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イギリス |
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ロンドン街角(London) 四日目(2005年5月3日) | ||||||||||||||||||||||||||
朝からいい天気で、歩いて近くの駅に行った。 実は、ハリーポッターの駅を見たかったのだがそこに行き着けなくて、別の駅に立ち寄った。 駅周辺は、どこの国も似たり寄ったりで、活気にあふれ様々な人々が行き交う。 日本と違うところは、やはり肌の色の違う人々の割合が多いということで、日本もいつかこうなるのではないかと思う。 ![]() この駅で、日本人のきれいな女性に話しかけられた。「日本人ですか?」 英語がうまく話せなくて息子を嘆かせていたが、こともあろうに日本人から、それもすてきな美人に声をかけられて、ついて出た言葉が、「オーイエス」だった。 それについての返事はなかったが、「この馬鹿」と思っていたかも知れない。 話しかけた理由は、 「私はこれから日本に帰りますが、地下鉄の回数券がかなり余ってしまいました。これを捨てるのももったいないし、安く買ってくれませんか?」ということであった。すでに路線バスの一日乗車券を買っていたのと、行こうとするところに地下鉄のアクセスがあるかどうかわからなかったので買わなかった。 もう一日滞在が長かったのなら地下鉄体験もしたかったが・・。 面白いのは、イギリスでは看板規制が厳しいので、広告は車でしている。タクシーや2階建てバスはカラフルな宣伝が多い。これもいい方法だと思う。 町の景観を守れるし企業から広告料が受け取れる。日本ではバスや電車でやっているが、これをタクシーや宅急便に展開し、極力町中の広告を減らしてほしいと思った。 和歌山の田舎などではそれの方が広告効果が高いのではなかろうか。 |
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ロンドン塔 | ||||||||||||||||||||||||||
ものの本によれば、ロンドンを訪れた観光客は、バッキンガム宮殿、そして次にここ、ロンドン塔ということである。 イギリスで「ゴー・ツー・ザ・タワー」(ロンドン塔へいく)といえば、物見遊山に行くと言うことらしく、今も昔も観光スポットであったようである。そのロンドン塔を訪れた。 朝から晴れていたのが、急に曇り、小雨が降り出した。イギリス特有の天候で、だから傘が必要だということになる。 まず迎えてくれたのが、カラスを抱いている守衛さんの看板で、そこには各国語で「カラスの消えたロンドン塔−それは王国の最期を意味すると古くから言い伝えられています」と書かれている。カラスの存在では、日本では熊野信仰にまつわるヤタガラスがあり、サッカーチームのシンボルにもなっているが、ここロンドンでもシンボルになっている。 ことの起こりは、中世にはここロンドン塔は、牢の役目も果たし、当然罪人を処刑するが、身分の低いものだと城壁の外に放り出されそのままとなったが、カラスとしては格好のえさになったに違いなく、当時の人々は真っ黒で不吉なカラスを撃退しようとする動きがあった。 しかし「ロンドン塔にカラスガイなくなるとホワイトタワーが倒れ、社会も崩壊する」という噂話が流れ、時の為政者は、そうした流言飛語を落ち着かせるべくカラスの保護策をとったが、それがこんどは一転「ロンドン塔からカラスの鳴き声の聞こえる間は、英王室は安泰である」ということになり、カラスは市民権を得、幸福のシンボルになったということである。 写真にある守衛さんとカラスのスリーショットが撮影できれば、その人の幸せは約束されたようなものだと言われているようだが、私たちはカラスを見ることはなかった。 城門を入ってしばらくいくと、右手にトレイターズ・ゲイトと呼ばれる格子の木戸でできた門がある。 映画「オペラ座の怪人」の地下牢のシーンを思い出したのだが、ここはテムズ川に面していてウエストミンスターの法廷で反逆者(トレイター)の判決を受けた人たちがここをくぐって運ばれてきたところである。 ここロンドン塔のはじめは、時の王ウイリアム1世が、町の防御のためとは言いつつ、自らの権威を見せつけるために建造したという。 これは古今東西どの国も同じ。 確かに砦としてみれば、城壁は厚く四隅にはやぐらも建っている。 1097年ウイリアム1世の子、ウイリアム2世が木造から石造りにし、完成させたのがホワイトタワーという。 このホワイトタワーの中に、甲冑や武具拷問器具などが展示されている。 900年以上の歴史の中で、城であり、要塞であり、牢獄でありそして処刑場としても使われてきた。 ここで命を終えたり幽閉された人は数え切れない。 最後にここに収監されたのは、ナチスの副党首だったルドルフ・ヘスであるという。 |
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![]() (ハリーポッターの雰囲気。幽霊の説明はしただろうか?) |
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ロンドン塔は、その数奇な歴史とともに幽霊の名所でもあるという。 なかでも有名なのは、アン・ブーリンの幽霊といわれている。 アンは16世紀の英国王ヘンリー八世の王妃だったが、王妃になってわずか3年後には不倫の罪を問われて処刑されている。実際は無実であったのだが、当のヘンリー八世はアンを処刑した翌日に、別の女性と結婚している。 断頭台で首を切り落とされたが、その明くる日から、自分の首を下げ馬にまたがったアンの幽霊が出始めたという。 『ユートピア』を書いたトーマス・モアもここで裏切り者として首をはねられた。 |
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上の写真の鎧はヘンリー八世のものといわれるが、6人の王妃があり精力絶倫といわれた王にふさわしい立派さである。戦闘になれば、相手の男はまず股間に目がいき、その隙に切られたりするかも知れない。 ここの建物のほかに、戴冠式の時の豪華絢爛たる王冠や宝石類がたくさんある。それらすべてが、歴史を思わせるすばらしいものばかりである。 明治33年に、夏目漱石もここを訪れ、5年後に『倫敦塔』を書いている。面白かったのは、鎧などの展示品の中に、徳川秀忠が時の英国王ジェームス1世に送った南部鉄で作った鎧一式があったことで、1610年といえば確か鎖国中のはずと思い調べると、1616年から始まっていたので、その6年前で貿易を行っていた時期である。 外国でこうした日本のものを見ると、何となくうれしくなる。 ここロンドン塔も展示物を詳細に見ていくと1日では見切れないし、また次に行くと新しい発見をすると思う。 外国人が、イギリスを知る上で非常に重要な建物の一つであることは間違いない。 |
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