第10章 質問に答える
第1節 スピリチュアリズムが現代の世界に貢献できるものの中で最大のものは何でしょうか。
「最大の貢献は神の子等にいろんな意味での自由をもたらすことです。これまで隷属させられてきた束縛から解放してくれます。知識の扉は誰にでも開かれていることを教えてあげることによって、無知の牢獄から解放します。日蔭ではなく日向で生きることを可能にします。

あらゆる迷信と宗教の策謀から解放します。真理を求める闘いにおいて勇猛果敢であらしめます。内部に宿る神性を自覚せしめます。地上の他のいかなる人間にも霊の絆が宿ることを認識せしめます。
憎み合いも無く、肌の色や民族の差別も無い世界、自分をより多く役立てた人だけが偉い人と呼ばれる新しい世界を築くにはいかにしたらよいかを教えます。知識を豊かにします。精神を培い、霊性を強固にし、生得の神性に恥じることのない生き方を教えます。こうしたことがスピリチュアリズムにできる大きな貢献です。

人間は自由であるべく生れてくるのです。自由の中で生きるべく意図されているのです。奴隷の如く他のものによって縛られ足枷をされて生きるべきものではありません。その人生は豊かでなければなりません。精神的にも、身体的にも、霊的にも豊かでなければいけません。あらゆる知識、真理も叡知も霊的啓示も、全てが広く開放されるべきです。生得の霊的遺産を差し押さえ天命の全うを妨げる宗教的制約によって肩身の狭い思い、いらだち、悔しい思いをさせられることなく、霊の荘厳さの中で生きるべきです」

第2節 スピリチュアリズムはこれまで通り一種の影響力として伸び続けるべきでしょうか。それとも一つの信仰形体として正式に組織を持つべきでしょうか。
「私はスピリチュアリズムが信仰だとは思いません。知識です。その影響力の息吹は止めようにも止められるものではありません。真理の普及は抑えられるものではありません。自らの力で発展してまいります。外部の力で規制できるものではありません。あなた方が寄与できるのは、それがより多くの人々に行き渡るように、その伝達手段となることです。

それがどれだけ影響をもたらすかは前もって推し量ることは出来ません。その為のルールをこしらえたり、細かく方針を立てたりすることはできません。(そう言うことを人間の浅知恵でやろうとすると、組織を整え、広報担当、営業担当と言ったものをこしらえ、次第に世俗的宗教となり下がると言うことであろう-訳者)

あなた方にできるのは一個の人間として責任に忠実であると言うこと、それしかないのです。自分の理解力の光に照らして義務を遂行する・・・人の為に役立つことをし、自分が手に入れたものを次の人に分け与える・・・かくして霊の芳香が自然に広がるようになると言うことです。一種の酵素の様なものです。じっくりと人間生活の全分野に浸透しながら熟成してまいります。皆さんはご自分で最善と思われることに精を出し、これで良いと思われる方法で真理を普及なさることです」

第3節 支配霊になるには霊媒自身よりも霊格の高い霊と決まっているのでしょうか。
「いえ、そうとは限りません。その霊媒の仕事の種類によって違いますし、また、〝支配霊〟と言う用語をどう言う意味で使っているかも問題です。地上の霊媒を使用する仕事に携る霊は〝協力態勢〟で臨みます。一人の霊媒には複数の霊からなる霊団が組織されており、その全体の指揮に当たる霊が一人います。これを支配霊と呼ぶのが適切でしょう。霊団全体を監督し、指示を与え、霊媒を通じてしゃべります。

ときおり他の霊がしゃべることもありますが、その場合も支配霊の指示と許可を得たうえでのことです。しかし、役割は一人一人違います。〝指導霊〟と言う言い方をすることがあるのもその為です。

入神霊言霊媒に限って言えば、支配霊は必ず霊媒より霊格が上ですが、物理現象の演出に携るのは必ずしも霊格が高い霊ばかりとは限りません。中にはまだまだ地上的要素が強く残っているからこそその種の仕事に携われると言う霊もいます。そう言う霊ばかりで構成されている霊団もあり、その場合は必ずしも霊媒より上とは限りません。しかし一般的には監督・支配している霊は霊媒より霊格が上です。そうでないと霊側に主導権が得られないからです」

(訳者注-〝霊〟と〝魂〟の違いと同じく、この〝支配霊〟と〝指導霊〟の使い方は英語でも混乱している。と言うよりは勝手な解釈のもとに使用されていると言った方がよいであろう。これは各自の理解力に差がある以上やむを得ないことであり、こうしたことは心霊の分野だけでなく学問の分野でさえ一般的である。だからこそ辞引や用字用語辞典が生まれてくるのである。

心霊用語を一定の規範にまとめるべきだという意見も聞かれるが、私は使用する人間にはその心得がない以上それは無駄であると同時に、その必要性も無いと考えている。要は自分はこう言う意味で使用すると言うことを明確にすれば、あるいは文脈上それがはっきりすればそれで良いと思う。特に霊界通信になると根本的に人間の用語では表現できない事が多く、通信霊は人間以上にその点で苦労しているのである。

それは私のように英語を日本語に直す仕事以上に大変なことであろう。霊言でも自動書記でも同じである。それが人間の言語の宿命なのである。シルバーバーチが折あるごとに、用語に拘らずその意味をくみ取って欲しいと言っているのもそのためである)


第4節 入神状態(トランス)は霊媒の健康に害は無いのでしょうか。
「益こそあれ何ら害はありません。ただし、それは今までに明らかにされた霊媒現象の原理・法則を忠実に守っていればのことです。余り頻繁にしすぎると、たとえば一日に三回も四回も行えば、これは当然健康に悪影響を及ぼしますが、常識的な線を守って、きちんと期間を置いて行い、霊媒としての日ごろの修行を怠らなければ、必ず健康にプラスします。

なぜかというと、霊媒を通して流れるエネルギーは活性に富んでいますから、それが、健康増進の効果をもたらすのです。正しく使えば霊媒能力はすべて健康にプラスします。が、使い方を誤るとマイナスとなります」

第5節 思念に実体があると言うのは本当でしょうか。
「これはとても興味深い問題です。思念にも影響力がある・・・このことに異論はないでしょう。思念は生命の創造作用の一つだからです。ですから、思念の世界においては実在なのです。が、それが使用される界層(次元)の環境条件によって作用の仕方が制約を受けます。

いま地上人類は五感を通して感識する条件下の世界に住んでいます。その五つの物的感覚で自我を表現できる段階にやっと到達したところです。まだテレパシーによって交信しあえる段階までは進化していないと言うことです。まだまだ開発しなければならないものがあります。

地上人類は物的手段によって自我を表現せざるを得ない条件下におかれた霊的存在と言うことです。その条件がおのずと思念の作用に限界を生じさせます。なぜなら地上では思念が物的形体をとるまでは存在に気付かないからです。

思念は思念の世界においては実在そのものですが、地上においてはそれを物質でくるまないと存在が感識されないのです。肉体による束縛を全く受けない私の世界では、思念は物質より遥かに実感があります。思念の世界だからです。私の世界では霊の表現また精神の表現が実在の基準になります。思念はその基本的表現の一つなのです。

勘違いなさらないでいただきたいのは、地上にある限りは思念は仕事や労力や活動の代用とはならないということです。強力な補助とはなっても代用とはなりません。やはり地上の仕事は五感を使って成就していくべきです。労力を使わずに思念だけで片付けようとするのは邪道です。これも正しい視野でとらえなければいけません」

──物的活動の動機づけとして活用するのは許されますね?

「それは許されます。また事実無意識のうちに使用しております。現在の限られた発達状態にあっては、その威力を意識的に活用することができないだけです」

──でも、その気になれば霊側が人間の思念を利用して威力を出させることも可能でしょう?

「できます。なぜなら私たちは人間の精神と霊を通して働きかけているからです。ただ私が是非申し上げておきたいのは、人間的問題を集団的思念行為で解決しようとしても、それは不可能だということです。思念がいかに威力があり役に立つものではあっても、本来の人間としての仕事の代用とはなり得ないのです。またまた歓迎されないお説教をしてしまいましたが、私が観る限り、それが真実なのですから仕方がありません」

──大戦前にあれほど多くの人間が戦争にならないことを祈ったのに阻止できませんでした。あれなどはそのよい例だと思います。ヨーロッパ全土・・・敵国のドイツでもそう祈ったのです。

「それはよい例だと思います。物質が認識の基本となっている物質界においては、思念の働きにおのずと限界があります。それはやむを得ないことなのです。ですが他方、私は思念の価値、ないしは地上生活における存在の場を無視するつもりはありません」

──善意の人々にとっては思念の力が頼りです。
──米国民への友好心は我々英国人への友好心へとなって返ってきます。

「それから遠隔治療において思念が治療手段の一つとなっています。但しその時は霊がその仲介役をしていることを忘れないでください。地上の人間は自分の精神に具わっている資質(能力)の使い方をほとんど知らずにいます。ついでに言えば、その精神的資質が次の進化の段階での大切な要素となるのです。

その意味でこの地上生活において思念を行為の有効な先駆けとする訓練をすべきです。きちんと考えたうえで行為に出るように心がけるべきです。ですが、思念の使い方を知らない方が何と多いことでしょう。わずか五分間でも、じっと一つのことに集中できる人が何人いるでしょうか。実に少ないのです」

第6節 遠隔治療において患者が(精神を統一するなどして)治療に協力することは治療効果を増すものでしょうか。
「私の考えでは、それは波長の調整にプラスしますから、大体において効果を増すと思います。異論もあることでしょうが、私はそう見ています。知らずにいるよりは知っている方が原則としては治療が容易になります。治療エネルギーを送る側と受ける側とが波長が合えば、治療が一段と容易になります。

治療を受けていることを知らないでも顕著な治療効果が表れたケースがあることは私もよく知っておりますが、大抵の場合それは患者の睡眠中に行われているのです。その方が患者の霊的身体との接触が容易なのです」
(昼間に送られた治療エネルギーが睡眠中に効き始めるというケースもある。訳者)

第7節 心霊研究をどう思われますか。
「その種の質問にお答えする時に困るのは、お使いになる用語の意味について同意を得なければならない事です。“心霊研究〟という用語には、いわゆるスピリチュアリストが毛嫌いする意味が含まれています。
(SPRのように資料をいじくりまわすだけに終始して一歩も進歩しない心霊研究をさす。訳者)

こうした交霊会や実験会や養成会も真の意味における〝研究〟であるといえます。と言うのは私たちはそうした会を通して霊力がより一層地上へもたらされる為の通路を吟味・調査しているからです。

皆さんは私たちから学び、私たちはみなさんから学びます。動機が純粋の探究心に発し、得られた知識を人類の福祉の為に使うのであれば、私は研究は何であっても結構であると思います。が、霊媒を通して得られる現象を頭から猜疑心を持って臨み、ニッチもサッチも行かなくなっている研究は感心しません。動機が真摯であればそれは純粋に〝研究〟であると言えます。真摯でなければ〝研究〟とは言えません。純心な研究は大いに結構です」

第8節 国教会は、スピリチュリズムには何ら世の中に貢献する新しいものが無いと言って愚弄しておりますが、それにどう反論されますか。
「私は少しも愚弄されているとは思いません。私たちがお届けした〝新しいものが〟一つあります。それは人類史上初めて宗教と言うものを証明可能な基盤の上に置いたことです。つまり信仰と希望とスペキュレーションの領域から引き出して〝ごらんなさい。このようにちゃんと証拠があるのですよ〟と言えるようになったことです。しかし新しいものが無いとおっしゃいますが、ではイエスは何か新しいものを説いたでしょうか。大切なのは新しさとか物珍しさではありません。真実か否かです」

ここでメンバーたちがシルバーバーチの当意即妙の応答ぶりに感心して口々にそのことを述べると、こう述べた。

「地上のみなさんは細切れの知識を寄せ集めなければなりませんが、私たちは地上に無い形で組織された知識の貯蔵庫があるのです。どんな情報でも手に入ります・・・即座に手に入れるコツがあるのです(*)。私達の世界の数ある驚異の一つは、全てが見事に、絶妙に組織されていることです。知識の分野だけでなく、霊にとってのあらゆる資質・・・文学、芸術、音楽等の分野においてもそうです。すべてが即座に知れ、即座に手に入ります。まだ地上の人間に知られていないことでも思いどうりになります」

(霊格の高い低いに関係なく、そのコツさえ修得すれば誰にでも知れる。だからこそ歴史上の人物を名乗って出る霊は警戒を要するのである。つまり、その人物の思想や地上時代の情報はいとも簡単に・・・あたかもコンピューターの情報のように、あるいはそれ以上に簡単に、しかも詳細に知れるので、〝それらしいこと〟を言っているからと言ってすぐに信じるのは浅はかである。他界したばかりの霊を呼び出す場合も同じで、それらしく見せかけるのは霊にとって造作もないことである。そんなことを専門にやって人間を感動させたり感激させたりしている低級霊団がいて、うまく行くとやったりと拍手喝さいして喜んでいる。別に危険性はないが、私には哀れに思えてならないのである=訳者)

第9節 大霊(神)を全能でしかも慈悲ある存在と形容するのは正しいでしょうか。
「何ら差し支えありません。大霊は全能です。なぜならその力は宇宙及びそこに存在するあらゆる形態の生命を支配する自然法則として顕現しているからです。大霊より高いもの、大霊より偉大なもの大霊より強大なものは存在しません。宇宙は誤ることのない叡知と慈悲深き目的を持った法則により統括されています。その証拠に、あらゆる生命が暗黒から光明へ、低きものから高きものへ、不完全から完全へ向けて進化していることは間違いない事実です。

このことは慈悲の要素が神の摂理の中に目論まれていることを意味します。ただその慈悲性に富む摂理にも機械性があることを忘れてはなりません。いかなる力を持ってしても、因果律の働きに干渉することはできないと言う意味での機械性です。
如何に霊格の高い霊といえども、一つの原因が数学的正確さを持って結果を生んでいく過程を阻止することは出来ません。そこに摂理の機械性があります。機械性と言う用語しかないのでそう言ったのですが、この用語ではその背後に知的で、目的意識を持ったダイナミックなエネルギーが控えている感じが出ません。

私がお伝えしようとしている概念は全能にして慈悲に溢れ、完全で無限なる神であると同時に、地上の人間がとかく想像しがちな〝人間神〟的な要素のない神です。しかし神は無限なる大霊である以上その顕現の仕方も無限です。あなた方お一人お一人がミニチュアの神なのです。お一人お一人の中に神と言う完全性の火花、全生命のエッセンスである大霊の一部を宿していると言うことです。その火花を宿していればこそ存在出来るのです。しかしそれが地上的人間性と言う形で顕現している現段階においては、皆さんは不完全な状態にあると言うことです。

神の火花は完全です。一方それがあなた方の肉体を通して顕現している側面は極めて不完全です。死後あなた方はエーテル体、幽体又は霊的身体・・・どう呼ばれても結構です。要するに死後に使用する身体であると理解すれば宜しい・・・で、自我を表現することになりますが、そのときは現在よりは不完全さが減ります。霊界の界層を一段また一段と上がっていくことに不完全さが減少していき、それだけ内部の神性が表に出る様になります。ですから完全といい不完全といい、程度の問題です」

──バラもつぼみのうちは完全とは言えませんが満開となった時に完全となるのと同じですね。

「全くその通りとも言いかねるのです。厄介な事に、人間の場合は完全への道が無限に続くのです。完全へ到達する事が出来ないのです。知識にも叡知にも理解力にも真理にも、究極と言うものが無いのです。精神と霊とが成長するにつれて能力が増します。いま成就出来ないのも、その内成就出来るようになります。梯子段を昇っていき昨日は手が届かなかった段に上がってみると、その上にもう一つ上の段が見えます。それが無限に続くと言うのです。それで完全と言う段階が来ないのです。もしそう言うことがあり得るとしたら、進化と言うことが無意味となります」

これは当然のことながら議論を呼び、幾つかの質問が出たが、それに一通り応答した後、シルバーバーチはこう述べた。

「あなた方は限りある言語を超えたものを理解しようとなさっているのであり、それは是非これからも続けていくべきですが、たとえ口では表現できなくても、心のどこかでちらっととらえ、理解出来るものがある筈です。たとえば言葉では尽くせない美しい光景、画家にも描けないほど美しい場面をちらっと見たことがおありの筈ですが、それは口では言えなくても心で感じ取り、しみじみと味わうことは出来ます。それと同じです。あなた方は今、言葉では表現できないものを表現しようとなさっているのです」

──大雑把な言い方ですが、大霊は宇宙の霊的意識の集合体であると言って良いかと思うのですが・・・

「結構です。ただその意識にも次元の異なる側面が無限にあると言うことを忘れないでください。いかなる生命現象も、活動も、大霊の管轄外で起きることはありません。摂理・・・大自然の法則・・・は自動的に宇宙間の全ての存在を包含するからです。たった一つの働き、たった一つのバイブレーション、動物の世界であろうと、鳥類の世界であろうと、植物の世界であろうと、昆虫の世界であろうと、根菜の世界だろうと、花の世界であろうと、海の世界であろうと、人間の世界であろうと、霊の世界であろうと、その法則によって規制されていないものは何一つ存在しないのです。宇宙は漫然と存在しているのではありません。莫大なスケールを持った一つの調和体なのです。

それを解く鍵さえつかめれば、悟りへの鍵さえ手にすれば至って簡単なことなのです。つまり宇宙は法則によって支配されており、その法則は神の意思が顕現したものだということです。法則が神であり、神は法則であるということです。

その神は、人間を大きくしたようなものではないという意味では非人格的存在ですが、その法則が霊的・精神的・物質的の全活動を支配しているという意味では人間的であると言えます。要するにあなた方は人類として宇宙の大霊の枠組みの中に存在し、その枠組みの中の不可欠の存在として寄与しているということです」

──と言うことは神の法則は完全な形で定着しているということでしょうか。それとも新しい法則が作られつつあるのでしょうか。

「法則は無窮の過去からずっと存在しています。完全である以上。その法則の枠外で起きるものは何一つ有り得ないのです。すべての事態に備えられております。あらゆる可能性を認知しているからです。もしも新たに法則を作る必要性が生じたとしたら、神は完全でなくなります。予測しなかった事態が生じたことを意味するからです」

──こう考えて宜しいでしょうか。神の法則は完全性のブループリント(青写真・設計図)の様なもので、吾々はそのブループリントにゆっくりと合わせる努力をしつつあるところである、と。

「なかなか良い譬えです。皆さんは地上と言う進化の過程にある世界における進化しつつある存在です。その地球は途方もなく大きな宇宙のほんの一部に過ぎませんが、その世界に生じるあらゆる事態に備えた法則によって支配されております。

その法則の枠外に出ることは出来ないのです。あなたの生命、あなたの存在、あなたの活動の全てがその法則によって規制されているのです。あなたの思念、あなたの言葉、あなたの行為、つまりあなたの生活全体をいかにしてその法則に調和させるかは、あなた自ら工夫しなければなりません。それさえ出来れば、病気も貧乏も、そのほか無知の暗闇から生れる不調和の状態が無くなります。自由意志の問題について問われると必ず私が、自由とは言っても無制限の自由ではなく自然法則によって規制された範囲での自由です。と申し上げざるを得ないのはその為です」

第10節 この機械化時代は人類の進化に役立っているのでしょうか。私にはそうは思えないのですが。
「最終的には役に立ちます。進化と言うものを一直線に進むもののように想像してはいけません。前進と後退の繰り返しです。たちあがっては倒れるの繰り返しです。少し登っては滑り落ち、次に登った時は前より高いところまで上がっており、そうやって少しずつ進化していきます。ある一時期だけを見れば〝ごらん!この時期は人類進化の黒い汚点です〟と言える様な時期もありますが、それは物語の全体ではありません。ほんの一部です。

人間の霊性は徐々に進化しております。進化に伴って自我の本性の理解が深まり、自我の可能性に目覚め、存在の意図を知り、それに適応しようと努力するようになります。

数世紀前までは夢の中で天界の美を見、あるいは恍惚たる入神の境地においてそれを霊視できたのは、ほんのひと握りの者に限られていました。が今や、無数の人々がそれを見て、ある者は改革者となり、ある者は先駆者となり、ある者は師となり、死して後もその成就の為に働いております。そこに進歩が得られるのです」

──その点に関しては全く同感です。進歩はあると思うのです。が、全体として見た時、地球が(機械化によって)余り住みよくなると進化にとってマイナスとなるのではないかと思うのです。

「しかし霊的に向上すると・・・あなた個人のことではなく人類全体としての話ですが・・・住んでいる世界そのものにも発展性があることに気付き、かつては夢にも思わなかった豊かさが人生から得られることを知ります。機械化を心配しておられますが、それが問題となるのは人間が機械に振り回させられて、それを使いこなしていないからに過ぎません。使いこなしさえすれば何を手に入れても宜しい。文化、レジャー、芸術、精神と霊の探究、何でも宜しい。かくして内的生命の豊かさが広く一般の人々にも行きわたります。

その力は全ての人間に宿っています。すべての人間が神の一部だからです。この大宇宙を創造した力と同じ力、山をこしらえ恒星をこしらえ惑星をこしらえた力と同じ力、太陽に光を与え花に芳香を与えた力、それと同じ力があなた方一人ひとりに宿っており、生活の中でその絶対的な力に波長を合わせさえすれば存分に活用することが出来るのです」

──花に芳香を与えた力が蛇に毒を与えているという問題もあります。

「それは私から見れば少しも問題ではありません。宜しいですか。私は神があなた方の言う〝善〟だけを受け持ち、悪魔があなた方の言う〝悪〟を受けもっているとは申しあげておりません」

──潜在的には善も悪も全て吾々の中に存在していると言うことですね。

「人間一人一人が小宇宙(ミクロコズム)なのです。あなたもミニチュアの宇宙なのです。潜在的には完全な天使的資質を具えていると同時に獰猛な野獣性も具えております。だからこそ自分の進むべき方向を選ぶ自由意志が授けられているのです」

第11節 あなたは地球と言う惑星がかつてより進化しているとおっしゃいましたが、ではなぜ霊の浄化の為になお苦難と奮闘が必要なのでしょうか。
「なぜなら人間が無限の存在だからです。一瞬の間の変化と言うものはありません。永い永い進化の旅が続きます。その間には上昇もあれば下降もあり、前進もあれば後退もあります。が、そのたびに少しずつ進化してまいります。

霊の世界では、次の段階への準備が整うと新しい身体への脱皮の様なものが生じます。しかしその界層を境界線で仕切られた固定した平地の様に想像してはなりません。次元の異なる生活の場が段階的に幾つかあって、お互い重なり合って融合しあっております。地上世界においても、一応皆さんは地表と言う同じ物質的レベルで生活なさっていますが、霊的には一人一人異なったレベルにあり、その意味では別の世界に住んでいると言えるのです」

──これまでの地上社会の進歩はこれから先に為されるべき進歩に較べれば微々たるものに過ぎないのでしょうか。

「いえ、私はそう言う観方はしたくないのです。比較すれば確かに小さいかも知れませんが、進歩は進歩です。次のことを銘記してください。人間は法律や規則をこしらえ、道徳律を打ち立てました。文学を豊かにしてきました。芸術の奥義を極めました。精神のかくされた宝を突き止めました。霊の宝も、ある程度まで掘り起こしました。

こうした事は全て先輩達のお陰です。苦しみつつコツコツと励み、試行錯誤を繰り返しつつ、人生の大渦巻きの中を生き抜いた人達のお陰です。総合的に見れば進歩しており、人間は初期の時代に較べて豊かになりました。物質的な意味ではなく霊的・精神的に豊かになっております。そうあって当然でしょう」