夕陽に立つ保安官 ★★☆
(Support Your Local Sheriff)

1969 US
監督:バート・ケネディ
出演:ジェームズ・ガーナー、ジョーン・ハケット、ウォルター・ブレナン、ブルース・ダーン

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<一口プロット解説>
オーストラリアを目指すジェイソン(ジェームズ・ガーナー)は、ゴールドラッシュに湧く小さな町に立ち寄ってにわか保安官になり、酒場で撃ち合って人を殺した悪漢ダンビー一家のどら息子(ブルース・ダーン)を、まだ窓に鉄格子すら嵌っていない牢屋に放り込む。
<入間洋のコメント>
 ガキンチョの頃は、テレビの洋画劇場で放映されると聞いては、ワクワクしながら西部劇を見ていたものでした。ところが、大学に通うようになって以後は、西部劇を見ることはほとんどなくなりました。勿論、大学に通うようになって以後とは、1970年代末以後ということなので、西部劇というジャンル自体が既に衰退して瀕死の状態にあったということもありますが、TV放映のものですら全く見なくなったのですね。また、1990年代に入ってビデオで映画を見るようになっても、2000年代に入ってDVDで映画を見るようになっても、その状況に変わりはありませんでした。しかし、ここ1年程、DVDを中心に急に西部劇を見る機会が増えてきました。それは何故かというと、「小さな巨人」(1970)のレビューなどでも言及した、リチャード・スロットキンという人の書いたアメリカ西部開拓史三部作を読んで、アメリカ西部開拓史時代に大きな関心を持つようになったからです。スロットキンは、文学をメインとして、アメリカ西部開拓史が神話的な言説としてこれまでどのように捉えられてきたかという点に注目する歴史家ですが、文学のみならず映画というメディア(すなわち西部劇)における開拓史時代のハンドリングに関しても、最も最近の著作である「Gunnfigter Nation」(University of Oklahoma Press)を中心として大きく取り上げています。確かにそのような見方は純粋な西部劇ファンの見方ではないと指摘されれば反駁ができないとはいえ、アメリカの神話言説というプリズムを通して西部劇を見直すと、それまでには気付かなかった視点が西部劇には存在することを見出すことも多く、自分達の国の決して長くはない歴史の大きな部分を占める開拓史時代に対して、アメリカ人がどのような視線を投げかけているかが窺われ極めて興味深いものがあります。アフガン戦やイラク戦の折にブッシュ大統領が連発したプロパガンダには、西部劇からの借用表現がしばしば見られたことは、皆さんご存知のことと思います。そのことは、西部劇を通して人口に膾炙してきた開拓史時代のアメリカ神話は、21世紀の現在に至ってもなお生きていることを示し、アメリカ神話の何たるを知る為の最も手軽な教科書として、西部劇を見ることには大きな意味があることをも示唆しています。

 前置きはこれくらいにして本論に入ると、西部劇というジャンルは、1960年代を通して明らかな衰退傾向を示し、1970年代にほぼ死滅に近い状態に陥ってしまうことは皆さんもご存知の通りでしょう。1960年代の衰退期には、西部劇ではそれまで当然のこととして受け入れられていた図式がだんだんと覆されるようになり、1970年代初頭には「小さな巨人」や「ソルジャー・ブルー」(1970)のような作品を生むようになります。これらの作品がどのような意味で従来の西部劇の定型を覆したかについては、「小さな巨人」のレビューを参照して頂くものとして、いずれにせよそのような傾向は既に1960年代を通じて加速化されていました。この二作の直前に製作された「夕陽に立つ保安官」も、従来の西部劇の定型を覆したという点では同様だと見なせます。違いは、「小さな巨人」や「ソルジャー・ブルー」が白人とインディアンの関係を素材として西部劇のいわば脱構築が図られているのに対し、「夕陽に立つ保安官」にはインディアンは全く登場せず、「真昼の決闘」(1952)を代表とする「孤高の保安官vsならず者」の図式を持つ西部劇を徹底的に茶化すことによって脱構築が図られているところにあります。ここで留意すべき点は、「夕陽に立つ保安官」を単にコメディ西部劇であるものとして捉えてしまうと、この作品の最も本質的な側面を捉え損なってしまうことです。具体例は後述しますが、結論を先取りすると、「夕陽に立つ保安官」は、西部劇というジャンルが従来より有していた定型的な図式を茶化してコメディに仕上げられた作品であり、一言で云えば西部劇というジャンルに対するコメディ的なメタ言説が展開されている作品として捉えられるのです。勿論、それまでにもコメディ調の西部劇はいくらでも製作されてきましたが、それらはあくまでも従来的な西部劇固有の図式の中でコメディパフォーマンスが展開されているに過ぎないのです。たとえば、最近見た中では、「渡るべき大きな河」(1955)がコメディ調西部劇と呼ぶに相応しい作品であり、そこではロバート・テイラー演ずる主人公が、エリノア・パーカー演ずる美女の言い寄りをひたすら逃げ回るというコメディパフォーマンスが繰り広げられていました。しかしながら、そうであってもフロンティア西部劇としての図式はただの1つですら破られてはいないのです。これは1960年代の前半の作品でも同様であり、「アラスカ魂」(1960)、「マクリントック」(1963)、「ビッグトレイル」(1965)、或いは「キャット・バルー」(1965)などのコメディ西部劇は、確かにそれまでの西部劇にはない一面を持ってはいますが、そうであっても従来的な西部劇固有の図式が意図的に破られ茶化されるまでには至っていません。かくして、「夕陽に立つ保安官」は、「小さな巨人」及び「ソルジャー・ブルー」という1970年に登場する二本のいわばアンチ西部劇とも云える作品の露払いを務めた作品であると位置付けることができます。次に具体例を挙げて、「夕陽に立つ保安官」の持つそのような傾向を示さなければなりませんが、その前に大きな回り道をしなければなりません。ここまで「西部劇というジャンル」などと、気軽に「ジャンル」という用語を使用しましたが、実は映画における「ジャンル」の概念はそれ程単純ではないことをまず示す必要があります。また、「西部劇というジャンル」とは何かを突き詰めて考えて見ると、「何故1970年代になって西部劇が死滅に近い状態になってしまったか?」という問に1つの回答を与えることができますが、まずその点をクリアにする必要があるからです。それによって、何故1960年代も末になって、従来の西部劇の図式を破るような作品が、数多く出現するようになったかが朧気ながらも理解できるはずなのです。

 まず、映画におけるジャンル(小説など他のメディアにも同様に当て嵌まるかもしれませんが)が、見かけ程単純ではないという点をクリアにしましょう。それには、「西部劇映画」というジャンルよりも「戦争映画」というジャンルの方がより明確になることもあり、ここではまず「戦争映画というジャンル」について考えてみることにします。問を単純化してみましょう。「戦争映画」とは、「戦争を描いた映画」なのでしょうか。これに対する回答は、「戦争を描いた映画」という定義が戦争映画の必要条件であるという意味では恐らく「Yes」(恐らくと述べた理由は、戦争シーンが全くない映画は絶対に戦争映画でないと言い切れるか否かに関してイマイチ個人的に自信がないからですが、いずれにしろここではそれは大きな問題ではありません)であるとしても、十分条件ではないという意味では「No」であるというところが妥当です。何故十分条件ではないか、例を挙げましょう。トロイ戦争を扱った「トロイ」(2004)は戦争映画でしょうか。その問に対する回答をつらつらと考えてみると、戦争シーンがあるからと云って「トロイ」をジャンルとして戦争映画に分類する人はあまりいないのではないかということに思い当たります。何故ならば、「トロイ」はジャンルとしては歴史劇に分類されるのが普通だからです。「トロイ」はホーマーの「イリアス」が原作なので歴史劇ではないという反論はあるかもしれませんが、いずれにせよ戦争映画というジャンルに含める人はまずいないでしょう。「戦争と平和」(1956)は歴史劇ジャンルというよりも文芸モノの映画化というジャンルに入るので例として適当ではありませんが、ナポレオン戦争をテーマとした「戦争と平和」のようなエピック映画があったとすれば、その作品は確実に歴史劇ジャンルに分類されるはずであり、戦争映画ジャンルにではないはずです。つまり、映画ジャンルという意味合いにおいては、歴史劇ジャンルが戦争映画ジャンルをオーバーライドしてしまうのが普通だということです。しかし、ことはそれ程単純ではないのですね。それならば、真珠湾奇襲という正真正銘の史実を扱った「トラ!トラ!トラ!」(1970)は歴史劇ジャンルに分類されるのかといえば、そんなことはないはずです。「トラ!トラ!トラ!」は誰がどう見ても戦争映画に分類されるはずです。では、ナポレオン戦争をテーマとしたエピック映画と「トラ!トラ!トラ!」は、共に戦争を描き、史実を扱っているにも関わらず、何故一方は歴史劇ジャンルに分類され、もう一方は戦争映画に分類されるのが普通なのでしょうか。その回答として、多分どこかの時代に区切り線があるからではないかということに気が付くのではないでしょうか。たとえば、第一次世界大戦を扱った映画は、戦争映画でしょうか、それとも歴史劇でしょうか。恐らく戦争映画であると見なされるのが現在のところは普通でしょう。では、19世紀の南北戦争はどうでしょうか。純粋に南北戦争を扱った作品はほとんど存在せず西部劇の舞台の一部が南北戦争である場合が多いのであまり良い例ではありませんが、もし純粋に南北戦争を扱った作品があれば、それは戦争映画ではなく歴史劇に分類されるはずであることを疑う人はあまりいないことでしょう。ということは、どうやら19世紀と20世紀の間に一線が引かれるのではないかということに気付くきます。しかし、更に注意しなければならないことがあります。それは、21世紀に入った今、第一次世界大戦を舞台とする映画が製作されたとすれば、第一次世界大戦から半世紀も経たずに製作された「西部戦線異状なし」(1930)や「突撃」(1957)などと比べれば、ことはかなり微妙になるなのではないかということです。分かり易くする為に、例を極端化してみましょう。西暦3000年の時点で製作された第一次世界大戦の映画は、戦争映画なのでしょうか、それとも歴史劇なのでしょうか。恐らく歴史劇と見なされるだろうと考える方が自然でしょう。すなわち、歴史映画と戦争映画の間の区切り線は19世紀と20世紀の間にあるというよりも、該当する映画が製作された時点で、映画の中で描かれている戦争の経験が、生きられた記憶として人々の間に残っていたか否か、すなわちその戦争を経験した(これには直接経験だけではなく、新聞などを通じたコンテンポラリーな間接経験をも含みます)人々がまだ生きていたか否かで区切られるのではないかということに思い当たります。このことは映画のみに限られるのではなく、歴史記述そのものにも当て嵌まるように思われます。たとえば、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」は誰が何と言おうと歴史書であるのに対して、シーザーの「ガリア戦記」は、たとえそこに現在の目から見れば見紛うことなき歴史イベントが記述されていたとしても、扱いはギボンの「ローマ帝国衰亡史」とは全く異なるのではないでしょうか。同時代人によって同時代のイベントが記録された書物は、歴史研究の一次資料として利用されても物語的であると捉えられるのが普通のはずです。専門家ではないので実際のところはよく分かりませんが、ヘロドトスの「歴史」など、かなり微妙なものがあるように考えられているのではないでしょうか。

 このような、その映画が描くイベントが、製作時点で人々の間でまだ生きられた記憶として残っているか否かによって(このような記憶を今後同時代記憶と呼ぶことにしますが、この場合の同時代とは完全な同時代のみを意味するのではなく、ある特定のイベントの記憶が少しでも生きた人々の記憶に残っている時代範囲を指します)、歴史劇と見なされるべきか、同時代的な作品と見なされるべきかが変わる、その境界のブレを見事に利用した映画があります。それはタイタニック号沈没を扱った、皆さんご存知のジェームズ・キャメロン版「タイタニック」(1997)です。タイタニック号沈没事故といえば第一次世界大戦勃発直前の1912年のことであり、学校の教科書などにも載っていたはずで、個人的には長らく歴史の中の一イベントであるものとして考えていました。実際、そう思っている人の方が多かったはずです。その印象は、この有名な事故を扱った他の作品、たとえば「タイタニック」(1953)や「SOSタイタニック」(1958)を見ても全く変わりませんでした。ところが、キャメロン版「タイタニック」は、タイタニック号沈没事故が、単なる歴史の一齣ではないことを示したのです。それは、主演のレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットが登場するメイン部分を、悲惨な沈没事故を生き残って現代に生きる老ヒロイン(タイタニック号事故より前の1910年に生まれたグロリア・スチュワートが演じていました)が、現代の時点から回想するシーンではさむ枠構造としたことによって賢明にも示されたのです。これによって、実はタイタニック号沈没事故は、少なくともこの映画が製作された1990年代においては、人々の間の同時代記憶として一部にまだ残っていることが示されたのです。これはフィクション上の話のみではなく、現実的にもその頃はまだ、タイタニック号沈没事故の生存者が何人かは生存していたのです(Googleで検索をかけると、恐らく現在でもまだ、一人生存者が生きておられるようですが、いずれにしろ当時は赤ん坊だったはずで個人の記憶としては残っていないでしょう)。キャメロン版「タイタニック」のラストシーン近く、生き残ったヒロインが、花を撒く為に?海に飛び込まんとするかのように船の欄干に足をかけるシーンがありました。一瞬彼女は海に飛び込むのかと思いましたが、もしヒロインを海に飛び込ませたならば、随分センチメンタルなことよ!と見た時は思ったものでした。しかしこのように考えて見ると、彼女が海に飛び込んでしまえば、それは象徴的には、タイタニック号沈没事故の同時代記憶が閉じられ、まさにタイタニック号沈没事故が歴史と化した瞬間を捉えたシーンとして面白い表現になったかもしれないなとも現在では不謹慎にも思っています。ここで、同時代記憶の存在しない歴史記述と同時代記憶の存在するいわば同時代記述では、何がいったい異なるのかという点が疑問になるかもしれません。1つは、歴史記述は、同時代記憶が存在しない故にどうしても抽象的にならざるを得ないのに対し(何せ、そのような記憶を持つ人に突撃インタビューすることすらできないのです)、同時代記述は、それが本人の経験であれ他人から聞いた経験であれ、具体的相貌を帯びて立ち現れるという点が挙げられるでしょう。もう1つ指摘しておくと、歴史記述の場合には、主観的な記述を客観的な記述に置き換えようとする傾向性を有するのに対して、同時代記述の場合には、それとは逆に客観的な記述を主観的な記述に置き換えようとする傾向性を有するということです。これらはあくまでも傾向性であり、歴史記述というモードで描かれると主観性はゼロになる、或いは同時代記述というモードで描かれると客観性はゼロになると主張するものではありません。いずれにせよ、これに関しては、このレビューの主要な関心事ではないので、それについてこれ以上詳述はしません。その代わりここでは、一般にジャンルといわれているジャンルの種類には、実は時間・場所の扱いに関して性質を異にする以下の4タイプが存在するということを確認しておきましょう。

1.いかなる意味においても時間・場所的な制約を受けない普遍的ジャンル
たとえばホラーやアドベンチャーなどがこれにあたり、それがいつどこで製作されようが、常に成立し得るジャンルを指します。但し、たとえばホラーについて考えてみると、古代には映画がなかったのは当たり前田のクラッカーであるとしても、文学においてすらホラージャンルなど存在しなかったはずであり、ゴシックホラーの出現を待ってようやくホラーというジャンルが成立したとも考えられるかもしれません。啓蒙主義が出現するまでは、その裏面とも考えられるオカルトやホラーは、認識論的にも存在し得なかったという主張も当然アリでしょう。しかしながら、いずれにせよ、いつ啓蒙主義が成立したかは歴史的な偶然に過ぎない話であり、いったん成立してしまえば今から1万年後でもホラーやアドベンチャージャンルは、人類が滅亡しない限り存続することは確かのはずです。

2.ジャンルそのものとしては時間・場所的な制約を受けないが、それが扱う個々のイベントは同時代記憶が存在しないことを前提とするジャンル
歴史劇がこれに当たり、それが扱うイベントの同時代記憶が製作時に実質的に消滅していない限り、歴史劇としてはまず成立しません。つまり、一定期間が経過しないと、そのイベントを歴史劇の題材とすることはできません。従って、第二次世界大戦を扱った歴史劇が登場するには、最低でもあと数十年は必要であるということになります。それまでは、どんなに史実に正確な第二次世界大戦もの映画を製作しても、それはせいぜいドキュメンタリータッチの戦争映画と呼ばれるに過ぎないということです。いずれにせよ、歴史劇というジャンルそのものは、今から1万年後であってもなくなっていないはずです。

3.ジャンルそのものとしては時間・場所的な制約を受けないが、それが扱う個々のイベントは同時代記憶が存在することを前提とするジャンル
戦争ものがこれに当たり、それが扱うイベントの同時代記憶が製作時に実質的に存在しない限り、戦争ものとしては成立しません。つまり、一定期間が経過すると、そのイベントを戦争ものの題材とすることはできなくなります。従って、たった今、ナポレオン戦争を題材とした映画を製作して、それを戦争映画というジャンルに含めることはできません。いずれにせよ、戦争映画というジャンルそのものは、戦争のないユートピアが実現されない限り、今から1万年後であってもなくなっていないはずです。「同時代記憶が存在するか否か」を、「ある特定のものの見方が存在するか否か」に置き換えさえすれば、基本的に、コンテンポラリなドラマは多かれ少なかれこのタイプ(か或いは2)に属するものと考えられます。たとえば単純なヒューマンドラマというジャンルは未来永劫なくなることはないでしょうが、何がヒューマンであるかという考え方は変化する可能性があるので、ヒューマンドラマに属すべき作品の要件は時代によって変化するかもしれません。SFも、このタイプのバリエーションと考えられるかもしれません。SFというジャンルは未来永劫存在するでしょうが、扱い可能なイベントの性質は、科学の発展の度合いによって決まるからです。たとえば、明日火星人がいることが証明されれば、明日以後は火星人が登場するSF映画は製作できないことになります。

4.ジャンルそのものが時間・場所的な制約を受けるジャンル
西部劇がまさにこれにあたります。実際は南部が舞台でありながら西部劇と呼ばれるなど、場所的制約に関してはやや幅があるものと考えられますが、時間的制約はまさに西部開拓史時代でなければならないという強い制約があります。のみならず、私めの主張のメインポイントは、この時間的制約とは単に舞台となる時代が西部開拓史時代でなければならないという意味のみではなく、その映画が製作された時点で西部開拓史時代の同時代記憶が存在していなければならない、すなわち西部劇はタイプ2として挙げた歴史劇が持ってはいないコンテンポラリドラマとしての色合いを有していなければならないという意味も含まれますが、これについては次の段で述べます。このように考えてみると、4のタイプの映画ジャンルはほとんど存在し得ないことになります。と言うのも、たとえば「古代ローマもの」などというジャンルを、「西部劇」と同じ意味で切り出してくることはできないからです。「西部劇」が「西部劇」であって決して「歴史劇」でもなければ「歴史劇」のサブジャンルですらないのは、「西部劇」ジャンルには同時代記憶の存在が前提とされるからなのです。これに対して、「古代ローマもの」などというジャンルを分類項として無理矢理作ったとしても、それはあくまでも「歴史劇」のサブジャンルに過ぎないのです。要するに、映画が発明された後か、その直前の時代しかジャンルとして切り出してくることはできないということです。従って、「第二次世界大戦」ジャンルなどは存在してもよいことになりますが、いずれにしても1つのジャンルとして纏めるだけのジャンルの特徴が明確になっていなければなりません。その意味では、実質的に「第二次世界大戦」ジャンルについて語っているに等しい、Jeanine Basingerの「The World WarII Combat Film」(Wesleyan University Press)はなかなか興味深いものがありますが、この本については別の機会に紹介することにします。

 前段までで「ジャンル」とは何かについてある程度明確化したので、次にいよいよ「西部劇」というジャンルについて考えてみましょう。実は、それは同時に「何故1970年代になって西部劇が死滅に近い状態になってしまったか?」という問に回答することでもあるのです。前段で述べた「タイタニック」のケースを思い出してみると、西部劇が衰退期を迎えた1960年代とはどのような時代であったかに関して興味深いことに思い当たります。これまで他の映画のレビューの中で何度も述べてきたように、西部開拓史の重要なファクターであった「フロンティア」は、公式には1890年に消滅します。つまり、1880年代が西部開拓史の最後の時代であったことになります。それからおよそ80年が経過したのが1960年代であり、これはまさにキャメロン版「タイタニック」が製作された1990年代が、タイタニック号沈没事故のおよそ80年後であったことと一致します。すなわち、1960年代とは、西部開拓史の最後の生存者達が次々に亡くなり、同時代記憶が急速に失われつつあった時代だったのです。「タイトル別に見る戦後30年間の米英映画の変遷」の「21.西部劇の凋落《ビッグトレイル》」の中で、西部劇が1960年代に凋落した理由について、「まず、第1の説は、題して「生き証人消滅説」であり、少し変わったこの説によれば、西部開拓史時代は遠い過去の出来事になりつつあるという点が強調される」と述べました。これを書いた時は半ば冗談半分でもあり、「少し変わったこの説」などと筆をすべらせていますが、まさにそれこそが真相であったのではないかと今では考えています。ここでかなり大胆な仮説をブチ挙げると、「西部劇」というジャンルは、ホラージャンルやアドベンチャージャンルなどと異なり、特定の場所と時代に強く結び付いたジャンルであり、その成立は同時代記憶が存在するという前提に大きく依拠し、それがなくなると同時に、本当の意味でそれに属する作品を製作することは論理的にも不可能になるような類のジャンルであったのです。この仮説を適用すると、「何故1970年代になって西部劇が死滅に近い状態になってしまったか?」という問に対する回答は、「西部劇ジャンルに属する作品を製作することは、同時代記憶が失われた1970年代になっては、もはや論理的にも不可能になってしまった」ということになります。要するに、西部劇にはコンテンポラリドラマすなわち同時代記述としての色合いが常に多かれ少なかれ含まれていたということです。かくして、同時代記憶が失われた時、客観的な記述を主観的な記述に置き換えようとする傾向性を有する同時代記述モードで描かれる西部劇の世界は、主観的な記述を客観的な記述に置き換えようとする傾向性を有する歴史記述モードで描かれる歴史劇の世界に席を譲らざるを得なくなったのです。従って、1970年代以後は、西部劇は歴史劇になるか(開拓史時代を扱った歴史劇と呼べる作品は、まだほとんど存在しませんが)、或いは「かつて存在した西部劇」のスタイルを外面だけ真似た作品を製作するか、若しくは「かつて存在した西部劇」のスタイルをパロってしまう作品を製作するかのいずれしか可能ではなくなったということです。言い換えれば、西部劇を製作しようにも、今となってはもはや、誰も記憶していない西部開拓史時代をノスタルジックに描くことはできず、かつて成立していた西部劇というジャンルをノスタルジックに模倣するか、或いはそれをパロって描くことしか論理的にもできなくなったということです。同時代記憶をベースとした本物の西部劇を1970年代以後製作することが不可能であるのは、同時代記憶をベースとした本物のタイタニック映画を21世紀になって製作することが不可能であるのと全く同様なのです。そのように考えてみると、極めて興味深いのは、「小さな巨人」に登場するダスティン・ホフマン演ずる主人公です。「小さな巨人」は、1970年に生きる120歳になった主人公の回想物語として描かれますが、なぜ120歳などという、不可能ではないにしてもほとんど常識では考えられない年齢に達した人物を登場させたかというと、よわい120などという怪しげな人物を登場させない限り、同時代記憶をベースとした同時代記述のモードによって西部劇を描くことはもはや不可能になったことを明示したかったからではないかということに気が付くことができます。また、これは個人的な思い付きで確たる証拠があるわけではありませんが、カスター将軍神話のような神話的な言説の生成、伝播は、主観化の傾向性を持つ同時代記述によって始めて可能になるのではないかということが十分に予想され、要するに、「小さな巨人」は、西部劇というジャンルとそれが生み出す神話的言説に対して、弔いの鐘を朗々と鳴らそうとしたのではないかと考えられます。

 このように考えてみると、実は1960年代という時代は、西部劇がテーマとして扱う対象が、西部開拓史時代という歴史イベントから、西部劇というジャンルそのものに移りつつあった時代として捉えられるのではないかということに思い当たります。「小さな巨人」や「ソルジャー・ブルー」が批判対象としたのは、開拓史時代の騎兵隊のあり方そのものというよりも、むしろそのような時代を舞台とするそれまでの西部劇の描写のあり方に関してでもあったと考えられます。つまり、ジャンルそのものの批判でもあったのではないかということです。勿論、白人がインディアンを虐殺したのは歴史的事実ではあったとしても、これらの映画が批判対象としたのは、その事実に対してよりも、そのような歴史的事実を糊塗してカスター神話のような神話をでっち上げ流布することに協力してきたこれまでの西部劇のあり方に対してであったと考えるべきなのです。かくしてようやく「夕陽に立つ保安官」に戻ることができますが、「夕陽に立つ保安官」も前述の通り、コメディ西部劇であるよりも、西部劇ジャンルそのものを茶化したメタコメディであると考えることができます。では、どのような点にそれが現れているか具体的に見ていきましょう。主人公のにわか保安官を演じているのは、ジェームズ・ガーナーです。彼は、確かに「墓石と決闘」(1967)ではワイアット・アープを演じていたとはいえ、明らかに「真昼の決闘」のゲーリー・クーパーやジョン・ウェインとは違い、普通ならば西部劇の主人公を演ずるヒーロータイプではありません。「タイトル別に見る戦後30年間の米英映画の変遷」の「13.等身大のスター達の誕生《スリルのすべて》」でも述べたように、ジェームズ・ガーナーという俳優さんは、自らがブラックホールになることによって廻りを引き立たせるようなタイプの俳優であり、西部劇ヒーローに必要なカリスマ性は持っていないのです。それでも「夕陽に立つ保安官」では、放り投げたコインを拳銃で射抜いたり、悪漢を一撃のもとに早撃ちでしとめるガンプレイを見せてはくれますが、従来の西部劇ヒーローのシリアスさはどこにもありません。この傾向は、「夕陽に立つ保安官」の続編である「地平線から来た男」(1971)ではさらに拍車がかかり、そこではガーナーは、名うての札付きガンマンの名前を借りる(しかも、ジャック・イーラム演ずる助手にその名をかぶせてしまいます)見栄張りの保安官を演じています。細かい点ですが、「夕陽に立つ保安官」で留意しておくべきことの1つは、ガーナー演ずるキャラクターは、オーストラリアに新たなフロンティアを求める途中で、この映画の舞台となる田舎町に立ち寄ったという設定になっていることです。つまり、アメリカからフロンティアが消滅しつつあった時代が舞台であることが、それによって暗示的に示されているということです。彼は、西部劇お得意の野郎どもの大立ち回りが始まっても、一人で悠然とメシを食っています(上掲画像左参照)。そのガーナーの助手を演じているのが、ジャック・イーラムです。イーラムと云えば、セルジオ・レオーネが前年に監督した、マカロニウエスタンならぬマカロニ風西部劇「ウエスタン」(1968)の冒頭の顔面に止まったハエを顔面の筋肉の動きで追い払おうとするシーンで強烈な印象を残していますが、いかつい顔をして従来の西部劇であれば悪役を演じているはずなのに、「夕陽に立つ保安官」及び「地平線から来た男」では、登場する人物の中でも最もコミックなパフォーマンスを繰り広げており、しかも漫才に喩えればボケにあたる役を勤めています。また、「真昼の決闘」の冒頭でゲーリー・クーパー演ずる保安官が、圧倒的な敵を前にして逃げるようにして町を去っていきながら、やがて気を変えて町に戻ってくるように、「夕陽に立つ保安官」でも、ガーナーキャラクターは圧倒的な敵を前にして町を立ち去ろうとしつつも、結局踏みとどまります。しかし、その理由がふるっていて、ジョーン・ハケット演ずる娘が「波風を立てずに町を去っていく態度は実に慎重で大人だ(mature)」と評するのを聞いて、臆病者と評されたと解釈するからです。確かに、勇敢/臆病という対立項も、かつての西部劇において重要なモラル要素として機能していたことに相違ありませんが、「夕陽に立つ保安官」の場合には勇敢/臆病が語られるコンテクストが従来の西部劇とはまるで違うのです。すなわち、モラルコンテクストを全く抜きにして、単なるワードプレイとして勇敢/臆病の対立項が口に出されるのです。「真昼の決闘」で主人公が町に留まる決心をするのは、彼の持つ正義感という強烈なモラルコンテクストがあったればこそであったのに対して、「夕陽に立つ保安官」では単なるワードプレイとして勇敢や臆病について語られるだけなのですね。ここには、「真昼の決闘」などのかつての西部劇を茶化す意図すら感ぜられるのです。また「真昼の決闘」では、主人公と悪漢四人の最後の決闘が大きなクライマックスを構成しますが(何せラストの決闘シーンに至るまで撃ち合いシーンは全くありません)、「夕陽に立つ保安官」の最後の決闘は、一種のアンチクライマックスですらあります。何せ、ほとんど誰も死なないのです。唯一、ジョーン・ハケット演ずるくだんの元気娘が悪漢を二人ほど打ち倒しますが、それを見たガーナーキャラクターが彼女の出しゃばりをたしなめる程なのです。その後のシーンで、ガーナーキャラクターが、「ちょっとタイム」と言いながら大通りを渡ると(上掲画像右参照)、その間悪漢どもも本当に射撃を中止します。要するに、従来の西部劇のクライマックスシーンをパロっているのですね。そもそも、この悪漢どもというのが、捕まった牢屋の窓に鉄格子が嵌められていなくとも脱走すらしないのです。それから、ジョーン・ハケット演ずるケッタイで好戦的な娘(続編の「地平線から来た男」ではこの役回りをスザンヌ・プレシェットが演じていました)は、「真昼の決闘」のグレース・ケリーのアンチテーゼのようなキャラクターです。「真昼の決闘」でグレース・ケリーが演ずるクエーカー教徒の娘は、最後には、どこかの国の懐かしの歌謡曲をもじれば、走り始めた汽車を一人飛び降りて、旦那のもとに駆けつけ、のみならず自身クエーカー教徒であるにも関わらず背中を向けていた悪漢一人を血祭りにあげるとはいえ、基本的には平和主義者であり、正義感に燃えた、というよりも彼女には正義感に取り憑かれているとしかとても思えない新婚の旦那をなんとかして町から立ち去らせようとし、それが不可能であることが分かると一人でずらがろうとさえします。これに対して、「夕陽に立つ保安官」のジョーン・ハケットキャラクターは町で一番好戦的であり、前述の通り、クライマックスのシーンでは嬉々としてライフルをぶっ放し、悪漢二人をあの世に送ります。余談ですが、このモーレツ娘のオヤジを演じているのが独特のスピーチパターンを持つハリー・モーガンであり、彼は「真昼の決闘」では臆病風に吹かれた町の住人の一人を演じていました(「真昼の決闘」当時はヘンリー・モーガンの名で出演していましたが)。かくして、「夕陽に立つ保安官」の全編に渡って、従来の西部劇作品が当然のものとして扱ってきた図式を嘲笑うかのようなシーンが散りばめられているのです。単に西部劇の枠組みをそのまま残してその中味としてコメディを盛り込んだコメディ西部劇というのではなく、西部劇の枠組みそのものを笑いのめそうとしたのが「夕陽に立つ保安官」という作品だったのです。そして、そのことが可能になったのは、西部開拓史時代の同時代記憶が消失して、西部劇が西部劇として純粋に成立することが最早不可能になりつつあったからであるというのが当レビューの最終的な結論なのです。

2008/10/03 by Hiroshi Iruma
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