している。ところが、そのタウンセンターのなかに、商業地区と向かい合って、厳然とした教会が立っている。しかも、その隣にはニュータウンの管理センター消防署などがあり、廻りには大駐車場まである。なお、ニュータウンを主導したのはイギリス労働党であた。

なお、大坂のある住宅団地で、住民が「子供たちのために地蔵をおきたい」と陳情して公共団体から拒否された事件が少し前にあった。ところがイギリスのニュータウンにあるのは、そんな「野の仏」なんぞではない、れっきとした教会という列記な宗教施設なのである。

別の話になりますが、私が某社向けのプロポーザルに、「法律を守ることはもちろんのこと、理念的に優れたレイアウトにする」と書いたことがあります。すると、「この理念的に優れたたというのはどういうことか」と創業経営者の一人、Kさんに聞かれました。この時、何を答えたかすっかり忘れてしまいしたが、あっ「Kさんは法律にあっていればいい」と考えているのだと思いました。今考えると、これは、もしかするとKさんだけでなく、金時計組的発想だったか?と思い始めました。生活の厳しい時代だった戦後の大部分の役人は、ひたすら生活を賭けて法律に忠実にということしか考えなかったのでは?法律より大事な理念を忘れて「進駐軍に唯々諾々と従い、省益を守ることに汲々としていた、あるいはまだ引き続きそうしているのでは?

パイントリー

 

 

Re:「リンゴ」と「ブトウ」

パイントリーさん、

わかりました。多分ブドウは日本だとは思ったのですが、リンゴの皮が城壁だとは思いつきませんでした。昔「バンコック探検」という娘の本を読んでバンコックの交通事情の悪さはバンコックの町がチャオプラタ河とその支流と運河から発達してきたため、道路構造がツリー構造で網目のようになっていないため、ソイという行き止りの路地、それも雄大な路地が多く、幹線でしか連結していないという事情によるという見方を新鮮に感じました。町の構造が網目構造になっていないので、二次元に広がる地図を地元の人やタクシーの運転手に見せても理解できないそうです。では地元の人はどうやって道をおぼえているかというと、リニアに頭の中にはいっているのでそうです。何番目の角を右にいって三番目の角を左にゆきというアレです。日本で戦後に急に開発された住宅地もチャオプラタ河とその支流的で立派な住宅地滝の中央を立派な幹線道路があるにもかかわらず、行き止まりのクラスター状になっていて不便だと思います。七里ガ浜東など典型的ですが、よそ者が通過できないので住民はかえってよいと思っているようです。

Kさんで思い出すのは国際的な人だと思っていたのですが、モービルの人と放す様子を、見ているとやはり戦争に負けた世代だとつくづくおもいました。我々の世代はまだコンプレックスが少しのこっていて、息子の世代は外国などなにが魅力なの?関心ないなという感じです。

グリーンウッド

November 10, 2003

Rev. October 30, 2007


トップページへ