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冷たい雨の日の式典
 三月下旬というのに朝から冷たい雨が降りそぼっていた。さくらやまなみバスの船坂橋バス停から小学校に向かう道には人っ子一人姿が見えない。ほんとにあるんだろうか・・・とふと不安がよぎる。小学校運動場に並んだ自家用車の列を見てようやく安堵する。山道から校庭、正門を抜けて式典会場の体育館に着いた。体育館入口の門扉前では厳格な楷書文字で「西宮市立船坂小学校・閉校式」と書かれ看板が出迎えてくれる。館内に入る。体育館を覆いつくすようにパイプ椅子が敷きつめられている。すでに大勢の参列者が開会を待っていた。里山の小さな小学校のこの会場をかってこれほどの人数が埋めたことがあっただろうかと思わずにはおれなかった。
 定刻の10時30分に司会者から開会が告げられた。国歌斉唱の後、市長式辞、教育委員長式辞、来賓代表の市議会議長挨拶と続く。事前にしたためられた書面の朗読という式辞スタイルが、「閉校」という決して晴れやかでない現実についての慎重さと気遣いを示しているようだ。挨拶の最後は学校長である。「閉校」という苦渋に満ちた事態の生々しい現場の幕引きを務めた人だ。「学びの里・船坂」をキーワードに、小学校教育の場としての役割は幕を閉じるが、”生きた自然の博物館”といわれる豊かな里山から学ぶ役割は今後とも生き続けると結ばれた。閉校式の最後は参列者全員による「校歌斉唱」だった。もちろんこの小学校に席を置いたことのない人も多い。それでも在校生ばかりか卒業生や元の教職員も数多く参列している。彼らにとってはもう歌うことの叶わない母校の式典での最後の校歌である。
お別れ式は児童が主役
第二部の「お別れ式」になった。舞台下の正面に設置されたマイクの前に6年生の女の子が立った。「児童のことば」が読み上げられる。続いて舞台正面に大きな白幕が垂らされた。里山の小学校の思い出の数々をおさめた写真がスライドで上映される。最後のシーンは45名の在校生一人ひとりの将来の夢である。子供たち笑顔の写真にそれぞれの夢が字幕に写された。続いて舞台での子供たちの出番が訪れた。5、6年生10数人による「船坂子ども太鼓演奏」である。六つの大太鼓に三つの締太鼓、横笛に鉦の組み合わせによる見事なハーモニーが館内に響き渡る。この日のために積み重ねられた練習の成果が存分に発揮される。最後に学校長の御礼の言葉でお別れ式が締めくくられた。  
風船飛ばしセレモニー
 参列者の多くが、体育館から運動場に移動した。風船飛ばしセレモニーが今日の最後のメニューである。一向に止む気配のない冷たい雨の中を在校生とPTAの父兄を中心に色とりどりの水素ガス入りの風船が配られた。糸の末端には何やらメモ用紙が括られている。子どもたちの夢が書かれているのだろうか。PTA会長の挨拶の後、ファンファーレの音が流され、「いち、にぃ、さん!」の掛け声とともに一斉に解き放たれた。色とりどりの地上の雨傘の上空を色とりどりの風船の群れがまっすぐにゆっくりと浮上していく。子どもたちの夢を結んだ風船たちは、いったいどこに到達するのだろう。
里山の小さな学び舎の終焉
 参列者には会場受付で「式次第」「学校要覧」「閉校誌・学びの里船坂」「来賓・列席者名簿」などがセットにされた資料が渡された。参列者名簿には、市長はじめ市の関係者、市議会議員、歴代校長、最寄りの小中学校長、地域団体代表、PTA関係者、元職員、教育委員会関係者、そして何よりも船坂の自治会員全員の名前が記されている。文字通り地域ぐるみの式典だったのだ。一般席の多くを70代、80代と思しき卒業生たちが占めている。休憩中にはケーブルテレビの取材陣がおばあちゃんたちにテレビカメラを向けてインタビューしている。
 「閉校式」とは、できうれば避けたかった苦渋の選択を受け入れたことの追認の場である。関係者たちが一堂に会してその事実を最終的に確認しあう場でもある。明治6年開校の135年の歴史を刻んだ里山の小さな学び舎が、降り続く雨の中でしめやかに幕を下ろした。