吉屋信子 よしや・のぶこ(1896—1973)


 

本名=吉屋信子(よしや・のぶこ)
明治29年1月12日—昭和48年7月11日
享年77歳(紫雲院香誉信子大姉)
神奈川県鎌倉市長谷4丁目2–28 高徳院清浄泉寺(浄土宗)



小説家。新潟県生。栃木高等女学校(現・栃木女子高等学校)卒。大正5年から『少女画報』に連載した『花物語』で少女小説家として出発。8年懸賞小説『地の果てまで』が入選、作家として歩を進めた。『鬼火』で女流文学者賞を受賞。『安宅家の人々』『あの道この道』『良人の貞操』『徳川の夫人たち』などがある。






  

 雅子たち一行のほかにも、前後して見物人の影があったが、その人影が距離をもって歩いていると、前方の人々の姿が洞窟内の灰明りの中で、さながら幽霊界の迷路をふらふらとさまよいゆく亡者の影ともさびしく見える……。
 「お嬢さん……私は秀夫のやつが----戦死したあとも……ここへ来ると、あれがまだ洞窟のどこかに居る気がしますぞ」
林さんは何度もそういう……。
 雅子はその時、ふっと去年の秋の京都の桂離宮での義兄のことを思い出した。亡き母の霊魂がそこにあると探し求めたそのひと……
 ----雅子は、いまは離れて遠い人を思って涙ぐんだ……林さんの息子の秀夫……その人に思われていたことは……自分の何も気づかぬ過去のことだ……しかし……いま雅子は、離れ来てしだいに心にかかる人が、良人の譲二でなく、義兄の宗一なのがはっきりわかった。思えば---雅子は自分があの森の中の養豚場に住み始めてからの生き甲斐は良人を対象としてでなく---むしろ義兄の宗一に心をくばり、それをいたわりかばい、テニスの相手、ピアノを教える生活に、女の心の張合いをいかに生々と覚えていたかを---いまこそ覚った。灰暗い洞窟の石灰層の中を辿りつつ、雅子は、それを思った時---愕然とした。雅子は帰りたかった……あの神と人の間の義兄のいるところヘ……。

(安宅家の人々)





 新渡戸稲造の〈女である前に一人の人間であれ〉という一つの真理に目覚めた早熟の少女は、大正5年、少女雑誌に『花物語』という少女小説の連載を始めた。
 少女同士の夢見るような恋愛、その喜びや苦悩。戸惑いを描いて多くの読者を虜にしてゆき、それはやがて大正12年、永遠の愛友門馬千代との運命的な出会いにつながっていくことになる。それ以後、昭和48年7月11日、S字結腸がんによって鎌倉・恵風園病院に没するまで、彼女と公私をともにする。
 菊池寛と並び競うほどの人気作家となりながら、女性に友情を夢見てそれを実践していった吉屋信子にとって、既成社会の男性は理想にはほど遠い失望の対象でしかなかったのであろうか。



 

 鎌倉山の深い緑影から浮かび出て、露座の青銅阿弥陀如来が厳かに瞑想されている。
 鎌倉の大仏で親しまれている高徳院清浄泉寺裏、表通りの賑わいが別世界のように、小路脇の崖下にある狭い墓地に谷口吉郎設計による「吉屋信子」の墓は清閑としてあった。崖の隅を直角に切り取った石垣の石肌に、今にも透け込んでいくような薄くて小さな碑であった。
 傍らの墓誌に戸籍上は養女となっている「吉屋千代」の名が刻されてあり、寒風に揺れる色とりどりの優しげな供花が、それらを綾取っていた。まもなく訪れてくる夕暮れには、背後の崖から薄墨色のベールがするするとふり降りてきて、肩を寄せ合った墓碑という墓碑の佇みを包み込んでしまうのだろう。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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