思い返せばこの時の船旅が初めての長距離航路体験でした。

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瀬戸内海・錦江湾  大阪→神戸→高松→今治→松山→別府  初めての長距離航路乗船体験
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写真 懐かしい時代の別府港路の客船<こはく丸>のイラスト。<こがね丸>も同様の感じの船であったと記憶しているのだが・・・。

1963年 秋 高校時代の修学旅行で初めて乗船した長距離航路
●航海 瀬戸内海・錦江湾
@往路 大阪→神戸→高松→今治→松山→別府 関西汽船<こがね丸>二等室 昼行便
●付録
A途次 桜島→鹿児島航路 桜島フェリー<第○桜島丸>?

●旅程 別府一泊+山中の温泉一泊+宮崎一泊+鹿児島一泊+車中一泊 五泊六日
第一日目 京都→大阪港→別府港路→別府観光港→別府
第二日目 別府→場所不詳、山中の温泉
第三日目 山中の温泉→宮崎
第四日目 宮崎→えびの高原→霧島高原→鹿児島
第五日目 鹿児島→長崎鼻→桜島→鹿児島→西鹿児島→
第六日目 →京都

 

 今にして思えば時の彼方? 三十年余りも前の昔のお話です。小生が高校二年生の時に修学旅行がありました。往路は別府航路で大阪から別府へ、そして別府温泉、杖立温泉、えびの高原を巡り、桜島を観光後鹿児島泊まり、帰路は西鹿児島から夜行列車で京都までの一週間の旅でした。
 この時の往路の別府航路。それまで夏の海水浴へ行く琵琶湖の遊覧船ぐらいにしか乗船したことのない小生にとっては初めの船旅、長距離の航海でした。この時の船に対する印象がその後の船旅を重ねることになったのです・・・。

 

●第一日目 往路 大阪→神戸→高松→今治→松山→別府 関西汽船<こがね丸>二等室
 記憶は定かではありません。何しろ三十五年も前のことなのですから・・・。
 とにかく朝早くに京都を出発して大阪港へ向かったのです。総勢五百名近い高校の修学旅行でした。当時の我が母校は 【自主自立】 をモットーとする校風で非常にのびのびとした楽しい高校でした。男女共学の公立高校で戦後のベビーブームの最中に生まれた年代ですから一クラス五十人くらいの編成で九クラスあって約四百五十名あまりの生徒が居たわけです。ちなみに一年後輩、二年後輩たちはそれぞれ二十クラスもあったマンモス校でした。
 わいわいがやがや・・・。大阪港での待ち時間はまさに雑踏の中。不思議にこのときは我が母校にしてはまれにみる全員学生服姿でした。それに慣れない学生帽も・・・。平素は私服だったのです。九州の高校生たちはみな制服を着ているので
「みなさん絶対に学生服を着て参加して下さい・・・。」
 と先生方の切なる懇願に応えた覚えがあります。(^^)
 小一時間余り待合室の雑踏の中で過ごした後にようやく乗船。初めて見る3,000トン級? の<こがね丸>? の船体はまるでビルのように思えました。
 芋の子を洗うように乗船。丸窓が天井近くに並ぶ甲板の下の二等室大部屋が真っ黒な学生服と紺色の女性とたちのセーラー服で埋まりました。確かビニール製の枕が大部屋を仕切る棚にたくさんあったように記憶しています。程なくその枕が飛び交い始め何時しか船は出港していました。
 今では確かこの航路は総てがフェリーで高松には寄港していません。当時はまだフェリーと言うものはなく客船だったのです。当時、こがね丸は関西汽船の誇るドル箱路線別府航路の新造船として脚光を浴びていました。

*船室 二等室 甲板下の天上近くに丸窓の付いた船底に近い大部屋
 二等船室は甲板の下。大部屋が低い棚で幾つかに仕切られていて・・・、学生服とセーラー服の四百名余りの巣窟と化した光景は異様でした。何時か見たガレー船の船底に繋がれてオールを漕ぐ奴隷たちの光景を思い浮かべてしまうような・・・。(^^)

●第二日目〜第四日目 九州観光 別府→山の中の温泉→宮崎→えびの高原→霧島高原→鹿児島
 当時としては破格?の修学旅行である。確か宿四泊、帰路の車中一泊の五泊六日の旅程であったと記憶している。昼間の瀬戸内海を行く大阪港天保山埠頭からの別府航路の船旅が修学旅行の始まりを告げ、その夜は別府泊まり。翌日、温泉の地獄巡りの後に山中の何とか温泉に投宿、それから宮崎えびの高原、霧島高原を巡り数日後には鹿児島市を訪れていた。記憶が定かでないが九州内での旅程は確か観光バスで巡っていた。
 鹿児島の宿は何とかホテル。鹿児島湾に面した部屋でベランダがあった。部屋風呂もあった和室であったが絶対に部屋の風呂は使用しないようにと厳命されていた。おかしなことを覚えているモノである。ベランダには黒っぽい火山灰が数センチ降り積もっていた。

●第五日目 鹿児島→桜島→鹿児島→西鹿児島から夜行列車で帰路へ
 池田湖畔、指宿を経て開聞岳を遠望しながら長崎鼻の岬の端で海辺の砂浜を歩いていた。鹿児島市に戻り桜島へフェリーで渡り、桜島を巡ったのであろう。記憶は途切れ、その夜、西鹿児島駅から夜行列車に乗り込んだ辺りからの思い出が微かに残っている。

*途次 桜島→鹿児島航路 船会社不詳<第○桜島丸>か?
 多分今の桜島フェリーの乗り場だろうと思うが定かでない。観光バスごと乗り込んだ記憶がある。そして、あっと言う間に向かいの桜島港に入港していた。今ではその間十五分らしいが当時も同じくらいであったのだろうか。この時のフェリー乗船が今にして思えばフェリーと称する船舶に乗船した初体験であったことは言うまでもない。

●第六日目 →京都 夜行列車で帰着

 

■後日追記 2001年 秋 10月下旬
 おぼろげな記憶をたどりながら時折に加筆修正の最中でまだまだ未完成です。(^^)

 

1963 S38 − 1996 H08
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思い出の船旅