タイタニック ★★☆
(Titanic)

1953 US
監督:ジーン・ネグレスコ
出演:クリフトン・ウエッブ、バーバラ・スタンウイック、ロバート・ワグナー、オードリー・ダルトン



<一口プロット解説>
タイタニック号の遭難を、クリフトン・ウエッブ及びバーバラ・スタンウイック演ずる夫婦による家族ドラマを絡めて語る。
<入間洋のコメント>
 実は「タイタニック」は日本劇場未公開映画であるが、テレビ或いはビデオ等で「タイタニック」或いは「タイタニックの最後」として日本でも紹介されており、タイタニック号について話題にしたかったこともありここに取り上げた。ジェームズ・キャメロン版の「タイタニック」(1997)人気もあり、恐らくこの1953年版を見たことがある人も少なくはなかろう。監督のジーン・ネグレスコは、たとえばローレン・バコール、ベティ・グレイブル、マリリン・モンローが主演した「百万長者と結婚する方法」(1953)、ドロシー・マクガイアジーン・ピータース、マギー・マクナマラが主演した「愛の泉」(1954)、ホープ・ラングダイアン・ベイカースージー・パーカーが主演した「大都会の女たち」(1959)など女性3人を主人公とする映画を得意とする監督だが、その点から言えば「タイタニック」という作品は彼のフィルモグラフィーの中では特異な位置を占める。DVD版に添付されていた90分に渡る特典ドキュメンタリーによると、タイタニック号の遭難を扱った映画は、ジーン・ネグレスコ版やジェームズ・キャメロン版の他にもいくつか存在し、早いものでは遭難事故が発生した年の数年後に既に製作されている。戦時中には、ナチスドイツがイギリスを誹謗する為の宣伝目的で製作したバージョンもあり、またタイタニック号の御本家イギリスからはホラー映画やSF映画に定評のあるロイ・ウォード・ベイカーの手になり最も史実に近いと言われる「SOSタイタニック」(1958)が挙げられる。

 では何故タイタニック号の遭難事故がある種の悲劇の題材として人々の記憶にかくも長く留められ何度も映画化されるのだろうか。海難事故と言えば、たとえばルシタニア号など他にも多数の死者を出した例はいくらもある。また豪華客船の遭難ではないが、最近の例ではスマトラ地震による津波の被害もある意味で海難と言えるはずであり、タイタニック号遭難による死者とは比べようがない何十万単位という多数の死者を出したが、不謹慎の謗りを受けることを覚悟して言えば、早くも人々の記憶からは薄れ始めており、恐らくスマトラ地震をテーマとした映画が今後製作されるとはほとんど考えられない。あまりにも死者の数が多いと逆に実感が湧かないということもその理由として挙げられるかもしれないが、しかしながら千人単位の死者を出したタイタニック号遭難が1世紀近くを経てもなお人々の想像力を煽るのに対し、何十万という死者を出したスマトラ地震が発生後1年も経過しない内に人々の記憶から薄れ始めつつある理由は、数の多さによる感覚の麻痺という単純な要因によっては説明し切れない。それでは一体何がタイタニック号遭難事件をかくもポピュラーな題材として人々の記憶の中に留めせしめているのだろうか。ずばりその回答の1つは、タイタニック号遭難には、単なる遭難事故という以上の時代的な象徴価値が結びついているからである。タイタニック号遭難事故は、第一次世界大戦が勃発する直前に発生しており、この事故を境として時代は第一次世界大戦、大恐慌時代、第二次世界大戦、東西冷戦という泥沼に迷い込む。イギリスの歴史家エリック・ホブズボームによれば、第一次世界大戦発生直前まではアメリカの南北戦争のような国内紛争を除けば、長い間大きな国際間戦争もなく、少なくとも西欧的な観点から見れば平和な時代が続いていた。西欧列強諸国は、植民地政策に忙しくてヨーロッパ本土内で戦争をしている程暇ではなかったということかもしれないが、いずれにしてもタイタニック号遭難は歴史の大きな転回点において発生した事故であったことには間違いがない。一言で言えば、古き良き時代がタイタニック号とともに沈没したということである。

 また、それとも関係するが、タイタニック号のあるじである大英帝国の没落もそこには象徴されている。「タイタニック」の中でもそれを見出すことが可能であり、最初は出航時、二度目は沈没直前のシーンにおいて二度イギリスの国旗ユニオンジャックがマスト上にたなびく様子が描かれている。産業革命以後世界を支配してきた大英帝国が、19世紀後半、20世紀初頭を通じて衰退していく様子が、世界一の豪華客船として意気揚々と出航したにも関わらず、氷山と衝突してあえなく沈没してしまうタイタニック号の姿を通して暗示されており、英国国旗がはためく二度のシーンによってもそのことが象徴的に表現されている。そのように考えてみると、タイタニック号遭難事故とは、単に多数の死者を出した事故であったのみならず、そこには大英帝国の栄光という1つの象徴的な価値の死も包含されていたことが分かる。因みに「巨象の道」(1954)で言及したように、かくして衰退していく大英帝国の威光の最後の瞬きが、第二次世界大戦後の英国領殖民地の相次ぐ独立により完全に消え去る。ナチスドイツが敵国イギリスを誹謗する為にタイタニック号遭難事故を題材にした映画を製作したことは前述した通りだが、それはいかにも当然であったのかもしれない。ナチス宣伝相であったゲッペルスを引き合いに出すまでもなく、象徴的な価値の操作という点ではナチスドイツには天才的なものがあったことを考慮すると、そのナチスドイツが大英帝国の没落という象徴的価値をも担っていたタイタニック号遭難事故を自己の宣伝に利用しなかったとすればその方がむしろ不思議だからである。また、タイタニック号遭難事故は船長や乗組員の不注意という要因はあったにしろ、少なくとも人為的に意図されたものではなかったが故に、たとえばルシタニア号事件のように政治的なコノテーションが直接には付随していなかったことも象徴的価値を倍増させる要因となったのかもしれない。一言で言えば、タイタニック号はドイツのUボートが撃沈したのではなく、一種の神の摂理として沈没した、すなわちそれが天命であったと容易に解釈され得るということである。それ故、タイタニック号遭難の犠牲者は単なる死者ではなく、それまであった象徴的価値の終焉と運命を共にした、「サクリファイス」という宗教的な意味をも担った犠牲者でもあったことになる。

 それでは、そのようなタイタニック号遭難事故に付随する象徴的側面が「タイタニック」という映画においては効果的に再現されているかということになるが、この点に関しては英国国旗がはためくシーンは別としてもやや不満が残る。というのも、この映画の大半は主演のクリフトン・ウエッブ演ずる夫と、バーバラ・スタンウィック演ずる疎遠になった妻との家族関係に焦点が当てられているからである。勿論それはそれでタイタニック号遭難事故を浮き彫りにする1つの手法であることに変わりはなく、その観点から見るとレオナルド・ディカプリオとケイト・ウインスレットのラブストーリーに焦点が置かれたジェームズ・キャメロン版も同様な見方が出来る。しかしながら、1つの家族やカップルにのみ焦点が置かれているとタイタニック号の遭難によって1つの時代が終焉したというメッセージを伝えるのは困難であり、ネグレスコ版もキャメロン版もその点ではどうしても不満が残る。名作文学と呼ばれる作品の中には1家族を描写することにより時代の変遷そのものが見事に表現されているが故に名作と呼ばれる例が少なからずあり、文学というジャンルの中ではそれは或る意味で常識の範疇に入るかもしれないが、上映時間が限られている映画というメディアの中でそれを実現することは極めて困難なのであろう。たとえば「ジャイアンツ」(1956)などはそれが意図されていながらやや不完全燃焼の感がある。敬愛する「ドクトル・ジバゴ」(1965)では時の流れがうまく描写されているが、「タイタニック」の場合のような1個人や1家族に焦点が集中するようなハンドリングはむしろ避けられている(「ドクトル・ジバゴ」はラブストーリーなのでその見方は変ではないかと思われるとするならば、「ドクトル・ジバゴ」のレビューを参考のこと)。見たことがないので確信はないが、ひょっとするとタイタニック号遭難事故という出来事の持つ象徴的価値が最も巧妙に利用されているのは皮肉にもくだんのナチスドイツ版ということになるのかもしれないが、そうであるとすればそれだけナチスドイツは大衆心理操作に長じていたことが示されることになろう。

 そのような点に関して不満は残るとしても、疎遠になった家族が、悲劇的な状況を迎えて再度互いの理解を取り戻すが時既に遅し、言い換えると人間同士の間の真の相互理解とは場合によっては手遅れにならなければ得られないようなパラドキシカルなものであるというこの映画が描くヒューマンドラマ的なモチーフは何も目新たらしいものでは全くないとしても、ヒューマンドラマのミクロ的機微を描くことに長けたジーン・ネグレスコのような監督の手にかかるとその点説得力があり、この作品もそのようなミクロ的側面によってタイタニック号遭難という1つの歴史的出来事が浮き彫りにされていることには異論を差し挟む余地はない。

 最後にジェームズ・キャメロン版についても言及しておくと、この作品が他のタイタニック作品に比べてユニークである点は、現代からの視点が冒頭とラストに取り入れられており、ケイト・ウインスレット演ずるヒロインの現代からの回想としてストーリーが語られている点である。すなわち、タイタニック号遭難事故が、単なる過去の出来事としてではなく現在とも関連した出来事として語られている。英語に喩えれば、過去型ではなく現在完了型でタイタニック号遭難事故が描かれていることになる。いずれにしても、タイタニック号遭難事故は21世紀の現代になっても記憶の片隅で干からびてしまうということのない、不思議な魔力を持った出来事であったことに間違いはない。

※当レビューは、「ITエンジニアの目で見た映画文化史」として一旦書籍化された内容により再更新した為、他の多くのレビューとは異なり「だ、である」調で書かれています。

2005/02/06 by 雷小僧
(2008/10/15 revised by Hiroshi Iruma)
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