Amazonの中古本で注文していた佐高信の「官僚たちの志と死」が届いた。

 夕刊連載の「人脈記」のこのところのテーマは「水俣は問いかける」。ちょうど一週間前の第5回の記事に、環境庁にいて水俣病問題を担当した山内豊徳のことが書かれていた。水俣病に関わる一連の出来事の中、官僚の側に自殺者がいたことを初めて知った。

 佐高の指摘通り、「理想を支えるその技術」が山内にはなかったということになるのだろうが、山内自身にもそのことはわかっていたと思う。ならば、そんなところまで自分を追い詰めなければよいということになるが、それを自分に許すことができない人となりであったか、気がつけばそういう場所に行き着いてしまったということか。

 末尾に佐高は小さなエピソードを紹介している。

 大江が作家としてデビューする東大新聞の「五月祭賞」に山内も応募していた。大江によって作家の道をあきらめた人は多い。演出家の久世光彦などもそうだというが、山内もその一人である。・・・(略)・・・大江が脚光を浴びて作家の道を歩き始めるのを横目に見なければならなかった。

 ここで「大江」というのはもちろんノーベル賞作家「大江健三郎」。

 まったく違う世界の話だが、王貞治の陰に隠れた木次文夫のような話。もちろん山内は次官候補とも評されたキャリア、埋もれてしまった人とは言えないのだが。

 以下、メモ。青木正久「国会議員のふつうの生活」からの引用部分。環境庁、通産相、大蔵省、そして外務省についての「官庁見取図」が面白い(P37)。山内に関する章ではないが、藤原弘達「角栄、もういいかげんにせんかい」からの引用部分。角栄の官僚操縦術、内容も内容だが、これを大蔵官僚の居並ぶ前で語ったとする部分が凄まじい(P99~100)。(6/30/2011)

 テレビ朝日の「報道ステーション」の「原発一言集」、きょうは石川迪夫だった。

 最近、「原子炉の暴走(第2版)」を読んでいたら、こんなくだりがあった。

 今はテロ対策のために原子力発電所の見学ができ難くなったが、昔は見学用コースとしてお定まりに、原子炉建屋オペレーティングフロアにある使用済燃料貯蔵プールを覗き見るのがあった。プールの照明を消して目を凝らして見ると、わずかではあるが、淡い青緑色の光が燃料の周辺から出ているのが分かったものである。この光がチェレンコフ効果と呼ばれる、原子力特有の現象である。・・・(略)・・・チェレンコフ光の美しさについては、断言もし、証言もできる。神々しいという形容詞がぴったりの、美しい光である。僕はこの光を見るのが好きで、NSSRの実験の都度、炉心の上に立って眺めていた。10メートルほどあるプールの水を通して、炉心から発するチェレンコフ光を眺めるのだ。秒読みが始まり、パルス出力が発生すると、炉心全体が燦と濃紺に輝く。輝いたと思う間もなく、紺色の光はみるみる淡い青となり、消え去ってゆくのである。その時間は10秒ほど。消え去る光の色が余りにもいとおしく、返せ戻せと叫びたくなる。清楚で、美しい光だ。

 面体のわりに意外に詩人なのだと思わせるが、ここを読んだとき頭に浮かんだのは「博士の異常な愛情」という映画タイトルだった。石川センセイにとって「原発は恋人」なのだろう。

 それにしては今夜のセンセイのコメントはできが極端に悪かった。まず、「原子力発電のキットは壊れていないと思いますよ。ただそのレイアウトに問題があった」。これが彼の反省らしい。さすがに断言はできずに「壊れていないと思いますよ」と主観に逃げ込んだところにすでに強気の人の傲岸がすっかり影を潜めていた。

 もちろん「原子力発電のキット」は壊れていた。酸素のないところでは水素爆発は起きない。水素が漏れ出ていたから水素爆発が起きたわけで、どこをどのようにごまかしても「基本キット」が地震の一撃で壊れ、津波による停電がとどめを刺したことは隠せない。

 しかし石川の悲惨が露呈したのはそれに続く言葉だった。「電力不足が競争力を奪い日本が朝鮮や中共やソ連に市場を奪われてもいいというなら別ですがね」。テレビ朝日も発言字幕の「ソ連」というところに「ロシア」と注釈を付けざるを得なかったところがほんとうに「悲惨」だった。

 かつての彼は可能な限り「中流の日本人」にアピールするために言葉を選んでいたから、こんな言い方はしなかった。しかし、もはや原発推進派にとって頼れるのは「頭の悪い右翼屋さん」と「誇れるものはお国だけという貧民層」しかいないということを肌で感じているのだな、気の毒に。そう思った。

 原子力村のドンだったはずのセンセイが福島の現場にも寄りつかずに、はるかに離れたところからキャンキャンと遠吠えばかりしている。所詮このていどの人とすれば、自家中毒を起こしたナショナリスト、あるいはプライドは「日本人である」ということしかない「ムサン階級」にアピールすることが最後の手蔓というのは理解できなくもない。可哀想に、堕ちたものだ。(6/29/2011)

 東京電力の株主総会がきょう開催される。きょうは他に、中部電力、北陸電力、九州電力。残りの北海道電力、東北電力、関西電力、中国電力、四国電力、沖縄電力はあした。

 東電の株主総会は9,300人ほどが出席、質問も40人以上、6時間を超えるロングランになった由。一部株主による「脱原発」提案は8%の賛成を得たものの否決されたとのこと。

 この時期、期末配当金支払いの文書とともに「第**回定時株主総会決議等ご通知」あるいは「第**期ご報告」とか「株主通信」というのが送られてくる。たいていは株主総会の翌日に届く。(うちの手持ち株の中でいえば、総会の翌週にならないと来ないのは「小野薬品」くらいのものだ。小野薬品はとにかく忘れられたかと思うほど遅い。最初は関西のためと思ったが、同じ関西でも「武田薬品」は翌日に来るところを見ると、トロいのは小野薬品の「社風」なのかもしれない、呵々)

 小野薬品は別格として、株主総会の日の朝には委託代行する信託銀行には手配済みになっていなければこんなことはできない。大株主から委任を取り付けているからこそ、こんなことができるわけで「原発」議案も同じ。東電にしてみれば6時間はひたすら神妙にしながら、心の中では「バーカ」と笑いながら舌を出していたに違いない。そもそも「多数決原理」というのはそういうものだといってしまえばそれまでのこと。

 最初から原発のない沖縄電力を除けば、残りの9電力と日本原子力発電、そしてこれから原発を保有しようという電源開発は経営方針を変えるつもりはない。つまり、「大地震だの、大津波だのが、そうそうあるわけはない。東日本大震災があったんだから、逆にしばらくの間はないといっていいくらいのものだ」とタカをくくっているのだ。こういう考え方をリスク・マネジメント(いや、クライシス・マネジメントか)というのかと思うと大嗤いしたくなる。

 単独の電力会社の株を買う気はないが、もし株主にでもなったら主張したいことがある。まず、原発維持に賛成した株主と反対した株主を記録していただきたい。反対派は原発事故が発生しない間は配当を賛成派の方たちの7割程度にしていただいてけっこう。ただし、原発事故が発生して株価が急落した場合、経営陣と賛成派株主は反対派株主の株価を発生直近の株価で100%買い取ることに無限責任を追う、つまり、原発事故発生時のリスクを経営陣と賛成派株主に100%負担してもらうのだ。これを認めさせたい。(ここで無限責任というのはロイズのネームが負っているような責任を意味する。ことがあれば、全財産を処分しても、払いきれなくとも完済するまで無期限の補償責任を負う)

 民主主義という制度の中で名ばかりとなっている「少数意見の尊重」に対して一定の敬意をはらわせるためには、このような「懲罰」の仕組みが必要だ。そうでない限り、無責任な「多数者の専制」、愚かな「大衆の暴走」を防ぐことはできない。

 九州南部が梅雨明け。昨年より22日も早く、平年に比べても16日早い由。(6/28/2011)

 日曜配達の「日経ヴェリタス」に証券税制に関する部分だけの抜き書きが載っていた。

 今年の税制改正に関する修正法案、参院で可決というだけのことはニュースで知っていたが、内容についてはほとんど意識がなかった。

 株に関する特例措置は再度2年延長されて、13年12月31日まで10%が適用。我が家にとってはありがたい話だが、預貯金利息に対する税率は20%なのだから、あきらかにこれは「金持ち優遇」色の強い措置。なんのかんのといちゃもんをつけ、「なんでもカンでも反対自民党」なのかと思いきや、こういうことだけはちゃっかりと「野合」する自民党の狡猾さは政権与党の時と何も変わらないし、反対は共産党だけだったというから、所詮、民主党も第二自民党としての資格は十分。

 閑話休題。それよりも大きい話はFXの取扱いについての改正。従来は取引所取引のみに認められていた損益通算と損失繰り越しが来年1月1日からは店頭取引にも認められるようになった由。

 3月に「個人事業の開廃業等届出書」などを出して青色申告申請をしたのは主にFX取引での稼ぎが気になってのことだったわけだが、プログラム改造や製作などの話が単発で終わった現在はちょっと重荷になりつつあった。しかし、FXとCFDで株式同様に損益通算、3年の損失繰り越しが可能となれば、少し考え方も変わる。もっともこちらの方は税率20%の申告分離課税だが。(6/27/2011)

 朝刊に、先日、世界記憶遺産に指定された山本作兵衛の炭鉱画が6点ほどカラーで掲載されている。

 「立ち掘り」は指定が決定したときの朝刊にも小さく紹介されていたものだが、他に5点ほど。「入坑(母子)」は母と赤子を背負った息子が蝋燭を手に坑内を歩く図、「入浴」は炭住の共同風呂の図。男女混浴というのはもともとの日本の習俗で違和感をもつのは現代人故の感覚。米騒動の折の連作から「軍隊の出動」と「盆踊り」。

 ちょっとした示威行為にも軍隊を出動させ、集会にも神経を尖らせた当時の当局。盆踊りの図にはこんな文章が付けてある。「暴動は十八日に軍隊の弾圧によって鎮まりしも、尚余煙は去らず、十名以上集合禁の警令がでていた。恰も旧暦の盂蘭盆で豊前特有のウチワ踊がハズム。大勢円輪であるから警官の姿を見ると四散八走する浮腰踊りであった」。円輪というのがどこか連判状を連想させる。それにしても、文語調ではありながら「っ」と小さく書くのは引退後、戦後になってからの記述であるせいか。

 異彩を放つのが「ヤマと狐」の図。・・・爆発でやけどをして寝ている男の家に大勢のキツネがやって来た。治療と称して皮をはいで、夜が明けないうちに消え去った。患者はすでに息絶えていた。奇怪な出来事だが、「実際にあった事だから致方がない」と山本は書いている。キツネはやけどの皮膚を好むそうだ。明治33年のこととか。

 柳田国男が「遠野物語」を著したのは1910年、明治43年のことだ。明治の中ごろまでは、まだ多くの人々は山里の境界が定かならぬ「まどろみ」の中にいたのかもしれない。絵には前身包帯にくるまれた人を取り囲むおびただしいキツネ、着物をまとった人の頭だけがキツネというのが奇怪。(6/26/2011)

 ニューヨークダウは三日連続の下げ。けさなどは115ドル42セントも下げて、週末の終値は11,934ドル58セントになり、また12,000ドルを割り込んだ。

 バーナンキの記者会見における発言に見る限り、アメリカ経済は「失われるべきX年」に突入したようだ。いわゆる「大恐慌」は1929年のウォール街の株価大暴落に始まったが、恐慌のピークは32年から33年に来た。もちろんこれは31年のオーストリアのクレディート・アンシュタルト銀行の破綻を経てのことではあるから、機械的に3年後とするのは間違いかもしれないが。

 落日のアメリカが、手品師よろしく、しきりにギリシャをはじめとするPIIGSの国債にミスディレクションを誘うのは、法定上限に達したアメリカ国債の借り換え期限が迫っていることと、自国内の不動産市場が一向に改善しないからだろう。

 上下動の激しい状況が当分続くとしたら、素人は高みの見物に徹する方がいい。どうせ、どこかで作られたシナリオによって株価は意図的に振られるだけ。そのシナリオを知らされないアウトサイダーのカネを搾り取るために仕組まれてものと考えておく方が安全というものだ。(6/25/2011)

 暑い。きのうも熱帯夜だったらしい。朝から強烈な南風。熊谷では午後1時40分に39.7℃を記録した由。6月に39℃台というのは観測史上初めてとのこと。これまでの記録は、91年6月27日、静岡市で38.3℃だったとか。

 IAEAの閣僚会議が閉幕した由。フクシマの教訓をベースに地震や津波などの複合災害に対応する安全基準を見直すとしながら、各国の原子力規制当局の独立性は確保するなど、具体的なことは何も決まらなかったようだ。こうなると原発輸出国のビジネスをやりやすくするための環境作りを推進しようとしているのではないかとさえ思える。

 フクシマで起きたことへの対策さえ行えば「原発推進OK」といわんばかりの流れを見せつけられた思いに、久しぶりに「ヨブ記」を読んでみる気になった。

 神の意思の計り難さ・・・というようなことについて思いが及ぶときには、やはりこの書に戻ってきてしまう。「無智の言詞をもて道を暗からしむる此者は誰ぞや」。不信心者故、神のこの言葉などが心地よいのだ。しかし、幾度、読んでも、この書の最後はいかにも安直な感じがぬぐえない。

 まず、ヨブは幸せであった。倍返しの祝福が与えられたからではない、神がちゃんとお出ましになり、神の言葉を、直接、聴くことができたからだ。それはヨブが「全き人」であったからだといわれれば、もう「そうですか」としか答えようがない。

 しかし、もし、エリフの問いかけとヨブの返答で「ヨブ記」が終わっていたら、この書は人間にもっと深く己の生き方(あるいは信仰といってもよい)を考え抜くよう、迫ったものになっていたような気がする・・・と、これは手に取る気になったときのことは忘れての「感想」。(6/24/2011)

 予想通りの熱帯夜だった。今年の夏も去年同様、暑く、長い夏になるのだろうか。それにいささか異常で過剰気味の「節電」キャンペーン。少しばかり憂鬱。

 きのう買ってきた志村嘉一郎の「東電帝国-その失敗の本質-」を読んでいたら、日本テレビの「原発爆発」を見ながら浮かんだ疑問のひとつに対する答えを見つけた。

 福島の事故でも、送電線がすぐに復旧せず外部電源接続に時間がかかったことについて、電中研OBに疑問をぶつけてみた。
 「事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所の外部電源は東電からの電気にすべて頼っていた。東北電力からの電源もつないでおけば、東電からの外部電源が止まっても炉心に水を注入できたはずだ。福島第二の外部電源は東京電力だけでなく東北電力からもつながっているが、第一は設計段階から、東北から電気をもらわなくても東京電力だけの電源で緊急時に対応できるという考え方だった。地震と津波で東電からの電気がすべて遮断されるという想定は最初からないので、東北電力からの外部電源は考えていなかったのだ」と語っている。
 最初の段階で東電は「外部電源は地震ですべて遮断された」としている。東北電力からの電源についてはどうだったのか。東電内部の関係者に聞いたところ、次のような事実がわかった。
 「東北電力からの電源はあった。しかし、それは原発工事用の電源で、工事が終わってからは福島第一原発では外部電源として使っていなかった。東京電力新福島変電所からの六系統が、地震による鉄塔破壊などですべて止まったあと、東北電力からの工事用外部電源ケーブルがきていることがわかり、原発に接続しようとしたが、時間がかかり容量も十分ではなかった。結局、外部電源がすべて復活するのは、新福島からの六系統が回復した二十日で、事故の九日後だった」

 もちろん疑問は残る。六系統もの給電ルートがありながら、そのすべてで鉄塔の崩壊があったとは信じられない。どこかに共通のボトルネック(引き込み部分など)でもなければあり得ない。そうだとするととんだ「設計・施工」ということになるが、まさかそれほどマヌケではあるまい。とすると、この期に及んでもまだ隠しておきたい何かがあるのだろうか。

 それはそれとして、感想を一つ。日本テレビに比べ格段に見劣りのしたNHKの「原発危機」だが、その中で寺田学総理補佐官が「電源車を集めることに奔走した」と語っていたのを思い出した。

 寺田は「専門家ではないので、事業者である東電からそれが必要だといわれれば、それをサポートするのが当然のことと思った」と言っていたが、東電という「事業者」のレベルが「地震による鉄塔破壊などですべて止まったあと、東北電力からの工事用外部電源ケーブルがきていることがわかり、原発に接続しようとしたが、時間がかかり容量も十分ではなかった」などというお粗末なものだったとすれば、東電などには「電源車を集めること」に専念させるべきで、デシジョン・ツリーを詰めてゆく作業などをやらせるべきではなかったのだ。能力が決定的に欠けている単なるバカ集団なのだから。(6/23/2011)

 夏至。暑い。陽射しが強く、影の輪郭がくっきりしている。まるで梅雨は疾うに明けて、夏が来たような錯覚を覚える。

 松濤の戸栗美術館で「青磁の潤い、白磁の輝き」展を見る。**(家内)は以前にも訪れたことがあるということだったが、こちらは初めて。日本を中心に中国、朝鮮のものを集めた陶磁器専門の美術館だとか。もともとは鍋島藩屋敷のあったところというのだが、渋谷のこのあたりといえば江戸時代には街外れだったのではないか。

 第一展示室は青磁、第二展示室は白磁、第三展示室は染付、銹絵、辰砂などという区分。

 第二・第四水曜日には展示解説をしているそうで、ちょうどそれが始まるところだった。説明員は新人さんらしく、ほとんど資料を棒読みするような感じ。ぞろぞろと群れて歩く気になれず、申し訳ないが、それを避けて第二展示室から見始めた。

 青磁は好きなのだが、それに染付風の青柄というのはしっくりこない。結局、最初に入った第二展示室の白磁が一番気に入った。江戸初期から中期までの伊万里。なにがどうということは分らないながら、惚れ惚れするようなものがいくつかあって、折々足を運んでみたくなった。

 いったん渋谷に出て、会期切れが近い泉屋博古館分館へまわった。いくらタダ券の期限があるとしても一日に二つというのは疲れるし、もったいない。しかも、この暑さ。疲れた・・・と言いつつ、帰りにはLIBROに寄って、多田智満子の詩集、ハードカバーを3冊、新書を5冊、加えて志木の**(甥)に送るつもりで立花隆の「青春漂流」を購入。「青春漂流」、奥付を見るとすでに「43刷」になっている。この本、これまでに、いったい何冊買ったことか。(6/22/2011)

 きのう書き残した東電関係者と御用学者様について。繰返し録画を見るうちに腹の虫が治まらなくなってきた。

 保安院の寺坂信昭などは、ある意味、気の毒なのだ。きのうも書いたが、寺坂は東大の経済卒、所詮は事務方の官僚に過ぎない。しかし国会の委員会に呼出をくらった以上は質問にお答えするのがお役目。もちろんプラント設計なり信頼性工学なり、そういったことを知りもしないで京大工学部原子力工学科卒の質問者に向かって答弁するのだから、もう少し謙虚にした方がよかったのかもしれないが、共産党の議員が相手だ、精一杯虚勢を張って見せたのだろう。いまとなっては、そのピエロぶりが痛ましくさえある。分かりもせずに「そもそもそういった事態が起こらないように工学上の設計等々もそういったことはあり得ないだろうというぐらいまでの安全設計をしているところでございます」と語るなどはまさに「巧言令色鮮矣『能』」とでも言うべきか、呵々。

 知ったかぶりのピエロのことはどうでもよい。はらわたが煮えるのは、世間的にはこの分野の専門家と見なされてきた人々の無惨かつ無責任極まりないコメントだ。

 まず「あり得ないだろうというぐらいの安全設計」の基準となった設計審査指針。番組はそれを紹介した。「指針27.電源喪失に対する設計上の考慮」の冒頭には「長期間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない」とある。

 この記述について問われた原子力安全委員会委員長の斑目春樹は「いや(その指針は)知りませんでした」。驚愕の証言だが、それに続く言葉はもっとすごい。「なんとなくそういうところまで全部読みながらですね、あの、エー、やっぱり読み飛ばしているんですね」。

 審査指針が頼りにする外部電源は、津波が来る前、すでに地震で送電線鉄塔が倒壊し絶たれた。原子力安全委員会で耐震性の審査にあたった入倉孝次郎は「鉄塔というのは原子力発電所の耐震設計の評価の対象じゃないんですね。一般構造物なんですね」と言ってのけてから、言い訳のように「それが壊れたことによって、全部壊れると、これはとんでもないことですよね。それが抜けていたんですね」と続けた。どうやら、「耐震設計の評価対象ではなかったのだから、わたしの責任ではない」と言いたいらしい。(ちょっとした工場の場合「特高二回線受電」くらいは常識だ。特高かどうかは別にしても、福島第一への給電ルートはいったいいくつあったのだろう?

 今回の最大のお嗤いは頼みの綱の自家発がすべて「転けた」ことだ。それは津波をかぶったせいだが、自家発と燃料施設の配置、それらの耐震性と耐水性がどのように検討されたのか、よほどの素人でも気になるところだ。

 番組はレイアウトに問題があったという見方にたって、副社長を務めた豊田正敏(東電社内では「原子力の帝王」と呼ばれた人物だった由)に尋ねている。豊田は「GEはコンサルタント会社のエバスコというところに配置設計をやったんですが、その際、原子炉の安全上の重要な電源であるディーゼルであるにも関わらず、原子炉建屋に置かないでタービン建屋に置いた。それで今回地震が来て津波が海側のタービン建屋に来て、それでディーゼルが止まったということですけども・・・」。

 番組はここで「なぜ、津波に弱い場所に非常用ディーゼル発電機を置いたのか?」と問うていたが、おそらく、それは丸投げされたGEの原発で臨海部に設置されたものがなかったからではないか。自家発は電気設備であるからタービン発電機のある建屋に設置される方が自然だ。外部からの給電ラインは当然タービン建屋に引き込まれ電源配線とともに給電・遮断をまとめて操作制御する方がすっきりするだろう。海岸に設置することを決めたのはGEではない。とすれば、海岸に設置することにより設計的配慮をすべきなのは東電であり、GEの下請けをつとめた東芝だったことは明らかだ。

 そんなことはさておき、豊田の話の続きを書こう。「東電関係者もメーカーも誰も気がつかなかったというのはちょっとおかしいんじゃないかと思うが実際そうなんで残念だと思います。その当時は気がつかなくても、耐震設計の見直しを何回かやっているのんですね。担当者は気がつくはずです。気がついてもカネがかかるのでやらなかったんじゃないかと想像しているんですけどね」。

 副社長というのは経営職だ。おかしいと気がついてもカネの壁が立ちはだかるヒラの技術者とは違う。部課長のような管理職とも違う。管理職と経営職の違いは課題の摘出と解決のために経営資源をかたむける判断をし、実行する責任の有無にある。その副社長さんが「担当者は気がつくはずです。気がついてもカネがかかるのでやらなかったんじゃないかと想像しています」と言うのは論外だ。副社長を務めたとすれば、豊田は退いたあとも相当期間、「顧問」ぐらいの待遇を受けていたはずだ。彼はその報酬を単なる「年金」と思っていたのだろうか。

 番組にはもうひとり、恐るべき「学者のクズ」が登場した。衣笠善博だ。80年代に柏崎刈羽原発の安全審査に関わり、「近くに危険な活断層はない」というお墨付きを出し、中越沖地震の発生により赤恥をかいた人物として、一挙に「令名」の高まったお方。自らの主張が事実によって否定されれば、ふつうの学者は「沈黙」する。衣笠は違う。番組は2008年に彼が行った「抗弁」の映像を流していた。

 「その当時はその当時の考え方および審査指針。あるいは審査の実績に基づいてそういう判断をしてきたわけなので、その当時としては我々はベストを尽くしたつもりであります。6月1日から、あの、法律が変わって後ろの席でもシートベルトをしなきゃいけなくなりましたよね、その前日まではシートベルトをしなくても法律違反じゃなかったわけですね、基準が変わったんだよね、基準が変わったあと、昔、お前シートベルトをしてなかったんじゃないかと言ったって、そりゃ始まらない。ハイ・・・」。

 この人は「学者」なのだろうか。「学者のクズ」だろう。人間という動物にはこれほど卑怯な奴もいるといういい見本だ。ふつうの人間からいわせてもらえば、衣笠善博は「人間のクズ」でもある。番組には「東工大教授(当時)」とあった。彼はいまも東工大にいるのだろうか。「東工大」で「学者のクズ」と言えば、いやでも清浦雷作を思い出す。ツバメが泣いてるさ、きっと。(6/21/2011)

 録画しておいた日本テレビ「原発爆発:安全神話はなぜ崩れたか」(けさ、午前0時50分から55分枠でオンエア)を見た。4月1日の朝日の朝刊に報ぜられた記事をなぞるような構成で、格別、目新しい話はなかった。しかし、少なくとも6月5日にNHKが放映した「原発危機:事故はなぜ深刻化したのか」よりは数段上回る内容だった。NHKの番組がいかに貧弱なものだったか、受信料を取っておきながらあのていどの番組しか作ることができなかったことをNHKとしては深刻に反省してもらいたい。

 番組は、まず、先日、甚大な竜巻被害を受けたアラバマ州ブラウンズフェリー原発から始まった。外部からの電源は失われたものの非常用発電機が機能して事なきを得たというナレーション。

 ブラウンズフェリー原発はオークリッジ国立研究所が全電源喪失時のシミュレーションを実施したときにモデルとした原子炉があるところで、その時に米原子力規制委員会(NRC)に提出された報告書は今回の福島での事故経過をほぼ予測するものだった。

 あえていえば、この時の知見を生かす形でブラウンズフェリー原発には非常用ディーゼル発電機は防水された建屋に8台設置され、建屋内の燃料タンクにより7日間、外部の予備タンクの燃料を使用すれば18日間の運転が可能になるように施設改善されており、今回の竜巻ではこの自家発が事故の拡大を阻止したこと、それが実物映像で見られたことがよかった。

 安全性の確保に対する考え方は、少なくともこの国の原子力村のおバカさんたちよりは徹底しているようで、フクシマで地震直後に携帯電話が使えなくなったことが分ると、即座に新たに衛星電話を配備したことが関係者の話として伝えられた。つまり、安全性の「穴」が見つかるとただちに対策するという「バックフィット」の考え方が徹底しているというのだ。これは最初の時点では緻密かつ綿密に準備を進めてシステムを構築するが、いったん完成し安定的な運用に入ると慢心に陥り考えられないような思考停止状態に入るこの国の通弊を戒めるために、今後、是非とも見習わねばならないことだ。我々、日本人は「創業の難しさ」より「守成の難しさ」に課題があるようだ。

 実物映像といえば、内容としてはすでに「プレジデント」誌のロイターへの転載とほぼ同じとはいえ、やはり活字よりは実際の映像の方がはるかにいろいろなことが見てとれて、興味深いものだった。

 昨年5月26日、衆議院経産委員会での質疑(「プレジデント」が報じたのは同じ議員による2006年3月1日の質疑)の状況。質問者は吉井英勝議員。「それ(全電源喪失)は炉心溶融にも至りうる大変深刻な事態を考えておかなければならないということだと思いますがどうですか?」。これに対し、寺坂信昭原子力安全・保安院院長は「日本の原子力発電所におきましてはいま申し上げましたような多重防護の考え方に基づいた設計がなされまして、それによって安全性を確保しているということでございます」と答弁し終わろうとした。ここで吉井から「最悪の場合は?」という質問が飛ぶ。すると寺坂は「最悪と言いますか」と言いかけて嘲弄するような表情を浮かべつつ「そもそもそういった事態が起こらないように工学上の設計等々もそういったことはあり得ないだろうというぐらいまでの安全設計をしているところでございますが」といい、いったん言葉を句切ってから、できの悪い学生に言って聞かせるような口調で「論理的な世界におきまして・・・」と続けた。残念ながらこのあとは番組ナレーションがかぶり聴き取れなかった。

 この問答のほんとうの可笑しさは両人の経歴を調べてみる倍加する。寺坂信昭は東大の経済学部卒、吉井英勝は京大の工学部それも原子核工学科卒なのだ。まさに「言う者こそ知らない者」なのだなぁというシーンだった。

 それにしても番組に登場した、東電関係者と御用学者たちの他人事風な口ぶりのすごいこと、すごいことあきれるばかりだ。(6/20/2011)

 きのう書き残した東電関係者と御用学者様について。繰返し録画を見るうちに腹の虫が治まらなくなってきた。

 保安院の寺坂信昭などは、ある意味、気の毒なのだ。きのうも書いたが、寺坂は東大の経済卒、所詮は事務方の官僚に過ぎない。しかし国会の委員会に呼出をくらった以上は質問にお答えするのがお役目。もちろんプラント設計なり信頼性工学なり、そういったことを知りもしないで京大工学部原子力工学科卒の質問者に向かって答弁するのだから、もう少し謙虚にした方がよかったのかもしれないが、共産党の議員が相手だ、精一杯虚勢を張って見せたのだろう。いまとなっては、そのピエロぶりが痛ましくさえある。分かりもせずに「そもそもそういった事態が起こらないように工学上の設計等々もそういったことはあり得ないだろうというぐらいまでの安全設計をしているところでございます」と語るなどはまさに「巧言令色鮮矣『能』」とでも言うべきか、呵々。

 知ったかぶりのピエロのことはどうでもよい。はらわたが煮えるのは、世間的にはこの分野の専門家と見なされてきた人々の無惨かつ無責任極まりないコメントだ。

 まず「あり得ないだろうというぐらいの安全設計」の基準となった設計審査指針。番組はそれを紹介した。「指針27.電源喪失に対する設計上の考慮」の冒頭には「長期間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない」とある。

 この記述について問われた原子力安全委員会委員長の斑目春樹は「いや(その指針は)知りませんでした」。驚愕の証言だが、それに続く言葉はもっとすごい。「なんとなくそういうところまで全部読みながらですね、あの、エー、やっぱり読み飛ばしているんですね」。

 審査指針が頼りにする外部電源は、津波が来る前、すでに地震で送電線鉄塔が倒壊し絶たれた。原子力安全委員会で耐震性の審査にあたった入倉孝次郎は「鉄塔というのは原子力発電所の耐震設計の評価の対象じゃないんですね。一般構造物なんですね」と言ってのけてから、言い訳のように「それが壊れたことによって、全部壊れると、これはとんでもないことですよね。それが抜けていたんですね」と続けた。どうやら、「耐震設計の評価対象ではなかったのだから、わたしの責任ではない」と言いたいらしい。(ちょっとした工場の場合「特高二回線受電」くらいは常識だ。特高かどうかは別にしても、福島第一への給電ルートはいったいいくつあったのだろう?

 今回の最大のお嗤いは頼みの綱の自家発がすべて「転けた」ことだ。それは津波をかぶったせいだが、自家発と燃料施設の配置、それらの耐震性と耐水性がどのように検討されたのか、よほどの素人でも気になるところだ。

 番組はレイアウトに問題があったという見方にたって、副社長を務めた豊田正敏(東電社内では「原子力の帝王」と呼ばれた人物だった由)に尋ねている。豊田は「GEはコンサルタント会社のエバスコというところに配置設計をやったんですが、その際、原子炉の安全上の重要な電源であるディーゼルであるにも関わらず、原子炉建屋に置かないでタービン建屋に置いた。それで今回地震が来て津波が海側のタービン建屋に来て、それでディーゼルが止まったということですけども・・・」。

 番組はここで「なぜ、津波に弱い場所に非常用ディーゼル発電機を置いたのか?」と問うていたが、おそらく、それは丸投げされたGEの原発で臨海部に設置されたものがなかったからではないか。自家発は電気設備であるからタービン発電機のある建屋に設置される方が自然だ。外部からの給電ラインは当然タービン建屋に引き込まれ電源配線とともに給電・遮断をまとめて操作制御する方がすっきりするだろう。海岸に設置することを決めたのはGEではない。とすれば、海岸に設置することにより設計的配慮をすべきなのは東電であり、GEの下請けをつとめた東芝だったことは明らかだ。

 そんなことはさておき、豊田の話の続きを書こう。「東電関係者もメーカーも誰も気がつかなかったというのはちょっとおかしいんじゃないかと思うが実際そうなんで残念だと思います。その当時は気がつかなくても、耐震設計の見直しを何回かやっているのんですね。担当者は気がつくはずです。気がついてもカネがかかるのでやらなかったんじゃないかと想像しているんですけどね」。

 副社長というのは経営職だ。おかしいと気がついてもカネの壁が立ちはだかるヒラの技術者とは違う。部課長のような管理職とも違う。管理職と経営職の違いは課題の摘出と解決のために経営資源をかたむける判断をし、実行する責任の有無にある。その副社長さんが「担当者は気がつくはずです。気がついてもカネがかかるのでやらなかったんじゃないかと想像しています」と言うのは論外だ。副社長を務めたとすれば、豊田は退いたあとも相当期間、「顧問」ぐらいの待遇を受けていたはずだ。彼はその報酬を単なる「年金」と思っていたのだろうか。

 番組にはもうひとり、恐るべき「学者のクズ」が登場した。衣笠善博だ。80年代に柏崎刈羽原発の安全審査に関わり、「近くに危険な活断層はない」というお墨付きを出し、中越沖地震の発生により赤恥をかいた人物として、一挙に「令名」の高まったお方。自らの主張が事実によって否定されれば、ふつうの学者は「沈黙」する。衣笠は違う。番組は2008年に彼が行った「抗弁」の映像を流していた。

 「その当時はその当時の考え方および審査指針。あるいは審査の実績に基づいてそういう判断をしてきたわけなので、その当時としては我々はベストを尽くしたつもりであります。6月1日から、あの、法律が変わって後ろの席でもシートベルトをしなきゃいけなくなりましたよね、その前日まではシートベルトをしなくても法律違反じゃなかったわけですね、基準が変わったんだよね、基準が変わったあと、昔、お前シートベルトをしてなかったんじゃないかと言ったって、そりゃ始まらない。ハイ・・・」。

 この人は「学者」なのだろうか。「学者のクズ」だろう。人間という動物にはこれほど卑怯な奴もいるといういい見本だ。ふつうの人間からいわせてもらえば、衣笠善博は「人間のクズ」でもある。番組には「東工大教授(当時)」とあった。彼はいまも東工大にいるのだろうか。「東工大」で「学者のクズ」と言えば、いやでも清浦雷作を思い出す。ツバメが泣いてるさ、きっと。(6/21/2011)

 録画しておいた日本テレビ「原発爆発:安全神話はなぜ崩れたか」(けさ、午前0時50分から55分枠でオンエア)を見た。4月1日の朝日の朝刊に報ぜられた記事をなぞるような構成で、格別、目新しい話はなかった。しかし、少なくとも6月5日にNHKが放映した「原発危機:事故はなぜ深刻化したのか」よりは数段上回る内容だった。NHKの番組がいかに貧弱なものだったか、受信料を取っておきながらあのていどの番組しか作ることができなかったことをNHKとしては深刻に反省してもらいたい。

 番組は、まず、先日、甚大な竜巻被害を受けたアラバマ州ブラウンズフェリー原発から始まった。外部からの電源は失われたものの非常用発電機が機能して事なきを得たというナレーション。

 ブラウンズフェリー原発はオークリッジ国立研究所が全電源喪失時のシミュレーションを実施したときにモデルとした原子炉があるところで、その時に米原子力規制委員会(NRC)に提出された報告書は今回の福島での事故経過をほぼ予測するものだった。

 あえていえば、この時の知見を生かす形でブラウンズフェリー原発には非常用ディーゼル発電機は防水された建屋に8台設置され、建屋内の燃料タンクにより7日間、外部の予備タンクの燃料を使用すれば18日間の運転が可能になるように施設改善されており、今回の竜巻ではこの自家発が事故の拡大を阻止したこと、それが実物映像で見られたことがよかった。

 安全性の確保に対する考え方は、少なくともこの国の原子力村のおバカさんたちよりは徹底しているようで、フクシマで地震直後に携帯電話が使えなくなったことが分ると、即座に新たに衛星電話を配備したことが関係者の話として伝えられた。つまり、安全性の「穴」が見つかるとただちに対策するという「バックフィット」の考え方が徹底しているというのだ。これは最初の時点では緻密かつ綿密に準備を進めてシステムを構築するが、いったん完成し安定的な運用に入ると慢心に陥り考えられないような思考停止状態に入るこの国の通弊を戒めるために、今後、是非とも見習わねばならないことだ。我々、日本人は「創業の難しさ」より「守成の難しさ」に課題があるようだ。

 実物映像といえば、内容としてはすでに「プレジデント」誌のロイターへの転載とほぼ同じとはいえ、やはり活字よりは実際の映像の方がはるかにいろいろなことが見てとれて、興味深いものだった。

 昨年5月26日、衆議院経産委員会での質疑(「プレジデント」が報じたのは同じ議員による2006年3月1日の質疑)の状況。質問者は吉井英勝議員。「それ(全電源喪失)は炉心溶融にも至りうる大変深刻な事態を考えておかなければならないということだと思いますがどうですか?」。これに対し、寺坂信昭原子力安全・保安院院長は「日本の原子力発電所におきましてはいま申し上げましたような多重防護の考え方に基づいた設計がなされまして、それによって安全性を確保しているということでございます」と答弁し終わろうとした。ここで吉井から「最悪の場合は?」という質問が飛ぶ。すると寺坂は「最悪と言いますか」と言いかけて嘲弄するような表情を浮かべつつ「そもそもそういった事態が起こらないように工学上の設計等々もそういったことはあり得ないだろうというぐらいまでの安全設計をしているところでございますが」といい、いったん言葉を句切ってから、できの悪い学生に言って聞かせるような口調で「論理的な世界におきまして・・・」と続けた。残念ながらこのあとは番組ナレーションがかぶり聴き取れなかった。

 この問答のほんとうの可笑しさは両人の経歴を調べてみる倍加する。寺坂信昭は東大の経済学部卒、吉井英勝は京大の工学部それも原子核工学科卒なのだ。まさに「言う者こそ知らない者」なのだなぁというシーンだった。

 それにしても番組に登場した、東電関係者と御用学者たちの他人事風な口ぶりのすごいこと、すごいことあきれるばかりだ。(6/20/2011)

 黒目川コースの「イモ・ランナー」とすれ違うのが不快なので、ここしばらくは明治薬科大コースを歩いている。(何が「不快」なのかは分らない。生理的に「嫌い」なのだ)

 このコースには我が一族の「終焉の地」が並ぶ。**(祖母)さんは「ベトレヘムの園病院」、**(父)さんは「上宮病院(いまは清瀬リハビリテーション病院と改称)」、**(母)さんは「東京病院」だった。

 信愛病院を過ぎてベトレヘムの園病院のわきを通るとき、おとといの夜、テレビに出ていたC・W・ニコル、というより彼の本のことを思い出した。「バーナード・リーチの日時計」

 マスターネットで「本」のボードのシスオペをやっていたころ紹介された本。池袋にあった芳林堂で立読みをしていたら、突然、「老人はそれから自分の歩き方がのろいのを侘び、先にお行きなさいとわたしにすすめたが、しかしわたしは別に急ぐ気はなかった。わたしたちは秋津の盛り場を通り過ぎたが・・・」という一節が目に飛び込んできた。「秋津?!、盛り場?!」と思いながら読み進んで、次の手がかり「聖家族ホーム」にゆきあたるころにはほぼ全体を読み終えていたが、よくできた掌篇の味わいが捨てきれず買い求めたのだった。その「聖家族ホーム」というのが「ベトレヘムの園病院」と同じ経営母体による老人ホーム。そうそう、**君が理科教員をしていた東星学園も同じ。彼、もう退職したのだろうか。

 ちょっと本棚から取り出して再読。

 わたしは身をかがめて、日時計の盤を仔細に眺めた。所もあろうに、老人ホームの中にあの有名なイギリスの芸術家の作品があろうと誰が思ったろう? それは実に美しかった。
 陶器の盤は北と南に向き、真ん中の木の台に取り付けた真ちゅうの三角形の指針があり、その影が盤の上に落ちるようになっていた。
 「これはとても正確です」と老人は語った。「こわれることは決してありません。天気が悪い時と夜の間だけは役に立ちませんがね。わたしは日時計が好きなんですよ。それは時の経過、日数の経過をうるさいカチカチという音を立てずに、黙って示すからです」
 何年も後になってわたしはこの言葉を思い出し、その言葉にこもる意味を悟った。
 その日老人は古代の他の測時器の話をし、結局のところ日時計が最良であると述べた。その理由は日時計は時の流れを示すが、時を量として計ったり、分割したりしないし、また他の多くの測時器のように張力の作用で動くものでもないからだと言った。

 蔵書録によると、88年9月12日のこと。同時に購入したのは立花隆の「青春漂流」あのシスオペ体験は貴重だった。ずいぶんたくさんの良い本をあのボードで教えられた。そうだ、**(甥)に「青春漂流」を送ってやろう。(6/19/2011)

注)

「バーナード・リーチの日時計」をニコルは英語で書いたようで、この本は松田銑訳となっています。
引用部の「他の多くの測時器のように張力の作用で動くものでもないからだ」という部分の原文がどのようなものかは分かりませんが、想像するに、「張力」は「tension」で、「ピンと張り詰めた力」を動力源とする「時計」と、人間の「精神的緊張感を強いること」との連想で語られたのではないか・・・と、これは勝手な推測。

 **(父)さんの七回忌を全龍寺で。もう内輪でとは思ったが、・・・(省略)・・・。

 福島原発の「希望の星」といえばいまや「汚染浄化処理施設」。低濃度汚染水を使ったテスト運転では、初期不良的な軽微なトラブルはあったものの、放射性セシウム濃度を千分の一に下げたなどという「明るいニュース」が報ぜられ、ようやく当初日程から数日遅れで昨夜8時頃に稼働した。

 しかし稼働5時間足らずで停止された由。「想定外」の早さで基準放射線量に達したためとか。「またしても想定外か」と嗤わぬ者はおるまい。装置はアメリカのキュリオン社とフランスのアレバ社の製品を組み合わせたものだそうだが、両社が提示している仕様諸元はいったいどのようなものだったのだろう。そして誰がどのようにそのあたりの仕様確認と現場状況の突き合わせを行ったのだろう。

 高濃度汚染水があふれるタイムリミットが迫っているとか(まったく信用などしていない、おそらく汚染水はすでに海に垂れ流されているし、こわくて誰も確認していないが野放しの状態で地下に浸透するにまかされているのではないかと思っている)で、おざなりな確認・試験さえもそっちのけで「ぶっつけ本番」、「出たとこ勝負」に打って出ているのではないか。

 かつて担当としてあるいは管理職として仕事をしていたときの経験によれば、能力を超える仕事を担当し収拾がつかなくなると、往々にして人は仕事をしているふりをしながら、上級者が解決に乗り出してくれるのをひたすら待つようなモードに入ることがある。見せかけだけ「やっています、やっています、こんなに必死になってやっています」という姿勢で子細らしくしているが、何ら解決に向けた作業はしていない、そんな状態だ。どうも3月11日以来の東電のバタバタぶりを見ているとそんな気がしてくる。もっともそれは東電の技術者の無能だけを意味しているのではない。我が**君は

 ただ、こちら日立工場は火力屋同様原子力屋の根拠地でもあり、・・・(中略)・・・彼らは、元原子炉周りのシステム屋と、ラドウェストのシステム屋のプロです。その辺の発電所の中身を詳しく知らない学校の先生やスポークスマンとは比べ物に・・・・・。

誇らしげに書いてきたが、せいぜいが「自称プロ」レベルとはオソレイリヤの鬼子母神。

 おとといの日記に「我が国の原子力工学を修めた皆さんはよくてB級、せいぜいがC級しかいなかったのか」と書いたが失礼だったかもしれない。キュリオン社なりアレバ社の技術者はA級と信じて比較したのだが、彼らにしても「燃料ペレット」から「原子炉建屋」までの五つの防護壁をこれほど完璧に破られ、環境に露出した核燃料を回収する作業などは「想定外」で「未経験」。つまり世界全体で見ても現在の原子力工学のレベルはフクシマでアップアップが「A級」ライセンス。「超A級」の課題を前にすれば、「無能性」を晒すのみ。「アレバがアレバ大丈夫」などと思っていた我が不明を恥じなければならぬ。

 それにしてもそんなレベルで原子の火を弄んでいたとすれば、いつの日かやけどをすることは明らか。この事態、及びもつかぬものに近づきすぎた「イカロスの墜落」にたとえるべきか、太陽という火車を御することを願い出た「愚かなアポロンの子」にたとえるべきか、・・・、溜息ばかりが出てくる。(6/18/2011)

 西部邁と佐高信の対談、「難局の思想」、読了。ここ二週間ほど、毎日寝るときに、一章ずつ惜しむように読んできた、一章を読み切らぬうちに寝ることもあったけれど。その昔、星新一のショート・ショートをそんな風にして大切に大切に読んだ。あのころのようだった。

 おととし出た「思想放談」の続編。前巻同様、「はじめに」を佐高、「おわりに」を西部が書いている。佐高は末尾に2011年4月5日(前巻では2009年9月7日)、西部は平成23年4月(同様に平成21年9月吉日)と書いているところがまず楽しい。二人がそれぞれに書いているように、彼らは右と左の論客として知られている同士。ところが二人はほぼ同じ感性らしく互いに相手を信認しながら、それぞれの知るところ、思うところを縦横に語り合っている。読んでいてこれがじつに快い。

 書棚を見ると、西部の本と佐高の本はそれぞれ数冊ずつある。感覚的にいうと、佐高はオレの露わにした思想に近く、西部はオレの隠れた思想に近い。だから、この二人の対談は読んでいて愉快この上ないのだ。「はじめに」と「おわりに」のそれぞれで佐高と西部はこんなことを書いている。

 保守の西部さんとリベラルの私の「激突」という形で企画されたらしいが、回を重ねる毎に私は逆に西部さんとの共通性を発見して驚いた。たとえば、森鴎外よりは漱石に親近感を抱くとか、ニーチェに惹かれるとか、似た点が多くて愕然としたのである。
 それにしても、経済が専門の元東大教授の西部さんを相手にマルクスを語ったのだから恐ろしい。こわいもの知らずとはこのことだろう。しかし、五十人近くの思想家を題材にしたこのシリーズで、西部さんは私の極めてプリミティブな問いかけをまともに受けとめてくれた。
 (対談のテレビ番組収録のたびに)佐高信という人物の辞書には党派という項目がどうもなさそうだと感じること、それが私にはまことに愉快でした。彼も我も世間では党派性の強い頑固者と扱われ、おまけに左と右の極端者と勝手に誤解され嫌われてきただけに、いっそう、その愉快がつのるということになりもしたのです。・・・(略)・・・私のいいたいのは、書物の大海のなかにザンブと飛び込んで、よくもまあ溺れずに、無事に波間から顔をのぞかせているどころか、まるでイルカみたいに、時折に海上でトンボ返りを打ってみせる凄い奴、それが佐高信だということです。死ぬまでこの番組出演が続いてくれれば、自分の老いは楽しみのなかで終わりを迎えることができるのに、と空想しているところです。こういう空想は、東日本大震災とともにいよいよ深まりゆくこの日本国家の溶融は絶対に止まらないと予想している私の場合、大いに有効な気散じとなります。

 西部邁を信頼するのはかつての「右翼」が必ず持っていた度量を持っているからだ。彼の「友情」を読むだけでそれは十分に分る。佐高信を信頼するのは仮借ない批判の対象の選択と仕方において「ご宗旨に奉仕する」姿勢が見られないからだ。西部のいう「彼の辞書には党派という項目がない」というのはそういうことだと思う。

 これからもこうして定期的に対談がまとめられることを期待しつつ、一読者として鈴木邦男を加えた鼎談の企画はどんなものかと夢想したりする。

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 夕刊の「人脈記」、きょうから「水俣は問いかける」が始まった。(6/17/2011)

 東電とのアンペア契約を変更。けさ、50Aフレームのブレーカーを40Aフレームのものに交換。訪れた東京電力の作業員さん、ともかく腰が低い。のっけから「このたびは福島第一原子力発電所の事故により大変なご迷惑をご心配をおかけし・・・」となどと言う。たぶん東電の正社員ではあるまい。このセリフも改訂されたマニュアルにでも掲載されているのだろう。ご苦労様なことだ。

 これくらいの謙虚さが、エリート意識だけはたんまりあるくせに、異常事態に対してはまったく無能であった東電原子力部門のパープリンさんたちに最初から備わっていたならば、今回ほどひどいことにはならなかったはずだがといささか残念な気持ち。我が国の原子力工学を修めた皆さんはよくてB級、せいぜいがC級しかいなかったのかしらね。品質管理学会や関係の学会がいろいろ開催したシンポジウムでは、ずいぶん偉そうに、本質的な質問が出るたびに、嘲笑うような表情で「ご質問、ありがとうございます。かなり専門的な話になりますので一言ではお答えしにくいのですが、結論から言えばそのあたりのことは十分な検討がなされておりまして、ご心配はございません」などと答えていたものだが、あれは「そんな難しいこと訊くなよ。誰か専門家が検討しているにきまってるだろう、オレは説明できないけど」という意味だったのかもしれない。

 中島みゆきの歌の一節を思い出した。「『ありがとう』っていう意味が『これきり』っていう意味だと、わたし、最後まで気がつかなかった」。各地の原発を見学して大感激をして帰ってきた「騙されやすい人たち」も、「『安全です』っていう意味が『このていどだよ』っていう意味だと、最後まで気がつかなかった」と思い知っただろう、もっとも、中にはまだ「夢」を見ている人もいるのだろうが、呵々。(6/16/2011)

 新年度分の年金支給の第一回目。すでにハガキで通知されていたように昨年に比べて0.4%減額。差額補填を賄うための準備金の経過利息分でクリアできそうなので「月給」の額はそのままとすることにした。だが定期預金利率は低下傾向、かといって生活資金補填原資を投信やFXで運用する気はない。来年以降も「月給据え置き」は難しいかもしれない。まあ、いずれ年金同様、「月給」も物価スライドにせざるをえなくなるかもしれない。(その前に年2回の「ボーナス」を減額するか。しかし**(家内)の抵抗が大きいだろう。こちらの小遣いにも影響が出るし・・・)

 10年ごとに次の10年分の補填原資を切り分ける方式でゆく場合は投資口で年平均3.79%のゲインが条件。株の配当金と投信の分配金だけではちょっと難しい。どうしてもFXのような「補助エンジン」が必要になる。現実的には頭の衰えが来ないうち、せいぜい「70歳まで」と考えるべきだろう。とすると、80歳以降は翌年度分の補填原資を毎年の投資口のリバランス作業の際に確保することになるのだろうが、その場合も3.36%のゲインを確保しないと目減りをしてゆくことを覚悟しなければならない。「後年度負担」を考慮すれば、しばらくの間、投資口のファンデーションを増やすことに注力しておくに如くはない。

 それにしても、3月末の決済以降、豪ドルはなかなか下がってこない。アメリカ市場の低迷、中国市場にも陰り、ギリシャ救済の不透明、チリの火山噴火の影響、・・・、これだけの「材料」がそろってなお86円(対米ドルでは1.066~1.070ドル)をはさんでウロウロしている。ここでしびれを切らすと、またハラハラドキドキが来ると思うから我慢しているが・・・そろそろ限界。84円前半のどこかで1本だけ建ててみようかというムシがうずく。(6/15/2011)

 イタリアの原発国民投票。前評判通り、原発反対派が勝利した。国民投票をすれば「原発拒否」で負けると予想していたベルルスコーニ政権は、急遽策定した「原発凍結法」に「安全性に関する科学的見解が得られるまで」という限定条件を設けることで「現状、基本的に原発建設はないとしているのだから、国民投票は不要」とする策に出たが、最高裁はこの主張を退け、国民投票の実施が決まった。

 それでも原発建設の可能性を残したいベルルスコーニは国民投票の成立条件である50%の投票率が実現しないよう、自ら保有するメディアのみならず国営テレビにも圧力をかけ国民投票実施日を報じないという姑息な手段に出たが、放送監督規制機関から「国営テレビである以上、投票日を正確に報道すべき」という警告が出された由。

 この話、どこか、いつぞやの吉野川可動堰工事の住民投票に似ている。あの時も可動堰工事推進派は住民投票のボイコットを呼びかけて投票率の過半数割れによる無効を狙ってもののみごとに「玉砕」した。面白いのは、吉野川の時は投票率が55%、うち反対票が9割を占めたのだが、今回のイタリアも投票率が57%、うち反対が95%近くを占めたこと。姑息な戦術をとらざるを得ない場合の結果はこんなところに落ち着くというのようだ。

 ベルルスコーニが国民投票を恐れたのは原発のためだけではなかった。投票箱が4つ用意されているのがニュース映像に映っていたが、原発以外に水道事業の民営化の可否(内容は既存事業の民間企業への売却と民間企業の参入の2件)と首相などの要職者の裁判への出廷を免除する件もあわせて対象になっていた。17歳の少女を買春し、その少女が逮捕された際に釈放するよう警察幹部に圧力をかけた事件の裁判が進行中のベルルスコーニにとっては、むしろ、不出廷特権法への「ノー」の方が痛手だったのかもしれない。(水道事業の民営化に対しても「ノー」だったようだから、ベルルスコーニも「玉砕」、呵々)

 ドイツ、スイスに続いて、イタリアでも原子力発電が見直される結果になったということに、我がマスコミは困惑しているようだ。一様に、ヨーロッパでは発電網を通じて電力の相互供給を行えるが日本ではできないとか、イタリアは原発大国から電力を買っているとか電気料金がバカ高いとを報じている。

 電気料金が高いのは火力発電の燃料費が高いからという説明だが、フランスが出血価格で電気を売っているというデータでもなければ、にわかに燃料代のせいにするわけにはゆくまい。どさくさの説明ではなく正確なデータが欲しいところだ。

 かつて、我が国の原発推進派は「フランスの原発の発電率は80%にもなる、日本はたった30%に過ぎない。もっと原子力発電の稼働率を上げるべきだ」と大声で叫んでいた。発電量のコントロールができない原発の特性を無視して「フランスを見よ!」と言っていたわけだ。そのころはフランスの「80%」という数字が「発電網による電力輸出」に支えられていることを隠していたのだから、原発推進派のお方たちも人が悪い。もっとフェアにデータを出しての議論でなくては困る。

 不思議なのは日本とイタリアの自然の相似性について語る報道を見かけなかったこと。イタリアは火山国、火山性の地震も頻発している国のはずだ。そういう客観条件についての指摘がまるでないのは意図的にさえ思える。

 もうひとつ。NHKの「ニュースウォッチ9」はヨーロッパの地図を掲げ原発の推進国と転換国を塗り分けていた。ヨーロッパの中央を北から南にドイツ、スイス、そしてイタリアが並ぶ。ちょうどヨーロッパ大陸を縦断している。それをサンドイッチするように西側にイギリス、フランス、東側にロシア。一目瞭然。原発推進国は東西の核保有国ではないか。(6/14/2011)

 東京新聞の「こちら特報部」。その6月3日、10日に「菅降ろしに原発の影」、「超党派『地下原発推進議連』は菅降ろしが狙い」という主旨の記事が載っていると**(友人)が教えてくれた。

6月3日朝刊掲載分
見出し:菅降ろしに原発の影/首相なぜ追い詰められた/自公責任隠し 小沢氏便乗か
リード:不信任決議や党分裂の最悪の事態こそ回避したものの、「辞意表明」へと追い込まれた菅直人首相。首相としての求心力は放棄したも同然だ。それにしても「菅降ろし」の風は、なぜ今、急に、これほどの力を得たのか。背後に見え隠れするのは、やはり「原発」の影だ。初の市民運動出身宰相は、この国の禁忌に触れたのではなかったか。(佐藤圭、小国智宏)

 今回の「不信任案政局」を振り返ると、菅首相が原子力政策の見直しに傾斜するのと呼応するように、自民、公明両党、民主党内の反菅勢力の動きが激化していったことが分る。
 首相は五月六日、中部電力に浜岡原発(静岡県御前崎市)の原子炉をいったん停止するよう要請。十八日には、電力会社の発電、送電部門の分離を検討する考えを表明した。
 さらに事故の原因を調べる政府の「事故調査・検証委員会」を二十四日に設置。二十五日には外遊先のパリで、太陽光や風力など自然エネルギーの総電力に占める割合を二〇二〇年代の早期に20%へと拡大する方針も打ち出した。
 自民党の谷垣禎一総裁も十七日、不信任決議案を提出する意向を表明し、公明党の山口那津男代表も即座に同調した。表向きは「東日本大震災の復旧・復興に向けた二〇一一年度第二次補正予算案の今国会提出を見送った場合」という条件を付けたが、原発をめぐる首相の言動が念頭にあったことは間違いない。
 実際、自民党の石原伸晃幹事長は六月二日、不信任案への賛成討論で「電力の安定供給の見通しもないまま、発送電の分離を検討」、「日本の電力の三割が原発によって賄われているのに、科学的検証もないままやみくもに原発を止めた」と攻撃。菅降ろしの最大の理由の一つが原発問題にあることを"告白"した。
 民主党内でも、小沢一郎元代表周辺が五月の大型連休後、不信任案可決に向けた党内の書名集めなど多数派工作をスタートさせた。二十四日には、小沢氏と、菅首相を支持してきた渡部恒三最高顧問が「合同誕生会」を開催。渡部氏は、自民党時代から地元福島で原発を推進してきた人物だ。
 日本経団連の米倉弘昌会長はこの間、首相の足を引っ張り続けた。浜岡停止要請は「思考の過程がブラックボックス」、発送電分離は「(原発事故の)賠償問題に絡んで出てきた議論で動機が不純」、自然エネルギーの拡大には「目的だけが独り歩きする」という具合だ。
 金子勝慶大教授は、福島第一原発の事故について「財界中枢の東電、これにベッタリの経済産業省、長年政権を担当してきた自公という旧態依然とした権力が引き起こした大惨事だ」と指摘する。
 当然、自公両党にも大きな責任があるわけだが、「菅政権の不手際」に問題を矮小化しようとする意図が見える。
 金子氏は、不信任案政局の背景をこう推測する。「菅首相は人気取りかもしれないが、自公や財界が一番手を突っ込まれたくないところに手を突っ込んだ。自公は事故の原因が自分たちにあることが明らかになってしまうと焦った。それを小沢氏があおったのではないか」。

 この記事の見方にたつと、5月24日に、ここ数年、不仲であった小沢一郎と渡部恒三が同じ誕生日であることを唯一の理由にして、にこやかにパーティを開いたこと、その呼びかけ人が小沢を一番強く批判してきた前原誠司であったという、「常人には理解しがたく」、「不自然極まりない」、「なんとも不思議な催し」の意味が瞬時に理解できるようになる。

 また、一月ほど前には「会期の延長をしてでも震災対応論議をすべし」と主張していた自民・公明の両党が「いったん国会を終了させて、補正予算編成を新しい総理の手で」などと言い始めた「変節」がいかなる事情で起きたものか(オレなどは、菅が「予定どおり閉会し、補正予算編成後招集する」と言っていたときには反対、のちに抱きつき宰相が態度を変えるや、またまた反対というのは、「なんの理由もないが菅が嫌いなのだろう」と推測、その昔、「なんでもハンタイ社会党」というのがあったが、いまや「なんでもカンでもハンタイ自民党」になったかと嗤っていた)も、じつにすっきりと分る。

6月10日朝刊掲載分
見出し:「地下原発」は菅降ろし?/大物が勢ぞろい/超党派議連発足の狙いは
リード:深刻な大震災や福島第一原発事故のさなかに国民をあきれさせた菅直人内閣の不信任騒動。その渦中の先月31日、超党派による「地下式原子力発電所政策推進議連」が発足した。「脱原発」の逆風が吹き付ける原発を臨海部の山の地下に造って進めようという動きだ。だが主要メンバーを見ると、「菅降ろし」を画策してきた首相経験者も名を連ねる。地下原発議連の狙いとは。(佐藤圭、篠ケ瀬祐司)

 「こちら特報部」が入手した地下原発議連の名簿には、民主、自民、公明、みんな、国民新、たちあがれ日本、新党改革の各党と無所属の計四十九人が並ぶ。反原発を掲げる共産、社民両党以外の主要政党が顔をそろえた。
 会長は、たちあがれ日本代表で元経済産業相の平沼赳夫氏。顧問は、民主党の鳩山由紀夫前首相、羽田孜元首相、石井一副代表、渡部恒三最高顧問、自民党からは谷垣禎一総裁、森喜朗元首相、安倍晋三元首相、山本有二元金融担当相、国民新党は亀井静香代表-の計九人。
 初会合は五月三十一日、衆院第一議員会館の地下一階会議室で開かれ、平沼、森、石井の各氏ら約二十人が出席した。今月末にも二回目の会合を予定しているという。
 原発を地下に造るという発想は、突如浮上したわけではない。自民党の三木武夫政権の一九七五年、資源エネルギー庁で研究が始まった。
 当時から反原発活動などで地上での新規立地は難航していた。地上式では建設が難しい臨海部の急峻な未利用地まで選択の幅を広げるのが狙いだった。八一年には、同調の検討委員会が「技術的、経済的も可能」とする報告書をまとめた。
 しかし、電力会社は「原発は危険だから地下に造ると思われる」「地上立地の妨げになる」との理由で消極的な姿勢を崩さなかった。これに不満を持った平沼氏ら自民党有志が九一年、党内に「地下原子力発電所研究議員懇談会」を結成したものの、電力会社の協力を取り付けることはできなかった。
 今回の地下原発議連は、福島第一原発事故で地上での新規立地や増設はおろか、既存原発の存続も危うくなる中、かつての自民党の懇談会メンバーを中心に、与野党の原発推進派が結集した格好だ。
 地下原発議連は、発足のタイミングから、不信任騒動との関連が取り沙汰された。与野党の原発推進派が、原子力政策の見直しに傾斜した菅直人首相を引きずり下ろそうとしたのではないか。「原発推進大連立」の拠点が地下原発議連ではないか・・・と。
 実際、谷垣、安倍、鳩山の各氏は「菅降ろし」の急先鋒。顧問以外のメンバーを見ると、不信任賛成に動いた民主党の小沢一郎元代表に近い西岡武夫参院議長、山岡賢次副代表、松木謙行衆院議員(民主党除名)らが入っている。
 事務局長を務める自民党の山本拓衆院議員は、「原発銀座」と呼ばれる福井県選出だ。山本氏は「菅降ろし」を視野に入れた動きとの見方について「特に意識はしなかったが、メンバーを見ると、不信任に賛成しそうな人ばかりだった。昔の仲間が集まれば、大連立の話もするかもしれない」と含みを持たせる。

 この記事も、いまひとつ理解できない民主党内の幅広い菅首相退陣論や、議長職にありながら「菅首相は、即刻、辞任すべき」との談話を発表し、極めて異例と、奇異の眼で見られた西岡の行動もすっきりと説明できるものになっている。

 要するに降って湧いたような菅降ろしの嵐は、原発利権にこだわる金権政治屋どもと独占事業という特権を死守したい電力会社によって作られたものだということ。ならば、いったんは霞が関の手に落ちたオポチュニストと見限った菅直人だが、「支持してもいいな」と思わせる。

 AERAの今週号の見出し広告に「東電元幹部明かす/東電から献金を受けなかったのは菅首相と小泉元首相だけ」というのがあった。これがほんとうならば、菅直人よ、「電力改革こそ本丸/原発利権の精算こそ新生日本の礎/原発推進派は抵抗勢力」とでも吠えまくって民主党も自民党もぶっ壊せ。

 閑話休題。

 イタリアの国民投票、投票率は過半数を超え、原発は息の根をたたれたようだ。(6/13/2011)

 きのうの講演のメモ。

 浜の基調講演は三点主義で現状の課題を手際よくまとめたものだった。

 日本経済はすでに成長のフェーズを終え、成熟のフェーズに入っている。このフェーズでは、①フローからストックへという流れに留意すること、②成長から分配に課題の中心が移っていること、③子どもの意識から大人の意識へ変わらねばならない。どういうことか。高度成長期はいかにして人・物・金を動かして収益を上げるかがポイントであったが、それが終了したこれからは蓄えられた富をどのように働かせるかが重要になる。つまり蓄えられた豊かさをどのように社会的に役立てるかということ。その際の精神の基本を「自分のことで手一杯」という子どもの段階から「他人の痛みが分る」という大人の段階に発展させることこそが、成熟した社会を実現するということだという主張。

 東日本大震災後の状況から汲み取れた教訓は、①「解体の誤謬」に陥らないようにすること、②集権的管理から協調的分散へと移行すること、③オオカミと子ヒツジの共生を実現すること、これらが必要だと思う。「解体の誤謬」というのはよくいわれる「合成の誤謬」の逆。震災直後、ミネラルウォーターがスーパー・コンビニの棚から消え去ったのは合成の誤謬によるものだが、トータルな生産量は確保されているのだから問題がないというのは被災地での状況を無視したもので、これを「解体の誤謬」というとのこと。社会的に全部足しあわせればプラスマイナスゼロであっても、著しくマイナスになっている場面があればこれは是正しなければならない。単なるどんぶり勘定ではダメということだ。また、原発が一箇所にまとめて設置されていたのは効率を優先させた結果だが、機能の偏在により脆さを露呈する結果となってしまった。中央集権的な財の管理は基盤を揺さぶられると意外な弱点を晒すことになる。互いに協調がとれる機能ユニットが分散している方が強いことはインターネットが実証している。さらに、オオカミにはオオカミの特性があり、子ヒツジには子ヒツジの特性がある。サプライチェーンの機能不全を最初に救ったのは子ヒツジのような個人商店であり、組織力を短期間に回復できたのはふだんオオカミと思われている大手流通業であった。両者が補完的に機能した地域はダメージを小さくすることができた。

 最後に全体のまとめとして、①地球の時代は地域の時代でもある、そして冒頭の「子どもの意識から大人の意識へ」を言い直して、②「僕富論」から「君富論」への転換を再度呼びかけるものだった。

 シンポジウムのお題は「持続可能な社会」。ここで持続すべきものとして想定されているものはなんだろう。それは人によって違うのかもしれないが最大公約数は「社会的安定」だろう。財政状況を見れば社会保障の切り詰めや税負担の増大は避けようがなさそうだ。それでもテールエンドの人々も「失うものを持っている」状態を維持できること。これが絶対条件だ。この条件が崩れれば、社会的不公平を一気に解消する行動への閾値が低下することにより社会は不安定なものになる。

 とすれば、課税の重心をフローに対する課税からストックに対する課税に移すことは当然のこととなるはず。しかしどういうわけか、増税の話は常に「消費税」という枠組みだけでしか語られない。それはもっぱら社会的責任を担っている階層の人々がいつまでたっても「子ども」のままで、「ボクちゃんの税負担だけが増えるなんて許せない。税負担は広く薄く(この「薄く」というのは主観的な評価であって客観的にすべての人に「薄い」わけではない)なくちゃダメだよ」と主張し、その「常識化」にメディアを含むあらゆる手段を総動員しているからだ。

 株の配当金を息子にお小遣いとして渡し、そのカネで息子が政党内のボスとして君臨する費用がまかなえてしまうという、とんでもない話が成立するのはおかしくはないのか。そのカネの幾ばくかを所得税として婆さんから徴収することができないものかという、あってもよさそうな議論が出てこないのはなぜなのだろう。(6/12/2011)

 久しぶりに国立へ。この駅にはいろいろ想い出がある。とくにかつての駅舎とホームには。上り・下りとも高架になったが駅舎はまだ完成はしていないようだ。

 一橋の春季公開講座。初めて兼松講堂に入った。今年の春の講座はこのシンポジウム形式の一回のみ。テーマは「持続可能な社会に向けて-環境・生活・雇用をどう保障するか-」。

 2時スタートで。基調講演は浜矩子、「成熟化をどう抱きとめるか:前人未到に挑む日本経済」。休憩を挟んで寺西俊一による「地球環境保全とアジア」、福田泰雄による「成長は生活保障の条件か?-所得分配政策の重要性」、石田信隆による「これからの食・農業・地域経済」と続き、フロアからの質問などもたっぷり行って5時半まで。

 吉祥寺のジュンク堂へ。巡り合わせが悪くて、いささか意地になっている丸山健二の「さもなければ夕焼けがこんなに美しいはずはない」を買うため。

 この本、夕刊で読んで食指を動かした。ところがAMAZONでも紀伊國屋でもネット検索では品切れ。同期会の翌日、池袋で探し歩いたときのこと。リブロにはなくジュンク堂。3階の文芸書のフロア、棚を順に追って丸山健二のコーナー。立読みをしている20代とおぼしき青年(というよりは少し線が細く少年という感じがしたから10代だったのかもしれない)の脇からのぞき込んで、棚の右から左をすべて見た。店内の検索システムによると「僅少」ながら在ることにはなっている。「そうか、この子が立読みしているのがそれだな」と思った。

 それが欲しいというわけにもゆかず文庫と新書のコーナーを一渉り見てから戻ったが、立読み少年は同じ姿勢。とても他人には思えなかった。かつてはオレもそういうタチヨミストだった。立読みで消化してなお未消化だったり、どうしても手もとに置いておきたいと思った本だけが購入の対象だった。それでも欲しい本がすべて買えるわけではなかった。そんなことを思い出しながら、なぜか勝手にその子をかつての自分に重ね、何かしら温かい気持ちで帰ってきたのだった。

 そしてこの一週間、ずっとジュンク堂への検索を繰返した。池袋店はずっと「僅少」のまま。やはり彼は買わなかったようだ。吉祥寺店にしたのは、近いことと「在庫あり」となっていたから。

 若い頃にはたしかにあった、無限にして不死という、あの幸福にして空虚な錯覚もいつしか知らず滅しており、あとはもうひたすら現世の肉体に埋没し、あるかなしかの内的本質に沈潜するばかり。さりとて、自分と取り交わした、生き抜いてみせるという契約を破棄したくなるほどではなく、それが証拠には、胸のうちのどこかにこびりついている希望は依然として健在。

 たとえば、あの少年はこの文章をどのように読んだのだろう。(6/11/2011)

 原発推進派(というよりは原発利権屋と書く方が正確かもしれない)には大変な危機感があるようだ。もとより「常時、ウソによって飾り立てねば」運転できないのが原発なのだから、そのひとつでもメッキが剥がれれば剥落の一途をたどることに何の不思議もない。それを熟知しているのが原発推進派自身。なればよほどのアホウでない限り危機感を抱かぬ方がおかしい。

 「原発は安全だ」。百聞は一見、これが大ウソであることを知らぬ者はいまや日本国民には一人としていない。「原子力発電は安い」。これも事故が起きねばこその話であると万人が知るようになったが、原発のライフサイクルのすべてを計算に入れればウソであることはちょっと想像すれば分っていい話だった。極めつけは「原子力発電はCO2を出さない環境に優しい発電方法だ」。これもコスト計算同様、発電をしている間だけをさしての話。核燃料をつくる段階にたんと電気(化石燃料)を使うし、発電を休止する間も冷却するためにこれまたたんと電気(化石燃料)を使うのだということがばれてしまった。おまけに事故などなくとも使用済み核燃料はどこか人間のいないところに棄てるほかない(まだ見つかっていない)というのだから「環境に優しい」わけがない。ウソもウソ、これほどひどいウソもない。あの清浦雷作も裸足で逃げ出すかもしれぬ。

 ふつうこれくらいウソをつき続けると人間ならば相手にされないものだが、原子力村の詐欺師どもは詭弁を弄して言い抜けてきた。だいたいはこんな言い方をしてきたようだ「屋上屋を重ねる如く幾重にも防護措置をとって作られた、それなりに知っている人間には常識を越えた安全設備です」、と。つまり、「あんたたちド素人には分らないが、おれたち専門家なら分るんだよ、安全だということが」と、素人の無知ないしは劣等感につけ込むというやり方だ。

 しかしこの手は通用しなくなった。いま、彼らに残された手段は「強迫」しかなくなったのかもしれない。「騙し」のあとは「脅し」。さすがに詐欺師暦数十年の猛者だけのことはある。とは言いつつ、とりあえずはソフトに「節電」の呼びかけから。ところで、あれほど熱心に売り込んでいたオール電化はどうなったのかしら。コマーシャルがいつの間にか消えてなくなったのは、節電とはほど遠いインチキ商品だったからかな。とすれば東京電力はまずIHヒーターなどを買ってしまったちょっと騙されやすいユーザーの家を一軒一軒を訪ね、土下座したうえで再度ガスレンジへの置き換えをお願いして回ったらいかがか、呵々。(ほかにも「エコアイス」などという不自然極まりない商品もあったっけ)

 東京電力に並ぶ原発の尖兵といえば関西電力だが、その関西電力がきょうになって、一律15%の節電要請を出した。この夏の節電目標を5~10%として呼びかけをしていた関西の2府5県はびっくり。橋下大阪府知事は「関西広域連合として節電対策を打ち出すために、関電側に早い段階から電力需要のデータ開示などを求めてきたのに一切の答えがなかった。この期に及んで15%の節電と言われても、まったく納得できない」とおかんむり。それでも13日に関電の八木社長との面談を要請したが、あろうことか関西電力はこれを拒否。橋下は夜になって「もう要請しない。根拠も論拠もない数字は非常に疑問だ。原発が必要でしょという議論にもっていくための脅しとしか受け取れない」と言い切った。さすがに目立ちたがり屋の橋下だけのことはある。自分と同じような振る舞いには鼻がきくようだ。

 原発推進派の「強迫」のもうひとつのネタは「原発を止めて、火力に頼ると電気代が上がるよ」というもの。火力発電で頑張るためには天然ガスか石油の調達費がかかるという主張。それはその通り。しかしそれは原発をお守りするコストがベースとしてのせられているからだ。もし原発などに入れ込まなかったら、はるかに安くなっていたろう。原発は発電プロセス以外に地元対策費やマスコミのお守り、お抱え学者様への付け届けに法外なカネがかかる。その他に原発を保有する電力会社には「負担金」もかかる。だから日本の電気料金は世界でも屈指の高料金だ。面白い話が先週の朝刊多摩版に載っていた。

見出し:東電やめたら27%節約/立川競輪場電気の購入先変更/市、対象施設を拡大
 立川市が運営する立川兢輪場(同市曙町3丁目)が2010年度、電気の購入先を東京電力から特定規模電気事業者(PPS)に替えたところ、電気料金を前年度の3割近く節約できたことがわかった。予想以上の「効果」に、市は見直しの対象を拡大。今年度は、小・中学校など53施設が東電以外と契約した。
 PPSは「電力の自由化」を生かし、自前の発電所などから調達した電気を売る新規事業者。市行政経営課によると、PPSから兢輪場に提案があり、経費節減の一環として電気の購入先を見直すことになった。入札の結果、住友商事系のサミットエナジー(本社・中央区)が東電に競り勝った。
 競輪場の電気料金は、東電と契約していた09年度は約6200万円。だが、10年度は約4500万円に下がり、電気代を約27%節約できたことになる。市によると、気候の変動もあって単純比較はできないが、単価が安くなった点が効果として表れているという。
 市は見直しの範囲を拡大。今年度は市立の小・中学校や地域学習館、福祉施設など53施設を3グループに分け、グループごとに契約先を検討。それぞれ異なるPPSから電気を買うことにした。
 今年度は契約先を選ぶ際、価格だけでなく、発電に伴う二酸化炭素の排出量など環境にどれだけ優しいかも基準にした。それでも今のところ、電気代2割弱の節約が見込めるという。
 節約の成功例として、立川市には他の自治体から問い合わせが来ている。同課の田中準也課長は「これほど節約できるとは当初考えていなかった。最大限の見直しを進めているが、今のところ不便はない」と話す。昨年5月に開庁した市役所新庁舎についても、今後見直しを検討していくという。(大西史晃)

 六本木ヒルズが自所で使用する電力のすべてをガスコジェネレーションによる自家発電でまかなっているのはいつぞやの日記に書いた通りコンバインドサイクル発電などの最新データでは熱効率は60%にも及ぶ。わざわざ化石燃料で危険な核燃料を作り、さまざま意味で超大型の金食い虫である原子炉で派手に放射性物質を生成しながら、たった30%の熱効率に甘んずるという、それこそ何をやっているのだか分らない原子力発電などをするのは、単に原発利権屋の懐を肥やすだけのこと。もともと平和利用の隠れ蓑に隠れて生成されるプルトニウムで核兵器を作るという野心があったから国策として始められた原子力発電だ。それをしないのなら百害あって一利もない。

 電力会社は独占事業を保証してもらうために原発を引き受けただけのこと。我が国の原子力技術者のレベルの低さは今回の事故対応で実証された。あのていどの技術者に頼らざるを得なかった国家体制そのものがすでに原発を維持するに足るものでないこともまた実証された。即刻、原発の廃止に向けて舵を切るときが来ていると言って差し支えはあるまい。(6/10/2011)

 朝刊経済面の「経済気象台」、きょうはこんな内容。

 欧州では、化石燃料の燃焼を原因とした地球温暖化を主張する気象学者が多く、彼らには環境団体の手厚い支援があると言われている。
 日々の局地的な気象予測すらおぼつかない現在の科学水準で、地球全体の温暖化現象を、人類が起因の二酸化炭素排出と確言できるとは言い難い。良心と借念をかけている科学者が何人いるのか疑問だ。
 原子力科学でも同じことが言える。特にわが国では、国策となった原発推進に多くの科学者が協力し、「原発神話」を喧伝してきたのではないか。まるで科学者の「玩物喪志」で物理を弄び、志を喪ったといわざるを得ない。
 一方、政治家には科学者の良心とは違う別の行動規範がある。地球温暖化説が真実であれば、確かに人類の未来が失われかねない。また、原発は安全だと科学者たちが声高に主張しようと、操作上のミスや、大災害によって国民生活は一挙に脅かされることが今回、証明された。
 つまり、政治家には後世に悔いを残さず、被害を最小化する重大な責任がある。ところが、野党は、弱り目の政権につけこむことのみに熱中している。
 与党の官房長官は「直ちには」と言辞をろうして原発事故の深刻さを倭小化した。首相は失政の果てに追い込まれても、「一定のメド」という表現で自らの退任をあいまいにし、批判を浴びた。
 この国の国会議員たちは被災者の神経を逆なでし、国民を置き去りにしている。まるで政治家の「玩人喪徳」で、人心を玩び、徳を喪い続けているというしかない。「衆怒は犯し難く、専欲は成り難し」という。いずれ国民のしっぺ返しが待っていよう。(匡廬)

 まことにその通りと思う。

 敢えて重箱の隅をつつくなら、原発推進の御用学者が愛玩したものは「物理」ではなく、「金銭」と「処遇」であったという方が正しかろう。(彼らは誠実さを失った時点ですでに「学者」ですらないのだが)

 ペンネームの「匡廬」とは廬山の別名であろう。すると温暖化学者、原子力推進学者、官房長官、首相、野党議員とすべてを斬ってバランスよくまとめたお手並みはみごととしても、どこか「廬山の真面目」を見失うものになってしまってはいないかと皮肉な感想も湧いてくる。(6/9/2011)

 ウォーキングをしながらユーミンを聴いていた。嫌いではない。しかし素直に「好き」とか、「いいね」と言えないのが松任谷由美だ。どういうことだろう。どうも「わたせせいぞう」の「ハートカクテル」に似ているから。歩きながらそう思い当たった。

 関川夏央の「知識的大衆諸君、これもマンガだ」は「日本語世界にはマンガという表現の大陸がすでに存在している」という認識で80年代のマンガを取り上げた本だった。ずいぶん昔に読んだままなので記憶に自信が持てないが、数多く取り上げられた作品の中でここまで書かれたら立つ瀬がないではないかというほどにこき下ろされていたのが「わたせせいぞう」だった・・・という記憶だけはある。

 本棚から取り出してきて、その中のあまり痛烈ではないところを書き写すとこんな感じだ。

 おおむねカリフォルニアの海岸部の雰囲気のなかでドラマはつくられるが、ときに応じて中西部の田舎町や東部の大都会になる。クリスマスには雪がないとすわりが悪いのだろう、冬場のシーンはニューヨーク的な設定が借りられることが多い。そのくせ道路は左側通行、登場人物はすべて日本名だから、ああこれはやはり日本、作者がそうあって欲しいと願う日本なのだ、とわかる。

 まことにユーミンのほとんどの曲と一致している。比べては気の毒というものかもしれないが、中島みゆきのいくつかの曲を対置してみれば、ユーミンの「ハートカクテル」ぶりは瞬時に了解できる。

 嫌いではないし、強い違和感でもない。むしろ還暦を過ぎても、おおむねこんな感覚がフィットすることを恥じているくらいだ。

 ただ、やはりユーミンの曲はどこかに引っかかりがある。そして似ている。「さわやかに悲しみ、さわやかに小ぶりな荷物をつくり、さわやかに離れていく。そしてさわやかに悔やんで、さわやかに過去を回想するのである。・・・『執着』、『自己嫌悪』、『自罰』、『怨恨』などとはほど遠い場所を、水そのものと見まごうばかりの薄い体液の魚たちが遊泳するのである」という「わたせの国」に。(6/8/2011)

 きのう、東電はストップ安206円をつけた。きょうはいくぶん戻して、終値で216円。震災前の3月上旬は2,100円台だったのだから、じつに10分の1。

 同期会。**が「うちの奴、東電を買ったばかりだったんだよ」。「いつ?」。「1月」。「ことしの?、あらら」。**は奥さんがと言っていたが、ひょっとすると、自分だったのかもしれない。

 **(父)さんと**(母)さんの会話を思い出した。「退職したら、東電の株でも買って配当金で暮らしたいね。足りない分は・・・タバコ屋がいいな」。「退職金で株なんて、とんでもない」。「株は売り買いするから危ないんだ。ずっと持ち続けて配当金をもらう、本来それが正しい」。「でも、株なんてイヤ」。うちが株を買うなんてことにも、タバコ屋を開業することにも現実感がなかったから、「また、やってるよ」と思っていたっけ。

 こうして考えてみると、移り変わる世の中を実感する。いつしか、タバコは自販機が主流、タバコそのものも悪癖の象徴になり、どう考えても斜陽。それに比べれば、電力会社は鉄板であり続けた。まず、独占事業。景気が悪くなろうが、燃料代が値上がりしようが、為替が円安に振れようが、どうということはない、一定の利益を得られるように電気料金を値上げすることができると保証されている。だから間違いなく配当される。考え方によっては国債よりも堅い・・・はずだった。

 年間配当は東電の場合60円。1,000株で6万。だいたい一株2千円ちょいだったわけだから、今回の事態さえなければ、悪い投資ではないどころかまさに年金生活者向けだった。**(父)さんがあんな話をしていたころの配当はどうだったのか調べようとネット検索をした。大昔の配当と株価はざっとの検索では引っかからなかった。だが「余裕資金が400万ほどあります。これを東電に投資しようと思いますがどうでしょうか」などという質問があった。投稿日は去年だったり、一昨年だったり。答えは一様に「悪くありませんが、あくまで自己責任で」となっていた。

 いかに「鉄板」でも「高効率」でも集中するのは愚かなこと。400万ならば400万なりの分散を図ればいい。昔の「最低でも千株単位」という制限は緩和されている。400万で2,000株ほど買った人は、きょう、43万2,000円になった。これからさき「紙くず」になる可能性も斑目センセイ風に言えば「ゼロではない」。電子化された当節は「紙くず」にさえならないのだから嗤いも乾く。

 電力会社の株を買う気にはならなかった。反原発という主義・主張からではない。原発に対する知識からリスクが大き過ぎると思っていたからだ。中越沖地震の時、柏崎刈羽原発に深刻なダメージを受け東電株は1,000円近くも下げた。神様はちゃんと警告をしてくれていた。

 それでも電力会社の安定した配当の魅力は大きい。一時、「電力・ガスTOPIX-17」を検討した。直近の分配金は10口で4,150円。そのとき一口11,000円ほどだったから気持ちは動いたが、手もと余裕がなくいずれは考えようと思って時折ウォッチしていた。きょうの終値で5,450円。東電処理の方向がもう少し見えてきたら、いい買い物ができるかもしれない。

 ・・・とここまで書いてきて、まったくの後知恵で、信用取引の口座を開いておけばよかったと後悔。3月11日は無理としても14日に東電株を空売りしておけば、配当金などは目ではなく年間の投資益ノルマなどあっさり達成できたはずだ・・・と。(6/7/2011)

 昨夜9時からのNHK特集「シリーズ原発危機:事故はなぜ深刻化したのか」はうまく見せてはいるものの内容的にはお粗末なものだった。

 だいたいタイトルがふざけている。「なぜ深刻化したのか」という問題設定はないだろう。これではまるで「政府(原子力委員会、原子力安全・保安院を含む)なり東電が適切に対処したなら、こんなことにはならなかった」といいたげではないか。番組は「事故を深刻化させた五日間、その真相に迫る」という。だが「なぜ深刻化したのか」を問うよりも前に「なぜ深刻な原子力災害の引き金が引かれたのか」を問うことが先だ。本末を転倒してはいけない。

 そもそも普通の人間なら「原発ほど危険な施設ならば、どのような事態になろうとも、安全に止めるためにはどうするか」という手順が準備されていなければならないと思うはずだ。もう少しだけ原発についての知識があれば、「核燃料を冷却する手だては、いかなることがあっても、維持されるようになっていなければならない」し、「冷却機能の作動状況は、いかなる場合にも、確認できるようになっていなければならない」、それでなくては「原発としては欠陥品」だと知っている。(原子力村には「ああ言えば上祐」のようなソフィストがたんといるが、このことを否定することができる人はいない・・・はずだ)

 しかし原発の設計指針にはあえて「電源の全喪失を考慮しなくてよい」と明記してある。だからといって、これを「電気がない状態のことは最初から考えなくてよい」と解釈するとしたら技術者としては失格だろう。真っ当な技術者ならば、「電気がない状態になった時にはこのようにする(から全喪失は考慮しなくてよい)」という検討を十分に行い、マニュアル化していなければウソだ。

 電気が失われれば、計測することも、監視することも、遠隔操作することもできない設計となっているシステムを運転しながら、電源の全喪失時に関する検討も訓練もしてこなかったというのは恐るべき怠慢だろう。それでも許されるプラントならばまだしも、原発がそんな甘いプラントではないことを百も承知していながら、よくもまあ安閑としておれたものだ。いかなる「思考停止」がそこにあったのか、番組はまずこのあたりから取り組むべきであった。

 しかし、番組はひたすら事故後の経緯を追う・・・、「遅れた緊急事態宣言」、「唯一の対策電源車作戦」、「致命的なベントの遅れ」、「国民への情報伝達の遅れ」、「止まらぬ負の連鎖」、・・・いろいろなタイトルを並べるが「真の原因」には至らない。見ているうちに、「ああ、これは真の原因をうやむやにして、『仕方がなかった』という新たな『神話』を作るための番組なのかもしれないな」と思うようになった。

 「電源の全喪失時に関する検討も訓練もしてこなかった」こと。ここに「真の原因」が露呈しているではないか。もう少し大きく構えれば、「安全神話」が「神話」でしかないにも関わらず「真実」としてとらえられてしまったこと、そのていどの緊張感で原発が運転されてきていたこと、それこそが「真の原因」だろう。

 フクシマの無様な事故が起きてしばらくして中部電力は浜岡原発で事故を想定した訓練を行った。3月末頃のことだったと思う。そのニュースを見ながら「アホか」と嗤った。訓練は中部電力社内にとどまるもので、原発のある御前崎市市役所と市民を含むものではなかった。もっとも御前崎市になる前、浜岡町時代、原発事故想定訓練の話が持ち上がったとき当時の浜岡町長は「とんでもない、そんな訓練に町が参加することはあり得ない」と一喝したそうだから、あながち中部電力だけの問題ではないのだろう。

 全国各地にある原発で地元住民を参加させた訓練があったという話を聞いたことがないところをみると、これがこの国の原発の「成り立ち」だったわけだ。ちなみにフクシマ事故のあと、同じように行われた韓国の訓練では地元住民も参加する形で行われた由。嫌韓族のおバカさんたちが盛んに小馬鹿にする「ウリナラの国」の方がよほど論理的に行動できるということだ(ウリケンカンのノータリンどもよ、このことをしっかりと認識するがいい!!)。

 原子力村の詐欺師どもは札束で住民の横っ面を張って原発を建設する。その際、原発がどのていどの危険施設であるかがばれないようにするために「安全神話」を捏造ししきりに語ってきた。ウソをつき続けるといつしかそのウソの毒は語っている本人にも回るものだ。「安全神話」を「神話」として語っているうちに、その「神話」が原子力村の詐欺師どもにも、彼らが巣食う電力会社にも、監督する原子力安全・保安院にも、カネで抱き込まれたチャラチャラマスコミとお雇い学者・文化人にも、「神話」が「真実」であるかのように思い込まれたというわけだ。

 だからこそ、「ベントをしろ」、「ベント弁は電動なので動きません」、「マニュアルはどうなっている」、「手動でやるにはどうするんだ」、「設計図面を見ましょう」などというマヌケなお話しで、午前0時のベント決定から午後2時半のベント確認まで半日以上を有したわけだ。もっと嗤ったのは、ベントをする際には近隣住民に影響が及ぶ、しかし真夜中のことで避難情報を伝えることも、周知させることもできなかったというくだり。住民避難が必要な事故が深夜に発生することは「想定外」だったようだ。

 ベントと言えば、思い出す、「菅総理が原発視察に出かけたためにベントの実施が遅れた」という指摘があったことを。国会では自民党のバカ議員が「総理、あなたは何をしに行ったのですか?、あなたが漫然と現地視察などをやったために、ベントが遅れたのではありませんか?」などと鬼の首でも取ったようにふんぞり返って「詰問」していた。まさにマスコミの作られたニュースに載っかって「漫然」と「国会論議」をしていたことのバカさ加減を、あの議員は恥じているだろうか。(6/6/2011)

 天気も上々、同期会は盛会だった。夜の部をやった芝パークホテルにそのまま泊まった。朝、5時前に眼が覚めた。しばらく輾転反側したが寝つけない。バスに浸かりすっきりしたところで、都心の朝を歩くのも悪くはあるまいと散歩に出た。増上寺の脇を抜けて東京タワーまでは昨日歩いたルート。そして機械振興会館前から神谷町方面へ。久しぶりだからと虎ノ門パストラルへ足を向けた。なかった。フェンスの向こうには建物はなかった。取り壊されたようだ。(いま、調べてみると、一昨年の9月30日で営業を終えた由)

 虎ノ門パストラルは**(家内)と見合いをしたところ。当時は農林年金会館といっていた。ロビーなどではなく理事長室のような部屋だった。77年の10月の末、秋の陽が柔らかく差し込んでいた光景だけを憶えている。仲人の**さんは農林中金の方、農林年金の理事を兼任していたのか、あるいは中金関係のところを避けて農林人脈を利用して借りたのか。その**さんもご夫婦とも既に亡くなった。そして建物もなくなってしまった。また記憶の中だけにしかないものが増えた。

 「・・・そうか、34年になるのか・・・」などと呟きながら、江戸見坂の方に回ってから神谷町駅あたりに戻り愛宕トンネル・青松寺へ。もうひとつのセンチメンタル・ジャーニー。こちらにしても9年も前のこと。朝の散歩には似合わなかったなと思いつつ、ホテルに戻った。

 宿泊したメンバーと近くのルノアールのモーニング・サービスで朝食。チェックアウト後もロビーで目一杯おしゃべり。**、**、**という顔ぶれで、**を羽田まで送りがてら昼食。秋の釧路ツアーの約束などして帰ってきた。

 そろそろ、「シリーズ原発危機」の第一回の時間だ。(6/5/2011)

 株主総会の時期が迫り、ことしも「招集通知」が来る。うちは単位株(最近は「単元株」というらしい)ギリギリの零細株主だからインターネット投票か議決権行使ハガキを出すだけで出席することはない。

 数年前まではJFEなどは投票をするとクオカードを送ってくれたものだが、リーマンショックの後はそういう「特典」もなくなってしまった。きょうは資生堂と伊藤忠が来た。伊藤忠の封筒にはいつも通りの「事業報告」と「議案」の他にペラッと一枚、「株主の皆様へ」というのが入っていた。内容は「従来株主総会後に開催していた株主懇談会は総会で活発な意見をいただくようになったので取りやめることにした」、「総会への出席者にお土産を用意していたがこれも取りやめることにした」というもの。

 単なる想像だが、「総会となると発言できなくとも懇談会は別」ということはないのだろうか。たとえば伊藤忠のOBなどはけっこう張り切って出席し、あれこれと・・・そうか、受け答えをする現役にとってみると、年寄りの話は長かったり、現役のころの自慢話が混じったり、・・・かといって粗略にも扱えないとすると「消耗」の一言に尽きるのかもしれない。

 「お土産」がいただけた時に一度出席しておけばよかった。おっと、伊藤忠は大阪、何か用事でもなければ無理だったか。

§

 全仏オープン女子、クレイコートが苦手なため、生涯グランドスラム達成のためにはローランギャロスだけが残っているマリア・シャラポア、準決勝で負けた。このニュース、なぜか、テレビはこれを伝えない。シャラポアを下したのは李娜(リー・ナ)、中国の選手だったためかもしれない。アジア勢が全仏の決勝に進むのは初めてという「快挙」なのだが・・・。どうも日本人の度量はぐんと小振りになってしまったようだ。

 決勝は李娜とイタリアのフランチェスカ・スキアボーネ。スキアボーネは二連覇を狙う強豪というのが我がメディアにとっての救いかな。もし、李娜が優勝したら、どのように報ずるのか、いささか楽しみな気もする。決勝は4日の土曜。同期会でそのあたりをリアルタイムチェックできないのが残念。(6/3/2011)

 きのう夕刻、自民・公明・たちあがれ日本は共同で内閣不信任案を提出した。会期末のセレモニーのような不信任案、しかし如何になんでもこの時期にまともな政党のやることではないと思っていたが、週明けあたりから本気度が増すような報じ方。日を追うごとになんだか可決の可能性が膨らみ始めた。

 そして昨夜からけさにかけての報道では、小沢派を中心に相当数が不信任案賛成にまわり、不信任可決必至というイメージさえ流布された。天下のバカ新聞サンケイなどは「解散総選挙」で、もうルンルン状態、さすがに読売は震災地域での選挙実施は難しいという現実くらいは見えているのだろう、社説で「内閣総辞職」を主張。昭和の初めは右翼が「一人一殺」のテロを実行したが、最近はマスコミが「紙面」と「画面」でテロを行う。おかげで宰相の任期は一年程度になった。

 解散総選挙をやれば自民党は政権を奪還できるだろうが、谷垣首相が実現したところで復興や原発処理がアッというまに終わると考えるのはサンケイ新聞並みのアホウだろう。菅直人さえ総理の座にいなければすべてがうまくゆくというのもいかなる根拠に基づくものかは分からないが、現実がそれほど単純なものでないことも、ちょっとした常識を持つ者ならば分らないわけはあるまい。

 新総理のもとならばいいアイデアが泉のように滾々と湧き出るというのなら、代わらなくてもアイデアを出せばよかろう。「空きカン」を自認する我が宰相はしきりに「アイデアを出してくれ」と言っているではないか。「ここがロドスだ。ここで跳べ」、被災民のみならず大方の国民はそう思っている。

 それともせっかくのグッド・アイデアを民主党に献ずるのはもったいないととでも思っているのか。しかしいまここで上策を次々と打ち出す方が、選挙の時に付け焼き刃で「マニフェスト」を作ってみせるよりはるかに評価されように・・・。さすがに自民党(何党でも、何派でもいいが)だと。実際のところそんな妙案など誰にも出せない。その苛立ちが「カン蹴り」につながっているだけのこと。

 そう嗤いながらも、恐いもの見たさあるいは人間の愚かさを見る楽しみは押え難く、珍しくテレビで国会中継を観た。

 自民党の大島副総裁の不信任案趣旨説明は痛烈なものというよりは品格に欠けるものだった。不信任の理由は本来政策内容にあるはずだが、菅直人個人の人格攻撃ばかり。リーダーとして「徳がない」と言うのなら倒すまでもない倒れるだろう。続いて賛成意見、反対意見を順に聞いたが、公明党のそれはどこか党としての釈明をしているような印象だったし、みんなの党に至っては迫力ゼロ。倒閣の気概が伝わってこない。そのくせ「総理には真剣に取り組むという気概が感じられない」などと言う可笑しさ。

 ついでに書くと、原発事故以来、右翼ブログのほとんどが精彩を欠いているのに似て、最近のみんなの党は存在感がまるでない。「中国叩き」や「役人叩き」というツボを外すとフニャフニャなのはもともと骨格がないからに他ならぬ。

 そして投票が始まったが、気抜けするほどに不信任案はあっさり否決されてしまった。民主党内の造反はほとんどなかった。本会議開催直前に開催された民主党代議士会での菅の「辞任表明」が一気に流れを変えたとマスコミは解説しているが、1時間足らずの間に造反から帰順へ逆転するためには何か素地がなくてはならないはず。どうも最近の政治記者は「裏を取る」技術にも「裏を読む」才知にも欠けているようだ。

 不発に終わった「不信任案騒ぎ」に数時間つきあって思ったことはひとつ。党議拘束などというバカなしきたりは棄ててアメリカの上下両院のように各議員の自主投票にしたらどうかということ。

 ここ数日のいささか異様な「高揚感」はそれぞれの議員がどういう投票行動を取るのか分らないことにある。与党の***名、野党は***名、したがって「可決成立します」、あるいは「否決成立します」、こういう状態ではすべてが予定されていて面白くない。個々の議員も頭を使うことはないしストレスもない。だいたい議論すら形式的に流れて、官僚のシナリオ通りに決まってしまう。「政治主導」というなら、ここから改めた方がよほど近道のような気がする。(6/2/2011)

 朝刊に連載されていた「神話の陰に-福島原発40年-」がきょうの第8回で終わった。目新しい話などはなかった。それは最終回のこの末尾を読めば明らかだ。

 今年2月、東日本大震災と浸水域が似る869年の貞観の地震・大津波を審議した。4月にも議論し、内容を公表して津波の危険性を指摘するはずだった。「もっと早く発表していたら被害は減ったはず」と思うと無念さが募る。
 島崎にも、電力業界の壁が立ちはだかっていた。
 部会で原発近くの地震の評価を発表すると必ず、電力業界の人から「想定する地震のマグニチュードが大きすぎる」と反論された。「事故を起こせば大変 危険な原発こそ、最悪の地震を想定すべきなのに」。そんな思いをのみ込むことも少なくなかった。
 ただ、問題は電力会社だけではないとも思う。
 大地震のリスクに対して、「手に負えない」「まれにしかおきない」と逃げ口上をつくって具体的な対策を先延ばしにしてきたのは日本社会全体だ。
 「守るべき本当に大切なものは何か。阪神大震災から16年たち、みんな忘れてしまっていた。日本中が思考停止していた」

 この特集の基本的なスタンスは「想定条件が甘かった」というものであって、「想定しうる最大の地震と津波に耐えうるものにしておかなくてはいけない」という精神で貫かれている。換言すれば、「『想定』に耐えられるものにしておけば原子力発電はOK」ということなのだ。

 こんな結び方しかできないところに、「電力業界の壁が立ちはだかっている」。いや「原発業界(原発マフィア)の壁が立ちはだかっている」。その壁を強固なものにしているのは「人間はあらゆることを想定できる」という思い上がり的な「迷妄」「いままでに起きていないことが起きた場合は仕方がないじゃないか」という「あきらめ」だ。

 まず「人間はあらゆることを想定できる」という度し難い思い上がりについては書かない。そう思い込んでいる奴と話をするのはムダというものだ。バカにつける薬はない。

 厄介なのは後者の「あきらめ」の方かもしれない。たしかに、謙虚な「あきらめ」と「引き起こされた結果に対する学び」が「科学技術の進歩」であることは間違いのない事実だから。しかし原発事故が惹起する事態は、一言で書けば、「あきらめて済む話ではない」。

 我々は自分たちの世代で対処可能なリスクのみ引き受けられる。それ以上のリスクを引き受けることはできないし、引き受けてはならない。まだ生まれていない世代が意思表示できないからだ。

 原発は想定外の事態が発生して破綻した場合には現在の我々が「あきらめる」ことを許される範囲を軽く超えてしまう。次の世代が「健康に生まれて来られる条件」に影響が出る可能性を否定できない。例えそれが「可能性」であっても、それを「賭ける」権利は我々にはない。我々の世代の一存でそういうリスクを引き受けられるというなら、それを完璧に説明する誤りのない理論を構築してくれ。

 原発推進論者の多くは経済成長だとか、経済競争力などを持ち出して原発を擁護する。そういうエコノミック・アニマルには国債の発行に関して「我々の子孫に借金を残してはならない」と主張をお持ちの人々が多い。子孫に借金を残すことは許されないが、子孫に放射性廃棄物の山を残すことは許されるし、遺伝子に異常が発生するリスクも許されると考えることができるのはじつに不思議な話だ。(6/1/2011)

 東京病院。生体検査と血液検査の結果は所見なし。鳩尾あたりの痛みは軽い潰瘍と胃酸過多。

 5月の最後の日になって申し訳のように「五月晴れ」。午前中、病院に時間をとられた関係で、夕方になってからウォーキング。きょうの天気なら朝のうちは富士が見えたかもしれない。

 夕刊の「文芸/批評」欄に丸山健二の近況が紹介されている。あの丸山がツイッターなどはじめたのだそうだ。ツイートの一例が載っていた。「怒れ、ニッポン!:国民に怒って欲しくない輩は、頭を低くしたポーズをとりながら、怒りが持続力を失う時期を読み、それを待っている。あきらめのため息を漏らす回数が増えてゆく頃合いを見計らっている」。丸山が「溜息」ではなくあえて「ため息」などと書いているのかとは思うが、痛烈な毒は健在のようだ。

 とは書きつつ、丸山健二を継続して読み続けてきたわけではない。最初に読んだ「夏の流れ」と「真昼なり」を収めた文庫本(記憶では講談社文庫だった)はたぶんリスニングルームのラックの奥にあるのではないかと思うが出てこない。

 続くエッセーのいくつかは新有楽町ビル地下の積文館やら池袋の芳林堂(どちらの本屋も既になくなったしまった)などで立読みしたが、歯を食いしばりながらサラリーマンを続けているものには、「あなたはそうおっしゃるけれど、女房と子どもを打ち棄てるわけには行かないのは当然として、不案内な生活に晒すこともできないのですよ」と「呟き」つつ、書棚に戻して購うことはなかった。

 いまなら読めそうな気がするし何よりツイッターなどをはじめた現在の「丸山健二」にも興味がある。記事にはこんなことが書いてある。

 ドイツの詩人ヨハン・ペーター・へーベルの詩に「われわれにとって何かもっとよい未来があるにちがいない」という一節がある。それに続くことばを、丸山は今回出版した庭造りをめぐるエッセー集の題名にとった。『さもなければ夕焼けがこんなに美しいはずはない』(求龍堂)
 写文集『草情花伝』(駿河台出版社)は、自宅の庭の花の「本当に美しい一瞬」を自ら撮影し、文章を添えた。
 「精神の働きを乱してしまうほどの忌まわしい人生と遭遇した際(中略)/間違ってもその原因を作った自分を責めたりせず/人生をただ一度のものと大げさに解釈することをやめ/敢えて腑技けのごとく呆然としているうちに/その最大の難関はいつしか遠のき/さもなければ取るに足りないことに変わっている/花々はそうしている」

 読んでみようか。(5/31/2011)

 ドイツは遅くとも2022年までに、現在ドイツ国内に17基ある原発の大部分を止め、代替電力の確保が間に合わない場合にのみ最後の3基の運転を1年間延長する方針を決定、6月6日に必要法案を閣議決定し、7月上旬には議会に提出することにした由。

 昨年、メルケル保守政権は前シュレーダー政権の脱原発政策を180度転換して2040年まで既存原発の延命を決めたばかりだったが、一気に再度180度の転換をしたわけだ。

 この「再転換」が、福島の惨状を目の当たりにして本来の「保守主義」の意味(人間の知識・知恵の限界を意識した上で自然に対して謙虚に向き合う)を思い出したのか、それとも、自分たちがどれほど危ういものの上に生活しているかに気づいた国民世論の勢い(最新の世論調査では80%が原発停止すべきとの意見)におされたのか、どちらによるものかは分からないが、出した結論は当然のものだった。

 もし問題があるとすれば、そのスピードだ。これから先、10年の間に「神の見えざる手」がいかなるいたずらをしでかすかは誰にも分らないのだから。潜在的なリスクが徐々に低下する(稼働していた原発を停止してもリスクはゼロにはならない)ことだけは間違いがない。

 原発推進大国はアメリカとフランスだが、そのアメリカのメディアであるブルンバーグは、もう一方のフランスのベッソン産業担当相の言葉を借りて、「ドイツは化石燃料への依存をさらに高めることになる。輸入した電力の価格は高くなり、環境汚染につながると述べ、ドイツ人世帯が支払う電力料金は電力の8割を原発で賄うフランスの2倍に上っていると指摘した」と書いた。さらに原発メーカーのアレバのCEOの言葉まで紹介した。

 原発機器メーカー最大手で仏国営企業のアレバのアンヌ・ロベルジョン最高経営責任者(CEO)はBFMラジオで、「ドイツが原子力の代替エネルギーの確保をどうするのか予測が難しい」と発言。「ポーランドの石炭が十分に存在するかどうか分からないし、二酸化炭素問題も生じる。代替エネルギー源は恒久的なエネルギー源ではない。ドイツは当面はオーストリアのように原子力の電力を近隣諸国から輸入するのだと思う」と述べ、こうした動きは「ドイツ国内の電力料金の上昇を招き、産業に影響を及ぼす」と指摘した。

 ロベルジョンCEOの発言をポジション・トークとして排除しないとしても、「ああ、原発屋さんは今や死にものぐるいで原発の弁護をしなければならなくなったんだなぁ」ということが、手に取るように分ってなかなか面白い。

 化石燃料の枯渇は子どものころからの「オオカミ少年」の常套句。結局、彼らが寄り掛かる唯一の大木はCO2問題になっている。しかし、クライメイト・ゲート事件に関する「攻防戦」に見る限り、地球温暖化現象が実際に確認されているのかどうか、温暖化が事実だとしても、その最大の原因が二酸化炭素なのかどうかについては、相当の疑問符がつくようになってしまった。

 じつは原発はCO2問題の救世主ではない。原発で燃やす燃料の製造エネルギー、原発を維持するために使われるエネルギー、放射性廃棄物の処理に使われるエネルギー、原発を廃炉にするために使われるエネルギーはCO2の発生なしには得られない。

 原発自身の発生する電力があるなどという人は、原発は核分裂で発生する熱量のたった30%しか電力に変換できていないことを忘れているのだ。したがって原発はCO2の削減に役立つはずはないのだか、それを言ってしまえば原発屋さんは窒息死する、呵々。

 それにしてもフランスの産業相がドイツの電力価格を心配してあげるとは、ちょっと不自然な感じがするくらいに独仏関係もよくなったものだというか、。これがEUというものか。

 ところで、「ドイツ人世帯が支払う電力料金は電力の8割を原発で賄うフランスの2倍に上っている」というのがほんとうだとしたら、そのドイツの電気料金よりも高い、日本の電気料金とはいったいどんな計算になっているのか。よほど「原発対策費」にカネを使っている証拠ではないのか。(5/30/2011)

 雨。5月というのに台風。5月だからまだ2号。ところがコースはまるで秋台風。梅雨前線を刺激して西日本は激しい降りでかなりの雨量とか。こちらはいまのところ、それほどではない。

 雨は降る降る、城ヶ島の磯に、利休鼠の雨が降る・・・と口ずさんで、利休鼠というのは雨の色なのか、雨を降らす空の色なのか、・・・。こういうときはインターネット検索。

 利休鼠とは正式には「りきゅうねずみ」ではなく「りきゅうねず」というらしいが、広辞苑にも「りきゅうねずみ」となっているとなると、もはやこれは「さざんか」と「さんざか」のようなもの。で、色はわずかに緑色を帯びたねずみ色、カラーコードは#888e7e。便利なもので色見本まで見られる。

 どうも雨を降らす空の色が利休鼠というわけではなさそうだ。そうか、新緑を背景に降る雨かと独り合点。ところが、さらにあちらこちらを見て回ると、白秋が「城ヶ島の雨」を作詞したのは秋のことだったらしい。

 うーん、世代的には「雨は降る降る・・・」よりは、「雨がしとしと日曜日・・・」の方が身の丈にあっていたかもしれない。(5/29/2011)

 朝から雨。さほど激しい降りではないが小止みなく降り続く。ウォーキングはあきらめ、いつものように「コロンボ」を見ながらステップボード。

 朝日のサイトにこんな記事が載っている。朝刊にも、夕刊にもない。

 俳優山本太郎(36)が福島原発事故後、反原発を訴えたことが原因となって、所属事務所のシス・カンパニーを辞めたことが27日、分かった。同日夜、山本本人がツイッターで明言した。山本は「事務所辞めました! 今日。これ以上迷惑を掛ける訳いかないから。辞めるな、と社長、スタッフの皆さん何度も引き留めて下さった。最後には僕のわがままを聞いてもらいました」とつづった。
 発端は当初予定していたドラマ出演が降板になったことだ。山本は25日午後9時すぎにツイッターで「マネジャーからmailがあった。『7月8月に予定されたドラマですが、原発発言が問題になっており、なくなりました』だって」とつぶやいていた。「一俳優の終わりの始まりなんて大したことじゃない。(中略)皆で日本の崩壊食い止めよう」と続け、降板の経緯を明かしていた。この問題で、山本の所属事務所は27日午前までに「そういう事実はない」と、降板の経緯そのものを否定していた。
 山本は4月9日のツイッターで「原発発言はCHECKされ必ず仕事干される(中略)だからって黙ってテロ国家日本の片棒担げぬ」と宣言。翌10日に反原発デモに参加。5月23日には文科省前でのデモで、同省が定めていた放射線量年間20ミリシーベルトの撤回を求めていた。
 くしくも、この日、文科省は、福島県内の学校で児童・生徒が浴びる放射線量について「年間1ミリシーベルト以下を目指す」との目標を示し、山本らの運動に対応し始めたところだった。山本は「13年もいたSIS(事務所名)はまじめで正義感強く、情に厚い事務所。もう関係ないから事務所への電話しないでね。他の役者にも迷惑がかかる」と呼び掛けた。
 山本は現在、6月公演「太平洋序曲」(6月17日~7月3日)のけいこ中。26日の深夜には「舞台終了まで、ツイッター辞めます」ともつぶやいていた。

 山本はこんなメッセージも出している。「頑張ろう福島、頑張ろう東北、頑張ろうニッポン・・・大いに思います、僕もそう思う。でも頑張ろうと思ったって若い世代がすっぽり抜け落ちた、そんな日本でどうやって復興していくんですか?」。じつに痛烈な言葉だ。

 「がんばろう、ニッポン」みたいな当たり障りのない言葉はまるでシャワーのように降り注ぐが、具体的な現実に踏み込んだ途端、どこか暗がりから「あいつを干せ」という指令が出るということか。これではこの国がさかんに批判してやまない中国と変わらない。情けない話。

 彼の国はこういうことが公然と行われ、この国では隠然と行われるということが違うだけ。見えないものがそれとは分らぬ仕掛けで「自由を奪う」というのは、まるで放射能障害にそっくりでいまの状況にピッタリだ。(5/28/2011)

 藤原正彦の「日本人の誇り」というのが売れているそうだ。広告コピーを見るだけで、「ゲップ」が出てくるところがいかにもという本。

 それでも、いま、失意の日本人がどんな言葉に飛びついているのかの記録として書き写しておく。

世界七代文明を担う堂々たる日本文明
西洋人が驚愕した「平等、幸福、美しい国」
黒船来航で始まる日本の「百年戦争」
明治は「有徳国家」「独立自尊」を掲げて
日露戦争の勝利にアジアは歓喜した
「昭和史」ではわからない欧米列強の酷薄
民族の弱点から禁断の帝国主義へ
誰も言わない日中戦争と対米戦争の真実
「南京事件」「原爆投下」「東京裁判」のタブー
百年戦争は大敗北。だが同時に大殊勲
震災でわかった「日本人はまだ日本人だった」
今こそ「個より公」「金より徳」「競争より和」

 読まなくても中味が分る本がある。この本は読まなくても分かる。何しろ著者が藤原先生なのだから、こちらが想像する範囲の外に出ることは絶対に書いていないと安心して断言できる。

 この絶対の自信は経験による。かつて先生が書いた「国家の品格」というベストセラーを手に取ったとき、肝心の著者の顔にちょっと「品格」がなさ過ぎると思い、たいした本ではないのではないかと直感した。そしてその直感は当った。その経験にてらせば、読まなくても絶対に分ると、ゴーマンかまします、呵々。

 藤原先生の提示する区々たる事実、それにさしたる誤認はない。しかし、先生には全体を見る力がないし、事実を見通す能力もない。だから、読み終わったときには「それはそれでようございましたね」というだけの読後感で終わる。ちょうど数学者としての藤原先生(彼が数学者だと知らない人も多かろう)のレベルと一致している。

 広告コピーの中で、あえて、いいコピーだねというものをあげるとすれば、「震災でわかった『日本人はまだ日本人だった』」かな。このコピーが該当する章に何が書いてあるかも読まなくても分るが、藤原先生が絶対に書いていないはずの部分で、たしかに「日本人はまだ日本人だった」と最近思っている。福島原発で、この数十日、繰り広げられたドタバタ劇(先週末からの海水注入中断はあった、ない、総理が指示した、しない、斑目先生の「わたしはなんだった」発言、得たり賢しとばかり国会質問(?)に取り上げる議員、それを報ずるメディア、コメンテーターの右往左往・・・それら全部のごった煮状態)こそまさに「日本人はまだ日本人だった」ことを証明していた。

 嗤えることに、あのゴタゴタに登場する人々の顔は、藤原先生の「品格」に欠けるお顔とそっくりだった。


 「誇り」を持つことは必要なことだが、藤原が並べ立てるような「誇り」が「誇り」であるうちは、いささか恥ずかしくて、我々は鳥かごの外に出て行くことができない。こんな本が売れているようでは「日本人はまだ日本人」なのだ。

 東海・関東も梅雨入り。関東の梅雨入りは記録上二番目の早さとか。(5/27/2011)

 ユネスコの世界記憶遺産に山本作兵衛の墨絵・水彩・日記など697点が登録されることになった由。

 ・・・と、書いても「世界記憶遺産」についても、「山本作兵衛」についても、今回の対象となった「炭鉱記録絵画」についても、何ひとつ知らなかった。

 山本は1892年の生まれ。7歳の時からヤマ(炭鉱)に入り、筑豊で閉山が相次いだ1950年代末まで、炭鉱労働者として働き、その生活を記録し続けた。閉山後は記憶の中の炭鉱労働と生活を墨絵や水彩画に残したのだという。

 夜までのニュースできいた中で印象残った言葉を書き留めておく。「拙いものだが、見たことを絵にそのまま描いた。たったひとつのウソは、(坑内は)あんなに明るくはない、暗かった。絵にならないから、あんな風に描いた」。

 朝刊に三葉、おそらく水彩と思われる絵が載っている。まわりに解説文や囃し歌が書かれている。カタカナではなく、ひらがな交じりというのが意外。

炭犬(?:読めない)"スミタケ"
 四五センチ位までは/坐って掘るが、それ/以下は寝て掘る/この低層炭は/筑豊では至って少ない/遠賀郡に一、二ある噂さ/あっても能率が上がらぬ/から採掘しない
 カイロは三〇センチ位たかめる/主人先山は二屯位ほる

 長男を戦争で失った尋常小学校卒の名もない坑夫が、孫にかつての炭鉱の暮らしを伝えようと、一心に描いたものに、このような形でスポットライトがあたり広く知られる機会が得られたことを喜びたい。

 ついでに書いておくと、今回の登録申請をしたのは田川市。国の登録申請体制が整っていなかったことが幸いしたような気がする。ユネスコを所管する文科省の担当官は「候補の選定で中心的な役割を果たす文化庁との連携がうまくゆかなかった」とコメントしたそうだが、文化庁の選考だったなら、こういうものは通ったかどうか。

 そうそう、この手の「国際的お墨付き」には過剰反応をするサンケイ新聞が、いままでのところなにも報じていないのは、「国家至上主義」新聞として、このニュースを苦々しく思っているためかもしれない。それとも、無学の労働者が称揚されるのは「拡蒙」対象たるサンケイ読者のためにならないとでも思っているからか、呵々。(5/26/2011)

 小沢秘書に対する政治資金規正法違反の公判で、きのう「疑惑の原点」を作った水谷建設の元会長水谷功の証言があった由。

 この件に関する新聞各紙のサイトを検索してみるとなかなか興味深い。まず、リファレンスになるかどうかは分らないが、NHKの早朝のニュース原稿はこうなっている。

 民主党の小沢元代表の政治資金を巡る事件で起訴された元秘書らの裁判で、三重県の水谷建設の元会長が「小沢元代表側に1億円の裏金を渡すことを了承したのは事実だが、実際にカネが渡ったのかは分からない」と法廷で証言をしました。
 これまでの裁判では、小沢元代表の元秘書で衆議院議員の石川知裕被告(37)と元公設秘書の大久保隆規被告(49)の2人に「合わせて1億円の裏金を渡した」と水谷建設の元社長が証言したのに対し、石川議員ら2人は「裏金を受け取った事実は一切ない」と強く否定し、裏金の有無が焦点の一つになっています。
 24日の裁判では、水谷建設の水谷功元会長が法廷に立ち、「元社長から『小沢元代表側に1億円を渡す必要がある』と報告を受けたので了承し、カネを用立てる手配をしたのは事実だが、実際に渡ったのかは分からない」と証言しました。そのうえで、「裏金を渡す際には1人では行かず、帳簿を作って厳格に管理するのが会社のルールだった。石川議員と1人で会って裏金を渡し、帳簿もつけていないという元社長らの証言には不自然な点がある」と述べました。
 また、水谷建設の元運転手は、元社長がホテルで裏金を渡したと検察側が主張している日について、「検事から『サインしてもらわないと困る』と言われ、調書に署名させられたが、その日に元社長をホテルに送った記憶はない」と述べ、調書の内容を否定しました。
(5月25日 4時25分 NHK)

 日本で一番発行部数が多いと豪語(単に押し紙の量が多いだけ、一千万部割れは目前らしい)する読売新聞の記事はこうなっている。

 小沢一郎民主党元代表(69)の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件で、同法違反(虚偽記入)に問われた元秘書3人の第13回公判が24日、東京地裁であった。
 公共工事受注の見返りに同会側へ裏金1億円を提供したとされる中堅ゼネコン「水谷建設」(三重県)の水谷功元会長(66)が弁護側証人として出廷し、1億円の提供を事前に了承していたと証言した。
 水谷元会長は、国土交通省発注の胆沢ダム(岩手県)建設関連工事の受注業者は、下請けの水谷建設も含め、入札前に談合で内定していたと説明。「予定通り受注できるよう、小沢事務所側に了解させるため」、陸山会の元会計責任者・大久保隆規被告(49)と親密になるよう川村尚元社長(54)に指示したと述べた。
(5月25日3時2分 読売新聞)

 「反日新聞」というレッテルが貼られ、「週刊文春」、「週刊新潮」からは袋叩きにあったためか、最近は萎縮気味の朝日新聞の記事はふたつに分かれている。我が家に配達されている第14版には以下のふたつのうちの最初のものだけが紙面に載っている。

 小沢一郎・元民主党代表の資金管理団体「陸山会」の土地取引事件の公判が24日、東京地裁であり、中堅ゼネコン「水谷建設」の水谷功元会長(66)が証人として出廷した。元会長は「同社が小沢氏側に裏金1億円を提供することを了解した」と認める一方で、「その場に立ち会っておらず、本当に金が届いたか分からない」とも証言した。
 これまでの公判で同社の川村尚元社長(54)は、(1)2004年10月15日に元秘書で衆院議員の石川知裕被告(37)に5千万円(2)05年4月中旬に元秘書の大久保隆規被告(49)に5千万円を渡した――と証言。元秘書らはこれらの受領を否定している。
 水谷元会長の証言によると、小沢氏の地元の「胆沢ダム」(岩手県奥州市)の建設工事をめぐり、下請け会社の共同企業体を取り仕切る「幹事会社」に選ばれるよう同社は小沢氏側に働きかけていたという。
 同社が裏金を渡す際には、単独ではなく「見届け人」をつけて、授受を確認できる態勢をとっていたという。しかし、川村元社長の証言によれば、04年10月の授受の際には「見届け人」がついておらず、水谷元会長は「ちょっと考えづらい」と弁護側に有利な証言をした。
(5月24日22時29分 朝日新聞)
 小沢一郎・元民主党代表の政治資金管理団体「陸山会」の土地取引事件の公判が24日、東京地裁であり、中堅ゼネコン「水谷建設」の元運転手が証人として出廷した。同社の元社長は「2004年10月15日に東京都内のホテルで、小沢氏の元秘書に裏金5千万円を渡した」と証言しているが、元運転手は「その日に元社長をホテルまで送った記憶はない。検察官に(送ったという内容の)調書の訂正を求めたが断られた」と証言した。
 同社の川村尚元社長(54)はこれまでの公判で、衆院議員で元秘書の石川知裕被告(37)=政治資金規正法違反(虚偽記載)罪で起訴=に5千万円を渡した、と証言している。この授受があったとされる日の元運転手の手帳には「12時10分 東京駅迎え 社長」とあった。元運転手はこの記載をもとに「東京駅で川村元社長を迎えて東京支店に戻ったと思うが、以後は覚えていない」と証言した。
 捜査段階の元運転手の供述調書には、元社長をこの日にホテルに送ったとする記載があった。元運転手は「よく覚えていないのに、検察官から強制的に『サインしてもらわないと困る』と言われた。何度言っても訂正してもらえなかった」と話した。
(5月24日15時58分 朝日新聞)

 朝毎読と並び称せられながら、いささか水をあけられすぎた感のある毎日新聞。署名記事というのはなかなか良いし、こまめに記事を修正し、タイムスタンプについても神経質に添えているところが行き届いていて好ましい。

 小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡り、政治資金規正法違反(虚偽記載)に問われた衆院議員、石川知裕被告(37)ら元秘書3人の第13回公判が24日、東京地裁(登石郁朗裁判長)であり、小沢事務所に計1億円を裏献金したとされる「水谷建設」(三重県)の水谷功元会長(66)が証人出廷した。元会長は裏献金について「私がすべて手配した」と述べる一方、焦点の04年分の5000万円が小沢事務所に実際に提供されたかどうかは「分からない」と証言した。
 証言によると、同社は04年、胆沢ダム(岩手県奥州市)の関連工事で下請けJV(共同企業体)の幹事となることを目指していた。元会長は川村尚前社長(54)に対し、元公設第1秘書の大久保隆規被告(49)への陳情を指示。「大久保さんと合意できた」との報告を受けたため、最初の5000万円を用意したという。
 ところが、同社は下請けにはなったが、幹事にはなれなかった。また、5000万円の提供先は大久保被告だったと前社長から報告されたといい「事件が明るみに出て『石川議員に渡した』(と前社長が供述した)と知り、びっくりした」と述べた。
 公判には、04年10月15日に裏献金の授受場所とされる東京都内のホテルに前社長を送ったとされる元運転手の男性も出廷した。
 検察側は、虚偽記載の背景に同社の裏献金があったと主張。4月に証人出廷した川村前社長も、04年10月15日に都内のホテルで石川被告に、05年4月に大久保被告に各5000万円を渡したと証言したが、両被告は受領を全否定していることから、弁護側が元会長らを証人申請していた。【野口由紀】
(5月24日20時05分-最終更新5月24日22時47分- 毎日新聞)

 経済紙ということになってはいるが、まあそれなりには事件・裁判報道もやっている日経の記事はこんな具合。

 小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件で、衆院議員、石川知裕被告(37)や元秘書、大久保隆規被告(49)らの第13回公判が24日、東京地裁(登石郁朗裁判長)であり、中堅ゼネコン「水谷建設」(三重県)の水谷功元会長(66)が弁護側証人として出廷した。2004年10月に石川議員に渡したとされる5千万円について「私が手配した」と断言する一方で「本当に渡ったかはわからない。不明朗な点が3、4点ある」と疑念を示した。
 公判では、同社の前社長(54)が「04年10月15日に、都内ホテルで石川議員に5千万円を手渡した」と証言。石川議員は一貫して受領を強く否認している。
 この日の証人尋問で、水谷元会長は、前社長から「ダム工事の受注の謝礼として大久保元秘書に5千万円を渡す」と報告されたと説明。元常務らに指示して手配したが、「石川議員に渡したことになっているとは知らなかった」と述べた。
 また、ヤミ献金提供を認めた同社元幹部らの証言を同社の裏金提供の慣例と比較し、「受注前に謝礼を渡したり、前社長が単独で渡したというのは非常に理解しづらい」などと指摘した。
 この日の尋問は、規正法違反に問われている土地購入時期にあたる04年10月の5千万円に限定。05年4月に大久保元秘書に渡ったとされる5千万円については検察側、弁護側とも触れなかった。
(5月25日3時11分 日本経済新聞)

 イデオロギー新聞と思っているので、最近はほとんどサイト閲覧もしなくなったサンケイ新聞もこの際だからみてみた。

 小沢一郎民主党元代表(69)の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件で、政治資金規正法違反(虚偽記載)罪に問われた衆院議員、石川知裕被告(37)、元公設第1秘書、大久保隆規被告(49)ら元秘書3人の第13回公判が24日、東京地裁(登石郁朗裁判長)で開かれ、中堅ゼネコン「水谷建設」の水谷功元会長(66)が出廷。川村尚元社長(54)が「平成16年10月に石川さんに手渡した」と証言した現金5千万円について「私が手配したが、大久保さんに渡したと報告を受けていた」と述べた。
 法廷で「16年10月と17年4月に、元秘書側に計1億円を提供した」と、裏金提供を認めた川村元社長と食い違う内容。弁護側は「石川氏に裏金が渡ったとする検察側主張を覆す証言」とする一方、検察側は「(現金の手配や授受の報告は)こちらの主張を補強した」と受け止めており、裁判所の判断が注目される。
 水谷元会長は、ダム関連工事の受注をめぐり、小沢元代表の事務所側へ1億円を提供することになったとの報告を川村元社長から受け、了承したという。
 受け渡しには、元専務を立ち会わせるつもりだったにもかかわらず、川村元社長が単独で石川被告に手渡したと証言しているため、経緯に「不明朗な点がある」と述べた。
 また、現金授受の現場となったホテルに川村元社長を送迎したとされる同社の元運転手も出廷。「その日に送った記憶はない。もっと後だった」と証言した。
(5月24日21時24分 サンケイ新聞)

 こう並べてみると、読売の記事だけが情報量が少なく、あのサンケイ新聞と比べてみても、格段に見劣りする。水谷功の証言内容のキモの部分についてひとこともふれていないのはどうしたことだろう。「御宗旨のためならなんでもしそうな」サンケイですら、検察の失点を弁護しつつ報じているというのに。ナベツネあたりから「検閲」でも入ったのかな、呵々。

 読売、日経には報じられていない(朝日はわざわざ別記事にして本紙紙面には載せていない、何故だ)運転手証言に対する検察の調書捏造も興味深いが、もっと興味を惹くのは、毎日の記事にある「『大久保さんと合意できた』との報告を受けたため、最初の5000万円を用意したという。ところが、同社は下請けにはなったが、幹事にはなれなかった」という部分。つまり、川村尚元社長は、社用車を使わずにホテルに行き、通常、立ち会わせるはずの見届け人もなしに、衆人環視のホテルのロビーで紙袋に入れた5000万円を石川秘書に渡した。そして、結果として幹事社になれずに、下請けにもぐり込むのが精一杯だったということになる。この5000万円については水谷でなくとも、ビックリもしたろうし、首をひねりたくなったろう。いったい、このカネはどこに消えたのか不思議な話だ。

 談合、裏金などのダークサイドの運営というと、素人は触法行為である以上マナーも取り仕切りもルールなどないいい加減なものと想像したがるが、たぶん(と書いておく)そんなことはない。表のビジネス同様、裏は裏なりの管理がきちんとされているものだ。そうでなくては表のビジネスを左右できるはずはないのだから。

 それにしても読売の記事がこれほどプアなのはどうしたことだろう。そういえば、先日は東京電力の次期社長を築館常任監査役と報ずる、信じられないような誤報を朝刊トップに掲げて赤恥を掻いた。誤報は失敗ではあっても普通は赤恥にはならない。「赤恥」と嘲笑われたのは築館が監査役だったからだ。監査役から社長というのはあまりない人事だ。当然、それなりの裏が取れていなければ、朝刊トップには持ってくることはできない。だから、最初は「大スクープ」と思われたようだ。ところがその日のうちに「新社長は西沢常務」と発表された。普通の新聞記者はやらない赤恥誤報、デスクは寝ていたのか。

 おととし、毎日の北村社長が務めていた新聞協会長を引き継いだ読売の内田社長、この4月に一期で退任すると申し出た。新聞協会長は2期4年務めるのが慣例。読売社内のどこかから「発行部数全国一を支える押し紙制度を従来通り維持するために、協会長職が邪魔になるなら辞めちまえ」(ナベツネの言葉という)という乱暴な声が出ているために辞めるのかと思っていたら、けさの朝刊によると内山は社長職までも辞することになったとか。どうも「読売の常識(法に触れても発行部数)」が「世間の非常識」でもいっこう気にしない勢力がいまの読売の主流らしい。

 ナベツネ会長は常に留任で若い方がコロコロと変わる。後任は白石興二郞、政治部出身。なるほど政治記者としてはナベツネの顔色を気にしながらのお仕事。これではまあ、取材したままは書けないし、デスクのチェックも「非常識」なことに集中して、お粗末な記事になってしまうのだろう。(5/25/2011)

 ここ半年で二度目の内視鏡検査。エコーでも内視鏡でも格別の所見はないとのこと。それでも「念のため」、数カ所、生体検査にまわした由。結果は来週。

 来週、土曜の同期会、雨天の場合のブラブラ歩きコースプランが**(友人)から送られてきた。展覧会コースがいくつかあげられている。悪くはないが、国立博物館の「写楽展」も、西洋美術館の「レンブラント展」も会期終盤で土曜日は混みそう・・・などと思っていて、ふと、北の丸公園の科学技術館を思い出した。記憶によれば、修学旅行の時、立ち寄ったはず。マジックハンドを使って模擬の原子燃料を操作した憶えがかすかにある。うん、たしか原子力利用の展示室だったと思って、ホームページを見てみた。

 水曜日が休館。入場料は700円。原子力発電関係は3階の「アトミックステーション/ジオ・ラボ」にあるようだが・・・。「2011年3月11日(金)に発生した東北地方太平洋沖地震の影響により、当面の間閉室いたします。申し訳ございません」となっている。

 なにが「東北地方太平洋沖地震の影響により」だ。もっと率直にいいわけしたらいいだろう、「福島第一原子力発電所が破綻した現状にかんがみ」とでも。

 そうではないというのなら、こういう時こそ、原子力発電の仕組み、核燃料サイクル、放射線計測体験、高レベル放射性廃棄物の処理の概要・・・などの「啓蒙」の場として、堂々と胸を張って展示すべきだろうに。それとも、展示内容にウソかゴマカシがありそうで、シビアな質問が出るのが恐いのかしらね。

 そうではないというのなら、絶対に閉室すべきではない。逃げるなよ、みっともない。

 メモ的に。布川事件の再審判決公判が水戸地裁土浦支部であり、強盗殺人罪に対し無罪判決が出た。逮捕時の名目だった別件の暴行と窃盗については有罪というのが可笑しい。裁判官としては、精一杯、警察と検察のメンツに配慮してさしあげましたということか。せっかく配慮をしてもらったのだから、検察さん、これで確定させたらいかがか。(5/24/2011)

 鳩尾のあたりの鈍痛が治まらない。毎日、「オイ、ここも痛いんだぞ」というように、痛みの存在感のようなものを主張するような感じ。東京病院へ行く。あしたエコー検査と内視鏡検査。

 朝刊に「福島原発暴発阻止行動プロジェクト」の話が載っている。先週、**(友人)が知らせてきたプロジェクトだ。すでに165人が応募しているという。

 プロジェクトの主張はシンプルだ。まず、福島第一原発のクールダウンのためには安定的に作動する冷却設備を作り、これを10年以上の長期間、保守・運転を継続しなくてはならない。これらの設置・保守・運転を高度に放射能汚染された環境の下で着実に行うことによってのみ可能。

 これは数千人規模の習熟した作業者によって、まとまった現場作業時間を確保しながら行うのでなくてはダメ。これらは、技術的な予備知識と技能を持ち、かつ、被曝量対平均余命の関係を無視しうる高齢者のみがこの条件を満たす。したがって、①原則60歳以上、原発処理作業に耐えうる体力と経験をもつ、②趣旨に賛同しボランティアとして活動できる、そういう人を組織しようというプロジェクト。

 **(友人)にはすぐに答えた、「理屈は通っている。だがオレはお断りだね」と。もちろん、我が身が惜しいからだ。多少のことさえ我慢すれば会社勤めを続けられるのに、あっさり辞めたのは「根がナマケモノだから」という当方特有の事情。何をいまさら、働くものか。それが最大の理由だ。

 しかし、それだけではない。こういう善意によって、考え得る限り最善の処理がなされる、それが理想だろう。だが、それはこの原発災害の物理的処理にとって理想的なだけで、日本のためにも、世界のためにも、大げさに書けば、まだ生まれていない人を含めた人類のためにも理想的ではない。

 人間は愚かな動物だ。自分が愚かであることになかなか気づかないだけではなく、始末の悪いことに、自分を利口だとさえ思いがちな動物だ。

 そんな人間のためには、人間の愚かさを語りかけてくれるモニュメントが必要だ。スタティックなものはいくつもあるが、ダイナナックなものはない。常に放射能を発し、適当に被害を発生し続けてくれるフクシマは最高にして理想的なモニュメントになる。

 放射能汚染の押さえ込みに四苦八苦し、莫大なカネを使い(金科玉条にしている「経済成長」にまわせるはずのカネをつぎ込まねばならぬということ)使い続け、それを見ると溜息をつかせるばかりで「安定した冷却設備を建設・保守・運転できなければ、3000 万人もの人口を抱える首都圏をも含めた広範な汚染が発生する可能性が」常にあるなどというものはまことに得がたい存在ではないか。そんなアクティブなモニュメントの放つオーラを減殺することはない。

 広島原爆ドームに匹敵する福島第一原発第一ドームから第四ドームまでの存在、そして愚かさに愚かさの上塗りをするが如き政府・東京電力のバタバタぶり、これらを繰返し繰返し見ることこそが愚かな国の愚かな人々には理想的である。ヒロイックな行動隊により、この得難い記念碑を「安心できる存在に貶めること」はけっして理想的なことではない。

 もちろんそんなことを言っていられるのはいま住んでいる場所に深刻な影響がないからだということは事実。しかし対処を誤って自分を含む首都圏の住民が「朽ちていった命」(JCO臨界事故被曝者の亡くなるまでのドキュメント)のようになったとしてもかまわないというぐらいの覚悟はある。3000万人が恐怖にさらされるとなれば、さすがの原子力村の詐欺師どもも言葉を失い、新たな「被害者」も生まれることはあるまい。あの石川迪夫のような詐欺師が絶句する様を見られれば、それもまた良しだ。(5/23/2011)

 きのうの加納時男の「わたしは立派だったんだ。東電、東芝、日立、三重工の会長・社長など綺羅星の如き人物が駆けつけてくれ、経済界挙げて応援して国会議員になった。秘書なんか東電を休職してまで来てくれた海外留学したほどの優秀な人たちだった。出世する学者さんは立派だからで原発推進派だからじゃない。原子力業界がカネを出すのは業績があるからで原発推進に反対しないからじゃない。だいたい反原発を主張する連中は学問そっちのけの尊敬できない連中だから出世もしないし、研究費ももらえないんだ。原子力大綱は白紙から使用済み核燃料再処理の是非を検討したよ。独断的とか、排他的なんてとんでもない。リスク想定が甘かったのは事実だが、民主的な手続きを踏んで決めたんだから誰が悪いのでもない」という実も蓋もない「釈明」を反芻するうちに、こんな対話が幻聴のように聞こえてきた。

§

 A   損害補償額は天文学的になりそうだね。
 B   ああ、このままでいけばね。いまは集団ヒステリーを起こしているから、いろいろ勝手な話がされているが、第一原発が立地している双葉町や大熊町には損害賠償を請求する権利なんかないよ。
福島県知事の佐藤某はえらく張り切って、首都圏に電力を供給するために福島が犠牲になったようなことを言っているが、そんなことは原発の建設を受け入れた大昔からそうだったわけで、きのうやきょう始まったことじゃない。3号機のプルサーマル運転をあっさり了承したのはどこの誰だったのか自分の胸に手を当ててみろ、バカバカしい。
 A    ずいぶん冷たい言い方だね。
 B   国も東電もただで引き受けさせたわけじゃない。双葉町なんぞは原発増設を要望する決議までしてるぜ。何故か? カネが欲しかったからだ。
ふたつの町が原発関係で国からもらった交付金や補助金、東電から引き出したカネは膨大なものだったはずだ。それは原発を引き受けるリスクの代償として支払われたもので、いわば今回の「被害」の前払い金としてせしめたカネだったことは明らかだ。どこの世界になんのわけもなく大枚を渡すことがある?、常識で考えろよ。
 A   前払い金をもらってるんだから我慢しろってことかい?
 B   我慢じゃない、「承知の上でカネをもらったし、金をせびりにも来た」ってことだ。
リスクと引き換えにカネをもらった。原発はめったなことじゃ壊れないと確信して、だったらたんまり交付金、補助金、現地対策費をもらった方が得だと判断したわけだ。鉄板レースと信じて賭にのったわけだ。その賭に負けたからといって、いまになって被害者面して「負け金を補償しろ」はない。ずいぶん虫のいい話だ。それが通るんなら誰でもギャンブラーになるさ。
賭の負け金を補償するなんてのはモラルハザードそのものだ。甘えるんじゃない。腹が立つぜ。
 A   仮にそうだとして、リスクに比べ受け取ったカネが安過ぎたという主張はできるんじゃないか?
 B   安く買い叩かれたということはあるかもしれないね。気の毒と言えば気の毒かもしれないが、そんなていどのカネで原発リスクを引き受けたのがバカだったんだよ。安く引き受けさせた国や東電の方が利口だったということだ。無知につけ込んで出費を抑える、バカな奴を徹底的に利用するのはビジネスのイロハだ。なんの問題もない。文句を言えた義理はなかろう。
小泉時代にはやった言葉を忘れたのかい、「自己責任」だよ。
 A   しかし住民にはそういう意識はなかったんじゃないか?
 B   そうかねぇ。でも、知らなかったという抗弁は通らないよ。新潟県巻町の住民や三重県海山町の住民は住民投票でそれを拒否した。交付金や補助金や電力会社の落とすカネが欲しくて、どこの町にもいる意地汚い町の商工会や青年会議所、利権政治屋といった原発誘致派の声をはねつけてね。
一方に賭をしなかった住民がいる以上は、賭をした住民が自分の不始末を自分でつけるってのが当然の話だ。少なくとも町当局が原発受入を決めるにあたっては、町長も町議会議員も賛成しただけじゃなく、多数派の町民がそれに「賛成」したはずだ。民主的な手続きで決めたことだ。その結果責任は首長がとり住民は結果を甘受せざるを得ない。自分で自分の骨を拾うのは当然のことだろうよ。
双葉町や大熊町の住民に損害補償金などびた一文払う必要はない。払うべきではないし、払っちゃいけない。盗っ人に追い銭のような話だ。
 A   それじゃ、気の毒すぎるよ。避難のために仕事はできず、精神的にも、経済的にも、生活が成り立たなくなっているのが現実だよ。それに被害が及んでいるのはふたつの町の住民だけじゃない。
 B   原発避難民すべてについて言ってるわけじゃない。誤解するな。
たしかに原発によるカネの恩恵を受けてこなかった市町村、川内村とか、山を隔てているにもかかわらず、なぜか汚染値の高い飯舘村の住民には100%の損害補償が必要だ。双葉町だとか大熊町の住民に払うカネがあったら、そちらに上乗せすべきだ。くどいようだが、ふたつの町とその住民には一銭も払うことはない、自業自得だと言っているのだ。
可哀想だというなら、原発を選択したふたつの町の住民には東電顧問の加納時男の言葉を贈ろう。きっと勇気づけられるだろう。
加納はこう言っている、「低線量の放射線は『むしろ健康にいい』と主張する研究者もいる。説得力があると思う。私の同僚も低線量の放射線治療で治った。過剰反応になっているのでは。むしろ低線量は体にいい」。彼にはふたつの町の住民にこのあたりを説明してもらいたいね。
被害者面して「補償金、払え」などと連呼するな。原発を選択した町の住民は、早く自宅に戻ってたっぷりと放射線を浴びたらいいんだ。東電重鎮が「放射線を浴びることはお薦めの健康法だ」と保証してくれているんだ。その「ホショウ」をありがたく頂戴して、東電に心から感謝するってのが人の道だ。双葉町のメインストリートの大看板には「原子力 正しい理解で 豊かな暮らし」と特筆大書してあるそうじゃないか。正しく理解しろよ。

注)加納時男の言葉は5月5日の朝日新聞朝刊に載っていたもの

§

 加納時男はこううそぶいている。「東電や原子力業界だけで勝手に想定を決めたわけではなく、民主的な議論を経て国が安全基準をつくり、それにしたがって原発を建設、運転してきたわけです」。

 ヒトラーはドイツの敗色が濃くなったとき、こう言ったそうだ。「おれたちを選んだのは誰でもないドイツ国民だ。地獄までつきあってもらう」と。ゲッベルスもこう言った。「・・・しかし思い違いをしないでもらいたい。われわれはドイツ国民に無理強いしてきたわけではない。国民が自分の方からわれわれに委任したのだ。・・・つまりは自業自得ということだ」。

 加納時男の言葉も一部これに通じている。民主的な手続きによって招いた結果だとすれば、「人災」であることは間違いない。と、すれば、冷徹な「B」の発言にも何ほどかの反駁しがたい理屈はある。(5/22/2011)

 朝刊の「朝日川柳」。「原発が無事に動いていた奇跡」。腹を抱えて笑った。

 笑ったと言えば、一日遅れで読んだ「耕論:原子力村」(きのうの朝刊掲載)。三人の人物が「原子力村」について語っている。原子力村を食い物にした加納時男、原子力屋が原子力村を形成する渦中にいた田中俊一、原子力屋であるが原子力村で「村八分」にされた安斎育郎。

 田中は原発に反対ではない。しかし原子力屋が原子力村を形成する事情を弁護しつつ、村の中での論議でさえ「異論を許さない」ほど硬直化しているという現実を批判している。聴くに値する話だ。

 安斎は東大工学部原子力工学科の第一期生で徹底的に冷や飯を食わされた人だが、腹の虫を押えに押え、最後の方でこう語っている。

 事故後には、これまで原子力利用の推進派だった専門家16人が、事態の深刻さを率直に認め、政府に提言しました。村全体から見ればわずかな人数とはいえ、それだけ今回の事故が「村民」にも深刻な影響を与えた、ということでしょう。

 加納は・・・、この男のあくどさがよく現れている「逸品」だから、そのまま書き留めておく。

 私は1997年に東京電力副社長を辞し、翌年の参院選に自民党から立候補して当選しました。2期務める中で、原子力発電を推進し、エネルギー政策基本法の成立に尽力しました。
 私はあくまでも経済界全体の代表として立候補したのであり、「原子力村の使い走りとして国政をやってきた」などというのは、失礼千万です。2期目の出馬の際に開いた1万人集会では、当時の東電社長のほか東芝会長、日立製作所社長、三菱重工業会長もねじり鉢巻き姿で駆けつけてくれた。経済界を挙げての「草の根選挙」だったと思います。
 当時の私の秘書5人のうち1人は東電を退職した人で、残る4人は、交代で3年ずつ東電を休職して来てくれました。東電の社長に「いい人がいたら推薦してください」とお願いしたんです。ほとんどが海外留学組で、優秀な方々でした。東電は給与を負担しておらず、国家公務員としての秘書給与に加え、私の事務所で東電の給与との差額分を補填していました。
 そもそも、「原子力村」という言葉自体が差別的です。政治家や官庁、原発メーカー、電力会社が閉鎖社会をつくっている、という意味でしょうが、原子力産業はさまざまな分野の知見を結集しなければ成り立ちません。それを「ムラだ、ムラだ」とおちょくるのは、いかがなものか。
 それに、2005年に閣議決定された原子力政策大綱をつくる際には、使用済み核燃料再処理の是非を白紙段階から検討しました。政策大綱が原子力業界だけの思惑で左右されるのであれば、ここまでオープンな議論は不可能だったはずです。原子力行政が独断的、排他的ではないことの証拠です。
 専門家養成のため、原子力業界が大学に研究委託や研究費支援をするのも、「癒着」ではなく「協調」です。反原発を主張する国公立大の研究者は出世できないそうですが、学問上の業績をあげれば、意見の違いがあっても昇進できるはずです。ですが、反対するだけでは業績になりません。反原発を訴える学者では、2000年に亡くなった高木仁三郎さん以外、尊敬できる人に会ったことがない。そもそも「反原発」の学問体系というものがあるのでしょうか。
 福島第一原発事故について「津波の想定などリスク管理が甘かった」と言われます。忸怩たる思いですが、東電や原子力業界だけで勝手に想定を決めたわけではなく、民主的な議論を経て国が安全基準をつくり、それにしたがって原発を建設、運転してきたわけです。「東電をつぶせ」などと大声で叫んでいる人もいるようですが、冷静な議論が必要です。事故は国と東電、業界全体の共同責任だと思います。(聞き手・太田啓之)

 「原子力村」というお題をもらって、経歴と企業ぐるみ選挙の自慢からはじめるところなぞは田舎代議士(失礼、参議院だったか)なみのセンス。東電出向の秘書の給与はオレが払ったと豪語しているが、政治献金を東電関係ないし「ぐるみ選挙」をしてくれた企業からもらっていれば、東電が払っていたこととかわりはなかろう。何がご自慢なのかとんと分らぬ。

 「民主的な手続き」を強調するが、それと利権で押しまくるのが自民党あるいは戦後日本の政治手法、幅広く意見を募って賛否両論を闘わせて決めるわけではない。そもそも官僚が用意したレジュメにうんうんと頷くだけの「手続き」ではないか。それとも耄碌して失念したのか。疾く、死ね。

 「反原発」などという学問大系がないのは「原発」という学問大系がないのと同じ。仮に「原発」という学問大系があるというなら、燃やすだけのワンウェイしかないものを「大系」とはこれ如何に。たしかに冷静な議論は必要だ。いったん暴走すれば、おろおろとパニックに陥るばかりのアマチュアに原子の火遊びをさせ、あんたのようなゴロツキにでかい面をさせる余裕はもうこの国にはない。(5/21/2011)

 **(家内)とレンブラント展に行く。上野、西洋美術館。土・日を避けてウィークデーを選んだのだが、金曜日というのはあまり賢い選択ではなかったかもしれない。かなりの混雑だった。

 大学1年の時、1968年、レンブラント展がきた。場所はきょうと同じ西洋美術館だったと思うが、はっきりしない。たぶん、まだ冬にはなっていなかったと思う、紛争はまだ穏やかなもので展覧会などに時間を割くことができたのだから。あの時はもっと込んでいて、前庭から行列ができていた。ジグザグに折り返す列の少し前に長山藍子が並んでいるといっしょに行った**が教えてくれた。長山が朝ドラの「旅路」に出演して全国区になったばかりのころだった。

 その時に買ったエッチングの「三本の木」は、まず阿佐ヶ谷の家の二階の部屋に、そして建て替える前のこの家の道路沿いの部屋に、所沢の家の居間に飾られてきた。さきおととしの引っ越しのあと、どこにいったのか出てこない。買い直そうと思っていたのだが、適当な大きさのものがなく、カタログだけを買ってきた。(5/20/2011)

 ウォーキング再開以来、告別式などでパスした日もあるが、きょうで10日目。

 皮肉なことに7日間の移動平均体重は一貫して増え続けている。3日目に62キロを50グラムオーバーした。その後は61キロ台に戻ったものの、さっき測ったら100グラムオーバー。長期間、休んだ直後にはありがちなことなのだが、気分はよくない。体脂肪率の方は旅行直後にステップアップしたレベルをまだ元に戻せない。まあ、地道に歩くほかはない。

 旅行の時、いっしょになった山形の東海林さんから著書の「ライカ・シンドローム」を送っていただき、読んでいる。

 ドイツ留学中の石原莞爾が日本のライカ・ユーザー第一号ではないかという話も興味深いものだったが、8,000メートルの高度から放り出されたライカが拾われ、撮影されていた写真が機縁となって持ち主の戻ったという奇跡的な話などはライカでなくては成立しない貴重なエピソードとして面白かった。

 多少、散漫な印象があるものの、ある意味、東海林さんの愛憎半ばするライカへの深い思いが感じられる本。ライツ社のカメラであったころのライカ(ライカの名前の由来はこれ)を懐かしみつつ、ライカ社のライカのこれからに期待する記述などが暖かみのある読後感につながっている。こんな一節だ。

 それ以降は、ライカ社の新たな時代が始まっていると考えたい。古いものは切り捨てるのが経営的にもプラスになる。企業は利益を追求するのが主目的であり、非情なものなのだ・・・と書きながら、私の気持ちの中には「古き良き時代」への思いが去来するのを否定できないのは何故だろうか。

(5/19/2011)

 何をいまさらの「メルトダウン」騒ぎ。要するに原子力村の住民は「メルトダウン」という言葉を使いたくなかったというだけ。

 明らかになった事実を矛盾なくすんなり説明できる「仮説」は、すでに炉心にあるべき核燃料棒は姿を変えて圧力容器の下部にあり、おそらくは格納容器まで漏れているというものだ。いくら注入しても満水にならないのは「穴が開いている」ためで、注入した水が四次元空間に行っているわけではない。建屋の地下や排水ピットにある水の放射線量が高レベルなのは核燃料に接触して一部が溶け出しているからで、照射した放射線のために放射能を帯びているわけではない。そう考える方が、そう考えない方よりも、はるかに無理なく説明できるとしたら、炉心溶融は起きているし、圧力容器も格納容器も損壊しているという前提で、今後のことを考えなければならない。

 原子力村の住民の本業である原子力炉と付帯設備の事故処理に関する能力がどのていどのものかということは「1号機は水で満たす『水棺』法により安定的冷却を実現します」といった言葉が、先週金曜、1号機建屋内に立ち入るや否や瞬時に「机上の空論」となってしまったこと、この一事で知れた。

 3月30日、日立の火力屋である**君はメールに自信満々の体で、

 ただ、こちら日立工場は火力屋同様原子力屋の根拠地でもあり、・・・(中略)・・・彼らは、元原子炉周りのシステム屋と、ラドウェストのシステム屋のプロです。その辺の発電所の中身を詳しく知らない学校の先生やスポークスマンとは比べ物に・・・・・。

と書いてよこした。

 その日、素人としては東京電力のバックには頼りになる日立や東芝の原子力屋が控えていて、時間はかかるにしても、的確な処理方法を立案し、着実に実行するのだろうなと期待したことは事実。発生したことがらは想定外だったとしても、結果は目の前にあるのだから、現状を確認し、可能な対策を立案し、実行可能性について順に検証して・・・つまり、プロとしての仕事をテキパキとこなしてくれるものと信じたわけだ。

 もちろん、放射性廃棄物の根本的な処理法は「希釈してアネクメーネのどこかに捨てる」ことしかないのだから、恐ろしく時間がかかることは承知している。だが「こういう形で順に作業を進めます。このフェーズに20年、このフェーズに30年、・・・全体で約ン百年になります」、こういう風に説明するかどうかは別にして、その見通しをプロとして胸の奥に秘めたままでも、短期的に行う作業については的確に遂行するものと思っていた。

 **君のメール末尾の「・・・・・」は「ならない」と結ぶのを略したのだろう。しかし100%の自信は持てなかったのかもしれない。もしそうなら、それは「正しい予感」だった。

 何をいまさらの「メルトダウン」発表。そして建屋に入って確認するやたちどころに雲散霧消した「水棺処理」などに見る限り、どうやら我が原子力村の住民は通常運転に関してはプロなのだろうが、異常状態に対してはプロとは言い難く、悪くするとアマチュア同然なのではないのか。そのプロとは言い難い連中がいまや誰も認めていない妙なプライド、ないしは今後の自分たちの仕事への配慮のために、粉飾を繰り返しているとしたら由々しい事態だ。(5/18/2011)

 **さんの告別式。ただの参列者。何を手伝うでもするでもないのだが葬式というのは疲れるものだ。帰宅してからもボンヤリするうちに夕方になってしまい、きょうはウォーキングをパス。そうだとしても朝に比べて1.2キロも増えるというのは、どういうわけだ。

 夜8時からのBSプレミアム「旅のチカラ」を観た。タイトルは「中国・北京/旅人狐野扶実子-家族の厨房・再生のレシピ」。狐野扶実子、三つ星レストランのトップにまで上り詰め、出張料理人として名だたるセレブの会食のプロデュースを任される人というふれこみの女性。「すごい」とは思うが彼女に格別に興味があったわけではない。番組の事前PRで、狐野が西太后のレシピを探して訪ねる薬膳料理の店のたたずまいが「あの店」にどこか似ている気がしたから。

 通訳の*さんが連れて行ってくれた店。迷路のような小路を入っていった先の胡同。外見はきれいとは言い難かったし、店の中はごく普通のうちのような感じだったので、彼の友人の家なのかなと思ったが、あの出張で一番「優しく口にあった」食事だった。もう一度訪ねることができたらとは思うものの、たぶん絶対にわからない・・・もしかして、その手がかりになるかしらと思って、チャンネルを合わせた。

 狐野が訪れた店は「羊房11号の厲家菜」。残念ながら記憶の店ではなかった。ただ番組の中で彼女のパリでの奮闘譚や背景を語る場所として使われた后海(番組では「後海」となっていた)公園は記憶の中の風景に似ていた。あの公園と厲家菜の位置関係はどうなっているのだろう。

 児玉清が逝った。一時テレビに溢れかえったことのあるクイズ番組で最後まで生き残ったのは、小池清の「アップダウンクイズ」と児玉清の「パネルクイズ・アタック25」だった。この二人に共通するのはわかったふりをするうるさい司会者ではなかったということ。(「クイズグランプリ」の小泉博や「ベルトクイズ」の増田貴光などを思い出せば、どういうことかはすぐにわかる)

 BSの「週刊ブックレビュー」の司会を魅力的に務め得たのは読書家だったから。その読書キャリアがありながら嫌みなクイズ司会者にならなかったことこそ、児玉清の人物のすべてを語るものだ。惜しい人をなくしたものと思う。(5/17/2011)

 朝刊に「週刊現代」と「週刊ポスト」の広告が見開きの形で載っている。「現代」の広告見出しがほとんど原発なのに対して「ポスト」は原発見出しのスペースは5分の1。「原発・放射能に対して愚民の抱く勘ぐりを煽る現代」。それにに対抗し「原発・放射なんか恐くないともっぱら愚民を啓蒙するポスト」という構図だったが、どうやら「ポスト」の方は息切れしたらしい。

 「ポスト」の見出しはふたつ。「菅さん、あなたは卑怯だ! ならば全原発を止めてみせろ」と「見殺しかよ! 怒りの二大内部告発」。

 その通りだ、菅直人よ、現在稼働中の全原発は止めるべきなのだ。もっとも「ポスト」の主張は「全原発を止めろ」というところにはない。「浜岡を止めるというのなら、全原発を止めるべきだが、菅直人にはその勇気はないだろう、つまり、ウケ狙いのパフォーマンスなのだ」と言っているだけのこと。千に一つも菅が「全原発を止める」とは言えないし、言わないという確信にたって書いている。その意味では「ポスト」も菅とまったく同じ姿勢。安全なところから反撃することのない相手を攻撃するパフォーマンスに終始しているだけ、「ポストさん、あなたは卑怯だ!」

 「二大告発」と称するものも似たような話。

 まずひとつ目の告発。「福島第一・吉田所長も要望した作業員の『白血病』対策が潰された」。防潮堤の建設を要望、これを拒絶した本社に対して「やってらんないよ」と食ってかかったとかで吉田所長はいまやヒーローだ。彼が、いつからこの職にあって、どのような管理をしてきたのかは知らないから、彼のことをとやかくは言わない。しかし、「ポスト」よ、「白血病」発症の恐れが今回初めて発生したと思っているとしたら、ヌケサクもいいところだ。「ポスト」の視野の中に、福島原発が「安全に稼働していた」時、定期点検などに従事した主に下請け・孫請け・ひ孫請けの作業者は入っていないのだろうか。「見殺し」の構造はいま始まったものではない。せめて堀江邦夫の「原発ジプシー」ぐらいは頭に入れて特集を組んだらいかがか。長く絶版になっていたこの本、「原発労働記」と書名を変えて(たぶん、「ジプシー」を差別用語として忌避したのだろう)出版されたようだ。まあ、ライバルの講談社文庫だがね、呵々。

 そしてふたつ目の告発。「とうとう敵前逃亡まで出てしまった自衛隊"決死隊員"の軽すぎる人命」。いまの自衛隊に「いざとなれば、命を捧げる」つもりで入隊している隊員がどれだけいるかは疑問だ。なにしろ「兵」は普通の「職業」軍人として「就職」しているのだから、「命」をかける命令に対して「刃こぼれ」があるのは「想定内」だろう。「それなら、辞めます」と申し出たところでなんの不思議もない。それを「敵前逃亡」などというのはいかにも「空想的右翼」のセンチメンタリズムに過ぎない。こんな風にしか見られないということそのものが現実を見る力が己にないことの暴露でしかない。これは売文屋にとっては恥ずかしいことのはずだが、そのことも「ポスト」の意識にはないのだろう。

 「ポスト」さんへは「原発」記事からの完全撤退をお薦めしたい。「平和ボケ」週刊誌の無知・無能を晒すばかりだから。

 きょうはこれから**さん(**さんの連合い)の通夜。川越の「やすらぎの郷」。車、4時半前には出るつもり。(5/16/2011)

 共同通信のサイトの朝一番のトップ記事は、福島第一原発の1号機は津波が襲来する前、すでに重要設備が損傷していたのではないかというもの。

見出し:1号機、津波前に重要設備損傷か 原子炉建屋で高線量蒸気

 東京電力福島第1原発1号機の原子炉建屋内で東日本大震災発生当日の3月11日夜、毎時300ミリシーベルト相当の高い放射線量が検出されていたことが14日、東電関係者への取材で分かった。高い線量は原子炉の燃料の放射性物質が大量に漏れていたためとみられる。
 1号機では、津波による電源喪失によって冷却ができなくなり、原子炉圧力容器から高濃度の放射性物質を含む蒸気が漏れたとされていたが、原子炉内の圧力が高まって配管などが破損したと仮定するには、あまりに短時間で建屋内に充満したことになる。東電関係者は「地震の揺れで圧力容器や配管に損傷があったかもしれない」と、津波より前に重要設備が被害を受けていた可能性を認めた。
 第1原発の事故で東電と経済産業省原子力安全・保安院はこれまで、原子炉は揺れに耐えたが、想定外の大きさの津波に襲われたことで電源が失われ、爆発事故に至ったとの見方を示していた。
 地震による重要設備への被害がなかったことを前提に、第1原発の事故後、各地の原発では予備電源確保や防波堤設置など津波対策を強化する動きが広がっているが、原発の耐震指針についても再検討を迫られそうだ。
 関係者によると、3月11日夜、1号機の状態を確認するため作業員が原子炉建屋に入ったところ、線量計のアラームが数秒で鳴った。建屋内には高線量の蒸気が充満していたとみられ、作業員は退避。線量計の数値から放射線量は毎時300ミリシーベルト程度だったと推定される。
 この時点ではまだ、格納容器の弁を開けて内部圧力を下げる「ベント」措置は取られていなかった。1号機の炉内では11日夜から水位が低下、東電は大量注水を続けたが水位は回復せず、燃料が露出してメルトダウン(全炉心溶融)につながったとみられる。
 さらに炉心溶融により、燃料を覆う被覆管のジルコニウムという金属が水蒸気と化学反応して水素が発生、3月12日午後3時36分の原子炉建屋爆発の原因となった。

 原子力村の詐欺師たちの「プライド」のよりどころは「原子炉は揺れに耐えた」というところにあった。つまり「原発の安全性は少しも損なわれていない、想定外の巨大津波が悪いのだ」という主張。まるで叱られた子どもが「ボクは悪くないモン、太郎君が悪いんだモン」といいわけするような話。

 この子どものようないいわけをした人物の代表例を新聞の切り抜きから書き写しておく。

 一方、三菱重工業で福島第一原発とは違うタイプの原子炉の建設や運営に技術者として携わってきた柘植綾夫・芝浦工業大学長(67)。「マグニチュード9・0の地震に耐えて原子炉が自動停止した点は、技術者として誇っていいと思う」としたうえで、「想定以上の地震と津波だったとしか言いようがない。もちろん、想定以上のことが起きた結果については、設計側としての責任を追及されても仕方がない」と語る。
 「原発は自動停止した後も、冷却を続けなければならない。その時に外部電源がダメになっても、ディーゼル発電で補うという設計で安全への多重性を保っている。この多重性が崩れ、全部損なわれたことこそが『想定外』だった」という柘植学長。事故の教訓を生かすために、自然で起こりうることへの想定の拡大と、発生からの指示と判断の時系列検証が欠かせない、と指摘した。
3月25日朝刊29面「原発『負の部分』継承できず/『想定外』設計側として責任」

 共同通信の記事は、地震発生日の夜、1号機建屋に入った作業員が検知した放射線量が短時間のうちに高くなったことを根拠としているが、圧力容器、格納容器が損傷していたのではないかと推定される根拠は他にもある。水素爆発がまる一日足らずで発生したことだ。

 水素爆発は酸素がないところでは起きない。もし圧力容器が損傷していなかったならば、仮に炉心溶融が起きたとしても水素は酸素のない圧力容器の中に充満するに止まる。つまり圧力容器が損傷していなくては格納容器内に水素は漏れ出さない。また、格納容器内で水素爆発が起きたとしても建屋の上部が吹き飛ぶためには、格納容器が相当脆くなっているか、あるいは水素が格納容器内に充満するだけではなく建屋内部にまで漏れ出していなくてはならない。

 格納容器単独の水素爆発だとすれば、格納容器の設計強度そのものが疑われることになる。いくら何でもそんなバカな設計がされているとは考えられない。ということは圧力容器も格納容器も、地震により密閉性を維持できていないほどに損傷を受けていたと考える方が自然だ。

 柘植は「福島第一原発とは違うタイプの原子炉の建設や運営に技術者として携わってきた」と紹介されているが、これは「加圧水型(素人が理解しにくいようにPWRと略して煙に巻くことが多い)」のことをさしている。加圧水型というのは関西電力などが採用している方式だが、原子炉でお湯を沸かすという基本原理には何の違いもない。いわゆる「五重の壁」は加圧水型でも沸騰水型でも同じだ。もし柘植が水素爆発のプロセスについて考慮せずに、原子炉が「地震に耐えた」と主張したのだとしたらプロとしていかがなものかということになろうし、水素爆発のプロセスについて承知した上で強弁したのだとすれば「ウソつき」ということになる。

 まあ、チマチマしたことをあげつらっても仕方がない、結局のところ、何のことはない、原子力村のエリートさんご自慢の原子炉は地震に見舞われたときから壊れていたということだとしたら、見苦しいいいわけが無意味になってしまった柘植綾夫センセイの新たないいわけが聞きたいものだ。こんどはもっと子どもっぽいいいわけをするのかな。「ボクは悪くないモン、神様が悪いんだモン」などと、呵々。

 しかし・・・と、思う。リーマンショックに端を発する混乱は「百年に一度」の「想定外」だった。今回、原子力村の詐欺師さんたちは「一万年に一度」の「想定外」だと主張している。たった3年足らずの間に、「**年に一度」の「想定外」が立て続けに起きたというわけだ。どうも我々はよほど心がけが悪いのか、そもそもいまどきの「想定」そのものが楽観的すぎるのか、いったいどちらだろう。大嗤いだね、これは。(5/15/2011)

 中部電力はきのう(13日の金曜日)浜岡原発の4号機を止め、きょう5号機(たしか5号機の出力は日本国内で最大のはず)を止めた。これで浜岡原発の全機が止まったことになる。

 朝刊には「なぜ浜岡だけ、政府は説明を」という見出しで原発立地自治体の首長の声が載っている。こんな記事だ。

 原発を抱える自治体の首長たちは浜岡原発の停止をどう受けとめたのか。
 「浜岡原発は止めて、ほかの原発はどうなのか。立地自治体はそれで悩んでいる」。柏崎刈羽原発(東京電力)の地元、新潟県柏崎市の会田洋市長は、そう話す。原発との共存を探ってきた。「長い間、国のエネルギー政策に協力してきたのに、地元への説明もなくいきなり止める。立地自治体はみな憤慨している」
 全国最多の13基の商業炉に加え、高速増殖原型炉「もんじゅ」も海岸線に並ぶ福井県の西川一誠知事も疑問を唱え続けている。13日の記者会見でも「浜岡だけに停止を要請した合理的な理由が明らかにされていない」と繰り返し、「日本全体の電気供給にどんな影響が出ると見越しているのか、政府は明らかにすべきだ」と注文をつけた。
 玄海原発(九州電力)を抱える佐賀県の古川康知事は「浜岡を止めるのが、中長期的な対策がとられるまで待てないという理由なら、論理的にはどこの原発も同じはずだ」と発言。同じように、浜岡原発だけを選んだ政府の判断に疑問を示す。
 一方、泊原発(北海道電力)がある北海道の高橋はるみ知事は「想定外の地震が起きた現状の中で、東海地震の発生の可能性が迫る地域のまっただ中にある原発をストップすべしというのは、国民感情的に理解できる」と停止を肯定的に評価する。ただ、泊原発については「いかなる根拠があって浜岡と取り扱いが違ったのか、しっかりと政府から説明を受けなければならない」と述べ、やはり政府に説明を求めていく方針だ。

 まず、それなりに筋の通っているものから。佐賀県知事・古川の「論理的にはどこの原発も同じはずだ」という指摘はまったく正しい。発生確率の高低は発生順序の後先(正確には発生するかしないかとも)とはまったく無関係だから、浜岡と限界のいずれが危ないのかという議論には意味はない。ちょっとばかり賢そうなふりをしたがる人は「発生するかもしれない地震と津波の規模に差がある」と言うかもしれないが、それは今のところ人間がそう考えているというだけのことで、こちらがそのはずと思っても大自然がこちらの理屈通りになってくれるとは限らない。あくまで小賢しい人間の知恵の域を出ない。

 今回の地震の発生は予想されていたが、複数の震源域が連動し、その規模がマグニチュード9にもなるとは予想されていなかった。人間の知恵はそのていどには達しているが、そのていど以上ではないということだ。(ただし、古川の言葉にはには止めるべきではないという匂いがプンプンするが・・・、無理もない、彼の父親は九州電力の社員で玄海原発PR館の館長だったそうだから)。

 北海道知事の高橋は疑問を呈し政府に説明を求める姿勢をとっているのは、おそらく「福島のようなことが起きたら大変というのなら、浜岡と同じように『停止要請』を出してください。出さないんですね。ならば、わたしが泊原発に停止命令を出さないのは政府の判断に従うのですから、仮に福島のような事態が発生しても、責任は政府にあって、わたしにはありませんからね」という言質が欲しいからだろう。要するに役人的発想に従った責任逃れなのだ。

 柏崎市長・会田、福井県知事・西川の言葉などは話にならない。このていどの見識でも、この国の自治体の首長は務まるのだと思うと、つくづく愚かな国に住んでいるものだと溜息が出てくる。お前たちが自分の頭で考えることのできないバカでフヌケのボンクラであることがばれないのは、ただ単にお前たちの器量が試されるような災害が起きていないからに過ぎないと知れ。(5/14/2011)

 この二日間のウォーキングのお伴は岩崎宏美。買ったばかりの「Dear Friends Box」。すべてカバーソング。・・・「会いたい」、「フィーリング」、「PRIDE」と続いて、はじめて聴く曲が耳に入ってきた。「人生の贈り物」、しみじみ、いい歌。

季節の花がこれほど美しいことに
歳をとるまで少しも気づかなかった
美しく老いてゆくことがどれ程に
難しいかということさえ気づかなかった

もしももう一度だけ若さをくれると言われても
おそらく私はそっと断るだろう
若き日のときめきや迷いをもう一度
繰り返すなんてそれはもう望むものではない
それが人生の秘密
それが人生の贈り物

 帰ってすぐに歌詞ノートを開いた。作詞は楊姫銀、訳詞・作曲がさだまさし、となっている。聴きながら、ほんの少しあった疑問のような「違和感」はすぐに氷解した。

 歌詞の言葉遣いは「さだまさし」で得心しても、詩の「発想」と言ったらいいか、「原点」と言ったらいいか、それがどこか「違う」という「不愉快ではない違和感」があった。(「My Way」に抱く感じに少し似ているが、あれよりはより身近に感じられる)

 楊姫銀、ヤンヒウンと読むのだそうだ。検索情報によると、「1952年ソウル生まれ。1971年、デビューアルバム。当時の政治背景によって初期に発表された多くの曲が禁止曲として封印され、1981年に活動を休止、欧州・米国でバックパッカーとして一年以上を過ごす。帰国後に見つかった癌との闘病生活を経て、1987年に結婚し渡米、ニューヨークに7年間居住。1994年に本格的なコンサート活動を再開、2001年8月にはデビュー30周年記念コンサートを開く」とある。(5/13/2011)

 アメリカ上院の軍事委員会委員長・レビン、筆頭委員・マケイン、さらに外交委員会東アジア太平洋小委員会委員長・ウェッブが、海兵隊の普天間飛行場から辺野古への移設計画を断念し、空軍の嘉手納基地への統合を検討するよう国防総省に求める声明を出した。

 すでに日米で合意している内容は、時間的経過に伴い実行に必要な費用の増加が見込まれることと、沖縄およびグァムの現地状況変化を考慮すると非現実的になったとした上で、キャンプ・シュワブと辺野古沿岸に新たな施設を作るより嘉手納基地に統合する可能性を検討する方が自体を現実的に収束できると言っている由。

 声明には「東日本大震災による日本政府の財政負担も考慮しなくてはならない」という文言があるそうだ。おそらく、先日ウィキリークスが暴露した文書のなかで、「海兵隊の再配置に伴う費用算出にあたって日本の負担を小さく見せかける工作が行われた」こと(いったいどこの国に自国の費用負担額を小さく見せかけようとする官僚がいるだろう、彼らを「売国奴」と呼ばずして他にどんな「売国奴」がいるというのだ)などにより、日本国内で「震災復興にカネのかかるときに、外国の軍隊の移転にそんなに多額のカネを使うときか」という声が大きくなることを懸念して先手を打ったのだろう。

 アメリカ国債はいま発行限度額の上限に達し、連邦政府支出は軍事費すら聖域としておけない事情が発生している以上、現実的な枠の中で事態がこじれないうちに、なるべく早く、なるべく多くのカネを日本から引き出したいというのが彼らの腹なのだ。

 衝撃を受けている連中はアメリカの側ではなく日本の側に多くいることだろう。アメリカ軍基地のあれこれがあるたびに支出される「対策費」からコミッションを稼いでいる政治屋やブローカー、沖縄現地のフィクサーたちだ。彼らはこぞってこの「現実策」を非現実的なものと主張して、なんとか辺野古移転での稼ぎを確保しようと暗躍するのではないか。だが、この声明による再検討は進むだろう。国務省日本部長だったケヴィン・メアが「沖縄の人はゆすりの名人」と発言して馘首になったのは震災発生以前の問題だが、あの発言は「意図の有無」は別にして日本国内のこういう基地対策費で儲けをたくらんでいる「売国奴」たちを牽制するには絶好のものだったかもしれない。(5/12/2011)

 ウォーキング再開してすぐの雨模様。

 写真プリント用紙を買いにコジマへ。価格だけをチェックしてクルネのヤマダ電機へ。そのヤマダも価格はまったく同一。プリント用紙など競っても仕方がないなとは思いつつも笑ってしまう。KGサイズと2L版を購入。KGは人物用、2Lは風景用。

 ノルマの一万歩、足りない分は家でステップボードを使うつもりだったが、こぬか雨の中を落馬橋まで来て思い直した。雨に煙る風情がなかなかいいのだ。遊歩道を歩く人も少ない。ちょっと先まで歩いてみたくなった。「次の橋まで、次の橋まで」と思うのが自分でも可笑しい。西武線のガードを越えたあたりから雨が少しずつ強くなってきた。門前大橋で折り返すつもりがタイミングよく信号が青に変わる。何とはなしにつられて渡ってしまった。結局、平和橋まで行ってしまった。

 朝刊に「週刊新潮」の広告が載っている。こんな記事がある。題して「『原発ゼロ』なら日本はどうなるか!」。「?」ではなく「!」となっているのは自信の表れだろうか。面白いので書き写しておく。

火力と水力をフル稼働なら電力料金は跳ねあがり、食卓から冷凍食品が消える。
大節電時代の到来で、高層マンションのシャワーから水圧が失われ、弱々しく水が滴るばかり。
「脱原発」に舵を切ったとき、日本人が支払うべき代償を完全予測する。

 この「完全予測」がどのていど的中するか、いずれ時が来たら検証することにしよう。

 それにしても・・・。電力料金が跳ねあがるのはフクシマの後始末にカネがかかるからで原子力をあきらめたからではなかろう。食卓から冷凍食品が消えたら、かえって、家庭料理の質の向上につながるかもしれない。高層マンションの貯水槽に水が揚げられる限りは水圧が失われることはない。もし、貯水槽に揚水できないとしたら、最初からシャワーは使えないよ、バカだねぇ。

 そんなことを想像するくらいなら、「オール電化」というお祭りに浮かれたおバカな「ご家庭」がカセットコンロで煮炊きをしなければならなくなる心配をする方がよほど気が利いている。新潮編集部のみなさんの想像力の貧困にはあきれる。それとも「オール電化」に載せられた口なのかしらね、呵々。

 ところで、「日本人が支払うべき代償」ってせいぜいこんなもので済むのかしらね。このていどのことなら大したことはない。すぐにも負担できる。週刊誌の編集者の知能レベルとはこのくらいなのか。「絶望的な水準」と記録しておく。(5/11/2011)

 約2カ月ぶりにウォーキング再開。マスク無しで1時間半。目が痒くなることもないし、喉がひりつくこともない、くしゃみも出ない。花粉の季節はようやく収束したようだ。

 スズキ会長の鈴木修が決算発表会見で、「今回の決定(浜岡原発の運転停止)を、私としては地元企業として、あるいは一人の日本人として、高く評価したい、こう思っている。で、それに応えるためには先ほど申し上げたようにあらゆる節電をやる、と。いままでの日本の国民生活というのはちょっと贅沢というかね、節電というよりももうちょっとエネルギーに対する生活を切りつめるということは必要じゃないでしょうかね」と語るのを夜のニュースでみた。「東京電力福島第一原発の事故を目の当たりにして、これが浜岡で起きたら大変なことになる」とも言ったそうだ。

 きのう、経団連会長・米倉弘昌は記者会見で浜岡原発の運転中止要請について、「電力不足の中、今後30年間で87%の確率で東海地震が起きるとの確率論だけで停止要請したのは唐突感が否めない」、「結論だけがぽろっと出てきて思考の過程が全くブラックボックスになっている」、「首相による原発停止要請は非常に重みがあり超法規的な意味がある。誰がどのようにして議論したのか、根拠を出した上で説明する必要がある」などと述べた。

 日本の大動脈の維持がまるでロシアン・ルーレットのような状況にあるというのに、グズグズと「説明しろ」だの「了解を取れ」などというのは、一私企業の主ならばただの物嗤いのタネだが、いやしくも財界総本山の代表の言葉とは思えぬ。じつに情けない。

 鈴木修と米倉弘昌、いったいどちらが財界代表にふさわしいか。見識、器量、風格、すべてにおいて米倉という人物は見劣りがする。かつて政治は三流なれども経済は一流と言われたこの国が、まず十年を失い、そして二十年を失い、さらには三十年を失いそうなのも無理はない。米倉は住友化学の会長だそうだが、かつて伊庭貞剛、鈴木馬左也などの人物が興した住友も時間が経つうちに、ずいぶん凡庸な者が偉くなれるローカルな組織になったものだ。(5/10/2011)

 東京電力社員7名と原子力安全・保安院のメンバー2名が福島第一原発の一号機建屋内部に入った由。夜のニュースでその際の映像を見た。

 巨大な配管が縦横に行き交うさまは、何年か前、しきりに流された「ナントカ・サティアン」を思い出させた。勤めていたときに、浄水プラント、鉄鋼プラント、いろいろなプラントを見てきた。しかし、そのどれでもなく、オウムの毒ガス・プラントを連想したのは「故あって」配管の多くを建屋の中に集中させなければならない「閉鎖的な」プラントだからに違いない。

 ぱっと見の映像が、意外に多くのことを語ってくれる。

 いまをときめく原発の町・双葉町にとって「原発」は町のシンボルであり誇りだったようだ。その証拠に駅から続くメインストリートをまたぐ大看板には「原子力 明るい未来の エネルギー」、あるいは「原子力 郷土の発展 豊かな未来」と大書してあり、その商店街の終点にはこれまた含蓄の深い標語が道路をまたいでいる。「原子力 正しい理解で 豊かな暮らし」。

 原子力を「正しく理解」すれば、「郷土は発展」し、「明るく豊かな未来」が開け、「豊かな暮らし」が待っていると町をあげて信じていたわけか・・・皮肉なものよと嗤いたくなるが、それは少し浅い考えだろう。ごく普通の感覚を持った住民には、やはり原子力はどこかにうさんくさく、どこか危なっかしいものと受け取られていたのではないか。大看板を掲げたのが、町役場であったのか、商工会であったのかはわからないが、その疑念を振り払うためにこの大看板は作られ、町民は毎日毎日この標語を「念仏」として必死に唱えていたのかもしれない。(5/9/2011)

 夕刊の「人脈記」、いまはビクトール・フランクルを取り上げている。あの「夜と霧」の著者だ。

 旅行中に始まり、夕刊掲載のため、ゴールデンウィーク中は途切れ途切れ、おとといの掲載でまだ11回。国内の読者、新訳を行った池田香代子の話などを経て、ヨーロッパへ話が拡がったところ。

 名高い旧訳は霜山徳爾によるもの。彼は留学中に書店で手にしたこの本に打たれ、ウィーンにフランクルを訪ね知己を得る。帰国後、みすず書房の小尾俊人に話を持ち込み出版した。このあたりの経緯、新訳が発刊された事情を含めて、行き届いた紹介で引き込まれる。

 おととい6日は、その新訳に出ている話と人がテーマ。

 池田香代子(62)の新訳『夜と霧』に、自費で薬を与えていた収容所長を、解放後に囚人たちがかばう話があった。
本当だった。
 所長はカール・ホフマンという。このあたりの中心的な強制収容所だったダッハウの記念館に、解放されたユダヤ人たちとホフマンの写真が展示されている。<囚人たちの話によれば、ホフマンは囚人を殴ることを禁止し、追加の衣服や食べ物を与え、自費で薬を買った>
 囚人たちは所長を初めバイエルンの森に隠したという。
 しかしホフマンの自由は短かった。トゥルクハイムに残る手紙などを調べた元教師アロイス・エップレ(60)によると、別の収容所での殺人容疑で逮捕された。「ナチス親衛隊員だったから逮捕された。殺人の証人はいなかったが、有罪になって数年拘束されたようだ」
 苦しい心情を伝える手紙が残っているが、エップレは、「ホフマンは敗戦が見えていたから親切にしたのではないか。良い人は収容所長にまでならない」と言う。その後も時折、住民を訪ねてきたが、73年ごろ命を絶ったという。
§
 解放40周年の式典で、フランクルは、ユダヤ人の少女をかくまった農家をたたえ、「感謝したいのに亡くなった人」の一人としてホフマンをあげた。ごくまれな善行だったとしても、なかなかできないことなのだと。「彼は死ぬまで自分を非難して苦しんでいたと、司祭から聞いた。私は彼のために何もできなかったことを残念に思う」
 95年の式典には、フランクルはもう来られなかった。会場で40周年の録音が流れると、「ユダヤ人招待者がフランクルの話に怒って帰ってしまった」とエップレは言う。
 人間らしい善意はだれにでもあり、全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる。境界線は集団を越えて引かれるのだ。(池田訳)
 親ナチスだったわけではない。しかしその主張は理解されにくく、フランクルは難しい立場にいた。

 旧版と新版、それぞれの底本は1947年版と1977年版とのこと。フランクルの心の中でも30年の歳月による「熟成」があったのかもしれない。

 新版も買って読み比べてみるのもいいかもしれない。(5/8/2011)

 TBSの「報道特集」でビン・ラディンの暗殺を取り上げていた。

 現地アボタバードでTBS取材チームは拍子抜けするほど簡単にパキスタン警察の検問をパスする。まずこれが、パキスタン政府当局の本音を示しているようで、非常に印象的だった。

 隣家から撮影した映像によると、ビン・ラディンが潜伏していたとされる家の塀の内側には黒い焼け焦げの跡があった。アメリカ軍による急襲は戦闘ヘリ「ブラックホーク」2機によって行われたが、そのうちの1機は着陸時にテールローターを塀にぶつけ墜落した跡ではないかという。高度の性能を持つヘリの秘密を守るため墜落機は爆破されたと推定されている。パキスタン当局がビン・ラディンの娘から「父は生きたまま捕らえられ射殺された」という証言を得られたのは、墜落機の乗員を乗せる必要から急襲部隊がビン・ラディンの妻や子どもたちを拉致できなかったためらしい。

 近隣住民の話によると、「米軍が来る直前、停電が発生した。深夜零時ぐらいのことだが、そんな時間の停電ははじめてだ」とのこと。これはパキスタンの有力筋にアメリカの息のかかった勢力がいることと、にも関わらずそれを秘匿させない勢力もいることの二つを示しているように思える。

 その他にも、潜伏していたとされる家は2005年ごろにアルシャド・カーンと名乗る人物の依頼で建設されたこと、ガスの契約者もアルシャド・カーンであったこと、当初、このアルシャド・カーンと弟というアリク・カーンという兄弟が住んでいたことなど、断片的な事実が伝えられた。

 きのう配信された田中宇のメルマガにはこんなことが書かれていた。

 殺された人々が住んでいた家は、パキスタン軍の諜報機関ISI(統合情報局)が運営(もしくは黙認)する、ISIと関係があるテロ組織の要人をかくまっておく隠れ家(safe house)の一つだったと疑われる。その家はパキスタンの首都イスラマバードから北に70キロほど行ったアボッタバードの町の郊外にある。家から700メートルほど離れた場所には、パキスタン軍の士官学校があり、その周辺は、多くのパキスタン軍の将校や定年退職後の元将校が住む、やや高級な住宅街だった。隠れ家から70メートルのところに住んでいる将校もいる。アボッタバードは軍の町であり、そこにアルカイダの幹部が住んでいるとしたら、それは軍(ISI)の認知のもとであると考えられる。(Osama bin Laden dead: bin Laden lived next door to senior Pakistan Army major)

 番組の中で一番興味深かった話は、パネッタCIA長官がアメリカのテレビ番組に出演した際に明かしたという「舞台突入後、20分から25分間ほど、現場で何が起きているか分らなかった」という事実。

 つまり、突入部隊兵士のヘルメットに装着されたカメラによる中継映像を見ながら必要な指示を出すために、ホワイトハウスの「作戦指令室」に雁首を並べていたオバマ大統領以下の政府要人の誰一人として肝心なビン・ラディン殺害の瞬間を見ていなかったということ。

 ストラトフォード・アポン・エイヴォンに生まれ、そこで死んだ人物、ウィリアム・シェークスピアが実在したことはたしかだが、その人物が四大悲劇やソネットなどをものした人物であるかどうかということにはおおいに疑問があるそうだ。オサマ・ビン・ラディンという人物も、ウィリアム・シェークスピアに似ている。どうもそのように考えておく方がいいのではないかと思っている。ビン・ラディンは「記号」であった。その「死」もまた「記号」として作用するのではないか。そういう話だ。(5/7/2011)

 よる7時のNHKニュース、いつものようなバック映像もミュージックもなしに、いきなり「いま入ったニュースからお伝えします」というアナウンス。「菅総理大臣は中部電力に対し、現在運転中の浜岡原発4号機・5号機を含むすべての原子炉の運転を停止するよう要請した」。

 別のニュースを挟んだ後、総理の記者会見の中継があった。発言はこのようなものだった。

 国民の皆様に重要なお知らせがあります。本日、私は内閣総理大臣として、海江田経済産業大臣を通じて、浜岡原子力発電所のすべての原子炉の運転停止を中部電力に対して要請をいたしました。その理由は、何と言っても国民の皆様の安全と安心を考えてのことであります。同時に、この浜岡原発で重大な事故が発生した場合には、日本社会全体に及ぶ甚大な影響も併せて考慮した結果であります。
 文部科学省の地震調査研究推進本部の評価によれば、これから30年以内にマグニチュード8程度の想定東海地震が発生する可能性は87%と極めて切迫をしております。こうした浜岡原子力発電所の置かれた特別な状況を考慮するならば、想定される東海地震に十分耐えられるよう、防潮堤の設置など、中長期の対策を確実に実施することが必要です。国民の安全と安心を守るためには、こうした中長期対策が完成するまでの間、現在、定期検査中で停止中の3号機のみならず、運転中のものも含めて、すべての原子炉の運転を停止すべきと私は判断をいたしました。
 浜岡原発では、従来から活断層の上に立地する危険性などが指摘をされてきましたが、さきの震災とそれに伴う原子力事故に直面をして、私自身、浜岡原発の安全性について、様々な意見を聞いてまいりました。その中で、海江田経済産業大臣とともに、熟慮を重ねた上で、内閣総理大臣として本日の決定をいたした次第であります。
 浜岡原子力発電所が運転停止をしたときに、中部電力管内の電力需給バランスが、大きな支障が生じないように、政府としても最大限の対策を講じてまいります。電力不足のリスクはこの地域の住民の皆様を始めとする全国民の皆様がより一層、省電力、省エネルギー、この工夫をしていただけることで必ず乗り越えていけると私は確信をいたしております。国民の皆様の御理解と御協力を心からお願いを申し上げます。

 今回の大地震後で一番肝を冷やしたのは3月15日の10時半過ぎの地震だった。正確に書けば、その地震の揺れが来たときではない。地震後の速報で震源が富士宮付近と伝えられたとき、いたたまれぬほどの不安を感じた。警告が出て久しい東海地震がいまこの時期に発生し、浜岡原発に福島原発同様の事故が発生したら日本経済は沈没しかねない。むろん事故の内容と規模による話には違いないが、最悪の場合には日本は半身不髄どころではすまない。いまでさえリハビリには優に十年を要する状況だが、健全な地域が半分も残らなくなれば、リハビリ期間は四半世紀を超えるだろう。

 最近しきりに流れる「頑張ろう、ニッポン」コールに添えて、日本には壊滅的な敗戦から立ち直った実績があるのだから今度も大丈夫という話が繰り返されている。しかしそれは大きな違いを忘れている。それは人口の推移だ。ピラミッド型の人口構成であった当時と少子高齢化している現在の人口構成の違いは復興をめざす活力に現れる。いまの日本にとってリハビリ期間が長期化することは致命的なのだ。

 そういう意味ではこの要請は当然のものだと言える。もともと中部電力における原子力発電の比率は他電力に比べて低いといわれている。したがって電力供給能力からのみ考えるならば、さほど困難はないのではないか。むしろ問題は外野席にある。原子力発電の無用性が露わになることをなんとしても避けたい原子力推進派は供給力不足を大々的にPRする作戦に出るだろう。しかし問題は最大需要の発生する時刻にどこまで電力供給が対応できるかである。

 「いつでも・どこでも・使いたいだけ」というのは右肩上がりの時代のわがままなユーザのマインドだろうが、それに対応するために原子力発電でベースを確保し、火力で供給量調整をするという現在の考え方自体が改めるべき悪癖である。我々は一刻も早く原発推進論者というシャブの売人と縁を切るべきなのだ。廃人になってからでは遅いのだから。

 では総理の決断は百点満点かと問われれば、そんなことはない。「想定される東海地震に十分耐えられるよう、防潮堤の設置など、中長期の対策を確実に実施すること・・・(中略)・・・こうした中長期対策が完成するまでの間」と限定していることだ。原発が引き起こす厄災がいま生きている人にだけ及ぶものであり、まだ生まれている人には絶対に及ばないというのなら、想定する地震・津波災害に対応できる体制が整えばそれでよい。人間の文明はそのようにして築いてきたものだから。しかし原子力災害にはそういう限定は通用しない。我々にはまだ見ぬ子孫に克服しがたい自然環境を遺す権利はない。

 一方、浜岡原発の設計のために、地震想定をした地震学者・阿部勝征はこう言っている。「大震災で、過去になかったものは今後もない、という考えが間違っていたことを思い知らされた」と。自然が限りなく深いように、自然のたくらみも人間の浅知恵など一蹴するものと思うべきだ。原発を運転するための屁理屈をこねるヒマがあったら、別の効率のよい(原子力村の詐欺師どもがどのように言葉を飾ろうが、原発の発電効率などたった30パーセントなのだ、バカバカしくて話にならない)発電方法を考えるか、格段の省エネルギーシステムを考えるのに注力すべきだ。

 よる11時台のテレビ東京「ワールドビジネスサテライト」に登場した齋藤精一郞は「なぜ浜岡だけを止めるのか」という本末転倒論議でウロウロ。TBSテレビ「ニュース23」でコメントを求められた広瀬隆は「止めれば安全というわけではない。福島第一の4号機は止めてあったのに事故を起こしたではないか」と切って捨てた。「現実主義者」も、「完全主義者」も、頭の不自由さにおいてはどっこいどっこいだなと嘆息。まあ、どちらかといえば、いまやグチとケチしか構想できない似非エコノミストは見劣りがすることはたしかだ。(5/6/2011)

 ビン・ラディン「暗殺」について。直後の発表では銃撃戦ののち射殺ということだった。しかし、既にカーニー大統領報道官は「ビン・ラディンは急襲された際、武装していなかった」ことをあきらかにしたことが報ぜられ、パキスタンの地元紙はビン・ラディンの12歳になる娘が「父は生きたまま捕らえられ、射殺された」と保護されたパキスタン当局者に証言したと伝えている由。

 それにしても、ホワイトハウスの一室にオバマ大統領以下クリントン国務長官、そして政権主要スタッフとおぼしきメンバーが雁首を並べて座り、ビン・ラディンの隠れ家急襲の「実況中継」に見いっているさまは、何とも言いようのない恐ろしい図だった。どういう言葉が的確だろう、まず不健康だ、ベスト&ブライテストたるメンバーがそろいながら、誰一人として自分の現在の不自然さ・異常さに気づいていないように見える、そのことが寒気を覚えさせる・・・そんな光景だった。と同時に、世界がこんな連中の手の中にあるという唾したいような現実。

 「・・・フフフ、オバマもついに誘惑に負けたね。しかし、殺してしまうなんて、これじゃブッシュ以下じゃないか。ビン・ラディンほどの魅力的にして、かつ解明の難しいキャラクターは簡単には育てられないよ。それをね、殺してしまうとはね。えっ、もう、彼が生きていようがいまいが、同じことじゃないかって?、バカだね、キミも」

 「中国の『死せる孔明』という話を知らないのか。あの国は長い歴史を持っているから例えを探すのに困らない。少し勉強したら、どうだ。『死せる孔明』というのは、悪名でも、令名でも、評価の高い名前は生死さえ不明のままなら、十分に利用できるということだ。だが、万人が分る形で死んでしまえばもう終わりだ。ブッシュはあまり頭のいい男ではなかったが、そこのところだけはよく分かっていた。オバマは分別が足りないようだ」

 「しかし、まあ、我々にとってはどちらでもかまわない。オバマが策を弄しても権力を維持したいと考えるようになったというなら、一つの収穫だからね。彼はもう我々の『トモダチ』だ」

 「我々には確定的で普通の連中には不安定、そんな不確実さを創造すればいいのだ。価値の歪みこそは収益の源。不確実さに淵源する恐怖は我々の理想的なパートナーだよ。さあ、オサマの後釜を務められるようなテロリスト像を構想することにしようか、もちろん、最低限conflictが欲しいという我々のカスタマーのニーズにもお応えしなくちゃならんし、ね」

 「そうだ、あいつらには、ちゃんと対応するように言っておけ。表現方法はあいつらの趣味に任せていい。だが、時を措かずにいかにもあいつらなら言いそうな・・・、やりそうなでもかまわんよ、方法で反応するように・・・と、な。『アメリカに死を!』でもいいし、『後悔することになるだろう』でもいい。中途半端な誰の仕業だか分らないようなやつはダメだ、世界中がはっきりと分るような声明なり、犯行でなければならん、いいな。・・・フフフ」(5/5/2011)

 ビン・ラディン暗殺のニュースで持ちきりになったおとといの朝、共同通信のサイトにこんな記事が載った。

 東京電力福島第1原発事故の際、1号機の原子炉格納容器の弁を開けて放射性物質を含む蒸気を排出した緊急措置「ベント」が、敷地内で働く一部の作業員に知らされないまま始まり進められていたことが1日分かった。現場にいた東電社員が共同通信に証言した。
 ベントは格納容器の内圧を低下させて破損を防ぐことなどが目的だが、周辺の放射線量を一時的に急上昇させることが確実で、作業員らは最も重要な情報を与えられないまま、大量被ばくの危険にさらされていた。
 現場の線量管理をめぐっては、東電の女性社員2人が国の線量限度を超え被ばくしていたことも相次いで判明、ずさんさが明らかになっている。
 最初のベント着手は3月12日午前9時ごろ。当時、放射性物質の漏えいにより敷地内の線量は既に上昇を始めていたが、証言によると、ベントに着手する方針や着手の時期、作業の進行状況などについて、これ以前も以後も、この社員や同僚には一切の情報が伝えられていなかった。
 情報は免震重要棟2階の対策本部や、中央制御室でベントに当たった要員に限定されていたとみられ、実施の事実さえ「うわさ」として事後に別の社員から知らされただけだったという。
 政府や東電が明らかにした経過によると、格納容器内の圧力の異常上昇は12日未明に判明。政府は午前3時ごろベント実施を発表して東電との協議に入り、事態が深刻な1号機で午前9時すぎ、二つの弁のうち、最初の弁の開放作業が始まった。
 二つ目の弁の開放着手は午前10時すぎだったが、実際に蒸気の排出が確認されたのは午後2時すぎ。データによると、午後2時20分の線量は通常の約180倍で、午後2時の線量から2倍以上に跳ね上がっていた。
 一方、正門での東電のモニタリングによると、線量は午前4時40分の計測で初めて上昇し、約2時間後には通常の70倍以上に。線量の急上昇に気付いた作業員が建物に避難する騒ぎも起こっていた。
 ベントをめぐっては、決定から実施まで時間がかかり、事態が深刻化したとして国と東電が批判を浴びた。東電は「当時の詳細な状況は確認中で、今後整理された段階で説明させていただきたい」としている。

 東電社員にも、当然の話、階層があるはずだ。最前線の現場で指示にしたがって作業に従事するいわば「手足」となるメンバー、コントロールルームにいて「それなり」の判断をして指示を下すいわば「頭脳」になるメンバー。「手足」の忠誠心は「頭脳」への信頼(できるなら「心服」が望ましいのだが)から発揮されるものだが、作業の危険性に関わる状況がきちんと伝えられなかったとなると「大丈夫かしら」という気になる。

 これは単に「事故発生当初はこれくらい混乱していたのだな」ということではあるまい。なぜなら、記事には「ベントに着手する方針や着手の時期、作業の進行状況などについて、これ以前も以後も、この社員や同僚には一切の情報が伝えられていなかった」とある。「これ以後も」とはどういうことか。

 原発にはさらに「下請け」という階層があり「手足」が行わない汚れ仕事はすべて「下請け」が行うことになっている。平時であれば「下請け」の管理は「手足」の専権事項だから「頭脳」が気をつかうことはない。しかし、この有事にあっては「頭脳」も「下請け」というファクターを無視するわけにはゆかない。今後予想される汚れ仕事中の汚れ仕事は「下請け」にやってもらわなければならないのだから。うっかり「手足」に作業の危険性を伝えようものなら、「下請け」を納得させることが難しくなる可能性が生じかねない。「頭脳」にとってはもはや正社員であっても「手足」は「下請け」並みの管理対象になったという風に解する方がいいだろう。

 どちらもにしても「危険性」は報道により伝わるから変わらないという考え方もあるかもしれない。だが、それは組織に身を置いた経験がない者の考え方。組織が内部にそれと認めない限り、「キミは会社のいうことではなく、マスコミの報道の方を信じるのかい?」という言葉は一定の力を持つのだ。

 ところでこの報道、丸2日経ったが、共同以外には後追いすらも出ない。首相の現地視察がベント作業の開始時刻に影響したのしないのという話にはすべてのマスコミが飛びついたのに。(5/4/2011)

 **(家内)と永青文庫へ。江戸川橋の駅から神田川沿いを歩いた。水神さんのある角を曲がり、階段つきの坂を登り切るとすぐにあった。敷地内はうっそうとした木立。古式の香りするコンクリート造りの建物。その昔の子ども向け探偵ドラマに登場した「敷島博士の邸宅」か「二十面相のアジト」といった風情。

 展示は「禅僧の書画」。永青文庫は熊本細川家に伝わる品々に加え、細川日記で知られる護貞の父(元首相:護熙の祖父)の収集した白隠の書画を多数所蔵していることで知られている。

 禅画のほとんどはためらいのない筆でさっと書き上げられている。濃い墨の力強さは理解できるとしても、薄墨の微妙なところでさえサラリ一筆、ウジウジしたところがなく心地よい。

 きょう観た中では白隠の「座頭渡橋図」の味わいは格別のものだった。書き添えられた「養生の渡世も座頭の丸木はし/わたる心がよき手びき也」という歌も、平凡な我々をたやすく無我の境地に誘ってくれそうでありがたい。・・・こういうのを「生悟り」というのだろうか、呵々。(5/3/2011)

 きょう最大のニュースは「アメリカ軍によるビン・ラディン殺害」ということになるのだろう。

 第一報が入ったのは正午のニュースが始まる直前だった。アメリカ海軍の特殊部隊がオサマ・ビン・ラディンの潜伏先と判断したパキスタンの首都イスラマバードから約60キロのパキスタン軍関係施設が近隣にあるという地域をヘリコプターで急襲、銃撃戦によりビン・ラディンとその息子、側近計5人を殺害したというもの。遺体はヘリコプターで移送され、DNA鑑定により本人であることが確認され、オバマ大統領が発表する頃には、じつに手際よくアラビア海に流すという水葬まで行われていた。

 テレビには、いち早くホワイトハウス前、あるいはニューヨークの「グラウンドゼロ」に集まったアメリカ国民が「USA!! USA!!」と連呼、狂気乱舞する映像がさかんにオンエアされた。911の直後、歓呼の踊りを繰り広げたパレスチナでの映像を思い出しつつ、ちょっと不思議に思った。映るのが白人ばかりで有色人種が見当たらないこと。数日前の竜巻被害の映像に登場するのがカラードばかりであったのと好対照だった。(ついさきほど、テレビ朝日の「報道ステーション」の映像にはじめて黒人とおぼしき人物が映っているのを見たのが、きょう、はじめて)

 この国のマスコミも少なからずこのアメリカの熱狂に引きずられているようだ。この時間までの報道には、あって当然の「このオペレーションはパキスタンの主権を侵害しているのではないか」という指摘が聞かれなかった。まあ、日米安保体制なるものに去勢されてしまった我がマスコミだから、ほとんどアメリカ国内の熱狂に自らをチューニングしてしまっているのだろう。

 イスラエルはアイヒマンを断罪するために、実際の活動においても、また裁判過程においても、相当の無理をして「法の裁き」という形だけは整えてみせた。今回のアメリカの行為はもうそんな七面倒なことせずやりたいようにやっただけ。

 アイヒマン案件に対するイスラエルとビン・ラディン案件に対するアメリカの違いが分らない。法手続に関する両国の国民性によるものか、あるいは加速度的にポピュリズム化しつつある時代背景によるものか、それとも「犯罪行為」の立証に対する当局の自信の有無によるものか。(じつのところ、911の首謀者が彼であると信ずるにたるデータのほとんどはアメリカから一方的に出されたもの。FBIのホームページに記載されているビン・ラディンの罪状には911は記載されていないというのは有名な話だから、裁判手続きに持ち込んでも少なくとも911への彼の関与は立証できないのかもしれない)。

 当時のイスラエル政府にとってアルゼンチン政府の同意を取ることが相当困難であると予想されたことに比べれば、アメリカ政府にとってパキスタン政府の同意ははるかに易しいことだったはずだ。(実際、アルゼンチンはイスラエルによるアイヒマン「拉致」行為を主権侵害であると主張し、国連安全保障理事会に提訴した。安保理はアルゼンチンの主張通り主権侵害と認め賠償責任をイスラエルに負わせつつ、アイヒマンの身柄をアルゼンチンへ戻すという「原状回復」までは求めないという決定をした)。

 もしパキスタンの承認を得たものでないとすれば、今回のアメリカの行為は重大な国際法違反の可能性が否定できない。また、アメリカ軍側に犠牲者が出ていないこと、死体の移送も支障なく実現できていることなどを考え合わせると、「犯罪者の逮捕」に関して十分な努力をすることなく、非常に安易に殺害した可能性も否定できない。

 極端にいえば、テロ容疑者に対し、司法手続きを無視して仇討ちのみを行った「国家によるテロ行為」ではないのかと指摘されれば、抗弁は難しいだろう。何のことはない、アメリカ合衆国は「テロ支援国家」どころではない、「テロ国家」そのものだということだ。

 ちょうど一週間前、アムステルダムからの機中で「True Grit」という映画を見た。最近、とんとハリウッド映画に疎くなったので、この映画が昨年暮れに公開されるや記録的な興行収入を上げ、アカデミー賞10部門にノミネートされた作品(結果的には無冠だった由)であるなどということなどは、ついさきほどまで知らなかったが、なかなか面白い映画だった。

 ならず者の雇い人に父を殺された14歳の少女が主人公。「必ず裁きを受けさせる」と決心した彼女は懸賞金をちらつかせ保安官を雇い、下手人の追跡を行うというストーリー。彼女にとって「裁き」は必ずしも「court」によるものではなかった。自分による裁き、おそらくは「沈黙」する神が暗黙の「了解」を与えているという意識の下に、自ら行う「私刑」も「裁き」であった。

 これは成熟した大人から見れば、子どものように無邪気な思い込みにしか過ぎない。どうもアメリカという国もアメリカ人の意識も、いまだに「そこ」からさほど動いてはいない。個体発生は系統発生を繰り返す。問題は、そういう成長過程にある子どもっぽい国が途方もない軍事力を持ち、ときに大人を欺くために(あまりにも子どもっぽい妄想であるがゆえに)大人が想像もしないような陰謀をめぐらして、世界を誑かすことも厭わないというところにある。(5/2/2011)

 クレラー・ミュラー美術館で観たルドンの絵を確認しようと、ずいぶん昔の展覧会カタログを取り出してきた。73年9月、鎌倉近代美術館(当時はそう呼ばれていた。いまは神奈川県立近代美術館鎌倉本館と呼ばれているようだ)で催された時のもの。

 オディロン・ルドンを知ったのは中学のころ。たしか「国民百科事典」の挿絵。「狂気」というタイトルだったと思う。記憶ではモノクロだったから、デッサンか石版画ではないかと思うが、単に挿絵がモノクロだっただけのことで、パステル画なのかもしれない。

 描かれた男の大きく見開かれた眼。この世に存在するものに焦点が結ばれているとは思えないまなざしが強烈な印象を与えるもので、うっかりすると心の平衡を失ってしまうのではないかという自意識にあふれていた当時の自分には刺激的な絵だった。

 ルドンへの偏愛を育てたのはいまは亡き「みづゑ」を出していた美術出版社の美術選書シリーズに収められた粟津則雄の「ルドン」だった。本棚から取り出してパラパラとめくってみると、いろいろなところに鉛筆で傍線が引いてある。ところが、どの箇所を読んでもしっくり来る部分ではない。もっと違うところに線を引いてもよかったのに、どうしてと思うようなところばかり。不思議な感じがする。

 それは、おそらく、大学紛争後の「正常化」の時期、じっくりとすべてのことがらについて、自分の頭だけではなく体全体が納得するように考えてみようとする心と、どうにも腹の虫が治まらないという怒りがせめぎ合っていたころの読書のあとだからなのかもしれない。(5/1/2011)

 手帳のメモをもとに、旅行の収支一覧、日記などをまとめる。

 クレジットカードの今月締切り分を確認しようとしたら、もうオランダでの買い物の請求が来ていた。意外に早い。キューケンホフのスーベニール・ショップなどは最初から「円決済」(それらしい説明があったが、聴き取れずに「Yen」という言葉に反応して、そのボタンを押していた)。

 先週、金曜日の夕方、ティールで投函した**(家内)宛の絵葉書が着いた。これも意外に早い。

 それにしても自分の字なのに既に判読不能な字があるとは、ね。(4/30/2011)

 朝刊には「浜岡再開を正式表明:中部電」の見出し。今年4月に定期点検を終えて再稼働予定であった3号機を7月に稼働させることで、本年度の業績見通しを立てたというニュース。

 2面には地震が起きるたびにあたふたと後追いの耐震対策をやってきた浜岡原発の履歴やら、今回の津波被害により新たに打ち出した対策が図入りでまとめてある。

 浜岡原発はフォッサマグナの西の端、そしてメディアンライン、つまり、南北、東西にわたる断層のクロスポイントに近い場所を「選んで」建設した「人間の自然に対する挑戦(・・・というよりは挑発と言った方がいいかもしれない)」の象徴ともいうべき原発だ。驕り高ぶった挙句に「さあ、どっからでもかかってこい!」といわんばかりの代物。

 しかし今回の東日本大震災を目の当たりにして、この原発の設計のための地震想定をした阿部勝征はインタビューに対して、「大震災で、過去になかったものは今後もない、という考えが間違っていたことを思い知らされた」と答えている。

 それにもかかわらず中部電力は、まだ、タカをくくっているのだ。「千年に一度あるかないかの地震が起きた直後なのだ。しばらくの間は千年に一度あるかないかという地震は起きない・・・だろう」と。

 「東海村の菅谷梨沙子さん」は「これから起こる原発事故」という本のレビュー・タイトルを「この本に書いてあることが起こる確率は宝くじ一等より大きい?小さい?」とした。中電の浜岡原発運転の心理はまさしくこれなのだ。「宝くじの一等が立て続けにあたるわけはないさ」。

 たしかに特定の個人に短期間に立て続けに「宝くじ一等」があたる確率は相当低いだろう。(それでもゼロであると断言することはできないが)。ただこのたとえで注意しなければならないことが二つある。

 ひとつは各々が独立事象である場合と、独立事象でない場合とでは組合せ確率は大きく異なること。今回の地震が近接するユーラシアプレートとフィリピン海プレートに影響を与えるか与えないかについて確実に言える人はおるまい。現実に今回の地震以降起きている地震には「余震」とは言いにくいものがあることは事実だ。

 そしてもうひとつ、これは不用意に「原子力事故」を「宝くじ」になぞらえた「東海村のおバカさん」に言ってあげたいのだが、宝くじは個人にとっては「宝くじに当るような話」だが、全体的に見れば、ほとんどの場合、どこかに必ず「当った人がいる」ものなのだ。つまり、東海村のおバカさんは気の利いたタイトルをつけたつもりで、気づかぬうちに的確に「自分が貶した本が予測すること」が発生することを認めていたというわけ。このていどの粗雑な頭の持ち主だからこそ、原子力発電を心から支持できるわけなのだが・・・、と、ここで大嗤い。(4/29/2011)

 過去、原発運転の差し止め請求は幾度となくなされてきたが、ほとんどは棄却されている。

 その中で、たった一回、請求が認められたことがある。北陸電力志賀原発2号機の運転開始に対するものだった。06年3月24日、金沢地裁でのことだった。

 「電力会社の想定を超えた地震動によって原発事故が起こり住民側が被曝する具体的な可能性がある」という判決理由は、「フクシマ」を経験したいまになってみると、卓見であったことが、誰にでも分るが当時はそういう受け取られ方は少数派だった。

 原発という火遊びが「確率」という保護エリアの中におさまってくれているうちはいい。世の中には自称、他称の「お利口さん」がたんといて、したり顔でエネルギー政策上とか、保安基準想定とか、いろいろの理屈を並べ立てて火遊びを続けることを言い募っている。単に「自然」というものに甘えているというだけなのだが、彼らにはそういう意識はまるでないだろう。あくまで自分は利口なんだと信じ込んでいる。では「想定外」の事態が発生し「火事ボウボウ」になったとき彼らはどうするのだろうか。きっと「顧左右而言他」ことになるさ。
 どの程度の死者が出て、どの程度の期間、どの程度の地域が汚染され、何代くらい生まれてくる子供に障碍が及ぶものか、おそらく誰も分からない。その時が来てはじめて人々は「火遊び」のほんとうの意味を思い知ることになる。
 他のこととは違い、お利口さんたちの面子が失われるときが訪れることは望まない。自分とその裔に災厄の降りかかるのを望む者はおるまい。いつまでも「確率」の檻の中にその災厄がとどまっていてくれることを祈るのみだ。

 これが当日の日記だ。画期的な判決が出た日にしては、あまり興奮はしていない。日記には裁判長の名前すら記録していない。いずれ、高裁、最高裁と進めば、ひっくり返されるだろうと思っていたからだろう。実際、名古屋高裁(裁判長:渡辺修明)は09年3月18日に、最高裁(裁判長:桜井龍子)は10年10月29日に住民請求を棄却する判決と決定を行った。

 その裁判長の名前が井戸謙一というのだということを今夜の「ニュース23」で知った。インタビューに対して、いまは弁護士になった(ことし3月末に依願退官している。裁判官としては出世できなかったのだろう)井戸は「人間の知恵などたかが知れています。自然のこと、地震のことについてどれだけのことが分っていますか。人間はもっと謙虚にならなければ行けません。そういう思いがあったのです」と語っていた。

 井戸謙一の名前で検索をかけたら、こんなブログに行き当たった。

 木の芽時にはおかしな人が現れるとも云うが、この井戸謙一裁判長殿には恐れ入った。原発の運転を差し止める判決を下すのだから、もう何をか言わんやだ。これ程、驚愕する判決には滅多にお目にかかれない。
 原子力発電は日本の将来にとっては、最重要な国民的課題であり、火力燃料の100%近くを輸入に頼る日本にとっては死活的と言っても良いほどに重要だ。政府が国策として進めてきたエネルギー政策である。
 この原発の安全性と必要性に関しては、後日に書くことにします。この問題について私は専門家ではないが、郷里・福島県の浜通り地方は原発地帯であり、私は以前からこの問題には普通の人よりも関わりを持ってきた。
 その意味で今回の判決は全く理解を超えたものであり、とても常識では考えられない。また、第一報をテレビとネットで知ったので軽々しくは言えないが、この裁判官は左翼的思考の持ち主であることは間違いないだろう。

 この後に続くのは「井戸=左翼バカ裁判官」というグダグダ。それにつけられた一連のコメントに至ってはまさに「バカとアホウの絡み合い」で情けなくなる。

 常識的には右翼というの保守主義にたつはずだが、この国の右翼屋さんのほとんどは左翼顔負けの尊大なる「人知万能主義者」らしく、科学技術を何の疑いもなしにとことん利用すべきものと考えている。彼らには謙虚さなどかけらも見られない。「国家」のかさをかぶれば自分も偉大になると信じているところなどはまるで子供。(4/28/2011)

 多摩南部地域病院へ。朝のメールで*(叔母)さんがきょう退院と知った。携帯メールの設定を選択受信にしたままで、おとといの帰国メールへのレスメールを受信し損ねていた。

 連休突入前ということで少し道は混んでいる。前回とほぼ同じ時間に出発して、着いたのは10時半を回っていた。着くと既に荷物はまとめてあった。気力を呼び起こすのに支障がないていどには回復したのだろう。もうすっかり元通りかどうかは別にして、少なくとも意地っ張りだけは取り戻したようだ。これは生まれつきの性格なのか、それとも後天的に獲得したものなのだろうか。分らない。

 それでも、聞こえよがしに、「・・・また、**(家内)ちゃんとメールでやり取りできれば・・・」とつぶやく。どうやらこれを聞かせるのが、連絡をよこした理由らしい。

 大方の荷物を車に運び込んだところで、昼食をとりにレストランへ。戻ると**さんが来ていた。「いつもすっかりお世話になってしまってすみません」と挨拶すると、「いいのよ、近くなんだから」と言い、ちょっと声を潜めるようにして、「**(家内)さんは大丈夫?」、「きょうは、おひとり?」などと尋ねられた。

 「ありがとうございます、すっかり元気なんですが、ちょっとあったもんですから」と答え、「どちらも、それぞれ・・・、お互い似たところがありますから」などと濁しておいた。

 二人を乗せて帰る。家の中に入って「来なくていい」といっていた理由が分った。居間以外は足の踏み場もなかった。その居間も真ん中に**(叔父)さんのベッドがデンと置かれている。「おばちゃんはどこに寝るの?」と訊くと、ベッド脇に布団を敷くのだという返事。「ちょっと、片付けようか」。「こんばんはベッドで寝るからいい」。「おじちゃんは?」、「30日まで預かってもらう。あした、そのベッドを入れ替えるように手配してる」とのこと。

 意地っ張りとしては片付けもされていない家の中をジロジロと見られるのは嫌だろうと思って、薄情なようだがすぐに帰ってきた。老老介護。少し間をおいたら、ともどもに入れる施設探しなどを手伝った方がいいかもしれない。

 閑話休題。

 震災前であれば、夜のニュースを席巻したであろう話。「小沢一郎秘書」裁判で、水谷建設の元社長・川村尚が「2004年9月に元秘書の大久保隆規と議員会館の事務所で2人きりになったとき、小沢氏の地元の胆沢ダム工事を下請け受注するための条件として、本体工事の元請けゼネコンが決まった後に5千万円、岩石採取工事のゼネコンが決まった後に5千万円を納めて頂きたいと要求された。その後の同年10月15日に大久保元秘書から代理として指定された石川議員に5千万円を、さら05年4月中旬に大久保元秘書に5千万円を、それぞれ東京・赤坂のホテルで渡した」、「石川議員に渡したときは、ロビーのソファで『大久保さんにお渡しください』と言い、『極力目立たないように紙袋をスライドさせた』」と証言した由。

 水谷建設に下請けさせた元請けはどこだったのだろう。下請けが1億もの賄賂を支払っても、それでも儲かるようなコストで発注する元請け会社の顔を見たいものだ、呵々。

 それは別としても、収賄が犯罪である以上、その行為は可能な限り限定するのが犯行に及ぶ側の鉄則だろう。公共工事受注の口利きで賄賂をせしめようとするときに、わざわざ発注ピラミッド構造の各層からカネをもらうのはアホウだろうし、ホテルのロビーで5千万ものカネを紙袋にいれて目立たないようにスライドさせて渡す神経も嗤える。元請けにまとめさせて一階ですませるのがスマートなやり方だろうし、目立たないようにしたければ、そのホテルに贈賄側か収賄側のどちらかが一室確保すればいいだけのこと。そうすれば、紙袋ゆえ破れるかもしれぬリスクをおかすこともない、トランクだろうがリュックサックだろうが紙袋よりははるかに堅牢なもので受け渡しができる。5千万ものカネを、渡そうとする方も、もらおうとする方も、数万にもならぬホテルの部屋代をケチることは常識的に不自然な話。

 もっとも、もっと不自然なのは我が検察だ。これだけのネタを入手しながら、なぜ斡旋収賄なり、受託収賄で立件しなかったのか。たしかにきょう現在となれば時効かもしれぬ。しかし検察が大久保を逮捕したおととしなら時効は完成していなかったはず。殺人犯が現場から逃走する際、赤信号を無視し、スピード違反も犯した。この時、殺人はお目こぼしをして道交法違反だけを咎めるような話。ずいぶん不自然なお話しではないか。(4/27/2011)

 キャンディーズの田中好子の葬儀が、きのう、あった。その模様は昨夜のニュースでも流されていた。夫の小達一雄の「演出」はワイドショーにジャスト・チューニングされたものだったから、けさからのテレビは繰返しそれを流している。

 キャンディーズのファンだったわけではない。だが彼女たちは「ご近所にいるかわいい子」というイメージの存在だった。土曜日の夜、「8時だよ、全員集合」には「体育の時間」のようなコーナーがあり、ラン・ミキ・スーはブルマー姿で跳び箱やら、マット体操、トランポリンなどで飛んだり、跳ねたりしていた。その健康美のなかのちょっとエロチックな感じを「お兄さん」世代はテレビの前で「盗み見」をしていたわけだ。好みはミキちゃんで、スーちゃんは三人の中では一番健康優良児、殺してもなかなか死なないタイプと思っていた。

 キャンディーズの解散は千代の山の引退と同じカテゴリーに分類されている。いわゆる「鮮やかな引き際」という範疇だ。もっとも「普通の女の子に戻りたい」を実現したのはミキちゃんだけだったのだが。田中好子は鮮やかに転進してみせた。いろいろのドラマでそれなりの味を出していた。ガンとの戦いがその裏に隠れていたと聞いて、腑に落ちるものがあると書くのは完全な後知恵かもしれないが、その感は強い。

 きのう流されたメッセージが彼女の意に沿わないものだったとは思わないが、なにもあんなあざとい演出で飾らなくともよい。そういう違和感を覚えたことを書いておく。

 きょうのニュースとしてはもうひとつ。ライブドアの堀江貴文、最高裁は「上告理由にあたらない」として棄却、懲役2年6月の実刑が確定した由。(4/26/2011)

 9時5分、成田着。10日ぶりの日本もいい天気。

 9時40分発の池袋行きリムジンに乗る。池袋まで寝て行けるというのはありがたいが、途中の渋滞などで1時間以上かかり、スカイライナーより高い3,000円はちょっと失敗だったかも。バスの中で携帯の設定をドコモに戻して、帰国メールを数通。帰宅はお昼前。

 留守中の余震を恐れて、毛布でくるんだテレビ、机の上に倒しておいたモニタ、ともに異常なし。

 異常があったのは郵便受け。新聞だけではなく、郵便も、メール便も届けを出して止めてあった。にもかかわらず、ポストはダイレクト広告と郵便で溢れていた。日経ビジネスやFACTAは入っていない。郵便局はいまだにお役所のままらしい。何をどのように「改革」しようと、所詮、生まれと育ちがダメな組織はダメなまま。夕方には止めてあった新聞、宅急便が届いた。前後して宅送したトランクも。(4/25/2011)

 【手帳にもとづき作成の日記】

 あさ9時下船。最終日まで好天。添乗員の**さんも「このコースは20回近くになりますが、全日晴れたのは今回が初めてです」と言っていた。

 中部国際空港へ帰るメンバーはヘルシンキ乗り継ぎのため空港へ直行。成田と関空メンバーは最後の最後にもうひとつ。ザーンセス・カンスというアムステルダム近郊の風車村へ。

 オランダという国はとにかく平ったい国。今回の旅行、ブリュッセルで緩い坂道を見たときはなんだかホッとした。都市には多少のアンジュレーションがある方がいいような気がする。

 スキポール空港14時55分発のKLM861便。セキュリティがけっこう厳しく、ズボンのベルトを取ることまで要求された。靴までとは言われなくてさいわい。(4/24/2011)

 【手帳にもとづき作成の日記】

 明け方、ティールを出てユトレヒトへ。キューケンホフ公園はチューリップの真っ盛り。この公園は3月24日から5月20日までの開園の由。1年を58日で暮らすいい公園。

 色とりどり、丈もとりどり、形にさえバリエーションがあり、開花の時期もコントロールされているようで、自在に花の絨毯が作られている。16世紀の伝来以来、17世紀のバブルを経て、チューリップの品種改良に情熱を傾けてきたオランダの、いわば「国体の精華」。そんな感じがする。

 抜けるような青空ではないが、じつに春らしいうららかな、それにしてはちょっと暑いが、好天。そしてあしたはイースター。北ヨーロッパの人々にとっては喜びが爆発するような春の訪れに違いない。

 夜はカクテルパーティとフェアウェル・ディナー。今回の全航行距離は650キロだったとか。セレナーデ号での宿泊も最後。9連泊。初日に荷ほどきをすれば最終日のパッキングまで移動のためのトランク詰に悩まされることがないというのは天国だった。(4/23/2011)

 【手帳にもとづき作成の日記】

 いま、明け方4時。

 最前見た夢を書き留めておきたくて手帳を開いた。消えてしまいそうなところから。

・・・(省略)・・・

 ここまで書いてから二度寝した。夢の続きは見られなかった。もう、何十年も夢に***をみるなどということはなかった。それが、地球を三分の一周もしたここで、夢に見るとはね。

§

 二人とも寝坊をして起きたのは6時50分。**(家内)はあっという間に支度をしてラジオ体操に行った。

 携帯のニュースサイト、キャンディーズの田中好子が乳ガンで亡くなった由。

 船は夜半にヴィレムシュタッドを出てティールに向かっていた。ティールからバスでゴッホの森へ。すばらしい森林公園の中にクレラー・ミュラー美術館。教科書でおなじみのゴッホの絵がずらり。「跳ね橋」もあれば、「夜のカフェ」もある、らしくない初期の「馬鈴薯」もある。

 しかし、驚きはオディロン・ルドンがあったこと。オルセー以外で複数点見られるとは思っていなかった。名前を知っているのは「ブッダ」だけだったが全部で6点が展示されていた。(所蔵リスト検索システムによると「キュクロプス」もあるはず。もう一度展示室へ戻っても見当たらなかった。

 6点とも好きなルドンの特徴がよく出ているもので、幸せな気分を味わえた。(4/22/2011)

 【手帳にもとづき作成の日記】

 世界遺産ブルージュの観光。天気予報は「曇時々雨」なるも大外れ。きょうも好天、若干暑い。

 アントワープからバスでブルージュへ。予定した駅近くの公園はWCに150人の列とかで、比較的最近できたコンサートホール側の広場へ。地下駐車場の40セントの有料トイレを使用。

 救世主大聖堂を外から見て、聖母教会でミケランジェロの「聖母子像」。運河沿いを歩く。露天の魚市場からブルク広場、聖血礼拝堂でいわゆる「聖遺物」をみて、マルクト広場へ。マルクト広場の一角の店で昼食。はじめて船以外での昼食。ムール貝をどっさり。地ビールのブルージュ・トリプルを注文。

 レースの買い物などをした後、運河を遊覧。モーター駆動の静かな船。案内はiPodに吹き込まれた日本語バージョン。ヤン・ファン・エイクの銅像は船からだったので残念ながら後ろ向き。船を下りてからはゆるゆるとベギン会修道院を経て、会いの湖講演をかすめてバスに戻る。そういえば、オードリー・ヘップバーンの「尼僧物語」の舞台はベルギーの修道院だったなぁ・・・などと思い出す。中世の町を楽しんだ一日。

 クリスティーナさんに、先日来、街中の看板で気になっていた「KOOP」の意味を訊いた。「KOOP」は「売家」、「LE KOOP」で「貸家」という意味とか。

 夜のテレビは「Shall we ダンス?」。さすがにオランダ・ベルギーコネクションはあきらめたのか。それともこちらが知らない「言われ」があるのだろうか?(4/21/2011)

 【手帳にもとづき作成の日記】

 日の出は6時50分頃。ずっと好天が続く。少し暑いくらい。**(家内)は「わたし、晴女」と鼻高々。

 携帯が「圏外」となっているのに気づく。現地のキャリアをオランダの「TMO NL」からベルギーの「BASE」に切り替える。8時51分と表示される。GSMではなにもしなくとも現地時間と日本時間の両方が表示されるようだ。

 ロッテルダムは、現在、荷役量においてニューヨークを抜いた由。ガソリン運搬船と思われる船がすれ違うが、向かって来る船の乾舷は大きく、同方向へ航行する船の乾舷はゼロに近い。運河が発達しているオランダ・ベルギーではタンクローリーよりも有力な輸送手段なのだろう。

 午前中はアントワープの観光。ガイドは上智大学に留学していたというクリスティーナさん。背が高く眼鏡をかけている。最初は「ウォーリーを探せ」だなと思っていたが、ハリー・ポッターの方に近い。ベルギーの所得税率は最高58パーセントにもなるとか、若い世代は将来の年金給付水準に懐疑的だとか、普通の観光ガイドとはひと味違う話が面白い。

 ノートルダム大聖堂でルーベンス「キリストの昇架」、「キリストの降架」、「聖母の昇天」。「フランダースの犬」効果がなければ、よくある宗教画でとどまったのかもしれない。だからこそ「拝観料」を取っていたのだろう。

 午後はブリュッセルの旧市街を観光。世界遺産グラン・プラス。広場を取り囲む、ギルドの集会所は壮観。そして「小便小僧」。陰口としては「ヨーロッパの三大ガッカリ」(他はコペンハーゲンの「人魚姫」、ラインの「ローレライ」の由)。先に聞かされていると、案外、ガッカリはしないものだ。

 イースター・ウィークによる休暇が始まっているとかでアントワープもブリュッセルもすごい人出。

 帰りのバスに乗るために通りかかった広場に銅像があった。どう見ても、ドン・キホーテとサンチョ・パンザにしか見えない。なぜベルギーにこんな像があるのか?(4/20/2011)

 【手帳にもとづき作成の日記】

 バスでハーグのマウリッツハイス美術館へ。朝の渋滞にかかり、正規開館1時間前からの貸し切り展覧は20分ほど短くなった。それでも、お目当ての「真珠の耳飾りの少女」の他、「デルフトの眺望」、レンブラントの「自画像」と「解剖学講義」などをゆっくり見られた。「氷上の遊び」も面白かった。(そうそう、自画像のレンブラント、どこか往きの機内で見た「ボニー&クライド」に出ていたちょっと知恵遅れ気味の太っちょ-「シー・ダブリュー」と呼ばれていた:マイケル・J・ポラードという俳優らしい-に似ていた)

 午後はロッテルダムからベルヘンオプゾームにむけて運河クルーズ。**(家内)はラウンジで開催の「野菜・果物の彫刻実演」や「ナプキン折り講座」に参加。こちらは持参したホイジンガの「中世の秋」を読み始めた。一番古い積ん読本。「・・・この時代の無情さのうちには、しかし、どことなく『無邪気な』ところがあって、つい、わたしたちは、非難の言葉をかみ殺してしまうのだ・・・」。ずっと、昔、聞いた仮説のことをまた思い出した。「個体発生は系統発生を繰り返す」。

 はじめて夜のテレビを通しで見た。「たそがれ清兵衛」。宮沢りえ、いい。ポッとそこだけ明るくなる。映画の選択はオランダ関係ということでなされているようだ。(宮沢りえの父はオランダ人)。

 貧窮に暮らしながら清兵衛の娘たちは私塾に通い、論語の素読などをやっている。その娘が清兵衛に「針を習えば着物が縫えるようになります。学問は何の役に立つのですか?」と尋ねると、父は答える、「自分の頭で考えることができるようになる」と。

 ラストシーンは長じた娘が墓参りをする映像にナレーションがかぶる。物語が決着し、願いかない、思い人を迎えた清兵衛が幸せに暮らしたのは3年のことだった。戊辰戦争で賊軍として官軍の銃弾に撃たれて死ぬ。清兵衛は自分の頭で考えて、己が生き方を選んだのだろうか。映画の中盤、宮沢りえの演ずるトモエの兄であり清兵衛の年来の友人は語っている。「時代はどんどん変わっている。江戸詰に出ないか。おぬしほどの人物が国にいるのはもったいない」。そういう眼をもって自分で考えれば・・・。

 娘は語る、「朋輩の中には新政府で出世された方もおいでです。父を不運な男だという人もいらっしゃいますが、わたしはそうは思いません。わたしたち娘を愛し、美しいトモエさんに愛され、人生を満たされた思いで逝ったに違いありません。わたしはそんな父を誇りに思っております」。

 そうだねぇ、宮沢りえが演じたような女と数年でも過ごせたら、それだけで、人生に心残りはないだろうね。(4/19/2011)

 【手帳にもとづき作成の日記】

 昨夕のうちに移動していたスコーンホーヘンを散策。小さく静かな町。ひょいと曲がった目の前にフェルメールの「小路」のような光景が現れたりする。「SPAR」のロゴとマークの店があった。SPARは本部がアムステルダムにあるスーパーチェーンだとは知らなかった。ワッフル、チョコ、水を買う。

 午後は世界遺産、キンデルダイクの風車群。遊覧船で回った後、ちょっと風車に昇ってみた。なぜかシニア割引の一人4.5ユーロだった。歳上のはずの一宮のご夫妻は6ユーロ取られた由。

 夜はロッテルダムに停泊。フルコース・ディナーの夕食の間に、船は1メートル以上、下降。潮の満ち干の関係らしい。テレビはあしたに備えて「真珠の耳飾りの少女」。これも猛烈に眠く、見られず。(4/18/2011)

 【手帳にもとづき作成の日記】

 2時に眼が覚めた。レリスタットからアムステルダムに向けて航行しているらしい。左舷側に満月。傾きかけたところ。アイセル湖は人工湖。多少のエンジン音はするものの波はなく、船は滑るように進む。

 バスでフォーレンダムへ。海辺に沿っておみやげ屋さんがずらり並ぶ。通りは、日曜というせいもあってか、けっこうの人出。アムステルダムに戻って船で昼食。

 午後はバスでアムステルダム市内を回る。国立博物館で、レンブラントの「夜警」、フェルメールの「ミルクを注ぐ女」などを観る。有名な名画が並ぶ。世界各国の団体さんでごった返している。白人は大陸の人間もアメリカ人も区別がつかない。そこに東洋系の日本人と中国人、意外にインド人が多い。その後、斜向かいのダイヤモンド工房などを見学。人当たりして、ちょっと疲れた一日だった。

 夜のテレビは「フーテンの寅さん」。マドンナは竹下景子。舞台はウィーンだが、スキポール空港もちらり。シリーズ中唯一の海外編か。ただしこれも途中でダウン。(4/17/2011)

 【手帳にもとづき作成の日記】

 あさの4時に眼が覚めてしまった。サンデッキに昇る。少し肌寒い。朝食は7時から。手持ちぶさたの時間、テレビを見る。日本語のチャンネルはない。BBCワールドニュースのヘッドラインは「LIBYA CONFLICT」と「NIGERIA VOTE」。既にフクシマはニュースではなくなったのだろう。

 停泊していたホールンを散策した後、SLに乗ってメデンブリックへ。SLといってもおもちゃのような小型のもの。車窓には最初は住宅地、農村部に入ると放牧用地と畑。山並みはおろか、丘陵らしきものも見えない。したがって地平線が見える。そこここにあるのは教会とおぼしき尖塔のみ。

バスで船に戻って昼食をとり、エンクハイゼンを散策。ボトルシップ博物館(といっても小さなものだが)を観覧。早くもおみやげをひとつ購入。夕食は船長主催のフルコース・ディナー。

 8時を過ぎても明るい。船はレリスタットへ航行。まるで外海のような感じ。テレビの特別プログラムは「ローマの休日」。オードリーはオランダの出身だったからか。途中でダウン。(4/16/2011)

 【手帳にもとづき作成の日記】

 集合は10時40分なのでゆっくり朝食。確認後に空港へ。ゆったり川船の旅ということもあってかなり高齢者が多い。チェックイン前にドコモのカウンターで海外パケ放題の設定を確認。両替。レートは125円30銭。手数料込みとはいえ、一月ほど前は110円あたりだったのだから急な円安がうらめしい。

 KLM846便。成田-アムステルダムは機内ナビによると9,888キロの由。13時20分発、17時50分スキポール着。時差はサマータイムのため7時間。9泊するセレナーデⅡ号に到着したのは夜9時前。さっそく荷ほどき。長い長い一日だった。

 どうしても腕時計をこちら時間にあわせることができない。ふだんは自慢の電波時計だが落とし穴はあるものだ。取説をもってこなかったことを悔やむ。(4/15/2011)

 【手帳にもとづき作成の日記】

 エコノミー症候群予防法をインターネット検索、手帳に転記。4時過ぎに出発。時間だけからいえば、年一回の水技同窓会に出席できたはずだが、とてもその余裕はなかった。

 5時17分日暮里発のスカイライナー。新線ができていて5時55分には空港着。早い。ホテル日航成田に前泊。先週金曜日にパッキング、日曜に宅急便に出したものが、部屋に着いていた。これは楽。(4/14/2011)

 きのうの新幹線の車内電光ニュースで、政府が福島第一原発事故を国際原子力事象評価尺度で「レベル7」に相当と発表したのを知った。けさからのニュースや解説、新聞各紙のサイトの「興奮ぶり」を見ていて、なんとまあ情けない国だと思った。

 どうやら、マスコミは過去最悪と思っていたチェルノブイリ事故と同じレベルに格付けされたことにショックを受けているらしい。

 先週、「とかくにチェルノブイリと旧ソ連をバカにすることで優位性を誇示したがる我が原発村の住人たちは、『あんな国の技術だから一気に大爆発してしまった』とか、『ああいう国だから作業者の安全などは無視された』とか言ってきた」と書いたこの「常識」に凝り固まって、チェルノブイリが教えてくれたいちばん大切な教訓を見落とした連中ほど、「えっ、チェルノブイリなんかと同じなの?」と思っているらしい。バカもここまでくると、手の施しようがない。

 IAEAが評価尺度を作成したのは、ひとつには「記録」をする意味もあるのだろうが、もうひとつの意味としては評価によってどのような体制で、どのような取り組みをすべきかということの判断基準にすることもあるはずだ。そのような一番肝心なことをきちんと受け止めない限り、おそらくは今後十数年にわたるはずの事故処理を的確に遂行してゆくことはできないだろう。それにしても愚かさばかりが天下の大通りを闊歩するとは。情けない国になったものだ。

 あすからの旅行。大物は既にパッキングして配送サービスに出した。小物がまだ。小物ほど「旅行品質」への影響が大きいから注意を要する。前に作ったチェックリストは「出張用」。少し見直したいと思っていたが、吉野行きやら*(叔母)さんの入院やらで、結局、きょうになってしまった。(4/13/2011)

 ゆっくり朝食を取って、9時過ぎにチェックアウト。近鉄奈良駅のコインロッカーに荷物を入れ、近くのレンタサイクルで電動式を借りる。電動にしたのは白毫寺方面に行くつもりだったから。

 天気は上々。白毫寺からの眺めに思わず時間を取りすぎて、午前中はこれだけで十輪院近くの「玄」で蕎麦。午後は志賀直哉旧居から春日大社の境内を横切り、若草山登山口ちかくに駐輪し登ってみた。

 これだけで午後のお茶の時間は吹っ飛んでしまった。北海キャンディーズは4時5分のリムジンで関空へ向かい、こちらは4時ちょうどの近鉄特急で京都経由帰途。4時51分の「のぞみ」に乗車変更し、8時半前に帰宅。(4/12/2011)

 9時前に宿を出てバスで奥千本まで。金峯神社に詣でて、総勢29名、そぞろ歩きで上千本まで戻り、用意してもらった柿の葉鮨とお茶・ビールでお昼。全体行動はそこまで。中千本、下千本の桜を見ながら、芋の子を洗うような観光道をロープウェイの駅まで。ここも長蛇の列なので、歩きで駅まで下りた。

 西大寺で乗り換えたのはもう5時を回る頃で、北海キャンディーズを自称する3人に、10時過ぎ発の深夜バスの切符を買った**くんを加えて5人で、「釜めし志津香」で食事。大宮店の方はなかなかいい感じの店。そのまま駅前のホテルにチェックイン。**くんの出発時刻まで部屋で談笑。(4/11/2011)

 浄瑠璃寺コースを選択した7人(**さんは腰を痛めて吉野直行コース)とともに7時45分にチェックアウト。近鉄改札口でけさでてきた**さんと合流後、8時半の近鉄特急で奈良経由浄瑠璃寺へ。うまくコミュニティバスに接続したので岩船寺まで直行、拝観。地震の義援金を募るため三重の塔の第一層も公開中。鳥の声に蛙の声がハーモニーする。ほとんどのメンバーは始めて来たとかで大喜び。

 暑くも寒くもない絶好の日和の中を浄瑠璃寺までゆるゆると歩く。浄瑠璃寺の拝観をすませて、門前で昼食。12時46分のバスで奈良に戻る。さほど渋滞もなかったが、一番接続のいい電車はでたばかり。

 西大寺、橿原神宮と乗り換えて吉野着は3時20分頃。それでも4時前には竹林院到着。(4/10/2011)

 11時発の「のぞみ」で京都入り。近鉄の窓口でネット予約したあしたの特急券を受け取り、ちょっと奈良へ。5時前に京都に戻り大矢くん手配のホテルにチェックインして、宴会メンバーとともに「花楽」へ。

 都踊りの流れで来てくれた芸妓さんはお茶を点てるとき限定の衣装。他に舞妓さんが2人。

 八坂神社のしだれ桜を見てホテルに戻ったのは11時過ぎ。(4/9/2011)

 相変わらず小田嶋隆は鋭い。彼の地元・赤羽で半世紀ほど続いてきた「大赤羽祭」通称「馬鹿祭り」が「自粛」することになったことから書き起こし、「風評」撲滅PRについて、「ハエのとまったケーキ」の商品価値をあげて論じ、最後に原子力発電について、こんなふうに書いている。(「この『風評』の半減期はどのくらい?」

 覚醒剤は、日本語の隠語では「シャブ」だが、英語では「スピード」と呼ばれる。

 私自身は試したことが無いので詳しい効能については知らないのだが、アンフェタミン(あるいはメタンフェタミン)は、時間および速度の感覚を変容させるものであるらしい。服用した者は、自分が、周囲の世界よりも速く動き、判断し、考えているように感じる。それゆえ、愛用者は、試験勉強の追い込みや、徹夜の作業をこなすために「スピード」を用いる。スピードを服用した人間は、効いている間、疲れることなく、強力な集中力を保ったまま、食べることも眠ることもせずに日常を倍速でやり過ごすことができる(らしい)。で、気がつくとジャンキーになっている。そうなると、二度と元の日常に戻ることはできない。

 なんだか原発に似ている。
原発を導入すると、倍速で電力を得ることができる。
 廃炉や廃棄物処理のコストを度外視すれば、コストも安い。
 二酸化炭素も出ない。
 エコで、クリーンで、スピーディーだ。
 うん。似てるぞ。
 シャブはニコチンフリーだ。タールも無い。だから肺がんのリスクもない。と、そういうふうに言えばそう言えないこともない。

 東京電力は、ある時期から突然、
「私たちが使っている電力の3割は原子力が作っています」
ということを言うようになった。
 はじめてこのキャッチコピーを見た時、私はマジで驚いた。
「え? もうそんなに?」
 今思えば、あの態度はシャブの売人のやり口と一緒だった。

「奥さん。これ、疲れがとれますよ」
と、売人は、最初のうち、無料でブツを提供する(らしいですよ、奥さん)。
「あら、ありがとう」
と、何も知らないスピードゥーは、あっさりとそれをうけいれる。

 しばらくして、後戻りができなくなった頃を見計らって、売人は言う。
「あんたの生活は3割以上シャブの中の時間で動いてるんだぜ」
 そのとおり。もはやスピードの無かった頃の生活に戻ることはできない。
 ・・・というこのお話は、あくまでもネタだ。

 思わず吹き出してしまった。きのう、書いた我が**くんとのメール往復を思い出したからだ。**くんが小田嶋の「原発:覚醒剤似ている論」を読んだら、卒倒するかもしれない、呵々。

 あえて書いておけば、覚醒剤に似ているのは原発だけではない。昔、コンピュータの営業トーク、「お客様のお使いの××シリーズを最新の○○シリーズに更新いたしますと、現在、×日ほどかかっている期末処理が○時間程度で終わります」。システムを更新してしばらくすると、「申し上げた以上の効果でございますね、どうでしょう、△△の処理もこのシステムでおやりになって、業務効率を格段にあげては」。ジョブを追加してしばらくすると、「追加した△△のジョブが若干重たいようですね。わたしどもの◎◎シリーズですと格段に・・・」。コンピュータ営業のスキルはシャブの売人の営業スキルとさして変わらないと言う話。覚醒剤に似ているのは「現代文明」全般の話なのだ。(4/8/2011)

 計画停電は少なくとも夏までの間はやらないことになった由。

 数日前だった、我が**くんが「日本では原子力の発電電力量比率が40%くらいである事はご承知ですか?」、「フランスでは、確か、70―80%くらいまで行っている筈。このくらい大きいと、・・・明日にはすぐにやめて、即日火力発電所や、水力ダムを作り、風車でも回せばすぐに原子力発電所の発電電力を回復できる・・・・なんて安直な量ではないのです、よ」、「貴兄としても、まず、手始めに自宅の電気使用量を40%絞ってみますか?」などと勝ち誇ったように「脅し」を書いてきていた。

 「ああいいよ、節電してやるよ」と書いてもよかったのだが、少しまじめにこんな返事を書いた。

 フランスの稼働率が高いのは、おそらく、フランス国内にとどまらず、ヨーロッパのかなりのエリアに供給しているからでしょう。東電と関電の稼働率にも似たような事情があるはずで、40%という数字をそのまま一般需要家のお世話になっている率と言われても、簡単にそうですかとは言えませんね。
 問題はピーク時の発電供給量にあるのであって、我が家が一気に40%の節電に応じたら、電気料金収入が減って東電さんが困りますよ。
 計画停電の実施方法が不評を買いつつも、直前までウロウロするのは、ショートしない範囲内で電力をなるべく売りたい東電さんの事情があるからという側面もあるのではないですか。
 いま日記に書いているところだったのですが、六本木ヒルズは自前の発電設備で全量をまかなっていますね。そして、いまは節電をヒルズ内に呼びかけつつ、東電に一定量を売っています。
 IPP事業に色気を示している、海外資本はたんといるそうです。東電の電気料金が原子力政策のしがらみから海外に比較するとかなり高額だからです。
 もし東電の独占体制が変わるほどに電力自由化が進められたならば、原発のように割高な電気は、あっという間にIPP事業の運営する高効率火力に駆逐されてしまいかねません。

 ついでに書いてくるかもしれないCO2キャンペーンについてもふれておいたら、なんだかフニャフニャした返事にならないレスメールが来て、一気にトーンダウンしてしまった。

 計画停電の実態がどのようなものか、きちんと把握している人はどれくらいいるのだろうか。まず、先月実施された計画停電は本当に発電能力不足のみが理由だったのかという気がする。給配電のパスに関する準備が必要だったということもあるのではないか。まあ、このあたりは素人には分らない。

 いずれにしても、ピーク時の発電能力が基本問題。裏を返せば、東京電力としては深夜電力まで節電されたら本音としては「困る」のだ。「オール電化」などというグロテスクな商品は原子力発電というグロテスクな発電方法が産んだ奇形児だ。

 今回の事故の処理費用、避難者への補償費用、損害賠償費用などはとてつもない金額になるといわれている。原子力村の詐欺師たちの口車に乗せられた国民は、まず電気料金の形で、次に税金の形で負担することになるだろう。原子力発電はクリーンという説明は破綻した。もうすぐ原子力発電はローコストという説明も破綻する。ユーツな話だ。(4/7/2011)

 多摩南部地域病院に*(叔母)さんを見舞う。このあいだよりは元気。ギプスだか、コルセットができるのはあさっての予定で、できあがり次第、徐々にリハビリを始めるのだそうだ。

 **くん宛のメールにこんなことを書いた。

いま、

  スリーマイル<福島<チェルノブイリ」

と思っている人が多いようですが、福島が解決された時には、

  スリーマイル<チェルノブイリ<福島

という評価になるかもしれませんね。

 事故炉が3基あること、そのいずれもが(おそらく)メルトダウンして圧力容器、格納容器、建屋、すべて「健全性」を失っていると推定されること、汚染の流出に海がからんでしまったこと、・・・チェルノブイリは「一気に燃えた」のに対し、福島は「ジワジワと燃えている」。結局、最終的には「燃えた総量」は同じかそれ以上になるのではないかと・・・。

 我々が生きている間に、福島はケリがつくでしょうか?

 「ジワジワと燃えている」のなら簡単に消せそうに思うのは放射能のことを考えに入れないときの話。時間が経つにしたがって人間が立ち入れないエリアが原子炉を中心として拡大しつつある。

 田中三彦は「(チェルノブイリの)鎮静化には二つの要素がフルに機能していた。一つはヒロイズム。そしてもう一つは――じつに哀しいことだが――現場作業員の放射能や被曝に対する無知である」と書いていた。最初に読んだ時も、読み返した時も、この部分を誤読していたのかもしれない。

 原発で元請けの指令の下で働く現場作業員は貧しく、それ故に放射能に関して十分な知識がない、つまり、無知なので命ぜられると被曝量などの意識はなくどんどんやってしまう・・・そう読んでいた。そういう面がありそうなことは否定し得ないまでも、元請けを含めてチェルノブイリ当時は被曝が及ぼす影響に対する知見が十分ではなかったという要素の方が大きかったということかもしれないと思い始めた。たとえば、堀江邦夫の「原発ジプシー」に登場する現場作業者は、正確な知識がないだけで被曝に関する漠然とした恐怖感はもっているし、実際、仲間が体調を崩したり、突然死するのも見て知っている。

 とかくにチェルノブイリと旧ソ連をバカにすることで優位性を誇示したがる我が原発村の住人たちは、「あんな国の技術だから一気に大爆発してしまった」とか、「ああいう国だから作業者の安全などは無視された」とか言ってきたものだが、事故後、十数年を経て周辺の子どもに甲状腺障害などが確認されたことで分るように、そもそも放射線障害が引き起こすことについての所見はそれほどなかったという方が実態に近い。

 とすると、堀江が指摘したような「原発の仕事を去った労働者に対しては、医学面での追跡調査すら一切なされていない、との現実」は我が政府、我が電力業界、我が原子力村の住人たちの罪が重いことを知らせてくれる。もし、これらの原発作業者の離職後の健康管理がきちんとなされていれば、どれくらいの被ばく量がどれくらいの身体的障害を引き起こすかということについて、もっと豊富なデータをもって語ることができたかもしれないからだ。

 チェルノブイリの鎮静化を実現した人々に関する前例が十分に知られている現在、現場作業に対する制約は格段に厳しいものになっている。一方、爆発的に燃えなくとも、効果的な冷却ができない限り核燃料棒の損壊はとまらない(1号機への窒素の注入は核燃料棒の損壊が進んでいるのではないかという推測があるからの処置だろう)。

 配管、配線、ポンプ、バルブなどの仮設作業が、よほど高度なロボットにより無人作業で行えない限り、福島の核燃料棒と使用済み核燃料はジワジワと燃え続けるだろう。そして、最終的にはチェルノブイリで燃えた核燃料総量よりも多くなる可能性は否定できない。爆発的に燃えないから一気に放出される量は少ないが、収束までに放出される積算量がチェルノブイリを上回ることは、考えたくないことだが、かなりの確率であると思うべきだ。(4/6/2011)

 さかんに流れるACジャパン(公共広告機構)のCMでは「日本の力を信じてる」の連呼。だが、いまひとつのりきれない。

 地震と津波の被害にとどまったエリアはいまがボトム。ここからは復興するのみ。それだけならば、「日本は強い国。・・・日本の力を信じてる」。そう思える。しかしなにか力が入らない。原発が放射能汚染をまき散らしているからだ。

 福島第一原発の状況をいまがボトムと思う人はいない。いまや太鼓持ちに成り果てたあの原子力村の住人でさえ「いまがボトム」とはいわない。ボトムそのものが見えない。

 ニュース映像に無人の住宅街が映る。倒壊したわけではない。泥に浸かったあとすらない。そのまま住めそうな住宅が並ぶのに街は無人。原発さえなければ、もうとっくに日常のペースを取り戻していただろうに。家の主たちはジプシー生活を強いられている。

 マスコミは一切取り上げていないことで、知りたいことがある。新潟県巻町の住民、そして三重県海山町の住民が、今回の福島第一原発の事故をどう見ているかということだ。

 巻町は東北電力が建設しようとした原発を住民投票(1996年8月4日)によって拒否した町。海山町は商工会と原発建設推進派町議が提起した原発誘致案を住民投票で否決した(2001年11月18日)町。各々の町で原発の建設(誘致)に賛成した人々と反対した人々が、いまどのような意見を持ちどのような顔をしているかということを知りたい。反対した人々はおそらく「先見の明」を誇っていることだろう。賛成した人々あるいはカネに目がくらんで原発誘致を主張した人々は、現在、どのような気持ちで福島の惨状を見ており、かつての自分の「信念」をどのように評価しているかということが知りたい。彼らが眼をウロウロさせずにきちんと語りうるかどうか、それが知りたい。

 しかし、マスコミはこの視点で取材しようとはしない。今後の原発建設に致命的な影響を与えかねないからに違いない。

 新潟県巻町は、現在、ない。2005年に新潟市に編入されたからだ。三重県海山町もない。同じ2005年に隣接する紀伊長島町と合併し紀北町となったからだ。これは福島第一、第二原発周辺の町村の状況とみごとな対比をなしている。合併当時巻町の人口は2万9千、海山町は1万人弱だったのに対し、第一原発のある双葉町は7千人弱、大熊町は1万1,500人、第二原発のある楢葉町は8千人に満たない。より大きい自治体が合併に追い込まれ、より小さな自治体が合併を免れてきた。なぜか。話は簡単だ。電源三法交付金があるため、コイズミ三位一体改革による地方交付税削減をのりきることができたからだ。

 マスコミはこれらの町民のジプシー生活に同情する視点からばかり報じている。しかし、町民一人一人が「分け前」をもらっていたかどうかは別にして、双葉町、大熊町、楢葉町はいわばリスク引受プレミアムというカネを永年にわたって受け取ってきたという側面があることくらいは報じるべきだろう。これらの町は現実化しないと信じ込んだリスクと引き換えにたんまり前受金をもらっているのだ。そのリスクが現実化したからといって「前受金」のことには口をぬぐって被害者面するのは白々しいというものだ。町民一人一人には同情しないではないが、町当局は余分にせしめた金を本来なら今回のような事故に備える保険として「原発引受基金」の名目で保全しておくべきだったのだ。(4/5/2011)

 きょう、夜になってから東京電力は「低濃度放射能汚染水」を海に放出し始めた由。その説明はこうだ。「高濃度汚染水を入れておく場所を確保しなければならないので、現在保管中の低濃度汚染水を捨てなければならなくなったからだ」。なるほど、小学生、いや、幼稚園児でも分る話だ。

 しかし幼稚園児ならこれで「めでたしめでたし」と思うだろうが、小学生くらいになれば心配になるだろう。「高濃度汚染水はこれで終わりなの?」ということ。もう少し鋭い子なら「高濃度汚染水さんにどけどけっていうけど、チョー高濃度汚染水さんはでてこないの?」という心配をするかもしれない。

 最近、素人である我々が知るようになった言葉に「除染」という言葉がある。放射能は酸やアルカリのように対抗物によって中和することはできない。まあ、塩酸を浴びたからといって苛性ソーダをかけるようなことはしないだろうが、浴びた箇所を洗った水を中和反応により危険性を除くか、下げることはできる。だが放射性物質にこのような都合の良い「手」はない。なんのことはない「除染」というのはひたすら「水で洗う」というだけのことだ。体に付着すれば体表の油分のために「汚れの落ち」が悪くなるのを活性剤などで防ぎながら、水に溶け込ませることに過ぎない。塩酸に苛性ソーダをかけて食塩と水にするような「しかけ」は放射性物質についてはない。

 原発の安全性に関する登場する「止める」、「冷やす」、「閉じ込める」の最終手順が破綻したいまとなっては、まず、第一に核燃料棒から出てくる放射性物質をできるだけ少なくするために、ひたすら冷やすこと。そして、第二として、核燃料棒から勝手気ままに放出された放射性物質を究極の低エントロピー物質である水に溶かし、その濃度を「ただちに健康に影響がでるわけではない」と言い訳できるレベルまで低くすること。

 原子力村のエリートさんたちが、かつて偉そうにふんぞり返って話していた、第三の壁(圧力容器)、第四の壁(格納容器)、第五の壁(建屋)がことごとく破られてしまったいまとなっては、これしか手はないのだ。しかし、放射能に妨害されて「冷やす」ために行えることが限定される以上、かなりの確率で核燃料棒にある放射性物質は閉じ込められずに出てくるだろう。つまり放射能汚染水の濃度は低くなるよりは高くなる確率の方が大きい。

 海に排出される汚染水の濃度は徐々に高くなるだろう。最悪、福島第一原発の1号機から4号機の建屋にある核燃料の全量を溶かすまで危機は去らないと考えておく方がいい。とすれば、どれほど非難を浴びようと、どれほど周辺海域の環境を悪化させようと、高濃度の状態で海に流せば流すほど、処理に要する時間は短くできる。逆に、後ろ指をさされないほど十分に薄めてから海に流そうとすればするほど、処理に要する時間は長くかかる。

 どちらにしても原子力村のエリートさんたちは「賭け」に負けたのだ。彼らが勝手にはじき出した確率は「数百万に一回か二回くらいのことだから、起きるはずはない」と思った「賭け」で「大当たり」という超貧乏くじを引いたしまったというわけだ。

 「原子力発電安全」論者と「原子力発電必要」論者の口車に乗せられ連帯保証人になってしまった我が国民は、彼らともどもその「借金」を払い続けなければならなくなったということ。あーあ、バカな隣人と同時代を生きることになったものだ。(4/4/2011)

 日々のニュースを聞いていると、直接語られない意外なことが見えてくる。

 電力不足を補うため六本木ヒルズは東京電力に電力を売っているというニュースがあった。六本木ヒルズの電力がすべてヒルズ内にあるガスコジェネレーションによる発電でまかなわれていると知った。給湯機能と両用であるから簡単には言い切れないが、あるていどのボリュームがあれば東京電力の電気を使うよりは自家発電した方が安いということだろう。それくらい原発の施設投資という重荷を背負わされた東京電力の電気は高いのではないかということだ。

 今回の事故で「原発とは発電していないときにも電気を食う施設だ」ということを知った。使用済み核燃料貯蔵プールにも冷却機能を働かせなくてはならないし、休止している炉であっても核燃料は冷却し続けなくてはならない。全機が停止している場合には別の発電所から電気をもらわなくてはならない。もちろんコントロールルームの照明や計装制御系の電気が必要なことは原発でなくともある話だが、原発は休止プラントそのものが電気を食うというわけ。CO2を出さないと大々的にPRしているプラントがCO2を出す火力発電所のお世話なくしては安定に止まっていることもできないというのは妙に可笑しい。

 2号機の取水口脇ピットにひび割れがあり高い放射線濃度の水が海に流れ込んでいる。これを吸水性ポリマーでふさぐというニュース。数日前には2号機を除く建屋をすっぽり布で覆うことを検討中というニュースもあった。どうやら空と海への放射性物質の流出のみに眼がいっているようだ。本当にそれだけでよいのか。別のニュースにはしきりに飯舘村が登場する。南相馬市や浪江町に比べ、第一原発より遠く、かつ山が間にありながら、なぜ飯舘村の水道水や土壌についての汚染報告が多いのか。

 以下は素人の想像。原発のある大熊町・双葉町から飯舘村にかけて水みち(地下水脈)が通っているのではないか。放射性放出物の被害想定に水文学的な知見も役立てなくてはならないのではないか。空と海だけではない。地下もまた汚染の対象であり、放射能汚染伝搬のルートになり得るのだ。

 こんなニュースもあった。「東京電力は31日夜、福島第1原発内に約5000台あった線量計が地震と津波で壊れて320台に激減し、チームで作業に当たる際に代表者1人だけに持たせていることを明らかにした」(毎日新聞4月1日)。線量計が「激減」した理由は壊れたことだけではあるまいが、それはおいておくとして、復旧作業が始まれば相当数の作業者が現場に入ること予想されたはずで、300台ではとても足りないことは明らか。なぜその段階で「線量計が足りません」とSOSを出さなかったのだろう。その答えは既に出ている。「一人一人がもつことはない、監督者が代表でもてばいい」。その判断の根底には「被曝線量管理は外部に対する説明のためにのみやるものだ」という意識がある。被曝線量管理を一人一人顔と個性をもった個人としての作業者のためにやる意識が最初からないのだ。

 堀江邦夫の「原発ジプシー」は1978年の秋から翌年の春にかけて、関西電力の美浜、東京電力の福島第一、日本原子力発電の敦賀で現場作業者として働き、その現実をまとめたドキュメンタリーだが、講談社文庫に収める際の「あとがき」の中に、堀江はこんな抱腹絶倒のエピソードを紹介していた。

 原発を去って半年ほどが経ったある日、私は東京の神田に「(財)放射線従事者中央登録センター」を訪ねました。
 ほぼ一年ちかくにわたって体験してきた原発内労働、それによって私の体内にどれだけの量の放射性物質が蓄積したものか、その値(「内部被ばく量」)を知りたいと思いたったからです。
 同センターでは、各労働者の被ばく歴をコンピュータ処理しています。照会にはたやすく応じてくれるだろう。そんな気軽な気持ちで出向いたのですが、しかし案に相違して、「教えられない」とにべもなく断られてしまいました。
 その理由がふるっています。
「プライバシーにひっかかるから・・・」

 堀江は「当人を目の前にして『プライバシー』もなにもあったものではありません」と続けている。彼は責任者に面会し食い下がるが、対応した専務理事は「このセンターは、電力会社やメーカーなどの事業者との契約にもとづいて運営されています。ですから、いくらご当人でも被ばく量は教えられない」と答えた由。

 つまり、労働者たちは自らが浴びた放射線量すらも教えられずにいる、言いかえると、それら被ばくデータはすべて原発推進者たちの手にしっかと握られてしまっている、ということです。
 ・・・(略)・・・
 そして、もうひとつの現実を知っておく必要があります。
 原発の仕事を去った労働者に対しては、医学面での追跡調査すら一切なされていない、との現実がそれです。

 堀江が「原発ジプシー」を出版したのが1979年、文庫化されたのが1984年。それから十数年を経て、この制度がどのように変わったのかは知らない。原発システムの設計思想には信じられないほどの傲慢さから来る杜撰さがあって、今回のこの惨事を引き起こした。原発を運営する制度の設計思想にも根幹に意識的・無意識的な傲慢さが透けて見える。

 原発で働く作業者の離職後のトレースデータすら収集しない体制を当然視する放射線医学の専門家がテレビに出演して、せいぜいチェルノブイリのデータだけを念頭に「ただちに健康に影響があることはありません」と連呼する。彼らは本当に専門家なのだろうか。医療技術者、科学者としての「心」をもっているのだろうか。

 お昼、居間に下りてゆくと、テレビ朝日「スクランブル」に奈良林直という人物が出演していた。北大の先生らしい。「プルトニウムといっても微量です・・・土壌表面ということは核実験で米ソが世界中にプルトニウムをまき散らした・・・」、ははあ、あの時の放射能雨と同じかそれ以下だというのだろうなと思っていると、「その時のものかもしれません」と言った。耳を疑った。そういうロジックか、すごい人もいるものだ。

 奈良林の話によると、プルトニウムは肺に入らなければ大丈夫で、毒性からすれば、ボツリヌス菌の方がはるかに恐ろしく、青酸カリと同程度かそれ以下、たいした毒ではないのだそうだ。思わず、テレビに向かって言った。「それほどおっしゃるのなら、プルトニウムを食べていただいて、ほら、大丈夫でしょとニッコリ笑っていただきたいですな」と。

 奈良林が言っているのは毒としての即効性であって、毒が引き起こす身体の変調のことではない。食べられたプルトニウムは消化器官から吸収されて多くは骨に集まると言われている。何年か後、先生が無事であれば重畳、骨がんなり白血病なりを発症したらお気の毒、いずれにしても、身をもって自分の言葉の真贋をあきらかにしていただくのも悪くはない。(4/3/2011)

 衆議院予算委員会でこんなやり取りがあったという。

吉井:冷却系が喪失するというのが津波による(略)問題、・・・、大規模地震によってバックアップ電源の送電系統が破壊される、・・・、老朽化したものの実証試験を行ったということはどれぐらいありますか
広瀬:実証試験は行われておりません
吉井:東電福島第一の(略)6基では、基準水面から4メートル深さまで下がると冷却水を取水することができないという事態が起こりうるのでは?、・・・、それをどうしていくのか
二階:今後、経済産業省を挙げて真剣に取り組んでまいりますことを、ここでお約束申し上げておきたいと思います
プレジデント2011年4月18日号
藤野光太郎「5年前に指摘されていた福島原発『津波』への無力」から
ロイター「必見連載」への転載

 質問者「吉井」は日本共産党の吉井英勝衆院議員、答弁者の「広瀬」は政府参考人の広瀬研吉保安院長であり、「二階」は二階俊博経産相。このやり取りは福島第一原発が津波をくらった後に行われたものではない。二階が経産相を務めていることでも分るように、2006年3月1日(もう5年も前のことだ)の審議においてなされたものだ。つまり後知恵の話ではない。

 二階は「お約束」をどのように履行したのだろうか。吉井の指摘した可能性に対して、実効のある対策がなされなかったことは現実が証明している。いったい「経産省をあげて真剣に取り組ん」だプロセスがどのようなものだったからこうなったのか、知りたいところだ。

 もうひとつ、きのうの朝刊にはこんな記事も載っていた。

見出し:原発の全電源喪失、米は30年前に想定/安全規制に活用
 東京電力福島第一原子力発電所と同型の原子炉について、米研究機関が1981~82年、全ての電源が失われた場合のシミュレーションを実施、報告書を米原子力規制委員会(NRC)に提出していたことがわかった。計算で得られた燃料の露出、水素の発生、燃料の溶融などのシナリオは今回の事故の経過とよく似ている。NRCはこれを安全規制に活用したが、日本は送電線などが早期に復旧するなどとして想定しなかった。
 このシミュレーションは、ブラウンズフェリー原発1号機をモデルに、米オークリッジ国立研究所が実施した。出力約110万キロワットで、福島第一原発1~5号機と同じ米ゼネラル・エレクトリック(GE)の沸騰水型「マークI」炉だ。
 今回の福島第一原発と同様、「外部からの交流電源と非常用ディーゼル発電機が喪失し、非常用バッテリーが作動する」ことを前提とし、バッテリーの持ち時間、緊急時の冷却系統の稼働状況などいくつかの場合に分けて計算した。
 バッテリーが4時間使用可能な場合は、停電開始後5時間で「燃料が露出」、5時間半後に「燃料は485度に達し、水素も発生」、6時間後に「燃料の溶融(メルトダウン)開始」、7時間後に「圧力容器下部が損傷」、8時間半後に「格納容器損傷」という結果が出た。
 6時間使用可能とした同研究所の別の計算では、8時間後に「燃料が露出」、10時間後に「メルトダウン開始」、13時間半後に「格納容器損傷」だった。
 一方、福島第一では、地震発生時に外部電源からの電力供給が失われ、非常用のディーゼル発電機に切り替わったが、津波により約1時間後に発電機が止まり、電源は非常用の直流バッテリーだけに。この時点からシミュレーションの条件とほぼ同じ状態になった。
 バッテリーは8時間使用可能で、シミュレーションと違いはあるが、起きた事象の順序はほぼ同じ。また、計算を当てはめれば、福島第一原発の格納容器はすでに健全性を失っている可能性がある。
 GEの関連会社で沸騰水型の維持管理に長年携わってきた原子力コンサルタントの佐藤暁さんは「このシミュレーションは現時点でも十分に有効だ。ただ電力会社でこうした過去の知見が受け継がれているかどうかはわからない」と話す。
 一方、日本では全電源が失われる想定自体、軽視されてきた。
 原子力安全委員会は90年、原発の安全設計審査指針を決定した際、「長期間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない」とする考え方を示した。だが現実には、送電線も非常用のディーゼル発電機も地震や津波で使えなくなった。
 原子力安全研究協会の松浦祥次郎理事長(元原子力安全委員長)は「何もかもがダメになるといった状況は考えなくてもいいという暗黙の了解があった。隕石の直撃など、何でもかんでも対応できるかと言ったら、それは無理だ」と話す。(松尾一郎、小宮山亮磨)

 先月23日、**くんに宛てたメールの中で、「反原発屋さんの人々も、地震からの批判は行っていたけれど、津波からの批判は行っていませんでした。ニコラス・タレブのいう『ブラック・スワン』、そのものです」と書いたが、それは間違っていた。

 プレジデント掲載の記事によれば「津波」はけっして「想定外」ということではなかったし、朝日の記事によれば「すべての電源が失われた場合」のシミュレーションも先進国アメリカではなされていた。それを「何もかもがダメになる」というふうに「まるめて」、「やる意味がない」と意識的に退けたのは我が原子力村の住人だったというわけだ。

 松浦よ、おまえの言う「暗黙の了解」をしたのはどういうメンバーなのか。そのメンバーには「原発は安全です」コールに騙された周辺住民は含まれているのかい。原発に疑問を呈していた人々は含まれているのかい。たかだか原子力村の専門バカたちと原子力を食い物にしている連中だけではないのかい。

 一万歩も十万歩も譲って、ごく限られた原子力村のエリートさんたちだけの「暗黙の了解」を許容するとしたら、たとえばの話、必要にして不可欠の冷却機能の保持くらいは「何でもかんでも対応できる」ようにして、はじめて「原発は安全です」と主張できるのではないのかい。

 「ごめんなさい」は言ってくれなくてけっこうだ。エリートとして100%の責任を取ってくれ。口ほどにもない、このていたらくはどうしたことだ。原子炉と心中してくれよ。死んでお詫びをする覚悟もないような中途半端な「エリート」が偉そうな口をきくなよ。

 バグはなくならないとソフトウェアとつきあう人間は知っている。人間の能力には限界がある。原子の火をもてあそぶだけの能力の持ち合わせはない。(4/2/2011)

 "March is the cruellest month" 、そんな3月だった。

 先日、加入手続きをとった国民健康保険の保険証を受け取りに市役所へ。郵送にしてもらえば世話はないのだが、土・日がまたがることもあって手渡しを選択した。10時25分に順番待ちの札をとる。19人待ち。きょう手続きをする人が多いらしく、なかなか順番は来ない。それでも20分待ちで新保険証を受け取る。覚悟したほどのことはなかった。

 きょうからは4月。新年度。日々の記録シートの新年度版を作る。これがけっこう手間。

 年度初め、例年の如く入社式、入省式、入庁式・・・のニュース。インタビューを受けた新人くんの多くに「こういう時期ですから、自分が何をすべきかということをしっかり考えてやっていきたい」という受け答えが目立つ。ステレオタイプ的には「指示待ち世代」と言われてきた若者に対するイメージとはずいぶんに異なる。新人としてスタートを切る職場、震災の影響が大きければ大きいほど、チマチマした新人教育プログラムを実施する余裕はなく、「即戦力」としてステップ応答が求められる。「家貧しくして孝子出づ」という。今年、船出をした新メンバーが、将来、それぞれの組織で一番頼りになる中核として育つならば、これこそ「塞翁が馬」。悪いことばかりが続くことはない。凶事は吉事の因となる。

 **(長男)にウォーキングをとめられて、もうこれで16日経つ。放射能を気にしているわけではない。離隔効果は大きいのだ。もっぱら花粉症を恐れてとりやめているだけのこと。

 雨の日に行っていたステップボードもやっていない。それでも7日間の移動平均値で60キロを切ってしまった。明らかに「オーバーシュート」しているが、原因は不明。(4/1/2011)

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