第1部 生前の生き方が、死後の行き先を決める
――天国霊・地獄霊の人生ケーススタディー
第2章 天国と地獄のあいだにいる霊
(1) 死の直前に起きた驚くべき現象――サン・ポール侯爵
一八六〇年に死亡。
パリ霊実在主義協会のメンバーである妹の要請によって、一八六一年五月十六日に招霊した。
――招霊します――
「はい、私です」
――あなたの妹さんの要請によって招霊させていただきました。妹さんご自身も霊媒ですが、まだ訓練が足りないために自信がないようなのです。
「最善を尽くしてお答えいたしましょう」
――妹さんは、まず、あなたが幸福であるかどうかを知りたがっています。
「現在、私は遍歴中です。そして、この中間的な移行期にあって、完全な幸福を得ているわけでもないし、また、罰を受けているわけでもないのです」
――自分を取り戻すまでに時間は長くかかりましたか?
「長いあいだ混乱しておりました。ただ、私を忘れずにいて祈ってくださった方々がいたので、混乱状態から抜け出ることができました。この方々には本当に感謝しております」
――その混乱がどれくらい続いたか覚えていますか?
「いいえ、覚えておりません」
――すでに亡くなっているご家族のうちで、まずどなたにお会いになりましたか?
「父と母です。私が目覚めたときにそばにいてくれました。新しい生活に慣れるように案内してくれたのです」
――病気によって死期が近づいたとき、あなたはすでに、地上にいない人々とお話されていたようですが、どうしてそのようなことが起こったのですか?
「死ぬ前に、自分がこれから行くことになっているあの世についての啓示を得たのです。死ぬ直前には、霊が見えるようになっていました」
――死ぬ前には、幼児期のことが特に記憶に戻ってきていたようですが、それはなぜなのですか?
「人生の最後と初めは似ているからです」
――それはどういうことでしょうか?
「つまり、死にゆく人々は、人生の初期の純粋な日々を思い出し、それを再び見るということです」
――最後のころ、あなたの体に関して、あなたは常に三人称を使って話しておられましたが、それはどうしてですか?
「すでにお話ししたように、私はそのころ霊視が利くようになっていたので、肉体と霊とがはっきり区別できていたのです。もちろん肉体と霊は霊子線(れいしせん)で結ばれてはいますが、分離しているのがはっきりと分かったのです」
この点において、この人の死は他の人々のそれと特に違っていた。最後のころ、この人は常に次のように言っていたのである。
「彼は喉(のど)が渇いています。飲み物を与えてください」
「彼は寒がっています。何か上にかけてやってください」
「彼はどこそこが痛いようです」
そして、まわりの人が「だって、のどが渇いているのはあなたでしょう?」と聞くと、「いいえ、彼です」と答えるのだった。
肉体と霊が完全に分離していたことが分かる。〈私〉は霊として分離して存在しており、肉体の中にはもういない。したがって、飲み物を与えなければならないのは、肉体である〈彼〉にであって、霊である〈私〉にではない。こうした現象は、夢遊症においても観察される。
――死後に長いあいだ混乱していたということ、また、現在、遍歴中であるということから考えて、あなたはあまり幸せではないように思われますが。とはいえ、あなたの優れた資質からすれば、当然、幸福であってしかるべきであるように思われるのです。遍歴中の霊に、不幸な霊がいるように、幸福な霊もいるのではないですか?
私は移行期にあるということなのです。こちらでは、その人の徳はその本来の価値を取り戻します。そういうことで、もちろん、私の境涯は、地上にいたときとは比較にならないほど素晴らしいものになっています。しかし、私は常に善と美に対して深い憧(あこが)れを抱きつづけてきた魂なので、神の足元に飛んでいける日が来るまでは、とても満足するわけにはいかないのです」
(2) 無神論の信念を打ち砕いた臨死体験――医師カルドン氏
カルドン氏は、生涯の一時期を、捕鯨船付きの医師として海の上で過ごした。そして、唯物的な世界観を持ち、唯物的な生活をしていた。その後、J村に隠棲し、田舎医師としての余生を送った。
暫く前から、自分が心臓肥大にかかっていることを自覚しており、しかも、この病が治療不能であることを知っていたので、死の思いが心を占領し、憂鬱に襲われ、心が安らぐ時がなかった。死の二ヶ月程前、彼は自分が死ぬ日を予告した。
死期が迫ったことを悟ると、彼は家族を枕元に呼び寄せ、別れを告げることにした。母親、妻、三人の子供、そして親族が、ベッドの周りに集まった。妻が彼の体を支えている間に、昏睡状態に陥り、顔面蒼白となった。みんなは彼が死んだものと思った。
ところが、数分して彼は目を開いたのである。目はきらきらと輝き、顔も深い喜びに輝いていた。そして、彼はこう叫んだ。
「ああ、我が子達よ! 死とは、なんと美しい、なんと美しい、なんと素晴らしいものだろう。死は、何という恵みだろう! 何という素敵なことだろう。
私は一度死んだのだ。私の魂はどんどん昇っていった。高く、高く昇っていった。しかし、神が私に、『一度、家族のもとに帰り、次のように告げなさい』と仰ったのだ。
[死を恐れてはならない。死とは解放なのだ]
ああ、私の見たものの偉大さを描写することはとても出来ない。私の感じた印象を言葉で表すことは出来ない。お前達は到底それを理解することが出来ないだろう。
だが、子供達よ、このえもいわれぬ至福は、善き生き方をした人間に必ず与えられるものなのだよ。だから、思いやりを持って生きなさい。持っているものの中から、恵まれない人々にその一部を分けてあげなさい。
ああ、愛しい妻よ、お前には苦労をかけることになるね。治療費をまだ払っていない人々がいるが、あまり五月蝿く催促しないようにしなさい。そして、生活に困っている人の場合は、払えるようになるまで待ってあげなさい。払えない人の場合、支払いを免除してあげなさい。神様が必ず償いをしてくださるはずだ。
息子よ、しっかり働いてお母さんを支えてあげておくれ。正直に生き、家族を汚すようなことは絶対にしないように。私がおばあちゃんから受け継いだ、この十字架を、お前にあげよう。さあ、受け取りなさい。それを肌身離さず持ち歩き、いつも私のこの最後の忠告を思い出すようにしなさい。
子供達よ、お互いに助け合い、支え合って生きるのだよ。みんな調和して生きるように。自惚れたり、傲慢になったりしてはならない。
お前達に酷いことをする人を許しなさい。そうすれば、神様も、お前達を許してくださるだろう」
こう言って、今度は永久にその目を閉じた。その表情は本当に威厳に満ちていたので、埋葬されるまでの間、評判を聞いた多くの人々が見に来ては、感嘆して帰っていった。
次の霊示は家族の友人が得たものである。全ての人に読んでもらいたいと考えて次に掲げる。
――招霊します――
「はい、私はあなたのすぐ側におります」
――あなたの最後のご様子を伺い、感動いたしました。あなたの二度の死の間に起こったことを、もう少し詳しく教えて頂けませんか?
「私がその時に見たものをあなた方が理解出来るとは思われません。というのも、その短い間に、自分の体を離れた私が見たものは、およそ言語を超えたものだったからです」
――その時、どこに行っていたのですか? 地上から遠いところに行ったのですか? 他の星でしょうか。或は、広々とした空間に行ったのでしょうか。
「霊にとって距離は意味を持たないのです。何かよく分からない力に運ばれて、夢でしか見たことがないような、素晴らしい空の輝きを見たのです。あまりにも速く空間の中を移動したので、その間にどれくらい時間がかかったのかを言うことは出来ません」
――その時、かいま見た幸せを、今味わっているのですか?
「いいえ。出来ればそれを味わいたいと思いましたが、神はそれを許されませんでした。地上にあった時、心の奥から湧き上がってきた、恵みに満ちた聖なる言葉を、私はあまりにもしばしば無視したからです。
しかも、私は自分の死を受け入れることが出来ませんでした。
また、無神論の医師として、私は神聖なるものを一切否定しました。『魂が永遠である』などということは、私には、頭の悪い人々を騙す為の作り話としか思われなかったのです。とはいえ、『死後は虚無である』という考えは、私を苦しめ続けました。そして、一方で、常に自分が感じていた神秘的な力も否定し続けました。
哲学を学んでも、迷いから抜け出ることは出来ませんでした。哲学によっても、人間に苦悩と喜びを配当する神の偉大さを理解することは出来なかったからです」
――二度目に本当に死んだ時、直ぐに自分を取り戻すことは出来ましたか?
「いいえ。私の霊がエーテル界を移動していく間に、ようやく自分を取り戻すことが出来たのです。死の直ぐ後ではありません。しっかり目を覚ますまで、死んでから数日を要しました。
だが、神は私に恩寵を与えてくださいました。それがどのようなものであったか、これからお話してみましょう。
二度目に死んだ時点で、生前の無神論は既に姿を消していました。その頃には神を信じるようになっていたのです。いわゆる科学的思考が限界に行き着き、地上的な理性の果てに、私は神聖な理性というものを見出していたからです。神聖な理性によって、私はインスパイアされ、慰められ、苦悩にまさる勇気を与えられました。私はそれまで呪っていたものを祝福していたのです。そして、死は私にとっては解放でした。
神の御心は、宇宙と同じ位広いのです。神に祈る時、筆舌に尽くし難い慰めを得ることが出来ますが、この慰めは、我々の魂にとって、最も確かなものなのです」
―― 一度目の時、あなたは実際に死んでいたのですか?
「そうとも言えるし、そうでないとも言えます。霊が体から分離すれば、当然、肉体の火は消えます。しかし、霊がもう一度、肉体に戻れば、眠りを経験していた肉体には再び生命が戻ってくるのです」
――もう一度、肉体に戻ってきた時、あなたを肉体に結びつけている絆を感じましたか?
「感じました。霊と肉体を結びつける絆はなかなか切れるものではありません。絆が切れる為には、肉体が最後に強く身震いをする必要があります」
――最初の、数分間の見せかけの死の時、あなたの霊は、一時的にではありますが、特に混乱することもなく肉体から離れることが出来ました。それに対して、二番目の、本当の死の時は、何日間にもわたって混乱が続きました。最初の時は、魂と肉体の絆はより強固だったのですから、分離はもっとゆっくりしたものになったはずと思われるのですが、実際には逆でした。これはどういうわけですか?
「あなた方は、肉体に宿った状態の霊を何度も招霊したことがあり、そして霊から応答を得ているはずです。私の場合も、あれと同じことが起こっていたのです。神が私を呼び、神の御使いも私に『いらっしゃい』と言いました。私はそれに従ったわけです。
そして、私は神が私に特別にくださった恩寵に感謝しました。私は神の偉大さが無限であることを実際に見、そして納得したのです。
神様のお陰で、私は、本当に死ぬ前に、家族にメッセージを伝えることが出来ました。『善き生き方、正しき生き方をしなさい』と、心から言うことが出来たのです」
――あなたが肉体に再び戻られた時、非常に美しい、崇高な言葉を語られましたが、どこからあのような言葉が出たのでしょうか?
「あの言葉は、私が見たもの、聞いたものを反映していたのです。また、高級霊達が、私にインスピレーションを与え、また、私の表情にも影響を与えたのです」
――あの時、親戚の方々や家族に対し、あなたの言葉がどのような印象を与えたとお思いですか?
「あの言葉は衝撃的だったので、大変深い印象を与えただろうと思います。死を前にして嘘は通用しません。どれほど恩知らずの子供達であっても、死にゆく父の前では頭を垂れざるを得ないでしょう。墓に片足を入れかけた父親を前にして、聖霊の見えざる手によって触れられたら、子供達の心は、深い、真実の感動に浸されるはずです。
死ぬことにより、人間は神の正義にさらされ、神による報いを受けるのです。
私の友人達、私の家族は、神を信じておりませんでしたが、私が死ぬ前に発した言葉は信じるだろうと思います。あの時、私はあの世からの使者だったからです」
――あなたは、「臨死体験をした際にかいま見た幸福を、現在は享受していない」と仰いました。ということは、現在、不幸だということですか?
「いいえ、不幸ではありません。私は、死ぬ前には、心の底から神を信じるようになっておりましたので。神は、私の祈りと、神に対する絶対的な信仰を考慮に入れてくださったのです。私は完成への途上におり、かいま見ることを許された最終地点に、いつかは辿り着くことが出来ると思っています。
友人諸君、どうか、あなた方の運命を司っている、目に見えない世界に対して祈ってください。祈りによって、あらゆる世界に属する霊達が一体になることが可能になるのです」
――奥さん、そして子供さん達に、何か言っておきたいことはありますか?
「力強く、正しく、そして決して変わることのない神を信じなさい。祈りの力を信じなさい。祈れば心が軽くなり、必ず慰めが得られます。
また、慈悲の行為を為しなさい。それは地上に生まれた人間にとって、最も純粋な行いなのです。貧者の一灯は、神の前では最も価値あるものとなります。神は、貧しい人がほんの僅かでも差し出すことを、とても高く評価されます。金持ちがそれに匹敵しようとしたら、もの凄く多くを与えなければなりません。
あらゆる行為に、思いやりを込めなさい。人間は皆兄弟です。慈悲の行為を鼻にかけることなく、謙虚に与え合いなさい。
私の愛する家族達よ、これからあなた方は試練に直面することでしょう。しかし、神様が見ておられると思って、勇気を持って試練に立ち向かいなさい。
次のように祈るとよいでしょう。
『常に全てを与えてくださる、愛と善意の神よ、いかなる苦難の前でも尻込みしないように力をお与えください。愛に溢れた、優しい、思いやりのある人間にしてください。財産はなくても、暖かい心に満ちた人間にしてください。私達は地上において霊実在論を学び、あなたをよりよく理解し、あなたをさらに愛したいのです。
神よ、あなたの名は自由の象徴です。虐げられた人々が、あなたの名により自由を得、愛と許しと信仰を必要としている人々が、あなたの名により、それらのものを得ることが出来ますように』」
(3) 苦しみの世界から解き放たれたときの幸福感――エリック・スタニスラス
一八六三年八月、自発的な通信がパリ霊実在主義協会において受け取られた。
「暖かい心が生き生きと感じた感情は、どれほど私達を幸福にすることでしょう!
優しい思いは、物質界で、そして霊界で、呼吸し、生きているあらゆる存在に、救済の道を開くのです。救済力に溢れたあなた方のその香しい香りが、あなた方自身に、そして私達に、溢れんばかりに届きますように。あなた方全員を結びつける純粋な愛を見て、霊界にいるあなた方の兄弟達が、どれほど幸福に満たされるかを、どうすれば分かって頂けるでしょうか!
ああ、兄弟達よ、あなた方は、高尚かつ単純な優しい感情、ならびに善を、これからあなた方が踏破することになっている長い道の上に、どれほど数多く蒔き続けるよう要請されているか、ご存知でしょうか? そして、それら全ての苦労に対する報いが、あなた方がその権利を手に入れるよりもずっと前に、あなた方にもたらされるのだということをご存知でしょうか?
私は今晩の集いに最初からずっと参加しておりました。そして、全てを聞き、理解しましたので、今度は、私の方から、義務を果たすことにいたしましょう。すなわち、未熟な霊についての情報を差し上げることにします。
よろしいでしょうか。私は幸福からは程遠い境地におりました。無限の世界、広大な世界に還り、私の苦しみもそれだけ大きなものとなり、一体どれくらい苦しいのかも分からない位になりました。でも、神は有り難い方です。私が、悪霊達には侵入することの出来ないこの聖域に来ることをご許可くださったのです。
友人達よ、私はどれほどあなた方に感謝していることでしょう。どれほどの力をあなた方から頂いたことでしょう。
ああ、よき人々よ、なるべく頻繁に集いを開いてください。そして勉強してください。
こうした真摯な集いがどれほどの成果をもたらすか、とてもあなた方には想像出来ないでしょう。まだまだ沢山のことを学ばなければならない霊達、何もせずにいる霊達、怠け者の霊達、義務を忘れている霊達が、偶然から、或はその他の理由で、こうした場にやってくることがあるのです。そしてショックに打たれ、反省を始め、自分を見つめ、自分の正体を知り、到達すべき目標を垣間見、自分の置かれた辛い状況からどうすれば脱出出来るかを探求し始めるのです。
私は、今こうして、未熟で不幸な霊の心境を伝える役目を果たしていますが、そのお陰で私は大変な幸福を感じています。というのも、私が話しかけている皆様は心の暖かい人々であり、私のことを決して拒絶なさらない、ということが分かるからなのです。
ですから、心の広い皆様、どうか、今一度、私からの特別な感謝の気持ちを、そして、皆様がそれと気づかずに救っている数多くの霊達からの特別な感謝の気持ちを、受け取って頂きたいのです」
霊媒の指導霊からのメッセージ:「我が子達よ、この霊は、長い間迷っていた非常に不幸な霊です。今ようやく、彼は、自分の過ちに気がつき、悔い改め、そして、ずっと無視してきた神の方に向き直りました。現在は、幸福ではないけれども、苦しみから解放されて幸福を目指している境地にいる、と言えましょう。神は、彼がここに来て学ぶことをお許しになりました。
この後彼は、彼と同様に神の法を犯した霊達の所に行って、彼らを教育し、向上させる役目をすることになっています。それが、彼にとっての償いとなるのです。その後で、彼は天国の幸福を得ることになるでしょう。なぜなら、それを彼が望んだからです」