第2章 聖なる山の大聖堂
第1節 起原
一九一八年二月五日 火曜日

貴殿はかの聖なる山の大聖堂の起源と構造について語ってほしがっておられる。
それは第十界と第十一界の中間に位置している。ということは、両方の界から見ることが出来るということであり、どちらにも属していないということです。

その起源はこうです。ずいぶん昔のことですが、試練の末に首尾よく第十界から第十一界へと向上していく者が大勢いた時代がありました。

しかし第十界は下層界での修行の旅の中で身につけた霊力と霊性の全属性が仕上げられ、まとめあげられる界であると言えないこともありません。

つまりここで雄大な旅程の一段界を終え、次からはそれまでとは次元の異なる進化と発達の段階が始まる、その大きな節目に当たる界なのです。

そうしたスピリットが向上の過程において果たしてきた仕事はおおむね守護と強化の目的を帯びていた。多分貴殿は守護霊と呼びたいであろう。その任務はたしかに発達を促進するし、向上するにつれてますます崇高性を帯びていきます。

が、地上ならびにそのあとに続く下層界において見守られ援助を受けている者との関係においては、さまざまな様相を呈していても、本質においては同じ次元に属することです。

しかし、この第十一界に突入するスピリットには別の次元の仕事が待ち受けております。いよいよ〝創造性〟を帯びたものとなっていきます。

同じく宇宙の大いなる神秘を学ぶにしても現象として顕現しているところの〝動〟のエネルギーではなく、父の館に住める大天使のもとに近づくにつれて見出されるところの潜在的創造エネルギーについて学ぶのです。

そうすることによって彼らはそれまで身につけた霊性に加えて、より高い霊性を身につけ、一界又一界と上の界へ融合していき、創造の神秘の巨大さを崇高なる美しさの中で明かされる境涯への突入に備えるのです。それが聖堂の使用目的の一つであり、実はそれが最大の目的でもあります。

その他はここで述べるほどのものではありません。それよりは貴殿は聖堂の建物の平面図と立面図を描写して欲しがっておられるようです。

吾々もそのつもりでおりますが、それに先立ってぜひ心しておいていただきたいことがあります。それは、今述べた使用目的の叙述においてもそうなのですが、その様相についての吾々の叙述は不完全を免れないということです。

それというのも、聖堂は物質ではなく霊質によって出来上がっているのみならず、その霊的大気と環境が昇華作用によって強烈さを測り知れないほど増しております。

それを力学ないしエネルギーの潜在力の用語に置き換えて何と呼ぶべきか──吾々はいい加減な当てずっぽうは控えたい。何となれば地上の言語ではとても当を得た表現は不可能だからです。

聖堂建立の目的を一言にしていえば、さまざまな異質の様相を持つ二つの界の融和です。

つまり第十界を去って第十一界へと突入する段階に至ったスピリットたちがここに集結し、かなりの期間滞在しながら折りある毎に第十界ないしそれ以下の界へ降りては、それまでと同じように、その界の住民の援助と守護と指導と啓発に従事する。

しかしそれと同時に上層界のスピリットに付き添って第十一界へと足を踏み入れることも始める。初めのうちはあまり深く入りません。またあまり長く滞在しません。

が、霊力を強化し、その界の精妙なバイブレーションに慣れるにつれて少しずつ奥へ踏み入り、かつ又、滞在期間を長くしていきます。戻ってくるとその聖堂で休息を取ります。

と言っても、多分その間に下層界への任務を言いつけられて降りていくことになろう。

現に貴殿はそうした任務の一つとして私が霊団とともに下層界、それも地獄ともいうべき境涯まで降りていった話を受け取っておられる。あの任務は吾々にとって実に厳しい試練でした。

何しろ吾々が足を踏み入れた界は一つや二つではなく、地上からこの界に至るまでの全域に亘った上に、さらに地上より低い界までも踏み込んだのです。

忍耐力と環境への適応能力と、霊団全体が身体的並びに精神的に一丸となって吾々の通常の生活環境と気候とはまったく懸け離れた条件下での問題を処理していく能力をこうまで厳しくテストされたことには、それなりの意図がありました。

聖堂の居住者であり、第十一界への突入の段階を迎えた私にとってはそれが最終的な試練であり、私に付き添った霊団のうち十二名にとっては第九界より第十界への向上のための試練であり、残りの二名にとっては第十界よりこの聖堂へ入ってそこの居住者となるための試練でした。

また私が例の一団を暗黒界から救出し光明界へ向けて導く任務を与えられたことには特別の意味があったことに気づかれるでしょう。いよいよ創造的能力が威力を増し鍛えられていく上層界へ召される前の、私にとっての最終的な試練だったのです。

その時はそれが理解できず、今なお本当に理解しているとは言えませんが、こうした中にも私の最終的な啓発はすでに始まっているらしく、かつてあれほどの苦界に身を沈めていたのが今はどうにか寛ぎを見出し、少なくとも約束した道に励む者にとって幸せとは何かを知ることが出来るまでになったあの者たちを待ち受けている栄光が、私にも少しばかり見透すことができるように思えるのです。

──ではあなたはすでに第十界から第十一界へ入られたわけですか。

まだ恒久的に十一界の住民になったわけではありません。今のところまだ聖堂の住民の一人です。ですが次第に十一界の環境条件に調和していきつつあります。

そうした生活を構成する要素は数かぎりなく、しかもそのうちのどれ一つを取ってみても極めて重要なことばかりなので、そのうちの一つでも見逃さずにお伝えしたいと思う一方、その千分の一を語るにしても、貴殿にはその時間も用語もないという情況なのです。

聖堂での滞在はまず必ずといってよいほど長期間に及びます。私の場合は格別に永くなることでしょう。その理由はこうです。

私には監督し援助し向上の道から外れないようにしてやらねばならない大事な預かりものがあります。バーナバスの民のことです。今でも私は時おり彼らの目に映じる身体をまとって自ら訪ねなければなりません。

ですから、いつ何どきでもその状態になれるよう体調を整えておかねばなりません。それも現在の界層から一つや二つ下がった境涯ならまだしも、はるか下界の、言うなれば宇宙の暗い果てに降りていかねばならないのです。

従って今の私には二重の仕事があるわけです。この聖堂のある台地へ立って一方の手は天上へ向けて何ものかを得んとし、もう一方の手は下界へ下ろして何ものかを与えんとしている。

そうです。そういうわけです。どうやら分かっていただけたようですので、これ以上駄弁は要らないですね。私の言わんとするところはお分かりでしょう。

──ザブディエル霊は第十一界へ入られたのでしたね。

いかにも。重要な任務は十一界へ移ったわけです。ですが、時おり聖堂へ立ち寄られ、そこで曽ての身体的条件をまとわれて下界へと降りていかれる。戻られるとやはり聖堂を通過して本来の任務地へと向かわれる。

さて、聖堂の様子や環境についてはこの度はこれまでとしよう。引き続き聖堂の内部を紹介することにしようと思います。が、今回はこれにて終わりとします。貴殿は力を使い果たしておられる。

──最後にひとことお名前のことでお聞かせください。〝リーダー〟というのが唯一私が存じ上げてるお名前ですが、これが私はどうも感心しません。

これは恐れ入りました。しかし、地上の聖賢がいかなる名言を吐こうと(※)名前というものにはある種の力があるものです。私は聖堂より上の界においては別の名で知られておりますが、下層界では〝アーネル〟の名で呼ばれております。よろしかったら貴殿もそうお呼びくださって結構です。

(※どの名言を指すのかは心当たりがないが、私の知る限りではシェークスピアの「ロメオとジュリエット」にこんな一節がある。

いったい名前に何の意味があるというのか
バラと呼んでいるあの花、
あれをどう呼びかえようと
あの美しさに何の変りもあるまいに──訳者)


──私の母からの通信に〝アーノル〟という名前の方が出てきましたが・・・・

地上には天上の名前をうまく表現する文字の配列も語句もありません。ご母堂が紹介されたのはこの私です。どちらでもお好きなようにお呼びください。いずれにせよ、これからはその名前でいきましょう。その名前でよろしいか──いや、貴殿に〝感心〟していただけるであろうか?

──これは一本やられました。結構です。そうお呼びすることにしましょう。

ぜひそうしていただきましょう。何しろ今までの名前では貴殿に耐えがたい思いをさせ、あまり好意を持っていただけなかったのですから。ではお寝みを申し上げましょう。
アーネル †


原著者注──アーネルが署名したのはこの日が最初で、それ以後は必ず署名し、さらに十字の記号を付した。(見慣れない記号であるが、その象徴的意味を三章の終わりのところで説明している──訳者)

第2節 構造
一九一八年二月八日 金曜日

〝聖なる山の大聖堂〟の使用目的についてはすでに述べました。今度はその構造そのものについて少しばかり述べてみましょう。と言っても、詳しいことは説明しません。不可能だからです。

広大な草原に切り立った崖が聳えております。その頂上の台地に聖堂が建っております。草原から目に入る部分は小さな翼廊だけで、本館は見えません。何千何万もの大群集が集結して見上げた時にまず目に入るのは、こちら側に面した翼廊のポーチとその側壁とアーチ型の窓である。

高々と聳えるその位置、雄大な規模、均整のとれた建築様式は、その位置から見上げただけでも実に堂々としていて、且つまた美しいものです。

そのポーチから入り、それを通り抜けて中へ入ると、吾々は右へ折れ、天蓋はあっても側壁の無い柱廊(コロネード)を通って進みます。

そのコロネードは、通路と交叉する幾つかの箇所を除いては、本館全体をかなりの距離を置いて取り囲むように走っており、吾々の位置から左手へ行くと中央聖堂へ至り、右手へ行くと別の幾つかの翼廊へと至る。

その翼廊の一つひとつにポーチが付いている。しかしそれは全部第十一界の方角へ向いており、吾々が通った翼廊だけが第十界へ向いている。

翼廊は全部で十一個あり、その一つひとつに特殊な使用目的がある。その〝十〟という数字は下界の十の界層とは関係ありません。それから上の十の界層と関連しているのです。

──その〝十〟という数字には第十界の方を向いているポーチも含まれているのですか。

いえ、あれはあれのみの独立した存在で、関係するのは下界のことのみです。十個の翼廊は第十一界およびその後に続く十の界層と関連しております。それぞれの翼廊に大きなホールがあります。翼廊は一つひとつ形が違っており、二つとして同じものはありません。

貴殿には理解しかねることかも知れませんが、各翼廊はそれと関連した界を構成する要素の特質を帯びており、常にその界と連絡が取れております。上層界の情報はぜんぶそこの翼廊に集められ、第十一界の言語に翻訳された上で、その場で処理されるか、必要とあれば関連した地域へ発信される。

また、聖堂内の住民が上層界へ赴いている間もこの翼廊と間断なく連絡が維持され、一界また一界と上昇していくのを追いながら絶えず連絡を取っている。

吾々はコロネードと交叉している通路の一つを左へ折れます。その通路は中庭を通り、庭園を過(ヨギ)り、そして森を突き抜けています。

いずれも美しく手入れされ、噴水あり、彫像あり、池あり、色とりどりの玉砂利を敷きつめた小道、あずまや、寺院──その幾つかは上層界の寺院の複製ですが実物ほど雄大ではない──があります。そしてついに(複数の建物から成る)本館へ辿り着きました。

本館にも十個のポーチがついています。ただしこのポーチは通路とは連絡されておらず一つひとつが二本の通路から等間隔の位置にあり、通路はすべて本館と直接つながっております。

つまりポーチは通路にはさまれた地域に立っており、各地域がかなりの広さを持っております。地上ならさしずめ公園(パーク)と呼ぶところでしょう。

何しろ聖堂全体は途方もなく広く、各地域に常時何万を数える住民が住んでいるのです。それほど一つひとつの地域は広く、そこに家屋と庭園が点在しているのです。

さて吾々は第十二界の翼廊と第十三界の翼廊──こういう呼び方をしているわけではありませんが、貴殿の頭の混乱を避けるために便宜上そう呼ぶまでのことです──の中間に位置するポーチの前まで来て足を止めました。

その一帯に広大なテラスが広がっています。ポーチとつながっていて、美しい土地を次第に上昇しながら、はるか地平線の彼方に見える山々の方へ向けて広がっている。

実はそこから本来の第十一界が始まります。大聖堂は第十一界の一番端に位置していることになります。つまりポーチからいきなりテラスとなり、それがその地域全体に広がっているわけです。

目も眩まんばかりの琥珀色の石段があってそれを登っていくのですが、足元を照らす光が外の光と融合し、それが登りゆく人の霊的性格によって輝きを変えます。

ここで銘記していただきたいのは、貴殿らが死物ないし無生物と呼んでいるものも、ここでは他の存在に対して反応を示すのです。

石は緑草や木々に影響を及ぼすと同時に、自分も影響を受けます。木々のすぐ側に人間が立つと、お互いの性質によってさまざまな影響を及ぼし合います。家屋や建造物のすべてについて同じことが言えます。

ポーチそのものがまた実に美しいのです。形はまるくもなく角ばってもおらず、ちょっと人間には想像できない形をしております。私がもしこれを〝形というよりは芸術的情感〟とでも表現したら、貴殿はそれを比喩として受け取ることでしょう。

しかしその情感に地上のいかなる建造物よりもしっかりとした永続性が具わっているのです。その成分を真珠層のようだと言ってもよろしい。液晶ガラスのようであると言ってよろしい。そんなものと思っていただけば結構です。

さて、中へ入ると大きな楕円状の空間があります。天井は植物と花をあしらった格子細工がほどこしてあり、それらの植物はポーチの外側に根をはっているものと内側に根を下ろしているものとがあります。しかしこんな話はやめて先へ進みましょう。吾々はついに聖堂の大ホールへと入っていくことになります。

──暗黒界からお帰りになってすぐにキリストをご覧になったホールですか。

同じホールです。地上で屋根と呼んでいるのと同じ意味での屋根は付いておりません。といって青空天井でもありません。屋根のあるべきところに堂々たるアーチ形をした天蓋が高く聳えており、色とりどりの液晶の柱によって支えられております。

しかし天蓋のへりは流動する線状を呈し、光の固まりのようなものとつながっております。と言ってもその固まりは普段そこに参集する者にも貫通できない性質をしております。しかも、いっときとして同じ色を呈しておらず、下のホールで催される儀式の内容によってさまざまな変化をしております。

そこの祭壇、それとその背後にある〝謁見の間〟については既に述べました。大ホールに隣接して、そうした〝間〟がまわりに幾つもあります。

その一つが〝式服着用の間〟です。いかにも地上的感じがするかも知れませんが、そこで行われるのは単なるコートやマントの着更えだけでなく、実に重大な儀式が行われることを知っていただきたいと思います。それについて述べてみましょう。

その大ホールにおいて、時おり、はるか上層界から送られてくる電気性を帯びた霊力の充満する中で厳かな儀式が行われることがあります。

その際、その霊力を帯びる第十一界を最低界とする下層界の者は、各々その霊力によって傷つくことなく吾が身にとって益となるように身仕度を整える必要があります。そこで〝式服着用の間〟において着更えの作業が真剣に行われることになります。

その行事は神聖さと霊力とを具えた専門の霊が立ち会い、式服が儀式に要求される色合いと生地と様式を整えるように、こまごまと指導します。

そのすべてに、着用する当人の霊的本性が影響します。つまり当人の内的資質が式服の外観に出てくるわけです。そうなってはじめて大ホールへの入場を許され、やがて行われる儀式に参列することになるのです。

その儀式はある一団が使命を帯びて他の界層へ赴くに際しての〝歓迎の儀〟であることもありましょう。その場合は参列した者が霊力を一つにまとめて、送られる者へ与えることが目的となります。従ってすべてが完璧な融合・調和の中で行う必要があります。

そこで霊格の劣る者、ないしは新参の者は、その目的で〝着用の間〟において周到な調整をしておかねばなりません。

さらには、大ホールでの〝顕現〟が近づいていることもありましょう。キリストと同等の神格を具えた方かもしれませんし、大天使のお一人かも知れませんし、もしかしたらキリストご自身かも知れません。そんな時は式服の着用も入念に行われます。

さもないと益を受けるどころか、反対に害をこうむることにもなりかねません。もっとも、私が聞いたかぎりでは、一度もそのような例はありません。しかし理屈の上では十分に有り得ることなのです。

しかし、この界へ来たばかりの霊が、強烈な霊力を具えた神霊の顕現ないし何らかの強烈な影響力が充満しているホールに近づくと、次第に衰弱を覚えるということは往々にしてあることです。

そこでその人はいったん引き返すことになりますが、それは実は霊力が試されているのです。その体験に基づいて自分にいかなる鍛錬が欠けているかを認識することになります。それはそれで恩恵を受けたことになります。

この大聖堂を先に述べた山の頂(イタダキ)から眺めれば、おびただしい数の塔とアーチ道とドームと樹木と風致地区(家屋を建ててはいけない土地)を具えた一つの都市のように見えることでしょう。

その中央の宝石からあふれ出る光輝は遠く彼方まで届き、言うに言われぬ美しさです。

宝石と言ったのは、ドームあるいは尖塔の一つひとつが宝石のような造形をしており、それが天上的な光と言葉となって光り輝いているのです。言葉と言ったのは、一個の建物、一個の色彩、または一群の色彩が、そこの住民には一個の意味として読み取れるからです。

また住民が柱廊玄関、バルコニー、屋上、あるいは公園を行き来する姿もまた実に美しいものです。あたりの美観や壮観とほどよく調和し、その輝きと同時に安らぎをも増しています。

と言うのも、住民と聖堂は完全に一体関係にある──言い換えれば、以前に述べたように一種の呼応関係にありますから、そこには不調和の要素はいささかも存在せず、配置具合もすべて完璧な調和を保っております。

もしこの聖堂都市を一語にして命名するとしたら、私は〝調和の王国〟Kingdom of Harmonyとでも呼びたいということです。そこにおいて音と色と形、それに住民の気質とが和合の極致を見せているからです。
アーネル †