秋尾敏の俳句


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第4句集『悪の種』 第3句集 「ア・ラ・カルト」
第2句集 「納まらぬ」  第1句集 「私の行方」

秋尾 敏の俳句 2018年


軸12月号 片割れの
黒楽の底に缼けあり小六月
落葉して使わぬ小指やや曲る
片割れのレモンでしょうか夜の紅茶
毛糸編む有袋類のように母
   野田俳句連盟幹事利根町吟行
晩学の雨早熟の烏瓜
橋に濡れ酢豚に乾き秋惜しむ
   成田山「ホトトギス」関東大会
真言を積み重ねたる冬の雲
冬浅し仏塔雲へ抜きん出る
   堺房男さんを偲ぶ
頼山陽に育ちしと月の宴
   水野あきら氏追悼
一画の大事を夢の流れ星
   追悼片山広明君
サックスという星座あり燗の酒


軸11月号 闇の外交
個性とは装飾音符小鳥来る
ダイアナというパンプスに秋の蜂
固いドアノブ月光を寄せ付けず
闇の外交サフランの飾り窓
霧はたましい捨て猫の箱を満たして
山小屋に近い霧から目を覚ます
秋の蜂伸び放題の髪に来る
真心が崩れぬように栗の飯
秋の滝捨てたいものがあるらしい


角川「俳句」9月号 月荒々し
二日月なり一章は書簡体
処理場の煙にひと葉抱き込まる
虫えらぶ最上階の喫煙者
野分の予兆コーヒーの豆を挽き
子規の忌の立て膝で押す足臨泣
重いドアノブ月光を寄せつけず
ファックスのきいぃと出でて月天心
秋霖の少女が傷を舐めている
毒茸なり暗雲を払いしは
月荒々し万物を意のままに
がちんこの鼻血は秋の砂かぶり
蝶の羽霧の目覚めを綴じあわす
排他的論理和となる野分雲
朝顔の実を死にたいという人に
ソプラノサックス暮秋の指を細らせる
冬近しうなじは地平線の匂い


「俳句四季」9月号

縮るるや野分前夜のほそき麺
星流る句集の函の闇深く
紅猿子斜辺を三で割っている


軸10月号 月今宵
垂直に自転車の立つ震災忌
世を憂う白露の帽子凹ませて
隣室にこもるたましい竹の春
月今宵荒れたる島を斜交いに
枝豆に海のまんまという藻塩
色鳥が来てコーヒーが匂いたつ
煉瓦陽に裂け涼しさは雲一つ
抱き合う油絵冥し夏の果て
噴水の穂先に何を実らせる


軸9月号 男郎花

眉間から秋気を満たす一万歩
鳥影の秋暑にくすむ新都心
向き合って何を伝える男郎花
唐突な夜涼に筆の穂が騒ぐ
秋をググってアイフォンの演歌
返信の遅い日傘が立ち尽くす
九回はカーブで攻める原爆忌
金星を追って伊勢湾熱帯夜
支流さえ氾れはるかな旱星


軸8月号 油そば
下町に炎える行列油そば
新宿へオーデコロンを消しに行く
水難の相塩あめを炎天に
惜敗の午後のワッフルただ暑し
睡蓮の雲から降りて来たように
含羞草言葉にすれば見えてくる
守谷吟行・清瀧寺
生と死を足して私という桔梗
         佐原あやめ俳句大会
あいの風舳先を高く遡る
        「俳句界」八月号三句より
マンゴーを昨日のことのように食う


「俳句界」8月号

沖つ風撓む晩夏の凸レンズ
玉虫の降りたる孤島寝静まる
マンゴーを昨日のことのように食う


軸7月号 大南風
湖匂いだすくちなわを解き放ち
三角形何より強し大南風
夏大根おろしうどんの山頂に
度重なるご注意のある山開き
艦長室のさくらんぼ転がらず
結び葉や防弾ガラス薄からず
天穹の積分いかに燕の弧
   「現代俳句」六月号十句より
黒煙の西に傾く三鬼の忌
種が違うと春泥がもつれ合う


軸6月号  添加物

パン売りに来る驢馬がいて麦の秋
茫漠とした次世代へ田水張る
岬短し船虫の受動態
虹の直情半島を塗り潰す
逃亡のための散髪夏近し
万緑の森わたくしは添加物
木星接近ザリガニが発光す
反物質とは麦秋の黒い棘
ゴルフ場禾の先から生まれ出る


「現代俳句」6月号 もつれ合う

黒煙の西に傾く三鬼の忌
種が違うと春泥がもつれ合う
逃亡のための散髪夏近し
茫漠とした次世代へ田水張る
不特定多数を満たす石清水
虹の直情半島を塗り潰す
義侠心滝は雲から降りてくる
妄想の季感を遊ぶ更衣
文箱閉じれば遠雷が古事記から
懐疑派の襟にも茅花流しかな


軸5月号 骨あるように

おしめりの真正面から燕来る
花吹雪違う意見が出たらしい
鷹化して校歌に寂しすぎる鳩
花冷のエレベーターの急降下
音立てて台車に春は積まれ来る
執念のような葉脈柏餅
内股で来る春の鳥ビルが建つ
     金子兜太氏追悼「俳壇」4月号
ふかぶかと落暉末黒野は無中心
      「WEP俳句通信」103号
陽炎の骨あるように立ちにけり


軸4月号 春の宵

人間の隙間を探す揚雲雀
屋根替の星に昂る男かな
オカリナの一人加わる雛の夜
春の宵人の不幸を買って読む
放課後は積極的な桃の花
春北風右眼は山に疎まれて
春の香炉に迷信が立ち昇る
快眠に侠気の目覚め燕来よ
年の豆トマトに角が生えている


軸3月号 落ちるなよ

海原は途方もなくて梅の坂
梅ふふむ言葉を貯めているように
春光は喉の奥まで野のラップ
陽炎の枝に足掛け落ちるなよ
木々芽ぐむ義務ではなくて希望である
石に傷あり残雪は消えつつあり
春ショール雲を探しているらしい
雪晴れの橋蒼天に突き刺さる
お見舞いに行こう河口に冬の雲


軸2月号 力は互角

浮かびきれない氷あり夜の森
冥界へ力は互角冬木立
バイク前傾風なき夜の枯芒
寒月光集めてコインランドリー
寒風に干すジーンズと羊雲
四回転ジャンプ引力凍らせて
雪を噛む四輪駆動墓地の前
雪踏んで夜空が軋む歩道橋
雪の貪欲ゴム長靴が直立す


軸1月号 俳句史は

水底の青さとなって初明り
イヤフォンのホルンが叫ぶ福沸
初御空俳句史は始まったばかり
光年の闇の揺らぎを今年とす
重ね着の別れに大いなる記憶
進入禁止冬天に何もない
協会を批判しており煤払
大晦日どんな結末でも素敵
像真似て空っ風から降りてくる


西日本新聞新春に寄せて 秋尾 敏
 初御空
永遠の青さとなって初明り
三ヶ日走り続ける人もいて
初御空俳句史は始まったばかり

俳句、究極の知恵
俳句とは、人間の究極の知恵なのではないかと思う。祝いの場では喜びの核心を明らかにし、哀しみの場では乗り越える力を人々に与える。それが俳句というものであろう。もっと気軽な日々の一句にしても、その日の状況をどう捉えれば心豊かに暮らせるかと考えた末の一言なのである。
七十年代のアメリカで俳句が普及したのは、ベトナム戦争に傷ついたカウンターカルチャー世代の心を捉えたからであった。九十年代のバルカン半島では、旧ユーゴスラビアからの独立運動の中で俳句が広がっていった。俳句は、傷ついた人の心を持ち堪えさせる力を生み出す。俳句とは、状況を生き抜くための知恵なのである。