江ノ島

江ノ島の頂上は海抜約60メートルで対岸の竜の口寺裏山とほぼ同じ高さである。また凝灰質粗流粒砂岩からできており、鎌 倉から逗子にかけて分布している岩石と同じである。いわゆる「鎌倉石」である。これらから、江ノ島はかっては陸続きだったことをうかがわせる。今では地殻 運動と侵食によって陸とは切り離され、洲鼻(すばな)という砂嘴(さし)が発達して陸繋島となっている。

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葛飾北斎の相州江ノ島

「江ノ島縁起」によれば、第29代欽明天皇13年(552年)4月に海底より塊砂を噴き出し、天地が鳴動すること21 日、たちまちに海上に一つの島が成せりとあるそうである。江戸時代の人は藤沢の遊行寺から片瀬山の麓を歩いて片瀬海岸に至り、洲鼻という砂嘴から小船で江 ノ島に着いた。明治24年(1891)に砂嘴の上に弁天橋が完成、東京オリンピックの1964年にヨット会場になって自動車道路が完成した。現在では片瀬 から直接歩いてゆける。

弁天橋のたもとにあった二見館は閉鎖されて、2004年暮れ今はやりの温水プール、洞窟風呂、露天風呂、エステのコンプレックスが開業した。ここに付属する回転ずし屋は人気である。

江ノ島の弁才天は鎌倉に幕府を開いた源頼朝が1182年(寿永元年)に文覚上人に命じて勧進したものである。今も残る江ノ島神社の参道は昔の面影を残している。参道は狭く、正月は初詣客でにぎわう。

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初詣で賑わう参道 (2000/1/1撮影)

江戸時代の1862年「知らざ言って聞かせやしょう。名さえゆかりの弁天小僧菊之助たァ俺のことさ」と名セリフのたんかを切る歌舞伎「白波五人男」により、弁財天参りを兼ねる物見遊山でにぎわいだしたとのことである。

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瑞心門(ずいしんもん) (2002/7/19撮影)

瑞心門から階段を上ったところにあるのが辺津宮(へつのみや)である。島に中央にあるのが中津宮、一番奥にあるのは奥津宮である。辺 津宮の左脇に江戸時代まで祭られていた裸弁財天を納める八角の弁天堂がある。



弁天堂 2013/7/15

 江戸時代には、この弁財天人気と、
弁天小僧人気で江ノ島詣の人々で大変な賑わいを見せた。幕末に日本を訪れたロドルフ・リンダウ(Rodolphe Lindau)は、著書Un Voyage Autour du Japon, Paris, 1861(『日本周航記』)で、この弁財天についてOmanko-samaの別名がある、と記しているという。 世にいわれる「日本三大弁財天」とは、安芸の宮島、近江・竹生島、江島の弁財天。

弁天堂の左に八坂神社(天王社)がある。



八坂神社

瑞心門の左手奥に日露戦争の英雄を祀った児玉神社がある。



児玉神社


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江ノ島の頂上部には植物園があった。これは与願寺(よがんじ)の 菜園だったのを1869年(明治2年)に来日した英国人貿易商のサミュエル・コッキンが買取り、1882年(明治15年)から1885年にかけて自宅用の 庭園として開園したものである。コッキンが建設した温室は1923年の関東大震災で倒壊したが、地下にその基礎が残っていることが判明し、藤沢市が発掘調 査した。レンガを使ったしっかりしたものなのでサムエル・コッキング苑内に文化遺産として残された。コッキンはアイルランド生まれで横浜居留地での貿易事 業が成功し、日本女性と結婚し、江ノ島に自宅をつくった。当時の金で200万円(時価70億円)を要したという。

園内には灯台があったが、第二次大戦中の落下傘練習塔を移設したものである。(本ページ最後の空撮の写真に往事の姿が見 える)老朽化が進んだため撤去され、新設計の灯台(避雷針頂部高さ:59.8m)が跡地に新設された。2002年5月1日に着工、12ヶ月かけて完成。植 物園は閉園してサムエル・コッキング苑としてよみがえった。

以前からこの園内で縄文の土器などが出土していたため、本工事に先立ち藤沢市が園内を発掘調査したところ、8,000-9,000年前の住居址が20軒、夏島式土器、稲荷台式土器、黒曜石など15,000点が発見されたという。

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完成した新灯台とサムエル・コッキング苑(2003/8/24撮影)

完成した新灯台の展望台からは眼下にサムエル・コッキング苑、その向こうに江ノ島ヨットクラブ、対岸に七里ヶ浜が遠望される。

展望台から見た江ノ島ヨットクラブと七里浜 (2005/5/26撮影)

下の写真は湘南港の突堤のライトハウスから望遠カメラで七里ヶ浜を撮影したもの だ。鎌倉高校の体育館は耐震補強工事中だ。右手家に森が見えるが、七里ヶ浜2丁目には森はないはず。確認すると鎌倉山山頂であることが NTTのリピーターでわかる。


七里浜クローズアップ (2017/1/9)

直下に松本市寄贈の海鼠壁の土蔵もみえる。サムエル・コッキング苑の南側には最福寺別院江ノ島大師がある。ここの住職、池口恵觀の般若心経の読経はみごと。読経教則CD(日本コロンビア)を販売している。

江ノ島は中心部がくびれていて谷底から強風が吹き上がって、植生が風で削ったように生えているのが展望台からよく見える。

展望台から南側のくびれ部を望む (2005/5/26撮影)

正月には江ノ島から茅ヶ崎の烏帽子岩の先に富士山、箱根山、丹沢三がよく見える。

江ノ島より富士山を望む (2008/1/2)

江ノ島の西のはずれには岩屋の口がある。広重の浮世絵にも描かれている。一時、岩崩れのため閉鎖されていたが、安全策を講じで公開されている。

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歌川広重作 相模江ノ島岩屋の口

空撮の岩屋の口と旧灯台 (2002/2撮影)

2001/1/1

Rev. January 12, 2017


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