十六. 星と花
2月26日にはワード氏の愛嬢(ブランシ)が又もやお祖父さんの姿を見ました。時刻は午後七時頃で、彼女は母親のカーリーと共に客間に居たのですが、ふと窓側へ行って暗がりの室内から空を見上げると同時に叫びました――

「アレ! お祖父さまが空を通る! 手に持っている蝋燭の光が星みたいにキラキラする・・・。行ったり来たりしていらっしゃる・・・。もうお部屋へ戻って御本を手に持って勉強していなさる・・・・」

それから直ぐに又、

「アラお祖父さまが又こちらへ向いて来るわ! アラ背後から小さい娘がついて来る。ベッティみたいだけど髪が赤いわ。手に人形を持っているわ。お祖父さまはあの娘の手をとって何とか言っていらっしゃる・・・」

ベッティというのは彼女の従妹で、その時六歳だったそうです。

7時45分頃に彼女は母と庭に出て行ったが、その時も又叫びました。

「ホラあそこにお祖父さまが見えるでしょう。お祖父さまは星を摘んで花束みたいなものにしていらっしゃるが、きっと星と花とを間違えているのだわ・・・。アラ! あの星を花瓶に挿している!」

するとそれから越えて数日、三月二日の晩にワード氏は霊夢状態に於いて叔父さんと長い会話を交えました。愛嬢の星の風評はその時自然に話題に上りました。

ワード「ブランシは先般あなたが星を摘んでいるのを見たと言いますが、そんなことがあったのですか?」

叔父「ワシは花なら摘みますが、星は摘みませんよ――察するところ霊界の花は星のようにキラキラ光っているからブランシはそれを星と見違いたに相違ない。いくらか肉眼でも手伝ったものとみえる・・・」

ワード「赤い髪の娘というのはご存じでございますか?」

叔父「あれは近頃霊界へ来たばかりの娘じゃ。たった一人で寂しそうにしているのが気の毒でつい面倒を見てやる気になってね――近頃はこちらの女学校に通っておる」

ワード「では霊界では男女の合併教育はせぬのでございますか?」

叔父「そういう訳でもない。ある子供達は合併でやっている。類は類を以って集まるの類でな・・・」

ワード「あなたは霊界で大勢の婦人にお会いでしたか?」

叔父「まだ大勢には会いません。先へ行けばもっと沢山の婦人に会われます」

ワード「時に叔父さん、霊界の花は摘み取っても枯れはしませんか?」

叔父「枯れません――枯れる筈がありません。霊界の花はただ形じゃ。いかに摘んでも形は残ります。つまり樹の枝から摘み取ってワシの手に移すまでの話じゃ。樹に付いておろうが、花瓶に挿してあろうが、枯死する気遣いは全くありません」

ワード「目茶目茶に引き千切ったら枯れるでしょうか?」

叔父「ワシ達はそんな乱暴な真似はしません。花は花の権能を持っています。が、いかに千切っても砕いても花はやはり枯れません。そしてやがて又結合します」

ワード「こいつはカーリーから頼まれた質問ですが、あなたは着ている衣服を脱いで他の衣服に着替えることがお出来なさいますか? 私の言葉の意味がお分かりでしょうな?」

叔父「勿論分かっておる。一体ワシの衣服は皆ワシの意思で作ったのじゃ。で、ワシが若し生前の姿になって地上に現れようとすれば、直ぐに衣服はそう変わるのじゃ。生前のように衣服を脱いで着替えるというような面倒な真似は絶対にせぬ。無論ワシ達の衣服は何時まで経っても擦り切れる憂いはない。自分でこのままでよいと思えば何時までもそのままでいる。変えようと思えば即座に変わる。新調の衣服は望み次第、いつでも出来る・・・」

ワード「大変どうも都合がよいものですな。カーリーが聞いたらさぞ羨ましく思いましょう」

十七. 問題の陸軍士官(上・下)
●問題の陸軍士官 上
前回の寧ろ軽い小話の後に引き続いては、例の陸軍士官が地獄から脱出した時の、極めて厳粛な物語が叔父の口から漏らされました。その片言隻語の内にも叔父さんの胸にいかに根強く当時の光景が浸み込んでいるかがよく伺われます。

叔父「雑談はこの辺で切り上げてワシはこれからお前に一つ、重大な事柄を物語らねばならない。実はワシがPさんに会ってから数日経った時のことであった。ワシはワシの守護神に連れられて、一人の霊魂が地獄から昇って来る実況を目撃したのじゃ。後で判ったが、それがあの陸軍士官なので・・・。

ワシは何処をどう通って行ったのか途中はよく判らなかったが、兎も角も突然地獄の入り口に立ったのである。そこはカサカサに乾いた、苔一つ生えていない、デコボコの一枚岩であった。振り返って見ると、自分達の背後には、暗黒色の岩だの、ゴツゴツした砂利道だのが爪先上がりになって自分達の所まで来て、それが急に断絶して底の知れない奈落となるのである。

何しろこの縁を境界として一切の光明がばったり中絶してしまうのであるから、その絶壁の物凄さと云ったら全く身の毛がよだつばかり、光線はあたかも微細な霧の粒のように重なり合った一枚壁を造り、それが前面の闇の壁と対立する・・・。地上では光と闇とは互いに混ざり合い、融け合っているが、ここには全くそれがない。闇は闇、光は光と飽くまで頑強に対抗している。

するとその時守護神がワシに命ぜられた――

「それなる絶壁の最末端まで行って、汝の手を闇の中に差し入れて見るがよい」

命ぜらるるままにワシは絶壁の端に行った。すると守護神は背後からワシの肩に手をかけて、落ちないように支えてくだすった。

驚いたことには闇に突き入れたワシの手首は其処からプツリ切り落とされたように全く存在を失ってしまった。イヤ存在ばかりか感覚までも全く消え失せた。呆れ返った無茶な闇もあればあったもので・・・。

その内闇に浸かった手首がキリキリと痛み出した。それは酷い寒さの為である。

「腕を引っ込めてももう宜しうございますか?」

「宜しい」

ワシはそう聞くなり急いで自分の腕を引っ込めたが、幸い傷も付かずにいたのでホッと安心した。ワシは訊ねた――

「何故ここはこんなに暗く冷たいのです?」

「それは」と守護神が答えた。「信仰の光が地獄には存在せぬからじゃ。又地獄には神の愛も無い。汝は既に霊であるから霊の光と温みとを要求する。あたかも肉体が物質的の温みと光とを要求するように・・・」

闇の壁はやがておもむろに前後に揺れ始めた。ある箇所では闇が光に食い込んでいるが、他の箇所では闇が光に圧せられている。従って光と闇との境界線は一直線ではなく、波状を呈してうねり曲っている。右の動揺が段々激しくなるので、ワシは闇に吸い込まれぬよう、思わず絶壁の末端から飛び退いた。

が、ワシの守護神は落ち着き払って、

「これこれ慌てるには及ばぬ。闇はここまでは届かぬ。ここには堅き信念がある」

成る程その通りで、闇のひだは幾度が左右から我々の立てる場所まで食い入ろうとしたが、遂に我々を呑み込むことは出来なかった。

と、突如として脚下の闇の中から一個の火球が現れ出で、迅速に上へ上へと昇って来るのであった。瞳を定めて凝視すれば、それは赫灼(かくやく)と光り輝く一つの霊魂で、いよいよ上へ昇り詰めた時には、闇はその全身から、あたかも水の雫が白鳥の背から転がり落ちるが如くはらはらとこぼれた。

やがて右の光明の所有者は絶壁の末端に身を伏せて、片腕を闇の中に差し入れた。腕は肩までその存在を失ったが、次第にそれが引き上げられた所を見ると、しっかりと誰かの手を握っていた。闇の中から突き出た手は光ったものではなく、黒く汚れて不健康な青味を帯びていた。

叔父さんはそこまで物語って一息入れました。

●問題の陸軍士官 下
続いて叔父さんは語り出した――

間もなく崖の上に一人の醜穢(しゅうわい)な物体がやっとのことで引き上げられた。両眼は一種の包帯で覆われ、よろよろと力無げにその指導者の側に倒れた。すると指導の天使は優しくこれを助け起こした。

新来の人は暗灰色のボロボロの衣服を纏うていたが、それには色々の汚物が付着し、地獄の闇が浸み込んで脱け切れないように見えた。彼の手足も同様に汚れ切っていた。

「おおひどい光明じゃ!」と彼は呻いた。「包帯をしていても眼にしみてしようがない・・・」

私達にとりては、それはほんのりとした薄明かりで、丁度ロンドンの濃霧がかっている時を思い出させる景色であった。

「どうも酷い汚れようですね。何という汚らしい着物でしょう!」

私がうっかりしてそうPさんに言った。するとPさんはおもむろに口を開いた――

「そりゃ私達の眼には汚く見えます。しかし当人はあれで結構清潔に見えるのです。あなたでも御自分の衣服は清潔に見えるでしょうが・・・」

「そりゃそうでございます」

「ところが、私が見るとあなたの衣服にはかなり沢山のシミが見えます。私の着ている衣服なども、私の守護神にはきっと汚く見えるに相違ありません」

そうPさんにたしなめられてワシは心から恥じ入って、口をつぐんでしまった。

やがてPさんは前方へ進み出でて新来者の手をとって言った――

「ようこそ御無事に! 私はあなたがこの新境涯に進入の好機会に立ち会うことを許されて衷心から喜んでおります・・・」

「あっ先生でございますか! わざわざ私のような者をお迎えに来てくだすってこんな嬉しい事はございません――しかしこの光明は酷いですね! 私は闇の中に戻りたいように思います・・・」

「ナニ少しも心配するには及ばない。光明には直ぐ慣れて来ます――ちょっと御紹介しますが、ここにお見えの方は私の友人であなたを歓迎の為に同行してくだすったのです」

「そう言ってPさんはワシを手招きするので、ワシはその人と初めて握手した。ワシはこれからこの人を陸軍士官と言う名称で呼ぶことにする。

それからワシ達はおもむろに地獄の入り口に達する傾斜地を降り切って、やがて地面に腰をおろした。ここで右の陸軍士官は現世に居った時分の打ち明け話をしたが、それは既に大体お前に通信してある。その際地獄の話も少しは出たが、それは改めて当人自身に物語ってもらうことにするつもりじゃから、ここでは述べまい。身の上話が一通り済んだ時に陸軍士官の守護神がこう言われた――

汝は一切の罪を懺悔したからもう包帯を取ってもこの光明に堪えられる・・・」

そう言って直ちに手づからその包帯を取ってやった。すると陸軍士官は堪らないと云った風に体を地面に押し付けて、両手で左右の眼を覆った。

ワシの守護神は言った――

「さぁこれでそろそろ戻るとしよう」
「この仕官さんはどうなります?」
「後からついて来るであろう。しかし速力は遅い。あの人にはまだ飛べないからな・・・」

ワシ達はやがて空中に舞い上がり、間もなく自分達の懐かしい住所に戻った。陸軍士官は数日後にようやく我々の許に到着したが、それまでには小石だらけの荒野のような所を横断し、更に一帯の山脈を登らねばならなかったようで、その山脈を越すと直ぐに緩傾斜の平原になり、それが取りも直さず、ワシ達の住んでる所であったようである。

この平原を横切る際に彼は罪悪に充ちたるその前世の恐ろしい幻影に悩まされたということで、それはワシが目撃したのと性質は似てはいるが、しかしとても比較にならぬ程一層凄惨を極めたものであったらしい。その際ワシ達にとっては僅々数日の別れであったが、彼自身の感じでは数年も経ったように思われたとのことで、その幻影は今でもなお悪夢式の混沌状態を続けているらしく、従って彼は無論まだ学校にも行かれず、ただぼんやり日を送っている。

これで目下お前と通信を開始しようとしている三人の人達が霊界でどんな状態にあるか大体明瞭になったであろう。しかし霊界の事は中々人間に判り切るものではない。例えばあの地獄の闇の物凄さなどはワシにはとてもその観念を伝える力はない。よしあってもお前がそれを地上の人々に伝えることは不可能であろう。実際それは呼吸を詰まらせ、血潮を凍らせる恐ろしい光景であった。今思い出してもゾッとする・・・」

十八. 守護の天使
叔父さんは一息ついて再び口を開きました――

「今度はお前の方から何か切り出す問題はあるまいかな?」

「ないこともございません」とワード氏が答えました。「私が霊界へ来てこの風景に接するのはこれで三回目でございますが、まだ一度も叔父さんを守護していなさる天使の御姿に接したことがございません。私がここに居る際にはいつも御不在なのでございますか?」

「そうでもない、時々はここにお見えになる。現に今もここにお出でじゃ――守護神様、どうぞ甥の心眼をも少し開いてやって頂きとうございます」

そう言うと忽ち何物かがワード氏の眼の上に載せられたので、ちょっとめくらになりましたが、それが除かるると同時にワード氏は今までとは打って変わり、ずっと視力が加わりました。

ふと気が付くと、叔父さんの背後には満身ただ光明から成った偉大宗厳なる天使の姿が現れていました。その身に纏える衣装はひっきりなしに色彩が変わってありとあらゆる色がそれからそれへと現れる!

叔父さんに比べると天使の姿は遙かに大きい。が、全てが円満で、全てが良い具合に大振り――やや常人の三層倍もあるかと思わるる位、そしてその目鼻立ちと云ったらいかなるギリシャの彫刻よりも美しい。雄々しくてしかも気高い。崇高でしかも優雅である。にやけたところなどは微塵もない。親切であると同時に凛とした顔、年寄りじみていないと同時に若々しくもない顔である。肌は金色――人間の肌とはまるで比べものにならない。頭髪も髭も何れも房々とえも言われぬ立派さである。

余りに荘厳美麗でとても言い表すべき言葉がない位でした。

「疑いもなくこれが所謂天使という者に相違ない・・・」

ワード氏は心の中でそう思うと同時に、日頃の癖で何処かに翼はないものかしらと捜しましたが、そんなものは一つも付いてはいませんでした。

やがて氏は訊ねました――

「私にも守護神があるのでございますか?」

すると巨鐘の音に似たる力強い音声がただ

「見よ!」と響きました。

忽ちワード氏の背後にはもう一人の光の姿がありありと現れました。

大体においてそれは叔父さんの守護神の姿に似てはいましたが、しかし目鼻立ちその他がはっきり違っていました。そして不思議なことにはワード氏は何処かでかつて出会ったことがあるような、言うに言われぬ親しみを感じました。
が、それは驚くべく変化性に富んだお顔で、同一でありながらしかも間断なく変わる。ただの一瞬間だってそのままではいないが、そのくせ少しもその特色を失わない。ワード氏は、若しかしてこの姿を夢で見たのではないかしらと思って見ましたが、どうしても思い出すことが出来ませんでした。髭は叔父さんの守護神のに比べれば余程短かったが、全身からほとばしる光明、人間より遙かに大きな御姿などは全てが皆同様でした。

ワード氏の守護神はやがてその手を差し上げ、例の巨鐘の音に似た音声で言われました――

「もう沢山・・・汝の為に永く見るのは宜しくない!」

再び天使はその手(手であることがこの時初めて判ったのでした)をワード氏の眼の上に置きました。そしてその手が再び除かれた時にはもう二人の天使の姿は消えて、ただ叔父さんと四辺の景色とのみが元のままに残されました。

「今日はこれで別れねばならぬ」

叔父さんはそう言って、忽ちワード氏の身辺から空中遙かに何処ともなく飛び去りました。

ワード氏は四周の美しき景色を見つめつつ深い深い沈思の内にしばし自己を忘れてしまいました。

十九. 実務と信仰
3月9日の夜、例の霊夢の中にワード氏は林間のとある地点で叔父さんと向き合いになって座りました。この日の叔父さんの話は信仰の神髄に関する極めて真面目な性質のものでした――

叔父「ワシはこの辺で充分お前の腑に落ちるところまで信仰と実務との関係について説明しておきたいと思う。信仰というものは全て実務の上に発揮した時に初めて生命があるものじゃ。従って真のキリスト教徒であるならその平生の生活はすっかりキリストの教えにはまり切ってしまわねばならぬ筈で、口に信仰を唱えながら実行の上ではキリスト教の一切の道徳的法則を破りつつある者は単なる一の詐欺師に過ぎない。

但し充分の努力はしても尚且つ誘惑にかかる者は又別じゃ。ワシはそれをも詐欺師扱いにしようとするのではない。それ等の人々は所謂[信仰ありて実務の伴わざる境]に編入される。一番いけないのは日曜毎に規則正しく寺院に赴き、残る六日の間に詐欺道楽の限りを尽くす連中である。この種の似而非(えぜひ)キリスト教徒は千萬をもって数える。これ等が地獄に落ちるのじゃ。行為の出来ていないことが、つまり信仰のない証拠である」

ワード「そう申しますと、人間というものは単にその行為のみで裁かれるのでございますか?」

叔父「イヤその裁きという言葉の意義から第一に誤っておる。普通この言葉は自己以外の何者かが裁くという事に使われるが、それは間違っている。人間は自己が自己を裁くのじゃ。我々の霊魂は自己に適合せる境涯以上には決して上れるものでない。他から規則の履行を迫る必要は少しもない。そのまま棄て置いて規則が自ずと働くのじゃ。この点が明らかになればお前の疑問は直ちに解ける。ここに純然たる物質主義者があるとする。つまり神を信ぜず、又死後の生活をも信ぜず、他人がこれ等を信ずるのを見れば極力妨害しようとする徹底的唯物主義者があると仮定するのじゃ。この人物は決して悪人ではないかも知れぬ。人類の物質的幸福を向上進展せしめんとする高潔な考えで働くところの博愛主義者であるかも知れないのである。今この人物が仮に死んだとする。彼は果たして霊界のどの境涯に落ち着くであろうか? 彼の霊魂の姿は少しも発達していない。又彼は強い光明には耐え得ない。故に上の境涯に進もうと思えば、先ずその霊体を発達せしめて、唯物的観念から脱却せねばならない。別に厳格な審判者が控えていて強いて彼を地獄に落とすのではない。自分自身で勝手に地獄に落ちて行くのじゃ。同気相求め、同類相集まる。信仰がない者は、信仰をもって生存の要義としている境涯から自然に除外されることになる。

故に彼の行く先地は当然地獄の第五部であらねばならぬ。そこには勿論神の愛は見出されぬ。しかしその仲間同志の間には愛があるからそのお蔭で或いはそれから上に登ろうとする念願を生ぜぬものでもあるまい。

若しも幸いにしてその人がここで翻然として霊に目覚めてくれさえすればその進歩は確実であると思うが、兎角唯物主義者は死後も唯物主義的で有り勝ちで困る。極端なところになると、飽くまで自己の死を否定し、自己の霊体を物質的の肉体であると考え、霊界に居りながら依然として地上の生活を続けているように勘違いしている者さえある。よしそれ程でなく、自己の死んだことには気が付いていても、やはり神の存在は飽くまで否定して信仰の勧めに耳を傾けないのがある。何れにしても皆地獄から脱け出る資格がない。とは言うものの、純粋の唯物主義者という者は人が普通考える程そう沢山なものではない。表面には唯物主義者と名乗っている連中でも、腹の底に案外信仰心を持っているのが多い。それ等は当然ワシ達の居住する境涯へ来る。

のみならず、唯物的傾向の人物は死後容易にその幽体を失わずにいるものである。従って彼等は幽界生活中、結構心霊上の初歩の知識を吸収し、唯物説の取るに足らないことを自覚するようになる。

幽体の話が出たついでに幽界の意義を説明しておくが、幽界は幽体を所有する者の居住する世界の総称で、地上境はつまり幽界の一部に過ぎない。

地上境は大体これを二分して肉体のある者と、肉体のない者との二つに分けられる。前者は勿論お前達のような人間であり、後者は地縛の霊魂、その他様々の精霊共である。死者は一度は皆この幽界を通過せねばならぬ。そして幽体を棄てた後でなければ決して霊界には入れない。無論地獄も霊界の一部なのじゃ。

ワシ自身の幽界生活は極めて短いもので、持っていた幽体は殆ど自分の知らぬ間に失せてしまった。一口に言うとワシは幽界を素通りにして地上のベッドから一足飛びにこの麗しい霊界の景色の中へ引越して来たのである。

しかし、あの陸軍士官などの話を聞くと、死後久しい間幽体に包まれていて、それが亡くなる時のこともはっきり記憶しているということじゃ。

これで大抵信仰と実務との関係は明らかになったと思う。お前は早く地上へ戻って安眠するがよい・・・」

そう言って叔父さんがワード氏の前に立って幾度か按手すると、氏は忽ち知覚を失ってしまったのでした。

二十. インスピレーション(上・下)
●インスピレーション 上
3月30日の夜ワード氏は恍惚状態において霊界の叔父さんを訪ねました。二人の立てる場所はとある高い丘の上で、眼下に叔父の住む校舎の塔だの屋根だのが見えるのでした。

叔父「どうじゃ、今日はお前に学校の見物をさせようと思うが・・・」

ワード「至極結構でございますね」

二人はおもむろに丘の傾斜面を降りつつありました。

ワード「叔父さん、今日は私カーリーからの言伝を持って来ているのです。今迄のあなたのお話は少し堅過ぎるから、何ぞ霊界の事情のあっさりした方面――例えばあなた方のやっておられる道楽、遊芸といったような事柄を調べて来てもらいたいという注文なのですが、いかがなものでございましょう? まさかあなた方とて勉強ばかりやっていらっしゃる訳でもございますまい」

叔父「成る程それもそうじゃ。それなら今日はそちらの方の問題を片付けることにしよう。もっとも余り沢山あり過ぎて、ホンの一局部を瞥見(べっけん)するだけの事しか出来まいがね・・・」

やがて二人は校舎の門を潜り、一つの大広間に入って行きました。

叔父「これはワシの入っている倶楽部みたいなところじゃ・・・」

成る程そこには多数の人達が集まって、その中の幾人かがしきりにチェスを闘わしていました。

ワード「中々どうも盛んですな――あそこに居る方は大変上手い手を差しますな」

叔父「あれがラスカーじゃ。お前と同じように、まだ生きているくせに、毎晩ここまで出掛けて来て勝負をやっている」

ワード「余りあの方の腕前が飛び離れて優れているので、私にはとても覚え切れません。霊界に居てさえ呑み込めない位ですから地上へ戻ったら尚更忘れてしまいそうです」

叔父「別に覚えている必要は少しもない。霊界でチェスをやっているという事実を覚えておってもらえばそれでよい」

間もなく二人はそこを出て門を潜りました。

叔父「ワシにはまだ他にも道楽があるから、それを見せてあげよう」

そう言って叔父さんは街を通って、とあるスクエアに出たが、それは文藝復興期の様式に出来ているものでした。とある家の扉を押して内部に入ると、其処は建築事務所で、地上のそれのように少しも取り乱したところがなく、そして図案よりも寧ろ模型品が沢山並んでいました。

叔父「これはワシがある一人の人物と共同で経営している仕事じゃが、生憎相手は目下ある新しい研究に出張中でお前に紹介することが出来ない。その人は十六世紀の末から十七世紀の初期にかけてこの世に生きていたフランス人でイタリイにも行っていたことがあるので、文藝復興期の建築にかけては中々明るい人じゃ。ただ排水工事その他の近代的設備の知識に乏しいので、ワシがそれ等の点を補充してやっている。一口に言うとワシの相棒は図案装飾等の専門で、ワシの方は実用方面の受け持ちじゃ。

大体において霊界はあらゆる美術が地上の者の夢にも考え及ばぬ程進歩しておる。とても比較になりはしない」

ワード「それにしても、何の目的でこんな図案などをお作りになるのです? 霊界でも建築をやるのでございますか?」

叔父「時々は建築をせんこともない。しかし多くの場合において我々は地上の人間に我々の思想を映し、物質的材料を使って建築をやらせるのじゃ。インスピレーションの本源はことごとく霊界にある。天才の作品というものは詰まりその人物の霊媒的能力を活用して霊界の者が操縦する結果である。天才は兎角気まぐれが多く、道徳的欠陥に富んでいるものだが、要するにそれは彼等が霊媒であるからじゃ。善い霊に感応すると同時に又悪い霊の影響をも受け易い・・・」

●インスピレーション 下
叔父さんの言う所には中々油断のならぬ深味があると見て取ったワード氏はなお熱心に追究しました――

ワード「あなたは今インスピレーションの本源は霊界にあると仰いましたが、それはただ文藝方面のものに限るのですか? それとも立派な大発明なども皆霊界から来るのでしょうか?」

叔父「無論文学、美術、音楽等に限らず、機械類の発明なども大概は霊界から来るのじゃ。人間の方で受け持つものはホンの一小部分で、言わば霊界の偉大なる思想を地上生活に上手く応用するだけの工夫に過ぎない。ワシは偉大なる思想が絶対に地上において発生せぬとは断言しまい。しかしワシはそんな実例には一つも接しない。兎に角滅多にないものと思えばよかりそうじゃ。

一体人間の頭脳はかなり鈍くて困るのじゃ。霊界からいかに卓絶した良い思想を送ってみても、どうかすると一番肝要な部分がさっぱり人間の頭脳に浸みなかったり、又とんでもない勘違いをされたりしてしまう。霊界最高の大思想がその為にポンチ化し、オモチャ化する場合がどれだけあるか知れぬ。殊に人間は年齢を取ると物質的になり易く、金満家になるとそれが一層酷い。その結果月並みな、下らない作品ばかりが地上に殖えていくのじゃ。

どうじゃこの寺院の模型を見るがよい。実に見事なものではないか! 様式は文藝復興期のものであるが、従来地上に現れたいずれの寺院よりも立派じゃろうがな。但しワシの相棒は暖房だの点燈だのの観念に乏しいのでワシは目下それらの箇所を修正中じゃ。いずれにしても地上ではとてもこの真似は出来そうにもない。現代はいかにも俗悪極まる時代なので霊界の思想は容易にそれに通じない。よし誰かの頭脳に通じてみたところで実行の機会は滅多にない。美術家の頭脳に比べると金銭を出す連中の頭脳は一層俗悪じゃからな・・・。中世時代に立派な建築物その他が出現した所以もここにある。中世の人間の方が余程物質被れがせず、従って霊界のインスピレーションに対して遙かに感受性を持っていたからである」

ワード「すると地上の人間は割合につまらないことになりますな。偉大なる思想はことごとく偉大なる霊魂からの受け売りに過ぎませんから・・・」

叔父「ところがそれと正反対に、地上の人間の価値は却ってそこにある。偉大なる霊感に接し得ることは、つまりその人の能力が、文藝又は機械の方面に於いて異常に高邁であり、優秀であることの証拠である。それは決して軽視すべきことではない。ここに一人の不道徳で、そしてだらしのない人物があって、大概の事にかけては物質的であるように見えても、もしその人が何か一つでも霊界からのインスピレーションに触れてそれを具体化することが出来るとすれば、その人はある程度まで霊能が発達しているものと見なさねばなるまい」

ワード「しかし思想そのものが人間の頭脳の産物でなく、霊界の居住者から出るのでありますからあなた方がさっぱりその名誉に預からないというのはいささか不都合だとお思いなさいませんか?」

叔父「イヤ少しもそうは思わん。嫉妬だの何だのという娑婆くさい考えは地獄の入り口に置いて来てあって、我々の間にはそんなものは全然存在しない。ワシ達はただ道楽で仕事をするので、財産も欲しくなければ名誉も要らない。自分の力でこんな立派なものを作り得たということですっかり満足している。他にもう一つの希望がありとすれば、それは地上の人達の手伝いがしてやりたい位のものじゃ・・・」