俊恵 しゅんえ 永久一(1113)〜没年未詳 称:大夫公

源俊頼の息子。母は木工助橘敦隆の娘。兄の伊勢守俊重、弟の叡山阿闍梨祐盛も千載集ほかに歌を載せる歌人。子には叡山僧頼円がいる(千載集に歌が入集している)。大治四年(1129)、十七歳の時、父と死別。その後、東大寺に入り僧となる。
永暦元年(1160)の清輔朝臣家歌合をはじめ、仁安二年(1167)の経盛朝臣家歌合、嘉応二年(1170)の住吉社歌合、承安二年(1172)の広田社歌合、治承三年(1179)の右大臣家歌合など多くの歌合・歌会に参加。白川にあった自らの僧坊を歌林苑と名付け、保元から治承に至る二十年ほどの間、藤原清輔源頼政登蓮道因二条院讃岐ら多くの歌人が集まって月次歌会や歌合が行なわれた。ほかにも源師光藤原俊成ら、幅広い歌人との交流が知られる。私撰集『歌苑抄』ほかがあったらしいが、伝存しない。弟子の一人鴨長明の歌論書『無名抄』の随所に俊恵の歌論を窺うことができる。家集『林葉和歌集』がある(以下「林葉集」と略)。中古六歌仙。詞花集初出。勅撰入集八十四首。千載集では二十二首を採られ、歌数第五位。

「林葉和歌集」群書類従二六八(第十五輯)・私家集大成二・新編国歌大観三

 4首 9首 10首 4首 10首 3首 計40首

題しらず

春といへば霞みにけりな昨日まで浪まに見えし淡路島山(新古6)

【通釈】春というので、霞んでしまったなあ。昨日まで波間に見えていた淡路島山よ。

【補記】『林葉集』の詞書は「左大将家にておなじ心を」。「左大将」は後徳大寺実定。「おなじ心」は前歌の詞書を承け立春を指す。「浪まに見えし」に荒い冬の海を思わせ、霞める島影に立春の朝ののどけさを捉えた。

【他出】中古六歌仙、林葉集、玄玉集、三十六人歌合、時代不同歌合、歌枕名寄、釈教三十六人歌合

【参考歌】源俊頼「散木奇歌集」
いつしかとかすみにけりな塩竈のうらゆく舟の見えまがふまで

【主な派生歌】
春たつと霞みにけりなひさかたの天の岩戸の明ぼのの空(一条実経[新後撰])
かぎりなく霞みぞわたる与謝の海の波まにみえし天の橋立(藤原公清)
けふといへば雪げの雲も打ちなびき春くる空に霞みぬるかな(*慶運)
おしなべて霞みにけりな海山もみなわが国と春やたつらむ(*正徹)
今朝までは見えし小島も霞たつ波間やいづく春の夕なぎ(貞常親王)

採菫日暮

すみれ草つみ暮らしつる春の野に家路教ふる夕づくよかな(林葉集)

【通釈】すみれ草を日が暮れるまで摘んで過ごした春の野で、家路はこちらだと照らして教えてくれる夕月であるよ。

【語釈】◇家路教ふる 夕月が家への帰り道を照らしてくれる、ということ。◇夕づくよ 夕月夜。夕月を意味する歌語。

花の歌とてよめる

み吉野の山下風やはらふらむ梢にかへる花のしら雪(千載93)

【通釈】吉野の麓を吹く風が払うのだろうか。一度散ったのに、梢に戻ってゆく花の白雪よ。

【語釈】◇山下風 麓を吹く風。◇はらふらむ 吹き散らすのだろうか。◇梢にかへる 一度散った花が梢に吹き戻される。◇花のしら雪 花を雪に喩える。

【補記】『林葉集』の詞書は「中納言、歌よむ人々をすすめて法勝寺にて十首歌よませ侍りしに、花」。「中納言」は藤原成範(1135-1187)。

きぎすをよめる

狩人(かりびと)の朝ふむ小野の草わかみかくろひかねて雉子(きぎす)鳴くなり(風雅126)

【通釈】狩人が朝狩に踏んでゆく野の草はまだ若いので、隠れようにも隠れることができず雉が鳴いている。

【語釈】◇草わかみ 草がまだ若いので。若草ゆえ背が低いのである。

【本歌】作者不詳「万葉集」
さ壮鹿の朝伏す小野の草若み隠ろひかねて人に知らゆな

望山恋花 隆房朝臣会

いかにせむ山の青葉になるままに遠ざかりゆく花の姿を(林葉集)

【通釈】どうして止めよう。山が青葉に覆われてゆくにつれて、記憶の彼方に遠ざかってゆく花の面影を。

【補記】題は「山を望みて花を恋ふ」。藤原隆房(1148-1209)主催の歌会での作。

遥見卯花

卯の花の盛りなるらし袖たれて遠方(をちかた)人の波を分けゆく(林葉集)

【通釈】卯の花が盛りであるらしい。袖を垂れて、遠方の人が白波を分けつつゆく。

【補記】題は「遥かに卯の花を見る」。卯の花を白波に譬えるのは当時の常套。有名な先例としては「見わたせば波のしがらみかけてけり卯の花咲ける玉川の里」(後拾遺集、相模)がある。「遠方人」の袖を遠望するのも好まれた趣向であるが、掲出歌は「袖たれて」「波を分けゆく」にイメージが髣髴し、類想の作から抜きん出ている。

尋郭公帰聞 歌林苑

今こそは入りちがふなれ時鳥(ほととぎす)尋ねかねつつ帰る山路に(林葉集)

【通釈】まさに今、入れ違うとは。ほととぎすの声を求めて得られず、帰ってゆく山路で。

【補記】題は「郭公を尋ねて帰りに聞く」。人が山から里へ戻るのと入れ違いに、ほととぎすは里から山へ入ってゆく。その声を帰り際に聞いたというのである。

雨後月明といへる心をよめる

夕立のまだ晴れやらぬ雲間よりおなじ空とも見えぬ月かな(千載217)

【通釈】夕立がまだ晴れきらない雲間から、同じ空にあるとも見えない――それほどさやかに輝く月であるよ。

【補記】題は「雨後の月明らかなり」。この歌は『林葉和歌集』には「ゆふだちも晴れあへぬほどの雲間よりさもあやにくに澄める月かな」とある。千載集における改作の方が優れていると思えるので、ここでは千載集より採録した。

【主な派生歌】
暮るるよりおなじ空とも見えぬかな秋の今夜の山のはの月(北条政村[続後撰])

雨後夏月

今ぞ知る(ひと)むらさめの夕立は月ゆゑ雲のちりあらひけり(林葉集)

【通釈】今こそ分かった。一しきり降った叢雨の夕立は、月を美しく見せるために、雲の塵を洗い流したのだ。

【補記】激しい夕立が月にかかっていた雲を洗い流した、と見た。「雲のちり」は雲を塵に見立てた表現で、「涙の雨」「花の白雪」などと同類。

【参考歌】源俊頼「金葉集」
すみのぼる心や空をはらふらむ雲のちりゐぬ秋の夜の月

水辺待月 右大臣家

宿さむと岩間の水草(みくさ)はらふ手にやがてむつるる夜半(よは)の月かな(林葉集)

【通釈】岩間の清水に月を映そうとして水草を払う――その手に、たちまち戯れるようにまとわりつく月の光であるよ。

題しらず

岩間もる清水を宿にせきとめてほかより夏を過ぐしつるかな(千載212)

【通釈】岩の間から漏れる清水を、庵の方へ流れるように堰き止めて、暑さと無縁に夏を過ごしたのだった。

【語釈】◇清水を宿にせきとめて 清水が庵の方へ流れて来るように堰を作って。◇ほかより夏を… 我が庵だけは局外にあって夏を過ごした、ということ。

【補記】『林葉集』では詞書「百首歌の中に」、第四句「夏をほかより」。

夏草をよめる

夏ふかみ野原を行けば程もなく先立つ人の草がくれぬる(林葉集)

【通釈】夏も深まったので、野原を行くと、先立って歩く人の姿が程なく草に隠れてしまう。

【補記】巧んだ趣向が全く無く、ありふれた場のありふれた事件を平明な語で歌っている。後世いわゆる「ただこと歌」の先蹤と言えよう。

刑部卿頼輔歌合し侍りけるに、納涼をよめる

(ひさき)おふる片山かげにしのびつつ吹きけるものを秋の初風(新古274)

【通釈】楸の生える片山の陰に、人目を忍ぶようにして吹いているのだった、秋の初風は。

【語釈】◇楸 アカメガシワのことという。夏、穂状の白い花を梢につける。◇吹きけるものを ひっそりと吹いていたのに、気づかなかったということ。

【補記】藤原頼輔主催の歌合での作。但し『林葉集』では詞書「又 範兼卿家会」とあり、藤原範兼(1107-1165)邸における歌会での作とする。同集は第三句「かくろへて」。また第五句「秋の夕風」とする本も。

【他出】中古六歌仙、林葉集、三百六十首和歌、六華集、題林愚抄

【参考歌】山部赤人「万葉集」
ぬばたまの夜の更け行けば楸おふる清き川原に千鳥しばなく
  源俊頼「散木奇歌集」
ひさぎおふる山片かげの石井筒ふみならしてもすむ心かな

右大臣家百首内 草花

荻の葉に風うちそよぐ夕暮は音せぬよりもさびしかりけり(林葉集)

【通釈】荻の葉に風がそよそよと音をたてる夕暮は、静寂の夕暮よりも寂しいのだった。

【参考歌】輔仁親王「千載集」
山里の筧の水の氷れるは音聞くよりも淋しかりけり

薄当路滋

花すすきしげみが中を分けゆけば袂をこえて鶉たつなり(林葉集)

【通釈】花薄が繁る中を分けてゆくと、衣の袖を飛び越えて鶉の飛び立つ音がする。

【語釈】◇花すすき 穂の出たススキ。風に揺れる様は、人を招く袖(袂)に喩えられた。「花すすき招く袂はあまたあれど秋はとまらぬものにぞありける」(新千載集、清原元輔)など。◇袂を越えて 繁みの中を行く人の袂を飛び越えて。あるいは花薄を袂に喩えて言うか。袂は袖、特に袋状に垂れ下がった部分。◇鶉たつなり 「なり」はいわゆる伝聞推定の助動詞。この場合は音によって鶉が飛び立ったと判断していることをあらわす。一瞬のことで、姿はよく見えなかったのである。「鶉鳴くなり」とする本もある。

【補記】題は「薄(すすき)、路に当たりて滋(しげ)し」。句題か。原詩未詳。

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十六
天にあるやささらの小野に茅草(ちがや)刈り草刈りばかに鶉を立つも

夕見草花

夕づくよしばしほのめけ咲きそむる小萩が花の数もかぞへむ(林葉集)

【通釈】夕月よ、暫し姿を見せよ。咲き始めた萩の花の数も数えようから。

【語釈】◇夕づくよ 夕月夜。夕月を意味する歌語。◇ほのめけ ほのかに現れよ。夕月に対して呼び掛けている。

久方の(あま)川辺(かはべ)に雲消えてなぎたる夜半の月を見るかな(中古六歌仙)

【通釈】天の川のほとりにあった雲が消えて、凪いだ夜の月を見ることである。

【補記】『林葉和歌集』には、「師光君の歌合に」の題で「天の川八十(やそ)の浦わに雲消えてなぎたる夜半の月を見るかな」と載る。『歌苑抄』(散逸)を出典としたらしい「中古六歌仙」の方を採った。

月のうた十首よみ侍りける時、よめる

筏おろす清滝川にすむ月は(さを)にさはらぬ氷なりけり(千載991)

【通釈】筏を流し下す清滝川に澄む月は、棹の邪魔をしない氷なのであった。

【語釈】◇清滝川 京都愛宕山麓より保津川に注ぐ。名の通りの清い滝川(急流)の意をこめる。◇棹にさはらぬ氷 棹にぶつかって邪魔をしない氷。水面に映った月光を氷に見立てている。

【補記】『林葉集』の詞書は「月の歌とて」。

故郷月をよめる

古郷の板井の清水みくさゐて月さへすまずなりにけるかな(千載1011)

【通釈】古びた里の板井の清水は水草が生えて、月さえ住まず、昔のような澄んだ光を宿さないようになってしまった。

【語釈】◇板井の清水 板で囲った井戸の清水。【本歌】参照。◇みくさゐて 水草が生えて。◇すまず 水面に映る月の光が「澄まず」、月の姿が水面に「住まず」、の掛詞。

【補記】『林葉集』の詞書は「故郷月」。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
我が門の板井の清水里遠み人しくまねば水草おひにけり

摂政前右大臣の家に百首歌よませ侍りける時、月歌の中によめる

この世にて六十(むそぢ)はなれぬ秋の月死出の山路も面変(おもがは)りすな(千載1022)

【通釈】この世にあって、私が六十歳になる今日まで、離れることのなかった秋の月よ、死出の山路も今と変わりなく照らしてくれ。

【語釈】◇死出の山路 冥土にあると考えられた山を越える道。◇面変わりすな 顔つきを変えるな。今と同じように明るく死出の山路を照らしてくれ、ということ。

【補記】治承二年(1178)の九条兼実家百首。『林葉集』の詞書は「右大臣家百首中、月」。

【他出】中古六歌仙、林葉集、定家八代抄

海辺月といへる心をよめる

ながめやる心のはてぞなかりける明石の沖にすめる月影(千載291)

【通釈】眺めやる心は果てがないのだった。明石の沖に澄んで輝く月の光よ。

【語釈】◇明石 播磨国の歌枕。兵庫県明石市。月の名所。月の縁語「あかし」の意が掛かる。

月前述懐を

ながむれば身の憂きことのおぼゆるを愁へ顔にや月も見るらむ(風雅1576)

【通釈】月をじっと眺めていると、自分の身の上が憂鬱になってくるけれど、それを月の方も「あいつは何か言いたそうな顔をしているな」とでも眺めているのだろうか。

【語釈】◇愁(うれ)へ顔 悲嘆や不平を訴えたそうに見える面持ち。

夜泊鹿といへるこころをよめる

夜をこめて明石の瀬戸を漕ぎ出づればはるかに送るさを鹿の声(千載314)

【通釈】まだ夜深いうち、明石の海峡を漕ぎ出てゆくと、鹿の声が送ってくれるように遥かに鳴く。

【語釈】◇夜をこめて まだ夜深いうちに。闇があたりをすっかり覆っている様を髣髴とさせる言い方。◇はるかに送る… 遠くの山の鹿が、送別するように鳴いてくれる。

【補記】『林葉集』によれば歌林苑における歌会での作。

大井河に紅葉みにまかりてよめる

けふ見れば嵐の山は大井川もみぢ吹きおろす名にこそありけれ(千載370)

【通釈】今日目にしたところ、よく分かった、嵐山とは、大井川に紅葉を吹き落とすことからついた名であったのだ。

【語釈】◇嵐の山 京都の嵐山。渡月橋の西。紅葉の名所。「嵐が吹く山」の意を掛ける。◇大井川 大堰川。桂川の上流、京都嵐山のあたりの流れを言う。

【補記】『林葉集』は詞書「歌林苑の人々、大井川に田をかりて十月ばかりに歌よみ侍りしに」、第四句「紅葉こき下ろす」。

題しらず

立田山梢まばらになるままにふかくも鹿のそよぐなるかな(新古451)

【通釈】立田山の山深くでは、紅葉も散り果て、梢と梢の間が広くなったので、鹿がその下を歩くと、深く積もった落葉がサヤサヤ鳴るのが聞こえてくるのであるよ。

【語釈】◇立田山 龍田山とも。奈良県生駒郡三郷町の龍田神社背後の山。紅葉の名所。◇梢まばらになる 木の葉が落ちて、梢と梢の隙間が広がる。◇ふかくも 「山の奥深く」「木の葉が深く積もって」の両義か。◇鹿のそよぐなるかな 「そよぐ」は「くっきりと(サヤサヤ、ソヨソヨ)耳に立つような音を立てる」程の意。風に葉が鳴るなどの場合に用いられるのが普通。梢は最早そよがず、今や地面に積もった落葉がそよぐ、という機知。鹿の鳴き声を「そよぐ」と言ったと解しても面白い。

【補記】『林葉集』の詞書は「歌林苑歌合に落葉」。同集では冬の部にあるが、『新古今集』では秋歌下。

【他出】中古六歌仙、林葉集、定家十体(麗様)、後鳥羽院御口伝、歌枕名寄、了俊一子伝

【本歌】よみ人しらず「古今集」、猿丸大夫「猿丸集」
奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿のこゑ聞く時ぞ秋はかなしき
【参考】「和漢朗詠集」
紅葉声乾鹿在林(紅葉声乾いて鹿林に在り)

【主な派生歌】
水無瀬山木の葉まばらになるままに尾上の鐘の声ぞちかづく(*後鳥羽院)
みるままに紅葉吹きおろす嵐山梢まばらに冬は来にけり(法印長舜[新千載])

谷ふかみ降りつむ雪に夜やさむきひとつに見ゆる妹と背の山(中古六歌仙)

【通釈】深い峡谷に降り積もる雪で、今夜は寒いのだろうか。一つに寄り添ったように見える妹山と背の山よ。

【語釈】◇谷ふかみ 本来は「谷が深いので」と理由をあらわす語法であるが、ここでは「谷が深く」程度の意で用いている。◇ひとつに見ゆる 二つの嶺が寄り添って一つになったように見える。◇妹(いも)と背(せ)の山 紀伊国の歌枕。紀ノ川を挟んで立つ妹の山と背の山。

【参考歌】作者未詳「万葉集」
わぎもこにあが恋ひゆけば羨しくも並びをるかも妹と背の山

題しらず

み吉野の山かきくもり雪ふれば麓の里はうちしぐれつつ(新古588)

【通釈】吉野の山が霞んで見えないほど雪が降り乱れると、麓の里ではしきりに時雨が降っている。

【補記】『林葉和歌集』には見えず。出典は『歌苑抄』か。『治承三十六人歌合』『中古六歌仙』では題「雪」とする。なお『無名抄』によればこの歌は俊恵の自賛歌。

【他出】治承三十六人歌合、中古六歌仙、玄玉集、無名抄、歌枕名寄、兼載雑談

【参考歌】よみ人しらず「後撰集」
けさの嵐さむくもあるかな足引の山かきくもり雪ぞふるらし
  紀貫之「拾遺集」
あしひきの山かきくもりしぐるれど紅葉はいとどてりまさりけり

題しらず

思ひきや夢をこの世の契りにてさむる別れを歎くべしとは(千載756)

【通釈】思っただろうか。現実には逢えないけれど、せめて夢での逢瀬をこの世での結びつきとして、夢から覚めるわかれを歎くことになろうとは。

【語釈】◇さむる別れ 夢から覚める別れ。それが同時に恋人との別れとなる。

【補記】『林葉集』は詞書「歌林苑の人々、かたをわかちて歌えらびて歌合し侍りしに、恋歌三首」とし、その最初の一首。以下、同じ時の二首。

歌林苑の人々、方をわかちて歌えらびて歌合し侍りしに

あはれてふ言の葉もがなそれにだに()なむ命をかへつと思はむ(林葉集)

【通釈】あなたの「あはれ」という言葉がほしいよ。せめてその言葉と、消えようとする私の命とを、交換してしまったのだと思おう。

【語釈】◇あはれてふ言の葉 情けを示す手紙の文言、あるいは歌などを言う。◇命をかへつ (「あはれ」という言葉と)我が命を交換してしまう。

【補記】俊恵主宰の歌林苑での撰歌合に出したという歌。

歌合し侍りける時、恋歌とてよめる

思ひかねなほ恋路にぞ帰りぬる恨みはすゑもとほらざりけり(千載885)

【通釈】あの人の冷たい態度に、この恋はもう断念しようとしたけれど、思い切れなくて、結局また恋の道に戻って来てしまったよ。好きな人への恨みは、最後まで貫き通せないものだなあ。

【補記】『林葉集』の詞書は「歌林苑の人々、かたをわかちて歌えらびて歌合し侍りしに、恋歌三首」。

恋歌とてよめる

夜もすがら物思ふ頃は明けやらぬ(ねや)のひまさへつれなかりけり(千載766)

【通釈】一晩中、あれこれ思い悩む今日この頃は、なかなか明けきらない閨の隙間さえつれなく見えるのだなあ。

【語釈】◇物思ふ頃は つれない人への恋に思い悩む頃は。◇明けやらぬ なかなか夜が明けない。あれこれ考えて眠れないので、夜明けが遠く感じられるのである。なお「閨のひま」を閨の戸の隙間と考えれば、「開けやらぬ」と掛詞になる。◇閨のひま 寝屋の板壁の隙間、あるいは戸の隙間。「さへ」と言うのは、恋人の態度もつれないのに、その上閨の隙までもが…という気持。

【補記】歌林苑での歌合での作。『林葉集』の詞書は「又後のたびの歌合に恋の心を」。

【他出】林葉集、定家八代抄、百人一首

【校異】現在流布している百人一首カルタでは、ふつう第三句は「明けやらで」となっている。『林葉和歌集』『千載集』、また室町時代の古写本百人一首などは、いずれも「明けやらぬ」。また結句、『林葉和歌集』は「つれなかりける」とする本もある。

【主な派生歌】
あけやらぬ閨のひまのみ待たれつつ老いぬる身には朝寐(あさい)せられず(藤原知家)
思ひしほれ寝るとしもなき時のまに閨のひまさへ白みはてぬる(延政門院新大納言[玉葉])
あけそめし閨のひまさへ埋もれて猶夜ぶかしとふれるしら雪(宗良親王)
時鳥待つ夜はいく夜ただにあけてつれなからぬは閨のひまかな(木下長嘯子)
しののめはまだあけやらでふる雪の光にしらむ閨のひまかな(〃)
むらしぐれいく度きかば冬の夜のつれなき閨のひま白むべき(小沢蘆庵)

題しらず

君やあらぬ我が身やあらぬおぼつかな頼めしことのみな変りぬる(千載927)

【通釈】あなたは昔のあなたではないのか。私は昔の私ではないというのか。わからないなあ。約束してあてにしていたことが、すっかり違った結果になってしまった。

【語釈】◇頼めしこと (あなたが私に)期待させたこと。

【補記】『林葉集』の詞書は「師光君家にて人々百首歌よみ侍りしに、恋歌」。

【本歌】在原業平「古今集」
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして

夏夜恋といふこころを

唐衣かへしては寝じ夏の夜は夢にもあかで人わかれけり(千載895)

【通釈】衣を裏返して寝ると、恋しい人に夢で逢えるというが、そんなことはすまい。短い夏の夜は、夢で逢っても、思いを遂げずに人と別れてしまうことになるのだから。

【語釈】◇唐衣 ここでは衣服一般を言う。◇夢にもあかで 夢にも満足できずに。

【補記】『林葉集』の詞書は「夏夜恋歌林苑」。

或る人のもとにて

侘びつつは逢ふと見る夜の夢をだに君が情けと思はましかば(林葉集)

【通釈】心細い気持ではあるが、せめてあなたと逢う夜の夢だけでも、あなたのかけてくれた情けであると、思うことができたなら――。

【語釈】◇思はましかば もし思うことができるなら、よいのだけれど。「まし」は反実仮想の助動詞

入道前関白太政大臣家の歌合に

我が恋は今をかぎりと夕まぐれ荻ふく風の音づれて行く(新古1308)

【通釈】私の恋は、今がもう堪え得る限度だという、そんな夕暮に、荻を吹く風が音立てて過ぎてゆく。

【語釈】◇今をかぎりと夕まぐれ 今がもう堪え得る限度だという、夕暮に。「夕」に「言ふ」を掛けている。◇荻ふく風の… 荻のざわめきは恋人の訪れの前兆とされたが、人は来ずに風ばかりが通り過ぎてゆくことを歎く。

【補記】治承三年(1179)右大臣九条兼実主催の歌合。但し『林葉集』の詞書は「住吉会 歌林苑」。

【本歌】凡河内躬恒「古今集」
わが恋はゆくへもしらずはてもなし逢ふを限りとおもふばかりぞ

暁恋 右大臣家歌合

見ぬも憂し見てもわりなし夢ゆゑに物を思はぬ暁もがな(林葉集)

【通釈】見なければ見ないで辛い。見れば見たで、なんとも堪え難い。夢のおかげで悩まされることのない暁があったらなあ。

【補記】安元元年(1175)の右大臣家歌合。九条兼実の主催、藤原清輔の判。掲出歌は題「暁恋」、二番左負。清輔の判詞は「夢ゆゑにものを思はぬあかつきぞなき、とぞ言はまほしき。あかつきもがな、といへるうちききたるかきあはぬやうにや」。

恋遠人 前大僧正房

はるばると山また山を思ひやる心さへこそ苦しかりけれ(林葉集)

【通釈】遥かに山また山を越えて思いやる――そんなふうに遠い人を慕うだけでも心は苦しい。

【補記】詞書の「前大僧正」は覚忠。歌林苑にも参加し、俊恵とは親交があった。

【参考歌】藤原国房「後拾遺集」
思ひやる心さへこそさびしけれ大原山の秋の夕暮

入道前関白家百首歌よみ侍りけるに

神風や玉串の葉をとりかざし内外(うちと)の宮に君をこそ祈れ(新古1883)

【通釈】伊勢神宮の内宮・外宮で、榊の葉を手に取り、また挿頭にして、大君の栄えを祈るのです。

【語釈】◇神風や 伊勢の枕詞であるが、ここでは伊勢神宮という場所を示している。◇玉串の葉 榊の葉。玉串は榊に木綿を付けた神への捧げ物。◇とりかざし 歌い舞う際に、榊の葉を手に持ち、頭に飾ること。◇内外の宮 伊勢内宮・外宮。

【補記】『林葉集』の詞書は「右大臣家百首中、五首」。同集の冬部には類想歌「君がため玉串の葉をとりかざし星さゆるまで歌ひ明かさん」が見える。

【他出】林葉集、歌枕名寄、六華集

【鑑賞】「神祇の歌といへば千代の八千代のと定文句を並ぶるが常なるに此歌はすつぱりと言ひはなしたる、なかなかに神の御心にかなふべく覚え候。句のしまりたる所、半ば客観的に叙したる所など注意すべく、神風やの五字も訳なきやうなれど極めて善く響き居候」(正岡子規『歌よみに与ふる書』)。

別の心をよめる

かりそめの別れと今日を思へどもいさやまことの旅にもあるらむ(新古881)

【通釈】一時だけの別れであると今日の別れを思うけれども、さあどうか、まさしく二度と帰ることのない旅なのであろうか。

【語釈】◇まことの旅 文字通りの旅。二度と帰ることのない旅。

【補記】『林葉集』の詞書は「百首歌よみ侍りしに、別れの心を」。

【他出】中古六歌仙、林葉集、定家十体(有心様)

右大臣殿百首内 旅五首

かへり見し都の山もへだてきぬただ白雲に向かふばかりぞ(林葉集)

【通釈】何度も振り返って見た都の山も、遠く隔てて来てしまった。今はただ白雲を目指して進むばかりである。

【語釈】◇かへり見し 何度も振り返って見た。「かへり見じ」と読めば、「もう(都の方を)振り返ることはするまい」の意になる。

【補記】治承二年(1178)の兼実家百首。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:令和3年06月20日