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瀬戸内海  神戸←→小倉航路  九州出張
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写真 関係写真がありませんので同じ写真ばかりですが・・・関西汽船別府航路開設90周年(2000.5.28)記念に作成された往時のくれない丸>のイラスト

1975年 秋 出張旅行

●航海 瀬戸内海
@往路 神戸→小倉 阪九フェリー<船名不詳>一等船室
A復路 小倉→神戸 阪九フェリー<船名不詳>一等船室

●旅程 定かでない

 

 北九州での催事の準備と日田での所用を兼ねて見本の呉服などを積み込んだ乗用車で出掛けた従業員(営業担当兼今回は運転手約)とふたりでの出張の船旅。あえて海路をえらぶ必要はなかったのだが小生の好みでフェリーに乗船することにした。

 

 京都南から名神高速道路で港へ向かう。本来なら2時間もあれば十二分なところだがあえて五時間前に出発した。早すぎるかな・・、・インターチェンジを入ったところで言葉を交わしながら桂川を渡り間もなく前方に天王山トンネルが見える辺りにさしかかると前方に車が連なって止まっている。渋滞である、それにしても平日の春とは言え観光シーズンのピークを超した連休明けのことである。どうやら直前に多分トンネル辺りで事故でも起こしたのであろう。(今ではこの辺りも上下線とも複々線になっていて永年渋滞の名所であった汚名を返上している。)とにかく二時間近くも動くか動かないかの超ノロノロでようやく天王山トンネルを抜けると早すぎるどころか結構頃合いの時間となっていた。
 西宮ICで降りて第二阪神を西進。青木近づくと頭上に阪九フェリー乗り場の案内表示板次の交差点での左折を示している。国道を左折すると広い道の両側に大型のトラックが並び正面に視界を遮るフェリーの船体が白く見えている。 大きい! でかい!

●往路 神戸→小倉 阪九フェリー<船名不詳> 青木港から乗船
 初めて目の当たりにした10,000トン級のフェリーは巨大な印象を脳裏に焼き付けた。途中の大渋滞のお陰で早すぎるどころか程良く定刻一時間半前くらいの到着だった。駐車スペースに車を止めると運転する彼は車検証を手に小生に従ってくる。彼はフェリーに乗船するのは初めてで全く要領が分からないと言う。小生も免許証を持たず日頃はフェリーに車で乗船することはないのでこの日が車で乗船の初体験。しかし乗船手続きというものは別段難しいことをするわけではない。乗船申込用紙に必要事項を記入して窓口へ差し出せばいいのである。車で乗船する場合は用紙が違うことはこのとき初めて知った。しかし問題はない。必要事項を記入して車検証と一緒に窓口へ差し出すと乗船券が発行された。後は乗船案内を待つのみである。まだ小一時間はたっぷりあった。喫茶コーナーで喉をいやした後に車に戻り既に幾台かが並んでいた乗船口へのレーンに車を進める。やがて乗船案内、車は徐々に進む。ゴトゴトッ・・・、と音を立てて車は船内へ。係員の指示に従い誘導された位置に停車させると係員が後輪に車止めのくさびを押し込む。手慣れた仕草であっけなくも車は車両甲板におさまった。小生たちは荷物を手に下車すると階段を上り案内所へ向かう。後で知ったことだがどうやら同乗者は車に乗ったまま一緒に乗り込んではいけなかったらしいがとがめられることもなかったし後の祭りである。(^^)
 乗船券を差し出すと船室を示す紙片とキーを手渡された。まるでシティーホテルのなかのような絨毯が敷き詰められた廊下を進むと船室はあった。

*阪九フェリー<船名不詳>一等船室四人部屋
 右舷側の一等船室。ドアを開けると横手にシャワーとトイレの小部屋がありその奥に両側に二段ベッド。窓際に向かい合ったソファのような長椅子、間にテーブル。四角い窓にはカーテン。ベッドは結構幅も広くゆったりとしていそうで白いシーツの掛かった毛布で既にメイクされていて枕も置かれ浴衣も準備されていた。窓から見下ろすと岸壁を行き交う人がこびとのように見える建物にすれば四〜五階程の高さなのだろうか。それにしてもこの一等室実に居住性のいい感じ、定員は四名だが間もなく出港時刻を迎えるはずだがどうやら相席となる後の二名は居ないようで我々ふたりで占拠できそうな気配ににんまり。

 この頃はフェリーが隆盛を迎えようとしていた頃である。大型新造船が次々と建造され航路も新たに新設されて就航していった時期でもあった。阪九フェリーもそうした新しい航路を開設し新造大型フェリーを就航させていた。

 

●余談
 近頃とはことなり、この頃はまだ特に船旅に強い興味を抱いていたわけではなく移動手段のひとつとして船を利用していた。だから最近の船旅のように船内の様子や船の概要その他諸々の船旅にまつわることを意識していたわけではないから何もかもがぼんやりと霞んだ記憶の中に漂っている。最近の乗船すること事態が目的となった船旅とは異なる退屈な旅だったのだろうか。(^^)

 

■後日追記 2001年 秋 10月下旬
 おぼろげな記憶をたどりながら時折に加筆修正の最中でまだまだ未完成です。(^^)

 

1963 S38 − 1996 H08
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思い出の船旅