六. 霊界の分野(上・下)
●霊界の分野 上
右の自動書記に引き続いて今度は霊夢式の現象が起こり叔父さんから今度送られるべき通信の内容につきて細々説明がありました。それは1914年1月26日の晩の出来事であります――

叔父「今回ワシ達が自動書記を始めたのは大当たりじゃった。これから自動書記で続き物の通信を送って、一つ霊界生活につきて纏まった記事を作らせることにしよう。段々調べて見ると、今まで有りふれた霊界通信は兎角当人の直接見聞した体験のみに偏しているようじゃ。ワシの意見はそれと違って、自分の体験の外に自分の上に居る者や下に居る者の体験談をも加えて発表したらと思うのじゃ。そうすれば少なくとも三つの境涯の事情が判ることになる。尚ワシの友達で近頃上の境涯に昇った者もあるが、その人が一段上の境涯とも接触を保つつもりじゃというから、ざっとそう云った種類のものが出来上がることになるであろう。勿論ワシ自身の死後の経験も詳しく述べる。一体死んだ時には、さっぱり訳の判らぬことだらけであったが、その後ワシの守護神に導かれて地上に出掛け、他人の死ぬる実況を霊界から見物したので、近頃は大分勝手が判って来た・・・。

ところで霊界の配置じゃが、段々調べてみると大分在来の説明とは相違の点がある。但し昔の教典が間違っているというよりも、教師達の解釈の仕方が間違っているのが多いようじゃ。その中で一番優れたものでも、やっと真理の一面を掴み得た位のものに過ぎない。我々じゃとて、無論一切の真理を掴み得たという訳ではない。真理というものは多角多面のダイヤモンドそっくりで、それぞれの面が真理の一部分を有しているに過ぎない。又その面には大きいのと小さいのとがある。で、どんな小さい教理でも真理の一面をもっていさえすれば生存に堪えるが、ただ真理の要素がまるで欠けている信仰は、とても存在し得ない。成らうことなら其の面は大きいに限る。世界の宗派の中で、ローマカトリック教などは一番真理の面の大きい方じゃが、あれにも決して一切の真理が含まれてはいない。尚霊界には仏教徒が居る。沢山の異教徒が居る。その他ありとあらゆる宗教の信者が居る。我々はこんな宗派被れの境涯から脱却して一切の真理を腹に蔵めることが出来た時に、初めて本当に神の思し召しが判ったといい得るのじゃが、それは前途中々遼遠じゃ。

が、ワシの手に集めた新材料を説くのにも、在来の学説に当てはめた方が理解し易かろうと思われるから、ワシも大体に於いて天国、煉獄、地獄の概念を採用することにしよう。しかし多くの人達の説くところとワシのとは大分文字の用法が違うから、そのつもりでいてもらいたい。大雑把な説明をするには、在来の分類法に便利な点もないではないが、ワシの知る限り、地獄が永久的のものだという証拠は少しも見出し得ない。一時も早くこの考えは棄てるに如(し)くはない。一旦この考えを棄てると共に、この他の問題が判り易くなる。無論地獄という所には大変永く押し込められている霊魂があるにはある。例えばローマのネロなどは現に今でも地獄に居る。そして今後も中々出られそうにない。

しかし地獄から脱出した実例としては、現に先般お前に紹介したあの陸軍士官がある。それを見ても地獄が永久呵責の場所でないことは確かである。ただ地上の人間と交通する大概の霊魂は、地獄へ行った経験が無いので、殆ど地獄の状況を説く者がない。多くの者はその存在さえも知らない。陸軍士官の物語が素敵に面白いは主としてこの点に存ずる。まだワシも詳しいことは聞かないからよく判らぬが、地獄というものは、つまり無信仰者の入って居る所と思えばよいようじゃ。又煉獄というのはつまり我々の境涯を指して居る。何ら信仰の閃きがなければ地獄にやられるが、多少なりともお光に接した者は我々の境涯に入って来る。キリストはわざわざ地獄に降りて、霊魂達に信仰を教えたというが、成る程そんなこともあったろう。今でも高級の霊魂は、宣教の為にわざわざ地獄へ降りて行かれる。

それから天国じゃが、我々には残念ながらそちらのことはまだ一向分からない。天国は上帝と共に在る所――そう思っていれば現在の我々には充分である。ワシなどは煉獄の最下層に居る身の上であるのだから、其処へ達するまでの道中はまだまだ長い・・・」

●霊界の分野 下
叔父さんの霊界の説明は中世期時代の西洋思想――例えばダンテの説いたところなどを引き合いに出しておりますが、これは仏教思想に対照して見ても大差は無いようであります。地獄、浄土、極楽――その概念は右の説明でほぼ明白になるかと存じます。

叔父さんはなお言葉を続け諄々(じゅんじゅん)として地獄の意義その他につきて叔父さん一流の説明を試みました――

「ワシは先刻地獄という言葉を使ったが、その意義を誤解されると困る。ワシはただ「未信者の居住地」という意味にそれを用いている。其処は霊魂にとりて一番の難所には相違ないが、一旦それを越してしまえば、それから先は坂道が緩くなる。又煉獄という言葉も誤解せぬようにしてもらいたい。煉獄というのは我々の霊魂に付着せる浮世の垢を除き去る場所で、苦痛もあるが、同時にまた進歩するにつれて幸福か伴って来る。

ところで、こう言うとお前達がびっくりするかも知れぬが、実は我々とてやはり堕落する虞は充分あるのじゃ。少なくとも前へ進む代わりに後へ退歩する虞がある。煉獄というものは決して安息逸眠の場所ではない。ワシ達は上へ昇るべき努力の為に常に忙殺される。但し我々にはもう色欲の誘惑だけはない。そんなものはすっかり振り落としてしまった。よくよく憐れなる地獄の居住者のみがその誘惑にかかり、依然として煩悩の奴隷となる・・・。何れ詳しい話は後で述べるが・・・。

それからお前に一言注意しておくが、時とするとお前はこの霊界通信の仕事において、つまらないと思うことがあるかも知れぬ。が、こればかりはどうか中止せずに続けてもらいたい。この仕事はワシにとりても中々一通りの骨折りではない。しかしワシは生前の怠慢の罪を償うべく進んでそれをやっている。霊界通信はただお前の利益になるばかりではない。世間の方々も又これによりて多少学び得ることがあろうと思う。

以上述べたところで、大体ワシの目論見は判ったと思うが、兎に角ワシの通信を読まれる者は、成るべく最後の結論を後回しにして、是非種々の条項を比較対照して頂きたい。特にワシの通信中に何も書いてないからというので、ワシがその事実を否定するのであると早合点されては迷惑である。一口に霊界といっても広大無辺の境域であるから、いかなる霊魂にもその中のホンの一小部分よりしか判りはせぬのじゃ――今日はこれでおおよそ言い尽くしたつもりじゃが、それとも何かまだ質問があるかしら・・・」

ワード「霊界に光だの闇だのがあるものですか?」

叔父「お前の思っているような光だの闇だのは先ず無いな。霊界は物質界ではないのであるから、従って物質的の光の存在すべき筈がない。が、一種心の闇というような闇はある。地獄は信仰の無い境地であるから、従って真っ暗である。ワシの居る境地はお前に今実地を見せるから、眼を開けて見るがよい!」

そう言われると同時に、ワード氏の眼には一種穏やかな夕陽の色が映ったのでした。

叔父「これがワシの居る世界の光じゃ。我々は全き信仰に入った者の如く判然と物を観ることは出来ない。ただ一歩進めば進むにつれて光は段々強くなる。光――若しそれを光と言い得るならば――は全て自身の内部にある。今日はこれで別れる・・・」

叔父の姿は次第にワード氏の眼底から消えて、やがて氏ただ一人後に取り残されました。

七. 五歳の女児と無名の士官
ワード氏が右の霊夢を見てから五日目の一月三十日、午後二時半頃、ブランシーワード氏の愛嬢で当時五歳(詳しくは四年三ヶ月)の女児――に不思議な現象が起こりました。

その時ブランシは食堂の窓に乗り出して庭を見ていたのですが、急に「お祖父さまが見える!」と騒ぎ出しました。お祖父さまは例の黒い頭巾を被って、フワフワ空から降りて来て、何やら優しい言葉をかけながら、彼女の手首を握って空中へ引き上げる真似をする。彼女が手首を引っ込めると、お祖父さまはそれを放してあちこちと庭を歩き回り、やがて家の後ろの丘に登り、其処にある大きな岩の上から邸宅中を見下ろしている・・・。

ざっとこういったことをばブランシは一生懸命、指差しながら、折から部屋に居合わせた母親に説明するのでした。その態度がいかにも真面目なので、母親もこれには少なからず感動されたそうであります。なおその晩父のワード氏が戻って来ると、ブランシは詳しくその話を繰り返して聞かせました。彼女は祖父に向かって「おぢいさま今日は・・・」と挨拶すると、おぢいさまはにっこり微笑みをもらし、じっと彼女を見つめたそうであります。

その翌日はシェッフィールドに於けるK氏の住宅で例の自動書記が行なわれましたが、その際右の一些事が質問の種子になりました。当日の質問は左の二ヶ条でした――

一、先日御紹介の陸軍士官の姓名は何と申しますか?
二、あなたは金曜日にあなたのお姿をブランシの眼にお見せになりましたか?

之に対する自動書記の文句は左の通りに現れました。勿論ワード氏に憑って来たのは叔父さんのL氏であります――

「今日は第二の質問から片付けてしまおう。ワシはブランシに会いました。ワシはお前の住宅を一度も見たことがないので、ちょっと行って見る気になったのじゃ。そうすると何時の間にやら其処へ引かれて行った・・・。ブランシの言っていることは少しも違っていません。

それから第一の質問に移るが、どうも困ったことには先方では姓名は絶対に名乗ろうとしない。それには相当の理由もあるようじゃ。しばらくワシが退いて当人自身に憑ってもらって説明させることにしよう。ワシが側に控えているから危ないことは少しもない。安心しているがよい・・・」

K氏は例の通り立会人としてこの自動書記の状況を監視していたのですが、筆記がここまで進んだ時にワード氏の容貌態度等がガラリ一変して、気味の悪いほど興奮した状態になり、鉛筆の持ち方までも変わって来たのでした。その筆跡の相違して来たことも勿論であります。現れた文字は次のようなものでした――

「吾輩は只今L氏から紹介に預かった陸軍士官であるが、姓名を名乗れとはもっての外である。そんなことは絶対にご免被りたい!」

けんもほろろの挨拶で、これが若し人間同志の談判であるなら満面朱を注ぎ、怒髪冠を突くと云った按配であったでしょう。文字はなお続いた――

「しかし吾輩が姓名を隠すについては其処に相当の理由がある。こう見えても吾輩は人の親である。吾輩に一人の娘がある。娘が吾輩如き悪漢の血汐を受けているだけでそれで充分である。その上殺人犯人の娘であると世間に謳わせるのは余りに惨酷じゃ。吾輩が人を殺したことはまだ地上の何人にも知れていない。然るに若しもこの秘密が自動書記ですっぱ抜かれるが最後、誰がそんな者の娘と結婚する者があろう? そんな可哀相なことが出来ますか? 娘ばかりか吾輩には妻もある。その身の上も考えてやる義務がある。吾輩の自動書記が無名であるので価値がないと言うのなら勝手にお止めなさい。しかしそんなことをすれば結局あなた方の損害でしょう。吾輩は言うだけ言ったからこれでL氏と交代する・・・」

ここでワード氏の態度が一変して元の叔父さんの態度になり、次の文句が書き付けられました。

「どうも只今の陸軍将校が姓名を名乗ってくれないのは残念じゃが、しかしあの人の言うことにはもっともなところがあるから、いかに学問の為とはいえ無理にという訳にも行くまい。今回はこの辺で一くさりつけておいて、次回にはワシが憑って、ワシの死んだ時の詳しい物語を書くことにしましょう――これで三十分間の休憩・・・」

八. 叔父の臨終(上・下)
●叔父の臨終 上
前の通信に於いて約束されたとおり、この自動書記は同夜午後八時に始まり、叔父さんは、自分自身の臨終の模様並びに帰幽後の第一印象といったようなものを極めて率直に、又頗る巧妙に語り出しました。「死とは何ぞや」「死後人間は何処に行くか」――これ等の痛切なる質問に対して満足すべき解答を与え、有力な参考になるものはひとり帰幽せる霊魂の体験談のみで、そうでないものは、西洋に行ったことのない人達の西洋物語と同様、いかに巧妙でもさしたる価値は認められません。叔父さんの霊界通信はこの辺からそろそろその真価を発揮してまいります――

「それでは約束通り、ワシ自身の臨終の体験を物語ることにしましょう。ワシは最初全く意識を失っていた。それが暫く過ぎると少し回復して来た・・・。イヤ回復したような気持がした。頭脳が妙にはっきりして近年にない気分なのじゃ。が、どういうものか体が重くてしようがない。するとその重みが次第次第に失せて来た・・・。イヤただ失せるというのではなく、寧ろワシが体の重みの中から脱け出るような気分・・・。丁度濡れ手袋から手首を引っ張り出すような按配になったのじゃ。やがて体の一端が急に軽くなり、眼も大変きいて来た。

さっきまではさっぱり判らなかった室内の模様だの、部屋に集まっている人達の様子だのが再び見え出したなと思った瞬間、俄然としてワシは自由自在の身になってしまった! 見よ自分の体はベッドの上に横臥し、そして何やら光線の紐らしいものを口から吐いているではないか! と、その紐は一瞬間ビリビリと振動して、やがてプツリ! と切れて口から外へ消え去ってしまった。

「いよいよこれが臨終で御座います・・・」――誰やらが、そんなことを泣きながら言った。ワシはこの時初めて自分の死顔なるものをはっきり見たが、イヤ平生鏡で見慣れている顔とは何という相違であったろう! あれが果たして自分かしら・・・。ワシは実際自分で自分の眼を疑いました。

が、そうしている内にもひしひしと感ぜられるのは、何とも名状すべくもあらぬ烈しい烈しい寒さであった。イヤその時の寒さと云ったら今思い出してもぞっとする!」

例によりて友人のK氏並びに他の人達が、ワード氏の自動書記の状況を監視していたのでありますが、この辺の数行を書きつつあった時に、ワード氏の総身は寒さに戦慄し、傍で見るのも気の毒でたまらなかったといいます。

自動書記はなお続きました。

「全くそれは骨身に滲みる寒さで、とてもその感じを口や筆で伝えることは出来ない。何が冷たいと云っても人間界にはそれに比較すべきものがない。ワシは独り法師の全裸体、温めてくれる人もなければまた暖まるべき材料もない。ブルブルガタガタ! イヤその間の長かったこと、まるで何代かに亙るように感ぜられた。

と、俄かにその寒さがいくらか凌ぎよくなって来た。そして気がついて見ると誰やらワシの傍に立っている・・・。イヤワシにはとてもこの光彩陸離たる御方の姿を描き出す力量はない。その時は一切夢中で、トンと見当も何もつかなかったが、その後絶えずその御方のお供をしているので、今では少しは判って来た・・・。イヤ今でも本当に判っていはしない。その御方の姿は時々刻々に変わる。よっぽどよく突き止めたつもりでも、次の瞬間にはもうそれが変わってしまっていて掴まえ所がない。微かに閃く。パッと輝く。キラリと光る。お召し物も、お顔も、お体も言わば火じゃ。火の塊じゃ。イヤ火ではない、光じゃ・・・。イヤ光と云ってもはっきりはしない。しかも一切の色彩がその中に籠っている――霊界でワシを護っていてくださるのはこんな立派な御方じゃ!」

●叔父の臨終 下
「が、ワシが自分の守護神のお姿を認めた瞬間に」と自動書記は書き続けております。「ワシの居った部屋も、又部屋に集まった人達も忽ち溶けて消え失せるように思われた。そしてふと気が付いた時には自分は何とも言われない、美しき景色の中に置かれているではないか!

イヤその景色というのは一種特別のものじゃった。自分が生前かつて行ったことのある名所旧跡らしい所もあるが、同時に一度も見物したことのない所もある。見渡す限り草や木の生い茂った延々たる丘陵の続きで、そこには色々の動物も居れば又胡蝶なども舞っている。あらゆる種類の花も咲いている。それ等がただゴチャゴチャと乱雑に並んでいるのではなく、妙に調和が取れて不釣合いな赴きは少しもない。熱帯産の椰子の木と英国産の樫の木――そんなものが若しも地上に並んで生えていたなら余程不調和に感ぜられるであろうが、ここではちっともおかしく思われないのが不思議じゃった。

で、ワシはここは一体何処かしら? と心に訝(いぶか)った。すると、ワシの守護神は早くもワシの意中を察してこう言われるのであった――ここは死後の世界である。汝はここに樹木や動物の存在することを不思議に思うであろうが、霊界というものは決して無形の世界ではない。かつて汝の胸に宿った一切の思想、又かつて地上に出現した一切の事物は悉(ことごと)く形態を以って霊界に現れている。霊界なるものはそうして造られ、そうして殖える。今後汝の学ぶべきものは無数にある・・・。

そう聞いたワシは、果たして一切の思想が霊界に現れているかしら? と疑った。するとその瞬間に今まで眼に映っていた全光景がパッとワシの眼底から消え失せ、その代わりに千万無数の幻影が、東西南北から、さながら悪夢そのままに、ひしひしとワシの身辺を取り囲んだ。イヤその時の重さ! 苦しさ! 一瞬間以前には胡蝶の如く軽かった自分の体が、たちまち幾千萬貫とも知れぬ大重量の下に圧縮されるかの如くに思われた。

ワシは今止むことを得ず幻影と言っておくが、当時のワシの実感から言えばそれは立派な実体であった――ワシの過去の生涯全部が再び自分の眼の前に展開して実地そのままの活動を繰り返しつつある所の一の活動写真であった。

最初それ等の光景にはまるきり順序がなかった。さながら夢と同じく、全てが一時に眼前に展開したのであった。ああ今まで忘れていた、過去の様々の行為が再びありありと湧き出でた瞬間の心の苦痛悔恨! しかもどんな些細なことでもただの一つとして省かれていぬではないか! 見せ付けられるワシの身にとりては、その間が実に長く長く、さながら幾百千年もそうして置かれるように感ぜられたのであった。

が、ワシの未熟な心にも最後に天来の福音が閃いた。ワシは生まれて初めて神に祈る心を起こしたのである! この時ばかりはワシは真剣に神に祈願を捧げた。すると、不思議なもので、今までの混沌たる光景は次第次第に秩序が立ち、自然と類別が出来て行くように見えた。大体に於いてそれは年代順に排列され、例えば一筋の街道が眼もはるかに何処までも延び行くような按配であった。恐らくその街道はワシが進むにつれて永久に先へ先へと延長し、最後に神の審判の廷に達するのであろう。無論右の光景の中にはワシの疲れ切った魂に多少の慰安を与えるものも混ざっていた――外でもないそれは、ワシがかつて人を救った親切の行為、又首尾よく誘惑を退けた時の心の歓びなどであった。兎に角ワシはこうして、自分の就くべき位置を霊界で割り当てられたのである」

九. 霊界より見た人間の肉体
叔父さんの霊界談は何処まで行っても皆理詰めで、ちと学究くさいが、その代わり誤魔化しがない。ワード氏の質問ぶりもどちらかと言えば地味で、生真面目で、霊界の真相を飽くまで現代人の立場から説明しようとせいぜい努力している様子が明らかに認められます。2月2日夜の恍惚状態に於ける霊夢には、自動書記に関する親切な注意やら、霊界から見た人間の姿に関する面白い観察やらが現れていて、中々有益な参考資料たるを失いません。これが当夜二人の間に行われた問答の筆記であります――

叔父「これから追々例の陸軍士官に憑ってもらって地獄の体験談を自動書記で発表してもらうことになるじゃろうが、それをお前が行なうについては、Kさんその他の友達に頼んで充分監視を怠らぬようにしてもらいたい。この種の仕事には多少の危険が伴うことはどうしても免れないから、くれぐれも油断はせぬことじゃ。もっとも一々ワシの言いつけを厳守してもらえば滅多に間違いの起こりっこはないが・・・。

陸軍士官の通信が一分一厘事実に相違せぬことだけはワシが保証する。あの人のは大部分地獄に於ける体験談であるから、それを書物にして発表する時には、ワシの物語と混線せぬよう、一纏めにして切り離すがよい。ワシのとは違って波瀾重疊(はらんちょうじょう)で、中々面白い。ある箇所などは確かにジゴマ(フランスのレオ=サジー作の探偵小説の主人公)以上じゃ。もっともあの人の地獄の体験と云ったところて、それで地獄の全部を尽くしているという訳ではないに決まっている。あの人の堕ちた場所よりもっと深いところがあるかも知れん。又他の霊魂が必ずしもあの人と同一経験を重ねているとも限るまい。しかしあの人の物語を聞いてみると従来疑問とされた大抵の不思議現象、例えば幽霊屋敷とか、憑依物とか、祟りとか云ったような現象の内幕がよく判る。

兎に角何人がお前の体に憑るにしても、ワシが始終傍についているから少しも心配には及ばない。但しワシの言いつけは固く守っていてもらいたい――何ぞ他に質問することはあるまいかな?」

ワード「叔父さん、あなたが自動書記をしていらっしゃる時に、ここに集まっている人間の姿があなたの眼にお見えになりますか?」

叔父「そりゃ見えます――ただワシが見るのと、お前達が見るのとは、その見方が違います。ワシ達は人間の正味のところを見るが、お前達は人間の外面を見る――そこが大いに相違する点じゃ。例えば人間界で美人として通用する者が、しばしばワシ達に醜婦と考えられるようなのが少なくない。

要するにワシ達は肉体よりは寧ろ霊魂を見るのじゃ。ワシ達から見れば肉体は灰色の凝塊で、丁度レントゲン光線で照らした時に骨が肉を透かして見えるような按配じゃ。勿論精神を集中すればワシ達にも時として肉体がはっきり見えぬではない。しかし正味の醜い人間を美しい者と見ることはどうしても出来ない。彼等の霊魂の醜さが、その肉を突き通してありありと見え透いて、どうしても誤魔化しが利かない・・・。

又ワシ達には単に生きている人間に宿る霊魂の姿が見えるばかりではない。肉体を棄てて独立している色々の霊魂の姿も勿論すっかり見える。不思議なのはある種類の人間だの、又ある特殊の場所だのが色々の霊魂を引き寄せる力があることじゃ。人間の方ではちっとも気が付かずにいるが、霊界から見ると中々賑やかなものじゃ。無論引き寄せられた霊魂には善いのもあれば悪いのもある。酷いのになるとまるで百鬼夜行の観がある・・・」

その晩の問答はここで打ち切りとなり、叔父さんはワード氏に分かれて早速自分の勉強に取り掛かったのでした。

十. 霊界の図表(上・中・下)
●霊界の図表 上
1914年2月9日の霊夢に於ける叔父さんは頗る研究的な態度で、相当苦心の結果に成ったらしい一の図表をワード氏に示し、霊界の組織をはじめ各境の関係交渉等を熱心に説明しました。研究が念入りであるだけ、それだけ読むのに少々骨が折れますが、一旦これを腹に入れておくと色々の点に於いて大変重要であります。

叔父さんは学校の教師然たる態度で次の説明を始めました。

「今日は一般研究者の便宜の為に霊界の区画の説明から始めることにしましょう。さて霊界の分け方はこうである。

一、信仰と実務と合致せる境。
二、信仰ありて実務の伴わざる境。
三、半信仰の境。
四、無信仰の境――地獄。

全て霊魂は幽界(アストラル・プレーン)の最高の境涯――即ち卒業期に達した時に言わば二度目の死というべきものに遭遇する。換言すれば其処で幽体を放棄してしまうのである。が、ここまで向上した霊魂はむしろ幽体を失うことを歓んでいる。地上の人間が死を怖れるのとは大分訳が違う。それだけの準備が出来ていない霊魂は決して幽界の境界線を越すことは出来ない。

さて死者の霊魂が一旦幽界を出て霊界(スピリット・プレーン)に入ると、もう後へは戻れない。宇宙間は幽界までも入れて全て七つの世界がある。七つの中の最上界は無論上帝と共にあるところの理想境である。

ワシの居る霊界は第六界で、即ち幽界の次の世界である。ワシ達は時節が来るまで第五界には行かれない。が、一旦行けばもう二度と戻れない。

しかし、この規則には多少の例外が設けてあって各界の間に全然交通が途絶している程ではない。何ぞ正当の理由があれば上界の使者がワシ達の許に送られる。丁度我々が何かの理由で時とすれば地上に姿を現すのと同様じゃ。

が、それよりもっと普通の交通法は霊媒を用いることである。ワシ達がお前の体を機関として人間界と交通するのと同様に、第五界の者はワシ達の中から適当な霊魂を選んで、それを媒介として交通を試みる。従って第五界発の通信が人間界に届くまでには途中で二人の霊媒が取り次ぎをせねばならぬ。

第六界に属するそれぞれの境は更に幾つかの部に分かれ、その各部は又幾つかの組に分かれる。よく呑み込めるように、ワシは霊界の図表を見せてあげる」

叔父さんの話が其処まで進んだ時に大きな一枚の紙がワード氏の眼前に現れ、それには霊界の図表が書いてあったが、紙の地質は暗灰色で、それに火の文字が極めて鮮やかに浮き出ていたそうであります。
図表
●難しい漢字の解説(管理人調べ)
猶太=ユダヤ
囘=イスラム
浸禮=洗礼?=バプテスマ(キリスト教の一派を指すのか?ちなみにバプテスマはキリスト教の儀式)
沸教=仏教
萬有=万有(草も木も一切神とみる見方)
白晝(はくちゅう)=昼間のように明るい、という意味だと思われる。

●霊界の図表 中
叔父さんは右に現れた霊界の図表を指しながら、なお熱心に説明を続けました――

「勿論これは大よその図面であって、出来るだけ簡単にしてあるから、小さい宗派の名などは一つも載せてはない。しかしこれでも気をつけて見れば余程手掛かりにはなるであろう。

言うまでもなく図に示してあるのは状態の区別であって場所の区別ではない。お前も既に知っている通り、霊界に場所などは全然無いからな。それから宗派などは実際は大変入り込んでいるもので、中々簡単に図で表せはしない。例えばイスラム教神秘派の教理は明らかに萬有神教と類似点を有し、又モルモン教がイスラム教と一致点を多量に持っているの類じゃ。そんな箇所は観る者の方で適宜に取捨判断してもらわねばならぬ。

これと同様に、我々霊界の居住者とてただ一箇所に噛り付いてばかりはいない。必要に応じてあちこち移動する。例えば例の陸軍士官などは大抵は半信仰の境の第一部に居るが、時とすればちょいちょい第二部にも顔を出す。

ワシなどは現在主として第二部の方に居る。ワシが第一部に居たのは、自分の心持では何年も滞在したように感じられたが、人間界の時間にすればたった四、五日位のものであった。

ところで、ここに一つ是非とも注意してもらわねばならんことは、霊界の仕事と人間界の仕事とがあべこべになっていることじゃ。霊界の仕事というのはつまり精神の修養で、遊びというのが人間界の所謂業務に相当する。我々肉体のなくなった者は衣食住その他一切の物質的問題に関与する必要がなくなっている。しかし道楽で我々は、自分と同一趣味、同一職業の地上の人間と交通接触し、頼まれもせぬくせにその手伝いをしたり何かする。勿論道楽でやるのであるから宗派の異同だの、信仰の有無だのには一向頓着しない。こいつも一つ図面で見せることにしよう」
図面
又もワード氏の眼には火で描かれた別図が現れました。叔父さんはそれを見ながらしきりに説明を進める――

「例えばワシが建築に趣味をもっているとする。他に一人の彫刻家があって、その人も又別の見地から建築に趣味を有するものとすれば、ワシと右の彫刻家とは、建築という共通点で交通を開くことになる――ざっとそう言った関係から霊界と人間界との間にも交通が開けて行こうというものじゃ。

お前にはもうワシの言葉の意味がよく判ったようであるから説明はこの辺で切り上げておくが、兎に角こんな按配式で、霊界に来てたった一つの仕事にしか趣味を持たない者は甚だ知己が少ないことになる。趣味というものは中々有り難いもので、たとえ宗教上にはまるきり相違した関係をもっている者でも、趣味のお蔭でいくらでも接触することが出来る。道楽もきれいな道楽ならば決して悪くないが、女道楽、酒道楽――そんな欲望を相互の共通点として交通することになると所謂魔道へ堕ちて地獄の御厄介にならなければならない。そんな話は陸軍士官のお手のもので、何れ奇談百出するであろう。ワシの道楽はせいぜい建築道楽、チェス道楽位のものであるから、あっさりしている代わりに現代式の強烈な刺激はない・・・」

●霊界の図表 下
「我々の趣味道楽はざっと右に述べた通りじゃが」と叔父さんは言葉を続けました。「本業の精神の修業となると中々やかましい。精神の修養には宗教問題が必然的に伴って来る。我々半信仰の境涯に居る者には、宗教的色彩が頗る曖昧である。それを充分見分けるだけの能力が具わってはいないからである。が、一旦上の境涯に進み入ると宗派的色彩が大変鮮明になって来る。いつかも説明した通り、真理というものは多角多面のダイヤモンドで、それぞれの面にそれぞれの真理がある。その一面の真理を掴んでいるのが一つの宗教であり、誰しも先ず一つの宗教を腹に入れ、それを土台として他の方面の真理の吸収に進んで行くのが順序であるらしい。

が、宗教宗派の異同対立は要するに途中の一階梯で、決して最終の目的ではないらしい。人間が発達するに連れて真理の見分け方が厳密になる。一つの宗教の生命たる真理の部分だけは保存されるが、誤謬の箇所は次第に振り落とされて行く。最後に到達するのが神であるが、神は真理そのものである。

結局霊界の最高部に達すると再び宗教の異同などは問題でなくなって来る。一遍宗教に入ることが必要であると同時に最後に宗教から超越することが必要なのである。宣教の為に地獄の方に降って行く者は宗教を超越するところまで達した霊魂でなければならない。イヤ霊界の最高部の者でもまだ充分でない。それ等はやっと地獄の入り口、学校の所までしか降ることを許されない。地獄のどん底までも平気で宣教の為に降りて行くのは光明赫灼(かくやく)たる天使達で、それは霊界よりずっと上の界から派遣されるのである。霊界の者があまり地獄の深い所まで降るのは危険である。地獄の学校へ行ってさえも、現世的引力が中々強く、その為に自分の進歩を何年間かフイにしてしまうのである。

学校は大別して成人組と幼年組との二種類に分かれる。幼年組というものは、夭折して何事も学び得なかった幼児達を収容する場所で、科目は主として信仰に関する事柄ばかりである。霊界では読書や作文の稽古は全く不必要で、そんなものは人間界とは正反対に、純然たる娯楽に属する」

ワード「幼年組の教師は?」

叔父「それには霊界の最高部に居る婦人達の中で、生前育児の経験を持たなかった者が選び出されるのじゃ。こうして彼等は婦人の第一本能たる母性愛の満足を求める。その他生前教師であった者、牧師であった者もよく出掛けて行く。時とすると、行ったきり長い長い歳月の間、まるで戻らずにおる者もある。霊界では他人を教えるのは一の道楽であって、決して業務ではないのである。

最後にワシはくれぐれも断っておくが、ワシがお前に見せたあの霊界の図表は決して固定的のものではない。地上にも相当流点はあるが、霊界の方では尚更そうである。鉄の鋳型にはめたようにあれっきり造りつけになっていると思われては大いに困る――ワシは大概これで説明するだけのことは説明したと思うが、何ぞお前の方に訊きたいことがあるかな?」

ワード「あなたは先刻成人組と仰いましたが、そこでは何を教えるのです?」

叔父「信仰問題に関して大体の観念を養ってやる所じゃ。其処に居る者はただぼんやりと信仰でもしてみようかしら位に考えている連中に過ぎない。彼等の眼には生前犯した罪悪の光景が映っても、なぜそれが罪悪であるかがはっきり腑に落ちない。信仰にかけてはまるで赤ん坊なのじゃ」

ワード「それなら何故幼年組と別々に教えるのです?」

叔父「それは当たり前ではないか。信仰上又は道徳上の知識に欠けているという点に於いては双方似たり寄ったりであるが、一方は何ら罪穢れのない赤ん坊、他方は悪い事なら何もかも心得ているすれっからし、その取り扱い方も自然に異なると言うものじゃ――今日はこれだけ・・・。いずれ又出掛けて来る・・・」