INDEX|物語詰合せ

   
 

◆目次◆

序 章
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
終 章

挿絵の間

 

【終 章】


 月のない夜。
港町に君臨する寺院は、その陰鬱な威容に、破壊の限りを尽くされていた。

 甲高い声が叫んだ。
「殺せ!災いだ」
 港町の主、王よりも王らしいと言われる男は、高みで喚きたてる僧に目を向けた。
「災いを鎮める力を持たぬ者が、寺院の高位を占めるのは、いかがなものかと、言わせていただきましょうか」
 最も高位にある老人は、騒ぎ立てる同輩を、目配せだけで黙らせた。
「悪魔を殺し、災いを鎮めようとしておるのだ。邪魔立てはすまいぞ」
 エリーティルは、声をあげて笑った。
「いかにして?よろしい。やってみるがいいでしょう。私は、邪魔をしに来たわけではありません。ただ…」
 悪戯な微笑が、影に向けられた。
「遅くなってすまないね。では、最後の物語をしようか」
 影が揺らいだ。
 少年の声が、驚きも顕わに問う。
「……ここで今?」
「君の望むままに。我が友サルフィ」
 影は消え、呆然として立ち尽くす少年が残された。
 エリーティルは、少しだけ屈んで、異母弟の優しげな水色の瞳を覗き込んだ。
「魔女の正体を暴いた善き王は、再び魔女を追放した。そして、魔女は戻る事がなかった」
「だって、それでは…」
 悪戯な語り手は、頷いた。
「ティンク・トゥンの魔女と善き王は、瓜二つの姉妹。初めの追放の時、魔女は王と入れ替っていた。最後に正体がばれて、元に戻ることになった」
 サルフィは、時と場合をすっかり忘れて叫んだ。
「そんなのないよ!」
「そう…もちろん、魔女と王は、入れ替らなかった。人々には内緒で、魔女は、幼い王の姉として残り、善き王は、魔女として立ち去った」
 エリーティルは、唖然としている人々を眺め、声を高めた。
「ユーナには、誓いがあった。すべて終わって命があれば、アーフィフを助けると。アーフィフの誓いは、卑劣な王とその眷属を滅ぼす悪魔になることだった」
 悪魔という言葉が、人々を脅かす。
 畏れを知らぬ男は、冒涜の言葉を付け加えた。
「神の加護のもとに!」



……語られぬ終焉……

 すべての荷を捌き、隊商を解散させ身軽になった。あとは、故国へ戻るばかりだ。
 男が振り返ると、少女の小さな影が追って来る。
「何をしている?」 
「見ればわかるだろう。置いていかれないよう追いかけているんだ」
 歩幅が違いすぎて、走る羽目になってしまう。
 男の歩調は、大変な傷を負っているはずなのに、それを感じさせない。
「そんな事を、言っているんじゃない。お前は、何の為に、ティンク・トゥンに帰った?何故ついて来る」
 少女は、息を弾ませて、背の高い男を見上げた。
「私は、私の成すべき事を終えたら、お前を助けることをしようと誓った。その後で、お前に、兄の敵として討たれなくてはならない」
 眉間に皺を寄せたアーフィフは、突き放すように言う。
「敵を討つとは、ティンク・トゥンの魔女に言ったのだ。善き王にではない」
 少女は、すまして応えた。
「善き王は、姫に戻って王城にいる。私は、故国から二度も追われた魔女だ」
 王と魔女の二度目の入れ替りは、民の目を欺き、行われなかった。
 アーフィフは、足を止めた。
「ユフェルリナ姫。魔力などないくせに」
「ないこともない」
 ユーナは、小さな手を掲げて見せた。
「この身体は、魔女のもの。そして、ティンク・トゥンの魔女の魔力すべてを、これに貰い受けた。だからもう、アルフェルリナ姉上は、ただの人だ。私の代わりに、王を、王国を見守ってくださるだろう」
 ほっそりとした指に、金と翡翠を象嵌した指輪がほんのりと輝いていた。
 生真面目な若草色の瞳が、アーフィフを見詰めていた。
「私が、悪魔の力をやろう。連れて行け。エンナの敵を討つ。神の加護は、お前にあった。神の望みは、卑劣な男を王にしないことなのだろう。お前は、王にならずとも、神の意を現す者となる」
 王の血をひいていた男は、一国の王だった者の強い眼差しを受けて、深い溜息をついた。
「呪われた娘め!」
「そうだ。私は、魔女として、魔力を使おう。一振りの刀として、お前を守ろう。エンナには、及ばすとも、琵琶を弾くことだってできる。それに…」
 ユフェルリナは、思わず言いよどんだが、男が待っているのを見てとって、小さく付け加えた。
「あんなひどい安値で商品を売りさばくなんて、最悪の商人だ。商売の事なら、助けられると思う…」
 アーフィフは、虚を突かれて固まった。
「そこまで言うか…」
 小さな娘は、うな垂れて、更に身を縮めた。その声も、どんどん小さくなり、口の中で消えた。
「だって、エンナに頼まれたし…そのくらいしかできないし…アーフィフは、私が嫌いだし…」
 男は、深い溜息をもらす。涙ぐんだ魔女の頭に、大きな手が置かれた。
「では、来い」
 砂漠馬は二人を乗せて、砂漠の果ての小さな王国を出発した。

 気難しい男が、少しだけ微笑んでいた。

 そして…

 



「神は偉大なり。悪魔の力を以ってしても、王と王国を守ったのだ。アーフィフとその子孫は、王とはならずに、悪魔と呼ばれながらも、王国を守った。だが、それももう、これが最後。罪なき手へ、王位を渡せる時が来たのだから」
 エリーティルは、物語を締めくくると、呆然としている観衆に微笑んで見せた。
 その指には、金と翡翠で象嵌された指輪が、輝いている。人々は息を呑んだ。
「さて、魔女の物語は終わった。これから、物語の後の物語をしなくてはならない」
 エリーティルという男は、真に人をそらせぬ話術を持っている。恐るべきことに、このような場で、誰もが、その言葉に聞き入っていた。
「アーフィフは、故国に、この地に帰りついた。王の隠された末子として、命を狙われ続けたが、神の加護は、彼を守る。そして、彼の復讐の果てに、王家の血筋は、当時生まれたばかりの王妹を残して絶えた。王位は、王妃が継ぎ、後にその連れ子が、その子孫が継いだ」
 その子孫である王が、喘いだ。
 エリーティルは、王に向けて微笑むと続ける。
「一方、アーフィフの死後、魔女が施した呪いは、不幸にして、その息子に移ってしまった。彼は、商人としての地位を築きながらも、王位を汚す者を、その力で殺した」
 サルフィは、たまりかねて訊ねた。
「それは、エリーティル…貴方の事?」
 エリーティルは、頭を振った。
「それは、君の父の事だ。彼は、知らずに、王の血を濃く持つ姫君と子をなしてしまった。そうと知ってからは、姫君にも実の子にも会えなかった。彼は、呪いを怖れていた。そして、その代わりに次々に子供を拾って養った。私は、その一人」
 エリーティルは、言葉もない子供の手を取った。
「君は、父からも母からも王家の血を得ている。君が王になることで、正統な王が、王位につくことになる。呪いは終わる。君が王だ」
 現在の王は、僧兵の手を振り払い、大きく頷く。
「王位をお返しいたす。災いは消え去るだろう」
 突然、僧達が喚きだした。
「馬鹿な!許せぬ。王を決めるのは、寺院だ」
 エリーティルは、ゆっくりと振り向いた。その足元に金褐色の獣が寄りそう。
「寺院が決める?いつ、神は、そのような権利を寺院に与えたのか?お前達は神の代理人ではない。信仰する人々の世話人に過ぎないのだぞ。神の名を振りかざすお前達こそが、冒涜の罪を犯してはいないか?老師方よ!」
 老僧達の軋るような声が言う。
「寺院の主は、王と対になる神聖な者。神の意を伝え王位を定めるのだ!冒涜者め!」
 罵られた男は、傍らの獣に微笑みかけた。
「寺院の主…。さて、何処におられるのか。そして、その言葉は、いかなるものか。お伺いしたいものだ」
 不思議な問いかけであった。
 王とサルフィは、顔を見合わせる。
 寺院の主とは、僧達の中にいる、最も端然とした老人のことではないか。彼は、先ほどから口を開いていない。
 ただ、冒涜者の顔を、そして、悪魔に例えられることもある金褐色の獣を、食い入るように見詰めているだけだ。
 老人は、ふいに諦めたように眼を伏せ、呟いた。
「…寺院の主は、その少年を王と呼ぶ……」
 この瞬間、驚くべき事に、寺院が一介の商人に屈したのだった。
 主と呼ばれる老人は、立ち去ろうとしたエリーティルに問うた。
「貴方は誰なのか」
「見たままの者です」
 エリーティルの応えは、穏やかなものだった。
 穏やかでないのは、王となるべき少年だった。追いすがって、問いただす。
「いったい、これは何とした事なんだ?魔女の物語は、本当の事だったの?」
「もちろん、お伽話だよ。まぁ…でも、アーフィフおじい様には、お会いした事がなかったけど、ユフェルリナおばあ様は、優しい可愛い方だったし、義父は、結構な面白がりやで、悪魔でいることを楽しんでいたよ。ただ…君達親子のことは、気に病んでいたけれど」
「では、アーフィフとユーナは、結ばれたの?」
「とても夫婦仲が、よかったそうだ。ところで、聞きたいのは、それだけなのかな」
 少年は、言葉に詰まって赤くなった。
 エリーティルは、真面目な顔を装って、締めくくった。
「サルフィ。ティンク・トゥンの魔女の物語は、君が王位をついで、ゼラナ姫と結ばれれば、本当に、めでたしめでたしと、言えるのだけどね?」


 エリーティルは、寺院の威信を木っ端微塵にした他に、王妃殺害の毒飼いを手中にしていた。その自白から、凶行に関わった、兵や貴族を次々と捕縛させていく。
 政務所で、最後の働きをしていた王は唸った。
「まったく、見事な手並みだ。お前が商人などと、惜しい事。次代に王には、宰相として仕えるがいい」
 傍らの青年は、笑って辞退する。
「ご冗談を。いかにサルフィの為と言えど、王城の窮屈な仕事は、御免蒙ります。これ限りということで」
 エリーティルは、毒飼いを探り出し、その隠れ家を海賊仲間と急襲したのだ。宰相の仕事が、そのように楽しいものではないことは知れている。
 当の次代の王と定められたサルフィは、嫌疑も晴れ、連日、ゼラナ姫のもとへ通い、母を失った姫を慰めていた。
 商人達の束ねは、しみじみと言った。
「お互い、寂しい事ですね」
 王は、ほろ苦く微笑む。
「しかたあるまいよ。もっとも、寂しくなるのは、サルフィの方であろう。近々、船出するのだとか?」
「お耳の早い。北海の方へ行ってみようかと…」
「なんと!見かけに寄らぬ無鉄砲者じゃ。またしても、世界の果てに流されたいのか?」
 優しげな微笑が、物騒な応えを返した。
「退屈には、耐えられぬ性質なのです」
 王は、何ともいえぬ顔になって、どこか得体の知れぬ青年を見やった。
「エリーティル。我は思うに、寺院は、そなたを敵に回す必要などなかったのではないか?冒涜者と罵られながら、結局は、悪魔を鎮め、災いの起きる世界の果てまで出向こうとする。そなたが、何者なのか、わかったような気がするぞ。そなたの、あの獣は、つまり謎かけなのだな」
 エリーティルは、王国の主に頭を下げた。
「賢明なる王よ。ですが、私は、見たままの者なのです」


 エリーティルは、崩壊した寺院に向かった。
 今は参拝者の影はない。貴族の別邸を借受けて、礼拝を行っているのだという。
 動き回っているのは、下位の修行僧と、再建に駆出された工人ばかりだ。
 奥に行くに従って、彼らの声も遠くなる。
 おそらく意図的に寺院を倒壊させた当人のくせに、何の用があるのか、バハディースは、主の意図を測りかねた。
「バハディース。ここで待っていてくれるか」
「旦那様…そりゃ、護衛になりやせんぜ」
「危ない事はないさ。この子がいる」
 エリーティルは、そう言い残して、瓦礫の奥へと進んでいく。
 金褐色の獣が、いそいそとその後を追った。獰猛極まりないはずの獣が、すっかり飼いならされ、最近は寸時も離れようともしない。
「旦那様!」
 バハディースは、役目を盗られたようで面白くない。だが仕方なくその場に留まった。
「まったく…何処まで、連れ歩く気ですかい」
 金褐色の獣は、悪魔に例えられる。寺院に連れ込んでいい代物ではなかった。これは、冒涜者と呼ばれる主の、寺院に対する嫌がらせなのだろうか。

 倒壊した寺院の中でも、もっとも奥まった一角で、皺深い老人の、溜息のような声がかけられる。
「お待ちしておりました」
 エリーティルは、老いた僧に頭を下げた。
「賢き智慧の師父よ。このような場所に留まられては、皆が心配いたしましょう」
「確かめたい事がございます。貴方の義父は、多くの子供達を拾って育てたと言われる。ここで、拾われた子供が、いたのではありませんか」
 港町の会頭は、穏やかな微笑を浮かべ、首を傾げた。
「ここでですか?貧しい民の中には、育てられぬ子を、寺院に預ける者もあるようですね。兄弟の中には、その一人がいたかも知れません」
 老人は、激しく頭を振った。
「そのような子供ではありません。あの夜、悪魔が来て、喰らったと…我等が、絶望した…大切な御方のことでございます!あれは、間違いだった。貴方が生きて戻ってくださるとは!」
 エリーティルは、宥めるように優しく訊ねた。
「老師よ。何か夢でも、ご覧になられたのか」
 老僧は、自分の言葉に怯えたように、震えている。 
「我等が、失ったと思ったのは、神から授かった寺院の主。残された血糊で、まだ幼かった貴方を、悪魔が攫い喰らったとしか思えなかった…貴方でございましょう?貴方には、悪魔の獣も容易く従う」
「私が…?老師よ。私は、見たままの商人にすぎません。この子には、餌をやり、ねぐらを与えたのみ。それを、聖者が悪魔を退治した神話と、混同されても困ります。寺院の主は、貴方様でございましょう」
 金褐色の獣は、エリーティルの眼差しを受けて、喉を鳴らした。
 老僧は、青年の穏やかな口ぶりに、後退る。
「やはり、お恨みか。主様」
 エリーティルは、静かに微笑んだ。
「何の事だかわかりません。老師。もう一度、私の言葉を聞いてください。私は、見たままの者なのです。ですが、判りました。可哀想に…寺院は主を失ったので、王城も王を失わなければならないと思いつめたのですね」
 老人は、呟いた。
「…まして、主を殺したのは、王の血筋と思いこんでおりました故」
 港町の人々には王より王らしいといわれ、王自身には僧侶になるべきだったといわれ、寺院によって冒涜者と罵られた男は、寺院の頂点に立つ老人に諭すように言った。
「老師よ。寺院の務めを果されるがいい。私は、私の務めを果します。神の采配を信じられるがいい」
 老人は、神託を聞くように、若者の言葉を受け取った。
 去っていく後ろ姿は、小さく、それでも足取りは確かだった。
 エリーティルは、溜息を吐いた。
 金褐色の獣が、暖かな身を寄せる。
「すまないね。聖者に倒され従った悪魔の役などを、振ってしまって」
 エリーティルは、寺院を恨んではなかった。老人が恐れていたとおり、恨む理由はあったが、哀れみが先に立って、憎むにはいたらない。


 壮麗だった寺院の一室に、影を纏った悪魔が現れたとき、もっとも神聖とされた子供は、金の鎖に繋がれていた。
 封印の聖文が刻まれた細い金の足輪は、鎖で繋がれ、力を使うどころか部屋から出ることさえも阻む。寺院の主の持つ強大な力を、暴走させないためと言い聞かされ、当時は、疑問さえもたなかった。
 今になってみると、先の主が出奔してしまったため、今度こそは、逃すまいとしたのではないかと疑っている。

《お前が寺院の主か…》
 殺気を放っていた悪魔の声は、戸惑いで揺れた。影が退いて行く。そこには、ごく普通の男が一人、残された。
「どなたでしょうか」
 寺院の主たる少年が声をかけると、男は、怖れるでもなく近づいてきた。
「偽王に王位を渡した一人と思えば、こんな子供か…何故、囚人のようにつながれている」
「安全のためだそうです」
 男は、案外人好きのする顔で笑った。
「逃げるに逃げられないだろうに!安全か?」
「いえ、私の安全ではなく、世の中にとって、私の力が危険なのだとか」
「どんな力だ?」
 囚われの子供は、意味ありげに微笑んだ。
「さあ?何しろ、生まれてからこちら、こうして封じられているので、何とも」
 男は、身をよじって笑った。
「馬鹿げている!何てことだ」
 男の剣が、鎖を断ち切った。
 子供は、突然の自由に目を瞠る。
 男は、白い敷布で血糊を拭うと、剣を鞘に収めた。
 強い腕が、足の萎えた子供を抱き上げる。
「さぁ!子供。名はなんという?」
「名はありません。ただ主と…」
「では、名付けよう。今から、お前は、私の子供だ」
 そうしてエリーティルは、エリーティルとなった。
 義父は、寺院から解放した子供に、商家を継ぐ為の教育を与えた。それは、それで楽しかったが、多少、窮屈でもある。
 ある日、意を決して海に出た。
 幼い頃囚われていたからこそ、何もできないで、寝くたびれるような人生は、ごめんだった。
 ちなみに、自分が何の力を持っているのか、いまだに知らない。おそらく、寺院の僧達も知らないのではないかと思う。
 知らなければ使いようがない。まったく寺院のすることは、間が抜けている。


 望みどおり波乱万丈の人生を送っている男は、更なる旅立ちのために、港にいた。金褐色の獣と、黒檀の肌をした男が、競うように付従っている。
 少年の声が呼んだ。
「エリーティル!」
 エリーティルが腕を広げると、美しい子供が、その中に飛び込んできた。
「サルフィ。見送りにきてくれたのかな」
 サルフィは、息を整える間も惜しんで叫んだ。
「黙って、出発する気だったのか?しかも、よりによって、北海だって?!」
「面白そうだろう。悪意をもって船団を鎮める氷塊とは」
 少年は、喘ぐように言う。
「……貴方が、穏やかで分別がある人だと…思っていられた時が、懐かしいよ」
 異母兄が、悪戯な微笑を見せた。
「穏やかでなくて、分別のない商人とは、困ったものだね。そうだ。これを渡すのを忘れていた」
 エリーティルの指から金と翡翠で象嵌された指輪が引き抜かれ、異母弟の手に渡った。
 サルフィは、何ともいえない表情で、いわくつきの指輪を見つめる。
「あの物語は、どこまでお伽話なの?」
「さぁ…どうだろう?私も見てきたわけでなく、義父からの又聞きだからね。私は、魔法を使ったことも、魔神を呼び出したこともないよ。ともかく、おばあ様の形見だ。君が持つといい」
 魔法を使ったことがない?
 サルフィは、訝しげな眼差しで友を見た。
 父と異母兄を毛嫌いしていた祖父母も、港町の会頭を胡散臭げに遠ざけていた王も、すっかり親しげになっている。
 とどめが、寺院だ。王妃毒殺については、濡れ衣だったが、あれだけの事をしたサルフィに、何の咎めもない。
 いまも、寺院は、無残な有様を晒していた。
 あれが、自分の意志だとは思わないが、どう考えても、自分が元凶のような気がする。
 王は、意味ありげに、エリーティルが寺院を丸め込んだのだという。
 だが、どうやって?
 魔法を使ったといわれた方が、納得がいくが、魔法でなくても、エリーティルには、不思議な力があるのだ。
 皆が、異母兄を好きだった。
「エリーティル。まだ、貴方を兄と呼んでも、いいのだろうか」
 友にして兄は、優しく微笑んだ。
「もちろん」
 サルフィは、安堵して、指輪を差し出した。
「では、これは、エリーティルに持っていて欲しい。そして、必ず、無事に戻ってきて」
「必ず。よい王になられますように」
 美しい子供は、口を尖らせた。
「王になる前に、語りかけてしまった物語をどう語り終えるかが大変なんだけど…やっぱりそのまま話すのは、ちょっと…」
 祖父母と、ゼラナ姫。それに、ゼラナ姫から聞き出した王もだ。
 エリーティルに語らせるつもりだったので、気軽に途中まで話してしまったのが、いけなかった。
 物語は、語り始めたら、最後まで語らなくてはならなくなる。ゼラナ姫は、ユーナとアーフィフがどうなるか、とても楽しみに…そして心配しているのだ。
「エリーティル。ねぇ。貴方が、あの物語で、王について学んだ事というのは、なんだったの?」
「王の定めにある者は、神の采配のもとにある。悪魔もまた、神の意図の元にある。不条理に見えても、今の王は、必要だったし、すべての定めが、正統な王を、王国へと導く」
「なるほど…でも、操られているみたいで嫌だな」
「神は、加護を与えても、王の心まで思いやりはしない。引換えに、神の采配があるはずだから、多少の事をしても大丈夫。ほら、寺院は壊れたけど、正統な王の血筋が還った」
 あまりの暴言に、少年は絶句した。
「無事に、めでたしめでたしを言えるよう、祈っているよ」
 晴れやかに笑って、兄は旅立っていった。
 サルフィは、桟橋から声をかけた。
「よい風が吹きますように!」


「お頭!本当に、こいつも、連れて行くつもりですかい。喰われちまう!」
 船上で、黒い召使と、金褐色の獣が睨みあっている。
「結構、仲良くなったじゃないか」
 噛みつかれてない。
「冗談じゃありやせんぜ」
 エリーティルは、声をあげて笑った。振り帰っても、二度と寺院の威容は見えない。
 あの街には、王になる大切な少年がいる。
 彼のために、災いを鎮めて帰ろう。
 こう思うのも、神の采配…ならば、思う存分、冒険を楽しめるというもの。
 サルフィの言葉の通り、よい風が吹くだろう。
 それこそ、神の加護があるのだろうから。


 …そうして、王城を戴く港町は、二人の主のうち、一人の旅立ちを見送った。
 この物語は、語られない。
 いつの日か、港町の会頭が、穏やかな微笑とともに、王のもとへ戻るまで。

 
  −終−

 

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