神と人間のはざまで
ジェラルディン・カミンズ(著)
山本 貞彰(訳)
発行所 潮文社
新装版 2007年1月1日
求道者としての極限を生きた
〝人の子〟イエスの実像 近藤 千雄
序文E・B・ギブス
〝The Manhood of Jesus”
By Geraldine Cummins
First Edition 1949
Second Impression1949
Third Impression1963
Psychic Press Ltd., London
目 次
〝人の子〟イエスの実像
序文
第1章 隠者との出会い
第2章 隠者の変容
第3章 破られた農夫の夢
第4章 ナザレの家族たち
第5章 家族との再会
第6章 父と母に孝養をつくす
第7章 母との別離
第8章 悪霊を追い出す
第9章 無慈悲な故郷
第10章 盗賊に襲わる
第11章 愛する弟子ヨハネとの出会い
第12章 偉大な愛
第13章 イエスの変容
第14章 人の生命とは
第15章 闇の子と光の子
第16章 人の手によらぬ本当の神殿
第17章 しばしの別れ
第18章 異教の町、ピリコ・カイザリア
第19章 とけない謎
第20章 アサフの真心
第21章 一羽の雀でさえも
第22章 狼から羊をまもる
第23章 天国はどこに
第24章 砂上の楼閣
第25章 良い羊飼い
第26章 バルトロマイの弟子入り
第27章 故郷ナザレに帰る
第28章 イスカリオテのユダ
第29章 ユダの野望
第30章 熱心党の密談
第31章 野望の結末
第32章 失意の旅立ち
第33章 エッセネ派での修行
第34章 良きサマリア人
第35章 使命にもえる
第36章 イエスの受洗
第37章 洗礼者ヨハネの死
第38章 ユダの正体
第39章 聖都エルサレムへ向かう
第40章 初日のエルサレム
第41章 アンナスのわるだくみ
第42章 痛烈な体制批判
第43章 ゲッセマネの園
第44章 ユダの接吻
第45章 大司祭カヤパの裁判
第46章 総督ピラトの対応
第47章 ユダの遺書
第48章 ピラトの妻の夢
第49章 奇跡は起こらなかった
第50章 復活という現象
訳者のメモ
訳者あとがき
〝人の子〟イエスの実像
求道者としての極限を生きた〝人の子〟イエスの実像
前巻の『イエスの少年時代』の後、待望久しかった本書がついに刊行の運びとなって慶賀に堪えない。同時に、前巻に引き続いてこの私がその巻頭を飾る一文を訳者の山本貞彰氏から依頼されて、それをこの上ない光栄に思いつつ筆を執った次第である。
本書のもつ意義については二つの視点があるように思う。一つは、従来の聖書(バイブル)の記述を絶対としてそれにのみ頼ってきたイエスの実像とその行跡を見直すという視点である。
が、これについては山本氏が〝訳者あとがき〟で専門の立場から述べておられるので駄弁は控えたい。『主の祈り』についての〝訳者メモ〟などは永年の体験があって初めて気づかれるところであろう。これは従来の聖書が、インペレーターやシルバーバーチその他の高級霊界通信霊が異口同音に指摘しているように〝人為的な意図に基づく寄せ集め〟であることを〝語るに落ちる〟式に、はしなくも露呈されている興味ぶかい証拠と言えよう。
もう一つの視点は、そうした通信霊が述べているイエス像とその行跡との比較という視点である。キリスト教の専門家でない私はどうしてもそこに視点を置いて読むところとなった。
私が〝三大霊訓〟と称しているモーゼスの『霊訓』(正統)、オーエンの『ベールの彼方の生活』(全四巻)、そしてシルバーバーチの霊訓(全十二巻)、が申し合わせたように強調していることは〝スピリチュアリズム〟の名のもとに進められている現代の啓示と人類の霊的覚醒事業の中心的指導霊が、かつて地上で〝ナザレ人イエス〟と呼ばれた人物だということである。
これをすぐに〝同一人物〟とするのは早計である。一個の高級霊が幾段階にもわたる〝波長低下〟の操作の末に母マリヤの胎内に宿り、誕生後それが肉体的機能の発達とともに本来の霊的資質を発揮して、そこに人間性をそなえた〝ナザレ人イエス〟という地上的人物をこしらえた。
その幼少時の〝生い立ちの記〟が前巻であり、いよいよ使命を自覚して当時のユダヤの既成宗教の誤りと、その既得権にあぐらをかいている聖職者の堕落ぶりを糾弾していく〝闘争の記〟が本巻である。
こうした救世主的人物の生い立ちや霊的悟りへの道程はとかく超人化され、凡人とはどこか違う扱いをされがちであるが、〝十字架の使者〟と名のる通信霊の叙述するイエスの生涯は、どこの誰にでもあるような、いやそれ以上に人間臭い俗世的な喧騒に満ちており、また苦難の連続であった。兄弟間のいさかい、親の無理解、律法学者やパリサイ人による怒りと軽蔑、同郷の者による白眼視──最後は浮浪者扱いされるまでに至っている。
「イエスの成年時代はこのようにして孤独の体験から始まった。イエスは故郷の人々に心を傾けて天の宝を与えようとしたのであるが、彼らはそれを拒絶したのである」
という一文は胸をしめつけられる思いがする。
しかしイエスはそうしたものをすべて魂のこやしとして霊性を発揮していき、愚鈍で気のきかない平凡少年から〝威厳、あたりを払う〟風格をそなえた青年へと成長していく。
そこには求道者としての極限を生き抜いた姿がほうふつとして蘇り、二千年後の今、こうして活字で読むだけでも、その意気込み、精神力、使命の忠誠心に圧倒される思いがする。シルバーバーチが、人間的産物である〝教義〟を棄ててイエスの生きざまそのものを模範とするようにならないかぎり人類の霊的神性は望めないと述べている言葉が思いだされる。
そのイエスが死後、物質化現象でその姿を弟子たちに見せて死後の存続を立証して見せたあと、地上的ほこりを払い落して本来の所属界へと帰っていった。マイヤースは『個人的存在の彼方』の中でイエスの死後に言及してこう述べている。
「ナザレ人イエスにとって中途の界層での生活は必要でなかった。彼は一気に創造主と一体となった。彼は地上に生きながらすでに神だった──全宇宙をその意識、その愛の中に包摂するだけの霊力を具えていたのである」
そのイエスが〝私は又戻ってくる〟の預言どおりに、人類浄化の大事業の総指揮者として今その霊的影響力を全世界に行使しつつある。それが各種の霊界通信、奇跡的心霊治療、自由解放の運動となって現れているのである。
この二巻に描かれたイエス像は、私が理解した限りでは、高級霊界通信が述べてることと完全に符節を合わしている。その一つ一つについて解説している余裕はないが、一つだけ誤解を解く目的で付言しておきたいことがある。
それはマリヤの処女懐胎である。前巻の八章で〝神秘の受胎〟として語られているが、私はこの章を読んだ時〝やはり〟という印象を受けた。私は生命の発生は、人類も含めて、どの種においても二つの性の生じない段階で行われたと考えている。
それは物質化現象というものが実在することを見れば明らかに可能なことである。両性(雌雄)による発生・誕生の仕組みは、それぞれの性がそれを可能にする段階まで発達した後のことであって、それまでは幾通りかの〝霊の物質界への顕現〟の仕方があったはずである。少なくとも心霊学的には処女のまま懐妊することはあり得るのである。
ではなぜシルバーバーチはイエスも普通の人間と同じように生まれたと言い、そこに奇跡はなかったと述べているかと言えば、それは〝処女懐胎だから清純〟とする誤った考え、言いかえればセックス(性)を罪悪視する間違った認識を増幅させないたための配慮があると私は考えている。
『霊訓』のインペレーターは〝人間に知らせぬほうが良いこと、知らせると害があること〟がたくさんあると言っている。人生学校の一年生、もしかしたら幼稚園児にすぎないかも知れないわれわれ地上のことであるから、そういうことは当然考えられることである。
シルバーバーチもある日の交霊会で〝イエスは本当にはりつけにされたのでしょうか〟と聞かれて次のように答えている。
「そんなことについて私の意見をご所望ですか。どうでもいいことではないでしょうか。大切なことはイエスが何を説いたかです。(中略) 私の使命は人生の基本である霊的原理に関心を向けさせることです。人間はどうでもよいことにこだわり過ぎるように思います。イエスが本当に処刑されたかどうかは、あなたの魂の進化にとって何の関係もありません。(後略)」
さて最後にぜひ注意を促しておきたいのは、ギブス女史の存在である。モーゼスにはスピーア博士婦人、バーバネルにはシルビア夫人、イエスにはおばのマリヤ・クローパスの存在が大きな意義を持ったように、このギブス夫人の理解と協力なくしては、こうした価値のあるものは生まれなかったであろう。
表にこそ出ないが、中心的人物よりも往々にして側近の人物の方が大きな存在意義を持つことがあるものである。いくら偉くても人間は一人では何もなし得ないのである。
本巻の最後にチラリと顔を出すクレオパスという弟子は、のちに〝クレオパスの書〟の題で一連の通信を送ってくることになる。その第一巻がすでに『イエスの弟子達』と題されて刊行されている。何だか二千年前の大きなドラマが今になってビデオテープを見るように再現される感じがして、心躍る思いがする。山本貞彰氏の一層のご健闘を祈りたい。
序文
詩人のウイリアム・ブレイクは、いくつかの詩が『使者』からの口述であることを強く主張している。そして次のような言葉で語られている。
「私は使者の秘書であり、真の作者は、永遠の大霊である」と。
同じように、『イエスの成年時代』も、私の目の前で、〝十字架の使者〟からジェラルディン・カミンズに口述されたものである。
カミンズが、パレスチナ地方に行ったことがあるのではないかと尋ねられたことがあるが、彼女は一度もそんな経験はないことを、神名に誓って読者諸氏に言明しておく。
主な登場人物
エルダド・・・・・故郷を追われ失意のイエスを暖かく迎え入れた農夫
アサ・・・・・・・イエスを心から慕い続ける薄幸な障害者
ユダ・・・・・・・盗賊の首領に残された唯一の実弟、イエスの弟子
ヨハネ・・・・・・イエスの最愛の弟子。希にみるすぐれた霊覚者
ヨエル・・・・・・人里はなれた山岳地帯に住む野人
ナタニエル・・・・ヨエルの孫、ナタンの従兄弟。敬虔な信仰者で、後にバルトロマイと改名する。
シャンマイ・・・・民衆の信望を集めていた。エッセネ派修道会の創設者
ヨナ・・・・・・・・・ペテロの従兄弟で、ユダの友人
マルコ・・・・・・・・ペテロの親戚にあたる若者で、イエスを慕う
ピラト・・・・・・・・当時のユダヤを統治していたローマ総監
アリマタヤのヨセフ・・ユダヤの国会議員の一人で、ピラトと親交があり、人目をしのんでイエスに師事していた人物