『日常的感覚』と『武術的感覚』2002.12.10

最近私がよく覗いているホームページに、次のような文章が載っていました。
「稽古を始める前の私達の身体や感覚は、日常の中で育ってきたものです。これを『日常的身体』『日常的感覚』ということにします。(これに対し )武術の技法を行う上で基礎となる身体と感覚を養うことが、稽古の最初の目的となります。これを『武術的身体』『武術的感覚』と言います」

これを読んで考えさせられました。
武術をやるには、日常生活から変えていかなければならないのだろうか。だとしたらこれは大変なことです。
私は軽い気持ちで合気道を始めたのであり、その気持ちの中には、護身術として役立てばよいだろう位の気持ちはあったことは事実ですが、日常生活 の態度まで変えねばならないとまでは、あまり考えたことがありませんでした。
私は現在週に4日間練習しており、合気道の技に対する関心が深まりつつあるとの自覚があるので、引き続き練習しようとは思いますが、日常生活ま で変えていくとは・・・
そこまでする目的は、何なのだろうか、と考えると、よく分からない。
戦国時代の武士でもないし・・・別に、武術で身を立てるわけでもないし・・・
だから、そこまで打ち込む必要はないだろうと考えました。
そこまでしなくても、合気道は、素晴らしいものを与えてくれます。
礼儀作法に始まり、合理的な技、良き友人達など・・・
そんなことを考えました。

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