森永晴彦先生と地引網漁

1980年代には七里ヶ浜でも地引網漁が行なわれていたが、今ではすっかり廃れてしまった。引退して伊豆の川奈に住んで おられる原子核物理学者、森永晴彦先生から地引網漁をやるので来ないかとお声がかかった。伊東のはるひら丸という網元が仕掛けてくれるとのこと。総勢20 人で網を引いた。アジとボラがたっぷりかかった。大漁だったのは下の写真に写っている小船の人が直前に放流したのだろうという仮説も出たが真偽の程は分か らない。

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地引網漁(2002/11/10撮影)

川奈の先生のお宅でとれたてのアジのタタキと炭焼き、ボラの潮汁のパーティーとなり、先生のドイツ在住のご家族、物理学会大先輩の伏見康冶先生 (故人となられた)、木下是雄先生、ご近所の元JALジャンボ機指導教官、釣り友達のTVカメラマン、ULVACのオーナーの故林主税氏、出版業の広瀬氏など多士済々の参加者が夕刻まで会話とワインを楽しんだ。

森永先生は東大で仁科博士の弟子、嵯峨根遼吉(長岡半太郎の後妻の子)先生の指導を受け、卒業後、 バークレーに戻った嵯峨根先生のすすめでガリロア・エロア奨学金(フルブライトの先身)をもらいアイオア大の助教授を出発点にパーデュー大、スエーデンの ルンド大に転進した。一旦日本に帰り、東北大助教授、東大助教授になるが、日本の状態に不満を覚えミュンヘン工科大正教授に転出された方である。正教授職 とは終身教授職で69才で教職義務からも解放される。研究しなくても教授室は確保され、給料も支給されるので退職金はもらう必要がない名誉職である。ミュンヘン郊外のフライシングにある自宅と日本の別荘を交互に移動しながら余生を送られている。フライシングは田園都市で緑にかもまれた赤い屋根と白壁の街だ。お宅のすぐ近くには先代のベネディクト16世が司教をしていた時代のドームがある。

先生は仁科賞を受賞されている。グリーンウッド氏が若き頃、愛読した「パーキンソンの法則」を日本に紹介されたことでも知られている。最近は核融合開発に批判的で、自己増殖型太陽電池を「原子炉を眠らせ、太陽を呼び覚ませ」という著書で提唱されている。

伏見先生は学術会議会長を勤められた学会の重鎮だが、木下先生はロゲルギストのペンネームで「物理の散歩道」 という本を書いた人達の内の一人である。グリーンウッド氏は大学を出て3年目にロゲルギストの「物理の散歩道」を読んだことがある。とてもエレガントな本 であった。木下先生は国語審議会委員や日本山岳会会長も歴任されていて、直前に台湾の新高山登山に挑戦されたが、寄る年なみには抗しきれず、ぎっくり腰で 登頂を断念されたとか。それでも近くの小室山へのロープウェイ登山には参加され、折からの日本晴れの下、360度のすばらしい景観を満喫されておられた。

2002/11/10

Rev. July 4, 2014


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