登山NO.0022 八 ヶ 岳( 赤岳:2,899m ) 1990.8.14登山


 野辺山高原から見た八ヶ岳( 1997.12.6 )

【八ヶ岳登山記録】

【八ヶ岳登山データ】

再登山


NO.22 八ヶ岳登山記録

八ヶ岳を登ろうと思い立ったのは、3連休となったお盆休みの初日であった。
遠くの山に行けばどこも帰省ラッシュに巻き込まれてしまい、山に着くまでに疲れてしまうのではと考え、 地元の
丹沢山にでも登って連休中は過ごそうかと考えていたのであるが、 7月末に登った北アルプスの感激が忘れられず、再度 高い山に登りたいという気がフツフツと沸いてきて、 ひらめいた山の名が八ヶ岳であった。

八ヶ岳は登山にのめり込む前から当然その名を知っており、そのイメージは北アルプスと並んで手の届かない高く遠い山という感じであったが、 登山を始めてからは大きな目標の一つとなり、早く登ってみたいと常日頃考えていた山であったのである。
早速、ダメもとでその日の夜行列車の予約状況を日本交通公社に問い合わせところ、意外にも新宿発の急行アルプスの席が確保でき、 自由席を求めて並ばないで済むことになったので、これは幸先がよいと一人ニンマリしたのだった。

その日の夜、新宿駅に行ってみると、ホームは既に多くの登山者でごった返しており、 指定席をとれたことのラッキーさを改めて喜んだ。
しかし、前回 北アルプスに行った時はグリーン車両で行ったため、11時を過ぎると車両全体を消灯してくれて、 それを機に乗客全員静かに寝入ったのであるが (座席もリクライニング)、 今回は普通車なのでいつまでも電灯をつけたままであり、しかも登山者が騒がしく、ほとんど眠ることなく茅野駅に着くハメになってしまったのだった。
まだ 時刻は夜中の 3時を少し回っただけだったので、茅野駅のベンチで暫く休んでいたが眠れるはずもなく、 仕方なくタクシーにて美濃戸口へと向かう。

まだ夜が明けておらず真っ暗な中、少し明るくなるまで美濃戸口の売店 (と思う) の店先で待ち、 やや空が白みかけたのを機に懐中電灯を頭につけて出発。
橋を渡り、そのまま林道を進んでいったが、空を見上げると星が全く見えておらず、天候はあまり良くないようなので、 少々ガッカリさせられたのだった。
やがて、山小屋が数件建ち並ぶ美濃戸に着いたが、まだ朝早くて暗いにもかかわらず、 小屋には明かりがつけられていて、何人かの登山服姿の人たちが小屋の前から出発しようとしていた。

やがて道は 2つに分かれることになったので、私は右側の行者小屋への道 (南沢コース) をとって沢沿いの樹林帯の中を進んだのだが、 暗い林の中は何となく薄気味悪い。こういう時は相棒が欲しいなどと思ったりする。
沢を数回渡り返しながら進むと、徐々に周囲が開けてきて、やがて白河原と呼ばれる水のない河原を歩くこととなったが、 この頃になると完全に空は明るくなってきたものの、ガスのため周囲の景色はほとんど見えない状態。 石ころだらけの荒涼とした道を進みながら、果たして今進んでいる道が正しいのか不安になることさえある。

しかし、やがて行者小屋の茶色い屋根とその周囲にテントの花が咲いているのが目に入ってきたので一安心であったが、 小屋から先はやはりガスがかかっていて、阿弥陀岳や赤岳の姿を見ることはできない。
小屋の前で朝食をとり、文三郎道と呼ばれる険しい道を登ったが、これまでほとんど平坦な道であったので体力が温存されていたのであろう、 急な道もそれ程キツイと感じることなく登り続けることができ、やがて赤岳と中岳のコルに到着したのだった。
登る途中もずうっとガスに囲まれており、途中見えるはずの赤岳西壁も全く見えず、雨の中と同様に黙々と歩くだけであったのが、 返ってペースを上げるのに良かったのかもしれない。

赤岳と中岳とのコルからは岩場となって、鎖場が連続したが、慎重に登れば問題なく、 やがて三角点と祠、その他宗教的なものが置かれている頂上 (赤岳南峰) に到着。
行者小屋から 2時間ほどの意外に呆気ない登頂であったが、寝不足の身体が逆に幸いして何となく気分がハイになっていたのかもしれない。

折角の頂上もやはりガスに囲まれていて視界を全く得ることができず、暫く待ったもののガスは引きそうにもないため、 頂上を後にして縦走路を硫黄岳の方へと進む。
途中丸太造りの赤岳頂上小屋 (赤岳北峰) を過ぎ、赤くザレた急斜面を下降していくと、 やがて地蔵尾根の分岐であろうか、赤いよだれかけをしたお地蔵様のある場所に着いた。
ここからいよいよ横岳、硫黄岳への縦走路である。

最初の二十三夜峰を過ぎると鎖場となり、日ノ出岳の一枚岩を越えることになったが、 それほど難しいテクニックを要求されるわけではなく、慎重に進めば問題はない。
続いて石尊峰、三叉峰と続き、やがて横岳 (奥ノ院) 山頂と書かれた標柱のある横岳頂上に着いて、 ホッと一息といったところであるが、ここでも全く視界ゼロであった。

そこからまた、カニノヨコバイと呼ばれる鎖場を慎重に過ぎると、やがて砂礫の斜面となり、 下った所に硫黄岳石室があった。
硫黄岳石室の周りは高山植物園となっていたので、暫く中を歩いてトウヤクリンドウやコマクサなどを写真に収め、 それからまた縦走路に戻って、ガスの中を大きなケルンに導かれながら硫黄岳山頂に向かう。
硫黄岳山頂も視界ゼロで、見えるはずの火口壁もどこにあるのか全く分からない状況だったので、長居は無用と、 標識の前で記念写真を撮ってすぐさま夏沢峠の方へと下ったのだった。

急斜面を下っていくと、やがて先の方に夏沢峠にある山小屋の赤い屋根が見え、 岩場から樹林帯に入って暫く進むと登山者で賑わう夏沢峠であった。
峠からはジグザグの道を下って本沢温泉へと向かい、そこからまたひと山越えてミドリ池のあるしらびそ小屋まで進んで、 小屋でうどんを食べるなどして暫く休憩。
ここでもガスは晴れておらず、ミドリ池の上に見えるはずの稲子岳もガスの中であった。

しらびそ小屋からは、稲子湯に向かい、そこで一風呂浴びて汗を流してから小海線小海駅行きのバスに乗って帰途についたが、 当初の予定を遙かに越える歩行距離となり、また睡眠不足であったにもかかわらず、この日はどういう訳か快調で、 ほとんど疲れを感じることがなかった。

それにしても、全く視界を得られず、赤岳の勇姿を見られなかったのが非常に残念で、 いつかまた登ってみなくてはと思わざるを得ない、やや不完全燃焼の登山であった。


八 ヶ 岳 登 山 デ ー タ

上記登山のデータ登山日:1990.8.14 天候:曇り単独行前夜発日帰り
登山路:美濃戸口−美濃戸−行者小屋−赤岳−横岳−硫黄岳−夏沢峠− 本沢温泉−ミドリ池−稲子湯
交通往路:瀬谷−(相鉄線)−大和−(小田急江ノ島線・小田原線)− 新宿−(中央本線:車中泊)−茅野−(タクシー)−美濃戸口
交通復路:稲子湯−(バス)−松原湖−(小海線)−小淵沢− (中央本線)−八王子−(横浜線)−橋本−(相模線)−海老名−(相鉄線)−瀬谷
温 泉:稲子湯
その他:8月13日、夜行にて出発。翌14日八ヶ岳登山。
その他の
八ヶ岳
登山
(1) 美濃戸口−美濃戸−行者小屋−赤岳−横岳−硫黄岳−赤岳鉱泉−美濃戸−美濃戸口   (1998.07.18:晴)
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(2) 観音平−八ヶ岳神社−長坂展望台−木戸口公園−三ツ頭−権現岳−ギボシ−ノロシバ−青年小屋−編笠岳−雲海展望台−観音平   (1998.11.14:快晴)
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(3) 美濃戸口−美濃戸−行者小屋−中岳のコル−阿弥陀岳−中岳のコル−中岳−赤岳−地蔵仏−行者小屋−美濃戸−美濃戸口   (1999.05.30:快晴)
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(4) 美し森たかね荘−羽衣池−リフト−賽ノ河原−牛首山−扇山−竜頭峰基部−赤 岳−大天狗−野辺山・清里分岐−美し森たかね荘   (2000.07.23:快晴)
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(5) 美し森たかね荘−羽衣池−リフト−賽ノ河原−牛首山−扇山−竜頭峰基部−赤 岳−大天狗−野辺山・清里分岐−美し森たかね荘   (2002.07.27:晴れ後曇り)
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(6) 美し森 たかね荘−羽衣池−賽ノ河原−牛首山−扇山−竜頭峰基部−赤岳−竜頭峰基部−キレット−ツルネ−旭岳−権現岳−三ツ頭−前三ツ頭−天ノ河原−天女山−展望台−(八ヶ岳横断自然歩道)−羽衣池−美し森 たかね荘   (2010.7.10:晴れ時々曇り)
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(7) 美濃口駐車場−阿弥陀岳登山口−御小屋山−不動清水分岐−西ノ肩−阿弥陀岳−中岳−赤岳−地蔵の頭−行者小屋−美濃戸口駐車場   (2013.9.14:曇り時々晴れ)
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(8) 美濃口駐車場−阿弥陀岳登山口−御小屋山−不動清水分岐−西ノ肩−阿弥陀岳−中岳−赤岳−地蔵の頭−行者小屋−美濃戸口駐車場   (2018.9.28:晴れ後曇り)
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