山の雑記帳 18

 今年最後の百名山  1999.11.02 記

 今年の冬の低山登山計画  1999.11.13 記

 愛鷹連峰縦走  1999.11.23 記

 体調不十分  1999.12.20 記


今年最後の百名山  1999.11.02 記

休日出勤が続いたこの 10月であったが、休日出勤必至と思っていた 30日、31日がポッカリ空くことになった。 これは嬉しい誤算で、 早速ストレス解消のために山に行くことにしたのは 言うまでもない。

行き先は今年最後の百名山と銘打って、尾瀬の燧ヶ岳である。
先日、 会津駒ヶ岳に登った際に山腹、 山頂から見えた燧ヶ岳の姿がかなり強く印象に残っていたことと、 日帰りで行ける未踏の百名山は 最早ここしか残っていないことが選定の理由である。

前日インターネットで尾瀬・会津地方の天気を調べると、これから夜間に雨が降るものの、明けて 日中は晴れとのことであったので、 会津駒ヶ岳のような好天を期待しつつ、 準備を進めたのであった。

基本的には 10月11日に会津駒ヶ岳に行った際の荷物をそのまま持っていけば良いのだが、聞けば 尾瀬や至仏山 燧ヶ岳は 10月17日に初冠雪を記録したとのことだったので、 少々大袈裟かと思いつつ、 ロングスパッツ、厚手の手袋、 また 予備のレインウェアーを追加することにした。

余談であるが、今回持参した厚手のレインウェアーとは HERITAGE製 のもので (現在私が常用しているレインウェアーは MONT-BELL製 のストーム・クルーザー) これは今から 10年も前に カモシカスポーツの大特価市 (市にはキチンとした名前が付けられていたはずだが忘れてしまった・・・) 4,000円程で購入したものである。 レインウェアーとしての機能もさることながら、 防風・防寒着として 今でも重宝しているものである

車にて家を出発したのは前回の会津駒ヶ岳と同じく 4時20分、 辿るアプローチルートも全く同じである。 前回やや手探り状態で辿ったルートも、 やはり 1回辿ったことで今回は快調に進み、 東北自動車道 西那須野塩原ICで降りてから塩原温泉街を通り、 国道 352号線を快調に飛ばすことができた。

前回謝って入り込んでしまい、失敗したと思った 木賊温泉経由の山道も、今回は交通量の少ないことを理由に敢えて選ぶことにし (山中の紅葉は大変素晴らしかった) 檜枝岐村を通過したのが 8時前、 そして尾瀬御池の駐車場に着いたのは 8時10分であった。

こうした快調なペースのアプローチの中で、大きな誤算は天候である。
東北自動車道では美しい日の出を見ることができ、 空も雲が少ない状態であったので、 この日の天気にかなり期待をし、 会津駒ヶ岳の時のような素晴らしい山行となる予感に 胸を膨らませたのであったが、 塩原温泉街を過ぎて 尾頭トンネルを抜けた途端に 天候は 180度変わってしまったのである。

トンネルを抜けると道路一面濡れており、トンネルに入る前に見えた青い空と輝く太陽は全く見えず、どんよりとした雲が 空を覆っていて、 しかも遠くの方には 大雨を予感させる黒い雲まで見えたのであった。
雨も霧雨状態ではあるが降っており、 これまでの楽しい気分は アッという間に吹っ飛んでしまったのである。

白々しくラジオでは関東地方の晴天を伝えており、全く信じられない、泣きたいような気分に陥ってしまったのであったが、 それでも前日見た天気予報の 『日中晴れ』 の予報に望みを託し、 尾瀬へと向かったのであった。

尾瀬の御池は完全に霧雨の中で、 広い駐車場には数える程しか車がなく、 シーズンオフ (10月半ばで尾瀬沼、尾瀬ヶ原のほとんどの小屋は閉まってしまった) であることと、 このような天候の日に登山するの人は 『モノ好き』 であることを実感させられたのであった。

駐車場も寒々としていたが、実際に車を降りてみるとこれまた肌寒さを感ぜずにはいられない状態で、結局大袈裟と思いつつ持参した 厚手のレインウェアー、 手袋が大いに役立ってくれたのであった。

登山の詳細は例の如く登山記録の方にアップするが、燧ヶ岳登山は完全にガスの中、頂上では全く展望を得られず、 せめてもの慰めは 途中の行程でほんの少し霧雨に降られただけで、 本格的な雨には遭わなかったことであった。

駐車場を出発したのが 8時20分、途中ガスで全くと言っていい程展望が得られなかったことで黙々と登り続けた成果であろうか、 登山道周囲の笹が大きな岩に変わり、 そのまま呆気なく俎ー (マナイタグラ) に登り着いたのが 10時25分。 2時間5分の登山時間であった。

俎ー頂上には石の祠と三角点があったが燧ヶ岳と書かれた標識らしきものは見あたらない。そう、本当の頂上はこの俎ーから約 15分程のところにある柴安ー (シバヤスグラ) なのである。

この俎ーには 7人ほどの先達がいて食事をしており、私も食事を と思ったが、やはり最高峰には早く行っておきたいと思い、 直ぐさま柴安ーへと向かった。

この俎ーから分かれるルートは 3つあり、1つは私が登ってきた御池方面、1つは尾瀬沼方面、そしてもう一つは柴安ー経由で 尾瀬ヶ原へと通じるものである。
この 3つのルートを示す明確な標識はなかったものの、 岩に赤ペンキで矢印が書かれていて、 その下に 『ヌマ』、 『ハラ』 と書いてあったので分かりやすい (アルペンガイド 『尾瀬』 を見ると、 2方向を示す立派な標柱が写真に写っているが・・・)

俎ーから一旦下って登り返したところが燧ヶ岳の最高峰 柴安ーで、そこには立派な黒い御影石 ? の標識があり、至仏山の白い御影石 ? と好対照であった。

ガスに囲まれた頂上には誰もおらず、ここで食事をした後、御池へのルートを考慮して、このまま尾瀬沼ではなく 尾瀬ヶ原へと下ることにした。

道は途中で赤田代へ下る温泉小屋道と下田代十字路に下る見晴新道に分かれたのだが、尾瀬ヶ原の一端しか見ることのできない赤田代より、 尾瀬ヶ原を正面に抱える下田代十字路の方が望ましい と思われたので、 後者を選ぶことにした。

幸いというか、タイミングが悪いと言うか、道を下るに連れてドンドン天候は回復を見せ始め、尾瀬ヶ原が見渡せる下田代十字路に着いた時には、 青い空も一部に広がり、 太陽も顔を覗かせ、 尾瀬ヶ原が金色に輝く状態になっていたのであった。
やはりこれはラッキーと言うべきなのであろうか・・・。

尾瀬ヶ原の先にあるはずの至仏山は、その山の端だけが見えており、頂上付近は雲の中であった。
振り返れば、 先程までガスの中であった燧ヶ岳が 青い空にクッキリと姿を見せており、 柴安ーと赤ナグレ岳の 2つの頂点、 その後ろに見えるのは俎ーであろうか、 3つの頂点がその高さを競っているようであった。
その姿に暫し見とれるとともに、 晴れている現在、 自分がその頂上に立っていないことに若干の悔しさを覚えた次第である。

下田代十字路からは、赤田代 (温泉小屋) までの湿原歩きを楽しみ、温泉小屋からは段吉新道を使い、燧裏林道を通って 御池まで戻った。
この段吉新道、 燧裏新道経由の道は、 起点となる温泉小屋近くの標識に 『御池まで 7km』 と出ていた通り距離が長く、 また延々と林の中の木道歩きが続くのである。
さらに 標識の所には熊出没の注意書きもあったことから、 その距離とともに精神的にもくたびれるものであった。

林の中の単調な歩きに辟易とし始めた頃、西田代、横田代、上田代と湿原が現れ始めてようやく変化をもたらしてくれたのであるが、 この頃には再び雲が山を覆い始めており、 燧ヶ岳を初めとして 平ヶ岳会津駒ヶ岳などの周囲の山々は 全く見ることができなかった。

木道はやがて今朝ほど分かれた燧ヶ岳への登り口と合流することになり、そこからすぐに御池の駐車場であった。
駐車場に着いたのは 14時51分、 この時間でも駐車場はガラガラであった。
やはりシーズンオフである。

この日の燧ヶ岳登山で、尾瀬の 2つの名山を登り終えたことになるが、偶然の一致であろうか、至仏山、燧ヶ岳とも 同じような天候となり、 ガスで全く視界の利かない寂しい登山になってしまった。
しかし、 この日は下山後に ほとんど誰もいない尾瀬ヶ原を楽しむことができたので 良しとしたい。

また、尾瀬沼は結局 (山頂から) 見ることも、また実際にその辺 (ほとり) に立つこともないままになってしまい、尾瀬に行きながら 画竜点睛を欠くといった状況となってしまったが、 日帰り登山という点から これも致し方ないことであろう。

しかし、ほとんど誰もいない晩秋の尾瀬ヶ原は、それはそれで見る価値のあるものであった。


今年の冬の低山登山計画  1999.11.13 記

このところまたまたホームページの更新が滞ってしまったが、 これはこれまでのように仕事が忙しいからではなく、 熱を出して床に伏せていたからである。

結局会社を月曜日、火曜日の 2日間休むことになり、女房からは 『いつでも休めるんじゃない』 とのイヤミを言われるやら (会社は急には休めない と日頃小生が言っているため) 頭や身体の節々が痛いやらで 散々な状態であった。

こうした状況の中、火曜日の午後には幾分身体が楽になったため、ただ漫然と横になっているのも退屈ということで、 寝床に山のガイドブックを引っ張り込んで 久々に眺めてみることにした。

登山を始めた頃は、毎日のようにガイドブックを眺めては色々なルートを頭に描き楽しんでいたものであるが、 この頃は全くと言って良い程ガイドブックを手にすることはなく、 例えあったとしても 行くと決めた山の部分を前日にサーッと流し読みする程度である。 ひどい時は ガイドブックを全く読まずに出かけることもあって、 結果として 現地において小さな勘違いや失敗をすることが多々あるといった状況で、 その都度反省はするのだが なかなか日頃ガイドブックを手にする気にはなれないでいる。
ガイドブックを一所懸命読んでいた頃でさえ、 安達太良山のように失敗してしまったこともある訳であるから、 ましてや 読まずに出かけるなどというのは言語道断の行いであるのだが・・・。

さて、 久々にじっくりと眺めたガイドブックであるが、 過ぎ去りし夏山に思いを馳せるということは極力避け、 私にとってこれから百名山のオフ・シーズンになるにあたり、 どの山に登ろうかという観点から眺めてみることにした。

また、昨年 『勝手に神奈川二十五名山』 をぶち上げた手前、いつまでもこれらの山をほうっておく訳にもいかず、 これらの山の登り方も考えなければ という気持ちも湧いてきたのであった。

まずは 『勝手に神奈川二十五名山』 であるが、神奈川は最高峰が蛭ヶ岳の 1,673mということからも分かるように、 1,000m前後の低山が多く、 生意気を言わせてもらえば 選んではみたもののあまり積極的に登る気にはなれない山が多い。 これはその山に魅力がないと言っているのではなく、 その高さから想像するに、 登り応えがないのでは と思われる山が多いからである。
私もそれなりに年齢を重ねてきてはいるものの、 未だに手応えのある山行を好み、 どうも日溜まりハイクといった ノンビリ・ユッタリ山行は性に合わないのである。
従って、 箱根の山などは富士山の好展望台であるという魅力を感じはするものの、 積極的に登りに行きたいとは思わないのであるが、 『勝手に神奈川・・・』 を選んだ手前、 何とか面白い山行にならないかと頭を巡らせたのであった。

結果、組み合わせ次第で結構魅力的な山行になりそうなので、自分を登らざるを得ない状況に追い込む意味もあって ここにその一部を紹介してみたい。

例えば、箱根の明神ヶ岳であるが、この山を登るだけでは隣の明星ヶ岳と併せても 4時間そこそこもあれば終了してしまうところを、 もう 1つの 『勝手に神奈川・・・』 である金時山を組み合わせることによって、 長い縦走コースができ、 とても面白そうだという気がしてくる。

この場合は車ではなく、電車を使って相鉄線瀬谷駅から横浜駅へと出て、そこから東海道本線にて国府津まで行き、 今度は国府津から御殿場線に乗り換えて御殿場まで行って、 御殿場からタクシーにて乙女峠へ行き 登り始めるという行程をとるのが良さそうで、 縦走を果たして 箱根登山鉄道の強羅駅まで下りてくるというものである。
朝 1番の電車に乗れば、 御殿場には 7時24分には着くことができることから、 時間的余裕もかなりあると思われる。

さらに、金時山と言えば、矢倉岳との組み合わせは可能だろうか。今度地図を買ってきてジックリ検討したい。

また、小学生の頃、遠足で登ったような登らなかったような 記憶が曖昧である陣馬山は、この山だけならどうも簡単過ぎて 私の好みではないのだが、 その南西にある景信山、 そして北西にある同じく 『勝手に神奈川・・・』 に選んだ生藤山と組ませることによって かなりキツそうな山歩きが期待できる。

それから、丹沢山塊檜岳・伊勢沢ノ頭にしても、鍋割山やさらに大倉尾根と組ませることによって、これまた大変ハードな山行となりそうであるし、 神山 (箱根山) などもロープウェイなどを使わず下の方から登り、 駒ヶ岳と併せれば 登山としての魅力が増すというものである。

そうそう、袖平山丹沢主脈縦走のついでに寄れば、超ハードな日帰り山行 (特に日の短いこの冬場は) になるな・・・ などと考え出すと、 この私にとって低山中心とならざるを得ない冬の山行も、 楽しみなものになって来るというものである。

今度は 『勝手に神奈川・・・』 以外の山に目を向ければ、 まずは考慮に入れたいのは 黒金山である。

この山は、昔 乾徳山に登った際、そのまま北に向かって登ろうとしたものの、雪の上に全く踏み跡がなかったためにビビッてしまい 断念した山であり、 今回は雪が降る前にチャレンジしたいものである。

他には、裏妙義も候補に入れたい。表妙義ではかなり苦労したが、表を登ったのであれば裏もやるべきであろう。

そして私を呼んでいるような気がしてならないのは愛鷹山 (あしたかやま) というか、愛鷹連峰である。
昔、 富士山を登る際に購入した日地出版の登山地図に愛鷹山の解説があり、 そこに書かれていた 『鋸岳付近は崩壊が激しく、 幾人かの人がここで命を絶っている』 という部分がイヤに印象に残っているのである。

その時は、恐ろしい山だと感じつつ、よもや登るはずもない山と思って何となくホッした記憶があるのだが、その後も この愛鷹山のことが結構気になってしようがないのである。

ガイドブックに 『通過する際 危険』 と書いてあるのでビビリながら現地に赴いたところ、意外と簡単に通過できて 拍子抜けさせられたことが結構ある一方で、 武尊山の背スリ岩のように 岩を越えて下りる際、 本当に背中のザックが岩に擦れ、 少しバランスを崩して 鉄の鎖を持ちながら文字通り肝の縮む思いをしたことがあったりと、 ガイドブックに書かれた記述内容は やはり自分で確かめるしかないのであるが、 この愛鷹山はどうなのであろう。
危険と言われているのは鋸岳、 位牌ヶ岳の区間であるようだが、 この位牌という名前も不吉なものを感じさせていけない。 愛鷹山のことは無視してしまえば良いのだが、 一方で結構惹かれるものがある訳で、 さてこの冬どうすることやら・・・。

また先般、私の天狗山・男山の登山記録を参考にして この山に登ってこられたという方からメールを頂いたのであるが (こういうメールは大変嬉しい) この天狗山・男山で思い出すのが その東側に見えた御座山 (おぐらやま) のことである。
天狗山の頂上から見える八ヶ岳や南アルプスの山々、 そして浅間山の姿に見とれ、 つい目の前に見える立派な山を完全に無視していたのであるが、 後で調べたらこれが御座山という山で、 南佐久の幽峰として名高い ? ことが分かったのである (そうと分かっていたなら その姿を写真に撮ったものの・・・)

この山の麓までのアプローチは結構面倒くさそうであるし、またこの時期、早いうちに登らないと雪に覆われてしまうことから この晩秋から冬の間の登山は難しいかもしれないが、 あのどっしりした山容はかなり魅力的だったような気がする。 是非とも検討してみたい。

他にも色々な山が候補に挙がって、 久々のガイドブックは大変楽しませてくれたのであるが、 ここで名前を挙げる山はこれくらいにしておこうと思う。
欲張っても仕方がないことで、 この冬、今回名前を挙げた山のいくつかに登れたら幸いである。
とりとめもない話で恐縮・・・。


愛鷹連峰縦走  1999.11.23 記

私が先般 山の雑記帳 に 『今年の冬の低山登山計画』 を掲載し、愛鷹山について少し書いたところ、横浜の Kさん (勝手に匿名にしてしまいました <(_ _)> からメールを頂き、 ご本人がこの 9月に愛鷹山を縦走した際の様子を教えて頂いた (この場を借りて御礼申し上げます)

実は、この冬登る山として愛鷹山の名を挙げはしたものの、昔読んだガイドブックの 『鋸岳付近は崩壊が激しく、 幾人かの人がここで命を絶っている』 (何遍も書いて恐縮です) という部分が大変気になって、 少々気乗りしないところもあったのである。 しかし、 このような嬉しいメールを頂いておきながら登ることを避けたりしたら 男がすたる (これは死語かもしれない) という訳であり、 更に Kさんは私とほぼ同年輩ということもあって 勝手にライバル心まで燃え上がり ? 頑張って登ってこようという気になったのであった。

とは言え、愛鷹山縦走中の最大の難所である鋸岳について Kさんは 『縦走路はかなり傷んでいるものの、命の危険を感じるような事はない』 と言っておられるものの、 ご本人の記録を読ませてもらうと 道が不明瞭な箇所もあってやはり厳しそうであり、 少し覚悟を決めての山行であった。 少しビビり過ぎかも知れないが、 山に対してはこのくらい謙虚 ??? な方が良いのである・・・。

ということで、急遽 愛鷹山の優先順位は第一番に格上げになり、早速先週末トライしたのであった。
下準備として時刻表を調べてみると、 瀬谷駅を 朝 4時54分発のいつもの山行御用達電車に乗れば、 横浜駅 5時27分の東海道本線小田原行に乗ることができる訳で、 途中の国府津で乗り換えて 6時39分発の御殿場線に乗ることで 7時25分には御殿場駅に着くことができるのである (これも金時山登山に関連して既に書いたことである)

しかし、そこからが問題であった。愛鷹連峰 越前岳の登山口である十里木 (高原) 行きのバスは、 9時30分までないとのことで、 それに乗ったのでは登山口に着くのが 10時半近くになってしまう計算となるのである。
日の長い夏ならともかく、 17時頃には暗くなってしまうこの季節には、 この 9時30分のバスは使えないという結論に達せざるを得ず、 そうなるとあとはタクシーかマイカーしかないのであるが、 マイカーの場合 愛鷹連峰の縦走は不可になってしまうことから、 結局タクシーを使うことにしたのであった (聞けば料金は 5,000円ほどとのこと ・・・ 痛い (T_T))

さて、当初は土曜日に登る計画を立てていたものの、天気予報を見ると静岡西部地方は曇りとなっており、しかも 伊豆地方は曇りのち雨という状況だったので (その後、晴れに変わったようであるが・・・) 少々風邪気味ということもあって 良い天気になると予想されている 日曜日に登ることに変更したのであった。

そして日曜日の朝、予定通り横浜から東海道本線に乗り、国府津駅で 20分ほど待って御殿場線に乗ったのだが、 実は 横浜を出る東海道本線をもう 1本遅らせても ギリギリ御殿場線には間に合うということを付記しておく (国府津駅の乗り換えがどうなっているか分からなかったこともあり、 余裕を持たせたものである)

この国府津駅で待つ間、風が結構冷たく感じられ、もう冬が近いことを実感せずにはいられない状況であった。この頃は 登山口まで車で行くことが多く、 従って家からずっと暖かい思いをしていくことが多いのであるが、 このような電車を使ったアプローチの方が 季節を感じるのに適している訳である。 今後は少し考えてみたい。

御殿場線の中では、 暖房が効いて暖かく しかも朝日も差し始めたのでついウトウトしてしまったが、 ふと気がつくと 目の前の車窓から大きな富士山が顔を覗かせていたのであった。 まだ完全に雪に覆われていないその姿は、 普段見られない力強さを感じさせ、 登山道などもクッキリ見えて、 筋骨隆々といった感じを受けるものであった。

御殿場駅前のセブンイレブンで朝食と昼飯を購入し、 その後トイレなどを済ませてからタクシーで十里木高原まで行った。
途中、 自衛隊の演習場なのであろうか、 広々とした草地の中を進むことがあったのだが、 目の前にはこれから登る愛鷹連峰が 低いながらも堂々とした姿を見せており、 また右手には富士山が大きく聳え立っていて、 眠気も吹っ飛ぶ、 気分爽快になる光景であった。 そうそう天候は思惑通り快晴である。

ただ、返す返すも残念なのはタクシーを止めて愛鷹連峰の姿を写真に納めなかったことで、この後 越前岳の頂上から 愛鷹山の縦走路が見渡せたものの、 完全に逆光の世界で 写真に撮ることができなかったからである。

また、タクシーの運転手さんと少し話をしたところ、十里木の登山口まで登山者を乗せたのは初めてだとのことでであった (箱根の乙女峠方面は結構あるらしい) これはどういうことであろう、 わざわざ 5,000円も支払って愛鷹山に登る輩 (やから) はいないということなのか、 あるいはアプローチが不便な上に 皆 鋸岳を避けるので、 必然的にピストン登山になって マイカーを使うことの方が多いということなのであろうか・・・。

さて、肝心の登山であるが、 十里木高原から越前岳までは楽勝の登山であり、 その上、 振り返れば 富士山の大きな姿と その雄大な裾野の拡がりを堪能できる場所がいくつもあり、 なかなかのものであった。

越前岳山頂は残念ながら富士山側に樹林が多くあり、富士山の姿を完全には見ることはできなかったものの、それでも富士の姿に感激させられたし、 また反対側の位牌岳の立派な姿、 そしてその途中の鋸岳のギザギザした山容に驚かされたのであった。

そして、越前岳から呼子岳までは楽しい縦走路が続いていて老若男女にお勧めできるコースであり、天候が良ければ 先程頂上を踏んだばかりの越前岳の意外と大きな姿に驚かされるとともに、 その左に見える富士山の姿に嬉しくなってしまうに違いない。

呼子岳はあまり展望の得られない狭い頂上なので早々に辞去し、さらに先に進むと割石峠であった。
ここは峠という名に相応しい感じの場所で、 三方を囲まれたすり鉢上の底にあり、 左に下れば愛鷹神社を経て愛鷹登山口へ、 まっすぐ進めば天狗の畑を経て 蓬莱山から鋸岳へと続く縦走路ということになる。
そして 峠の右側は、岩のスキ間から谷へ急激に下るようになっており、 空木岳直下の木曽殿越を彷彿させるものであった。

また峠には 『警告 平成10年秋の長雨によりこれより鋸岳までの縦走路は崩壊したところが多く非常に危険です。 立入りはご遠慮下さい。 ・・・静岡県遭対協富士支部・裾野市』 と書かれた看板が立てられており、 これを無視してまっすぐ進むことに 若干の後ろめたさを感じたのであったが、 ここで止めたのではわざわざ 5,000円を支払ってタクシーを使った甲斐がない というものである (こういう考え方が一番危険なのだが・・・)

登り着いた蓬莱山からは、その先に妙義山を思わせるような風化した岩峰と岩に巻き付くロープや鎖が見え、緊張感が一気に高まったのであった。 しかし、 その先に見える位牌岳の立派な姿が登高意欲をそそり、 何としてもあそこまで行きたい という気にもさせてくれたのであった。

さて、登山の詳細は登山記録に任せたいが、一言で言えばこの鋸岳は噂通り手強いものであった。
いきなり蓬莱山から両側がスパッと切れ落ちた幅 50pくらいの道を歩かされたかと思うと、 その後、 鎖やロープを使ってよじ登ったり下ったりするところが連続し始め、 また剱 岳のカニのヨコバイのように下が切れ落ちている崖の周りを 鎖に身を任せながら横に移動する箇所があったりと、 岩場に慣れていない方はビビらずにはいられない箇所の連続であった。

中でも、1、2ヶ所 鎖に身を任せて空中に飛び出す (少々大袈裟であるが・・・) 所があり、鎖もやや古さを感じさせ、また 岩に打ち付けてある鉄の杭も全面的に信頼するには少し ・・・ と思われるものであったものだから、 イヤハヤ登山路そのものとともに 大変なスリルを味わうことができた (実はこれが結構楽しい)

無論、鎖やロープのメンテナンスも行われていると思うが、先ほどの 『立ち入りはご遠慮下さい。』 という立て看板から考えれば、 メンテナンスがなされていない可能性もある訳であり、 やはり慎重にならざるを得ない。 また、私は剱 岳のように鎖場の難易度が徐々に高くなり、 最後にカニのタテバイのようなハイライトが来るのかと勝手に思っていたところ、 蓬莱山からすぐに大変厳しい状態が始まり、 これではこれから先 何があるか分からないと かなりビビらされたのであった。
しかし、 この行程はいきなりハイライトを迎える仕組みになっていたようで、 いくつもの鎖場を通過し、 ようやく蓬莱山と向き合う岩場に立った後は、 優しい一般的な縦走路が続き、 却って拍子抜けといった感じであった。
そして、 このまま位牌岳まで優しい縦走路が続くと思ったら、 位牌岳の直下にも結構長い鎖場が待ち受けていたのだが、 ここは鋸岳のそれに比べると はるかに難易度は低いものであった。 しかし、 鋸岳にて体力を消耗した身には結構つらく感じられ、 位牌岳には喘ぎながらの到着であった。

この位牌岳から先は、愛鷹山への縦走路、そして柳沢への下山路も含めて、楽しく軽快に歩ける良く踏まれた道が続いており、 やや疲れ気味ではあったものの 快調に飛ばすことができた。

ただ、この下山路の問題点は交通の便で、ガイドブックには柳沢のバス停の紹介があり、そこでのバス本数が少なければ さらに 20分ほど先にある柳沢入口まで行けばかなりの本数がある と書かれていたことを信じて重い足を引きずって歩いたところ、 柳沢入口においても 時間に合うバスは皆無であった。

結局、柳沢入口にあるセブンイレブンまで辿り着いたところでタクシーを呼び、片浜駅まで行ってもらったが、タクシー代は 1,050円、 かなり節約できた感じである。
実は、 3,000円ほど出費をする覚悟があれば、 下山口すぐそばにある愛鷹シックスハンドレッドゴルフクラブで タクシーを呼ぶのが正解で、 私の場合は行きに贅沢をした分、 帰りは足で稼いで倹約したといったところであろうか。 しかし、大変くたびれた車道歩きであった。

そして片浜駅で東海道本線に乗ったのが 16時32分、家に着いたのが 18時30分過ぎということで、思った以上に早く帰宅できたのは ラッキーであった。

ところで今回の愛鷹連峰であるが、 コースは歩き応えがあり、 また先に述べたように途中の鎖場はスリル満点で、 低い山ながらも精神的、 肉体的に充実感を味わえた山であった。

自信のある人は是非チャレンジされたい。ただ、冬 積雪があったり、また岩場が凍っていたりすると、鎖場通過は危険度がさらに増すと思われるので、 これからの季節 十分ご注意頂きたいと思うし、 立入を止められているので あくまでも自己責任でお願いしたい。


体調不十分  1999.12.20 記

久々に山に行って来た。
行き先は 山梨県御坂山塊の後方に位置する 釈迦ヶ岳である。

この山は、山梨百名山にも上げられていることから私も名前だけは知っているものの、普段はほとんど意識したことがなかったのであるが、 先日 愛鷹山に登るために再購入した 昭文社の地図 「富士、富士五湖」 に御坂山塊から続く釈迦ヶ岳への登山道が載っていたのを見つけて、 急に興味を持つようになった山なのである。

とは言っても、標高は 1,641mとそれ程高い山でもないし、登山行程も難易度があまり高くなさそうなことから、 その登山プライオリティは低いものであった。
しかし、 今回の登山の目的地選定にあたっては、 逆にその難易度の低さが決め手になった と言っても良いのである。

と言うのは、今回は先月の 21日に愛鷹山に登って以来約 1ヶ月ぶりの登山になる訳で (これは私にとってはいつものペースであるのだが・・・) この間、 台湾出張などもあって運動らしい運動はしておらず、 一方 うまい中華料理を食べたためか その後食欲増進傾向が見られて 身体がかなり重い状態になっていたからである。

こうして急遽選ばれた釈迦ヶ岳であるが、 この山だけに登るのではあまりに簡単すぎることから、 少し頭をひねって 周辺の山とできるだけ結合させて登ろうと考え、 そして選んだコースは、 河口湖畔の大石公園に車を止め、 そこから中沢林道を歩いて新道峠へと向かい、 新道峠からは破風山、 すずらん峠を経て御坂黒岳に登り、 そこから日向坂峠へと下ってから 「府駒山」 経由で釈迦ヶ岳へと至るというものである。

途中の御坂黒岳までのコースは前回御坂黒岳・御坂山に登った時と同じ道程で、その時は大石から中沢林道を車で進んで 途中の別荘地の空き地に駐車したのであるが、 今回は何となく別荘地内に車を止めることが気が引けて、 大石公園から出発することにしたのであった。

さて当日の天候はというと、 前日の天気予報では 「晴れのち曇り」 ということであったにもかかわらず、 朝 4時半過ぎに家を出る時には 空は完全に雲に覆われていて全く星が見えず、 今年 何回かあったように 天気予報に裏切られた気分をまたまた味わうことになったのであった。

車を飛ばして河口湖湖畔にある大石公園に着いたのが 6時40分、普段なら周囲はもう明るくなっても良い頃なのに 日は雲に隠れ薄暗いままである。
当然 河口湖を挟んだ向こう側に見えるはずの富士山 この日は完全に雲に覆われていて全く姿形もなく、 富士のない河口湖の風景は本当に寒々とした感じであった。

しかも体調は最低に近い状態で すぐには車を降りて出発する気にもなれず、結局シートを倒して少し仮眠せざるを得ない という状況であった。
このところ山に行っていない焦りや ホームページに書き込むネタ不足状態 (^_^;) も手伝って、 起きた時に調子が悪いと思ったにも拘わらず 少々無理をしてここまで来てしまったのだが、 これは本末転倒で、 山を楽しむどころか 山登りが苦痛でしかなくなってしまう。 反省である。

それでも 40分程眠ると大分身体も楽になったので、ようやく重い身体に鞭打って出発したのだが、空はドンよりとした雲に一面覆われていて 灰色の世界であるし、 また寒さは大変厳しく、 そして何よりも 御坂山塊の方を見やれば 頂上付近は完全にガスに覆われているといった状況で、 気持ちはますます萎えてしまう状況であった。

登山の詳細は登山記録の方に任せるが、やはり重い身体には今回の登山は大変応え、おまけに尾根上はガスに加え雪もチラホラという状態で、 寒さと体調不十分であまり楽しめない登山であった。
やはり登山は 好天と体調十分でないと面白くない。

そうそう、 帰りは釈迦ヶ岳から芦川の林道へと直接下って、 そこから大石峠へと登り、 大石峠から不逢山・中藤山を経て新道峠へと戻り、 新道峠から往路を辿って大石公園まで下る ということを最初頭の中で考えたのだが、 この体調ではとてもそうは行かず、 結局 釈迦ヶ岳からは往路を日向坂峠まで戻り、 そこから芦川村へ続く林道を歩いて途中から水ヶ沢林道に入り、 林道終点から新道峠へと登るコースに切り替えたのであった。

途中、水ヶ沢林道からすずらん峠へと登り返す道もあったのだが、急な山道を登る気力は湧いて来ず、緩やかな登りが続くことと 林道終点からわずか 5分で新道峠へと登り返せる という魅力に負けて、 この林道歩きを続けてしまったのであった。

今年最後の登山がこのテイタラクでは何ともしまりが悪い。 今年中にもう 1回は山に行きたいものである。


さて、登山はテイタラクであったので、その代わりといっては何だが、今回地図を見て気づいたことを少し。

この日辿ったコース上で 「府駒山」 というのがある。日向坂峠から釈迦ヶ岳へと至る間でいくつか越えねばならないピークの 1つであり、 印象としてはあまり存在感がないという感じの山である (その通り頂上も寂しく、 そこには朽ちかけた標識が 1つあるだけであった)

この 「府駒山」 は先に述べた地図上でも 「府駒山」 と書かれており何も問題はないのだが、たまたま昔買った日地出版の 「富士と五湖、三ツ峠」 を眺めたところ、 そこではこの山は 「御座山 (ミクラヤマ)」 となっているのであった。

同じ読み方でありながら字が違っていることは結構あるが、このように全く違う名前が山に付けられているのは面白い。
良くあるケースでは、 県境にある山が またがる 2県で呼び方が全く異なる といった場合だが、 この 「府駒山」 はどういう理由があるのであろうか。

前にご紹介した 武内 正 さんの 『日本山名総覧』 で調べたところ、そこでは 「御座山」 となって出ていたことから、 国土地理院の地図では 「御座山」 となっていることになる。

また、山のそばには その山と同じ名前の沢や川がある場合が多いのだが、この 「府駒山」 の周辺を調べると ちゃんと 御座山川 という川がある。 やはり 「御座山」 が正式なのであろう。

しかし、それなら何故 「府駒山」 という名が地図上に記され、頂上の標識も 「府駒山」 となっていたのであろう。
勝手に類推すれば、 この山の北側である御坂町側では 御座山川 という川もあることから、 この山を 「御座山」 と呼んでおり、 南側の 芦川村 では 「府駒山」 と呼んでいたのかもしれない。 駒の名が付く通り、 日向峠から釈迦ヶ岳へと続く尾根筋は、 馬の背中に見えなくもない。 この山に全く違う 2つの名がある理由を知りたいものである。

と 思いながら少し周辺の山に目をやると、 本来 釈迦ヶ岳からの復路で通るはずであった 「中藤山」 は、 昔の地図では 「節三郎岳」 となっている。

これまた全く違う呼び名に裁定を下すために 『日本山名総覧』 を見てみると、そこには 『節三郎岳 (中ノ頭山)』 と出ていた。 これなら 湯桶読みすれば何となく分からないでもない と納得したら、 「中藤山」「ナカットウヤマ」 と読むのに対し、 「中ノ頭山」「ナカノカシラヤマ」 と読むのだそうであるから ちょっとややこしい。

まあ、音読み・訓読みの違いはやがてそれが独自に発展する場合もあるようであるから、「中藤山」「中ノ頭山」 というのが 同じ山だというのは理解できないでもないが、 この山域にはこの他にもまだ少し不思議がある。

それは 「雪頭ヶ岳」 のことで、節刀ヶ岳の南、鬼ヶ岳のすぐ南に位置する山 (? というよりは場所) のことである。
私はこの山名は急に現れたもの、 地元で急に付けられたものと思っているのだが、 間違いであろうか。

昔の地図では、今の 節刀ヶ岳 は 北節刀ヶ岳、その隣の 金山 が 中節刀ヶ岳 と書いてあることから、位置から言って (南)節刀ヶ岳 に当たるのが 鬼ヶ岳であろうと想像され、 従って鬼ヶ岳のすぐ南側を 「セットウガタケ」 と呼ぶのも分からないではない。
しかし、 ここに 「雪頭ヶ岳」 という字を当てているのを見ると、 何となく胡散臭さを感じてしまうのは 私の考え過ぎであろうか。

それにしても 山の名の中にはなかなか面白いものがあるし、 その由来なども調べていくと もっと山登りが面白いものになるであろう。
今後勉強していきたい。


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