ナイル殺人事件 ★★☆
(Death on the Nile)

1978 UK
監督:ジョン・ギラーミン
出演:ピーター・ユスティノフ、ミア・ファロー、デビッド・ニブン、ベティ・デービス



<一口プロット解説>
エジプトのナイル川を遡行する汽船の中で大金持の令嬢(ロイス・チャイルズ)が殺害されるが、その船には名探偵エルキュール・ポワロ(ピーター・ユスティノフ)が乗り合わせており、事件の解明に乗り出す。
<入間洋のコメント>
 有名なミステリー小説の映画化は、意外なことにあまり多く存在しません。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズに至ってはまともな作品よりも、パロディ的なもの、或いはかなり捻ったものの方が多いのが実情です。たとえば、原作にそのような言及があるとはいえ、シャーロック・ホームズは映画化作品の中では何回かヤク中患者であることが無闇矢鱈に強調されて描かれており、ビリー・ワイルダーの作品もその例外ではありません。ひょっとするとミステリーをそのままスクリーンに投影するのは何らかの困難が伴うのでしょうか。確かにアガサ・クリスティの「アクロイド殺人事件」を映画化するのは至難の技であろうことは容易に理解できますが、シャーロック・ホームズなどはストレートにスクリーンに表現されても何の問題もなさそうに思われます。そのような印象は、前述の「アクロイド殺人事件」は別としても、アガサ・クリスティの作品に関しても同様に当て嵌まります。何度かリメイクされている「そして誰もいなくなった」や、マーガレット・ルザフォードが主演したミス・マープルものがあるにはありますが、もう少したくさんあってもよさそうな気がします。また、エルキュール・ポワロものとしては、アルバート・フィニーがポワロを演じた「オリエント急行殺人事件」(1974)やピーター・ユスティノフ主演の「ナイル殺人事件」(1978)、「地中海殺人事件」(1982)などが思い浮かびます。とはいえ、アガサ・クリスティの名声から考えれば、またテネシー・ウイリアムズの戯曲を元にした映画が山ほどあることに鑑みれば、もう少したくさんあってもよさそうなものです。さらに面白いことに、前述の作品はほとんどが英国産であり、ハリウッド産はほとんどありません。きっと、アメリカの土壌にはアガサ・クリスティタイプの錯綜したミステリーは合わないのかもしれません。同じ探偵物でもたとえば「マルタの鷹」(1941)のサム・スペードのように、知力よりもハードボイルドスタイルが好まれるのが普通のようであり、アメリカ人の単細胞にはその方が分かり易いということでしょう(あっ!口が滑った。嘘ですよ嘘嘘・・・)。
 さて、このレビューでは、さ程多くはないアガサ・クリスティものの映画化の中から70年代にかなり話題を呼んだ二本を取り上げます。すなわち、「ナイル殺人事件」と「オリエント急行殺人事件」です。「ナイル殺人事件」の方をレビューのタイトルとして取り上げたのは、一方の「オリエント急行殺人事件」は、原作がどうであろうが映画化には向かず、映画化作品としては失敗作であると個人的に見なしているからです。その理由についてはこれから述べます。通常はネガティブなレビューはしないことにしていますが、「オリエント急行殺人事件」の場合には、監督が他ならぬあのシドニー・ルメットであり、彼の実力を持ってしても失敗に終わらざるを得ない構造的な要因が「オリエント急行殺人事件」には存在していることを説明するために、そちらもこのレビューに取り上げることにしたという次第です。仮に、シドニー・ルメットと「ナイル殺人事件」のジョン・ギラーミンのどちらが質的に上であると思うかというアンケートを実施すれば、100人中99人は前者にチェックすること必至であり、それような彼が、ミステリー分野ではクラシックとも称せる「オリエント急行殺人事件」を取り上げて失敗するにはそれなりの理由がなければならないということです。というよりも、一般には映画化作品も成功作であると見なされているはずであり、それにも関わらず、なぜ天邪鬼のごとく個人的にそれを失敗作であると見なすかについては、説明の必要があるのは確かなところです。尚、「オリエント急行殺人事件」については、以下にトリックをばらすため、原作にも映画化にも無縁な人は、これより先は読まない方がいいかもしれません。
 まず第一に、両作品に共通して当て嵌まることは、オリエント急行の車中であったりエジプトであったりと、エキゾチックな舞台が選択されていることです。しかしながら、実は、そのような背景が実に見事に利用されているのが「ナイル殺人事件」であるとするならば、見事に無視されているのが「オリエント急行殺人事件」であるように思われます。前者では冒頭からラストまでエジプトのエキゾチックな風景が見事に取入れられており、勿論映画とは単なる絵はがきではなく、それだけが全てでないのは当然であるとしても、前者においてはエキゾチックな雰囲気がミステリーを絶妙に惹き立てている点において実に巧みであったと評せます。それに対し後者では、折角オリエント急行という実にムード溢れる舞台が設定されているにも関わらず、作品開始30分で主人公達を乗せたオリエント急行は雪の中で立ち往生し、同時に映画自体の進行も立ち往生してしまいます。それが、たとえ原作に忠実な展開であったとしても、映画化としては列車を雪の中にストップさせるべきではなかったというのが個人的な見解です。なぜならば、小説というメディアにおいてならばともかく、視覚が優先される映画というメディアにおいては、雪の中に列車を立ち往生させてしまうのなら、ロンドンのどこかの豪邸に舞台が設定されていても全く構わなかった印象を与えざるを得ないからであり、折角オリエント急行といういかにもエキゾチックな香りがムンムンと立上る舞台が用意されていながらも、そのような独自の素材が全く生かされていないように見えざるを得ないからです。すなわち、未知の大陸をひた走るオリエント急行の中で発生する殺人事件とはいかにも魅力的なプロットであるにも関わらず、列車とともにプロットが雪の中で立ち往生してしまっては魅力も即座に色褪せてしまいます。また、東洋(オリエント)への玄関口インスタンブールから西ヨーロッパへと向かうオリエント急行の車内が舞台として選択されていますが、原作がどうであれ、西ヨーロッパからイスタンブールへ向かうオリエント急行に舞台を設定した方が効果的であったような印象を受けます。なぜならば、少なくとも西洋のオーディエンスに対しては、その方がいかにもこれからエキゾチックな世界であるオリエントへ向かう雰囲気が醸し出せるはずだからです。
 ところで、このような両作品の相違は、「オリエント急行殺人事件」と同じ年にあの娯楽大作「タワーリング・インフェルノ」(1974)を監督したジョン・ギラーミンの徹底的に娯楽的要素にこだわる姿勢と、あの「十二人の怒れる男」(1957)を監督したシドニー・ルメットの、たとえ何もない密室であろうが緊張感溢れる作品を作って見せるとする才気走った姿勢との相違に由来するであろうことは十分に予想されるとしても、1つ確実に言えるのは、前者ではそのような傾向が最良の形で活かされたのに対し、後者ではそのような才気走りが悪い方に出たのではないかということです。同じく12人のメインキャラクターが論争を繰り広げる「十二人の怒れる男」が、あれほど素晴らしい密室映画に仕上がっていた1つの理由は、個性溢れる12人のキャラクターが丁々発止と各自の個性をぶつかり合わせる点に求められますが、「オリエント急行殺人事件」にはそのような個性のぶつかり合いがほとんど見られないのです。しかし、それは、シドニー・ルメットの責任であるというよりは、「オリエント急行殺人事件」というミステリー作品の持つ構造上の問題に帰せられるべきだというのが個人的な見解です。すなわち、エルキュール・ポワロ(アルバート・フィニー)が各乗客を順番に尋問し最後に乗客全員の前で謎解きをするという展開によって示されるように、作品の構成そのものによって、ラストの種明かしに至るまでは、常にポワロとそれ以外の人物一人の間での会話しか許されておらず、会話以外に他に頼るものが多くはない密室劇にとっては大きな弱点を抱え込まざるを得ないような構造が、「オリエント急行殺人事件」というミステリー作品には最初から孕まれているのです。すなわち、乗客全員が犯人であるというネタが早々と割れないよう、乗客同士のインタラクションが極端に制限されている点が、この手の密室映画としては致命的だということです。たとえ原作通りであったとしても、もともと大人数の登場人物が一度にワンシーンに登場することの少ない小説とは異なり、ナレーターを登場させない限り個人の思考をオーディエンスに分かるよう外面化することができない映画というメディアの中では、このことは由々しき問題となり得るのです。その点をもう少し詳細に説明してみましょう。主要登場人物の中で、犯人でないのはポワロとオリエント急行を経営する鉄道会社社長(マーティン・バルサム)のみであり、それ以外の乗客は、全員が共謀者同士です。従って、犯人ではないポワロと鉄道会社社長のどちらも立会っていないシーンに登場する全ての人物は、そこに居合わせた全員が犯人であることを知っているはずです。それような前提がある中で、そこで交される会話がこれから行われんとする殺人計画とは全く無関係な話であったり、自分達がまるで犯人ではないことを示唆するような内容であったとすれば、それは単にオーディエンスを欺くためのみに設けられたシーンであったと見なされても文句は言えないはずです。というのも、今から重大な殺人事件に関与せんとしている人々の間で脳天気な旅先の話など交換されるはずがないからです。一方、もしそのようなシーンで、これから実行される殺人計画を暴露する会話が少しでも交わされれば、ストーリーの半ばにしてオーディエンスにトリックがバレてしまいます。つまり、その時点でミステリー要素は消失してしまうことになります。このジレンマを解決する手段は少なくとも2つあります。1つはテレビシリーズ「刑事コロンボ」のごとく、最初から潔くトリックをバラしてしまい、焦点を謎解きからいかに探偵が犯人を追いつめるかに逸らしてしまう方法です。しかしながら、そのような展開が選択された場合には、最早その作品をミステリーと呼べるかには疑問の余地が残るでしょう。もう1つは、殺人計画を知らない第三者を常に居合わせるようにする方法です。勿論、「オリエント急行殺人事件」は「刑事コロンボ」ではなく、後者の手段が選択されなければならず、そうであるとすると、乗客の全員が犯人であるという前提があるために、ほとんどあらゆるシーンにポワロか鉄道会社社長が登場しなければならない結果になります。従って鉄道会社社長がほんの飾り役に過ぎない以上、常にポワロとそれ以外の人物がコンビで登場せざるを得ないのが構造上の必須要件であることが分かります。それと同じことはミステリー色を持つ他の映画でも時々見かけ、たとえば「スティング」(1973)で有名な最後のサプライズシーンの伏線を張るために第三者的な登場人物(チャールズ・ダーニング)が導入されていることはそちらのレビューで述べました。そのような構造上の問題点を抱えているが故に、「オリエント急行殺人事件」では、折角登場するオールスターキャストも、アルバート・フィニー扮するエルキュール・ポワロの尋問に答える単なるアンサーマンと化さざるを得なくなり、ほぼ全員がカードボード的なパーソナリティしか有していない結果に終っているのです。たとえばマイケル・ヨーク+ジャクリーン・ビセットのカップルはほとんど顔見せとしか思えず、各年代を代表する女優さん達に関してこのようなことを言うのは気が引けますが、アカデミー助演女優賞に一応は輝いたイングリッド・バーグマンにしてもローレン・バコールにしてもバネッサ・レッドグレーブにしても、個人的には皆似たり寄ったりの人物であるようにしか見えません。これでは「十二人の怒れる男」のような緊張感も醸成されず、ミステリーに必要なサスペンスを維持することすらできないはずです。
 これに対して「ナイル殺人事件」は、勿論全員が犯人であることはなく、「オリエント急行殺人事件」におけるような構造上の規制がなく、キャラクター同士のインタラクションは全くフリーです。つまり、二人の人物が登場するシーンにおいて、両方が犯人である場合を除き、犯行には全く関係のない会話が行われても何ら不思議はなく、というよりもそうでなければならず、「オリエント急行殺人事件」のような制約は全くありません。かくして、それがたとえ娯楽的にお気軽な人物であったとしても、なかなか興味深いキャラクターが続々と登場し、またそのようなキャラクターの間で繰り広げられる洒落た会話でオーディエンスを楽しませてくれます。このあたりが娯楽要素に徹底するジョン・ギラーミンのうまさであるとも言えるかもしれません。この作品の後、岩手県にでも引き篭もったのか彗星の如く映画界から消え去るオリビア・ハッセーが演ずる娘のセックスマニアックな母親を演じているアンジェラ・ランズベリーには「ええ加減にせえよ」と言いたくなりますが、ポワロのサイドキックを演じているデビッド・ニブンがいつものように軽妙洒脱で素晴らしく、またとりわけ個人的に気に入っているのが、ベティ・デービス+マギー・スミスという、決して一筋縄では扱えない米英二大スターの取り合わせです。また、俳優の名前はよく知りませんが、ナイル川を遡行する汽船のエジプト人船長のコメディ的なパフォーマンスが実に楽しく、エクセントリックな印象の強いミア・ファローや、いかにもアメリカ実業家的に計算高い弁護士を演じているジョージ・ケネディなど、個性的で時には珍妙なキャラクターが続々と登場し、娯楽的な雰囲気を大いに盛り上げてくれます。また、ミステリーそのものとして見た場合でも、全員が犯人であるという「オリエント急行殺人事件」よりも、「ナイル殺人事件」の方が結末としては遥かに無理がなく、また意外性があることは論を待たないところです(但し、こちらについてはネタを明かさないので、見ていない人は是非見て下さい)。勿論、「ナイル殺人事件」にも、メイド(ジェーン・バーキン)やセックスマニアックな母親(アンジェラ・ランズベリー)が偶然殺人現場を目撃したがために殺されるなど偶然性に依拠した部分がある点、共犯者同士であるにも関わらず、他に誰も居合わせていないのに二人が殺人計画とは全く無縁な会話をし、見ている観客を欺くために挿入されているのではないかと疑いたくなるシーンが1シーンだけ存在すること(但しこの点については時間的なスパンを考慮すれば情状酌量の余地はあります)、実際に発生していない架空のフラッシュバックシーンが執拗に繰り返される点、などにマイナス要素が認められます。とはいえ、ミステリーの映画化としては、「ナイル殺人事件」の方が「オリエント急行殺人事件」よりも遥かに上だというのが個人的な評価です。繰り返しますが、「ナイル殺人事件」は、娯楽に徹したエンターテインメント作品としては極めてよくできていることに間違いはありません。いずれにしても、小生のようにエジプトに出掛ける程のお金のない人は、この作品を見てエキゾチックな風景にうっとりするのもまた乙であるかもしれません。

2001/01/07 by 雷小僧
(2009/01/10 revised by Hiroshi Iruma)
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