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瀬戸内海  神戸→高松→今治→松山別府航路+連絡船・渡し船  自主的に乗船した初めての航路
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写真 往時の関西汽船<くれない丸>のイラスト

1965年 夏 大学時代の夏に初船旅
●航海 瀬戸内海
@往路 神戸→高松→今治→松山→別府 関西汽船<くれない丸>二等船室 夜行便
●付録
A途次 臼杵→黒島 船会社不詳<船名不詳>連絡船 佐志生←→黒島 <船名不詳>渡し船

●旅程 定かでない 船中一泊+臼杵?泊 ?泊?日
第一日目 京都→神戸→神戸港中突堤→高松港→
第二日目 →今治港→松山港→別府観光港→臼杵
第三日目 臼杵→黒島→佐志生→黒島→佐志生→臼杵
第四日目 臼杵 以下の記憶はない。

 

 七月の下旬のことだった。夏休みに入ると同時に大分県から来ていた友人の帰省に同行して大阪の友人と小生の三人で関西汽船の別府航路で彼の実家のある臼杵へ向かうことになった。今回は神戸港中突堤からの乗船で確か学割の二等、千円でお釣りがったように記憶している。夜行の船での旅で翌朝別府港に入港して後、臼杵まで鈍行列車で向かい数日の滞在の後に夜行列車の座席車で戻った。

 

●神戸→高松→今治→松山→別府
 神戸港中突堤から夕方に乗船。神戸港をあとに一路最初の寄港地高松へ向かう。神戸の町並みがやがて黄昏の中に消え夕暮れの中に瀬戸の島々を眺めながら日が沈みきった頃に高松港に入港する。
 それから今治へは深夜に近く寄港。真夜中に松山へ寄港しての地最終目的地の別府へと進む。朝に別府港へ入港。記憶が定かではないので違っていたかも知れない・・・。
 二年前に高校の修学旅行の時に乗船した<こがね丸>とほぼ同型の3,000トン級の客船。二等室は甲板下の丸窓が天井に近いところにある大部屋であることは同様であったが当時のように黒い学生服、青いセーラー服に埋もれた異様な光景とは異なりグループや家族連れがあちこちに輪を成して所々に占拠している和やかな雰囲気であった。我々も中程の部屋の一角、丸窓の下に本拠地を確保して、と言っても単に荷物をそこに置いたと言うだけであるのだが。早々と甲板へ出た。
 今時のフェリーとは異なり当時の定期航路の客船は日常的にも結構乗船客も多かった。ましてや夏休みの時期ともなれば学生の帰省には経済的な最適の移動手段として地方の学生たちが多く利用し、また我々同様夏期旅行などを楽しむ連中も多くいた。
 それにいわゆる旅客専用の船であるわけだから大きさの割には乗船客数が多くて人口密度の高い船であった。(^^) ちなみに例えば最近乗船した沖縄台湾航路を行く<飛龍>などは16,000トン級で定員は僅かに四百名余り、一名当たりにすれば40トン。一方、当時の<くれない丸>は3,000トン級で確か定員は二千名くらい? 一名当たり僅かに2トンにも満たなかったのである。
 今ではこの航路、高松には寄港していない。

●付録 臼杵→佐志生 佐志生←→黒島 の連絡船
 友人の家に滞在し二日目だったか、三日目だったか・・・、海水浴に行こうと言うことになり我々は朝早く海へ注ぐ臼杵川の河口にある小さな桟橋へ向かった。黒島の海水浴場へ行くための連絡船に乗るためにである。そこには小さな5トンくらい?の船が待ち受けていて早速乗船。船室も何もない・・・、ポンポンポン、焼き玉エンジンの響きが軽快。凪いだ海上でも適当に揺れながら爽やかな潮風を全身に受けながら三十分余りで佐志生の桟橋に到着する。こんな船はご当地にしてみればバスのような感覚なのであろうか。それでも小生たちにしてみればなんとものどかで旅情を満喫させてくれるローカル色豊かさはこの上ない。
 佐志生桟橋の向かい目前に黒島がある。こちらはやはり渡し船があったと記憶している。

 

■後日追記 2001年 秋 10月下旬
 おぼろげな記憶をたどりながら時折に加筆修正の最中でまだまだ未完成です。(^^)

 

1963 S38 − 1996 H08
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思い出の船旅