第51章 失明の父
この部族の中では、イエスはよそ者扱いされていた。彼の話すことが一風変わっていたからであった。それに彼らは町の者をひどく嫌っていた。時々彼らは市場に手造りの道具類や、駱駝の毛、壺、鉄製器などを売りに行くと、町の者から野次られたり軽蔑されたりした。

それでイエスも彼らが嫌っている町の住民の一人のように思われていたが、うわべでは愛想よく応対していた。イエスは〝神の旅人〟と呼ばれ、部族の長の食卓に座った。彼らの食事はとても貧弱で卑しいものであったが、この神の旅人に対しては、おいしいバターなど、とっときの栄養物が与えられた。

イエスはみんなと同じ食物、蝗(イナゴ)やなつめ椰子を食べたいと言ったので彼らを怒らせてしまった。ヘリはイエスに

「お前は彼らに恥をかかせるのか」と言いながら、彼らの行為を素直に受けるように教えた。イエスは何事もヘリの言う通りに従った。

三日目の夜になってから、ヘリはイエスに部族の規則(キマリ)について説明した。

「彼らはお客を一週間だけかくまうことになっている。一週間が過ぎたら、水筒に水を入れ、旅に必要なものを入れた袋を持たせ、神の御加護を祈りながら出発させるのだ。

しかし、お前が彼らのために、何か役立つものをもっていることが証明されたなら、彼らは居残ることに同意して部族の一人として迎えてくれるのだ。そこでお前はどうするかね。部族の一人として残ってもいいし、出て行ってもよいが」

「僕はここに残っていたいんです。そして彼らの生活の知恵を全部吸収したいんです。そうしたら僕はそのお礼に、彼らのために尽します」ヘリは言った。

「そうか、それがよかろうな。しかし彼らは何かの特技か、霊的な力を要求するだろうがね」さて、イエスは早速仕事場に連れていかれた。部族の者たちは、駱駝の鞍を木で作る仕事を与えた。粗末な道具しか無く、削りそこなった鞍は凸凹が多くて到底生きた驢馬の背中にはのせられなかった。木工作業は見事に失敗した。

次に鍛冶屋の仕事にまわされた。そこでは牧者が牛の飼料を運ぶ道具や女たちが薪を伐採する斧を作っていた。そこでもイエスの手伝いは必要ないと言われた。そんな訳で、部族の長は、イエスに部族の仲間にはなれないという宣告を下した。それで一週間以内にここを出て行くように言い渡された。

ところがその頃になって、イエスはとても大切なことを発見していた。かなりの子供や若者が、強い太陽光線や不潔な蠅で目をやられ、失明していることに気がついた。そこでヘリと一緒に不毛な荒野を歩き回り、鳥が殆ど食いちらした裸山の裂け目の間に薬草が生えているのを見つけた。

この薬草をつんできて、これを鍋で煎じ、その汁を失明した人たちの目にぬった。次の朝になると瞼の上に鱗のような薄い膜ができており、膜がおちるとすっかり見えるようになっていた。彼らには信じられない奇蹟であった。救われた者たちが喜びの声をあげながら、イエスを肩の上にのせ、部族の長、ハブノーの処にやってきた。

十二人の失明者がこの客人の手によって奇蹟的に救われたことを知ったハブノーは、わざと心を鬼にして彼らに言った。

「これはあの少年に薬草の作りかたを教えたヘリの手柄だよ」

ハブノーは、イエスを部族の仲間に加えたいと言っている十二人の要求をがんとして退けた。これは実に無慈悲な判決だった。一族を率いる指導者にとって、この暑い夏の日々には、乏しい食料と水は黄金よりも大切なものであった。余程の才能の持ち主でない限り同居は許されなかったのである。

ハブノーのテントの中には、洗いたての羊毛のような真っ白い髭と頭髪をはやした老人が座っていた。額のしわは深く、かなりの高齢者であることが一目でわかった。昔は立派な顔立ちであったが、今では目が見えなくなり、暗い所でじっと座り続けていた。ハブノーがイエスに言った。

「私の父があなたに大変興味を持っています。私が席をはずしますから、どうか父と話し合って下さい」イエスは老人のもとに座り、かさかさと木の葉がゆれるような声を聞き入っていた。

この老人はどうやら平和について語っているらしく、様々な質問をイエスになげかけるのであった。遂にイエスの口はゆるみ出した。イエスはナザレを出て以来、ナザレ人から悪しざまに言われてきた霊の働きや理性のことは、二度と口にすまいと決心していた。しかしこの失明した穏やかな老人は遂にイエスからことばを引き出したのである。

イエスは間もなく、農夫の話やガリラヤの葡萄畑やオリーブ畑の話を始めた。老人の心は大きな高まりを覚えた。彼の息子ハブノーが戻ってきたとき、老人は息子に訪ねて言った。

「お前はこのお客様をどうするつもりかな?」
「私は彼の家に帰そうと思っています。彼はわが部族には余り役立たない職人のようですからね」

「この御客様をわしのそばにおいてくれないか。彼は私に黄金のような立派な話をしてくれたのじゃ。しかも彼の手がわしの体に触れると徐々に力が湧いてくるのじゃ、不思議なことじゃ。本当に彼の話はすばらしい!! わしの僕として迎えたいのじゃが」

ハブノーは父を喜ばせたいと望んだので、イエスを部族の長(カシラ)のテントの中に住まわせることにした。日が経つにつれて、イエスはこの部族の隠された部分を知るようになった。彼らの短所と長所は、町の人とは違っていた。ひどく荒れると、彼らはお互いを殴りあったり蹴ったりして烈しい気性をあらわすのである。

ある晩のこと、イエスは鍛冶屋がパンを盗んだ泥棒に槍をふりまわして脅迫するのを見ていた。怒りのあまり彼はその男を殺してしまった。しかしこの鍛冶屋は優れた職人であったので、その行為は不問になった。

ハブノーはこの鍛冶屋が造った道具、草刈鎌、槍、斧などがよく売れることを承知していた。それでカインのように親族を殺害したにもかかわらず、無傷のまま不問となった。

部族が流浪の途中で数日間の休みをとる夜には、音楽を奏で、メロディに合わせてとびまわり、異常な興奮状態になるのであった。奇声を発し妙なステップを踏んで踊るのである。ある者は女を求めて欲情をあらわにした。イエスはこのような邪悪なことは、ガリラヤでは見たことがなかった。

このように荒々しく、平気で罪を犯す連中ではあるが、この部族の人々の心に一片(ヒトカケラ)の悪意も見いだすことができなかった。彼らは卑しい言葉を口に出さず、イエスには親切で、彼を心から褒めたたえた。彼ほど歴史に詳しい者を知らないと言って驚嘆していたからである。その上彼は、多くの病人を癒し、女や子供たちには優しくふるまった。

第52章 砂の上に書いた文字〝メシヤ〟
流浪の部族は、イスラエル十二支族の子孫であったが、ユダヤ人の間では大変嫌われ、浮浪者と呼ばれていた。彼らは自由気儘に暮らしていたので一般の厳格なユダヤ人の目には汚らわしく思えた。彼らはモーセによって与えられた形式的な儀式や祈祷を守らなかった。

失明した老人は、いつしかイエスに心を許すようになり、遂に今まで滅多に口にしなかった先祖のことについて話し出した。

「わしはエルサレムで生まれた、れっきとしたユダヤ人で、しかもパリサイ派の家で育った。ところが此の地に移住した者は何もかも失くしてしまったようで本当に悲しんでおるのじゃ。祭りの日は守らず、祈りもせず、モーセの律法による潔めも全くやらないしまつじゃ」

「イエスは、ゆっくりとした調子で答えた」

「そんなことを悲しまなくてもよいんです。内面的なお恵みは、先ず神様から与えられ、その後で外面的に〝徴〟(しるし)として現れてくるものです。あなたの部族は断食や長たらしい祈りはささげませんが、とても気高い幻を持っておられます。悔いる心も持っているし、とても謙虚です。

それは多くの誇り高いパリサイ人でも足元にもおよびません。いやエルサレムにいるパリサイ人だけではありません。ガリラヤにいる律法学者や敬虔な人と言われている人たちにも及びません」老人が言った。

「わしは失明を理由に、あの連中が何をしているか、わざと知らないふりをしているのじゃよ。けれども彼らは憎み合ったり、色事に耽ったり、ろくなことしかしていないとハブノーが教えてくれるのじゃ」

「たしかにそうかもしれません。でもそれだけではないようです。なかにはとても気高い幻を持った者がいることも事実です。僕がここに来た最初の頃ですが二人の男が喧嘩をして倒れてしまいました。二人とも激昂し、刃物で相手の胸を刺しあったのです。それからというものは、この二人はしょっちゅういがみ合っていました。僕は二人に言いました」

「敵を愛するのです。あなたを害するものを祝福してあげなさい。そうすれば部族の長ハブノーやみんなに神様の御恵みがあたえられるんですよ!」

彼らは憮然として私をにらみつけていました。それから暗い表情で二人とも歩き出したのです。どんどん歩いているうちに最初の男は疲れてしまい、砂の上にねころんで眠ってしまいました。いがみ合っていた相棒は、この時とばかり寝ている男の水筒を盗んだのです。

水筒には彼が大事にとっておいた最後の飲み分しか入っていませんでした。夜になってから目をさました男は、自分のパンを相棒に分けてあげました。相棒は食糧を一つも持っていなかったからです。相棒はひったくるようにパンにかじりつきました。食べ終わった男は笑いながら言いました。

「お前は馬鹿なお人好しだ」それからまたパンをくれた男を殴りつけたのですが、殴られた男はそのまま寝込んでしまいました。夜になりとても寒くなりましたが、下着しか身につけていないこの男はすっかり風邪をひいてしまい、明くる朝には熱を出してしまいました。そこに部族の者がやってきて、殴りつけた男に言いました。

<お前は我々の仲間にひどいことをしたもんだね>と言って軽蔑のかぎりをつくして彼をなじったのです。すると彼は突然人が変わったように、熱を出している男のそばに行き、彼に水を飲ませ、暖かい食べ物を作り、一生けんめい介抱したのです。

遂にこの二人は、敵だった二人は、お互いに愛し合うようになり、部族に大きな影響(平和)をもたらしたのです。

ハブノーのお父さん! 僕に答えてくれませんか? この二人は祭りや断食を守らず、長い祈りをしなかったからという理由で、最後の審判の日に裁かれるでしょうか? それとも私が知っている律法学者が、同じ審判の日に、彼の思いや言葉には一片の慈悲もなく、自分以下の者を軽蔑したり憎んだりした者が、モーセの定めた儀式や祈祷を忠実に守ったからといって神様の救いにあずかれるのでしょうか? さあ! 僕に答えていただけませんか!!」

老人は微笑をたたえながら言った。

「審判の日には、この二人の男が先に救いにあずかれるとも! お前は大変な目利きのようじゃ。おねがいだから、あんたの本当の名前と正体をわしにあかしてくれないか。わしが思うに、きっとお前さんは、この悩める時代にイスラエルの光として再生してきた立派な預言者ではないのかね?」

イエスは何も答えなかった。そのかわり、手にしていた杖で砂(1)の上に字を書いた。しかしそこに居合わせたものは誰一人としてその名前を読める者はいなかった。その文字は、メシヤ(キリストの意)を意味する隠語であった。

後になって、その文字を見た弟子は、二度とそれを口にすることも見ることもしなかった。その意味があまりにも恐ろしかったからである。

(註1)
当時は箱の中に砂を入れて、教師が砂の上に字を書き、生徒がその上をていねいになぞって字を覚えていた。従って推測ではあるが、イエスはこのとき砂の入った箱の中に字を書いたものと思われる。大事に保存されていたのであろう。(訳者註)


第53章 感動の奇跡
夏が終わろうとしている頃、この部族は盗賊に襲われた。多くの者が負傷し、二、三人の者が殺された。牛や驢馬も略奪された。その後食糧不足の時期に入り飢えに苦しめられた。しかし着るものや食べ物をすべて平等に分け合って危機を乗り越えるのであった。

彼らは砂漠と町の接する地点に移住して、稼ぎの仕事を始めた。壺や鍋を作っては町の人に売るのである。みんな一生けんめいに働いた。そうこうしているうちに春がやってきて、再びアラビアの奥地へと帰っていくのである。彼らには砂漠が我が家であったので大変うれしかった。

失明の老人はイエスに自分の本心を打ち開け、深い悲しみに苦しんでいることを語った。

「長い年月の間、暗黒に閉ざされ、孤独のどん底に突き落とされ、神を疑うようになりました。わたしはこんな年齢になっても、まだ失明をあきらめることができないんです。ひょっとしたら、日の出や日没の美しさ、荒野の絶景、勇敢な男たちの姿、女の愛らしさ、働く喜び、愛と談笑の歓びなどが見られるかもしれないってね。

でもこのような人生の豊かさや喜びも失明によってすべて奪われてしまいました。なんと苦しいことか、その言葉もありません。そんなことで、私は造り主であられる御方の慈悲というものを疑うようになり、神様はなんと惨い御方かと思うようになりました」イエスは何度も説得するのであるが、老人の憂愁を払いのけることはできなかった。

それからというものは、イエスはみんなから離れ、一人で祈り、断食を始めた。今や彼は、再び癒しの霊力を求める準備を開始したのである。

彼は、あの忌まわしい公衆の面前で、天の父よと口に出して祈ってから久しい間ひとことも天の御父のことは口を閉じて語らなかった。しかし今度だけは、砂漠の谷や禿山の頂上に立って、大声で〝天の父よ〟と叫び続けた。

ある晩のこと、ヘリはイエスのあとを追い、大きな石の陰から彼を見守っていた。暫くすると声がして、イエスが一人しか居ないのに、二人の人影が見えた。二人はあちこちと歩き回っていた。ヘリは耳を長くして話し合っていることを聞き取ろうとしたが、なま温かい微風にさえぎられてよく聞き取れなかった。

そのうちイエスの方が仲間から離れ、足早に駆け出していった。夕暮れの陽光が見知らぬ人のまわりを包み、その方と光が溶けあったかと思うと人影が消えて光だけになってしまった。

ヘリの目は幻影を見損なうような節穴ではなかった。イエスの体からは、星の光のような輝きが発射され、ヘリは我を忘れて見とれていた。イエスは、ヘリが感嘆の叫び声をあげたのも気付かずに、一目散に駈けおりて、夕陽に赤く染まっている流浪(さすらい)の部族のテントに向かっていた。ヘリもイエスのあとを追いかけた。

イエスは一気に部族の長ハブノーのテントにやってきて中に入り、失明の老人の手をとった。いつもは薄暗いハブノーのテントの中が星のきらめきのように明るく輝いていた。

イエスの手が老人の目玉に三度触れた。触れるたびに彼は鋭い命令を発した。
「開けよ!! 汝を愛する人々並びに汝が愛せし大地を見よ!!」

それからイエスは、老人をテントの入り口まで連れて行き、三度目の命令を発したときは、その声が余りに大きいので、集まってきた人たちが、しーんと静かになってしまった。みんなが一斉に敬愛してきた老人の方を見守った。みんなは総立ちとなった。老人は両腕を大きく広げながら彼らの方に歩いてきた。

「我が子等よ!! わしは再び見えるようになったのだ!! このガリラヤの若者が、わしの目の上に手をおいてくれたくれたのだ!! 見よ!! たちどころにわしの目が見えるようになったのだ!!」

大きなどよめきが起こった。喜びのどよめきであった。老人は部族の一人一人の名前を言いながら挨拶をかわした。彼らの服の色、目の色、背丈の大きさなどを口にしながら。

部族の長は最初のうちは我と我が目を疑っていたのであるが、この段になって、イエスが本当に父の目を開けてくれたことを信じた。

よく晴れた夜、人々は踊り、歌い、この偉大なる奇蹟を祝う祭りを行った。この時に初めて彼らはイエスを兄弟として賞賛し、彼を抱擁し、真に部族の一人として容認した。

イエスが寝ようとしているときにヘリが彼に尋ねた。

「あの山でお前のそばに立っていた御方は誰だったのかい? その方は何という御方なのかい?」

「僕はその方の名前は知らないんだよ、ヘリ」

「では、どうしたら、あの輝きの正体を探し出せるのかを教えてくれよ」

「自分自身で探すしかないよ、ヘリ! あふれる生命と喜びが、今ようやく僕のものになったんだよ! この生命と喜びが、人々の理解をへて平和をうみだすんだよ」

第54章 あなたの名は?
星屑が空で光を失い始めた頃、老人はむっくりと起き上った。音をたてないように、眠っている息子のそばを通り、部族のテントへ向かった。

誰も起きているものはいなかった。見張り番の二人の男も、消えかかった焚火のそばでうたた寝をしていた。老人は足取りも軽やかに、雑魚寝をしている者の中にイエスを探し歩いた。イエスを見つけると腰をかがめ、耳元でささやいた。二人は静かにそこを離れ、砂漠を通って例の山に登った。

東の空が明るくなってきた頃、老人は立ち止り、顔を東の方へ向け、造り主なる神に感謝の叫び声をあげた。長い歳月の末に、自分の肉体の窓を開けて下さったこと、こうして日の出の栄光を崇めることができたことを深く感謝した。

「わたしは二度とあなたのことを疑うことはいたしません! 私は心からあなたを崇めます。私はあなたの御前にひれ伏します。

聖にして、言葉に尽せぬ御方よ!! たとえ今この瞬間にお迎えが来ても、私は文句を言わず、喜んで参ります。あなたの計り知れない慈悲によって、あの山々や、人々の顔、あらゆる美しい大自然を再び見せて下さったのですから、まことに私はあなたを信じ、心安らかに喜びをもって、眠りにつくことができます!!」

これらのことを語り、祈ってから二人とも沈黙を続けていた。
畏敬の念が二人をすっぽりと包みこんでいた。東の空は燃え始め、大輪の花のように色付き、全天がきらきらと輝いていた。

突然、老人がイエスに向かって尋ねた。

「あなたの名前を聞かせて下さい」

「もう御存知ではありませんか! 僕の名はナザレのイエスですよ」

「そうそう、ナザレのイエスとは、救世主(キリスト)となられるイエスだね」

老人がこう言ったとき、若いナザレの少年の顔が暗くなった。

「そうではないんです! 今はまだそうではないんですよ!」

少年は悲痛な声を出し、体を震わせながら、光が射しこんでくる東の方に向き直った。暫くして再び平和が戻ってきた。彼は、ぽつりと言った。

「あなたの御意心(みこころ)が行われますように!! 私のではなく!!」