雅成親王 まさなりしんのう 正治二〜建長七(1200-1255) 通称:六条宮・但馬宮・入道三品親王

後鳥羽院の皇子。母は修明門院重子(高倉範季の娘)。土御門院順徳院道助法親王ほかの弟。子に大僧正澄覚法親王ほかがいる。
正治二年(1200)九月十一日、京極第で生れる。宣陽門院覲子の養子となる。建仁四年(1204)、親王宣下。建暦二年(1212)、元服し、三品に叙せられる。建保元年(1213)、源通光の娘を妻とする。承久三年(1221)、承久の乱に関与した罪により但馬国城崎郡高屋郷に配流される。嘉禄二年(1226)十月、出家。寛元二年(1244)頃、一時、母修明門院の四辻御所に住む。建長七年二月十日、但馬にて薨ず。五十六歳。兵庫県豊岡市高屋に陵がある。
家集『雅成親王集』がある。これは但馬配流後の編とも推測されるが、確かではない。続後撰集初出。勅撰入集三十三首。新三十六歌仙

  2首  2首  2首  1首  5首 計12首

花の歌の中に

紅のうす花ぞめの山ざくら夕日うつろふ雲かとぞ見る(続拾遺64)

【通釈】紅の薄花染めにしたような山桜は、夕日の反映する雲かと思って眺める。

【語釈】◇紅のうす花ぞめ 薄紅の桜の色に染めること。「うす花ぞめ」の前例としては「人ごころうす花ぞめのかり衣さてだにあらで色やかはらむ」(三条院女蔵人左近『新古今』)があり、この場合はツユクサで薄い縹(はなだ)色に染めることを言っている。

【主な派生歌】
山桜かつさく色かくれなゐのうす花ぞめに雲のかかれる(浄喜)
紅のうす花ぞめの山ざくらなどしら雲にまがへきぬらむ(源成直)

花歌の中に

花もまたながき別れや惜しむらんのちの春とも人をたのまで(続後撰1041)

【通釈】私も花との別れを惜しんでいるが、花の方でも永い別れを惜しんでいるのだろうか。来年の春帰って来ると、人を期待せずに。

【補記】「ながき別れ」は、死別か、あるいは長い旅へ発つ際の別れか。いずれにしても、長年親しんで来た家の桜との別れを詠んだものと解される。

更衣

さくら色のかたみの衣ぬぎかへてふたたび春に別れぬるかな(和漢兼作集)

【通釈】桜色に染めて花との別れを惜しんだ形見の衣――今それを夏衣へと脱ぎ替えて、再び春に別れたのだなあ。

【補記】『和漢兼作集』は鎌倉中期、編者不明の私撰詩歌集。『雅成親王集』では第四句「ふたたび花に」。

【本歌】紀有朋「古今集」
さくら色に衣はふかくそめてきむ花のちりなむのちのかたみに
  和泉式部「後拾遺集」
さくら色にそめし衣をぬぎかへて山ほととぎす今日よりぞまつ

夏の歌の中に

色ふかき涙をかりてほととぎすわが衣手の森に啼くなり(続後撰1279)

【通釈】「声はして涙は見えぬ」というほととぎすよ、おまえの悲しげな声を聞いて、私の袖は血の涙で染まってしまった。その色深い涙をおまえの涙として、衣手の森に鳴いているのを私は聞いているのだよ。

【語釈】◇涙をかりて ホトトギスに「私の涙を借りて鳴いてくれ」と言い遣った本歌(下記参照)を踏まえる。◇わが衣手の森 「衣手」に袖の意と地名を掛ける。「衣手の森」は京都松尾大社摂社の衣手社が鎮座する森。◇啼くなり 鳴くと聞く。

【補記】御集では題「杜郭公」。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
声はして涙は見えぬ時鳥わが衣手のひつをからなむ

月の歌とて

いかにして身をかへて見む秋の月なみだの晴るるこの世ならねば(続古今1592)

【通釈】どうかして、別人の身になって眺めることはできないものか――秋の月よ。涙がやむ時のあるこの世ではないので。

【補記】自分は涙に濡れた目でぼんやりとしか月を見られないので、他人に身を代えて月を眺めたい、との心。

題しらず

月の入る梢はたかくあらはれて川霧ふかき(をち)の山もと(続古今433)

【通釈】遠くの山を眺めると、月が沈むあたりの森の梢は高いところに現れていて、麓のあたりは川霧が深く立ち込めている。

【補記】月が遠くの山の端に沈みかけ、そのあたりだけ明るくなった森の梢が、作者の位置から高く仰がれる。麓に目を転じれば、川霧が深く立ちこめていて、ぼんやりとしか見えないのだが――。続古今集秋歌上の巻末を飾る、叙景歌の秀逸。

【他出】雲葉集、新時代不同歌合、和漢兼作集、題林愚抄

さを鹿のつめもかくれぬ春草のはつかに見えて逢はぬ君かな(御集)

【通釈】牡鹿のひづめも隠れぬほど背の低い、萌え出たばかりの春草のように、ほんのわずかに見えただけで、逢うことのできないあなたよ。

【補記】上句は「はつかに」を導く序のはたらきをしている。全身を見せて春の野原に立っている牡鹿のイメージは、恋心を包み隠さずあらわしている、話し手自身の暗喩ともなる。対して恋人の方は、ほんのわずかに顔を見せてくれただけで、逢ってはくれないのである。

【本歌】壬生忠岑「古今集」
春日野の雪まをわけておひいでくる草のはつかに見えし君はも

夕旅 (二首)

かへりみるわがふるさとの山の端を雲ゐになして出づる月かげ(御集)

【通釈】振り返ってみる我が故郷の山――そこから月が昇ると、山の端は遥かに遠ざかるように見える。

【語釈】◇雲ゐになして 遥か遠くにして。

【本歌】相模「相模集」「新拾遺集」
故郷を雲ゐになして雁がねの中空にのみなきわたるかな

 

白雲の八重山こえて見わたせば暮るるも惜しきふるさとの空(御集)

【通釈】白雲が幾重にも重なる八重山を越えて故郷の方を見渡すと、暮れてゆくのも惜しくてならない空であるよ。

【語釈】◇白雲の八重山こえて 「白雲の八重にかさなる、八重山こえて」を圧縮した言い方。「やへ」は幾重にも重なっていることで、「白雲」「山」両方について言う。高い山をいくつも越えて、ということ。◇暮るるも惜しき 日が暮れて見えなくなってしまうのが惜しい。

【参考歌】藤原定家「御裳濯和歌集」
大方にいとひなれたる夏の日の暮るるも惜しき撫子の花

述懐

寝ても夢寝ぬにも夢の心地してうつつなる世を見ぬぞ悲しき(御集)

【通釈】寝ても夢を見るけれど、寝ていなくても夢を見ているような気分がして、現実感を以てこの世を見ることができないのが悲しい。

【補記】続後撰集1216「題しらず」。

【本歌】紀友則「古今集」
寝ても見ゆ寝でも見えけりおほかたはうつせみの世ぞ夢にはありける

寄松述懐

さびしくてふりぬるものは美濃山のひと木の松とわれとなりけり(御集)

【通釈】寂しく時を経て年老いたものといったら、美濃山の一本松と私とであったよ。

【語釈】◇美濃山(みのやま) 「美濃の中山」「美濃の御山」とも言い、美濃国一宮、南宮神社南方の南宮山のこと。「思ひいづや美濃のを山のひとつ松ちぎりしことはいつも忘れず」(伊勢『新古今集』)など、山頂に一本松があったと伝わる。

【補記】一つ松は倭建命作と伝わる古歌謡以来擬人化され、王朝和歌ではしばしば孤独な境涯にある者の友と見なされた。歌の形としては古今集の本歌をそのまま踏襲している。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
世の中にふりぬる物は津の国のながらの橋と我となりけり

別れの心を

つひにゆく道よりもけにかなしきは命のうちの別れなりけり(続後撰1283)

【通釈】最後に人が辿る道よりもずっと悲しいのは、命があるうちに訪れる別れなのだった。

【語釈】◇つひにゆく道 古今集の業平の歌(下記本歌)を踏まえ、人が最後に通る道、死出の道を言う。◇けに 格別に、ひどく。『雅成親王集』では「猶」とあるが、続後撰集の撰者藤原為家が添削したのであろう。「けに」の方が語勢が鋭くなり、適確な改変と思われる。◇命のうちの別れ 死別に対し、生きている間に訪れる別れ。

【補記】詞書によれば題詠のようであるが、当時の人々は但馬に配流された親王の運命を想起せずには読めなかったであろう。

【本歌】在原業平「古今集」
つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日けふとは思はざりしを


公開日:平成14年05月18日
最終更新日:平成21年01月22日