INDEX|物語詰合せ

   
 


◆目次◆

序 章
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
終 章

挿絵の間

 

【第一章】

 金と翡翠で象眼された指輪が、朝の陽射しをはじいてやさしく輝く。港は、重い荷を積んだ帆船で賑わい、艀がせわしなく行き来している。
 海に面した露台へ、館の主が姿をあらわしていた。
 船上の商人達が、気づいて頭を下げる。そのしぐさは、敬意と親しみに満ちていた。
 商人の束ねる会頭は、人当たりのよい穏やかな微笑みを見せて挨拶を返す。
「貴方の航海に、よい風が吹きますように」
 常に控えめな物腰と、落ち着いた風貌を目にすれば、かつては海賊であり、冒涜の罪人をかくまったという不穏な経歴が、悪い冗談のように思える。
 強いて言えば、どのような王侯貴族、高僧を前にしても、真に畏れることのない、揺るぎ無い眼差しが、それらしいところだろう。
 そして、港町の人々は、王よりも王らしいと密かに囁いていた……


「旦那様」
 バハディースは、無骨な手で、華奢な茶器を小卓に並べ、主へ声をかけた。
 エリーティルは、束になった書類を繰りながら、小さく肯く。
「バハディース。なかなか、不穏な状況だな」
「旦那様。おかしら !冷めちまいやすぜ」
 黒檀を思わせる肌の男が、嗄れた声で唸る。
 奴隷の身分で、不遜極まりないが、細心の注意を払っていれた異国の茶を、だいなしにされるのはつまらない。
 幸いなことに、主は狭量な性格ではなかった。
「ああ、悪かった。一休みしよう」
 エリーティルは、腹心の友に微笑みかけると、陶器の椀を受け取った。
 黒い巨漢は、主の優雅な姿にため息をつく。
「旦那様ぁ…いつまで、その…いい子ちゃんでいるおつもりで?」
「こら、こら。なんだ。そのいい子というのは」
 香り高い茶を満喫しながら、商人の長は、おもしろそうに首を傾げる。
「おかしら はねぇ…平穏無事ってのが、嫌いだったはずですがねぇ?」
 バハディースは、含み笑いをしながら、幼馴染でもある主を見やった。
 商人だった親の後を継ぐのを嫌って、海賊船に身を投じた時も、冒涜の罪人を匿ってついに、世界の果てといわれる氷の大陸まで流された時すら、伴をしたのだ。
 そろそろ、退屈な日常に飽きが来ても、不思議でないことを知っている。
「人聞きが悪いな。バハディース。私が、物騒な人間であるように聞こえる」
「そう、言ってますんで」
「何もできないで寝くたびれるような人生は、ごめんだと思っているが、平穏無事が嫌いなわけではないぞ。むしろ、そうでなくでは…」
 エリーティルは、少し遠い目になった。
 バハディースは、不満気に鼻を鳴らす。主の物思いに、自分の与り知らぬ事があるのは面白くない。
「さっきの不穏な状況ってのは、いったいなんですかい」
 エリーティルは、商人の顔に戻って応える。
「身分高きお方が、家宝の一部を手放されている。品物は、寺院のいと高き辺りから、場末の商家へ…なかなか、きな臭い」
 黒い腹心が、肩を竦める。
「王城と寺院には、触らぬ神に祟りなしですぜ。旦那様」
「我が友に関わりなきことならば、そうするが…そういうわけには、いかないようなのでな」
「若君ですかい。まぁ…入れ込んじまったもんで…兄弟は一人、というわけじゃありやせんでしょう?」
 瑠璃色をした陶器の椀が、軽くはじかれて澄んだ音を立てた。
「親父殿は、あちこちに、たくさん兄弟を作ってくれたが、末の異母弟は格別かわいい。サルフィには、是非とも幸せになってもらいたいね」
 バハディースは、ここしばらく護衛も兼ねて、主の異母弟を観察していた。
 確かに、天使のようと称えられるほどに可愛らしい容姿だが、その気性まで天使というわけにはいかないらしく、気に入らなければ王ですら邪険にあしらう。
 異母兄とはいえ、一介の商人であるエリーティルに対して、敬愛のこもった態度を示すのは奇跡のようだ。王より、エリーティルの腹心であるバハディースの方が、優しい言葉をいただけているというのも、何やら妙な具合である。
「そんなもんですかね。王もご執心とかいうし…そりゃ別嬪さんですがねぇ…あの利かん気を宰相にねぇ…で、その後押しをなさるんで?」
「本人は、気乗りしないようだし、邪魔は多そうだ。どうしたものかな」
 港町の主は、その思慮深げな眼差しを海へ向ける。
 穏やかな波が、朝の陽射しにきらめいていた。


 サルフィは、王城からの帰路、石造りの館へ足を向けた。
 年長の友は、穏やかな微笑みで招き入れてくれる。
「我が友よ。ずいぶん急いで来たんだね。息が切れているようだ」
 冷えた水で満たされた杯が、差し出される。
 少年は、苛立ちに頬を紅潮させ、吐き捨てるように言った。
「エリーティル。私は、人を訪ねる自由もなくなってしまった。今日まで、王城へ伺候しなければ、外出することもできなかったのだ!」
「親愛なるサルフィ。祖父君には、君を心配されてのこと。少し行き過ぎてしまったとしても、許して差し上げるべきだと思うよ」
 サルフィは、長椅子へ並べられた柔らかなクッションに身を沈めた。受け取った杯をあおると、拗ねた声で、小さく訴える。
「でも、君に会いたかったのに」
 年長の異母兄は、甘やかすような優しい眼をして聞いている。
 サルフィは、自分の子供じみた振る舞いが、気恥ずかしくなった。咳払いをすると、口調を改める。
「まだ物語の途中だったね。また邪魔者が訪ねてくる前に、続きを話してはくれまいか」
 港町の主は、美しい子供の手をとり肯いた。
「君の望むままに。我が友、サルフィ」


 


………砂漠を彷徨う呪われし者の物語………


 昔々、砂漠の果てに、ティンク・トゥンと称する小さな王国がありました。
 若い王は、善き王と称えられ、王国は、輝かんばかりに富み栄えております。
 神の加護を受けた王は、邪悪な魔女の誘惑を退け、その呪われた女から、すべての魔力を剥ぎ取り、砂漠へと追放したのだそうです……
 人々は、神へ感謝の祈りをささげ、善き王に、いっそうの尊敬と忠誠をささげたのでした。
 こうして物語は、終わりを告げたようでした。けれど、これは始まりに過ぎません。
 追放された魔女は、再び王都を目指すのです。

 その頃、砂漠を行くある隊商が、なかば砂に埋まり、死にかけた一人の美しい乙女を救ったのだといわれております。

 そして…


 娘は、若草色の瞳をしている。
 なるほど闇を孕んだ漆黒の髪は豊かで、女のか細い肢体を覆い隠し、その眼差しは、強く鋭く、噂に聞く千年を経た魔女の様だったかもしれない…
「…ようだった、ではない。あの娘が、魔女なのだ」
 隊商を指揮する男は、雇い主である商人に向かって教え諭すように告げる。
「惑わされてはならない。あの娘は、砂漠に捨てていかれるがいい」
 若い商人は、首を振った。
「娘は、ただの娘にすぎない。見なかったのか。珊瑚の唇は乾き、白い頬は砂に汚れ、弱った身体を脅えて震わせている。だが、美しい宝石のような瞳を持っている。あの娘には、救われる価値があるのだ」
 隊商の長は、肩を竦めた。
「御用心を、我が主にして、我が兄上よ。ティンク・トゥンの魔女は、薔薇の花冠のように美しいそうだ。偽りの姿だとしても…。王にあった神の加護が、一介の商人にあると思わぬがいいでしょう」
「弟よ。あの娘が、心悪しき者とは思えぬのだ。そうであれば、何故、私に命乞いをしない?媚びることをしない?薔薇は薔薇でも、人を寄せ付けぬ棘のように、かたくなな態度を示すのだ?」
「さて、そこが魔女の手妻というものでしょう。何にせよ。拾われるのなら、なるたけ早く売り払うことをお勧めしましょう。くれぐれも…御用心を」
 弟は、重ねて忠告したが、兄は、その時すでに魔女に捕らえられていた。


 商人は、身を清め衣装を改めた娘を、傍らに招いた。
「哀れな娘よ。私が、お前に庇護を与えよう。この隊商で、安心して過ごすがいい」
 娘は、面を上げると、その若草色の瞳で、商人を見つめた。少女の堅い声が告げる。
「貴方の庇護に感謝いたします。なれど私は、王都へ向かわねばなりません」
 商人は、娘の美しさに声を失った。
 この娘は、伝え聞く、まがまがしくも妖艶な魔女とは、まるで違う。
 かたくななつぼみ。涼やかな声でなく、人慣れぬ鳥。
 断じて、魔女などではない……


 娘は、身の上を語ろうとはしなかった。しかし、何か妖しい技を見せるでもない。人々は、美しく慎ましやかな女奴隷の姿に、いつしか魔女への恐怖を忘れた。
 いつまでも、危ぶんでいるのは、隊商を指揮する男だけだった。
「魔女であろうとなかろうと、得体の知れぬ女奴隷など、どのような災いの種かしれないのだ。さっさと、売り払ってしまえばよい。幸い、高い値がつきそうではないか」
 しかし、砂漠で乙女を救った商人は、娘の美しさに、妻にと望むようになっていた。
 こうして、凶事は起こったという。
 主の床へ召された女奴隷が、あろうことか主を殺して逃げ出したのだ。
 商人の胸に突き立つ短剣は、無残に主の命を絶ち、零れ落ちた血潮は、高価な絨毯を汚した。弟が異変に気がつき駆けつけたときには、天幕の布も血をすって、赤黒く染まっていたという。
「ああ。兄よ。何故、私の言葉をきかなかったのか」
 弟は嘆いて、女が残した衣を裂いた。鷹揚で優しい主を慕う奴隷達は、声を上げて泣きつづける。隊商の男達は、瞑目して、気前のよい商人の死を悼んだ。
 あの女奴隷は、やはり魔女だったのだ。

 人々は噂した。
 ティンク・トゥンの魔女は、善き王への復讐を胸に、砂漠をさ迷っている。
 そうして、犠牲者の精気を吸い取り、再び魔力を得ようとしているのだと。
 兄の命を奪われた隊商の長は、街にたどり着くと、隊商を惜しげもなく放り出し、身一つで砂漠へ戻って行ったという。
 兄の仇を取るために、魔女を追うのだ。

 人々は噂した。
 男は、魔女に殺されるだろうと。

 だが…



 語り手は、口を閉ざした。
 聞き手の少年は、無念そうに唸る。
「またか…」
 祖父母が無鉄砲な少年につけた護衛は、いかつい面を更にこわばらせて、居間に入ってきた。
 サルフィは、不承不承、迎えに肯いてみせる。
 館の主は、丁重に男達をねぎらい、少年に微笑みかけた。
「もし続きを知りたいのなら、今度は、私が、君の館へ出向いてもいいのだけれど、どうだろうか」
 美しい金髪に縁取られた優しい顔立ちが、期待に明るく輝いた。
「本気にしてしまうよ。いいんだね」
 年長の友は、この港町でも、屈指の忙しい日々を送っているはずなのだが、あっさりと言った。
「もちろん。お邪魔でなければだけれど」
「私の客に、誰にも、文句などいわせない」
 サルフィにとって、エリーティルは、異母兄であり良き友であるが、祖父母にとっては、大事な娘をたぶらかした男と、娘とは別の女の子供だ。
 当然、良くは思っていない。
 異母兄は、それを承知の上で、出向いてくれるという。
 美しい子供は、王が望んでも得られない満面の笑みを、惜しげもなく見せる。
 エリーティルは、残酷なほど幼い弟に、ため息をつく思いをした。
「平穏無事も、いましばらく…の事…だから」
 港町の主は、小さく呟いた。



 

 

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