治承四年七月十四日(一説に十五日)、源平争乱のさなか、高倉天皇の第四皇子として生まれる。母は藤原信隆女、七条院殖子。子に昇子内親王・為仁親王(土御門天皇)・道助法親王・守成親王(順徳天皇)・覚仁親王・雅成親王・礼子内親王・道覚法親王・尊快法親王。
寿永二年(1183)、平氏が安徳天皇を奉じて西国へ下り、玉座が空白となると、祖父後白河院の院宣により践祚した。翌元暦元年(1184)七月二十八日、五歳にして即位(第八十二代後鳥羽天皇)。平氏滅亡後の文治二年(1186)、九条兼実を摂政太政大臣とする。建久元年(1190)、元服。兼実の息女任子が入内し、中宮となる(のち宜秋門院を号す)。同三年三月、後白河院は崩御し、七月、源頼朝は鎌倉に幕府を開いた。
建久九年(十九歳)正月、為仁親王に譲位し、以後は院政を布く。同年八月、最初の熊野御幸。翌正治元年(1199)、源頼朝が死去すると、鎌倉の実権は北条氏に移り、幕府との関係は次第に軋轢を増してゆく。この頃から和歌に執心し、たびたび歌会や歌合を催す。正治二年(1200)七月、初度百首和歌を召す(作者は院のほか式子内親王・良経・俊成・慈円・寂蓮・定家・家隆ら)。同年八月以降には第二度百首和歌を召す(作者は院のほか飛鳥井雅経・源具親・源家長・鴨長明・宮内卿ら)。建仁元年(1201)七月、院御所に和歌所を再興。またこれ以前に「千五百番歌合」の百首歌を召し、詠進が始まる。同年十一月、藤原定家・同有家・源通具・藤原家隆・同雅経・寂蓮を選者とし、『新古今和歌集』撰進を命ずる。同歌集の編纂には自ら深く関与し、四年後の元久二年(1205)に一応の完成をみたのちも、「切継」と呼ばれる改訂作業を続けた。同二年十二月、良経を摂政とする。
承久元年(1219)、三代将軍源実朝が暗殺され、幕府との対立は荘園をめぐる紛争などを契機として尖鋭化し、承久三年(1221)五月、院はついに北条義時追討の兵を挙げるに至るが(承久の変)、上京した鎌倉軍に敗北、七月に出家して隠岐に配流された。以後、崩御までの十九年間を配所に過ごす。この間、隠岐本新古今集を選定し、「詠五百首和歌」「遠島御百首」「時代不同歌合」などを残した。また嘉禄二年(1226)には自歌合を編み、家隆に判を請う。嘉禎二年(1236)、遠島御歌合を催し、在京の歌人の歌を召して自ら判詞を書く。延応元年(1239)二月二十二日、隠岐国海部郡刈田郷の御所にて崩御。六十歳。刈田山中で火葬に付された。御骨は藤原能茂が京都に持ち帰り、大原西林院に安置した。同年五月顕徳院の号が奉られたが、仁治三年(1242)七月、後鳥羽院に改められた。
藤原家隆が成立に関与したかと推察される『後鳥羽院御集』がある。歌論書には『後鳥羽院御口伝』がある。新古今集初出。勅撰入集二百五十八首。
水無瀬神宮 大阪府三島郡島本町。後鳥羽院を祀る。 |
春 15首 夏 8首 秋 19首 冬 8首 恋 9首 雑 42首 計100首
春のはじめの歌
ほのぼのと春こそ空に来にけらし天のかぐ山霞たなびく(新古2)
【通釈】ほのぼのと春が空にやって来たらしいよ。天の香具山に霞がたなびいている。
【語釈】◇ほのぼのと 姿がほのかに見えるさま、また夜がしらじらと明けるさまなどを言う。◇来にけらし 既に来たようであるよ。「けらし」は「ける」「らし」が結びついた複合助動詞。万葉集で頻用された語。◇天(あま)のかぐ山 天の香具山、また天の香久山とも書く。大和国の歌枕。実際には低い丘陵であるが、王朝和歌では天空に聳える山として詠まれることが多い。
【補記】人麻呂歌集出典の万葉歌を本歌取りした。ゆったりと歌い出す大らかな調べ、いわゆる帝王調あるいは至尊調を代表する一首。
【他出】定家八代抄、後鳥羽院御集、新三十六人撰、歌枕名寄
【本歌】作者未詳「万葉集」巻十
久方の天の香具山この夕へ霞たなびく春たつらしも
【主な派生歌】
いつしかも霞みにけらしみ吉野やまだふる年の雪も消(け)なくに(*鷹司基忠[玉葉])
正治二年八月御百首 春
いつしかと霞める空のけしきにてゆくすゑ遠しけさの初春(後鳥羽院御集)
【通釈】早くも霞んでいる空のありさまで、見はるかす先は茫漠として遠い、今朝迎えた初春であるよ。
【補記】正治二年(1200)に自ら催した初度百首の冒頭歌であり、『後鳥羽院御集』巻頭歌でもある。立春を迎え、早くも霞む空のけしきに、「ゆくすゑ遠し」と自らの治世の永からんことを予祝している。
【他出】正治初度百首、三百六十番歌合
【参考歌】平兼盛「後拾遺集」
武蔵野を霧の絶え間に見わたせばゆくすゑ遠き心地こそすれ
和歌所にて、関路鶯といふことを
鶯の鳴けどもいまだ降る雪に杉の葉しろき逢坂の山(新古18)
【通釈】鶯は鳴いているけれども、まだ降る雪――その雪のために、杉の葉が白い逢坂の山よ。
【語釈】◇逢坂の山 山城・近江の国境をなす峠。東国と境をなす関があった。古くは相坂とも書いた。今の滋賀県大津市に逢坂の地名が残る。
【補記】逢坂は畿内の東の果てなので、畿内では真先に春が訪れる土地とされた。その山に春を告げる鶯が鳴いているが、なお雪が降り、杉林を白く装っている。針葉樹の暗い青と雪の白さの対照が印象的で、春から隔てられた、寂しい山の景が身に沁みるように想像される。『御集』によれば正治二年(1200)二月十日の影供御歌合、題は「関路雪」。結句を「逢坂の関」とする本もある。
【他出】定家八代抄、後鳥羽院御集、歌枕名寄、井蛙抄、歌林良材
【本歌】よみ人しらず「古今集」
梅が枝に来ゐる鶯春かけて鳴けどもいまだ雪は降りつつ
【参考歌】後鳥羽院「後鳥羽院御集」(外宮御百首)
春の来てなほ降る雪は消えもあへず杉の葉しろき三輪のあけぼの
をのこども詩をつくりて歌にあはせ侍りしに、水郷春望といふことを
見わたせば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ(新古36)
【通釈】見渡すと、山の麓が霞んでいる、水無瀬川。昔の人は夕べは秋が良いなどと、何を思ったのだろう。夕暮の情趣は春こそ素晴らしいのに。
【語釈】◇水無瀬川 摂津国の歌枕。大阪府三島郡島本町あたりを流れて淀川に合流する。川辺に後鳥羽院の水無瀬離宮があった。◇夕べは秋と 夕暮は秋がよいと。枕草子の「秋は夕暮」を踏まえる。
【補記】元久二年(1205)六月十五日、五辻御所で自ら催した元久詩歌合、題は「水郷春望」、三十七番右。左は親経の漢詩「湖南湖北山千里 潮去潮来浪幾重」。
【他出】元久詩歌合、歌枕名寄、増鏡
【参考歌】藤原清輔「新古今集」
うす霧の籬の花の朝じめり秋は夕べと誰か言ひけむ
【主な派生歌】
ありて行くみかさもいさや水無瀬川山もとかすむ春の明ぼの(花山院師兼)
おぼろにも月はのこりて明ぼのの山本かすむ春の色かな(下冷泉持為)
わきてやはこの里人もみなせ川山もとかすむ花の下道(三条西実隆)
水無瀬川山本かすむおもかげの昔もとほき春の夕暮(本居宣長)
落花
を泊瀬や宿やはわかむ吹きにほふ風の上ゆく花の白雲(後鳥羽院御集)
【通釈】初瀬の宿を見分けることができるだろうか。吹きにおう風の上を流れて行く、花の白雲よ。
【語釈】◇を泊瀬 奈良県桜井市初瀬(はせ)の古称。初瀬川ぞいの渓谷の地。桜の名所。観音で名高い長谷寺があり、人々の参詣で賑わった。◇宿やはわかむ 宿を見分けることができようか。「宿」は話手がその夜山上で過ごすための宿。「やは」は反語。◇吹きにほふ 吹いて花の香を漂わせる。◇花の白雲 風に散る山桜の花を白雲になぞらえる。
【補記】隠岐配流後の嘉禄二年(1226)四月二十一日、隠岐にあった後鳥羽院が自詠二十首を番え、判を藤原家隆に依頼して成った自歌合、二番右持。家隆の判詞は「右、吹きにほふ風の上ゆく花の白雲、又ことにたけありて、花の匂ひもまことに遠く思ひやられ侍れば、なずらへて秀逸の持と申すべし」。
【参考歌】禅性法師「新古今集」
はつせ山夕越え暮れて宿とへば三輪の檜原に秋風ぞ吹く
釈阿、和歌所にて九十賀し侍りしをり、屏風に、山に桜咲きたるところを
桜咲く遠山鳥のしだり尾のなかながし日もあかぬ色かな(新古99)
【通釈】桜が咲く遠山――山鳥の垂れ尾のように、長々とした春の日にあっても、飽きることのない美しい花の色であるよ。
【語釈】◇遠山鳥 遠い山の山鳥。◇しだり尾の 垂れ尾のように。「山鳥のしだり尾の」で「ながながし」を導くはたらきをする。
【補記】新古今集巻二春下の巻頭歌。詞書の「釈阿」は藤原俊成の出家後の名。建仁三年(1203)、和歌所で俊成の九十歳の祝賀を催した時、桜の咲く山を描いた屏風絵に添えた歌。「ながながし」に俊成の長寿を言祝ぐ。
【他出】自讃歌、定家八代抄、詠歌大概、近代秀歌、八代集秀逸、時代不同歌合、後鳥羽院御集、新三十六人撰、和歌口伝抄、歌林良材
【本歌】伝柿本人麻呂「拾遺集」
あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む
【参考歌】凡河内躬恒「新古今集」
雲ゐより遠山鳥のなきてゆく声ほのかなる恋もするかな
【主な派生歌】
玉手箱明けてぞ見まし桜さく遠山鳥のをろの鏡を(正徹)
きつつなく都の雪も桜さく遠山鳥のうぐひすのこゑ(後柏原院)
かぞへみる八十年の春にさくら咲く遠山鳥の跡もかさねむ(烏丸光弘)
日吉社へ五十首御歌たてまつられけるに
吉野山さくらにかかる夕がすみ花もおぼろの色はありけり(続古今128)
【通釈】吉野山の桜に覆いかぶさる夕霞――花もほのかな色はあるのだった。
【補記】夕霞のヴェールにつつまれてしまった山桜、それでも花の色は朦朧として見える。雲・霞と桜を見まがう趣向は古くからあるが、掲出歌は霞と花の色のわずかな差異に着目し、当時好まれた縹渺とした美の世界を創りあげた。比叡山麓の日吉大社に奉納した歌。制作年などは不明。
【他出】雲葉集、新三十六人撰、歌枕名寄、六華集
【参考歌】遍昭「古今集」
花の色は霞にこめて見せずとも香をだにぬすめ春の山風
建暦二年二月二十五日 於紫宸殿花下三首(二首)
吹く風もをさまれる世のうれしきは花見る時ぞまづおぼえける(後鳥羽院御集)
【通釈】吹く風もおさまっている世の嬉しさ――それは、桜の花を見る時にこそ、真っ先に思われるのだった。
【語釈】◇をさまれる 風が静まっている意と、世の中が平和に治まっている意を掛ける。
【補記】建暦二年(1212)春、紫宸殿の前庭の桜、すなわち「左近の桜」の下での御製。続古今集の詞書は「建暦のころ、南殿の花しのびて御覧ずとてよませ給ひける」。
【他出】続古今集、秋風集、六華集
【主な派生歌】
吹く風ものどけき花の都鳥をさまれる世のことやつてまし(*少将内侍[続古今])
吹く風もをさまれる世の雲の上に猶ひかりそふ月をみるかな(九条隆博)
吹く風もをさまれる代のめぐみには花の心ぞまづ開けける(頓阿)
われならで見し世の春の人ぞなきわきてもにほへ雲の上の花(後鳥羽院御集)
【通釈】私以外には、共に春の花を眺めた人は残っていないのだ。私のためには特別に美しく咲いてくれ、宮中の花よ。
【語釈】◇見し世の春 かつて(紫宸殿の桜の花を)共に眺めた時の春。◇雲の上の花 「雲の上」は禁中のこと。
【補記】前歌と同じく建暦二年(1212)に紫宸殿の桜を見ての御製。『源家長日記』には、譲位翌年の正治元年(1199)三月二十日頃、後鳥羽院が大勢の公卿・殿上人を率いて紫宸殿の桜を眺めたことが記録されている。この時花見に同行し院と歌を贈答した源通親と寂蓮は三年後の建仁二年(1202)に亡くなっている。良経が亡くなったのはさらにその四年後のことであった。
【参考歌】九条良経「秋篠月清集」「続後撰集」
八重桜をりしる人のなかりせば見し世の春にいかで逢はまし
正治二年第二度御百首 禁中
春はただ軒端の花をながめつついづち忘るる雲の上かな(後鳥羽院御集)
【通釈】春という季節はただ、軒端に咲く桜の花を眺めながら、自分がどこにいるかも忘れてしまう、雲の上であるよ。
【語釈】◇雲の上 禁中を指す。
【補記】正治二年(1200)冬、近臣や女房に詠進させ、自らも詠んだ百首歌。
春
春雨も花のとだえぞ袖にもる桜つづきの山の下道(遠島百首)
【通釈】春雨も、花が途切れているところでは漏って袖を濡らす。桜がつらなる山の、木陰の道よ。
【語釈】◇花のとだえ 桜の森で、花が散ってしまって途絶えているところ。◇下道 木陰・花陰など、物陰の道。
【補記】道沿いにどこまでも桜が列なる山。花が散ってしまった下を行く時だけ、袖が春雨に濡れるのである。承久三年(1221)の隠岐配流後まもなく詠まれたと推測される『遠島百首』の春歌。
【他出】夫木和歌抄
最勝四天王院の障子に、吉野山かきたる所
み吉野の高嶺のさくら散りにけり嵐もしろき春の明けぼの(新古133)
【通釈】吉野の高嶺の桜が散ってしまった。山風も白く染まった春の曙よ。
【語釈】◇嵐もしろき 嵐は山を吹く風。散った大量の桜を運ぶため、「しろき」と言う。
【補記】最勝四天王院は承元元年(1207)に後鳥羽院が白河に建てた勅願寺。その障子絵に描かれた日本全国の名所四十六か所を題として和歌を詠んだのが『最勝四天王院障子和歌』である。当時の著名歌人九人に詠進させると共に、院は自らも出詠した。そのうち吉野山を描いた障子絵に添えたのが掲出歌である。
【他出】最勝四天王院和歌、後鳥羽院御集、新三十六人撰
【参考歌】藤原定家「拾遺愚草」(初学百首)
おしなべて峰の桜やちりぬらん白たへになる四方の山風
建保二年二月御会 春風
治めけむふるきにかへる風ならば花散るとても厭はざらまし(後鳥羽院御集)
【通釈】天皇が自ら世を平和に治めていた、いにしえの時代に帰る風であるなら、花が散るとしても嫌うことはすまい。
【語釈】◇治めけむふるき 平和に治めていた古い時代。天皇親政の世として理想化されていた延喜天暦の世(醍醐天皇・村上天皇)を思うのが当時の常識。
【補記】建保二年(1214)二月、後鳥羽院主催の歌会での御製。『後鳥羽院御集』以外の文献には見えない。
正治二年八月御百首 春
風は吹くとしづかに匂へ乙女子が袖ふる山に花の散る頃(後鳥羽院御集)
【通釈】風は吹くとしても、穏やかに咲きにおえ。少女が袖を振るという布留の山に、桜の花の散る頃。
【語釈】◇風は吹くと 《風は吹くとも》の意で用いるか。異例の用法。「風は吹けど」とする本もある。◇乙女子が袖ふる山に 下記拾遺集の人麿歌に由る。「ふる」は「振る」「布留」の掛詞。◇ふる山 布留山。石上神宮が鎮座する山。奈良県天理市。
【補記】正治二年(1200)の正治初度百首。
【本歌】柿本人麻呂「万葉集」巻四
をとめらが袖ふる山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき我は
柿本人麿「拾遺集」
をとめごが袖ふる山のみづがきの久しき世より思ひそめてき
【主な派生歌】
花の香はありとやここに乙女子が袖ふる山にうぐひすぞ鳴く(藤原範宗)
乙女子がかざしの桜咲きにけり袖ふる山にかかる白雲(二条為氏[続後撰])
正治二年第二度御百首 山路
春ゆけば霞のうへに霞みして月に果つらし小野の山道(後鳥羽院御集)
【通釈】過ぎゆく春の夜、野の山道を歩いてゆくと、霞のうえに幾重にも霞がたなびいて、道のゆくては、月の中へと消え果てているようだ。
【語釈】◇春ゆけば 「春が過ぎてゆくので」の意に「春、(山路を)歩いてゆくと」の意を兼ねる。◇月に果つらし 山道が月の中に果てる。霞が濃いため、山道が朧月の光の中に途切れているように見えるさま。◇小野 野。野原。「を」は慣習的に付けた接頭語。
【補記】「小野」は地名とすれば炭焼の名所なので、「霞の上に霞みして」いるのを炭焼の煙と見る説があるが(和歌文学大系)、春の歌であるから炭焼は季節外れである。一首の眼目は、視線の上昇とともに山道が霞の中を月へと「果つらし」と見る、幻想的な叙景にあるので、「(煙のせいで)月には辛し」などと読んでは、台無しである。正治二年(1200)の後度百首。
建仁元年三月内宮御百首 夏
なにとなく過ぎこしかたの恋しきに心ともなふ遅桜かな(後鳥羽院御集)
【通釈】何とはなしに、過ぎ去った時が懐かしい気がするところに、心がぴったり伴う遅桜であるよ。
【語釈】◇なにとなく これといった理由はなく。後鳥羽院が心酔した西行の好んで用いた語句。◇遅桜 遅咲きの桜。和歌では立夏を過ぎて咲き残っている桜を言うことが多い。
【補記】建仁元年(1201)、伊勢神宮の内宮に奉納した百首の夏部冒頭。春が逝き、回顧的な気分に耽っていたところ、なお咲き残っている遅桜に心の伴侶を見出したという。「心ともなふ」は和歌に前例なく、後鳥羽院創意の句と思われる。
【参考歌】藤原顕輔「久安百首」
なにとなく花橘の香をかげばいにしへさへぞ恋しかりける
百首御歌の中に
あやめふく萱が軒端に風すぎてしどろに落つる村雨の露(玉葉345)
【通釈】菖蒲の葉を飾っている萱葺きの軒端に風が吹き過ぎて、乱れて落ちる、一しきり降った雨の露よ。
【語釈】◇あやめふく 「あやめ」は五月の節句に軒に插しかざしたショウブの葉。◇萱が軒端 萱葺きの軒端。◇村雨の露 一しきり降った五月雨が軒端に溜まっていた、その露。
【補記】遠島百首。『増鏡』巻二「新島守」にも見え、後鳥羽院配流の御所を描く段に「夏になりて萱葺きの軒端に五月雨の雫いと所せきも、御覧じなれぬ御心地に、さまかはりてめづらしく思さる」とあって掲出歌を引用している。
夏
難波江や海人のたく縄たきわびて煙にしめる五月雨の頃(遠島百首)
【通釈】難波江では海人の古びた栲縄を焼こうとして焼きかね、煙に湿っている、梅雨のこの頃よ。
【語釈】◇難波江(なにはえ)や 難波江はかつて大阪平野に広がっていた浅海。難波潟とも言う。「や」は詠嘆を込めて場所などを示すはたらきの間投助詞。◇たく縄 栲縄。楮(こうぞ)の繊維などで作った縄。水に強いので漁に用いられた。◇五月雨(さみだれ) 梅雨。
【補記】侘しさも極まる海辺の梅雨の頃。玉葉集に撰入、詞書は「百首御歌の中に」、第三句「ほしわびて」。
【参考歌】九条良経「新古今集」
小山田にひくしめ縄のうちはへて朽ちやしぬらむ五月雨の頃
太神宮にたてまつりし夏の歌の中に
ほととぎす雲ゐのよそに過ぎぬなり晴れぬ思ひの五月雨の頃(新古236)
【通釈】時鳥は空の遠くを素っ気なく鳴き過ぎて行った。晴れない思いに胸がふさがる、梅雨のこの頃よ。
【語釈】◇雲ゐのよそ 「雲ゐ」は雲の居るところで空のこと。また、「遥か遠い所」「手の届かない所」「宮中」などを比喩的にあらわす。「よそ」はかけ離れていて、自分とは関係のない所。◇過ぎぬなり 「なり」は聴覚によって判断していることを示す助動詞。鳴き声から「過ぎぬ」と知ったのである。◇晴れぬ思ひ 鬱屈した思い。「晴れぬ」は「五月雨」の縁語。古今集の「秋霧のともに立ち出でて別れなば晴れぬ思ひに恋ひや渡らむ」など、恋の歌に用いられることの多かった語句。
【補記】承元二年(1208)二月、伊勢神宮の内宮に奉った三十首歌。夏歌六首のうち三首を時鳥詠が占め、一つ前の歌も「うき世をやしのぶの山の時鳥思ひかねつつ声聞こゆらむ」と時鳥の声を憂鬱なものと聞いている。
【他出】御裳裾和歌集、後鳥羽院御集
夏御歌の中に
神山にゆふかけて鳴くほととぎす椎柴がくれしばし語らへ(続古今215)
【通釈】神山に木綿をかけるではないが、夕にかけて鳴く時鳥よ、椎の林に隠れ忍んで、しばし昔のことを語り続けてくれ。
【語釈】◇神山 上賀茂神社の北にある円錐形の山。◇ゆふかけて 「木綿かけて」「夕かけて」の掛詞。◇椎柴がくれ 椎の林に隠れて。『狭衣物語』に由来する語。「しばし」を導くはたらきもする。◇語らへ 「いにしへのこと語らひに時鳥いづれの里にながゐしつらむ」(『敦忠集』)のように、時鳥は昔のことを語る鳥とされた。「語らふ」は「語る」の継続形で、「語り続ける」意。
【補記】隠岐配流後の詠五百首和歌。
【他出】後鳥羽院御集、歌枕名寄
【本歌】「狭衣物語」
神垣や椎柴がくれ忍べばぞ木綿をもかくる賀茂の瑞垣
【参考歌】前斎宮六条「金葉集」
宿ちかくしばし語らへほととぎす待つ夜の数のつもるしるしに
二条院讃岐「千五百番歌合」
神まつる卯月の花も咲きにけり山時鳥ゆふかけて鳴け
夏
夕立のはれゆく峰の雲間より入日すずしき露の玉笹(遠島百首)
【通釈】夕立の雨が晴れてゆく峰――その雲の切れ間から入日が射して、笹の葉に置いた露を照らす――その光の涼しげなことよ。
【語釈】◇露の玉笹 「露の玉」「玉笹」の掛詞であろう。「玉笹」は笹の美称。
【補記】続拾遺集夏に撰入されているが、第三句を「木の間より」としており、遠島百首の原歌を改悪している。
【他出】続拾遺集、題林愚抄
【参考歌】俊成卿女「仙洞句題五十首」
月さえてことぞともなき秋の夜の風にみだるる露の玉笹
夏
呉竹の葉ずゑかたより降る雨に暑さひまある水無月の空(遠島百首)
【通釈】呉竹の葉末が片方に靡き寄るほど降る雨に、暑さも絶え間のある、陰暦六月の空よ。
【語釈】◇呉竹(くれたけ) 淡竹(はちく)の一種。「呉」は古く中国から渡来したものであることを示す。◇水無月 陰暦六月の異称。梅雨明け後の最も暑い季節。
【補記】竹群を靡かせて降る雨に、酷暑も一やすみ。隠岐時代の後鳥羽院御製には実感に基づく迫真的な自然詠が見られる。新古今時代とは異なる歌境を切り拓いたのである。なお、結句「みな月の頃」とする本もあるが、「頃」は「空」に劣る。
【参考歌】藤原定家「老若五十首歌合」「拾遺愚草」
春暮れていくかもあらぬを山風に葉ずゑかたよりなびく下草
夏
見るからにかたへ涼しき夏衣ひもゆふ暮のやまとなでしこ(遠島百首)
【通釈】見た途端に夏衣のあたりが涼しく感じられる――衣の《紐を結う》ではないが、日も傾いた夕暮の大和撫子の花を…。
【語釈】◇ひもゆふ 「日も夕」「紐結ふ」の掛詞。下記古今集よみ人しらず歌(参考歌)に由る表現。◇やまとなでしこ 大和撫子。ナデシコ科の多年草。カワラナデシコとも。夏から秋にかけて淡紅色の花をつける。
【補記】多くの古歌の記憶を呼び起こしつつ、万葉の時代から愛された夏の花に涼感を感じ取っている。
【本歌】凡河内躬恒「古今集」
夏と秋と行きかふ空の通ひ路はかたへすずしき風や吹くらむ
藤原清輔「新古今集」
おのづからすずしくもあるか夏衣ひもゆふぐれの雨のなごりに
【参考歌】よみ人しらず「古今集」
唐衣日も夕暮になる時はかへすがへすぞ人は恋しき
素性法師「古今集」
我のみやあはれと思はむきりぎりす鳴く夕かげのやまとなでしこ
慈円「千五百番歌合」「新古今集」
夏衣かたへすずしくなりぬなり夜やふけぬらむ行あひの空
秋の歌の中に
秋の露やたもとにいたく結ぶらむ長き夜あかずやどる月かな(新古433)
【通釈】秋の露が私の袂にひどく付いているのだろうか。長い夜を、飽きもせず袂に宿り続ける月の光であるよ。
【語釈】◇秋の露 露は秋になると夥しくなるもの。露に涙を暗示。◇いたく 甚だしく。◇結ぶらむ (露が)凝結するのだろうか。
【補記】話手(作中人物)は端居などして月を眺めている。美しい月に見とれ、哀れを催し、涙で袂をびっしょり濡らしたことを「秋の露や…結ぶらむ」と婉に言いなし、月影を見飽きない自身の心を、「長き夜あかずやどる月かな」と月の側に託して言い表した。人が心に感ずるところを、人を主とせず、露や月といった風物を主として表現することで、趣を深めている。元久元年(1204)五月、春日社に奉納した「詠三十首和歌」。結句「やどる月影」として載せる本もある。
【他出】定家八代抄、詠歌大概、近代秀歌、八代集秀逸、新三十六人撰
【本歌】「源氏物語・桐壷」
鈴虫の声のかぎりを尽くしても長き夜あかずふる涙かな
秋の歌の中に(二首)
露は袖に物おもふ頃はさぞな置くかならず秋のならひならねど(新古470)
【通釈】露は袖に、物思いする今頃の季節はこれほどに置くのだ。必ずしも秋に決まってすることではないのだけれど。
【語釈】◇秋のならひ 秋になると常にすること。
【補記】前歌と同じく元久元年(1204)五月、春日社に奉納した「詠三十首和歌」。
【他出】自讃歌、定家八代抄、新三十六人撰、歌林良材
野原より露のゆかりを尋ねきてわが衣手に秋風ぞ吹く(新古471)
【通釈】野原から、露の縁故を尋ねて来て、涙の露の置いた私の袖に秋風が吹くことよ。
【補記】恋の悲しみゆえ袖に露(涙)の置いた袖――露は秋のものであるというので、そのゆかりを尋ねて、秋風が野原を渡り我が袖にまで吹いて来た、とした。元久元年(1204)十二月、賀茂上社三十首御会。
【他出】定家八代抄、元暦三十六人歌合、後鳥羽院御集、題林愚抄
【参考歌】「源氏物語・紅葉の賀」
袖ぬるる露のゆかりと思ふにもなほうとまれぬ大和撫子
【主な派生歌】
ならひこし露のゆかりをたづねてや霜に宿かる夜半の月かげ(安嘉門院高倉)
あはれにぞ露のゆかりをたづねける消えにしあとに残る言の葉(安嘉門院大弐)
武蔵野や露のゆかりをたづぬれば草の枯葉における朝霜(公順)
千五百番歌合に
物や思ふ雲のはたての夕暮に天つ空なる初雁の声(続千載428)
【通釈】雁も私と同じように思い悩んでいるのだろうか。夕暮の雲の果て、天空に響く初雁の声よ。
【語釈】◇雲のはたて 雲の果て。「はたて」は万葉集にも見える語で、「果て」の古形。
【補記】天空に響く初雁の声を、自身の物思いに重ねて聞く。建仁元年(1201)成立の千五百番歌合、六百七十六番秋三、左負。
【他出】千五百番歌合、後鳥羽院御集
【本歌】よみ人しらず「古今集」
夕暮は雲のはたてに物ぞ思ふ天つ空なる人を恋ふとて
建保四年二月御百首 秋
初雁のとばたの暮の秋風におのれとうすき山の端の雲(後鳥羽院御集)
【通釈】初雁が飛ぶ鳥羽田の夕暮の秋風に、自然と薄くなった山の端の雲よ。
【語釈】◇とばた 鳥羽田。鳥羽は山城国の歌枕。今の京都市南区上鳥羽から伏見区下鳥羽あたり。鳥羽田はその地の田。前句からのつながりで「飛ぶ」意が掛かる。
【補記】鳥羽田を吹き渡る風によって、山の端の雲もおのずと薄くなる。建保四年(1216)二月の百首歌。
【他出】雲葉集、夫木和歌抄
建仁三年十一月六日、和歌所、野径秋風
いにしへの千世のふる道年へてもなほ跡ありや嵯峨の山風(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
秋御歌の中に
里の海人のたく藻のけぶり心せよ月のでしほの空晴れにけり(続古今381)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】五百首和歌、秋。
【他出】後鳥羽院御集、歌枕名寄
正治二年百首歌めされけるとき
うす雲のただよふ空の月かげはさやけきよりもあはれなりけり(風雅597)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【他出】正治初度百首、三百六十番歌合、後鳥羽院御集
建仁元年三月内宮御百首 秋
秋の雲千里をかけて消えぬらし行くこと遅き夜半の月かな(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
夜鹿
ひさかたの桂のかげに鳴く鹿はひかりをかけて声ぞさやけき(遠島御歌合)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【他出】時代不同歌合、夫木和歌抄
秋歌とて
さびしさは深山の秋の朝ぐもり霧にしをるる真木の下露(新古492)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】新古今集以外に見えない。
月前虫
秋ふけぬ鳴けや霜夜のきりぎりすややかげ寒しよもぎふの月(新古517)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【他出】仙洞句題五十首、後鳥羽院御集、色葉和難集、新三十六人撰
【主な派生歌】
露の間とみるもはかなし鳴く虫の命の末のよもぎふの月(*道堅)
建仁三年十一月屏風御歌 紅葉
山の蝉なきて秋こそふけにけれ木々の梢の色まさりゆく(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
建保二年九月三日当座 暁山
思ひ入る色は木の葉にあらはれてふかき山路の有明の月(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【参考歌】西行「宮河歌合」
人聞かぬ深き山路の時鳥なくねもいかにさびしかるらむ
秋
山もとの里のしるべの薄紅葉よそにも惜しき夕嵐かな(遠島百首)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】玉葉集では結句「秋の色かな」。
【参考歌】寂蓮「寂蓮法師集」
花の色にたもとはそめぬ身なれどもよそにも惜しき衣がへかな
時雨
月ぞ今はもる山道の夕時雨のこる下葉も嵐吹くなり(北野宮歌合)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
最勝四天王院の障子にすずか河かきたる所
鈴鹿河ふかき木の葉に日数へて山田の原の時雨をぞきく(新古526)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【他出】最勝四天王院和歌、御裳裾和歌集、後鳥羽院御集、歌枕名寄
冬の歌の中に
深緑あらそひかねていかならむ間なく時雨のふるの神杉(新古581)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【他出】定家八代抄、詠歌大概、後鳥羽院御集、歌枕名寄、歌林良材
承元二年十一月最勝四天王院御障子 水無瀬川
水無瀬山木の葉あらはになるままに尾上の鐘の声ぞちかづく(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【他出】最勝四天王院和歌、夫木和歌抄
【参考歌】俊恵「新古今集」
龍田山こずゑまばらになるままに深くも鹿のそよぐなるかな
海辺時雨
わたつうみの浪の花をば染めかねて八十島とほく雲ぞ時雨るる(後鳥羽院御集)
【通釈】海原に立つ波の花は染めようにも染められず、無数の島の遠くで雲が時雨を降らしている。
【語釈】◇浪の花 白い波頭を花に喩えて言う。◇八十島 「八十」は数が多いことのたとえ。小野篁の歌(参考歌)により、隠岐の島への航程が暗示される。
【補記】嘉禄二年(1226)の自歌合(既出)、八番左持。藤原家隆の判詞は「浪の花をばそめかねてやそしまとほくしぐるらむ雲、心詞たけかぎりなく秀逸にこそ侍るめれ」。
【本歌】小野篁「古今集」
わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣船
【参考歌】文屋康秀「古今集」
草も木も色かはれどもわたつうみの浪の花にぞ秋なかりける
紀貫之「古今和歌六帖」
わたつうみの波の花をばとりつとも人のこころをいかがたのまむ
慈円「新古今集」
わが恋は松を時雨のそめかねて真葛が原に風さわぐなり
【主な派生歌】
わたの原八十島とほくゆく舟のゆたのたゆたに都恋しも(衣笠家良[続後拾遺])
わたの原なぎたるおきのはるばると八十島とほく出づる釣舟(足利尊氏)
うらやまし海人の釣舟こぎ出でて八十島とほく月や見るらむ(木下長嘯子)
行く舟もおよばぬ浪のほととぎす八十島遠く鳴きて過ぎぬる(武者小路実陰)
時雨
物思へば知らぬ山路に入らねども憂き身にそふは時雨なりけり(遠島歌合)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】嘉禎二年(1236)七月、後鳥羽院が配所の隠岐で撰した『遠島御歌合』、四十一番左持。
【参考歌】紀貫之「古今集」
わが恋は知らぬ山路にあらなくに迷ふ心ぞわびしかりける
建保四年二月御百首 冬
をしねほす伏見のくろにたつ
【通釈】稲を干す伏見の田の畦――そこから飛び立つ鴫の羽音が寂しく聞こえる、霜の降りた朝の空よ。
【語釈】◇をしね 不詳。「遅稲(おそいね)」の意で晩稲のことかとする説がある。◇伏見 京都市伏見区。鳥羽田と呼ばれた広大な田地があった。◇くろ 畦。田と田の間に土を盛って境としたもの。◇鴫 チドリ目シギ科に分類される鳥。多くは秋に渡来する。繁殖期を除き、単独で行動することが多い。飛び立つ時にあげる鳴き声や羽音は趣深いものとされた。
【補記】建保四年(1216)二月に成った百首歌。隠岐配流以前では最後の大規模な定数歌である。同じ時に定家・家隆・慈円ら当時の有力歌人十六人に詠進を命じている。因みに承元元年(1207)の「最勝四天王院障子和歌」の院の御製「をしねほす伏見のくろにゐる雁のとほざかりゆくあけぼのの空」と初二句が同一である。
【参考歌】西行「新古今集」
心なき身にもあはれは知られけり鴫たつ沢の秋の夕暮
顕昭「六百番歌合」
こもまくら高瀬の淀にたつ鴫の羽音もそそやあはれかくなり
源通光「最勝四天王院障子和歌」
をしねほす鳥羽田のくろにゐる雁の涙にむすぶ秋のいなづま
最勝四天王院の障子に、宇治川かきたるところ
橋姫のかたしき衣さむしろに待つ夜むなしき宇治の明けぼの(新古636)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【他出】最勝四天王院和歌、定家八代抄、後鳥羽院御集、歌枕名寄
【本歌】よみ人しらず「古今集」
さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫
【参考歌】藤原定家「水無瀬恋十五首歌合」
面影も待つ夜むなしき別れにてつれなく見ゆる有明の空
【主な派生歌】
橋姫の待つ夜むなしき床の霜はらふもさびし宇治の川風(俊成女[続後拾遺])
橋姫の待つ夜むなしき玉章に雁がねつらき宇治の曙(正徹)
橋姫の待つ夜むなしきながめにも里の名うづむ雪の曙(木下長嘯子)
百首歌の中に
このごろは花も紅葉も枝になししばしな消えそ松の白雪(新古683)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】正治二年(1200)冬、後鳥羽院が主催した百首歌。題は「雪」。
【他出】正治後度百首、三百六十番歌合、定家八代抄、後鳥羽院御集
建保四年二月御百首 冬
思ひかねなほ妹がりとゆきもよにわが友千鳥空に鳴くなり(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
詠五百首和歌 冬
雪つもる民の家ゐに立つ煙これも世にふる道や苦しき(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】隠岐配流後の五百首和歌。
正治二年第二度御百首 雪
冬の夜のしののめの空は明けやらでおのれぞ白き山の端の雪(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
北野宮歌合に、忍恋の心を
我が恋は真木の下葉にもるしぐれぬるとも袖の色に出でめや(新古1029)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】元久元年十一月、北野宮歌合、七番左勝。
【他出】北野宮歌合、自讃歌、定家八代抄、新三十六人撰、題林愚抄
恋の歌とて
たのめずは人をまつちの山なりと寝なましものをいざよひの月(新古1197)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【他出】新三十六人撰、歌枕名寄
【参考歌】大中臣能宣「能宣集」
たのめつつ人をまつちの山風にさ夜ふけしかば月も入りにき
水無瀬にて、をのこども、久恋といふことをよみ侍りしに
思ひつつ経にける年のかひやなきただあらましの夕暮の空(新古1033)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】建仁二年(1202)六月、水無瀬釣殿当座六首歌合、六番右勝。
【他出】水無瀬釣殿当座六首歌合、定家八代抄、後鳥羽院御集、題林愚抄
詠五百首和歌 恋
袖の中に人の名残をとどめおきて心もゆかぬしののめの道(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
詠五百首和歌 恋
風の音のそれかとまがふ夕暮の心のうちをとふ人もがな(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
被忘恋の心を
袖の露もあらぬ色にぞ消えかへるうつればかはる歎きせしまに(新古1323)
【通釈】袖の涙の露も、常ならぬ紅の色になって、消え入りそうだ。時が移れば(人の心も)変わる、その嘆きをしていた間に。
【語釈】◇消えかへる 「消える」を強調した語で、命が絶えそうなことも暗示しよう。
【本歌】小野小町「古今集」
花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに
【他出】自讃歌、定家八代抄、詠歌大概、近代秀歌、八代集秀逸、後鳥羽院御集、新三十六人撰、題林愚抄
水無瀬の恋十五首の歌合に
里は荒れぬ尾上の宮のおのづから待ちこし宵も昔なりけり(新古1313)
【通釈】里の我が家は荒れてしまった。かつて高円(たかまと)の尾上の離宮が、あるじがいなくなって荒れ果てたように。その「おのえ」ではないけれど、おのずとあの方の訪問が待たれた宵は、もう昔のことになってしまった。
【語釈】◇尾上の宮 高円山にあった聖武天皇の離宮。「つよくあるるといひたてんためにこの名所をとり出るにや。又尾上の宮のをのづからとうくること葉の縁にも成侍り」(『新古今集聞書』)。下記万葉歌などから「高円の尾上の宮」は「荒れてしまった宮」の代名詞となったので、初句「里は荒れぬ」に具体的な映像を重ねるはたらきをする。と共に、頭韻を踏んで第三句「おのづから」を導く序となる。同じく『新古今集聞書』などには「尾上の宮は皇后なり」と註するが、根拠が確かでない。◇おのづから待ちこし 来るのが自然と待たれた。
【補記】万葉集にも高円は秋の野の花の名所として歌われているが、「高円の尾上の宮の秋萩をたれきて見よとまつ虫の声」(良経『秋篠月清集』)、「たれ見よと露のそむらん高円の尾上の宮の秋萩の花」(『後鳥羽院御集』)など、新古今時代にも踏襲されている。したがって第二句「尾上の宮の」は、単に荒れ果てた離宮の映像を重ねて初句「里は荒れぬ」を強めるのみならず、咲き乱れていた花が枯れ果てた、晩秋或いは初冬の野山のイメージを想起させる働きをもしている。さらに頭韻を踏むことで「おのづから」を導き、自然と咲き誇っていた花々が枯れ果てるように、人の寵愛もまたいつか離(か)れ果てずにはいない、という自然と人事の響き合い、またそれゆえの諦念が、下句に籠められてゆくことになる。水無瀬恋十五首歌合、四十一番「故郷恋」左勝。俊成の判詞は「をのへの宮のおのづから、ことにめづらしくみえ侍るなり」。
【他出】水無瀬恋十五首歌合、若宮撰歌合、桜宮撰歌合、定家八代抄、後鳥羽院御集
【参考歌】大伴家持「万葉集」巻二十
高円の野の上の宮は荒れにけり立たしし君の御代遠そけば
寂蓮「新古今集」
里は荒れぬむなしき床のあたりまで身はならはしの秋風ぞ吹く
建仁二年九月二十九日恋十五首撰歌合 寄雨恋
思ふことそなたの雲となけれども生駒の山の雨の夕暮(後鳥羽院御集)
【通釈】私の物思いは、そちらの空にゆかりがあるとか、そういうわけでもないのだけれど、つい生駒山の方が眺められる――山に雲がかかり、雨を降らせる、この夕暮……。
【語釈】◇生駒の山 奈良県と大阪府の境の山。
【補記】下の参考歌は、伊勢物語の名高い「筒井筒」の段の後半に出て来る。河内国高安の女が、心離れた「大和びと」を思い、大和との国境をなす生駒山を眺めての作である。掲出歌の情趣はこれを遠い背景とする程度で、独立した鑑賞を促す歌となっている。前歌と同じく水無瀬恋十五首歌合、六十八番左勝。第二句「そなたの空と」として載せる本もある。
【他出】水無瀬恋十五首歌合、若宮撰歌合、桜宮撰歌合
【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十二
君があたり見つつも居らむ生駒山雲なたなびき雨は降るとも
「伊勢物語」第二十三段
君があたり見つつを居らむ生駒山雲なかくしそ雨は降るとも
同 寄風恋
わくらばにとひこし頃におもなれてさぞあらましの庭の松風(後鳥羽院御集)
【通釈】一頃、あの人はたまさかやって来るのが常だった。それに馴染んでしまって、庭先で待っている私に、やはりふっと立ち寄ってくれないかと期待させるのだ、顔馴染みの松を風が吹き過ぎれば…。
【語釈】◇わくらばに ふとした偶然で。たまたま。◇おもなれて 面馴れて。馴染みになって。作者が「わくらばにとひこし頃」に馴染んで、というだけでなく、松の木も顔なじみになってしまって、という意を含ませている。◇さぞあらましの そうあってほしい。馴染みの松が風に鳴ると、条件反射のように、恋人がやって来ることを願ってしまうのである。◇庭の松風 庭の松を鳴らして吹く風。松に待つを響かせ、風に男の訪れを暗示する。
【補記】前歌と同じく水無瀬恋十五首歌合、七十三番左勝。じれったいような婉曲な表現で、諦めと期待の狭間を微妙に揺れながら待つ女心を描いている。『若宮撰歌合』『水無瀬桜宮十五番歌合』に後鳥羽院自ら下した判で勝を付けているのは、この歌と既出「里は荒れぬ」の二首のみ。院の自信作であったろう。
【他出】水無瀬恋十五首歌合、若宮撰歌合、桜宮撰歌合
【参考歌】禅性「御室五十首」
いつしかと花待つころのながめにはさぞあらましの嶺の白雲
十月ばかりに水無瀬に侍りしころ、前大僧正慈円のもとへ、ぬれてしぐれのなど申し遣はして、次の年の神無月に無常の歌あまたよみて遣はし侍りし中に
思ひ出づる折りたく柴の夕煙むせぶもうれし忘れ形見に(新古801)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【他出】自讃歌、定家八代抄、詠歌大概、源家長日記
雨中無常といふ事を
なき人のかたみの雲やしをるらむ夕べの雨に色は見えねど(新古803)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【他出】自讃歌、定家八代抄、詠歌大概、近代秀歌、後鳥羽院御集、題林愚抄
百首御歌の中に
見わたせば村の朝けぞ霞みゆく民のかまども春にあふ頃(玉葉21)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】建保四年二月御百首、雑。
【参考歌】仁徳天皇「新古今集」
高き屋にのぼりてみれば煙たつ民のかまどはにぎはひにけり
元久元年同十一月十一日、当座歌合 羇旅
さびしさをいつより馴れてながむらんまだ見ぬ山の秋の夕暮(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】元久元年(1204)十一月十一日、北野宮歌合、十一番左勝。
【他出】北野宮歌合、雲葉集
【参考歌】
熊野へまかり侍りしに、旅の心を
見るままに山風あらくしぐるめり都も今は夜寒なるらむ(新古989)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】新古今集巻第十巻末歌。
【他出】定家八代抄
承元元年鴨社歌合に、社頭述懐といふことをよませ給うける
みづがきやわが世のはじめ契りおきしそのことのはを神やうけけむ(玉葉2748)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】建永二年(1207)三月七日、後鳥羽院の主催によって鴨御祖社(下賀茂神社)に奉納された歌合の出詠歌。十三番左(勝負判なし)。
【他出】鴨社歌合、自讃歌、後鳥羽院御集、題林愚抄
太神宮の歌の中に(二首)
ながめばや神路の山に雲きえて夕べの空を出でむ月かげ(新古1875)
【通釈】じっと見つめていたいものだ。神路山に雲が消えて、夕暮の空に現れる月の光を。
【語釈】◇神路の山 伊勢神宮の内宮の南方にある山で、内宮の象徴でもある。神仏習合思想によれば、神路山は霊鷲山に当たり、そこに現れる月は釈迦による救済の象徴となる。
【他出】自讃歌、後鳥羽院御集、歌枕名寄
神風や豊みてぐらになびくしでかけて仰ぐといふもかしこし(新古1876)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】前歌と同じく承元二年(1208)伊勢内宮に奉納した歌。
正治二年八月御百首 祝
万代の末もはるかに見ゆるかな御裳裾川の春の明けぼの(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【他出】正治初度百首、三百六十番歌合
熊野にまゐりてたてまつり侍りし
岩にむす苔ふみならす三熊野の山のかひある行末もがな(新古1907)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【他出】定家八代抄、歌枕名寄
【参考歌】壬生忠岑「古今集」
わびしらにましらな鳴きそあしひきの山のかひある今日にやはあらぬ
新宮にまうづとて、熊野河にて
熊野川くだす早瀬のみなれ棹さすがみなれぬ波の通ひ路(新古1908)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【他出】定家八代抄、歌枕名寄
【本歌】よみ人しらず「拾遺集」
大井河くだす筏のみなれざを見なれぬ人も恋しかりけり
熊野の本宮やけて、年のうちに遷宮侍りしにまゐりて
ちぎりあればうれしきかかる折にあひぬ忘るな神も行末の空(新古1911)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
法文
おしなべて空しき空のうすみどり迷へばふかきよものむら雲(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】嘉禄二年(1226)四月の自歌合。「法性のそら元来清浄なれども、妄想の雲おほひぬれば正因仏性ありともしらず、このことわりをして仏になることかたし、即ち一微塵のうちに法界ことごとくをさまる、況や三十一字の間に実相のことわりきはまれり」。
承元二年二月内宮三十首御歌 雑
大空にちぎる思ひの年もへぬ月日もうけよ行末の空(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【他出】新古今集(異本歌)、自讃歌
【主な派生歌】
めぐりくる月日もうけよ数々にしのぶあまりのやまとことのは(尭孝)
建仁元年三月内宮御百首 雑
思ふべし下りはてたる世なれども神の誓ひぞなほも朽ちせぬ(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
外宮御百首 雑
昔には神も仏もかはらぬを下れる世とは人のこころぞ(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
元久二年三月日吉三十首御会 雑
いにしへの人のこころにゐし堰はいづれの世より跡絶えにけむ(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【他出】夫木和歌抄
人々に五十首歌めしけるついでに
見ず知らぬ昔の人の恋しきはこの世を嘆くあまりなりけり(続千載1960)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】『後鳥羽院御集』によれば元久二年三月の日吉三十首御会での詠。続千載集の詞書は誤りであろう。
承元二年二月内宮三十首御歌 雑
よそにては恨むべしとも見えじ世を袖しをれつつ嘆きこしかな(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
建暦二年十二月二十首御会 述懐
人ごころ恨みわびぬる袖のうへをあはれとや思ふ山の端の月(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
題しらず
人も惜し人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は(続後撰1202)〔百〕
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】建暦二年十二月二十首御会、述懐。
【他出】百人一首、後鳥羽院御集、万代集
雑御歌の中に
大方のうつつは夢になしはてつ寝るがうちには何をかも見む(風雅1900)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】詠五百首和歌、雑。
題しらず
夏山のしげみにはへる青つづら苦しやうき世わが身ひとつに(続後撰224)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【他出】万代集
【参考歌】伊勢「古今集」
山がつのかきほにはへる青つづら人はくれどもことづてもなし
【主な派生歌】
綱手縄くるしやうき世たかせ舟わたりかねたる淀の河水(藤原為家)
建仁三年十一月六首、和歌所、寄暮雑歌
ながめのみしづのをだまきくりかへし昔を今の夕暮の空(後鳥羽院御集)
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【本歌】「伊勢物語」第三十二段
いにしへのしづのをだまき繰りかへし昔を今になすよしもがな
【参考歌】式子内親王「新古今集」
かへりこぬ昔を今と思ひ寝の夢の枕ににほふ橘
住吉歌合に、山を
奥山のおどろが下も踏み分けて道ある世ぞと人にしらせむ(新古1635)
【通釈】奥山の、いばらの茂っている下までも、踏み分けて、道のある世であるぞ、どこまでも正しい政道が布かれている世であるぞと、人々に知らせよう。
【語釈】◇おどろ 草木、特にいばら(トゲのある植物)などが乱れ茂っている所。困難や障碍の多い場所として言う。◇道 道理、人が守るべき正しい道。上皇の立場としては、徳のある政道。
【補記】『美濃の家づと』は裏の意として「奥山にかくれすむ賢人隠士までを、尋ねてめし出て用ひて、其人に道ある世なることをしらせんと也」と寓意を読む。『尾張の家苞』は「上句は、北条の事をのたまへるなるべし、道もなきものの世にはびこるを追討して、道ある世なりと、天下万民にしらせんと也」と解するが、北条氏との対立はまだ激化していなかった頃の詠である。御集によれば承元二年(1208)三月住吉御歌合、題は「寄山雑」。
【他出】後鳥羽院御集、増鏡
春
かすみゆく高嶺を出づる朝日影さすがに春の色を見るかな
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
遠山路いくへもかすめさらずとてをちかた人のとふもなければ
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【参考歌】越前「正治後度百首」
かねてわれ花より先に入りぬればいくへもかすめみ吉野の山
式子内親王「前小斎院御百首」
跡たえていくへもかすめ深く我が世をうじ山の奧のふもとに
夏
古郷をしのぶの軒に風すぎて苔のたもとににほふ橘
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【本歌】よみ人しらず「古今集」
さ月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
秋
おなじくは桐の落葉もふりしけなはらふ人なき秋のまがきに
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】第三句「ふりしけれ」とする本もある。
【参考歌】式子内親王「新古今集」
桐の葉もふみわけがたくなりにけり必ず人を待つとなけれど
冬
見し世にもあらぬ袂のあはれとやおのれしをれてとふ時雨かな
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
冬ごもるさびしさ思ふ朝な朝なつま木の道をうづむ白雪
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
雑
とへかしな雲の上より来し雁のひとり友なき浦になく音を
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
浪間よりおきの湊に入る舟の我ぞこがるる絶えぬ思ひに
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【他出】夫木和歌抄
里とほみきねが神楽の音すみておのれも更くる窓の灯
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
暁の夢をはかなみまどろめばいやはかななる松風ぞ吹く
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【本歌】在原業平「古今集」
ねぬる夜の夢をはかなみまどろめばいやはかなにもなりまさるかな
過ぎにける年月さへぞ恨めしき今しもかかる物思ふ身は
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【他出】夫木和歌抄
夕月夜入江に汐や満ちぬらむ芦のうら葉のたづのもろ声
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
ことづてむ都までもし誘はればあなしの風にまがふ村雲
【通釈】
【語釈】◇あなし 西北風。隠岐からは都の方向に吹く風。◇
【補記】
【参考歌】藤原俊成「為忠家後度百首」「新千載集」
吹きはらふあなしの風に雲はれてなごの門わたる有明の月
われこそは新島守よ隠岐の海のあらき波かぜ心して吹け
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【他出】歌枕名寄、増鏡、承久記(古活字本)
【参考歌】安法法師「拾遺集」
夏衣まだひとへなるうたたねに心して吹け秋の初風
【主な派生歌】
人心あらき波風立ち弱れ思ふかたほにしづむ浦舟(正徹)
これやこの憂き世をめぐる舟の道石見の海のあらき波風(細川幽斎)
君の為こぎいづる船ぞ富海潟あらき波風いまたつなゆめ(久坂玄瑞)
なびかずは又やは神に手向くべき思へば悲し和歌の浦浪
【通釈】
【語釈】◇ ◇
【補記】
【参考歌】源家長「新古今集」
藻塩草かくともつきじ君が代の数によみおく和歌の浦波
更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年09月03日