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豊後水道  臼杵←→八幡浜航路  道後温泉
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写真 関係写真がありませんので同じ写真ばかりですが・・・関西汽船別府航路開設90周年(2000.5.28)記念に作成された往時のくれない丸>のイラスト

1978年 夏 九州からのミニ四国旅行
●航海 豊後水道
@往路 臼杵→八幡浜 九四フェリー<船名不詳>特等室
A復路 八幡浜→臼杵 九四フェリー<船名不詳>特等室

●旅程 定かでないが道後温泉一泊は確か
第一日目 京都→伊丹空港→大分空港→臼杵
第二日目 臼杵
第三日目 臼杵
第四日目 臼杵→臼杵港→八幡浜港→八幡浜→松山→道後温泉
第五日目 道後温泉→松山→八幡浜→八幡浜港→臼杵港→臼杵
第○日目 臼杵 以下、記憶に定かでなく不詳

 

 法事か何かで幾日かの余裕のある日程で臼杵を訪れていた。お盆であった。滞在先の家は立派な和風建築であったが部屋にはクーラーがなかった。小生はいたって暑さには弱い。そこで堪らずちょっと避暑とばかりに逃げ出すことにした。(^^)

 臼杵は城下町であり港町である。港は、その家からは臼杵市街を通り臼杵城跡を迂回して駅前から海岸沿いの道路を行き臼杵造船所の横を通り過ぎて行った辺りにあった。タクシーでは確か十分程度であった。田舎町の港だからさぞ侘びしい佇まいであろうとタカをくくっていたのだがターミナルビルで降り立つと白亜の殿堂。(^^) 鉄筋コンクリート建、三階建て? かなり立派な真新しい建物である。フェリーの港であるから駐車場などのスペースも回りにあるのだがこれも広くて綺麗に整備されている。
 ターミナルビルの中に入ると穏やかだが冷房も効いていたように記憶する。昼下がりであったからなのか、お盆の最中からからなのかは分からないが広いビルの中に人影は殆どない。
 とりあえず発券窓口で
「この船にはどんな部屋がありますか?」
 と尋ねる。
「二等と特等だけです・・・。」
「そうですか、じゃ特とは空いてますか?」
「はい、空いていますよ。」
「では、それでお願いします。」
 確か、その時乗船申込書への記入を指示されたように思うが定かではない。料金は4,000足らずであったように記憶している。乗船券を買い求め自動販売機で缶ジュースを買い求めて乗船した。

●第四日目 往路 臼杵→八幡浜 九四フェリー<船名不詳>特等室
 確かタラップを上って乗船した。最上階のデッキ、ブリッジの下に特等船室があったように思う。入口から振り返ると二等船室が通路の向こうに見えていた。特等船室は四畳半か八畳くらいなのか定かではないがドアを開いて入ると左舷の部屋で左の舷側の壁面のちょっと高い位置に余り大きくはない四角い船窓があった。正面の壁からベッドが真ん中の通路を挟んで左右に二台配されていて右手前に電話台のようなチェストか? 他にさしたる家具などはない。僅か二時間程度の航海であるからこの程度以上の設備は必要がないのであろう。洗面台もトイレも、もちろん浴室もない。無かったように記憶している。別に困ることはないだろう。充分ではないかと思う。
 船は港を出港すると左舷側には佐賀関の岬を見ながら臼杵湾を暫く航行し豊後水道へ入る。この辺りは有名な「関アジ」「関サバ」の漁場であるはずだ。海の水深が深いのか水面は青く濃い。穏やかに航行し豊後水道を横断して行く。空は快晴で雲一つなく青く澄んでいる。ほどなく四国の佐多岬が左手に見えてくる。がも速いと聞いていたから少々は揺れるのではないかと心配していたのだが快晴の好天に恵まれほとんど海は凪、揺れることは全くなかった。二時間というのはちょっと昼のうたた寝に程良い時間である。ウトウトしていると船内アナウンスが間もなく八幡浜港入港を告げていた。
 デッキに出てみると前方に八幡浜の街並みが見える。少し入り江になっているのだろうか左右には陸地が見える。山並みは緑が濃い。海面も緑色に見える。工場のようなモノがあるようで小型運搬船の船影などを多く見かけるし漁船のような小舟なども結構多い。港の雰囲気が迫る頃、船は岸壁に着岸した。岸壁に降り立ちターミナルビルへ向かいながら振り返ると舳先をぱっくりと開いて積載してきた車両がそこからぞろぞろと降りてきた。以外と乗船客はあったようだ。

 急ぐ旅でもないし、今夜の宿泊先が決まっているわけでもなかった。折角、初めて訪れた港だからと辺りを一巡ちょっと歩いて回る。磯の香りが漂っていた。港の前にはバス停があって何処へ行くバスが来るのかと思っていれば・・・。「東京」と表示したバスがやってきたのには驚いた。八幡浜から東京までの夜行の緒距離バスのようであった。港の探索はそこそこに、はてさて何処へ行こうかと思いながら駅までの道順を売店の人に尋ねる。そんなに遠くはないようだがここから連絡バスがあるという。
 港からの連絡バスでとりあえず八幡浜駅へ。行き先を定めて切符を買わなければならないから一応松山と言うことにして乗車券を買う。特急列車は出発したばかりで一時間以上待ち時間があった。普通列車は途中駅までらしいが直ぐに出発するようだったのでそれに乗る。ローカルの汽車旅は特急列車よりはるかに普通列車の方がその土地土地の趣が漂っていて旅情があるというものだ。お盆なのにクラブ活動でもしているのだろうか、トレーナー姿で大きなスポーツバッグを抱えた高校生、日焼けしたおじさんやおばさんなどが止まる駅毎にまばらに乗降して行く。
 途中何処だか記憶にないが乗り換えた。三十分くらいの連絡待ち時間があって駅前を散歩した。乗り換えた普通列車で松山に到着したのは午後五時頃であった。

 駅には降り立ったものの行くアテがない。駅構内の旅行案内所へ向かいながらようやく今宵の宿泊地は、そうだ松山だ、坊ちゃん宜しく道後温泉だ決めていた。
 案内所のカウンターには誰も人がいなかった。
「すみません・・・。」
 小生の声に奥から係のぽっちゃりとした中年の男性が微笑みながら出てきた。
「お待たせしました。ご希望は?」
「はい、今夜道後温泉に泊まりたいので宿を予約したいのですが・・・。」
「道後ですか、今日はお盆ですから何処もいっぱいですよ。」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ、十三日ですからねぇ。温泉はいっぱいですよ、町中のホテルでは如何ですか?」
 そんなことを言われても今し方折角、今宵は道後温泉と決めたばかりなのに。
「今夜は折角の松山ですから道後温泉でのんびり湯に浸かりたいんです。何処かありませんか? どんな部屋でもいいですから。」
「そうですか、じゃちょっとお待ち下さい・・・。」
 暫く待たされた。
「お待たせしました。高いお部屋ですがいいですか? 一泊二食税金サービス料別で40,000円ですが・・・。」
 と遠慮気味に怪訝そうに問う。Tシャツに綿パン、紙袋ひとつの小生の姿にどうやらかなり心配してくれていたようだ。(^^)
「ええ、そこでいいです・・・。」
「そうですか、いい旅館です。お部屋は天皇陛下がお泊まりになったお部屋で、お庭も綺麗ですよ。」
「そうですか、じゃそれで宜しく!」
 大枚四枚を手渡すと一気に愛想が良くなり手早くバウチャーを作ってくれた。バスの乗り場も道後のバス停からの道順も詳しく教えてくれた。誤解の無いように! 小生は金持ちではない、強いて言えば充分に「ぼんびー」である。が、旅の間は金勘定をしたくないタチ、まま、日常的にも金に対する執念が極めて希薄または欠落しているから「ぼんびー」であるのだろうが。(^^)
 こうして宿は確保してバスで道後温泉へ向かった。旅行記を書くつもりはないから宿のことは省略。

●第五日目 松山→八幡浜→八幡浜港 復路 八幡浜→臼杵 九四フェリー<船名不詳>特等室
 翌日は坊ちゃんご愛用であったはずの路面電車で松山駅へ戻り再び鈍行列車で八幡浜へ。黄昏の八幡浜港を後に豊後水道を暫しうたた寝のうちに渡り臼杵へ帰着した。

●第六日目 以下省略

 

■後日追記 2001年 秋 10月下旬
 おぼろげな記憶をたどりながら時折に加筆修正の最中でまだまだ未完成です。(^^)

 

1963 S38 − 1996 H08
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思い出の船旅