大都会の女たち ★☆☆
(The Best of Everything)

1959 US
監督:ジーン・ネグレスコ
出演:ホープ・ラング、スティーブン・ボイド、ダイアン・ベイカーマーサ・ハイヤー



<一口プロット解説>
あるニューヨークの出版社に勤める女性達のそれぞれの愛憎劇を描く。
<雷小僧のコメント>
まあ今からこのような50年代後半のかなりドマイナーな映画を取り上げるのは、世界広しといえども私目くらいしかいないのかもしれませんが(それがオーバーだとしても確実に5人はいないでしょう)、取上げるからにはそれなりの理由があります(そもそも自分が好きではない映画をただ単純にたたくなどということは極力避けるということを1つの方針としていますので)。それは何かというと、50年代後半のニューヨークの様子が実によく分かるという点にあります。確かに映画というものにはある特定の様相の誇張という側面が常にあるので、当時の世相や状景が正確にこの映画に反映されているか否かは、1960年に日本で生れた私目には判断出来ないのは確かです。けれどもこの映画の舞台は普通のどこにでもありそうな出版社に置かれており、要するに通常のビジネスシーンの中でストーリーが展開していくわけで、そういう意味では当時の様子がかなり正確に描写されていると信じてもよいのではないかと思われます。
そういうわけで、主人公のホープ・ラングがニューヨークにやって来てそそり立つ巨大なビルを見上げるシーンからストーリーが始まりますが、まずここで当時の世相がよく分かるのですね。というのは、ホープ・ラングのいかにも期待に充ちた眼差しは、このそそり立つビルが希望の象徴のようなものであることを示しているからです。まだ大都会というものに対してネガティブなコノテーションが付着していない時代の映画だなということがよく分かるような気がします。これが現代であるとそうはいかないのですね。何故ならば現代においてそそり立つビルというのは、希望の象徴であるよりも官僚主義や非人間的な権力の象徴であるととられる方が普通であろうからです。あの内部を全く窺わせない総鏡張りのビルを思い浮かべてみればいいと思います。また、この映画の開始直後のタイトルバックでは、非常に素晴らしい憧憬に充ちたアルフレッド・ニューマンの音楽に乗って、ニューヨークの目茶苦茶にビューティフルな光輝く俯瞰シーンが映し出されます(本当はこのシーンのイメージを掲載したかったのですが、タイトル文字が入ってしまうのとこの部分だけシネマスコープサイズになっていて上下に黒い帯が入ってしまうのでやめました)。私目は、この冒頭のショットを見る為だけでもこの映画を見る価値があるように思っているのですが、この光景によって当時の人々がニューヨークという都市に対してどういう思いを抱いていたかが実によく分かるのですね。今の映画でニューヨークの俯瞰シーンが写し出されると、いかにも暴力都市というようなコノテーションが見え隠れしそうなのですが、この映画ではまさに当時の都市生活への憧憬が手に取るように分かります。まあこのような憧憬を窺い知ることが出来るようなシーンが、この映画には散見されるのですね。これは、意図してそういうシーンを散りばめたというのではなくて、自然にそうなったという方がいいのかもしれません。産業社会からポストモダン社会への移行、これに伴って大都会というものの地位も変わってきたというところでしょうか。最早単純に大都会が進歩の象徴ではなくなった或いはそもそも進歩とは何の進歩かということがだんだん明晰ではなくなってきたのが現代であるとすれば、この頃は大都会そののものの存在意義が誰の目にもこの映画の冒頭シーンのようにクリアだったのではないでしょうか。
ここまではこの映画の素晴らしい点を解説したのですが、実を言えばストーリー自体は非常に凡庸なメロドラマで、ホープ・ラング、ダイアン・ベイカー、スージー・パーカー、マーサ・ハイヤー等のニューヨークで働く女性達の愛憎劇を描いた言わば昼メロソープオペラの銀幕版と言ったところです。従って、私目はこの映画を見る時は、ほとんどストーリー自体を無視して当時の様相を眺めることに終始しています。まあ、そんな見方は映画を見る見方ではないと言われると返す言葉がなくなるのですが、けれどもこういう見方で見る映画というのもあってもいいのではないでしょうか。それに、このキャストは実に魅力的です。ホープ・ラングは、モンローの出演していた「バス停留所」(1956)あたりがデビュー作だと思いますが、如何にも透明感のある女優さんで、あまりにも透明感があり過ぎて60年以降は見えなくなってしまいました。それからダイアン・ベイカーは、田舎から都会に出てきた純朴な少女という感じをいかにもうまく出しています(というかそれがこの人の地かもしれません)。スージー・パーカーはあまり見たことがない女優さんですが、ルイ・ジュールダンに振られて最後に悲劇的な最後を遂げてしまうのがいかにも自然(という言い方はよくないですね)であるなと思わせます。それから、私目が大ファンのマーサ・ハイヤーは、出てくるだけでも少なくとも私目は嬉しくなってしまいます。最後に特筆すべきは、意地の悪いボスを実に意地悪そうに演じるジョーン・クロフォードの存在でしょう。この人程、アクの強い女優さんはそうはいないんではないでしょうか。きっと、当時若かった他の女優さん(や男優も)は、映画の中とは言え内心びびっていたかもしれませんね。

2000/05/31 by 雷小僧
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