江戸料理百選タイトル   

落語にみる
江戸の食生活

第1回 お花見  
 落語『貧乏花見』 
 名物『玉子焼き』 
第2回 たけのこ
落語『たけのこ』
『竹の子料理 1 * 2 』
第3回 そば
落語『そば清』
『霙蕎麦(みぞれそば)』
第4回 豆腐
落語『酢豆腐』
『豆腐料理いろいろ』
第5回 うなぎ
落語『うなぎ屋』
真夏の風物詩
第6回 秋刀魚
落語『目黒の秋刀魚』
江戸の魚ごよみ
第7回 いわし
落語『猫久』
『 酢烹(すしに)』
第8回 大根
落語『たらちね』
『大根料理いろいろ』
第9回 さつま芋
落語『芋俵』
『甘藷百珍』

* 第1 回 * お花見  

第1 回 落語『貧乏花見 (江戸版:長屋の花見) 』 へ飛びます。


貧乏長屋の連中が大家さんにお花見に誘われました。・・・のかわりにうすめた番茶を、重箱に蒲鉾の代わりに大根玉子焼きの代わりにたくわんをつめて風呂敷に包み、毛せんに見立てたむしろにくるんで飛鳥山にお花見に出かけます・・・。さてどうなりますことか。

毎度お馴染みの『長屋の花見』でございます。
この場で生の感動をお伝えできないのが残念です。落語が大好きの方やそれほどではない方も
まぁ、なにはともあれ、長屋の連中とご一緒にお花見にどうぞお付き合いください。


玉子焼
 長屋の連中が食べたかった江戸時代の玉子焼きとはどんなものだったのでしょう。

 玉子焼き料理の集大成で『玉子百珍』の異名をもつ『万宝料理秘密箱』をぱらぱらと覗いてみたのだが、いわゆる「厚焼き玉子」に相当する料理は見つからなかった。もちろん、玉子を焼いて様々な料理に応用しているのだが、ほとんどが薄焼きで、そのものが料理というよりは、素材として扱われているようだ。
 「今のような江戸前の甘い厚焼き玉子が出てきたのは、江戸末期から明治になってからじゃないですかね。
それまでは薄焼きか、あるいは海老の擂り身とかを混ぜて焼くのが普通だったと思います。」
文化三年(1806年)の料理書『料理簡便集』に出てくる「玉子焼」は、「玉子五つばかり 魚又はゑびのさいのめ きざみねぎ入れ あつ焼きにして切て出す」と記されている。
「あの当時だと、砂糖はまだ貴重品だったんだと思います。しかし、砂糖を使わないと、固焼きになってしまう。ふっくらと焼こうと思ったら、砂糖が不可欠なんです。」玉子焼きに限らず、茶碗蒸しなどの玉子料理も、本に記されたとおりに作ると、今のものよりずっと固めに仕上がってしまうという。
「案外ね、これはカステラを真似て作ったんじゃないかと思うんですよ」そう言われてみれば、このふっくらとした焼き上がりの感覚は、カステラの感じに近いかもしれない。
『玉子百珍』には玉子に小麦粉と砂糖を混ぜて焼く「家主貞良卵(かすてら)」という料理が出てくるが、実際に作ってみると、普通の厚焼き玉子の方が数段おいしかったとか。

※出典:『江戸料理百選』の著者でもある福田浩氏の『大江戸料理帖』(新潮社)
 福田浩氏のお店『なべ家』名物の「これぞ江戸前の甘さがあとを引く玉子焼き」は
 厚さ五センチはあろうかという、ふっくらとした厚焼き玉子だそうです。
 すっごくおいしそう。私もたべてみた〜い。

 名物『玉子焼き』 ← クリック

大根・たくわん
 ここで語られている「大根の香物」と「沢庵」は、いずれも大根を材料とした漬物で、前者は、いわゆる浅漬けで、白い色が蒲鉾を連想させることからその代用品とし、沢庵は、塩のほか糠を使って漬け、色が淡黄色に仕上がるので、卵焼きの代用にしたという噺である。
 いいかえれば、長屋の住人にとっては蒲鉾や卵は高価なもので、浅漬や沢庵は安価な日常の食品であったといえよう。なお「藷鉾」とあるのは、江戸時代の料理書にある、山のいもを主原料とした「芋蒲鉾」のようなものをさしているのか、蒲鉾の誤記なのかはっきりしない。

※出典:江原絢子『江戸の食文化』(河出書房新社)


「玉子焼き」を題材の落語:『王子の狐(別名「高倉狐」)』
            この噺には玉子焼きをお土産に持って帰る場面がある。

「大根の香物・沢庵」を題材の落語:『たらちね』『うなぎの幇間(たいこ)』

「花見」を題材の落語:『花見の仇討ち』上野が舞台、 『百年目』隅田川の向島が舞台。


※飛鳥山は、東京都北区王子にある丘。現在は公園。
 桜の種類「染井吉野」を中心に約20品種。数量約500本。
 八代将軍徳川吉宗が桜の木を植えさせ一般に開放して以来花見の名所として知られる。
 飛鳥山公園:開花時期の予想は 3月下旬〜4月上旬 。

* 第2回へ♪ *

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