吉野 弘 よしの・ひろし(1926—2014)


 

本名=吉野 弘(よしの・ひろし)
大正15年1月16日—平成26年1月15日
享年87歳(慈風弘照信士)
埼玉県狭山市入間川1丁目9–37 慈眼寺(曹洞宗)




詩人。山形県生。酒田市立酒田商業高等学校卒。昭和18年帝国石油に入社。「I was born」で注目され詩誌『櫂』同人となる。32年第一詩集『消息』を発表。やさしい言葉で人間の温かさを描いた叙情詩で知られる。46年『感傷旅行』で読売文学賞受賞。ほかに『自然渋滞』『幻・方法』などがある。







  

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命はすべて
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄ときに
うとましく思うことさえも赦されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
だれかのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない

 

(『北入曽』生命は)



 

 〈I was bornさ。受け身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね—〉、「I was born」では生まれさせられたという少年、「夕焼け」では〈やさしい心の持ち主は/いつでもどこでも/われにもあらず受難者となる。何故って/やさしい心の持ち主は/他人のつらさを自分のつらさのように/感じるから。〉と美しい夕焼けも見ないでうつむいている娘を思いやり、「祝婚歌」では〈二人が睦まじくいるためには/愚かでいるほうがいい/立派すぎないほうがいい/立派すぎることは/長持ちしないことだと気付いているほうがいい〉などと人間の内奥をやさしく透過した詩人吉野弘は米寿になろうという前日の平成26年1月15日午後9時48分、肺炎のため静岡県富士市の自宅で死去した。

 


 

 「聖観世音菩薩」を本尊として武蔵野三十三観音霊場のひとつとなっている曹洞宗の妙智山慈眼この寺は入間川の河岸段丘上に位置している。すぐ南にある航空自衛隊入間基地に発着陸する輸送機やヘリコプターが、数分おきに雲に覆われた暑い気を切り裂くような爆音を轟かせて低空を去って行く。本堂横をそれて金鶏菊の群生する参道のなお奥を横に入ると白々とした「吉野家之墓」があった。碑の側面に〈蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体何の為に世の中へ出てくるのか〉と話しかけてきた父末太郎に並んで弘の名が刻んである。墓前には「草」とした題名の〈人さまざまの/願いを/何度でも/聞き届けて下さる/地蔵の傍に/今年も/種子をこぼそう/弘〉の詩碑が建っていた。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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