INDEX|物語詰合せ

   
 

◆目次◆

序 章
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
終 章

挿絵の間

 

【序 章】

 王城から続く緩やかな石畳の路を行くと、港町の喧燥が近づく。潮の香りに、そぞろ歩く貴婦人の香料が混じり、愛想のいい商人が、海鳥の凶悪な鳴声に負けじと声を張り上げて誘っていた。

 市場の一角に、商人達の束ねたる会頭が、館を構えている。豪奢な建物は、王侯貴族のものとしても、おかしくないほどで、寺院や貴族はいい顔をしない。
 主は、平民として生まれた一介の商人に過ぎなかったが、人々の敬愛は、王城よりも、むしろこの館に向けられていた。
 町の商人はもちろん、はるか異国の船乗り、お忍びの王侯貴族、はては寺院の僧まで、多くの客人がさまざまな理由で、館の主を訪れる。
 もう一つの王城、または寺院…と、密かにささやかれてさえいた。

 館の主は、優しい微笑みを見せ、年若い友人を招き入れた。
「我が友よ。しばらくぶりだね。私のことなど、もう忘れ去られてしまったのかと、案じていたところだよ」
 客人は、頭を振る。
「友よ。恥ずかしいことだけど、両親のない私を育ててくれた祖父母が、孫の無鉄砲を嘆いて、屋敷に閉じ込めようと策を巡らせるのだ」
 主は、友を長椅子へ腰掛けさせた。
 軟らかなクッションに身を沈めた少年は、苛立ちと気恥ずかしさに、いまだ髭のない白い頬を紅潮させている。
 港町の主である男は、肯いた。
「それは、無理からぬ事。親愛なるサルフィ。貴方ときたら、異端の罪人の行方を求めて、世界の果て、氷の大陸まで船出をするような人なのだから」
「罪人といっしょに遭難したのが、君でなかったら、思いとどまったよ。でも、君だった。エリーティル」
「感謝している」
 サルフィは、年長の友の穏やかな表情を見あげた。
 壮年の…世慣れた落ち着きのある商人…とばかり思っていた。顔も知らぬ父に見立ててみたこともある。
 それが…
「夢みたいだ。目の前の貴方が、元は海賊で、私とそう年の変わらないくらい若くて、挙げ句に私の異母兄だなどと…!」
 エリーティルは、一時は切った髪と髭を、伸ばし始めていて、またもや年齢不詳の穏やかな風貌をとりもどしつつある。
 この優しげな人物が、異端の咎人をかくまい、同じ罪に問われたのは、さほど古い話ではない。
 そして、寺院の裁きから逃れる為に船出し、嵐によって氷の大陸まで流されたのだという。
 しかし驚くべきは、帰郷するや否や、寺院の恩赦を勝ち取り復権を果たしたことだ。その見事な手腕は、人々を驚嘆させている。

 今や、何もかもが元の鞘におさまり、日々は平穏だ。
 いささか退屈なほどに。


「我が友よ。何か面白くないことでもあったのかな…王城で?」
 エリーティルが、碧い硝子の杯に果実酒をそそぐ。夕方の赤い陽射しを受けて、金と翡翠で象眼された指輪が、ほんのりと輝いた。
 サルフィは、友と呼ばねばならない異母兄へ、弱々しい微笑みを見せた。
「王が、私を次の宰相にと望まれた。私は、ありがたくお受けせねばならないのだろうか?」
 港町の隠れた王は、首をかしげた。
「そうだろうね。ところが、君は憂鬱だ。つまり、ありがたくないというわけだね?」
 サルフィは、宰相に望まれても、不思議でないほどの名門貴族の子弟である。だが、いかにもまだ幼い。
 王の望みは、宰相としての才を見込んでというより、名門の血と、少年の美貌を身近に侍らせる事にあることは、明らかだった。
 見栄えと血筋のよい宰相の存在は、王に徳があることを、人々に示すだろう。


 少年は、美しい金髪に縁取られた優しい顔立ちを歪め、年長の友に不快を訴える。
「あれは、僭王。三代前の王が身罷ったとき、跡継ぎの王子がいなかった。后が王としてたち、その連れ子が跡を継いだ。その末裔。王の血を持たずに、王を名乗る卑しい男。その宰相になれと?」
 エリーティルは、苦笑した。王は、どのように切り出したのだろう。さぞかし、この少年の機嫌を損じることをおそれ、断わられることに脅えていたろうに…。
 砂糖菓子を美しく盛り付けた銀盆を引き寄せて、少年に薦める。
「今の世は、とても平和だ。王は、その役割をよく果たし、寺院もまた、今の王を認めている。つまり、神様もだ。君も許してあげればどうだろう。王自体が、嫌いなわけではないのだろう」
「エリーティル。君が、神を持ち出してくるのか?」
 サルフィは、驚いて目をみはった。たしか、この友人は、冒涜の罪を犯し、寺院に追われたはず。
 エリーティルは、鷹揚な微笑みを見せて肯いた。
 だが、穏やかに語る言葉は、寺院に対してずいぶんな含みを持っていた。
「王は、神に遣わされるもの。王の真贋を語るとき、神の存在を抜きにするわけにはいかない。神がなければ、本物も偽者もない、王という存在自体成り立たないのだよ。そして、今の世の秩序という秩序は、王という存在によって保証されている。秩序のために王が必要なら、王も神も寺院だって、認めるにやぶさかではない」
 サルフィは、戸惑った。
「どういうこと…?」
 港町の隠された王は、年若い友の前に腰を下ろし、その手を取ると、慈しむ眼差しで美しい子供を見つめた。
「一つの御伽噺がある。王という存在について、私が学んだ物語だ。君に、それを知って欲しい。どうだろう。我が友よ」
 少年は、不承不承といったていで呟いた。
「その物語が、君の口から語られるのならば、もちろん」


 


………魔女を退けた善き王の物語………

 昔々、砂漠の果てに、ティンク・トゥンと称する小さな王国があったのだそうです。
 長い間よく国を治めていた王が亡くなり、その後を二人の王子が継ぎました。
 といっても、兄王子ですら、成人には、幾分かの間があり、弟王子にいたっては、まだまだ乳母の手が必要な幼さです。
 人々は、王国の行く末を危ぶみました。
 けれども、これもまた神の采配なのです。間違いのあろうはずがありません。なるほど兄王子は、神の祝福のもとに、若く美しく公平で聡明な王となりました。
 ティンク・トゥンの都は、輝かんばかりに富み栄え、あらゆる人が、善き王と、その治世を称えます。
 ただ一人を除いて。

 それは、ティンク・トゥンの東、闇を纏う険しい山に棲む千年を経た魔女です。
 邪悪な魔女は、王国の民が、善き王を称えれば称えるほど、妬みにもだえうめき、山の獣達すら脅えさせるほどの瘴気を、撒き散らしました。

 ある日のことです。
 女の影が、岩屋を抜け出し、飛ぶようないきおいで山を駆け下りて行きます。一際激しい呪詛が大気を震わせました。
 魔女は、呪詛とともに一足毎に姿を変えていきます。
 深い皺が刻まれた肌は、見る間にはりを取り戻し、白く色褪せた髪は、長く豊かに伸び、また闇を孕んだ漆黒へと染まりました。
 王都の門前にたどり着いたのは、恐ろしいことに、咲きたての薔薇のようにみずみずしく美しい乙女だったのです。
 人々は、争う様に、乙女を王の前に導きました。
 善き王は、若く、いまだ后を持ちません。これほど美しい娘を、善き王へささげることができたものは、どれほど神の祝福を得られるだろうと考えたのです。
 そうして、魔女は、まんまと王城へと入り込みました。

 その時、善き王は、弟王と兄弟水入らずで、くつろいで居られました。
 王城の居間では、アラバスター…雪花石膏…製の無数の円柱が、多彩な色彩に彩られた丸天井を支え、豪奢な絨毯が敷き詰められております。清雅な花々が生けられた花瓶は、瑪瑙や水晶で形作られ、あらゆる空間を飾っておりました。広間に設えられた小さなせせらぎは、そのまま庭の噴水へとそそがれます。
 その美しい様は、そのままティンク・トゥンの繁栄をあらわしているかのようです。
 人々は、思いました。ここへこの薔薇の花冠のように美しい娘を王妃としておきたいと。

「おまえ達。これは、なんとしたこと。何という者を、連れてまいったのだ!」
 善き王は、乙女を一目見るなり、嫌悪に眉をひそめました。
 媚びを含んだ魔女の眼差しは、何一つ効果をあげません。
 人々は、いぶかしみ、若い王が恥じらっているものだとばかり思い、とりなそうといたします。
 王は、神に祈ると、邪悪な女を指差して言いました。
「立ち去れ。卑しい魔女よ。お前の真の姿は、我が眼にあらわに映る。退くがいい、闇の眷族よ!」
 王の言葉に、女の眦が裂け、真白の頬に黒い血の涙が流れ落ちた。暗雲が王城を覆い、雷が降りそそぐ。
「月のごとく美しく若き王よ。ただの人であるお前が、よくぞ我が正体を見破りしもの。神に祝福されし者よ。闇に呪われるがいい」
 善き王は、応えて言う。
「魔女よ。王は、ただの人ではない。真に神に祝福されし者は、いかような魔術にても、惑わされることはない。惨めな手妻を、その皺深い手におさめよ。今なら、慈悲をもって、その命まではとるまい!」

 王は、神の加護をもって魔女の誘惑を退けると、呪われた女から、すべての魔力を剥ぎ取り、砂漠へと追放したのだそうです……
 人々は、神へ感謝の祈りをささげ、善き王に、いっそうの尊敬と忠誠をささげたのでした。

 こうして物語は、終わりを告げたようでした。けれど、これは始まりに過ぎません。
 追放された魔女は、再び王都を目指すのです。
 その頃、砂漠を行くある隊商が、なかば砂に埋まり死にかけた一人の美しい乙女を救ったのだといわれています。

 
そして……


 すっかり身を乗り出して聞き入っていた少年は、語り手が口をつぐんでいるのに、気が付いた。
「そうして?」
 サルフィが、焦れたように促すると、年長の友は、困ったように首を傾げる。
「今日は、もう遅い。ここまでにしよう。お迎えがきたようだ」
 見ると、入り口の紗幕が巻き上げられ、見覚えのある男達が案内されて来る。祖父母がつけた護衛だ。
 少年は、友の手前、幼い癇癪をこらえた。小さくため息をつく。
「では、またの機会に、続きを聞かせてくれたまえ。でも、これでは、正しい王は、神の加護を得ることができるのだという物語のようだ……君が言いたいのは、もっと別な事だと思っていたのだけれど…」
「さて、どうだろうね。我が友よ。なにしろ、ほんの始まりに過ぎないのだから、あまり性急に判断するべきでは、ないかもしれない」
 港町の主は、あくまで穏やかに応える。


 一日の終わり、寺院の鐘を聞きながら、寝台にあがると、燭台の焔がゆれた。
 人影が、商館の主の寝室へ音もなく忍び込む。
 嗄れた声が、囁く様に言った。
「旦那様。大事な若君は、無事お床へお入りになられましたぜ。だいぶおかんむりでしたがね」
 エリーティルは、黒檀を思わせる肌の男へ肯いてみせた。
「バハディース。ご苦労だった。申し訳ないが、しばらく、いたずらっ子の護衛についてくれないか」
「旦那様の御心のままに…でごぜいますだ」
 黒い巨漢は、大袈裟な身振りでおどけてみせる。
 エリーティルは、苦笑すると、腹心の肩を叩いた。
「下手な、敬語はよせ」
「へいへい。お頭。もうよいお年なのに、お子様といっしょになって、おいたするのは、勘弁…でごぜいやすよ」
「幼馴染のバハディース。召し使いごっこが、よっぽどお気に入りのようだな」
「主によりけり…でごぜ…ます」
「まったく…主によりけりだ。今の王をどう思う」
 バハディースは、肩を竦めた。
「いいんじゃ、ありやせんか?なにしろ、何にも争いごとが起きやせん」
「今の所…はな」
 エリーティルは、小さく呟いた。


 

 

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