続森林考

グリーンウッド氏はかっての職場仲間をメンバーとする非公開のラウンドテーブル21(一種の掲示板)に参加して経済、環境、戦争、教育、世相などをテーマに自由な意見の交換を楽しんでおります。メンバーの一人、 にしのさん、まえじまさんと交わした環境と森、稲作、海に関する討論のグリーンウッド氏側の見方を森林考としてまとまました。本編はその続編です。


昔買った岩波新書の「中世ローマ帝国」を読み直していて面白い箇所をみつけました。 シリアの石灰岩山地の放棄されたオリーブ・プランテーションを調査したロシア人建築家のチャレンコの報告書をこの本の著者渡辺金一氏が詳しく紹介しております。

この地帯が7世紀前半に廃村になったのはバトラー・マルテンなどの考古学者が安直に唱えた「この地方の荒廃は濫伐、地味枯渇など、エコロジー的原因である」という説を退け、この地方が荒廃したのはエコロジー的原因ではなく、外部世界との流通関係が絶たれたことが原因としている。その証拠に1918年秋のローレンス率いるベドウィンの反乱が成功してから、この地方がトルコの束縛から解放され、第一次大戦後の30年間に再入植が自然発生して緑がもどったとのこと。

エコロジー的には古代も現代も大差なく、よく遺跡で発見される豪華な建物の中の大きな梁は金と交換に他の場所から持ってきたもので昔そこにあった森林のなごりではない。とのことです。私はこの説の方により説得力があると考えます。

マレーシアにしてもインドネシアにしても斜面のきつい山岳地帯をのぞき平坦な土地は、飛行機で上空を飛べばわかりますが、殆どヤシのプランテーションで覆われた一様な人工林です。(石鹸の原料)もう我が地球は人工林になってしまったわけで、これを管理してゆくには平和と通商が必要なのだなとつくづくおもいます。日本の山岳地帯は斜面が急で、手もつかず原始林として残っている世界にもまれな秘境ではないでしょうか?

「土と文明」の引用ありがとうございます。戦国時代は地味が改善し、ローマ時代のようにパックロマーナの下交易が盛んになれば、地味がかれるという見方はその通りだと思います。

日本も化学肥料がもたらされる前は広重の東海道五十三次の浮世絵に見られるごとく街道は松だらけで、徳川の世の平和のために、農業が盛んになり、結果地味が枯れていたことがわかります。今はその松も見えなくなりました。これは酸性雨や松くい虫のためというより、化学肥料や石油燃料の導入の結果、地味の収奪の時代は終焉し地味が豊かになり、松が生存競争に敗れたためと愚考してます。

土壌浸食に関してはよく農業による自然の破壊が指摘されますが、地球の長い歴史をみれば、土地の隆起と降水による侵食は農業の有無にかかわらず、恒常的にあったわけで、すべて農業の責任にするのは偏った見方だと思います。

昨日、鉢伏山山頂で山頂の松が枯れたので水源涵養のため植樹をしたので協力してほしいとの塩尻市の看板がありました。しかし私がみるところ、この界隈の山は松本平の上空を高速で移動する南東の風がモロに吹き付けるところで、そもそも松が生えているほうが不自然なところです。この荒涼とした高山植物しか生えてない草地に人々がひきつけられてきていることを役人は気がついているのか疑いました。なにかステレオタイプの典型をみたような気がしました。役人は税金の無駄使いをしているとおもいます。

ジョン・グリビン著「地球生命35億年物語」によれば8,500年前の層準から、すでにオリーブの花粉が急増しており、レバノン杉の花粉は7,750年頃から急減しており、落葉ナラの花粉は8500年頃に30%から10%に急減し、5,000年頃にはほとんど消滅しているというのは科学的な事実でしょう。しかしこれは降雨が減少したことによる自然の植生の変化によるもので、オリーブの栽培化がレバノン杉、落葉ナラ、ブナを絶滅させたという推論は原因と結果が入れ替わっているのではと思います。

丹沢のブナはいま枯れつつあり、200年後にはなくなるだろうと言われていますが、いっとき、大気汚染によるものではないかと騒がれたことがあります。専門家は乾燥化によるもので、新しい世代が育っておらず、今ある老木が枯れれば丹沢のブナは終わりだろうと言ってます。自然の摂理には抵抗せず、もののあわれを味わっておくしかないのでしょう。それにしても奥丹沢のブナの林はすばらしかったです。

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奥丹沢のブナ林

私は一般論として農業が環境を破壊したという定説を信じております。オリーブの栽培も農業ですから農業が環境を破壊したという範疇にはいります。それでも中東の森の消滅は農業もさることながら気候変動の影響の方が大きいのではと思うものです。1万年前にこの地方に気候変動があったかなかったかの論証もなしに農業だけに責任をしつけるのは充分条件を満たしていないのではないかと思うのです。

気候変化について調べてもらって恐縮してます。私も手持ちの本でなにか参考資料ないか探しましたら、昔読んだ ジェラード・ダイヤモンド著「銃・病原菌・鋼鉄」という本がでてきました。この本は気象変動についての言及は少ないのですが、ギリシアを含む地中海地方東部とメソポタミアの肥沃三日月地帯を覆っていた森は農地を広げるために開墾され建築、燃料用に伐採された。同じように西ヨーロッパ、中国でも森は開墾されたが、森は二次林または人工林として残っている。地中海地方東部と肥沃三日月地帯の森が消滅したのは降雨量が少なく、森林再生率が低かったからとしてます。

メソポタミアでは紀元前1万1,000年以前は狩猟可能な野生哺乳動物が沢山生息していた。しかし野生のガゼルの数が減少して肉の供給源を失ったが、更新世の終わりに気候が変化して肥沃三日月地帯で短時間で大きな収穫の得られる野生の穀物の自生範囲が大幅に拡大したため1万1,000年頃はこれを採集して補った。紀元8,500年頃小麦、大麦、エンドウが人類史上初めて栽培化された。なぜ小麦、大麦、エンドウであったかというと突然変異種の有用な特性を子孫に伝達できる「自殖性植物」(雌雄同体の自家受粉でありながら時々他家受粉する)であったこと、1年草で種を播いてから収穫するまでの待ち時間が短いこと、1ヘクタール当たり年間1トンの穀物が収穫できる=1キロカロリーの筋肉労働で50キロカロリーの食物エネルギーが得られること、タンパク質含有量が高いことなどの特性があったためである。

紀元前6,000年頃、この地方一円に分布していた野生種のヤギ、ヒツジ、ブタ、ウシも家畜化された。次ぎに紀元4,000年頃栽培化されたのはオリーブ、イチジク、ナツメヤシ、ザクロ、ブドウであるが、栽培化が小麦、大麦よりおくれたのは苗を植えてからすぐ収穫できないからであった。しかし挿し木または実生の苗から育成できたので栽培化にせいこうしたのである。特に挿し木は実生の不確実性を避けることができた。三番目に育成されるようになったリンゴ、ナシ、スモモ、サクランボとのこと。オーク(ナラ)が栽培されなかったのはドングリにタンニンがあり、実の収率が低かったためである。海や川でとれる魚介類が比較的乏しい地域であった。

この本の評価は高いので多分信じてもようと思いますが、この地方の森を消滅させたのは穀物栽培が主犯で、森を再生させなかったのは少雨である。オリーブは荒廃して穀物も栽培できなくなった土地にも生存できる栽培植物であって、森を消滅させた犯人ではないのではと思われます。犯罪現場に残っている人が必ずしも犯人ではないと同じように。

レバノン杉に活力剤を注入するなど美談ですが、死の床にある人にモルヒネを打つようなものでかわいそうだという気もします。仮に人類が農耕のためにレバノン杉の森を伐採しなくとも、やはりこの地方の現在の気候のためにレバノン杉の森は消滅したのではないかと感じます。むしろレバノン杉の遺伝子を後世にのこすために、この樹木に適した土地に幼木を植林するとか、もしこの土地に森が必要なら、今のこの土地の気候に合った樹木の森を再生させたらと思いますが。

間伐材利用は私の主旨ではなく、たまたまただで手に入る資源というだけで、ヒノキ・スギの植林という江戸時代から惰性で継続してきた植林ももう終焉を迎えておりますので歴史的に言えば消え行く資源でしょう。つなぎとして登山者の入浴を助けることに利用できれば石油輸入も減るので結構なことと思ってます。わたしはむしろ手を加えなくても自然再生可能な広葉樹林利用に転換することを提唱してます。ただ自然破壊でいやだという人が多いとおもいますが、一度山に行かれればやはり人間の手をいれないといけないなと思うようになると思うのですが。

増富ラジウム鉱泉から瑞牆山荘に至る本谷川沿いの狭い道は気持ちがよかったです。本来は瑞牆山に登るのが筋ですが、今回は敬遠しました。牧場尽くしとして訪問した笹ヶ峰牧場が良かった。ブナとオーク(ナラ)の大木が牧草の中に点在して高田藩時代から培ってきた高原の風景がすばらしかった。木は密集させず、間隔をとると素晴らしい樹形になります。牧場内を散策するだけで3時間、誰にも会わず3キログラムのワラビを採集してきました。森は放置してもジャングルになるだけですが、手を加えればかくも気持ちの良いところとなるかのサンプルと思いました。

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笹ヶ峰牧場

さて安田嘉憲著「森と文明の物語」のオリーブの栽培化の時期8000年前は現在を起点にしてますので紀元前6,000年ということになります。 「銃・病原菌・鋼鉄」では紀元前4,000年です。この差2,000年は栽培化前に野生のオリーブが、気候の変化で自然に増え、花粉を残したと考えても良いように思います。

「オリーブの本格的な栽培が、約5,000年前にはイスラエルからシリア地方に広く普及していたことは確実である。」と安田嘉憲著「森と文明の物語」pp52-55に書いてありますが、これは紀元前3,000年ですから 「銃・病原菌・鋼鉄」とほぼ同じことを言っているとおもいます。

V.G・カーター/T・デールの「今日のレバノンの荒廃は、たしかに山羊に帰することができる」ということばも、人間が森を再生しようと思えば、幼木の間のみヤギから保護すれば、森は再生するのでヤギに責任を押し付けるのは間違いで、人間が森の再生を望まなかったというのが正しいとおもいます。食料も恵んでくれない森より食用になるヤギとオリーブを望んだのでしょう。環境論者はどうしても結論を感傷的にもってゆくので話半分に聞く癖がついてしまいました。

笹ヶ峰は江戸時代末期に新田として開墾されたのですが、馬鈴薯の単作のため、病害で全滅し、村まで廃村になってしまいました。明治になり、牧場経営を始めたのですが、経営は安定せず、今は県営として税金で維持されています。当然牛乳生産はせず肉牛と乳牛の小牛の育種が中心です。しかし歴史があるのか、その特異な気象条件によるのか、ブナとオークの巨木と草原(外国産の牧草と日本の草原植物の混在)と独特の霧が見事なハーモニーをかもしております。

世の中の風潮は森林保護一色ですが、私は、草原保護もすべきと思っているものです。日本のように年間を通じ適度な降雨があるところでは、植生遷移は森林をめざして進行し、森林だらけになってしまします。なぜ山に登るのかという問いに「なぜならそこに山があるから」なとというかっこいい回答もありますが、わたしは山頂からの眺望が一つの回答と思います。しかし日本の山は森林限界が高く、山頂にたっても何も見えない山が多すぎます。2,000メートル未満の山でも高ボッチ山、鉢伏山、美ヶ原、車山、仙ノ倉山、平標山などは強風により森林への遷移が止められていて、素晴らしい眺望と草原、高山植物を楽しむことができて、好きな山です。

最新の学士会報に加藤真京都大学教授が「草原の残照」という一文を寄せております。彼によると1960年以降日本にあった原野が消えてなくなって、皆森になってしまった。日本列島がかって大陸と陸続きだったころ日本に到達した草原性の植物たとえば、オキナグサ、ムラサキもほぼ絶滅危惧種になり、種の多様性も失われたと嘆いております。万葉集の額田王の「あかねさす紫野行き標野行き」に描かれたムラサキを見つけることはもうむずかしいそうです。農耕牛馬の放牧、採草、屋根・俵を作るための萱場によって維持されてきた草原が農耕機械の導入で消えてしまったからだそうです。 そういえば我が家の裏にある広町緑地を昭和36年に撮影した航空写真に写っていた萱場は今はオーク(コナラ)の林になっております。

草原の維持のために私は鎌倉市に一定の区間を区切ってヤギの放牧を広町緑地で行なえと提案しようかと思いつめたこともありますが、森林維持派に白い目で見られるのを恐れて自粛したことがあります。そういう意味で私は安田氏のヒツジ放牧→森林破壊→人類の滅亡説には困ったものだと思っているのです。何事も一色に塗りつぶす時代の風潮をあおる人は自分の言動がかえって種の多様性を失わせることにもなるかもしれないということを自省してもらいたいとおもうものです。

ところで笹ヶ峰の馬鈴薯の単作の失敗は現在の食料生産が優良種のモノカルチャーによって維持されている危険性を我々に教えてくれているのではないかと思います。日本のバブルも最近の銀行の国債偏重もみなモノカルチャーの破綻です。やはり自然人間社会も多様性の維持は安全保障の面から大切と思います。

そのような観点から、私はコストを無視して(発電単価キロワット400円以上)自然エネルギー利用の自家発電、蓄電装置を自腹を切って自宅に設置しました。いわゆる分散発電の実践です。平常時は屋外の保安灯に使いますが、非常時は実効発電量・蓄電量570Wh/dayを生活に振り向けることができます。これで日本の中央集権的電力供給の脆弱性から脱しました。東電殿にはいつでも遠慮せず停電してもらってもよいと思ってます。

安田氏は森林破壊→人類の滅亡説までは言っていないとのことですが、この連想は多分イースター島問題から来ているのではないかとおもいます。イースター島問題とは西暦400年にポリネシア人が無人の島に移住、西暦1,600年に人口7,000人にまで増え、モアイ像などの巨石文化を築いたが、西暦1,722にヨーロッパ人が到達したころには人口も激減して壊滅状態であった。原因はヤシの木の伐採速度が新たに生えるより早かったためヤシの林が草原となり、それも荒れて食料も枯渇し人口を養えなくなったためといわれていわれています。最後は食人まであったということです。地球を島にたとえれば、もしかしたらという連想でしょう。イースター島の歴史はhttp://islandheritage.org/http://www.primitivism.com/easter-island.htm  http://www.pbs.org/wgbh/nova/easter/civilization/にくわしい。

しかし私は森林喪失問題より、遺伝子の多様性の喪失問題の方に恐ろしさを感じます。今日の朝日にでていましたが、20万種ある植物のうち人が食用としているのは100種程度。平均的日本人が生涯に摂取する動物タンパク源は魚を除くとニワトリ、ブタ、ウシである。これらの栽培、飼育動植物は世代を重ねるにつれ遺伝子の均一化が進み、環境対応力は弱体化する。一方ゲノムサイズ(遺伝子量)が小さいウィルスは変異がすぐ型として現われるので遺伝的に均一化された高等生物集団は絶好のエサとなる。最近経験したブラジルのカンキツ類被害がその例とか。日本のコメ栽培もモノカルチャー(単一品種の栽培)であり、病害虫、異常気象に弱くなっている。私は北朝鮮の飢餓もトウモロコシのモノカルチャーと推察されるし。高田藩による笹ヶ峰の馬鈴薯栽培の疫病による失敗もこの例と思ってます。経済性を犠牲にしても混植栽培が望ましいのですが、クライシスが発生して手遅れになるまで経済性が重視されるでしょうね。三陸の津波を同じことでしょう。今はグローバルな時代で地球規模で穀物の流通が行なわれるようになり、全人類が狭い遺伝子のセットに依存するようになってます。SARSではないですが、もし米国、オーストラリア、南米の穀物を襲うウィルス病が突然変異の結果発生すれば、人類の過半数は飢餓に陥るでしょう。日本も基本食糧生産は経済性とWTOの合意とを無視しても混植栽培により継続すべきで、イラク派兵より優先して小泉内閣が着手すべき政策というものではないかと思うものです。

以上の考察は人間中心の地球環境問題ですが、地球からみれば人類の異常増殖が最大の環境問題で「人口抑制は女性の自立が達成されれば解決する」と吉田氏は言っております。人口問題に関してはグリーンウッド氏は地球シミュレーションを行い、人々を豊かにしなければ人口問題は解決できないというパラドックスを証明しました。

July 11, 2003

Rev. November 27, 2006


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