道・鎌倉街道探索日記

◆◆◆◆◆◆◆ 所沢・白旗塚  ◆◆◆◆◆◆◆

白旗塚

白旗塚は小手指原古戦場碑から西に見える前方後円墳型の塚で、塚の頂上には白旗塚碑や石祠の浅間神社があります。元弘3年(1333)新田義貞の鎌倉攻めのときに最初に鎌倉幕府軍と激戦を交えたところがこの小手指原といわれています。白旗塚はそのとき新田義貞がこの塚上に源氏の白旗を掲げたという伝承から名付けられたものだそうです。
小手指原には以前に白旗塚以外にも数個の塚がはあったそうですが現在はこの塚しか見あたりません。白旗塚は古代の古墳ではないかといわれています。またこのような塚は富士山に似ていることから、富士信仰の対象として頂上に浅間神社が設けられることが多いようです。一説では江戸時代に冨士講の人達が人工的に造り上げた丘であるともいわれているそうです。結局のところは、この塚の真相は謎に包まれたままのようです。

小手指原の白旗塚

新田義貞軍と鎌倉幕府軍の小手指原の合戦とはどのようなものであったのか。小説ではありますが新田次郎氏の『新田義貞』には、上州の新田荘を出発した新田軍は百五十騎ほどの軍勢でしたが、入間川に到着した頃には約千の兵であったと書かれていて、迎へ撃つ鎌倉軍は10日の早朝に鎌倉を出発していて、総大将桜田貞国、右大将長崎高重、左大将長崎孫四郎、脇将加治左衛門入道等が率いる二千の軍勢です。11日の夕刻に入間川のほとりにいた義貞の基へ堀口貞満の軍に捕らえられた鎌倉軍の物見の一人が連れてこられます。義貞の前で貞満が男に名を名乗るよう尋問しますが男は答えません。そこで「名を告げずに死のうと決心したのは天晴れだ。望みどうり首は打ち落とすが亡骸のあたりに板碑を立ててやりたい、名を名乗のりなさい」とその思いやりの言葉に男は「横山六郎七郎なり」と答えたのでした。

白旗塚

貞満は身体を乗出し「武藏七党の横山の一族か」と声を高くして訊ねたのでした。貞満は男の縄を解くように命じ、「武藏七党の横山と名乗る者ならば名誉の家に生まれたものである」と、武藏七党のことをあれこれと語り、武藏七党ならば己の行動に責任を持つべきである。われらは天皇の論旨により旗挙げしたのであり、その我らに刃向かうということは逆賊の汚名を着せられるので、我らの味方につくように進めるのでした。その説得で横山六郎七郎は義貞自筆の御教書を携えて横山党をはじめ武藏七党を新田方に誘い込むことを誓うのでした。以上の話は新田次郎氏のフィクションではありますが、全く根拠の無い話では無いと思います。新田軍はこのようにして武蔵の武士達を味方にしていったのでしょう。一方の鎌倉方についた武藏七党の加治左衛門入道は大将の桜田貞国に武藏七党のもので鎌倉方に出て来たものの数が僅かなので、その主力が躊躇していることが気がかりであると話す場面などが語られています。

白旗塚に上るところ

上の写真の白旗塚に上る階段状の登り口右側には比較的新しい古戦場碑が建っているのが見られます。その石碑には以下のように刻まれています。

古武将の御魂祭れりこの塚を
護り通せと先祖より受
此の塚を壊せし者は忽ちに
霊魔を受けて死するやもあり
武蔵野の小手指ヶ原古戦場
月の光は変らざりけ里


下の写真は白旗塚頂上の白旗塚石碑と浅間神社です。塚に上ってみると、かなり大きな塚であることが実感されます。北側の林には古墳の堀のような跡も確認できます。

白旗塚上の浅間神社

新田義貞の鎌倉攻め

『太平記』によれば元弘3年(1333)5月8日に生品明神(現在の群馬県新田郡新田町)で新田義貞は鎌倉の北条高時を攻めるために旗挙げをします。新田義貞の軍は10日には入間川北岸に到達していました。一方の鎌倉北条方は桜田貞国を将として新田方を迎え撃つため鎌倉街道を北進していました。そして5月11日に両者はここ小手指原で激しく戦ったのですが勝敗はつかず、新田方は入間川へ、鎌倉方は久米川へ後退しました。翌12日に先制攻撃を掛けた新田方は久米川の陣を攻めて鎌倉方を分倍河原まで退けさせます。15日には新田方は府中まで攻め込みますが、鎌倉方には北条泰家の援軍10万が来ていたので新田方は堀兼まで退きました。このとき新田方はかなりの痛手を被ったと思われましたが、そこに大多和義勝など三浦氏や相模国援軍6千を迎えた新田方は陣を立て直し、翌日再び分倍河原を攻め、鎌倉方は総崩れとなります。そのまま勢いついた新田方は鎌倉まで攻め上り、そしてついに22日に稲村ヶ崎より鎌倉に攻め入り、執権北条高時を攻め滅ぼして約150年間続いた鎌倉時代は幕を閉じるのです。生品明神での旗挙げから僅か14日間の出来事でした。

小手指原の白旗塚

 

オリジナルを重視するため、鎌倉街道上道(埼玉編)の作成当初の市町村銘そのままにしています。 平成27年の鎌倉街道上道が通る市町村は、以下のとおり変更(合併)されています。

花園町→深谷市  川本町→深谷市  児玉町→本庄市

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