道・鎌倉街道探索日記

◆◆◆◆◆ 入間・熊野神社・馬坂  ◆◆◆◆◆

下藤沢の熊野神社

入間市下藤沢明の沢にある熊野神社の大杉は市指定天然記念物になっている御神木で、目通り4.05メートル、高さ28メートル、枝張り25メートルで、樹齢約600年だそうです。下の写真の神社拝殿前の大木がその大杉です。この熊野神社は、以前は現在地より北西の台地上にあった飛竜神社を、村の中央に移したものが今の熊野神社であるといい、大杉はその当時植えられたものと伝えられています。

入間市下藤沢の熊野神社

熊野神社の伝説によると、新田義貞が鎌倉攻めの時、元弘3年(1333)5月8日上野国の生品明神で旗揚げをして出陣し、翌9日此の地、下藤沢明の沢に着陣したところ、南方から一羽のカラスが飛来して、義貞の旗の上に止まったといいます。義貞は、日本一霊験あらたかな紀州熊野宮の飛竜の神の援護であると喜び、ついに鎌倉攻めに勝利し、帰途再びここに立ち寄って飛竜神社を建立したといいます。この話は鎌倉街道の資料に載っていたものですが、上野の生品明神での旗挙げからたった一日でここまで来たというのは本当なのか、或いは資料の記述間違いなのか。

熊野神社

新田橋

所沢市の小手指原から狭山ヶ丘を通り、入間市下藤沢の明の沢まで来た鎌倉街道は、県道川越入間線をまたぎ、間もなく不老川を渡ります。下の写真はその辺りのものです。不老川には石橋があり、この橋を新田橋と呼んでいます。やはり新田義貞その人の名から付いた橋の名前なのでしょう。この橋の西方、藤沢小学校がある南西の丘の上が熊野神社の旧地と伝えられる場所で、現在では林の中に飛竜神社の碑が建っています。

下藤沢の不老川に架かる新田橋手前の道

馬坂

新田橋を渡った街道はその先すぐに、右に大きく曲がり急な上り坂となります。この坂は「馬坂」と呼ばれて、かっては武蔵の武士団が鎌倉を目指して駆け抜けて行ったといいます。馬坂から先の街道は平坦な台地上を進み、区画整理された新興住宅地を通っています。その辺りはかっては、一面雑木林で覆われていて住宅地を抜ける辺りは、子供の背丈ほどの切り通しであったといいます。更にその先は富士見公園の西側を北に向かい、入間市運動公園に突き当たります。そこで一旦消えた道は国道463号線の向かい側に再び現れ、台地を上って行き、すぐ急な下り坂になります。その辺りは入間市の市街地です。そして日光街道を北上し、その先で幾つかに街道伝承は分かれ、道筋は不鮮明になっているようです。

新田橋を過ぎて右に大きく曲がって上る馬坂

 

オリジナルを重視するため、鎌倉街道上道(埼玉編)の作成当初の市町村銘そのままにしています。 平成27年の鎌倉街道上道が通る市町村は、以下のとおり変更(合併)されています。

花園町→深谷市  川本町→深谷市  児玉町→本庄市

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